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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

49 「お前はノラを殺せるか?」

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「ああ、そのドアですよ」

 女官はロクにペールを見もせず、煩わし気に廊下の一角を指すと、足早にどこかへ行ってしまった。

 教えられたドアを開けた。木の長椅子が四方の壁に置かれただけの、白い壁に低い天井の梁が剥きだしな、素っ気ない部屋だった。王宮と言えど、参内した者の従者や馭者などへの待遇はこの程度のものだ。

 緑色のフェルトのトリコーヌを取りドア際のコート掛けに被せた。

 中央のカフェテーブルの上にティーポットが、皿に盛られたマフィンとカップと一緒に置いてあった。白い陶器のポットはまだ温かかった。カップを取り、茶を注いだ。湯気は上がらなかった。

 生暖かいカップを手に中庭に面した唯一の窓に立った。ガラスに波状に叩きつける激しい雨が、強さを増した風に揺れる木々の像を歪ませていた。


 

 アニキはもう、あの女男爵に打ち明けたのだろうか。

 新しき王朝の旗になってくれ! と。


 

「お前の女のせいで、とんだとばっちりだ!」

 アニキの、呆れたような、諦めの混じった言葉が、まだペールの胸をかき乱していた。


 

 ロクに馬の世話も出来ない。自分の女さえ意のままにできない。

 大きな男になりたくてふるさとまで捨ててきたというのに、まだ何の実績もない。

 それどころか、帝国から来たばかりの女男爵に捨てたはずのふるさととの間を取り持ってもらう始末。

 このまま、ゆくゆくはあの女男爵の許に仕え、もうアニキの役に立つことも無くなるのか。
 おれは、一体何をやっているんだ・・・。

 ぬるい茶は煮だし過ぎて渋さだけが際立っていた。

 


 掟を破り、里を、ハーニッシュを追放までされ、寄る辺の無い身を拾ってくれたアニキに報いるため国中を駆けずり回って革命のために働き、帝国にまで行って命の危険を冒して西の豪族崩れに渡りをつけ、アニキの命とはいえ人殺しにまで手を染めた。

 その見返りが、ノラとののどかな召使いの一生だと?

 もっと、誰からも見上げられるようなビッグな男に、大勢の人々の上に立って行く先を示すような立派な地位に着くはずだったのに。

 それなのに、

 なんて、平凡な、あまりにも平凡に過ぎる、取るに足りない人生。

 こんなはずではなかった・・・・。

 これじゃ、ハーニッシュにいた時と何も変わらない。


 

「では、ペール。お前に聞くが、お前はノラを殺せるか?

 幼いころから共に育った、今もお前の身だけを案じて神に祈りを捧げ続けている女を殺せるか?」

 アニキは言った。

「そ、そんな・・・」

 当然のようにためらったペールに、アニキは追い被せるように続けた。

 あの女は革命のジャマだ。お前がこれ以上先に進みたいなら、あの女を始末するしかない。お前が帝都でジャマな女を始末したように。一思いに、グサッと!」

 ゾッとするほど冷たい目で、アニキは吐き捨てた。

 完全に押し黙ったペールを見て、やがてアニキは声を和らげた。

「殺せまい。お前にはノラは殺せまい。無理だ、ペール。

 本当に、心から私に従うことを願い、私の右腕としてこの国の未来を切り拓きたいなら、その程度のことは当たり前。ごく普通のことだ。

 革命に邪魔な者は容赦なく排除する。

 旧文明の革命の志士たちはみなそうしてきた。

 ローマ時代のアルミニウス、ロベスピエール、ナポレオン、レーニン、ヒトラー、チェ・ゲバラ・・・。みなそうだ。

 革命家というものは、非情なものなのだペール。大義の前には私情も愛も全て捨てる。そういう非情な覚悟が必要なのだ!

 お前には出来まい。無理だ、ペール。お前は、優し過ぎる。

 それよりも、あの女男爵の許にいてハーニッシュとの間を取り持ってくれた方が私には好都合なのだ。そうすれば、お前の女とも共に暮らせるではないか。

 その方が、お前には向いている。その方が、お前にとって幸せではないか? ペール・・・」

 俯き、顔を覆った。


 

 ふいに、背後のドアが開いた。

「やあ、ペール。厩(うまや)のほうはもういいのかい?」

 女男爵と共に帝国からやって来た従者、たしか、アクセルといったな・・・。

 帝国生まれのノール人は、従者溜まりに入って来るなり、馴れ馴れしくペールの肩を叩いたり、不必要に身体に触って来た。

 なんだ、コイツ。キモ・・・。もしかして、男色?

 追放された身とは言え、そっち方面に関しては超のつくほど保守的なハーニッシュに生まれ育ったペールには、アクセルとやらの所作が、気持ち悪くて仕方がない。

「同じ主人に仕える者同士、これからは仲良くしようじゃないか、ええ?

 時にペール。あのノラとはどこまでの間柄なんだ。結婚の約束でもしているのか」

 いきなりプライベートな部分にズカズカ入って来られ、思わず下を向いた。

「まあ、・・・」

「そうか! いいものだな」

 アクセルは、言った。

「聞けば、お前を追ってこの雨の中港の倉庫街まで行ったというじゃないか。あげく、革命分子に間違われて警察の厄介になったって。

 そう言えば、キミはあの倉庫街で何をしていたんだ?

 そもそも、里を追放になってこっち、いままで何をして食っていたんだ? 」

 何も答えられずにうつ向いたままでいると、アクセルはさらに追及の度を深めていった。

「どうして・・・」

 なぜそんなことを訊く?

「これからバロネンにお仕えする同じ仲間になるんだ。いちおう聞いておこうかなと思ってさ」

 他意があるようには見えないが、ペールには答えられようはずもない。

「・・・いろいろ、です。沖仲士(おきなかし 艀と船との間の荷物の上げ下ろしをする人足)したり・・・」

「へえ、だから倉庫街、か・・・。

 でも、それにしては色が白いな。それは曇りがちのノールだからかもしれないが、肩も腕も、むしろ、可愛いくらいだ」

 アクセルはまたもベタベタとペールの体に触れてきた。

 いい加減にしろ!

 その言葉が喉から出かかった時、

「バロネン・ヴァインライヒの従者さん?」

 ふいに冷たそうな声音の若い女官が現れた。

「バロネンがお召しです。控室へ」
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