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17 「殺すのだ、レオン少尉を!」 出来るか? わたしに

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 最前線部隊の慰問に来た楽師に扮していた憲兵隊の少佐。

 その少佐、実のところは、憲兵隊でも少佐でもなかった。

 先頭の准尉の馬車から100メートルほども離れると、彼は口を開いた。

「彼女に感づかれてはいなかろうな、ヤヨイ」

「はい。それは大丈夫です、閣下」

 ヤヨイはウンザリしたように答えた。

 まさか、帝国皇帝の甥、皇帝直属の特務機関の親玉、老獪なスパイマスターがこんな辺境にわざわざ変装までしてやってくるとは誰も思うまい。

 ヤヨイは自分の真のボスの一風変わった趣味に驚きつつも、呆れた。

 太陽が照り付け、風で埃が舞いあがる軍用道路を、ウリル少将とヤヨイは歩いた。

 ハッキリ言って、あまりいい気分ではない。それが正直な気持ちだった。

 その対象を隠密で調査し、帝国に対する反乱の予兆を捉えれば通報し、最終的にはその対象を実力で排除する。

 それが、ヤヨイが受けた使命だった。

 それなのに、自分はその調査対象であるレオン少尉に感化されてしまったのだろうか。

 戦闘でワクワクするような高揚感を覚えたのは事実。レオン少尉の人となりに触れ、まるで神に対する敬意と姉か母親のような愛情を抱いたのも事実。彼女の強烈なセックスアピールに翻弄されてしまったのも、また事実だった。

 まだ心酔しているとまでは言えない。だけど、少尉の存在はヤヨイの心のかなりな部分を占めてしまっているのは紛れもない事実だった。

 だから、いい気分ではないのだ。ウリル少将に会って、急に無味乾燥な現実に引き戻されたから。

「初めて実戦を経験したのだな。どうだった?」

「彼女は、素晴らしい指揮官でした」

 そこは正直に言った。が、

「そうではない」

 と少将は言った。

「そんなことはわかっている。ニシダは恐らく帝国でも一二位を争うほどの最も優秀な下級指揮官だ。

 そうではなくて、お前がどうだったかを聞いている。・・・怖かったか」

「初めは、怖かったです。ですが、途中から、昂奮してしまいました」

 正直なところを、ヤヨイは話した。

「ふむ。まあ、そうだろうな。このところは戦争もない。新兵でいきなり戦場に駆り出され、初めて手にした銃で敵を撃ち殺したりすれば、誰でもそうなる。しかも、一人でも多く撃ち殺せと命令されてのことだ。だんだん、命令されなくても撃ちたくなるのにさほど時はかからない。それが平常心で出来るようになるころには、普通の人間に戻るのが難しくなっている。戦場で得た高揚感の持つ危うさというのは麻薬のようなものだ。誰でも虜になる可能性から逃れがたいものなのだ」

 こんな田舎の道を歩きながら、なんと重たいことを言ってくれるものだ。

「閣下、ご報告しなければならないことがあります」

「なんだ」

「少尉に技を持っていることを知られました。少尉が敵に襲われそうになって、つい、無意識に身体が動いてしまったんです」

「・・・そうか」

 と閣下は言った。しばらく無言で歩いた。

「やはり、来てよかった」

 閣下は言った。

「お前は、まだ若い。ニシダ少尉の影響力に染まってしまうのではないかと心配になって来てみたのだ。初めて実戦で敵を殺し、その鮮やかな戦闘指揮に影響されるかもしれない。そういう危惧はしていたが・・・。

 やはり、それほどに素晴らしいか、少尉は。無意識に守ってやりたくなるほどに。お前が小隊に加わってまだ数日。その短い期間にすでに新兵の心を捉えたというのだな」

「彼女は、素晴らしいです! 兵たちは伸び伸びしていますし小隊の絆は強いです。みんな少尉の意のままに動きます。常に兵たちの体調と腹具合と危険に心を配っています。彼女からは、兵たちへの、何か愛情のようなものを感じます。軍曹を含め、小隊の全員と寝ています」

「もしや、お前も、抱かれたのか」

 ヤヨイは顔を赤くして、うつむいた。

 ふふん・・・。

 少将は、笑った。おおかたそんなことだろうと思っていた。とでも言いたげに。

「ニシダの戦術に関しては軍法会議の記録を読んだ。

 彼女はあの野蛮人の性質を熟知している。攻勢に強く、守勢に弱い。そういう相手に正攻法で迫っても、敵わないと悟るや逃げ足が速い。大部分は北の土地に逃げられ、すぐにまたやってくるの繰り返しになる。

 そこでエサをチラつかせ、何が何でもエサに食いつかせるように誘導する。それにつられて抜き差しならないほど前進させられた敵の退路を断ち、一網打尽にする。銃を持っていないとはいえ100倍もの兵力の敵を、だ。敵は再び南進しようにもすぐには立ち直れないほどの大打撃を受け、数年から10年は雌伏を迫られる・・・。余人には真似のできない、あまりにも鮮やかな手並みだ」

 閣下は上衣を脱ぎ去り、肩に掛けた。

 そして、続けてこう言った。

「小隊の部下とみだりに寝るなど軍規違反はけしからんし、無断越境も言語道断だ。

 しかし、その結果、野蛮人どもの襲来を未然に防ぎ、奴らの越境襲撃の頻度は確実に減っている。ニシダ少尉の、38連隊の部隊の活動範囲に限ってのことだがな。連隊も軍団も密かにではあるが公式に定期的な小規模の越境攻撃を行うことを検討し始めているらしい」

 ヤヨイも頷いた。まさにその通り。個人技ではあるけれど、格闘技の手練れであるヤヨイは、力で敵を捻じ伏せるという戦いの本質を共有するレオン少尉に密かな同志愛のようなものを抱きつつあった。

「しかし、結局は、無理なのだ」

 そんなヤヨイの内心に冷や水を浴びせるように、ウリル少将は言った。

「我が帝国軍には、ニシダのように作戦を円滑に指揮し完勝に導ける下級指揮官が不足しているのだ。絶望的に、と言ってもいい。銃を持たぬにしても、100倍以上の、しかも猛獣のような敵を相手にしてあのように鮮やかに勝てるというのは、士官学校を出れば誰にでもできるというものではないのだ。だから普遍性を持ちえない。だから、下級部隊などには安易に認められないのだ。そして、毎年ニシダと同じ結果を出せるほどの、旅団規模の作戦を展開できる余力は、今の帝国軍にはない。

 表向き彼女を軍法会議に掛けているのは、体裁を取らねば軍法の実を問われるからだ。軍の秩序は守られねばならんからな。・・・しかし、そんなことよりも、だ」

「・・・はい」

「兆候は見えないか? チャン軍曹と、・・・ええと、なんだ」

 彼は名前を度忘れしたらしかった。

「・・・ヒッピーですか」

「そう。モリソン伍長だ。彼らに不穏な言動はないか」

「今のところは・・・」

「外部からの接触は?」

「わたしが入隊してからはあの工兵隊の陣地と野蛮人への威力偵察と今日の補給部隊ぐらいです。捕虜の件でしょう、さきほど輸送部隊の奴隷と話をしていました」

「そうか。工兵隊の陣地へ行ったか。小隊全員で陣地に入ったか」

「いいえ。少尉とわたしともう一人の一等兵だけで・・・」

「軍曹と伍長は」

「陣営地の外で他の兵たちと小休止していました」

「では、陣営地の護衛部隊の幹部とチャン軍曹が接触した可能性があるな」

「え?」

 陣営地の外に小隊を待たせたのにはそういう、ウラがあったのか。護衛部隊と連絡をとるために、わざわざ工兵隊を表敬したというのか。

 少将は続けた。

「後ろからついてくる補給部隊の准尉にはわたしが楽師に扮した憲兵少佐であることを知らせていた。レオン少尉と二人で大袈裟な芝居をしていただろう? わたしにやつらの手の内を知られまいと必死になっていたのには笑えたがな」

 ふふ、と笑いながら、少将は言った。

「まあ、いずれこの件が片付いたら本物の憲兵隊が根こそぎ摘発するだろうが、後ろの捕虜たちと同じ馬車の男は、あれは奴隷の馭者ではなく、解放奴隷の人買いだ。若い女は訓練の後兵役に就かせるが、30を過ぎた女は軍務には向かない。そういう女たちを個人向けの奴隷商人に横流しするために来ているのだ」

 なるほど、そうだったのか。

 だから少尉はあの馬車の男と話をしていたのだ。

「あの解放奴隷が13軍団と連隊の幹部に袖の下を渡していることも掴んでいる。

 だからニシダは無断で軍事行動を起こしても、無断越境という重罪を犯しても有罪にならないのだ。大尉以下の士官や下士官の審理は連隊で行うことになっているからな。裁判官となる佐官や将官にワイロを流していればそうなる。しかも、現に実績を積んでいるし、なんと一人も戦死者を出していない。たった一個小隊で二個中隊以上の働きをする指揮官は、貴重だ。軍団も、大事にはしないだろうな。軍にとって貴重過ぎる存在なのだ、ニシダは」

「そういうウラがあったのですね・・・。知りませんでした」

「しかも、少尉自身は一切金を受け取っていない。それも把握している。彼女は純粋に、帝国のためになると考えて越境攻撃をし、捕虜を獲得しているのだ。捕虜獲得はだからその越境攻撃を続けるための重要な資金源になっているのだ」

「でもそれは、自分の懐のためではないのですね!」

 なぜか少尉を誇らしく思いかけた。

「だから、余計困るのだ! 危険なのだ、彼女は!」

 ふたりはしばらく無言で歩いた。後ろの馬車は指示を守って離れてついてきていた。

 あのイヤミ准尉が、少尉と仲が悪いフリをしていたのは芝居だったのだ。イヤミ准尉に悟られずにヤヨイと話をするために、こうして新兵事情聴取という芝居を打ったのか・・・。

 なかなかどうして。ウリル少将も芸が細かいな、と思った。

「ニシダは防護柵を強化し、新たに監視哨まで作ったそうだな」

「はい。野蛮人の越境を警戒するため、と」

「それは違う」

 と少将はいった。

「何のために威力偵察を行い、当面の野蛮人どもの襲撃を抑えたか。

 実はニシダ小隊の属する大隊の他の小隊が数日前までお前たちのいた宿営地に入る。宿営地に入る部隊の指揮官は、リンデマンという大尉だ。あの陣地は広い。大尉は丸々一個中隊を率いて宿営することになっている。

 実はリンデマンとニシダは士官学校の同期で思想を同じくする同志なのだ。リンデマンが大隊司令部に進言・工作して、ニシダの小隊の哨戒任務の延長命令が出された。お前の『レオン小隊』がリンデマンたちに合流できるようにするためだ。連隊に帰れば簡単には動けなくなるからな。

 そしてあの宿営地は現在河の南岸を伐採作業中の工兵隊を護衛する二個中隊とも呼応する可能性があることも掴んだ。その護衛の二個中隊の指揮官も士官学校の同期だということも。全てリンデマンが裏で工作し、司令部の判断を誘導した結果なのだ。

 しかも、リンデマンはこの任務の後、第七軍団への転属が決まっている。同期中一番早い少佐への昇進付きでな。

 全てが、符合するのだ、ヤヨイ」

「その大尉は、昇進を棒に振ってまで、反乱を?」

「リンデマンは異動になる前に今の子飼いの兵たちを使って事を起こす。彼は合同演習の名目でニシダを呼び寄せるに違いない。そして、必ず工兵隊の護衛部隊と呼応する。全て合流すればゆうに一個大隊を超える戦力になってしまう。正規軍の、しかも偵察部隊の三百は野蛮人の三百とは戦力が段違いだ。次元が違う。敵が銃を持っていないとはいえ、野蛮人との実戦でニシダの小隊は百倍以上の敵兵を撃退した。お前自身、その威力を肌で感じたはずだ。

 今一個大隊ほどの反乱が起きたら、今度は銃を持っている勢力同士になる。それをすぐに討伐するのは不可能だ。完全制覇には一個連隊、いや、一個旅団規模の戦力が必要になる。それを集結するのに少なくとも半月はかかる。それほど第13軍団の担当方面は広大になってしまっているのだ。

 監視哨の増設はだから野蛮人対策などではない。護衛の二個中隊との連絡用であり、反乱決起のためなのだ」

「・・・では、それでは、もうすぐ反乱が起きるということなのですね・・・」

「それを探るのがお前の任務ではないか。内情を詳細に探り、もしわたしの懸念が現実になるのが確実だという兆候が見えたら、可能な限りの手段を使って連隊司令部に通報しろ。38連隊のビューロー大佐には事の次第は伏せて、お前が特別任務に就いていることを伝えてある。彼にわたし宛の暗号文を届けるのだ。しかし、もし・・・」

 と少将は言った。

「だが、もし、それが間に合わない場合には、」

 ヤヨイには彼の、ウリル少将の、次の言葉がわかってしまった。

「リンデマンとニシダを物理的に排除しろ。二人を殺すのだ、ヤヨイ!」

 ヤヨイは、瞑目した。

「殺すのだ、ヤヨイ! リンデマンと、ニシダを。レオン少尉を!

 二人を排除しさえすれば、反乱は未然に防ぐことができる。その二人以外に反乱を組織できる能力を持った者は、いない。特にニシダは、彼らの精神的支柱だ。少なくとも彼女の排除に成功すれば、反乱は、失敗する。死なねばならない多くの将兵の命が救われる。帝国の危機を、未然に防ぐことができるのだ!

 殺すのだ、レオンを!」


 


 

 いつしか、小高い丘の麓に着いた。

 そこに馬を2頭連れた騎兵が立っていた。あのレモネードを給仕してくれた副官のリヨン中尉だと遠目にも分かった。

「頼んだぞ、ヤヨイ。お前だけが頼りだ」

「でも閣下、どうしてそこまでわたしを信頼するのですか。徴兵されたばかりのわたしに、そんなことができるとお思いですか? わたしが少尉に感化されるかもしれないとは、裏切ってしまうかもとは思わないのですか?」

「それが心配だったから、だからこうしてやってきた。だが、お前と話して、お前なら大丈夫だと、わかった。それに、今お前と話ながら考えていたのだが、技を持っていることを知られたことが、却ってお前を信用させるのに役立ったはずだ。お前は少尉を救った。だから、少尉はお前を最後まで信じきるはずだ。ニシダ少尉とは、そういう人間だ」

 中尉は手綱を握って穏やかに立っていた。ウリル少将は手綱を受け取り、馬の首を撫でた。

「それにお前はわたしの顔を見て硬直した。間諜を務めるにはあまりにも不器用すぎる。お前は正直で、誠実だ。国母貴族となった母に愛情込めて育てられたおかげだろうな。だから少尉に信用される。それがお前の強みだ」

 そう言ってウリル少将はひらりと馬に跨った。

「でも、閣下。どうやって通信文を? あの小隊の行動の中に入ってしまえば、そこから外れたり誰にも見られずに通信文を作るのは、困難です」

「リヨン中尉が常にお前のそばにいる。お前が必要とするとき、必ず彼が現れて、お前を援ける」

 中尉もまた身を翻して馬上の人になった。

「閣下、お願いがあります」

 馬上の少将を見上げ、ヤヨイは言った。

「なんだね」

「もう一度、閣下のギターが聴きたいです」

「では、是が非でもこのミッションを成し遂げなければな。わたしだけじゃない。帝国の人々が優雅にギターを弾いて過ごせるような世を守らねば。・・・死ぬなよ、ヤヨイ」

 ウリル少将は馬の腹を蹴った。そして首都に向かう真っすぐな軍用道路を駆けて行った。


 

 少将を見送り踵を返す。

 まもなくやって来た馬車の准尉に、憲兵隊の少佐はお迎えがあり、馬で先にお帰りになりましたと伝えた。イヤミな准尉はなにやら疑わしそうな眼付きで御者台から見下ろしていたが、少将との会話の後だからそう見えるだけかも知れない。いずれにしても長居は無用だから馬車と別れてからは、ひたすらに来た道を引き返した。


 


 

 考えてみれば少将の言う通り、いろんなタイミングが都合よく符合しすぎる。

 当初の予定ではもう二日早くあの宿営地に到着していたはず。補給隊がその日に合わせて来たとすれば丸二日、彼は、あの准尉は待ち惚けを喰らっていたはずなのだ。それが、小隊の到着の翌日。しかも哨戒任務がなく小隊全員が宿営地にいるのを見計らったように現れ、しかも用意の良いことに奴隷商人まで連れて来た。

 明らかに少尉の威力偵察作戦があることを知って、しかも大量の弾薬消費を見越して、捕虜まで連れてゆく気満々でやって来たとしか思えない。

 閣下の言う通り、イヤミ准尉は、間違いなくクロだ。

 だがそうなると、少尉もクロだということになる。あの准尉との諍いも演技。最初から哨戒任務の延長を命じられると知っていた。

 しかし一方、楽師のままだったウリル少将の前でも演技していたということは、軍曹やヒッピーはともかく、ジョーを含めた徴兵の者たちはまだ計画には加担していないと言えるかもしれない。この先は、わからないが。

 しばらくゆくと向こうから歩いて来る愛しい影を認めた。

「ジョーッ!」

 ヤヨイは殊更に大きく手を振った。

 ジョーはどうするだろう。

 彼はもう少尉に相当感化されている。感染していると言ってもいい。自分がウリル少将の間諜、スパイだと知れば殺そうとするだろうか。それとも、少尉の呪縛から覚め、考えを改めてくれるだろうか。

「ヤヨーイ!」

 遠くから手を振るジョーに応えもう一度手を振り返した。

 もし、あの小隊全てが少尉に従って反乱を起こしたとしても、ジョーだけは助けたい・・・。それは私情だった。

 だが、ヤヨイは職業軍人ではない。このミッションが終われば、徴兵さえ終われば、だたの女子学生に戻れるのだ。戻る。必ず! 研究もしたいし、恋だってしたい。ヤヨイにとってこれは、単なる、アルバイトだ。それが終われば、アルバイト中に出会った魅力的な男の子、ジョーと思いっきり恋を愉しみたい!

 ともかくも、演じなければならない。演じ切らねばならない。ジョーまで欺くのは辛いが、それさえ終われば、彼だって普通の男の子になる。

 あれは楽師に扮した憲兵隊の少佐。新兵の待遇調査で補給に乗じて各駐屯地を巡回していた途中。

 小隊長の待遇はよいか。はい。信頼できる上官か。はい。捕虜がいたが、捕虜は全て軍の所有に帰するものだ。まさか少尉が奴隷商人から金などは受け取っていないだろうな。それは全て少尉が取り回しておられることですので・・・。

 頭の中で考えられうる架空の問答を作る。

 自分が人を騙すなど。こんなことをすることになるとは夢にも思わなかった。

 逃げ出したい気持ちを堪え、少なくともジョーに対しては、

「質問ばかりされて辛かった。早くジョーに迎えに来てもらいたかった!」

 そう演じなければならない。少なくとも、不安のあまり彼にキスして、抱いてもらいたかったことは、ウソではないのだから。愛しい男を欺かねばならないのは、辛かった。

「ジョー!」

 ジョーに抱きついた。彼の肌の匂いが、彼の温もりが心を落ち着かせる。そんなふうになってしまっているのに、そこまでになってしまっているのに、今の今、気付いた。

 キスを求めた。

「どうだった。怖かったか」

「質問ばっかり。もう、イヤになっちゃった。少尉のことずいぶん悪口言ってたわ・・・」

 ないことないことばかりを、頭に浮かぶ限りを話さねば・・・。浮かぶだけ話しつくす。そのうち話すネタが、尽きた。

 その間、ジョーは何も言わずにヤヨイの話を聞いていた。そして、ヤヨイの言葉が出尽くすと、

「ヤヨイ。帰ろうよ、俺たちの家に・・・」

「家?」

 家・・・。

 12歳で母の許を去って以来、ヤヨイの家はなかった。今、ヤヨイの家は、どこにあるのだろう。

 ジョーはもう、あの小隊を家だと思っている。少尉を、母親だと思っている。

 彼の頬に何かの作業で付いた煤か埃がある。それを払おうと頬に触れる。彼と、彼の灰色の瞳と、目が合う。

 そこは最初に宿営地にやって来た時の、あの、見知らぬ誰かの墓だった。

「そこのお若いの、そんなに急ぎなさんな。どうせこの先人生はまだまだ長いんだから。ここいらで一休みしていきなよ・・・」

 あの碑文は変わらずにそこにあった。

「家に帰るのは、少しぐらい、休んでからでもいいでしょ」

 あの時の木陰に彼を誘った。墓石の傍らに寝そべり、彼を迎えた。

 そうしてヤヨイは愛する男の唇を奪った。身体に、彼の熱くて固い印を感じながら。


 


 
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