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02 はじめての学校

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「ミハイル様、どうぞお乗りください」

 たぶんそんな感じで言っているのだろう。

 シツジというらしい屋敷の一番エライ使用人に促されるまま、ぼくはビッテンフェルト家のエントランスにいた馬車に乗り込んだ。

 馬車が走り出すや、思わずため息が出た。

 帝都滞在初日からこの二日目の朝まで、驚きの連続の中にいたぼくは、まだ胸のドキドキが止まらずにいたのだ。

 

 

「我はビッテンフェルトと申す。

 今日よりそちは我が屋敷の客であると同時に書生なり。よって、ここに出迎えに参った次第」

 他のやつらの世話になる家がそれぞれ使用人だったりあるいは馬車の馭者だけを迎えに寄越したのに比べ、ぼくの家は主人が直々に出迎えに来てくれた。今まで護衛で付いていてくれた兵隊と同じ服を着た厳めしい顔つきの男だった。喋っている言葉はなんとぼくの里の言葉だった。「客」とか「書生」とかいう言葉はよくわからなかったけれど。

 これは後から知ったのだが、ビッテンフェルト男爵は帝国の他の貴族同様軍に勤務していてその当時の階級は准将。帝都を守る近衛軍団の旅団という単位の部隊を指揮する人だった。顔と同じく言葉も厳めしかったが、慣れないぼくらの言葉をメモを片手に懸命に喋っていた。わざわざ出迎えに来てくれたことや、ぼくのために用意してくれたのだろうそのメモで、実はいい人なのだろうと察した。

「あ、ありがとうございます」

 カタコトの帝国語で礼を言った。「ありがとう」「おはよう」「こんばんは」「ぼくの名前はミハイルです」それがそのときのぼくが話せる帝国語の全てだった。

「ふむ。では、参るぞ。乗れ」

 そうしてぼくは他のやつらと別れ、これから何年かお世話になるビッテンフェルト家に連れられて行った。

 馬車は煌々と明るい街の中を緩やかに走った。

 列車の始発駅だったシュバルツバルト・シュタットも大きかったが、この「帝都」はそれとは比べ物にならないほどケタ違いに大きな街だった。行けども行けども灯りは尽きなかった。むしろ馬車が進んでゆくにつれてさらに人も貨車も建物も灯りもどんどん増え、大きくなり、明るさも増して行くように感じられた。

「あー、ここ、帝都カプトゥ・ムンディー。この帝国、一番大きな街、皇帝陛下のいる街、この帝都だけで、人、数十万、わかるか?」

 途切れ途切れではあるけれど、そのイカツイ顔に似合わず、ビッテンフェルト准将は一生懸命にぼくの里の言葉を織り交ぜながら身振り手振りを交えて伝えようとしてくれていた。

 だが、里を出てもう3日になる。

 見るもの聞くもの触るもの出会う人。その全てが初めてで、驚きで、身体ももちろん疲れていたが、ぼくのアタマはすでに満杯になって、もう何を見ても何を聞いても少しも心が動かなくなっていた。

 そんなぼくの様子を察したのか、准将はやがて喋るのを止めて優しくほほ笑んだ。

 いつの間にか街の喧騒と眩い灯りとが消え石畳を打つガラガラという車輪の響きだけが夜の街路に響き渡るころ、ぼくを乗せた馬車はようやく止まった。もう真夜中だった。

「ようこそ、帝国へ。我が家へ。よく来たな。」

 たぶん准将はそんなふうに言ったのではないかと思う。

 家の人が2、3人は出迎えてくれたのだと思うがあまり覚えていない。家というよりは城のような大きな建物の中を小さな灯りを持った准将に手をひかれるようにして案内された。真っ暗すぎてよくわからない。階段も登ったような気がする。やがてある部屋に通された。

「ここがお前の部屋だ。疲れたろうから今夜はゆっくり、休むがいい」

 たぶん准将はこんなふうに言ったと思う。

 准将の後について来た、たぶん女の人が、ボーっと突っ立っていたぼくの服を勝手に脱がせ、また別の部屋に連れていかれた。

 何をされるのだろう。ビクビク、ドキドキしていたら、家の使用人らしきその女の人が小さな灯りを置いてくれ、壁から突き出た何かの突起を捻ったのがわかった。すると勢いよく水が噴き出してきてぼくは一瞬でずぶ濡れになった。

「シャワー」

 と、その女の人はいい、同じく壁のくぼみに置いてあったあるものをぼくに手渡し、どこかへ行ってしまった。


 

 それが「せっけん」というものであるのを、ぼくは知っていた。

 去年、単身帝国を訪れて無事に生きて還った父が持ち帰った土産は銃の他にもあった。

 父が背中に背負っていた大きな袋の中から得も言われぬいい匂いがしたので開けてみたら、白い小さな四角いものがギッシリと詰まっていたのだ。

「これはなミハイル。『せっけん』というものなのだ。帝国ではこれで身体を洗う。川ではないぞ。水が出てくる管がついている部屋があってな・・・」

 そして父はその「せっけん」を村の女たちを集めてぜんぶことごとく配ってしまった。

「いい匂いだろう。これで身体を洗うとお前たちはより美しく輝くようになるのだ。

 その代わり、説得してくれ。お前たちの夫や兄や弟を。帝国に行ってこの『せっけん』を作る技を学んでくるようにと。『せっけん』だけではない。この村がより豊かに大きくなるために、お前たちがより美しく、豊かに安全に暮らせる村にするために、帝国の技が、知恵が必要なのだ」

 つまるところ、父は銃とせっけんでぼくたち「帝国留学生」をかきあつめたようなものだ。

 「シャワー」に打たれ「せっけん」を使いながら、ぼくはしばし、父を想った。


 

 身体を洗い終えるとまた女の人が現れて里から着て来た檜皮と麻の服の代わりにいい匂いのする服を着せてくれた。薄くてとても軽い。寝るときの服なのだろうか。

 部屋に戻された。

「ではお休みください」

 女の人が出て行き、ぼくは村を出て初めて一人になった。そのせいだろうか、ずっと続いていた緊張が途切れ、故郷の村を離れてはるばる帝国にやって来た感慨のようなものを覚えている間もなく、急速に眠気が来て、ベッドらしきものの上に倒れ込むようにして寝入った。夢も見なかった。




 そして、今朝。

 鼻をムズムズくすぐられたような感じでぼくは深い眠りから覚めつつあった。

 きっと妹のカーチャだ。アイツはぼくがうたたねをしているといつもこんなイタズラをするから。

 だが待てよ。

 ぼくはもう故郷の村を出て、歩きと馬車と列車とを乗り継いで3日3晩もかかる南の帝国の首都に来ているのだ。だから、カーチャがイタズラしているなんて絶対にあり得ない・・・。

「ウフフフっ!」

「きゃあっ!」

 可愛らしい声がして、目を開けた。

 2つの愛らしい顔がぼくを覗き込んでいた。

「あ、起きたー」

「ママー、お兄ちゃん起きたよー!」

 カーチャならきっとそんなことを言うだろう。だから、その見知らぬ可愛い女の子たちもたぶんそんなことを言っているのに違いない。そう思った。

 2人が行ってしまうと、ぼくは改めて目覚めた部屋の中を見回した。泥のレンガを積んだ故郷の家のぼくの部屋とはまるで違う。白い土を塗り込んだような、清潔な壁と天井が明るい。何よりも暑い。だけど、開いた窓からは強い日差しと共に気持ちのいい爽やかなそよ風が吹き込んで来ていて不快ではない。

 そうだ。ぼくは、帝国に来たんだ・・・。

 コンコン。

 ドアが叩かれた。

 見上げると開いたドアのところにキレイな女の人が立っていた。背丈もある。帝国の女は、ぼくの故郷の女たちのように裾を引きずるような長い服は着ていない。みんな丈の短い裾から脚を剥き出しにしていたが、その女の人も膝までの短い裾からスラリとしたキレイな脚を見せていた。歳はぼくの母ぐらいだろうか。

 ぼくには母が2人いる。年上のマリーカが姉のハナと兄のボリスと弟のヨハンを産み、若い方のエレナがぼくと弟のイワノフと妹のカーチャを産んだ。2人とも村で一、二番を争うほどの美人だが、今目の前でニコニコしている女の人は故郷の母たちよりもはるかにキレイで若く見えた。ちょっと、ドキドキした。

「起きたわね。着替えたら降りていらっしゃい。朝ごはんができてるわ」

 言葉だけでなく身振り手振りを加えてくれたのでなんとなくそんなことを言っているのだろうとわかった。

 その女の人が指した椅子の上に、深い青色の帝国人たちが来ているのと同じような服と編み上げのサンダルが置いてあった。

 身につけてみるとなんだかスースーして着ている心地がしなかった。でも、帝国人たちは皆こんなものしか身につけておらず、それで皆平気で街を歩いているのだ。何事も慣れだと思った。

 着替えて部屋を出ると家の中に庭があるのにまた驚いた。あとで知ったがこれはアトリウムといってこの辺りの貴族の家ではごく当たり前の設備なのだ。いろんな草花が生い茂り、噴水という水の出る石があり、そこからふんだんに水が溢れ流れ出ていた。

 さっきの可愛い2人の女の子がまた現れて、その子たちに手をひかれるようにしてダイニングに降り美味しそうな匂いのするテーブルに着いた。目の前にいろんな種類のパンが山盛りになっていた。

 エプロンを着けたさっきのキレイな女の人がいた。

「さ、召し上がれ」

 そんな感じで身振りでパンを勧めてくれた。

 ぼくはまた、驚いた。そのパンの、なんと柔らかくて甘くておいしいこと! これが本当のパンなら、里で食べていたのはまるでパンの干物だ。

 パンの他には新鮮な野菜とこれまた美味い腸詰のようなものと卵を焼いたのと新鮮なヤギの乳らしきもの。里のように生温くない。甘くて冷たい乳だった。こんな夏の盛りに、どうやって冷やすのだろうか。それもまた驚きのひとつだった。

「あの、准将は、ビッテンフェルト様は?」

 パンを齧りながら女の人に聞いた。

「ああ、」

 と女の人は言った。

「バロンはあなたを連れて来てすぐにまた駐屯地にお戻りになったわ」

 バロン? 駐屯地?

 これは後から知ったが、バロン、男爵というのは貴族の称号のひとつだ。そして駐屯地というのは准将が指揮する部隊がいるところのことだ。それ以降、わからない単語は記憶して、後から調べるようにした。准将はもう出かけたということなのだろうと察した。

 言葉がわかれば朝ごはんのお礼を言ったり、これからよろしくお願いしますととか挨拶もできたのだけれど。

「ぼくの名前はミハイルです」

 ぼくは名前を名乗って頭を下げた。

 そのようにして驚きの日々の2日目が始まり、キレイな女の人と2人の小さな可愛い女の子に見送られて、今馬車に乗っている。というわけなのだった。

 学校に、行くためだ。


 

 馬車は石畳の街路をカパカパ、カラカラと小気味よく走った。

 お世話になっているビッテンフェルト家も大きな屋敷だが、同じような大きな屋敷がいくつも軒を連ねていた。朝から強烈な太陽の光が眩しかったが、吹き渡る風が爽やかでむしろ快適な心地がする。ドキドキは続いていて、馬車が進むにつれ、学校というのはどんなところなのだろうとワクワクも加わって、ぼくの心は高揚し始めていた。

 やがて丘を下るにつれ街路を歩く子供たちの姿が見え始めた。皆背中に同じような袋を背負っている。ぼくより小さな子供が多い。学校の中ではぼくは大きな方なのだろう。

 丘を少し下った辺りに貴族の屋敷よりもはるかに広い庭のある建物があった。馬車はその門の前で止まった。

「ミハイル様。どうぞ行ってらっしゃいませ」

 馬車を馭していた男がドアを開けてくれ、馬車を降りた。

「ありがとう」

 ぼくは帝国語で礼を言った。

 門のところに先生らしき男が立っていた。馭者がその先生に何かを言っていた。きっとぼくのことを伝えているのだろうと思っていると、数人の子供が立ち止まってぼくを見ているのに気づいた。

「おはよう」

 挨拶をしたのだが、その子たちは何も言わずにプイと行ってしまった。失礼なやつらだなと思ったが、アレックスの、

「いいか、決して卑屈になるなよ。堂々と胸を張って帝国での生活を楽しめ」

 言葉を想い出し、耐えた。

 先生らしき男が、こっちへおいで、というようにぼくを手招きし、胸を張って門をくぐり、

「おはようございます」

 と挨拶をした。

「おはよう」

 先生はそう返してくれた。

 先生も生徒も男も女も、みんなぼくが着ているのと同じような薄着の服にサンダル。違いは女の人の服の方が裾が長くてサンダルがふくらはぎまでの編み上げになっていることぐらい。

 それから学校の校舎に入り先生だまりらしきところに連れていかれた。

 そこまでは良かったのだが。

 最初の先生が別の先生に、その先生がまた別の先生に、というように、まあ体よくたらい回しになっているらしかった。当然、先生たちが何を言っているのかは全くわからない。

 その間、ぼくはずっとその先生だまりの部屋の隅に立たされたまま。いつの間にかワクワク感はどこかへ消え去って、この後ぼくはどうなるんだろう、と次第に不安が大きくなり始めた。

 ようやく一人の女の先生がやってきた。栗色の髪の落ち着いた風情のひとだ。ビッテンフェルト家の奥様より年上に見えた。先生はぼくに、

「さあ行きましょう」

 とでもいうようにして先生だまりの外へ誘った。

 途中、それぞれの教室のざわめきが廊下まで聞こえてきて、ぼくの緊張を否応にも高めた。いくつかの教室を通り過ぎ、一つのドアの前で先生は立ち止まった。子供たちのざわめきが漏れていた。

「さあ、お入りなさい」

 ドアを開けた先生に続いて教室に入った。途端に生徒たちのざわめきが止んだ。彼ら彼女らの視線が一斉にぼくに集中し、少し息が苦しくなった。

「みなさん、おはようございます」

 先生が挨拶すると生徒たちも、

「おはようございまーす!」

 と返して来た。

 それから先生が何事かを生徒たちに告げ、ぼくにこう言った。

「Sag mir deinen Namen nochmal?」

 Namen だけはわかった。ああ、名前を言えというのか。

 ぼくは言った。

「Mein Name ist Michael」

 それからまた何事かを先生は言い、教室の真ん中らへんの空いている椅子を指した。座りなさいということだろう。そこに行って、掛けた。生徒たちのジロジロという視線が苦しかったが、間もなく授業が始まるとみんな前を向いた。

 と。

「ぼくは、タオ。よろしくね」

 左隣のヤツがそんなふうに声をかけて来た。ぼくと同い年にしては小さなヤツだった。それに他の子たちに比べると肌が黄色く、髪が真っ黒。男だと思うが、顔も声もなんだか可愛らしい感じがした。

「キミのことは何て呼べばいいの? よく聞こえなかったんだ。ミヒャエル?」

 自分ではちゃんと言ったつもりだったけれど聞こえなかったらしい。それに「ミハイル」が「ミヒャエル」になっていた。

 ぼくは首を振り、

「ミハイル」

 と言い直した。


 

 当たり前だが、授業の内容は半分どころかほとんどわからなかった。

 教室の前に黒い板が張ってあり、白い石で文字が書ける。その黒い板の前になにやら地図らしきものが張ってあり、そこを棒で刺しながら先生が何か言うと生徒たちは一斉に手を挙げた。

 とにかくみんな、よく話す。男も女も、誰も彼もみな堂々と自分の意見を言う。誰かがそれに何かを言うとちゃんと応える。

 女でもハッキリと男に言い返す。女は男の持ちものであり、男の陰で大人しくしているのが当たり前のぼくの里からすれば、それは珍しく、また異様に見えた。

 その生徒たちの中でなにもわからずにただポツンと座っていなければならないのは苦痛だった。里の村では族長の息子と言われ、みんなから一目も二目も置かれて尊敬されもしていたのに、ここではぼくは女にさえ劣る、その辺に転がっている取るに足りないただの石ころ以下の価値しかないように思えた。

 ぼくは族長ヤーノフの息子でこの帝国の大事な客のはず。それなのに・・・。

 みじめさで泣きたくなるのを必死にガマンした。泣くわけにはいかない。絶対に! だけどそう思えば思うほどに泣きたくなった。とても辛かった。

 隣のタオというヤツがまた手を挙げた。彼は先生に何かを言い、先生がそれに応えていた。

 突然隣のタオが席を立ち、ぼくの手を取った。

 行こう、おいで。

 そんなことを言っているように感じた。

 何が何だかわからなかったが先生も許しているらしいし、いたたまれない気持ちでその教室に居続けたいとも思わなかったから彼に従った。彼に連れられるようにしてぼくは教室を出た。

 学校にもビッテンフェルト家にあったようなアトリウムはあった。より大きく、たくさんの草花が植えられていた。

 タオはその大きな葉のある木の陰にぼくを据わらせた。そしてポケットから包み紙を取り出し、それを開いた。

 中身は茶色いドロッとした不気味なものだった。それを彼は舌を出して舐めた。

 で、ニンマリと笑い、ぼくにも勧めた。舐めろということらしい。

 ぼくは、恐る恐る、それを、舐めた。

 それはぼくにとって生れて初めての衝撃的な味だった。

 めちゃくちゃ、甘い! 甘くて美味しい!

 里でそれまで食べた甘いものといえば、ヤマボウシの実やノイチゴやあんずの干したのとかだったが、それよりはるかに甘くて口の中に幸せが広がる感じがした。

「チョコレート」

 と、タオは言い。また笑った。


 

 それから少し経って、ぼくがある程度帝国語がわかるようになってから、タオはこの時のことを教えてくれたものだ。

「あの時のミーシャはとても苦しそうだったから。ぼくも初めて帝国に来た時にそうだったから、わかるんだ」

 

 チョコレートでだいぶ元気を取り戻したぼくは、タオと教室に戻った。

「ありがとう、タオ」

 ぼくが礼を言うと、彼は嬉しそうに笑った。

 教室では同じような授業が続いていたが、ぼくはもう惨めな気持ちになることはなかった。それはタオがくれたチョコレートの甘さのお陰かも知れないし、なにか別のもののせいかもしれない。

 そして、そろそろ一時間目の授業が終わろうか、というころ。

 教室のドアがノックされ、若い金髪の男が入って来た。

 彼はひとわたりぐるっと教室の中を見回すと、なぜかぼくと目を合わせた。なんだかわからないけれど、またぼくはドキドキしてしまっていた。


 

「ぼくの名前はイリア。ミハイルだね?」

 帝国に来てからぼくの里の言葉を聞いたのはアレックスやメモ片手のビッテンフェルト准将以外では初めてだった。緊張していたぼくの心はたったそれだけでふにゃっと緩んだ。

 一時間目が終わり、彼はぼくを教室から連れ出して校舎の外れの教室よりも小さな薄暗い小部屋に案内した。

「ごめんね。本当は朝一番で来るはずだったんだが。心細い思いをしたろうね」

 彼は窓の木の扉を開けた。薄暗かった小部屋に夏の陽光が飛び込んできて小さな部屋は眩しいほどに明るくなってぼくは思わず目を細めた。

 部屋には小さなテーブルを挟んで椅子が二つあった。ぼくと彼は向かい合って座った。

「ミハイル。キミはアレックスを知っているね」

「・・・はい」

「ぼくはアレックスの友達なんだ。それに、キミのお父さんにもあったことがある。あれは去年の秋だったかな」
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