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12 いざ、決戦へ
しおりを挟むこの二三日、動きが無い。
焦れた達彦は探偵社に相談した。
「なんとかスマホ見れませんかね。LINEに入れれば何かつかめるかも。Xデーが定まらないと我々も手の打ちようがないんですよ」
やはり安い探偵社はダメだと悪罵を投げつけながらも思案をした。加奈子はなかなかスマートフォンを手放さなかった。チャンスは風呂の時。ロックは夫婦で示し合わせて同じにしているからすぐに入れる。
その時に賭けよう。
そこまで覚悟を決めて何とか妻の入浴中にスマートフォンを開けることに成功したが、肝心のそれらしき男の番号やLINEのアカウントが見当たらない。通話履歴を調べたら、週に三四回着信と受信を繰り返している番号がある。LINEのトーク履歴を遡ったがそれらしきやり取りはなかった。次に番号の方を自分のスマートフォンを非通知にして間違い電話っぽく掛けてみた。ケイコという名の相手だ。
「もしもし・・・」
それはちゃんと女性の声だった。
「あ、すいません、・・・間違えました」
落胆して電話を切った。
この「ケイコ」が、どうやら「旦那の転勤でこっちに来た高校時代の友達」であることは間違いない。その「ケイコ」と会う時が浮気の時であることもほぼ間違いなかろうと思っていた。「ケイコ」と会った日に帰宅した加奈子からは何とも言えない「匂い」がしたのだ。化学的なものではない。いつも家にいる時とは違う「匂い」がした。「その後」の「匂い」ではないのだろうか、と。
だが、その「匂い」は「ケイコ」がらみでないときも時々あった。
つまり情事は「ケイコ」がらみの時とそれ以外の時の二種類あるわけだ。それ以外の時は里香を保育園に迎えに行って一緒に帰ってくる。
つまり、情事の場所は少なくとも二か所。「ケイコ」の家の近くと、このマンションの近くだと推論できる。
こちらから仕掛けるとすれば動きやすいこのマンションの近くで密会するときがいい。あのシルバーオヤジの車のナンバーは控えてある。今は個人が陸運局に問い合わせても教えてくれない。探偵社に相談しても、
「ナンバーの照会は別料金になります」
と、冷たく言われた。
まあ、いい。
そっちはそっちで別料金の調査をお願いして、間男の家が判明次第教えてもらうことにした。ただし張りこませると「一日十五万」かかるのでやめた。なんでこんなに高いんだ。
様々な調査やらバイクやレンタカーやらで、達彦個人の預金をもう五十万も使っていた。これ以上は切りつめねばならない。
加奈子はというと、この二三日は極めて普段通りで例の早上がりの日も、
「今週はちょっと忙しいから」とジムにも行かずに普通に保育園経由で帰って来た。午前で退社し間男に会うかと思い会社の前で見張っていたのだが昼休みも出てこなかったのだ。
つまり、動きが無い。
感づかれて警戒しているのかとも思ったが、あまりにも普段通り過ぎてどこがどうおかしいのかもわからない。これでは手の打ちようがない。
そんなことばかりに熱中していて肝心の企画案の方は全くの手付かずのまま放置している。それに気づき、こりゃますますマズいな、と思い始め、次第に込み上げてくるイライラを何とか宥めつつ日々を過ごしていた。
そして土曜日を迎えた。
「急で悪いんだけど、今日里香の面倒見てくれないかな」
朝、妻から相談を受けた。
「なんで」
「友達と遊びに行きたいの」
「・・・今日か。今日は・・・締め切りも迫ってるから、今日はな、・・・ちょっと・・・」
「そう・・・。じゃ、なんとかする。忙しいのにわがまま言ってごめんなさい」
来た!
やっとチャンスが巡って来た。これで尻尾を掴むことが出来るぞ!
「里香はどうするの」
「うん。一緒に連れてく」
ラブホテルにか? そう言いそうになったが、もちろん黙っていた。
「・・・気をつけてな」
朝食が終わり、身支度をして出かける妻の背中に心にもない気遣いの言葉を投げかけ、妻が出てゆくや急いで探偵社に電話をした。しかし、
「今日の今からではちょっと手配が・・・。午後からならなんとかできるかもしれませんが」
「じゃあ、いいです!」
電話を切ってすぐに服を着替えカメラと財布を掴んで妻と娘の後を追った。東に行くなら電車だろう。駅まで気づかれないように自転車で別の道を先回りして、同じ電車に乗り尾行する。あの探偵社。まだ間男の住処も教えてくれていないし、肝心な時に役に立たない。金ばかりむしり取りやがって、役立たずが!
朝からクソ暑い。おまけに運動不足で、まだ駅まで半分しか走っていないのに早くも達彦の脚の筋肉には乳酸が溜まり始め息が上がって来た。しかし、ここで頑張らねばこれまでの努力が水の泡だ。力を振り絞るようにして自転車をこいだ。
なんとか駅に着き駐輪場に自転車を置き駅の前で荒い息を整える。子供連れの脚だ。それほど早くは来れまい。そう思っていると妻の愛用の日傘が駅前のロータリーの縁に沿って歩いて来るのが見えた。
ここでしくじっては元も子もない。慎重に距離を置いて後を追う。
と。
妻が日傘を閉じて里香の手を引き改札に向かうエスカレーターに脚を掛けるやブルーや白や臙脂のジャージを着た女子高生の大集団が併設した階段を埋め尽くすようにガヤガヤ降りてきてエスカレーターと達彦との間を阻んだ。
なんだ、こいつら! 多分近所の高校で練習試合か何かがあるのだろう。いいタイミングで後を追おうとしていたのに、小便臭い女子高生の大群が切れるまで待っていては見失う。見上げると妻はもうエスカレーターを登り切り改札に向かって歩き始めている。
「すいません、通してください」
なんだよ、このオヤジ。チカン? 変態じゃね。
聞こえよがしの失礼な悪罵を浴びながら女子高生の群れに割って入りその波を泳ぎ切るようにしてエスカレーターを駆け上がった。
まだ女子高生の群れは続いていた。後からあとからウジ虫のように改札を抜けてくる。が、肝心の妻の姿が見えない。券売機のコーナーにもトイレの周りにも。もう改札を抜けたのか。慌ててスマートフォンを取り出して改札を抜けようと、唯一開いている入り口を通ろうとしたとき、女子高生の群れの中に妻の姿を見つけた。ジャージの群れと一緒に駅を出ようとしている。
どういうことだ?
訳が分からないまま、とにかく妻の後を尾行ける。階段を降り、駅のロータリーのバス停辺りでやっと妻の姿が群れから別れた。妻は一人だった。里香がいない。改札の中で誰かに預けたのだろうか。例の「ケイコ」という友達か? それで、これからどこに行こうとしているのか。
バスを待つ人の列に加わるようにしてキャップを目深に降ろし目で追った。加奈子はタクシー乗り場の列には加わらず、庇の下のベンチに腰掛けた。
わかったぞ。間男の車を待っているんだ。
だとすれば原付バイクを用意する必要がある。
列から離れ、妻の姿を確認しながら駐輪場に急いだ。バイクを取りにいている間に車が来ないことを祈りながら、妻の姿が視界から外れるや達彦は走った。心臓がバクバクと暴れている。つくづく体力維持はするものだといまさらに呪いながらバイクを引き出し、駅前のロータリーの出口まで行って一度エンジンを切って歩道に乗り上げた。
車がどの方向からきてどこに向かうのかわからない。それまで車道に身を曝していては見つかってしまう。あのシルバーの高級車はまだ来ない。ガードレールの際に駐め、少し離れて建物の陰に隠れた。腕で額の汗を拭いながらロータリーの方を見た。フェンスと駐車場の向こうにベンチに座っている妻の後ろ姿が見える。
喉が渇いた。すぐそばにある自販機で缶コーヒーを買いフェンスに凭れた。
結婚して六年になる。同じ家に暮らし、今朝も言葉を交わした。それなのに今、加奈子のいるところはとても遠く見える。地球を出発して木星を探査しそのまま太陽系を飛びだして永遠の旅を続けているボイジャーのように、どんどん自分から遠ざかって行ってしまうのではないかと感じる。
思えば妻は努力してくれていた。自分の健康も気遣ってくれたし、会社での立場も心配してくれた。妻自身も仕事をしているのに毎日の食事や洗濯、家の掃除、里香の世話も皆彼女に丸投げして来た。それでも自分を見捨てずに今まで一緒に居てくれた。
今声を掛ければ加奈子はどうするだろうか。タクシーにも乗らず、ただベンチに座っていることをどのように説明するだろうか。あるいは開き直るだろうか。そのうちに間男の車が来てあっさり自分を置いて彼の車に乗って行ってしまうのだろうか。
もう遅いのだろうか。もう妻を取り戻すことはできないのだろうか。
自分は今、何をしているのだろうか。
妻の不貞を暴いて間男を追い込み、妻を糾弾してその後は、どうしたいのだろうか。
また今まで通りの生活が戻ってくるのだろうか。それとも加奈子と別れてまた独りに戻るのだろうか・・・。
達夫はやっと最も重要な点に気づいた。切なげに愛人を待つ妻の後ろ姿を見てやっと気づいたのだ。もっと早く気付くべきだった。それはもう、遅すぎるのだろうか・・・。
そんなもの思いにふけっていると、あの憎っくきシルバーの車がゆっくりとロータリーに入ってゆくのが見えた。ナンバーも同じ。あのワンダーランドのある場所のものだ。間違いない。あれは間男の車だ。
缶を放り投げ原付に跨ってエンジンをかけた。ヘルメットを被り顎ひもを締める。
思案するのは後だ。今はとにかく、現場を押さえるしかない。
加奈子の前に車が止まった。妻が立ち上がって車に歩み寄り、ドアを開けて乗り込む。ドアが閉まる。その一連の光景に再び軽いショックを受けながらも、目は車を追う。ロータリーの出口で信号待ちする車のウィンカーが点滅している。こっちに来る。
電信柱の陰に少し寄り身を隠しながら方向を変える。バックミラーで車を見る。信号が変わる。車が交差点に出て、こちらに曲がってくる。
車が達彦の横を通り過ぎる。
その一瞬。気づかれる危険を冒して車を見た。きっと助手席の妻は間男との情事を前にニコニコ笑っているに違いない。そう思っていた。
だが、違った。
その一瞬の妻の横顔は、それまで見たこともないぐらいの険しく厳しい目をしてしっかりと前を向いていた。
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