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2021

「チナ」について

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 あえて言うまでもないことですが、筆者がこのアルファさんに投稿させていただいている作品は全てフィクションです。実在の個人や団体には一切関係がありません。

 現在投稿中の「戦艦ミカサを奪還せよ」と、それに続く予定で今構想中の「遠すぎた橋」に登場する人物や団体や国も同じです。

「ミカサ」も「遠すぎた」にも登場する帝国の宿敵「チナ」もまた、未来の世界の架空の王国です。

 今回はこの「チナ」という国号について少々書かせていただきます。


 

「チナ」Tina は、ある実在した国の政党名をアナグラム化したものです。

「国家社会主義ドイツ労働者党」

 説明するまでもないほど有名な、あのアドルフ・ヒトラーのナチ党のことです。


 

「国家社会主義ドイツ労働者党(こっかしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう)Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei De-Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei.oggは、かつて存在したドイツの政党。1924年5月4日総選挙では、急進右翼組織)、1930年9月の選挙戦以降、左翼以外の広範な支持を集める国民政党となり、ワイマール末期には包括政党の色彩が強くなった。その運動およびイデオロギー、思想原理、理念・支配形態一般をナチズムという。ヒトラーは党名について「民族的 national とは「民族全体に対する無限のあらゆるものを包む愛情、必要とあればそのために命をも投げ出すこと」、「社会主義的 sozialistische」 とは「民族同胞のための労働という倫理的義務」、「労働者 Arbeiter」とは「体を使って働かない人」に対して「体を使って働く人」、「労働を軽視するユダヤ人に対して労働を恥じないゲルマン人」を意味すると説明した。一般にナチス、ナチ党、ナチス党などと呼ばれる」

 ウィキペディアにはそうした記述があります。


 

 筆者、私は以前、南ドイツにある強制収容所跡地に行ったことがあります。

 それはミュンヘンの郊外にありました。市内からSバーン(市街電車)で30分ほどのところです。さびしい、タクシーも待っていない駅からガイドブックを片手にひたすら歩きました。

 延々と続く針葉樹の高い生垣に囲まれた一帯に着いたのですが、それらしき建物というか設備がいっこうに見えて来なかったのです。早い話、道に迷いました。

 すると向こうから薄汚れた頭の悪そうなテリアを連れた、背が高くて恰幅のいいおじさんがやってきたので道を尋ねました。やわらかそうなフェルト生地の帽子の下には上品なしわが刻み込まれている、さしずめすでにリタイアして余生を愛犬と静かに過ごしている元サラリーマンといった感じのおじさんです。

「あんの~、ちょっと申ス訳ねエすが教えでくんねスか」

 私の英語はボキャブラリーこそなんとか日常生活レベルでしたが、何と言っても発音がヒドく多分相手にはこんな風に聞こえていたのだと思います。

「『刑務所』はどごだべ?」

「何でアリマスか?」

 そのおじさんは親切な人だったのでしょう。自分が聞き間違えたと思って耳を寄せてきてくれ、ドイツ訛りの英語で訊き返してくれました。連れていた子犬が怪しい東洋人にきゃんきゃん吠えるのでそれに気遣いながら、です。

「『刑務所』だべ『刑務所』。ここらさあるって聞いできたんだべ」

「プリズンはここには無いでアリマス」

 おじさんは本当に知らないというように首を振りました。

「そんなわけねえべ。ホレ、ここに書いてあるス」

 日本語で書かれたガイドブックのページを見せました。写真が無いのでわからないかもしれないと思いつつ。

「今は使われていないかもしれねげんとも、ナチス時代の遺跡で保存してある、て書いてあんのっしゃ。ユダヤ人を収容した・・・」

「ああ、・・・それは、『コンセントレーション・キャンプ』でアリマスね」

  私はおじさんが一瞬悲しそうな目をしたのを見ました。

 汚いテリアも主人の気配を察したのか吠えるのを止めました。

「それなら、ここでアリマス」と針葉樹の並木を指差した。何のことは無い、筆者は延々その施設の周りをグルグル回っていたのでした。

「しばらく歩くと入り口があるでアリマス。案内所にパンフレットもアリマス」

 おじさんに礼をいい犬の頭を撫でてやってから入り口に向かって歩きました。

『強制収容所』のことを“Concentration camp”というのだということを初めて知りました。

「労働は精神を自由にする」という意味らしいドイツ語の言葉が掲げられてある門をくぐると、広大な敷地が広がっていました。サッカーグラウンド何十面分なのか、そこに整然と無数のコンクリートの基礎がいくつも据えてありました。文字通り、誰もいませんでした。秋の日差しが基礎のコンクリートを平等に温めていて居心地がいいのか、鳩の群れがコンクリートの上でうずくまっていました。

 一棟だけ木造のバラックのようなものが建っていました。そこがかつて収容者の居住棟であり、かつてはこのバラックがこれらの無数の基礎の上に連なっていたのだ、と想像されました。私はその中に入ってゆきました。

 入り口の脇に受付のカウンターがありました。でも、誰もいませんでした。カウンターの上には独語、英語、仏語で書かれたパンフレットが置いてありましたが日本語のはありませんでした。

 屋内には当時の収容者用と思われるベッドがいくつかあり、それ以外のスペースが当時の収容所の施設の様子を撮影した写真を展示する場所でした。ベッドは以前観た『シンドラーのリスト』で描かれてとおりの三段の狭いベッドです。梁が剥き出しの天井はそれほど高くはありません。平均的なドイツ人なら梁が頭のすれすれのところになります。平均的な日本人の私から見ても「この高さで三段かよ」といいたくなるほど、ベッド一段ごとの低さが強く印象されました。

 係員のいないのを幸い、ためしに寝転がってみようか、と思いましたが、やめました。ベッドの床板(というのか)は木で、私の体重をささえられるのかどうかこころもとなかったからです。これはドイツ人にとって後世に残したい貴重な遺産なのでしょうから、壊したら大変です。

 写真の展示コーナーで、アイゼンハワーが収容所に来た時の写真などをつらつら観ていると、重苦しい展示館の空気を晴らすような明るい子供たちの声が近づいてきました。子供のころからドイツのうまい地鶏を食べすぎてしまったというようなおばさんに続いて、その声の主たちが展示館に入ってきた。

 そのおばさんが、どうやらここの管理者で、不在だったのは子供たちを案内していたからなのでしょう。

 彼らは館内に入るや、いっせいにおしゃべりをやめました。別におばさんに怒られたわけでも、子供たちの後から入ってきた先生らしき若い女性にたしなめられたわけでも無さそうでした。彼らはすぐ異邦人である私の存在に気づいたようでしたが、それが理由でも無さそうでした。

 おばさんは三段ベッドの脇に子供たちを集めると大きな手振りを交えて一語一語区切るように説明を始めました。どうやらこの施設の関係者は彼女ひとりだけのようでした。人手不足だったのでしょう。

 先生はおばさんではなく、終始子供たちの顔を見ていました。話の途中できょろきょろ辺りを見回す子もいましたが、中にはだんだん沈んでうつむいてしまう子もいました。先生はそんな子を見つけるとさりげなく肩に手を置いたり、金髪のおさげを撫でて回っていました。きっと先生は毎年ここに子供たちを引率してきたのだと思われました。説明を聞いている子供たちの反応が予想できたのでしょう。

 英語のパンフレットによれば、この「ダッハウ強制収容所」はアウシュビッツやリガといったいわゆる「絶滅収容所」ではなく、連行されてきた収容者を一時的に滞在させる、いわば「中継地点」だったらしいのです。その施設には他に「ガス室」や「焼却炉」がありましたが、規模は小さいものでした。しかし、もう十分でした。

 その「展示館」を出て整然と並ぶコンクリートの基礎の一つに腰を下ろし、しばし人間の所業というものに思いを馳せました。

「戦艦ミカサ」では、年端もいかない子供を盾にしたりする残酷な場面を描きましたが、歴史の冷厳さにはまだまだ筆が及ばなかったことを痛感しています。

 かつて、オーストリア併合を成し遂げたアドルフ・ヒトラーが次にチェコのズデーテン地方を、

「ドイツ系住民が多いから」

 という理由で割譲することを要求してきたとき、欧州はほとんど無関心でした。チェコの要請でイギリスのチェンバレン首相が調停に乗り出し、これを最後の領土的要求にする、というヒトラーの約束を信じて承認しました。会談を終えて帰国し、ロンドンの飛行場に降り立ったチェンバレンはヒトラーとの間に交わした覚書を取り出して頼りなげにひらひらさせながら、

「みなさん、平和が持ち帰られました」

 と弱弱しく宣言しました。ですがそれを見て後に首相になるチャーチルは烈火のごとく怒ったそうです。

「あんなヤツの約束など当てになるものか!」

 事実、それから間もなくの1939年9月、ドイツの機甲師団が突如ポーランド国境を越えて進撃を開始した時、チャーチルのその言葉は現実となりました。

 力で現状を変更しようとする試みに安易に妥協し屈した結果、英国の戦時動員は遅れ、初戦の劣勢を甘受せねばならなかったのです。

 思想や宗教の異なる人々を迫害しジェノサイドを行う。力を背景に他国を武力で恫喝し、力で現状を変更しようとする。

 こうした行き方をする国は全て「ナチ」的であり、それが「チナ」です。

 あくまでも「チナ」はフィクションですが、「ナチ」Natiがしたことは歴史的事実です。

 我々はそうした「チナ」的な行き方に常に目を光らせ、断固反対していかなければならないと思います。

「戦艦ミカサ」の「チナ」にはそうした思いを込めました。
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