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2021
ダンディズム小考
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「優しい狩人」「戦艦ミカサを奪還せよ」にはユリウス・カエサル、ジュリアス・シーザーの名前が少なくない頻度で出てきます。
彼の正式名は「ガイウス・ユリウス・カエサル」です。ユリウスというのは洗礼名ではなく、家門名です。「ユリウス一門のカエサルさんちのガイウスくん」というのがユリウス・カエサルの名前の意味です。裕福な家ではなかったようですが、名前からもわかる通り、貴族の家に生まれた、れっきとした貴族です。
このカエサルが政治の表舞台に登場する少し前、彼はある人物に命を狙われ、辛くも生き延びます。そうでなかったらその後のローマ史も世界の歴史も大きく変わっていたことでしょうね。
彼の命を狙ったのはルキウス・コルネリウス・スッラという男です。あの英雄スキピオ・アフリカヌスも輩出したコルネリウスというあまりにも有名で有力な一門に属する「スッラ家のルキウスくん」です。骨の髄からの保守派と言ってもいいんじゃないかという人だと思います。
この男はローマが共和制から帝政に向かう端境期に歴史に登場しました。この辺りのことは塩野七生の「ローマ人の物語」第三巻「勝者の混迷」に詳しいですのでここでは割愛します。要は、それまでうまくいっていたローマの政治システムが機能しなくなり、新しいシステムを模索しようとしていた時期ということです。有名なグラックス兄弟の暗殺をはじめ、1930年代のニューヨークのマフィアのような、血で血を洗う抗争が続き、文字通りローマは「混迷」の真っ只中にありました。
スッラは元老院システムを守り強化しようとしていました。独裁官という、共和制ローマでは緊急時のシステムであり、通常二人いる執政官の権限を一人で担う地位に着き、彼に反対する者を片っ端から捕らえ、とにかく「クールに殺しまくった」そうです。まだ若かりしカエサルはそんな彼に命を狙われ、一時は遠くギリシャまで逃げて難を逃れます。
前にも書きましたがカエサルという人は明朗快活、男性からも女性からも好かれます。容姿端麗ではなかったものの、彼の前には愛人志望の女がまるで列を作って順番を待つかのように引きも切らなかったとか。ついには愛人の一人であったクレオパトラにエジプトを治めさせたりします。そんな公私混同をしても誰からも恨まれたり妬まれたりはしませんでした。後にローマの覇権を争ってポンペイウスと対決しますが、カエサルの下でガリア戦役を戦った兵士たちは彼を慕いほとんど手弁当で彼のもとに馳せ参じたということです。例えて言えば文武両道に優れ、多くの生徒の憧れの的となっている生徒会長のような人です。しかも才能ある文筆家でもある。彼の手になる「ガリア戦記」「内乱記」は第一級の史料であり古今東西のあらゆる書物の中でも指折りのベストセラーであることは周知の事実です。
どんな困難に見舞われても快活さを失わず、部下を励まし、常に新しいことを考え出して難局を乗り切る。仮にカエサルのような人が上司だったらサイコーでしょう。部下からも仰がれ、役員からも気に入られ、取引先からも好感を持たれ、会社の業績は右肩上がり間違いなしです。そりゃ、愛人の十人や二十人はこさえるかもしれませんが。それでも恨まれず、バレンタインデーには彼の机は社内外からのチョコの山で埋もれてしまい、仕事どころではなくなるかもしれません。
もちろん、ローマ時代以降、ローマ史の中で最も偉大なヒーローをあげよと言われれば、どの時代でアンケートを取ろうが必ず第一位に来るのはカエサルだったでしょうし、それは今も変わっていません。
それに比べてスッラという人は、多くの人から恐れられ、敬遠された人です。例えれば、もう死語になりましたが「番長」のような。自分の意のままにならないものは片っ端から締め上げ、焼き入れし、恐怖で人を支配しようとした人です。殺しに殺しまくり、ついには表立って彼に反対する者は一人もいなくなりました。
こんな人が上司だったら、サイアクです。会社に行くのが恐怖ですし、彼に意見を言おうとするものは一人もいなくなるでしょう。社内の異論は一掃されますが、誰も率先してクリエイティヴな仕事をしなくなります。イエスマンしかいなくなった会社の業績は、さぞや落ち込むことでしょう。
しかし、逆に考えれば、それほどまでしても、誰に嫌われようがどう思われようが、すべきと思ったことはやり遂げる人、でもあったわけです。常に「空気」や「世間体」を気にする日本人には特に、あまり馴染まない人であることは請け合います。
ですが、ですが。
筆者は、カエサルよりもこのスッラのほうに限りない興味と共感を覚える者であることをここに申し上げておきます。
というのも、反対派を一掃し終えたと判断すると、スッラはサッサと独裁官を辞め、一介の市民に戻ったひとでもあるからなのです。筆者はここに大きな興味を惹かれるのです。独裁官という最高権力者の地位に居続けようと思えば出来ました。それをすると彼が守ろうとした元老院システムを壊してしまうからなのですが、独裁という手段を取らなければ彼の理想を達成できないという矛盾に彼も気付いていたと思うのです。それを早くから洞察し、「もう元老院システムはダメだ。スッラは政治がわかっていない」と見破っていたカエサルのほうが政治的センスは優れていたと、筆者も思います。
自分のしたことが無駄だったと知っていたのかどうか。そんな彼の寂しげな背中を想像するとこみ上げて来るものがあったりします。
度々の引用で恐縮ですが、塩野七生はその著書の中で、虚栄心と野心についてこう述べています。
「人に良く思われたい」というのが虚栄心。「人からどう思われようとやりたいことしたいことをしたい」というのが野心だ、と。
虚栄心も野心も人並み外れて大きかったのがカエサルだということですが、このスッラは虚栄心など全くなく、人の目など全く無視してただただ、したいことすべきと思ったことだけやりまくった男だったということなのです。
カエサルは容姿端麗でなかったせいか、常に身だしなみに気を配り、後年後退した額のハゲを大いに気にし、終身独裁官(ディクタトール・ペルペトウア)に就任した際に元老院から送られた月桂冠を常時着用する権利を大変有難がったといいます。ハゲを隠すためです。彼は古代ローマ時代の稀代の「ダンディー」でもあったのです。
対してスッラが人の目を気にしたということを裏付ける史料は未だにないようです。どだい、誰からどう思われようが気に入らん奴は全て殺しまくるような人は人の目なんか気にしないでしょう。
アルベール・カミュは、1951年の『反抗的人間』で次のように述べています。
(前略)ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。(中略)ボードレールに言わせれば、「鏡の前に生き、死ぬ」というのがダンディの標語だが、これはたしかになかなか言い得て妙である。(中略)
ダンディは自らの力を奮い立たせ、すさまじい拒絶によって自らに統一を作りだす。放蕩者としてのダンディは、人並みの人生を逸脱して生きる全ての人同様、役者でしかありえない。しかしこの役者は世間を必要とする。ダンディは自分の演ずべき役を世間との対比において設定し演じることしかできない。ダンディは他人の表情にしか自らの生を実感することができない。他人が彼の鏡なのだ。(後略)
みなさん。キモい・・・、と思いませんか。
三島由紀夫も言っています。
「ダンディズムを極めると、嫌われるんです」と。
皮肉にも、人々から好かれ尊敬されたカエサルは「ダンディズムを極めた」せいなのか暗殺されてその生涯を閉じますが、人々から恐れられ忌み嫌われ、「ダンディズムなど馬のクソ」と無視したスッラは「畳の上で」天寿を全うします。
その生涯で為すべきとした全てを為し終え、独裁官も辞し、一介の市民としてわずかな奴隷だけを供にして剣闘士の試合だか競技会だかでスタジアムを訪れたスッラは、やはり多くの市民から恐れられ、遠巻きにされてVIP席に着きました。
と、そこへまだ若く美しい娘がつかつかと近寄り、驚くべきことにこの最高権力者だった男の肩にあった一筋の髪の毛をスッと取り上げたのです。
一番驚いたのは、周囲で見守る市民ではなく、スッラ自身だったでしょう。
「どうして、きみは・・・」
スッラの問いに、少女はこう答えました。
「髪の毛一本でも、あなたにあやかりたかったのです」
スッラはすぐにこの少女を妻として娶りました。
恐らくはその若く美しい妻の膝の上か、その愛らしい胸の中で息を引き取ったのではないでしょうか。殿方からみれば最高の人生の幕引きだったと羨ましがられるのではと拝察します。
ローマ人はあだ名をつける習慣があったそうですが、スッラのそれは「フェリックス(幸せ者)」だったそうです。
そもそも、ですが。
誰もが認めるヒーローなどを持て囃すような人は小説なんて辛気臭いものは書いたりしないと思います。小説なんかを書く人は、どっか精神が歪んでおかしい人なのです。そういう人しか、小説なんかアホらしくて書かないと思うのです。
余談ですが、ドイツ語の皇帝を意味する「カイゼルKaiser」、ロシア語の「ツァーリцарь」の語源は「カエサルCaesar」です。カエサルの後継者であるオクタヴィアヌス=アウグストゥスがその名を継ぎ、以降の皇帝に引き継がれた名残です。また、「戦艦ミカサ」にも書きましたが、現在の欧米の小中学校でもカエサル暗殺の「三月十五日」は必ず教えるとか。天界のカエサルがこのことを聞いたらどう思うでしょうか。塩野さんなら、
「ワッハッハと破顔した」というかもしれませんが、案外カエサルご本人は、
「チッ、あんだけ頑張ったのに、その程度かよ」
と愚痴をこぼしているのではと想像する方が楽しいと筆者は思います。なにしろ虚栄心バリバリの人でしたから。そう思うのは、精神が歪んでいるから、かも知れません。
彼の正式名は「ガイウス・ユリウス・カエサル」です。ユリウスというのは洗礼名ではなく、家門名です。「ユリウス一門のカエサルさんちのガイウスくん」というのがユリウス・カエサルの名前の意味です。裕福な家ではなかったようですが、名前からもわかる通り、貴族の家に生まれた、れっきとした貴族です。
このカエサルが政治の表舞台に登場する少し前、彼はある人物に命を狙われ、辛くも生き延びます。そうでなかったらその後のローマ史も世界の歴史も大きく変わっていたことでしょうね。
彼の命を狙ったのはルキウス・コルネリウス・スッラという男です。あの英雄スキピオ・アフリカヌスも輩出したコルネリウスというあまりにも有名で有力な一門に属する「スッラ家のルキウスくん」です。骨の髄からの保守派と言ってもいいんじゃないかという人だと思います。
この男はローマが共和制から帝政に向かう端境期に歴史に登場しました。この辺りのことは塩野七生の「ローマ人の物語」第三巻「勝者の混迷」に詳しいですのでここでは割愛します。要は、それまでうまくいっていたローマの政治システムが機能しなくなり、新しいシステムを模索しようとしていた時期ということです。有名なグラックス兄弟の暗殺をはじめ、1930年代のニューヨークのマフィアのような、血で血を洗う抗争が続き、文字通りローマは「混迷」の真っ只中にありました。
スッラは元老院システムを守り強化しようとしていました。独裁官という、共和制ローマでは緊急時のシステムであり、通常二人いる執政官の権限を一人で担う地位に着き、彼に反対する者を片っ端から捕らえ、とにかく「クールに殺しまくった」そうです。まだ若かりしカエサルはそんな彼に命を狙われ、一時は遠くギリシャまで逃げて難を逃れます。
前にも書きましたがカエサルという人は明朗快活、男性からも女性からも好かれます。容姿端麗ではなかったものの、彼の前には愛人志望の女がまるで列を作って順番を待つかのように引きも切らなかったとか。ついには愛人の一人であったクレオパトラにエジプトを治めさせたりします。そんな公私混同をしても誰からも恨まれたり妬まれたりはしませんでした。後にローマの覇権を争ってポンペイウスと対決しますが、カエサルの下でガリア戦役を戦った兵士たちは彼を慕いほとんど手弁当で彼のもとに馳せ参じたということです。例えて言えば文武両道に優れ、多くの生徒の憧れの的となっている生徒会長のような人です。しかも才能ある文筆家でもある。彼の手になる「ガリア戦記」「内乱記」は第一級の史料であり古今東西のあらゆる書物の中でも指折りのベストセラーであることは周知の事実です。
どんな困難に見舞われても快活さを失わず、部下を励まし、常に新しいことを考え出して難局を乗り切る。仮にカエサルのような人が上司だったらサイコーでしょう。部下からも仰がれ、役員からも気に入られ、取引先からも好感を持たれ、会社の業績は右肩上がり間違いなしです。そりゃ、愛人の十人や二十人はこさえるかもしれませんが。それでも恨まれず、バレンタインデーには彼の机は社内外からのチョコの山で埋もれてしまい、仕事どころではなくなるかもしれません。
もちろん、ローマ時代以降、ローマ史の中で最も偉大なヒーローをあげよと言われれば、どの時代でアンケートを取ろうが必ず第一位に来るのはカエサルだったでしょうし、それは今も変わっていません。
それに比べてスッラという人は、多くの人から恐れられ、敬遠された人です。例えれば、もう死語になりましたが「番長」のような。自分の意のままにならないものは片っ端から締め上げ、焼き入れし、恐怖で人を支配しようとした人です。殺しに殺しまくり、ついには表立って彼に反対する者は一人もいなくなりました。
こんな人が上司だったら、サイアクです。会社に行くのが恐怖ですし、彼に意見を言おうとするものは一人もいなくなるでしょう。社内の異論は一掃されますが、誰も率先してクリエイティヴな仕事をしなくなります。イエスマンしかいなくなった会社の業績は、さぞや落ち込むことでしょう。
しかし、逆に考えれば、それほどまでしても、誰に嫌われようがどう思われようが、すべきと思ったことはやり遂げる人、でもあったわけです。常に「空気」や「世間体」を気にする日本人には特に、あまり馴染まない人であることは請け合います。
ですが、ですが。
筆者は、カエサルよりもこのスッラのほうに限りない興味と共感を覚える者であることをここに申し上げておきます。
というのも、反対派を一掃し終えたと判断すると、スッラはサッサと独裁官を辞め、一介の市民に戻ったひとでもあるからなのです。筆者はここに大きな興味を惹かれるのです。独裁官という最高権力者の地位に居続けようと思えば出来ました。それをすると彼が守ろうとした元老院システムを壊してしまうからなのですが、独裁という手段を取らなければ彼の理想を達成できないという矛盾に彼も気付いていたと思うのです。それを早くから洞察し、「もう元老院システムはダメだ。スッラは政治がわかっていない」と見破っていたカエサルのほうが政治的センスは優れていたと、筆者も思います。
自分のしたことが無駄だったと知っていたのかどうか。そんな彼の寂しげな背中を想像するとこみ上げて来るものがあったりします。
度々の引用で恐縮ですが、塩野七生はその著書の中で、虚栄心と野心についてこう述べています。
「人に良く思われたい」というのが虚栄心。「人からどう思われようとやりたいことしたいことをしたい」というのが野心だ、と。
虚栄心も野心も人並み外れて大きかったのがカエサルだということですが、このスッラは虚栄心など全くなく、人の目など全く無視してただただ、したいことすべきと思ったことだけやりまくった男だったということなのです。
カエサルは容姿端麗でなかったせいか、常に身だしなみに気を配り、後年後退した額のハゲを大いに気にし、終身独裁官(ディクタトール・ペルペトウア)に就任した際に元老院から送られた月桂冠を常時着用する権利を大変有難がったといいます。ハゲを隠すためです。彼は古代ローマ時代の稀代の「ダンディー」でもあったのです。
対してスッラが人の目を気にしたということを裏付ける史料は未だにないようです。どだい、誰からどう思われようが気に入らん奴は全て殺しまくるような人は人の目なんか気にしないでしょう。
アルベール・カミュは、1951年の『反抗的人間』で次のように述べています。
(前略)ダンディは美学的手段を通じて自らの統一を作りだす。(中略)ボードレールに言わせれば、「鏡の前に生き、死ぬ」というのがダンディの標語だが、これはたしかになかなか言い得て妙である。(中略)
ダンディは自らの力を奮い立たせ、すさまじい拒絶によって自らに統一を作りだす。放蕩者としてのダンディは、人並みの人生を逸脱して生きる全ての人同様、役者でしかありえない。しかしこの役者は世間を必要とする。ダンディは自分の演ずべき役を世間との対比において設定し演じることしかできない。ダンディは他人の表情にしか自らの生を実感することができない。他人が彼の鏡なのだ。(後略)
みなさん。キモい・・・、と思いませんか。
三島由紀夫も言っています。
「ダンディズムを極めると、嫌われるんです」と。
皮肉にも、人々から好かれ尊敬されたカエサルは「ダンディズムを極めた」せいなのか暗殺されてその生涯を閉じますが、人々から恐れられ忌み嫌われ、「ダンディズムなど馬のクソ」と無視したスッラは「畳の上で」天寿を全うします。
その生涯で為すべきとした全てを為し終え、独裁官も辞し、一介の市民としてわずかな奴隷だけを供にして剣闘士の試合だか競技会だかでスタジアムを訪れたスッラは、やはり多くの市民から恐れられ、遠巻きにされてVIP席に着きました。
と、そこへまだ若く美しい娘がつかつかと近寄り、驚くべきことにこの最高権力者だった男の肩にあった一筋の髪の毛をスッと取り上げたのです。
一番驚いたのは、周囲で見守る市民ではなく、スッラ自身だったでしょう。
「どうして、きみは・・・」
スッラの問いに、少女はこう答えました。
「髪の毛一本でも、あなたにあやかりたかったのです」
スッラはすぐにこの少女を妻として娶りました。
恐らくはその若く美しい妻の膝の上か、その愛らしい胸の中で息を引き取ったのではないでしょうか。殿方からみれば最高の人生の幕引きだったと羨ましがられるのではと拝察します。
ローマ人はあだ名をつける習慣があったそうですが、スッラのそれは「フェリックス(幸せ者)」だったそうです。
そもそも、ですが。
誰もが認めるヒーローなどを持て囃すような人は小説なんて辛気臭いものは書いたりしないと思います。小説なんかを書く人は、どっか精神が歪んでおかしい人なのです。そういう人しか、小説なんかアホらしくて書かないと思うのです。
余談ですが、ドイツ語の皇帝を意味する「カイゼルKaiser」、ロシア語の「ツァーリцарь」の語源は「カエサルCaesar」です。カエサルの後継者であるオクタヴィアヌス=アウグストゥスがその名を継ぎ、以降の皇帝に引き継がれた名残です。また、「戦艦ミカサ」にも書きましたが、現在の欧米の小中学校でもカエサル暗殺の「三月十五日」は必ず教えるとか。天界のカエサルがこのことを聞いたらどう思うでしょうか。塩野さんなら、
「ワッハッハと破顔した」というかもしれませんが、案外カエサルご本人は、
「チッ、あんだけ頑張ったのに、その程度かよ」
と愚痴をこぼしているのではと想像する方が楽しいと筆者は思います。なにしろ虚栄心バリバリの人でしたから。そう思うのは、精神が歪んでいるから、かも知れません。
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