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最終回 エピローグ そしてヤヨイは師匠の銃を手にし、北の野蛮人は故郷に帰った(前編)

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 リヨンはヤヨイの去ったドアを見つめ、しばし佇んだ。

 怒るだろうとは思っていた。

 だが、規則を盾に取らねばならぬほどに、リヨンもまた焦っていた。

 あの子供が傍にいると、またヤヨイは自分から離れた存在になってしまうような、そんな思いに囚われてしまったのだった。

 やれやれ。

 ぼくはいったい、こんなところまで、何をしに来たんだろう。

 そろそろ帰るとしますかね、クィリナリスへ。

 結局、そこが彼には合っていた。

 そんな無力感を強引にねじ伏せ、自分のデスクの身の回りの品々を整理し始めた。

 


 

 そして、ここにも一人、ヤヨイへの想いを熱くしている男がナイグンに帰って来た。

 日没後、夕食の炊爨の煙がそこここで立ち昇る陣営地に、馬蹄の響きが鳴り渡った。

 空挺騎兵隊の帰還だった。

 

 真っ先に攻撃の先鞭をつけたヘルムートは、例の施設にあった弾薬庫の大爆発で潜んでいた森が燃え上がり、軍服もなにもかもボロボロになって半死半生で逃げてきたところを運よく帰路の途上にあったアイゼナウ大尉たちに発見され、なんとか生きて帰ることが出来た。

 面倒見のいい兵長の馬に乗せられてきた彼は「学者」の兵たちのテントの前で急にむっくりと煤だらけの頭を上げた。

「どした?」

 兵長が振り返ると、彼はサッと馬から降り、テントに近づいていった。

「おい、ヘルムート! そっちは『きまぐれ』のテントじゃないぞ」

「わかってます。一目、ヴァインライヒ少尉にお会いしたいんです!」

 もう誰が何を言っても聞き分けられるような状態ではないのだった。

 大爆発の後、ボロボロになっていた彼を支えていたのは、偏に「マルスの娘」への思慕、彼女への熱い思いだけだったのである。すでに想いをこじらせすぎて「ビョーキ」の域に達していたのかもしれない。平素の市民生活であれば、かなり「アブナイ」男であった。国に帰って気持ちを落ち着ければ、いま自分がしていることを顧みて恥ずかしさに身悶えして後悔の念に苛まれるかもしれなかった。だがその時の彼には「自制」という概念は薬にしたくとも少しも持ち合わせていなかった。

「すいません! ヴァインライヒ少尉のテントはこちらですか!」

 ヘルムートは、車座になって夕食の鍋を囲む「学者」の兵に尋ねた。

「なんだ、お前は」

 車座の中にいたのは金のアザミを着けた、グレイ曹長だった。

「オレも『大工』救出作戦に参加したんです! 川を渡った『マルス』が、ヴァインライヒ少尉が、アルムに取り残されていると聞いて、居てもたってもいられなくて、そ、そしてっ!・・・」

「申し訳ありません、曹長殿。コイツ、ちょっと戦闘で疲れ過ぎちゃったみたいで、少し、オカシイんで・・・」

 面倒見のいい兵長がフォローしかけたのだが、

「ボクは、ボクは、オカシクありませんっ!」

 とりなそうとした兵長を遮り、ヘルムートは吼えた。

 その場にいたリーズルやグレタやヴォルフガング達「マルス」は、まるで異次元から来た珍獣を見るようにヘルムートに視線を集めた。

「なんだなんだ。どうしたんだ」

 よんどころない騒ぎを聞きつけた隣のテントのウェーゲナーがやってきた。

「中尉殿、この『きまぐれ』大隊の兵が、ヴァインライヒ少尉に会いたいと・・・」

 グレイが説明すると、ウェーゲナーは、ははん・・・、というように得心した。

「ああ。お前はアレか。ヤヨイの『ファン』か」

「『ファン』ではありません! 信者です!」

「覗き魔」小隊長はこの、「戦場の苛烈さで少しアタマがおかしくなった」らしい気の毒な二等兵に落ち着いて諭した。

「あのなあ、悪いんだが彼女はここにはいない」

「ええっ?・・・」

「一足先に、ゾマに行った。おっつけオレらも行くから、そこで会えるぞ」

「・・・マジで?」

 ヘルムートはその場で卒倒し、倒れた。まるで糸の切れた操り人形みたいに。その場に頽れて動かなくなってしまった。

「おい、ヘルムート! 大丈夫か、しっかりしろ」

 急遽軍医のテントに運ばれたヘルムートは、第六軍団付きの軍医少佐の診察を受けた。

「いやあ・・・。こいつ、よくここまで戻って来たなあ」

 ひとまずの応急処置を終わった軍医少佐は、治療台に横たわる意識の無いヘルムートを見下ろしつつ、消毒液で手を洗った。

「何が、どこが悪いんでありますか、軍医殿」

 付き添って来た兵長が質した。

「どこもなにもないぞ」

 と、軍医少佐はにべもなく言った。

「程度は低いが身体中火傷だらけ。しかもおそらく肋骨が2、3本折れてる。アタマも打っているようだ。しばらく絶対安静が必要だな」

「・・・どのくらい、でありますか?」

「そうだな。まず、ここではギプスが処方できんので動かせる状態になるまでここで一週間ほど養生させて・・・」

「そんなに! でありますか」

「当たり前だ! 今トラックや馬に乗って揺られたりしてみろ。治るものも治らなくなって一生杖の世話になってしまうぞ。それでもいいなら、勝手にするがいい」

「・・・わかりました」

 兵長は肩を落として野戦病院のテントを後にした。

 ヘルムート。

 お前ってやつは、ホントに・・・。

 愛する女への片思いひとつだけで、馬にも不慣れなくせに危険な騎兵隊に加わり、最後には谷底に落ちて死にそうになりながらも気力だけで敵の陣地を攻撃して、なんと、生きて帰ってきたのだ。

 それなのに・・・。

 まったくもって、バカとしか言いようがない。

 それだけに、もう弟と言っても同然な、可愛そうな部下の心の内を想い、深く同情を寄せる兵長なのであった。


 


 

 約100キロの道のり。

 ヤヨイは夜通し、駆けた。

 11月29日早朝。

 ゾマに着いたヤヨイはその足で第三軍が設置した難民センターに行った。


 

 いつの時代も同じである。

 戦争が起きる。戦闘に巻き込まれて家を失ったり、家族と生き別れたりする人や、親を失ったりする子供は必ず出る。

 今は帝国領となって久しいかつてのチナの土地。帝国の西の港町マルセイユの北に広がる広大なブドウ畑には、元々今より多くのチナ人が住んでいた。

 だが、戦乱で家を焼かれ行き場を失った人々は先祖伝来の土地を離れ、生きる糧を求めて帝国中に散った。約150年ほど前のその一件は、当然ながら急激な民族移動を起し、一時は帝国内に社会不安をもたらすまでになった。

 その故事の反省から、帝国は極力占領地内の人口の移動を抑えるべく手段を講じたのだった。

 戦闘で武器を取って帝国軍と戦い捕虜となった者の扱いはかわらなかった。それらの敵兵たちは全て奴隷として帝国内で労働力にされた。ただし、武器を持たない一般の市民はできるだけその地に留まらせ戦災を復興し経済を取り戻させることにしたのである。

 帝国はすでに、いにしえの旧文明で、ヤーパンが併合したチョウセン半島でしたのと同じこと、すなわち、道路や市街地、帝国からの鉄道線を延長して敷設するという交通インフラを整備し、山間にダムを設けて発電と乾季の間の飲み水と工業用水を確保し、市街地の上下水道網を設置し、帝国本土と同じようにどの地区にも小学校を置いてチナ語と帝国語を学ばせ、農産物の集積と売買を行う市場や帝国の業者を斡旋して工場を作らせ工員として働く者を住民から募ったり・・・。

 そのような施策を向こう10年ほどかけて多額の国費を投入して行う計画を持っていた。

 その手始めが、この難民センターなのだった。

 今回の戦役では侵攻した第三軍の兵力の半ば以上にも達する大量の戦争難民が発生したが、被災した各地の住居が復興できるまでの仮宿泊所を設け、併せて両親とはぐれたり両親を失ってしまった子供たちの一時預かり所も整備し、その運営に第11軍団の歩兵師団が当たっていた。

 カーキ色の軍服の袖に「11」という所属軍団を示すワッペンを着けた兵士たちが、小銃をモップや箒に持ち替え、タオルを下げて小さな子供たちを追いかけて世話を焼き、朝食を配膳するトレーを台車に乗せて複数の棟に配り歩いたりしていた。

「あの、すみません。戦争孤児を預かる施設を探しているのですが」

 ヤヨイは、配膳トレーを載せた台車を押している、第11軍団の徽章を着けた兵士を呼び止めて尋ねた。最低限の士官に対する礼はとって敬礼はしてくれたが、その上等兵は、冷淡だった。

「このあたりの棟全部がそうですよ。二三千人はいるかな」

「そ、そんなに・・・」

 ヤヨイは瞬時、たじろいだ。

「あの、ナイグンのタオという男の子を探しているんですが」

「悪いけど今、忙しいんです。そこの管理棟で聞いてくれませんか。8時になれば担当が来ます」

 その兵士はおざなりな敬礼をしてヤヨイの答礼も待たずに台車を押して行ってしまった。平素なら軍隊ではあり得ない無礼だが、そんなことにもとんじゃく出来ぬほどに忙しいのだろう。

 仕方なく管理棟の前まで馬を曳き、そこに設けられた水桶の柵に馬を繋いで100キロを走破した馬がガブガブ水を飲む様を眺めながら、管理棟の入り口の石段に腰を掛けて時を待った。

 無我夢中で馬を駆けさせていた間には考えも及ばなかったが、そうして待っている間にリヨンに対する怒りも静まった。

 彼にすれば無理もない、と。連絡将校として司令部に詰めている身分。執務中に小さな子供の面倒も見れないだろう。

 頭では理解できるのだ。だが、心はそうはいかなかった。

 タオの幸せを思えば、両親が見つかって弟のリャオとも再会し、一家4人が再びナイグンで共に幸せに暮らせるようになるのが一番だ。

 理性はそう言う。

 だが、感情がそれを認めない。

 あの可愛い男の子の存在はこの戦場での、ヤヨイの唯一の支えになっていた。

「タオ・・・」

 時が来た。

 数人の下士官を含む兵士が管理棟に「出勤」してきた。

 入り口に佇むヤヨイを認めやはりおざなりな敬礼をして入ってゆき、彼ら彼女らの仕事を始めようとしていた。その兵士たちについて中に入り、カウンターの前に立って、待った。

 兵士たちは明らかにその事務仕事にうんざりしていた様子だった。カウンターの前の席に着いた、曹長の徽章を着けた年嵩の女性がふう、とため息をついた。

「少尉殿、お待たせしました。ご用件を伺います」

 そんな言葉さえ面倒だ、とでも言わんばかりのその態度。胡散臭げな眼でヤヨイを見上げている仕草に、

「ワザと時間をかけているのでは」

 そんな邪推をしてしまった。

「ナイグンの孤児でタオという名前の少年を探しています。おとといこちらの施設に預けられたと聞きました」

「申し訳ありませんが、ナイグンのタオだけではわかりかねます。お手数ですが、ご自身でお探しいただけませんか」

 曹長はヤヨイと視線も交わそうともせず、まるで八つ当たりでもするかのようにカウンターの向こう側の書類をバサバサ、バンバン音を立ててあっちへやったりこっちへ積んだりした。

 派手なカッコイイ戦闘任務はもうあらかた終わってしまっていた。後に残ったのは、彼ら彼女らが軍歴を誇ることもできない、ウンザリするような煩雑な事務仕事なのだった。

 タオに会いたいという一途な気持ちがやや収まってみれば、ヤヨイにも目の前の女性曹長たちの憂鬱が理解できた。

「わかりました。自分で探します」

 そう言って、管理棟を辞した。

 広大なセンターには数十棟の急造された木造のバラックたちが建ち並んでいた。孤児のみを収容した棟だけでも10棟はあるらしい。それを片端から覗いて回った。

 壁にペンキを塗る暇さえなかったのか、すでに子供たちを収容している棟の生木の壁を脚立に乗った兵士たちがメンドクサそうに緑色のペンキで塗りたてていた。

 中に入ると低い座卓が20ほど並べられていた。それぞれの卓に10人ほどの子供が群がり、第十三軍団の連隊駐屯地の食堂で食べたようなオートミールとふた切れのパン、それにブルーベリーのジャムとヨーグルト、そして一杯のミルクの朝食をガツガツと貪るように食べていた。2、3の兵がミルクのピッチャーやオートミールの鍋からトレーに注ぐお玉を持って卓の間を巡りお代わりの給仕をしていた。食べ物は粗末だがお代わりに応じるだけ誠意はある。

 子供たちはみな帝国の子供が着るのと同じ小さなテュニカを与えられ、入浴もされているらしく、初めて会った時のタオのように顔を煤けさせている子はいなかった。

 だが、子どもたちに笑顔はない。

 住む家を失い、親ともはぐれた子たちだ。笑顔など、あるわけもなかった。

 ヤヨイたちは命令とはいえこの子たちが遊び親の愛情の許で幸せに生活していた土地を戦場にし、この子たちが親としていた敵兵たちを殺したかもしれない。この笑顔の無い、餓鬼のような子供たちを作ったのはヤヨイたちかもしれない。少なくとも士官として、その責任の一端はある。

 ヤヨイが子供たちの卓を巡りながら愛するタオの顔を探していると、一組のチナ人の夫婦と思しき男女が入ってきてヤヨイと同じように卓を巡り子供たちの顔を見て回っていた。はぐれた我が子を探しに来た親なのだろうか。

「失礼、少尉殿。なにか御用ですか」

 ミルクピッチャーを持った赤い髪の女性兵から声を掛けられた。兵長の階級章を着けている。ヤヨイよりも5つか6つ、年上だろう。敬礼は無しである。戦闘中に士官が来たからと言って敬礼する兵はいない。今、彼女は「戦闘中」と同じなのだろう。

「あの、ナイグンのタオという少年を探しています。昨日ここに預けられたと聞いて・・・」

「自分も昨日からなんです。だからわかりかねます。申し訳ありません」

「あのご夫婦はお子さんを探しに来たのかしら」

「そのようです。昨日は30組ぐらいの親御さんが子供を探しに来て連れ帰っていました」

「そうですか・・・」

 その棟にタオはいなかった。

 もしかするとタオも親が探しに来てナイグンへ連れ帰られたかもしれない。その可能性はある。だとしたらそれはいいことで、タオのためには喜ぶべきことだ。喜ばねばならないことだ。

 だが、今のヤヨイには彼を探すことが全てだった。

 とにかく、タオに会いたい。会いたくてたまらないのだ。

 全ての棟を探して、それで見つからなかったら、両親と出会えたのだ。そう思うことにした。そう思わねば、耐えられない。

 続く隣の棟にも、その隣にも、タオはいなかった。

 そんな風に七棟、八棟と探しているうちにいつしか朝食は終わり、卓が取り片付けられ、子どもたちは数少ないおもちゃを取り合って遊び始めた。中には満腹になって寝てしまう子もいたし、木の板がはめ込まれた窓を開けて外をぼんやり見つめている子もいたし、親の名を呼んで泣き出す子もいたし、膝を抱え込んで俯いたままの子もいた。喧嘩できる子や眠れてしまう子の方が幸せかもしれない。膝小僧を抱えて孤独に耐えている子を見ると、小学校を卒業して母の許を離れ寄宿舎に入ったばかりのころの自分を思い出して胸が締め付けられた。

 そのようにして孤児の棟を回っていると次第に気力が萎えてゆくのを覚えずにはいられなかった。罪悪感に苛まれ、いたたまれなくなる。孤児たちの世話をする兵たちが皆無表情になるのはわかるような気がした。この罪悪感に耐えてなおも笑顔を作って子供たちに接することのできる兵はいないし、仮にいればそれは兵ではなく、天使だろう。そういう人は退役して小学校の教師になるべきだ。

 そして最後の棟に入った。

 それまでの棟と同じでそこにも木の積み木やおもちゃでの遊びがあり、ケンカがあり、ふて寝があり、多くの孤独と涙があった。

 ここでダメなら、仕方ない。

 そう思いつつ、気力を振り絞って一人一人の子の顔を丹念に見て回った。

 やはり、いない。

 タオ・・・。

 思わず床に膝をついて、絶望に項垂れたときだった。

「じぇじぇっ! おねえちゃんっ!」

 聞き覚えのある声がヤヨイの心に喝をくれた。

 ハッとして見上げると、戸口にあの愛すべき子の姿があった。彼はヤヨイを見つめ黒髪の下の顔を歪ませ、黒い瞳ににわかに涙を溢れさせ、涙の雫を撒き散らしながら、タタタッと駆け寄って来るや、ヤヨイにひし、と縋りついた。

「タオ!」

 そのか細い身体を力いっぱい抱きしめた。そのやわらかな頬に頬ずりした。その愛すべき温もりと匂いに、このチナ戦役でのヤヨイの全てが報われたような気がした。

「よかった・・・。よかった・・・」

「会いたかったよォ・・・。おねえちゃん!」

 オイオイと泣き出したタオの黒い髪を何度も撫で、背中を擦った。

「ごめんね、ごめんね、タオ」

「あ~んっ・・・」

 子供ながらに耐えに耐えた感情が今、爆発しているのだと思った。彼に取り、それはあのアルムの弾薬庫の爆発よりも大きく、激しいものだったのだろう。それほどまでに自分を求めていてくれたのだと知り、さらに胸が締め付けられた。

「お母さんや、お父さんには、会えた?」

 少年は無言で首を振った。

「弟くんには、リャオ君には会えた?」

 タオはやっと顔を上げた。涙で濡れた頬を拭ってやり、彼を見つめた。

「タオ。おねえちゃんと一緒に帝国に行く? おねえちゃんと、一緒に暮らす?」

 タオは何度も頷き、再びヤヨイに抱きついた。もう、どんな屈強な兵士が引き離そうとしても離せないぐらいに、その抱擁は固く力強かった。

「一緒に行こ、タオ。一緒に帝国に、帰ろ・・・」





 

 ナイグンからポンポントラックに分乗した落下傘部隊がゾマに到着した。

 ヤヨイは、タオの手を引いて彼らを出迎えた。

 

 ハーベ少佐は、フェイロンたちアルムの悪ガキ10名の里親候補を見つけるのに成功したらしかった。士官はみな若すぎたらしく誰もいなかった。候補の全てが30過ぎの曹長軍曹の下士官たちでそれぞれが悪ガキたちの手を引き難民センターの引き受け窓口の列に並んだ。窓口で手続きをするのは自分の子供が見つかって家に連れて帰るチナ人がほとんどだった。順番を待つ列に並んだカーキ色の帝国兵は異様に目立った。

 その列の最後にハーベ少佐がフェイロンの手を引いて立った。ヤヨイもまたタオの手を引き、列の最後尾に立った。

「改めて考えてみると、帝国とは不思議な国だな。戦争の度に孤児を拾っては連れて帰り、育てているんだから」

 受付の順番を待つ間、ハーベ少佐はそんな雑談を口にした。

「そして連れ帰った子供たちが大人になり、また別の戦争で子供を拾ってくる。なんだか笑えてくるじゃないか、少尉」

 ヤヨイの顔には安堵の笑みが戻っていた。手を引いたタオも、力強くヤヨイの手を握り返してくる。

 係官がどんな質問をして来ようとも、絶対連れ帰る。それだけは絶対に貫くつもりだった。

 やがて、ヤヨイとタオの番が来た。

 その横柄な憲兵隊の大尉の前に立ち、事前に書き込んだ書類をカウンターに載せ、姓名階級、そして所属部隊を申告した。

「その子は貴官の、なんだ」

 大尉は書類から顔も上げずにメンドクサそうに言った。

「ナイグンの戦場で知り合いました」

「迷子か」

「親兄弟と生き別れていて、見つからないのです」

「で、連れ帰りたいと・・・。孤児は原則現地(ここ)で里親を募ることになっているのだが」

「この子がわたしと帰ることを希望しているのです」

 そう言ってヤヨイはタオの黒髪を撫でた。ナイグンの小さな英雄は高いカウンター越しに帝国軍の憲兵隊に所属するその戦災孤児管理官を睨みあげつつ、彼女の軍服の脚に縋りついた。

「貴官は結婚しているか」

 ハーベ少佐が気にしていた通りだった。それは絶対に訊かれるはず。そう思ったから事前に考えておいたストーリーを話した。

「いいえ。でも国に帰ったら結婚を考えている相手はいます」

「相手の職業は?」

「軍人です。士官です」

 下士官や兵よりも信頼されると期待してそう付け加えた。

「相手の姓名、階級、所属部隊は?」

 結婚という言葉を思う際、今のヤヨイにその相手として挙げられるのは一人しかいなかった。

 ウェーゲナー中尉には結婚はおろか、まだ告白もしていないし、彼とキスさえ交わしていない。その妄想をしているに過ぎなかった。それなのに名前を出せば、彼に迷惑がかかるかもしれない。まだ名は言えない。

 でも、ヤヨイには奥の手があった。

「・・・言わなければダメですか」

「結婚の約束をしているのだろう。それとも、今の発言は虚偽申告か? それは罪になる・・・」

「ちゃんとした後見人もいるのです!」

 幾分苦し紛れではあるが、その名前を出せば絶対に通ると思った。

「それは?」

「わたしの、直属の上司です!」

「上司?」

「皇帝陛下直属の特務機関陸軍少将ウリル閣下です!」

 憲兵隊の大尉はようやく顔を上げヤヨイの顔をまともに見る気になったらしかった。


 


 


 

 12月1日。

 ヤヨイたちは帝都に凱旋した。

 まあ、「負け戦」だから本来は「凱旋」などというきらびやかな言葉は使えない。でも、ヤヨイたち空挺部隊は「勝利者」だった。少なくない戦死者、負傷者をだしつつも、四つの橋を占拠し最後まで守り通したという意味では、立派に任務を達成したことになる。そして全ての作戦を終えて帰国したのだ。

 だからやはり、「凱旋」という言葉が最も似つかわしい。

 帝都の東にある近衛軍団の駐屯地。司令部の建物の前に広がる演習広場に数十台のトラックが帰って来た。出発した時は真夜中だったが、帝都の空は穏やかな冬晴れが広がっていた。

 ヤヨイは先に荷台を降り、ヴォルフガングからタオを受け取って地に下ろした。

「ありがと。ヴォルフィにいちゃん!」

「おう!」

 何度もタオを風呂に入れてくれたヴォルフガングとも、ひとまずはこれでお別れになるだろう。

 

 難民センターでの審査の結果、ヤヨイの目論見は当たり、ヤヨイとタオは晴れて養子縁組をし、タオを息子として帝国に連れ帰ることが出来ることになった。

 ヤヨイの背嚢には、あの不愛想な憲兵大尉がメンドクサそうにスタンプを押してくれた大切な書類が入っている。そのたった一枚の書類さえあれば、もう誰も彼女とタオを引き離すことは出来ない。

 第一近衛軍団第一落下傘連隊約900名は、戦死と重度の負傷者を除いてみなようやく帝都の地を踏んだ。

「連隊長どの、整列させます!」

 こういう場合に仕切るのはやはり「優等生」のヨハンセン中尉だった。

「いや、中尉。それはいい」

 訓練所でもそうだったが、グールド大佐は部下の兵たちを整列させて高みから訓示を垂れるタイプではなかった。自ら進んで兵たちの中に入ってゆき、その輪の中心で部下たちを同じ目線で見回し、親しく話すのを好む人だった。帝都を守る近衛軍団に帰還した落下傘の兵たちを前にしても、それは変わらなかった。

 彼は背嚢を背負ったままの兵たちを掻き分けズカズカと中に入って行った。自然に彼を中心に輪が出来た。兵たち皆が戦友たちの顔をバックに総大将の姿を仰ぐことができた。

 みな自然に口を噤み、落下傘の大親分の言葉を待った。

「諸君」

 とグールドは話しはじめた。

「疲れているだろうから、長い話はせん。背嚢も、どうせまた背負わねばならぬから下ろさんでいい。そのまま、聞いてくれ。

 今日はこれで解散する。皆家なり宿舎に引き上げて、ゆっくり休め。

 3日後、12月4日にここ第一近衛軍団に集合しろ。連絡事項は以上だ」

 そしてゆっくりと兵たちを見回し、連隊長は、付け加えた。

「俺は、お前たちを誇りに思う。よくやった!

 以上、ディスミスト(解散)!」

 訓示はそれだけだった。


 

 そのあと士官たちはみんなそれぞれの小隊を集め、兵たちの労をねぎらった。ヤヨイも「マルス」を集め、一人ひとりの名を呼んだだけでなく握手し、ハグを交わし、声を掛けた。

「ありがとう。そして、お疲れ様。3日後にまた逢いましょう」

 

 ヤヨイは乗り合いの辻馬車を拾って一度スブッラに立ち寄り、ショコラの包みとクレープサンドを買った。

「ナイグンで食べたシャオビンに似てるけど、こっちの方が甘くておいしい!」

「でしょ!」

 初めて見る帝都の大都会の風景に目を奪われつつ、タオはトッピングした白いクリームを口の周りに付けながら美味しそうにクレープを頬張った。

 そして、クィリナリスの下宿に帰った。


 

「あら、ヤヨイちゃん! 帰ったのね」

 奥様は相変わらずのお気楽風味でヤヨイを迎えてくれた。

「それにまあ! 可愛い男の子だこと。

 あなた、戦争に行ったのよね。それで、結婚もしてないのにもうこんなに大きな子供をこしらえてしまったの?」

 いかにも貴族の深層の令嬢であった。何事にも鷹揚すぎる奥様のその言葉には、苦笑いするしかなかった。

 それから奥様は女中頭を呼びお子さん方が小さいころに着た服を用意させ、タオの入浴も申し付けた。

「もうアレかしら、落下傘で飛び降りるお仕事は終わりなの?」

「そうみたいです。先のことはよくわからないのですが」

「じゃあ、今度こそいいお相手をお世話しないとね。こうして可愛い男の子もできたわけだし」

 またその話か、と思ったが、好意で言って下さっているのだからと、言わせておいた。

「ところで奥様。ちょっとウリル少将にお使いを頼みたいので門番のハンスをお借りしてもいいですか?」

 帰国する道中で認めておいた手紙とショコラの包みをもって広大な庭を突っ切るエントランスを門まで歩き、毎度居眠りをしていたハンスに手渡した。

「これをわたしの勤務先に届けて欲しいの。ショコラはあなたへのお礼よ」

「わあっ! ありがとうございます、お嬢様!」

 気のいい門番はすぐに使いに出てくれた。

 ヤヨイがシャワーを浴びて戦塵を洗い落としていると、早、門番が帰ってきたようだった。

「あの、お嬢様。クィリナリスではなくて、閣下のお宅に行って待っているようにとのことでございました」

 それを聞いてヤヨイはニヤリと笑った。

 真新しい軍服に着替え、タオの顔を覗き込んで、こう言った。

「いい? タオ。トラックでお話ししたように、これはわたしとあなたの協同作戦よ。頑張ろうね」

「うんっ!」

 それはある意味で落下傘でナイグンに降下し、橋を守り切り、アルムの下水道に潜入して友軍を助け出すよりもはるかに困難な「戦い」であった。

 ブルネットの女戦士とナイグンの少年兵は共に栗毛に跨って帝都郊外にあるスパイマスターの邸宅に向かった。


 

 陸軍の顕官であるにも拘わらず、ウリル少将の自宅は相変わらずの鄙びた佇まいを見せていた。

 クィリナリスの機関や丘の上の貴族たちの邸宅に比べればはるかに小さな平屋。噴水のあるアトリウムなど望むべくもない。石を積み上げた壁には白い漆喰が施されており、屋根は多くの平民の家と同じように板葺き。しかも所々に短い雑草さえ生えていた。

 玄関までのアプローチは短いが、石が敷き詰められた小奇麗なものだった。花壇には以前にはなかった花が植えられていた。近所の農園の温室で育てているのを譲られたのか、もしかすると閣下自ら買い求めたのだろうか。ウリル少将が手づから庭いじりをしているのを想像し、ちょっと違和感を覚えぬではなかったが。季節外れのその白い美しい花が、戦場帰りのヤヨイの心を和ませた。

「ちっちゃいうちだね」

 子供は正直である。

 木造りで鋳鉄の板を張った玄関のドアが施錠もされていないのは知っていた。

「不用心ではないですか」

 いつだったか、そう尋ねたことがあった。

「この辺りは治安もいいし、そもそも盗まれるものなど何もないからな」

 少将がそんなふうに答えていたのを思い出した。

 タオを下ろし、玄関の側の水桶の近くに栗毛を繋いだ。だが、そのドアは開けず、タオの手を引いてぐるりと家を周り裏庭に入った。玄関にあったのと同じ白い花々が咲いていた。その庭の小路をゆっくりと歩き、最も新しい石碑の前で立ち止まった。

「お墓? 誰の?」

 とタオが言った。

 その石碑には「THAO」(タオ)と刻まれ、その下にハイフンと現在の皇帝の名の付いた数字が彫られていた。それは今年を表す年号だった。

「タオ? ぼくの名前じゃん」

「今からあなたが会う閣下には、あなたと同じ名前の息子さんがいたのよ」

「・・・死んじゃったんだね」

「うん。・・・たぶんね」

 ヤヨイは黙って祈りを捧げた。傍らのタオも、それに倣った。

「帰ったのか」

 背後に馴染みの怒ったような声音がした。

 いや、怒ったような、ではないだろう。少将は確実に、怒っていた。

 事が事だけに、皇帝直属の特務機関のオフィスにチナ人の子を入れるのを憚り、わざわざ自宅に招いたのだ。

 そもそも。ウリル少将にしてみれば、出向させていた配下のエージェントが命令に反して勝手に軍事行動を起こしただけでも面目丸潰れである。しかもこれまた勝手に現地の子供を連れ帰って来て、勝手に養子縁組の後見人として名を使われたのだ。陸軍の高官であるばかりか、現職皇帝の甥である立場もある。怒り心頭に発していてもおかしくはない。

 やれやれ。

 今回のチナ戦役は偵察機を壊して叱られて始まり、勝手にチナ人の子供を連れ帰ってきて叱られて終わるのか。

「入れ」

 カーキ色の軍服に金の縁取りのある茶色い肩章の陸軍少将は不愛想に言い放った。

 玄関に回り、小さな、漆喰を塗った壁の玄関ホールを巡ると板壁のリビング。

 そこにある見たこともない茶色い大きな箱に気付いたタオは、すぐに近寄ってそれに触れた。

 しばらく彼を目で追っていた少将は、ソファーを勧めもせず、立ったまま、ヤヨイを詰問した。

「で、拾って来たというのか、この子を。勝手にわたしの名前まで出して!」

「はい」

「はい、ではない!」

 ポンッ!

 いつの間にかタオが茶色い箱の蓋を開き、ズラリと並んだ白と黒の88のキーの一つを叩いた。チナのナイグンから来た、まだ幼い少年が初めて触れる楽器であった。

「ウリル少将にご挨拶しなさい」

 ヤヨイが促すと、タオは傍に来てウリル少将を見上げ、こう言った。

「Ich name THAO. Ich bin nign」

 それだけ。

 チナ人の子は再びアップライトのピアノの傍に行き、ポン、ポン、とキーを叩いた。

 そのタオの姿を無言で見つめる閣下を見て、ヤヨイは「勝ったぞ」と思った。

 ウリル少将のタオへの興味を引くことに成功したのだ、と。


 

 事実、それからウリル少将は暇を見つけてはタオにピアノの手解きをした。

 お得意のギターも教えたが、タオが熱心に取り組んだのはピアノの方だった。ナイグンの幼い少年は帝国語の習得と同じく、まるで砂地が水を吸うようにたちまちその技量を上げ、やがて師匠をも超え、帝国中の音楽愛好家たちを唸らせるほどの上達を示すに至る。そして後に本格的に楽師、音楽家として身を立てることになるのだが、それはまた別のお話。


 


 


 

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   最終回 エピローグ そしてヤヨイは師匠の銃を手にし、北の野蛮人は故郷に帰った(後編)に続く
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