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60 黒騎士の槍と雷神の加護 そしてヤヨイは旗になった

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 11月26日 0810


 

 亜熱帯性の低木の茂る森を突き抜ける、アルムに至る街道。その森の終わる地点に重々しい地響きが近づいて来た。木々は震え枝に羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立ち獣たちはみな散り散りに逃げ出して行った。やがて振動は最高潮に達し大きなエンジンの轟音とキュルキュルというキャタピラーの音が高鳴り街道を覆う枝葉の向こうから黒い不気味な影が姿を現した。

 森の終わる手前で第一中隊は停止した。

「第三小隊七号車から九号車、一番砲から四番砲は我に続け!」

 一台のマークⅡ型に続いて同型の三両、五十ミリ砲をけん引したトラック四両が列から離れ先に森を出ていった。四台の戦車と四門の野砲を引いたトラックは街道を外れて北へ向かった。

 最後方にいた戦闘指揮車が彼らを追うようにして前に出て残りの六両の戦車の先頭に着いた。

「バンドルーだ。渡河部隊及び渡河支援隊は我に続け」

 戦闘指揮車が動き出すと残りの六両の戦車と空挺部隊「学者」大隊を乗せた全てのトラックが続いた。それらは先に出発した戦車たちとは反対へ、南へと向かった。

 戦闘指揮車の中にいたヤヨイは、細い覗き窓から西の、川の方角を見た。もちろん、敵影は見えない。写真偵察で敵が布陣していると思われる地点はわかっていた。そこから十分に離れたところを迂回しているからだ。だが風が音を運んでいるはず。それは同じく陽動作戦のために北へ向かったグデーリアン中尉指揮の第三小隊も同じだった。偵察写真に写っていた、東から来る帝国軍を迎え撃つ二千ほどの部隊の布陣を大きく迂回し、予定したポイントで戦車砲の射程よりさらに深く敵に近づき、意図的に敵に視認されるために高台から攻撃を開始する。

「敵の主力を引き付けるほどならうまいんだが、たった四両と四門ではな。今までのミン一族なら川を渡ってでも食らいついて来そうだが、本国軍はどうかな。

 いずれにしても、貴官たちが渡河を開始すれば陽動に気付いてこっちに来るだろう。それまでの間に全隊渡ってしまえればいいんだが」

 中佐の言葉に武者震いを感じてもう一度ブーツの紐を締め直した。横にいるヨハンセン中尉もまたブーツの紐を結び直していた。その手が震えていた。ヤヨイはそっと彼の手に触れた。

「大丈夫」

 実戦の経験度、成果。そして胆力。そのいずれでも士官学校主席卒業の「優等生」よりはるかにヤヨイの方が上回っている。中尉は笑った。

「ありがとう、ヤヨイ」

 ヤヨイの気遣いを察し中尉もまた彼女の手の上に手を重ね、頷いた。決死行を前にして見栄を張っても仕方がないと思っているのだろう。ソバカスは素直だった。

 やがて無線からグデーリアン中尉の声が飛び込んできた。

「こちら、第三小隊ハインツです。予定地点に到着しました」

「第三小隊、攻撃開始」

 バンドルー中佐の命令が下った。

「Jawhol! 攻撃開始します」


 

 低い丘の上に四門の五十ミリ野砲が横一線に並び、その両翼に二両ずつマークⅡ型が配置に着いた。マークⅡ型のハッチの上に登り双眼鏡を構えたグデーリアン中尉がマイクに向かって攻撃目標を伝達した。

「目標、対岸の敵陣地。弾種榴散弾。時限信管5秒にセット」

 各砲と七号車から九号車の車長が手を振り準備よしの合図を寄越した。

「各個に攻撃開始! ファイエル(撃て)!」

 横一線に並んだ戦車と野砲、八門の五十ミリ砲が一斉に砲撃を開始した。


 

 ズドドォーンッ!・・・。

 腹に響く砲声が移動中のトラックの兵たちや戦闘指揮車の中のヨハンセンやヤヨイにまで聞こえた。

「始まったな」

「始まったわね」

 グレイ曹長が、フリッツ・ローゼン上等兵が、リーズルが、荒れ地を走るそれぞれの揺れるトラックの上で、同乗している兵たちの顔を見回した。フォルカーが、ビアンカが、ヴォルフガングが、クリスティーナが、グレタもカールもミシェルも、他の兵たちも皆気合の籠った貌で見返して来た。

 間断なく続く砲声を聞きつつ、やがて渡河隊のトラックも予定した地点に着いた。

「総員、下車。ボート準備っ!」

 川の土手や亜熱帯性の低い雑木が茂っている低い丘の連なりの陰で敵影はまだ見えない。が、土手の向こうはもう敵陣から丸見えのはず。兵たちは折り畳み式のボートを下ろして分隊ごとに並べその場で組み立てを始めた。そのボートというのが、

「マジ? これがボートかよ」

 ヤンチャなフォルカーが思わず吐いた言葉が多くの兵たちの感想を代弁していた。

 ボートとは名ばかりで、ボートの形をした板切れの周りに防水処置を施されて折りたたまれたカンヴァスが張られているだけのもの。蛇腹のようになったカンヴァスを引き延ばすと船腹になり内側に骨を立てて固定するだけという簡素極まりないものだった。

「時間が無くてそんなもんしか用意できなかったんだと。無いよりはマシって程度だが」

 ゼーバッハ少尉と共に工兵隊にボートの借り受けに行った「詐欺師」の兵が教えてくれた。

「・・・ま、仕方がない。みんな、かかるぞ!」

 グレイ曹長が、他の下士官たちが声をかけた。フリッツも、リーズルもまた気をとりなして手近のボートに取り掛かった。兵たちはそのハリボテのようなボートを80艘、「学者」用に40と残りは救出した「大工」用のを組み立て始めた。

 友軍を、仲間を援けねば! 

 勢い込んでアルムへは来てみたものの、敵を間近にし、こんな粗末なボートで敵前渡河を果たさねばならないというみじめさ、心細さが兵たちの心に芽生え始めていた。


 

 ヤヨイは戦闘指揮車の上にいた。

 仁王立ちになり第三中隊の砲声が聞こえる方角に目を凝らしていた。

 双眼鏡をぶら下げてはいた。だがヤヨイたち渡河隊がいるのは橋の西約10キロほどの南岸。土手のさらに南のなだらかな丘陵地帯の中だった。橋も、北岸で橋を包囲する敵影も、ましてや街道を挟んで北で戦端を開いた第三中隊も見えない。

 周囲を取り囲んだ丘のいくつか。敵との間にある丘の上にニ三名ずつ、通信兵を伴った見張りを立てていた。敵情に変化があればすぐに知らせてくれることになっていた。だからヤヨイがやっているのは見張りではない。

 彼女の後ろには渡河支援の戦車とトラックに引かれた野砲たちが待機していた。そして左手には夥しい渡河用のボートを組み立てている「学者」大隊300名の兵たちがいる。

 丘の上の見張りもボートを組み立てている兵も、時折戦闘指揮車の上のヤヨイに視線を送って来る。

 作戦は綿密に練った。知りうる限りの敵情は掴んでいる。あとは、やるだけだった。グデーリアン中尉の第三小隊に敵の主力が引きつけられ、敵が動き出すのを待っているのだ。だが、この待ち時間がヤヨイに重く厳しく、のしかかっていた。

「おお! ヴァインライヒ少尉ではないか。ナイグンはよかったな。でかしたぞ、少尉!」

 ナイグンを出発してすぐ、ヤヨイは「大工」に連絡を取った。

 敵に包囲されて孤立無援にもかかわらず無線で繋がったハーベ少佐の声は殊の外元気だった。だが現在までの戦況を伝え、これから「大工」大隊の救出作戦を行う旨を話すと、少佐は声を落とした。

「そうか・・・。ということは、戦術目標はもはや達成できないということだな。端的に言えば、負けたわけだ」

 彼らを救出するはずの機甲部隊が来ないのを知ってなお、少佐は当初の作戦の成否を気にしていた。

「まあ、いくさだから仕方がない。負けは負けとして、素直に受け入れよう。

 だが、戦術的には負けたが、戦略としては目的を果たすわけだ。我らの籠城も無駄ではなかった」

 なんというポジティヴシンキング。これこそが真の軍人、指揮官の鏡だと思った。こんな人と彼についている部下たち、空挺部隊の仲間たちを死なせるわけには行かない。

「わかった。そうと決まったら撤退あるのみだな。作戦を聞かせてくれ」

 

 誰の命令でもない。自らの意志で行動を起こすことに、今更ながらに怖さを覚えていた。

 橋という拠点を守る。ただ襲い来る敵を蹴散らす。そのような明確な目的があった時はよかった。だが今からヤヨイたちがやろうとしていることは違う。こちらが積極的に敵に向かっていく。兵たちを指揮し、兵たちをして敵に向かわせ、ぶつけねばならない。そして空挺部隊の仲間たちを救い出さねばならない。自分の下す判断で兵の命が左右される、その度合いが純粋な防衛戦とは全く違う。拠点という拠り所に籠っていた時とは段違いの困難がそこにあった。明確な命令をただ実行するだけ。たった一人の戦いの時には感じなかった不安、感じなかった迷い、逡巡、動揺。そんなものに囚われているのを悟られたくない。

 戦闘指揮車の中、そんな思いを抱えながら、通信機から流れてくる第三小隊の戦闘の模様に耳を傾けていた。すると、あの暗闇の向こうからやって来る青白い光のイメージが現れた。

 少尉だ。

 横で同じくラジオに耳を傾けているバンドルー中佐やヨハンセン中尉に悟られたくなくて、

「ちょっと失礼します」

 車の外に出たのだった。

 あのナイグンの橋の防衛戦。橋の北側の前哨陣地構築戦で「マルス」を突撃させた際に呼びかけてきてくれた内なるレオン少尉の声。その声に縋りたくなっている自分がいた。彼女の声は電波みたいなものかもしれないと思っていた。だから、よりクリアに受信するためにも外にいた方がいい、と。

 心の中で彼女に、レオン少尉に呼びかける。

 レオン少尉! どうすればいいですか。わたしは、とても、怖いのです。

 心を虚しくし、青白い光のイメージに耳を澄ませた。

(呼んだか?)

 レオン少尉の声が聞こえた、ような気がした。

「少尉! レオン少尉ですね?」

 思わず空を見上げ、彼女の姿を探してしまう。

「どこです? どこにいるんです、少尉!」

(不安を感じるのは、お前が指揮官として成長した証だ。部下が愛しければ愛しいほど不安が募るものだ。それが一人前の指揮官というものなのだ。だが何度も言うようだが案ずることはないのだ、ヤヨイ。

 兵を頼れと教えたではないか。ここまで来たら、お前はただ、旗としてそこにいればいいだけだ。それ以外何もする必要はない。

 今、お前は旗になっているではないか。いにしえのローマ。ガリア戦役のアレシア攻防戦。あの神君カエサルはどうしたか思い出せ。彼のように、櫓の上で風に赤いマントを靡かせていた総司令官に、お前はもう、なっているではないか。

 兵たちを見るがいい」

 ボートの準備をしている「学者」たちに目を転じる。

「兵たちはお前を見ている。

 皆お前と同じ、不安を感じているのだ。敵の目の前で川を渡る。渡河中は全くの無防備になる。極めて危険な状況を目前にして、怖じ気が芽生えても当然だ。だからお前の姿を見て安心したいのだ。

 お前はただそこに立っていればいい。そしていざ突撃となれば先頭に立てばいい。それだけだ。他には何もいらない。兵たちを信じ、頼り、旗になればいいのだ)

 旗になれ、ヤヨイ!

 ヤヨイはヘルメットを後ろに跳ね上げ、ブルネットを風に靡かせた。電波の専門家でもなく、カラテの技を駆使するのでもない。これが今自分の為すべき戦闘なのだ。

 これでいいでしょうか、少尉・・・。


 

 すぐ傍に待機する戦車の列には戦車兵たちが群がり作戦前の点検に当たっていた。その先、戦車たちの列の向こうに停まっていた戦闘指揮車の上のハッチが開き、中からヘルメット姿の人影が出てきた。出てくるなり大きく脚を開いて両手を腰に当て、北の空の彼方を見上げているように見えた。

 フリッツが、傍らのグライダーパイロットミシェルの肩を指で叩いた。

「おい。あれ、小隊長じゃね? 」

「うん。少尉だ。何してんだろ。あんなとこに立って」

「見張り、じゃないよな。でも・・・」

「カッコイイ・・・」

 ミシェルは立ち上がって呟いた。風に靡くブルネットが、まるでライオンの鬣のように雄々しく、煌めいて見えた。その姿を見ているだけで、自然に闘志が湧いてくる。神々しい。そんな言葉が、よく似あった。

「うん、そうだ。カッコイイ。まるで、教科書に出て来た神君カエサルみたいだな」

「そうよ。『軍神マルス』かも」

「みんな! 手を止めて見てみろ!」

 フリッツは、ヴォルフガングやクリスティーナ、カールやビアンカやフォルカーたち「マルス」の面々に声をかけ、ヤヨイのほうを指さした。

「みんな! オレたちの旗印。『軍神マルスの娘』だ!」

 ガヤガヤしながら作業をしていた兵たちが一斉に静かになった。「マルス」だけではなく「詐欺師」が、「でぶ」が、「覗き魔」が、「鍛冶屋」が、「道化師」が・・・。粗末な組み立て式ボートの準備をしていた「学者」大隊全員がその姿を見た。

「ヴァインライヒ少尉!」

 ハッチの下からバンドルー中佐の声が呼ばわった。

「第三小隊のハインツから連絡だ。いよいよだぞ」

「軍神マルスの娘」はゆっくりと振り向き、頷いた。バンドルーには束の間席を外したブルネットの「アイゼネス・クロイツ」に何かが憑りついているように見えた。

「わかりました、中佐。行きましょう!」

 ヤヨイの碧眼が妖しく光った。
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