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48 アイホー陥落

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 午前十時三十分。

 工兵隊から架橋作業完了の報告が入った。

「OK, Komm schon, Heinz. Lass uns gehen!(では行くぞ、ハインツ!)」

 バンドルー中佐は先頭の第一中隊長グデーリアン中尉に命じた。

「Roger, Jawohl! 何が何でも敵陣をブチ抜きます!」

「『黒騎士』戦車大隊、出撃!」

 燃料満タンの数十両の戦車はエンジンのトルクをあげて動き出した。キャタピラーが鳴る。街道のそこここに残る水溜りの泥が勢いよく跳ねあがる。

 次々と轟音を立てて西へ向かってゆく戦車を見送る兵たちの中に工兵隊のシュミット中佐の姿もあった。

「よ~し! お前ら、オレの橋を使う以上は必ず勝って来い。敵陣を抜くまで国へは帰さねえぞっ!」

 川の東岸にスラリと並べられた野砲の援護射撃が一層激しさを増す中、第一中隊の最先頭マークⅠ型が緩やかな土手を超えて河原に躍り出た。二両目三両目と戦車は続いた。そこに今まで沈黙していた敵弾が、落ちた。

 ヒュルルル、ドーン、ドーンッ!

 それは一両目に集中して降って来た。命中弾もあった。戦車内部の兵は装甲を叩く徹甲弾の爆発で耳がおかしくなりそうなのを堪え、耐えた。マークⅠ型の強靭な装甲は命中弾を全弾跳ね返した。

「怯むなっ、前に進め!」

 バンドルーの戦闘指揮車も第一中隊と共に河原に降りた。

 やはり敵弾は戦車だけを狙い撃ちにして橋を狙わなかった。それは先頭が仮設橋に乗っても変わらず、第一両目が数十門の野砲に袋叩きになっても同じで、たまに橋にも落ちたがそれは流れ弾か跳弾だった。

 やがて先頭のマークⅠ型が右のキャタピラーをやられ右に大きく旋回して橋から落ち、大きな水飛沫をあげて川の中に片側を突っ込んで停止した。が二両目はなんと橋を斜めに塞いだ一両目を押し出すようにして川に落として退け、前進を止めなかった。

 それはバンドルーの指示だった。

「もし一両目が橋を塞いだら二両目は前のを押し出して進め。二両目が止まったら三両目が押し出せ。絶対に止まるな。川を渡り切るまで走れる限り走るのだ!」

 それはあまりにも非情な命令だった。

 だがその結果敵の目標が二両目に変わった。一両目は横倒しになり半分以上水没しエンジンに水が入って使い物にならなくなったが乗員は全員脱出した。

 もちろん、敵トーチカに対する援護射撃はより集中して行われた。前回は広範囲に分散していた砲列を仮設橋の周囲に集中させた。しかも一門当たり単位時間当たりの発射回数は薬莢を使用しない敵に比べ四倍から五倍はある。仮に砲門の数は同じでも帝国側は敵の四五倍の火力をもって集中していることになる。さらに距離が近くなった分有効弾が増え始めた。それでようやく戦車を狙う敵のトーチカの勢いが衰えを見せ始めた。

 二両目は中の島まで到達したが、そこでやはり前面より弱い側方に攻撃を集中されてさしもの装甲に穴が開いた。燃料に引火して二両目は爆発し、乗員も誰一人脱出できなかった。その横を轟音を立てて三両目四両目が続き、第一中隊のグデーリアン中尉のマークⅡ型も通過した。

「横を見るなっ! 前だけ見てとにかく渡ることに集中しろッ! 彼らの死を無駄にするなっ!」

 中尉は散華した部下に心の中で敬礼し、自らの部隊を渡河させることだけに集中した。

 そして三両目がやっと対岸に渡った。東岸の友軍からは大きな歓声が上がった。

「渡った! 『猟犬』がアイホーを渡り切ったぞ!」

 しがし、その直後、三両目は敵のトーチカから飛び出した敵兵の肉弾攻撃を受けて車体に油脂を撒かれ火を点けられて視界を奪われた。炎上する戦車は戦列を離れ四両目に先頭を譲った。そして車長の冷静な判断で反転し川の中に入って消火に勤めた。

 バンドルーはそれを見て一計を案じ機械化歩兵を皆トラックから下ろして二十両目以降の戦車の車体の上に載せた。敵の歩兵の肉弾攻撃に対抗するためである。戦車というものはその性質上敵の戦車や構造物には強いが、歩兵の肉弾攻撃には脆弱なのだった。

 四両目がトーチカに砲弾を叩きこみながらスピードを落とすことなく緩い丘の上を登り始めたとき、

「四号車は速度を落として後続の五号六号車を待ち、横一線にて丘を登れ。歩兵の近接を避けるのだっ!」

 そうすれば、仮に外側の車両がやられても中央の一両は残る。

 バンドルーはどんな犠牲を払ってもこの目の前のトーチカの丘を制覇するつもりだった。

 機甲部隊が死に物狂いで橋を渡っている間に橋の両翼、北と南に展開していた歩兵師団も大挙して徒歩で河を渡り始めた。

「連隊—ぃ、前進!」

 総勢一万五千に上る歩兵の大部隊がワーッという気勢をあげて川の中に突撃していった。

 この渡河は全体として上手く行った。

 すでに敵の砲撃が悉く戦車に集中していて希薄になっていたからである。後になって敵の砲が何門か歩兵を指向してきたが時すでに遅く、北と南で最初の歩兵が川を渡り切って丘を駆けあがりトーチカの死角から迫った。そして一個一個手投げ弾を投げ込んで潰し、無力化していった。

 こうなると、あれほどに頑強に抵抗していた敵の反撃も急速に衰えていった。

 そして四号車を先頭にして楔形のフォーメーションを組んだ三両が勢いよく砂塵と泥を巻き上げながら丘を登り切った。

 グデーリアン中尉はマイクを取った。

「第一中隊は敵トーチカ群の頂上に達した。これより敵陣背後に回り包囲殲滅にかかる」

 その一報が入ったフロックス少将の司令部は歓喜に包まれた。

「やった! ついにやったぞ!」

「敵のトーチカ群を制圧した!」

 幕僚たちの歓声の傍で、騎兵として作戦に従事しその後司令部に戻っていたグールドも肩に重くのしかかっていた荷のわずかの部分をここで下ろし一息ついた。

 そして、連絡将校として同じく司令部にいたリヨンもまた胸を熱くしていた。

 これでやっとあと一駅。

 あと一駅でヤヨイにまみえることが出来る。


 


 

「猟犬」第一中隊四号車が丘の頂上に到達した時。

 クオはまだ生きていたトーチカの一つにいた。だがやおら立ち上がると、

「ウーは何番のトーチカにいるか」

 と言った。

「十五番ですが」

「悪いが見に行ってくれんか。そしてもしまだ生きていたら掩体壕に連れて来てくれ。早馬の用意をして来いと伝えてくれ」

 そう言い残し、トーチカを後にして帝国の砲弾の雨の中をゆっくりと歩き、司令部として使っていた丘の掩体壕の中に入って行った。

 掩体壕には誰もいなかった。対岸からの激しい砲撃の衝撃で落ちたのだろう。足元に転がっていたカンテラを拾いまだ少し菜種油が残っていたので火を点けた。壕の中は半ば崩れていたが辛うじて卓とその上の硯箱だけは無事だった。引き出しから紙を出し、立ったまま筆をとった。

 そこへ呼びにやったウーが来た。

「ウー。生きていたか。馬は?」

「何頭か残っていました」

 ウーは答えた。

「よし」

 クオは墨を乾かすと紙を折りたたみウーに差し出した。

「ウー。お前はこれからミンの里に行きマー様にこれを届けてくれ。必ずマー様に手渡しするのだ。余計なことは一切喋るな。我のことを訊かれたら『お先に参ります、と言っていました』とだけ伝えるのだ」

 ウーはベテラン兵の中でも少しばかり頭の回転が鈍い男であった。その代わり言われたことは忠実に守る。クオは大事な伝書使の用事があるとしばしばこの男を使った。気は利かないが誠意だけは人一倍厚い男なのだ。

「わかりました」

「いままで有難うな、ウー」

 気は利かなくてもその一言でウーにはわかった。主人は、死ぬつもりなのだ、と。長年彼に仕えて、初めて感謝の言葉を彼から聞いた。

 誠実な瞳をギュッと閉じたウーの肩を叩いて、クオは言った。

「もう、行け。さもなくば帝国軍に包囲され出られなくなる」

「わかりました、では参ります」

 クオは無言で頷き、ウーが壕を出て行くのを見届けると自分も壕を出た。そして再びトーチカのある丘の方に向かって歩いた。

 ウーに持たせた家老のマー宛ての手紙にはレイについての消息を書いた。

 レイは北の山に落ち延びさせた。全てが終われば帝国に下るよう託した、と。

 これでマーには意味が伝わるはずだった。御屋形様亡きあともミンの血は残ると。クオは暗にマーにミン一族の最後を託したのだった。

 クオの胸の内は晴れ晴れとしていた。その彼の耳に帝国の戦車の響きが伝わって来た。

「・・・来たな」

 次第に大きくなる戦車の轟音。クオは細い枯れ枝一本を手にして、その戦車の轟音のする方へと歩みを変えた。そして歩きながら愛しい女の面影を思い描いた。これから最期の激戦を迎えるにあたり、彼の心は幸福と平穏の中にあった。

「レイ・・・」

 彼の瞳は迫りくる帝国の戦車の向こう、その彼方を見つめていた。

 

 午後十二時四十分。

 戦車の先陣の二十数両が敵中を突破して敵の陣営地の背後に回った。中央突破背面展開だ。そして側方火器や敵の歩兵の肉薄への対応で機械化歩兵を随伴した残りの数十両が生き残ったトーチカを粉砕しながらこれも左右に展開した。こうしてもっとも頑強に抵抗した敵トーチカ群は完全に帝国軍機甲部隊の包囲に陥った。その北と南の敵陣も渡河した歩兵師団が制圧を完了していた。敵の残存兵力はもう千どころか500を大きく切っているはずだ。

 ここでフロックス少将は敵に降伏を促すことにした。

 その旨を包囲陣にいるバンドルーに伝えてきたのだったが、彼はここで初めて上官の命令に逆らう指示を下した。

「全車に告ぐ! これから敵陣に降伏を促すが、自棄になった敵が『カミカゼ』を仕掛けて来る可能性に備え小銃の射程距離外に出よ。同時に命令あり次第一斉攻撃をかけられるよう準備せよ!」

 今まで最前線でミン一族と死闘を演じてきたバンドルーは、フロックスの「騎士道精神」が通用しない相手であることを見切っていた。オリエントにはオリエントの「滅びの美学」があるのだ。それはオリエント(東方)がオチデント(西方)に変わっても同じだった。それに付き合う義理はバンドルーと部下たちにはないのだ。兵たちはみな、生きるためにいくさをしているのだから。

 チナ語の話せる者が拡声器で降伏を促した。

「貴軍は完全に我が軍の包囲下にある。速やかに武器を捨てて両手を挙げ降伏せよ!」

 そしてバンドルーはマイクに怒鳴った。

「敵兵が見えてもまだ撃つな!」

 果たして敵兵はわずかになったトーチカから出てきた。が両手は上げず、兵は皆小銃を構え、導火線に火のついた爆薬を手にしていた。それを見たバンドルーは直ちに命令を下した。

「全車、射撃開始! 敵兵を近付けるな!」

 敵陣に回り込んだ西から、東から、敵の陣地を制圧した北と南から、戦車の五十ミリ砲とグラナトヴェルファーと機銃の一斉射撃が行われた。

 敵の最後のトーチカの周りは激しい爆発の坩堝(るつぼ)と化した。友軍の砲撃もさることながら、敵兵が皆身体に爆薬を巻き付けていてその誘爆が激しかったからだ。地に伏せて爆圧を避けていた歩兵はもちろんのこと、厚い装甲の中の戦車兵も凄まじい爆音で一時耳がおかしくなりそうなほどだった。

「全車、砲撃中止! 」

 激しい砲撃が止んだ。爆発の余韻が消えた後に、アイホーの川のせせらぎが戻った。

 バンドルーの直感は正しかった。

 焦土と化した敵陣の検分にあたった者は敵兵の死体が悉く四散しているのを見て皆胃の中のものを戻していた。だが、ただ一人だけ五体が全て保全されて横臥している遺体があった。軍帯も何も着けておらず、手にはしっかりと枯れ枝が握られ、その死に顔は話に聞く仏のように穏やかだったという。

 敵兵が一人残らず戦死していたために、この穏やかな死に顔の主が誰なのかを伝える者はいなかった。

 彼らミン一族はチナ本国とは一線を隔し、決して卑怯な手段は取らず最後の一兵まで勇猛に戦った。機甲部隊が西に向かって先を急いで去った後、アイホーの戦死者は皆第三軍の歩兵部隊によって手篤く葬られた。今「マーケット・ガーデン」作戦で最大の激戦地となったアイホーの丘は、戦後帝国の人々からその奮戦を称えられ「ミンの丘」と呼ばれるようになった。


 

 アイホー攻防戦

 両軍の損害

 帝国側 将兵戦死者 1253名。 負傷者2504名。

     戦車5両大破。

 ミン側 将兵戦死者 14741名。負傷者24名。

     トーチカ87基全滅。
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