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07 ヤヨイ、空挺部隊に貸し出される

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 閨で二人の妻を悦ばせた後もヤーノフの心は晴れなかった。

 南から襲って来た帝国軍は何故か途中で進撃を止め、国境の川向うに引き上げてしまったらしい。一度は村を捨て一族上げて着の身着のままで逃げ出したヤーノフだったが、砲声が止んで村に戻ってみれば逃げ出した時のまま焼き討ちもされずにそっくりそのままだったのに不思議な気持ちがした。

 帝国軍は俺たちを殺しもせず村も襲わず冬ごもりのための食も奪わなかった。家畜たちまで何事もなかったように草を食んでいた。

 一体何故なのだろう。

 考えれば考えるほど、彼の思考は堂々巡りの螺旋を描き無限に地の底を彷徨うのだった。

「北の野蛮人」

 それが帝国が自分たちを呼ぶときの呼称らしい。失礼千万な話であるが、部族同士仲が悪く始終小競り合いばかりしている。捕虜にした者の皮を剥いで鞣し、村の入り口に生首を晒して威勢を誇っている。そんなやり方が、帝国からは野蛮に映るのだと。だからそう言われるのだろうことは、なんとなくわかるようになっていた。

 ヤーノフはまだ若かった。

 15の歳に父から族長の職を譲られた。以来他の一族と何度か干戈を交え、その度に捕虜を得たり奪われたりを繰り返して来た。

 帝国の領土にも二度押し入った。敵の十倍以上の人数で攻め入った。だが、その度に撃退されて逃げ帰った。彼らの武器や戦術は圧倒的だった。あの「テッポー」がある限り、たとえ二十倍の軍勢を率いていっても同じことだろう。もし仮に「テッポー」を奪うことができても、我々にはそこから飛び出す弾を作ることが出来ない。

 ヤーノフは若いだけでなく、好奇心が強く、物事を深く見る目を持っていた。

 家督を譲られるときに父は言った。

「今まで我らは同胞同士競い合い、殺し合いを繰り返して来た。だがこれからは違う生き方を探さねばならなくなるかもしれん。私の代ではそれは果たせなかった。だから、若いお前に後を託すことにした。若ければ、今までのしがらみや思い込みや猜疑とは違う目を持ち、違う道を探すことが出来るやもしれん。そこにわが一族の繁栄の道があるやもしれんからだ」

 父の骸を葬ってから何度も反芻してきたその言葉を、再び思い出した。

 これから冬に向かう。いくさには不向きな季節だ。川が凍り帝国軍が襲って来やすくなるのを警戒してどの部族も身を固める。中にはより北に移動を始める部族もある。いくさをしている場合ではないのだった。

 周りの部族が襲ってきたとき族長が不在なのはマズいが、周辺の仲の悪い部族の気が逃げ支度に向いている今が、チャンスかもしれない。

 思案の挙句、隣のクラスノ族を訪れることにした。

「もし、お前が今を、未来を変えようと思うなら、誰かの知恵を借りることだ。クラスノ族にはテレシコフという長老がいる。今年七十ほどになる、我々の民族では最も長命な物知りだ。クラスノ族はわが一族とは親しい。

 ヤーノフ。お前は賢い。私は族長としての尊厳が邪魔をして果たせなかったが、お前ならもしかするとできるやもしれぬ。もしお前がその時だと判断をしたなら、彼の知恵を頼るがいい」

 父が死んでもう十年になる。もしテレシコフが生きていれば八十は超えているはずだ。死んでいればそれまで。だが生きているなら、会ってみたい。

 ヤーノフの二番目の子ボリスは今年十一になる男子だった。来年は初陣を迎える。

 そのボリスを呼び、使いを託すことにした。

「ボリス。クラスノ族に使いしてくれぬか。『シビル族の族長がテレシコフに会いたいと言っている』と」

 急な使いを託され、緊張のあまり泣き出しそうな長男の腕を掴み、励ました。

「泣くでない、ボリス。未来の族長がこれしきのことで泣いてどうする。行ってつぶさに他の一族の姿を目にするのも大切なことだ。それにクラスノ族には美人が多いと聞く。もし未来のお前の嫁がクラスノ族の出でも、オレは構わんぞ」

 父の冗談が通じたのか、ボリスは泣くのを止めて笑った。そして、息子は立ち上がった。

「では父上。行ってきます!」

 まだ十一の族長の息子は、ヤーノフや息子の身を案ずる二人の母親に見送られ、東の地に向かって馬を駆った。


 


 


 


 

 ヤヨイは首都郊外の東に駐屯している近衛第一軍団の司令部を訪れた。

 最初に配属された偵察部隊と違い、野戦部隊の、しかも度々皇帝の閲兵を受けることもある近衛軍団は敬礼が喧しかった。

 馬を預けようと厩に行けば、

「少尉殿、ようこそ近衛軍団へ!」

 どの建物が司令部なのかわからずにその辺にいる兵に尋ねれば、

「アヴェ、カエザル! よろしければ小官がご案内いたします!」

 その度に答礼するのはいささか面倒だった。

 きっとまたこれのせいだろう。ヤヨイは胸の黒い月桂樹の葉を見下ろした。首都防衛が任務の近衛だけに、元老院での勲章授与のニュースの浸透度合いも濃かったのだろう。

 案内してくれた兵長は司令部正面入り口そばのドアを開け、頼みもしないのに、

「鉄十字章受章のヴァインライヒ少尉をお連れしましたっ!」

 大声で宣伝してくれた。

 おかげで司令部の事務を扱うその部局の士官下士官の視線が一斉に自分に集まってしまった。困った。もちろん、下士官たちは一斉に、

「アヴェ、カエザル!」

 とやりだし、答礼を余儀なくされたし、上官たちもぞろぞろ集まってきて、

「貴官が『ヤヨイ・ヴァインライヒ』か」が始まってしまった。

 珍獣でもやってきたかのような無遠慮な視線を注がれまくった。彼らも仕事中だから、あの会議での閣下方みたいに握手を求められなかっただけ、良かったかもしれない。

「あのう・・・。第一落下傘連隊のグールド大佐にお目にかかりたいのですが」

 一連の無遠慮なジロジロ攻撃が止んだところでやっと用件を切り出した。

「はあ? 第一落下傘連隊だって?」

 近衛第一軍団事務局の少佐は目をテンにしてヤヨイに問い返した。


 

 結果的にヤヨイは、無人の荒野を突っ切る街道をさらに東へ向かわねばならなかった。

「第一落下傘連隊はまだ設立されたばかりで陣営地が無い。今グールド大佐は兵の訓練のためこの東にある山岳地帯におられる」

 やっと事情を知っていた軍団総務の長であるらしい中佐から粗末な地図を渡された。それだけだった。

「なんだろ、これ。帝国は本当にチナと戦争する気があるのかしら」

 道のりは遠いらしい。

 馬に負担をかけるまでもない。一面茶色の不毛の地。低い丘陵が連なり、所々にサボテンが自生するだけの荒野の只中をまっすぐに東に延びる街道を並足で歩かせた。

「どこかに川でも流れていればいいんだけどな・・」

 幸いにも夏ではなかったから日照りは気にならなかった。時折荒野を吹きすさぶ風が心地よかった。

 馬の首を撫でながら、騎乗で近衛軍団から渡された地図を眺めつつ進んでいると、背後にギャロップでやって来る蹄の音が聞こえてきた。

 なんだろう。早馬の伝令だろうか。

 馬の首を巡らせて道端に退くと、遠くに砂塵が立ち、それを背にして単騎のカーキ色の騎手が遠望できた。

 東の国境を守る軍団への早馬か。汽車で行った方が早いのにな。

 そんなことを考えていると見る見るうちにカーキ色の馬上の兵は大きくなった。彼は兵ではなく、金の樫の葉を着けた、大尉だった。

 どこの所属かわからない。とりあえず馬を降りて敬礼した。

「やあ! もしかして貴官も落下傘組か?」

 その黒髪の大尉はバカみたいに明るい声で馬上のまま答礼した。

「はい。グールド大佐の宿営地に向かうところであります」

「・・・もしかして、貴官はあの、ミカサの英雄か?」

 ヤヨイの胸のアイゼネス・クロイツ、鉄十字章の略章に彼の目が留まった。

 いやいや。ここでもか・・・。

「あ、はい、いや、その・・・、はい」

「なんと! 幸先いいぞ、こりゃあ! うわはっはっは」

 大尉は空気をかっ喰らうようにして笑い、握手を求めてきた。

 あの『御前会議』で会ったグールド大佐は「オレはバカを集めている」と言っていた。その言葉が頷けるような人だなあ、と思った。

 全速力でやって来たくせに、大尉はヤヨイと馬首を並べて馬を歩かせた。

「オレはカーツ。東の第九軍団にいたんだ。だが東には戦争がない。留守番なんてと腐っていたら、グールド大佐の『求人広告』を見たのだ」

「そんな広告があったのですか?」

「全軍団に出されたと聞いた。『怖いもの知らずのバカ求む』と」

 なんだ、それ。そんなのアリなのか・・・。

「詳しいことは書いてなかった。だが状況から見て西部戦線に関わることだろうし、なんだかわからんが留守番より面白そうだと。それで、上官に上申して応募の手紙を書いたら、『すぐに来い』と。東の国境から馬を飛ばして来たら地図を渡された。それでまた東に逆戻りというわけなのさ」

 軽薄そうではあるが、頭がワルいようには見えない。士官だから士官学校は出ているのだ。全軍に出された『求人広告』のことは知らなかったが、時節柄『空挺部隊員求む』とは書けなかったからだろう。それに、軍の人事を通している時間もない。このカーツ大尉は知らないだろうが、ヤヨイは『御前会議』に出たからいくさが近いことを知っていた。それにヤン議員とも会っていた。「ミカサ」の後、チナの諜報網もほぼ壊滅したし、すでに国境は閉ざされている。大ぴらに『リクルート』キャンペーンを展開しても支障はないのだろう。

 しかし、『怖いもの知らずのバカ』とは・・・。

 よくよく考えれば、自分にピッタリの形容であることを認めざるを得なかった。

 ウリル少将の言うがままに特務機関にリクルートされ、陸軍で最も過酷な偵察部隊に潜入して帝国に対して反乱を企む士官を抹殺し、さらには海軍の最新鋭戦艦を強奪しようと乗り込んできた敵国の二個小隊をたった一人で排除し戦艦を奪還した。

 それらを思い出すと今でも鳥肌が立つ。だが、すべてヤヨイの戦果だった。

『怖いもの知らずのバカ』でなくてなんだろう。

 ウリル少将は言った。

「落下傘部隊とは、敵の真っ只中にパラシュートで降下して新たな戦線を作り、敵をして混乱せしめる奇襲部隊だ。もちろん、最悪の場合は全滅することもある。高いところが好きで怖いもの知らずのバカにしか務まらない、危険な任務だ。

 お前は高いところが好きらしいし、敵がウヨウヨしている戦艦にたった一人で乗り込んで皆殺しにできる猛者だ。適任だと思ったのでな」

 まったく、あっさり言ってくれるもんだと思った。

 馬の背に揺られながら、胸の茶色い樫の葉と黒い月桂樹の葉を見下ろした。

「だが、さっきのオレの言葉は本当だぞ。こんなところで貴官と巡り会うとは思わなかった。オレは今、猛烈にカンドーしているんだ!」

 満面の笑みを浮かべるカーツ大尉のピュアな瞳に、正真正銘の「バカ」を見た。自身「バカ」であるヤヨイは相通じるものを感じて親近感がわき心を和ませた。

「ありがとうございます、大尉。・・・光栄です」

 騎行半日。時折水場を見つけ馬を休ませながら行くと彼方の平原のど真ん中に切り立った山が見えてきた。馬上、地図を矯めつ眇めつしていたカーツ大尉は、

「どうも、アレのようだな」と言った。

 その山は異様な形をしていた。

 まるで地の底から平原を突き破って天に向かって伸びる剣のように、切り立って聳えていた。標高は優に千メートルは超えるだろう。「異様」とも、「スピリチュアル」とも言えるような、そんな山だった。

「ほお・・・。これは興味深いな。帝国のど真ん中にこんな地形があったとは・・・」

 地形、という言葉に感じるものがあった。

「どのようにして形成されたのか興味をそそられるな」

「大尉は地形にお詳しいんですか?」

 馬を進めながら尋ねてみた。

「うむ。詳しいというほどではないが、もし軍隊に入らなかったら地質の研究をしてみたかった」

 やむを得ず軍人になったとも聞こえる返事を、彼はした。貧困な生まれの平民か、それとも慣例で必ず軍人にならねばならない貴族か・・・。

「あれはきっと、溶岩ドームか、それとも地層の隆起によって変形した固い地盤が露出したかのどちらかだろうな。だがな、ポールシフトで隆起したならたかだか千年ほどのオーダーでは浸食しない。とすると、やはり溶岩ドームかな。花崗岩か、玄武岩か。地質を調べればわかるな。地層に貝の化石のある無しでも・・・」

「溶岩とは溶けた岩が火山から流れ出すものだと聞きました」

「中にはな。そういうのもある。だがこれは粘性の高い溶岩だろう。旧文明の残した資料を見ると、ひと月ほどのオーダーで200メートル以上もの高さに隆起した記録もあるのだ。この丸い青い球は生きている。我々の足元の下にはまだまだ我々の知らないことがたくさんあるのだ」

 そう言ってカーツ大尉はまるで子供のように好奇心を剥き出しにして目の前の高い山に目を細めた。ヤヨイと同じでバカかもしれないが、やはり頭のいい人だと思った。

 と、その高い剣の山の頂上付近から、小さな白いタンポポの綿毛のようなものがポッと開いてスーッと落ちていくのが遠望できた。その綿毛は次から次に開いては落ちて行く。

 それでヤヨイにも合点がいった。

「どうやら間違いないようですね、大尉。あれが集合場所のようです」


 

 カーツ大尉とヤヨイは、その山の麓にあったバラックの連なりの前に来ると馬をとめた。連隊というにはあまりにもみすぼらしいところで、どんな小さな部隊でも律儀に構築する宿営地のマニュアルなどは無視しているようだった。木の柵さえなく、歩哨もいなかった。

 厩があり十数頭の栗毛が並んでいて、馬の世話をしている厩係らしい兵に尋ねた。

「ヴァインライヒ少尉です。第一落下傘連隊はここですか?」

「そうであります。少尉殿!」

 その一等兵は驚いた風もなく敬礼をした。

「他の士官の方々がすでにお着きになっています。皆さん、その一番手前の小屋にお集まりです」

 彼に馬を預け、背嚢を背負って教えられた粗末な小屋に入った。

 すでに二十名ほどはいただろうか。士官たちの先任か最上級者を探すと茶の月桂樹を着けた少佐がいた。目が合うと彼の方から声をかけてきた。

「よう! はるばるご苦労さん。荷物はそこな。とりあえず寛げや」

 大尉と一緒に敬礼すると、そんな軍隊にあるまじきざっくばらん過ぎる対応をされた。怪訝な顔をしていると、周りの、いささか寛ぎ過ぎている士官たちも半ばニヤニヤしながらジロジロ視線を送ってきたり、あるいは誰が来ようとどこ吹く風といった風情で本を読んでいたりして、脈絡と規律というものがなかった。

「心配しなさんな。俺らも君らと同じで昨日今日来たばかりなんだ。いずれ連隊長殿が来る。士官をやるのはそれからでよかろう」

 そう言って少佐は立ち上がって握手を求めてきた。

「第十三軍団からきたハーベだ」

 三十過ぎほどの温厚そうな眼をした中肉中背の茶色い髪の男だった。「第十三」と聞いて親近感が湧いたがヤヨイがそこにいたことはまだ他言無用だったため黙っていた。

「第九軍団からまいりましたカーツであります。こちらは特務機関のヴァインライヒ少尉。たまたまここへ来る道で一緒になりました」

「え、特務のヴァインライヒ少尉? あの、ミカサのか!」

 やっぱりここでもいじられキャラか・・・。ま、仕方がない。

「ヴァインライヒです。特務機関のウリル少将の命により第一落下傘連隊へ参りました」

 途端に周囲から「おお・・・」というどよめきが上がった。

「すると貴官は応募組ではなく、命令組か」

「はい、そのようです」

 それから例によって、「武術のエキスパート」とか、「たった一人で・・・」とか、何度もいじられたネタで責められた。正式に士官になってからは沈黙は金と承知している。余計なことは言わなかった。

「まあ、掛けたまえ。とにかく連隊長殿が来ないとやることがない。せっかくだからこの時をお互いを理解し合う時間にしよう。他に彼女に質問のある者はいるか?」

 その小屋は文字通り急ごしらえしたらしく、とにかく雨風だけはしのげる、というほのものだった。小屋の内部をぐるりと見まわしつつ、カーツ大尉を見習って固い木の腰掛に落ち着いた。

「どうやって二個小隊もの敵兵をたった一人でやっつけられたのだ」

「チナ兵は正規兵だったのか?」

「弾丸より速く走れると言うのは本当か」

 など、中には明らかにウワサに尾鰭の付きすぎのような流言めいたことも訊かれたが、質問の大半は閣下方からされたようなことばかりだった。

 少佐を除いては皆尉官の、大中少の樫の葉ばかりだった。カーツ大尉やハーベ少佐のように北や東のヒマそうな軍団から来た者もいれば国防省でデスクワークしていた者もいた。

 一通りヤヨイに関する質問が出尽くすと、誰からともなく、

「貴官は今回のチナに対するいくさのウワサをどう思うか」

 という質問が出た。

 ヤヨイは『御前会議』ですでにチナに対する開戦が決定したのを知っていた。さらに当初の初動作戦も聞いていたが、一般の将兵にはまだ作戦詳細はおろかチナとの開戦が「ウワサ」程度にしか認識されていないのを知った。それについては当たり障りのないところであれば情報を披瀝してもいいだろうと思った。

「小官は特務部隊で偵察の任に当たっておりました。その関係で統合幕僚本部での皇帝陛下臨席の作戦会議を傍聴しました。そこでグールド大佐にお会いしたので正式には大佐からお聞きになるべきと思いますが、チナとの戦争はその会議ですでに決定しています。そのことは全軍に通達されるとも聞きましたから、おそらくは皆さんはここへいらっしゃる関係で行き違いになっただけだと思います」

「そうか!」

「すでに開戦は決定したのか」

「それで今ごろ落下傘部隊とは、まさに泥棒を捕まえてから縄を綯うようなものだな」

「その通りだ!」

 急にドアが開いて低い天井に頭が着きそうなほどの偉丈夫であるグールド大佐が二三の軍曹や曹長を従えて小屋に入って来た。それまで梁山泊に屯(たむろ)する夜盗のようにだらけていた士官たちは一斉に立ち上がり、敬礼した。

「まあ、そのままでいい」

 大佐は毛むくじゃらの腕を上げて軽い答礼をすると皆を座らせ、

「大方揃ったようだな」と言って皆の輪の中心に進み出た。

「改めて言う。オレが今度新設されることになった第一落下傘連隊、連隊長のグールドだ。みんな、よく来てくれた」

 そう言って士官の一人が気を利かせて持って来た椅子に逆向きに座り、背もたれに肘を乗せて寛いだ。

「今君らが話していたのを失礼ながら外で聞かせてもらった。異動の関係で知らなかった者もいるようだが、話にあった通り、既に開戦は決定した。ただ、宣戦布告がいつになるのかはまだわからない。部隊移動の関係で、どうしても宣戦布告の前に決定しておく必要があったのだ」

 大佐は落ち着いた張りのある声で周囲を見回しながら一つひとつ言葉を区切るようにして丁寧に話した。

「そして、誰かが言っていたようだが、この連隊はドロナワだ。それ以外の何物でもない。帝国陸軍初の空挺部隊、その最初の部隊がこの連隊だ。連隊司令部もまともな兵舎もない。できたての、ホヤホヤだ。今あるものはオレたちの身体ひとつ。これほど身軽な連隊もないと思う」

 大佐のジョークに低い笑い声が上がった。

「だが、このドロナワの帝国一身軽な連隊が今次の戦争の帰趨を左右する重大な任務を担うことだけは言っておく。具体的な作戦内容は諸君らの訓練と編成を待って発表する。

 繰り返すが、帝国が勝つも負けるも、すべて諸君らの奮闘にかかっている。それだけは肝に銘じてもらいたい!」

 グールド大佐は彼の言葉の浸透度を測るかのように、一人一人の肝っ玉を取り出して吟味するかのように、ゆっくりと周囲を見回した。

「今まで所属していた部隊から命令を受けて来た者もいると思うが、多くは自ら志望して来たものだと思う。募集の要綱にもあった通り、選抜基準はたった二つだ。

 ひとつは、バカであること。

 もうひとつは、殺しても死なないシブとくて憎たらしい奴ということだ。

 この意味が分かる者はいるか?」

 すぐに奥で手が上がった。

「君は第五軍団から来たヨハンセン中尉、だったな」

「そうであります!」

「キールの近くだから、さぞ美味い魚をたらふく食っていたのだろうな。それとも、食い飽きたからこの連隊に志願したのか」

 穏やかな笑い声が上がった。

 ヨハンセン中尉もそばかすの多い顔を寛げながら、答えた。

「大佐殿の仰るバカとは、高空から落下傘一つで飛び降りるようなことはバカでなければ出来ないということです。また、敵中に降下するということはヤワな心臓ではできません。敵に包囲されてもシブとく生き残り、敵に毛虫のように嫌がられる、それがすなわち友軍の前進を援けることに繋がるというわけであります」

 大佐は大きな声であっはっは、と笑った。

「ありがとう、ヨハンセン中尉。さすが士官学校第151期首席卒業だな。作戦畑に進めば将来の昇進も約束されているというのに、わざわざすすんでこんな汚らしいところへ来た貴官は正真正銘の、バカだ」

 またも周囲からは和やかな笑いが起こった。

「空挺部隊とは今、彼が説明してくれた通りだ。

 がっぷり四つに組んだ敵味方の戦線が膠着状態にあるとき、敵の背後に突然現れて敵の気を散らし、敵が兵力を分散するしかないような戦況を作り出し、結果的に味方の主力の攻撃を援護する。時には敵の主力の背後から鋭い槍を突きさして討取り、主役を演じることもある。今までは騎兵部隊がその役目を担っていた。が、時代はついにいくさを三次元に拡大したのだ。戦略的にみて極めて奇襲性の高い部隊、それが空挺部隊なのだ」

 一同はしん、と静まった。皆の意識が高度に高まってゆくのがヤヨイにもわかった。

「その指揮官たる貴官たちは、部下となる、貴官たちに勝るとも劣らないバカどもを的確に統率し、勝利に導かねばならぬ。時には高空からのダイブを怖れて尻込みする兵も出るかも知らん。そんなとき貴官たちは、そのバカのケツを蹴っ飛ばしてでも突き落とさねばならない。そんな酷いことができるのはバカしかいない。敵中に降下したはいいが敵に包囲されて孤軍となり、補給のめども援軍が来る可能性も断たれた時、利口な兵は簡単に降伏し、あるいは先々を悲観して自棄を起こし自滅の道を選んだりする。バカならば悲観はしない。絶望もしない。勝利の可能性をバカみたいに追及して絶対に諦めない。

 諸君らはユリウス・カエサルの『ガリア戦記』を読んだであろう。味方5万対敵36万。前と後ろを敵に囲まれ絶体絶命のピンチでも希望を失わず、粘りに粘ってついに敵を下した神君(デイブス)カエサルは正真正銘のバカだ。

 彼ほどのバカになることは出来んかもしれん。だが、諸君らが彼を目指し、彼たらんと欲するのを諦めないならば、勝利の女神は必ずや諸君の頭上に降臨するであろう。

 この連隊の発足に当たって連隊長たる私から贈る言葉は以上だ。質問は?」

 一同は満腹した思いで頷いた。

「質問が無ければさっそく実技に移る」
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