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おけいこのおけいこ

64 かわいい後輩の尻拭い

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 ナメクジとの新居に戻った。

 眠っていればいいものを、彼は起きていた。

「遅いじゃないか!」

 玄関のドアを開けた途端、頭ごなしに怒りをあらわにする彼に、もう何も言い返す気力がなかった。

 簡単にシャワーを浴びて寝室に下がったとたん、ドアがノックされた。

「夫婦になろうってのにさ、何の会話もないじゃないか。セックスもないし・・・」

 大宇宙の果てから未確認飛行物体で送りつけられてきた未知の地球外生物を見るような目で、スミレはこの法律上の夫になろうとしている男を見上げた。

「好きにすれば」

 さすがのスミレも投げやりになり、パジャマを脱いで全裸になってベッドの上に大の字になった。そろそろピアスも外さねばなと思いながら。

 ここまで惨めな気持ちになれば、その被虐で絶頂出来るんじゃないかと思ったが、やはり無理だった。演技などとてもできず、それから小一時間。スミレは貝になった。


 


 

 ニュースが飛び込んできたのはその日行われる役員会の直前だった。夕刊の締め切りを過ぎていたので、まだTVニュースや午後のワイドショー枠での報道だったが、各局は一斉にそのスクープを報じた。現職の国防省の審議官に関係する、巨大なスキャンダル。お約束のおどろおどろしいBGMまでつけた、いささか過剰な演出のワイドショーの映像が映し出された。

「現職国防省高官が強姦殺人?」

「用水路で発見された遺体は地元の女子高生と判明」

「遺体に数十か所に及ぶ刺し傷」

「国防省高官による強姦殺人事件、新たな局面に発展」

「純国産大陸間弾道弾防衛システム整備計画の国家機密が漏洩!」

「国防省審議官、駐R国大使館の書記官と密会!」

「・・・私はハメられたんだ、あの(ピー)って男に! 私は人殺しなんかしていない! ちょっとやめろ。撮るなっ! どけって!・・・」

「逮捕です! 今、現職の国防省審議官、ハギタキイチを乗せた車が城北警察署の中に入って行きます!」


 

 TVは犠牲者の顔写真まで映していた。野中詩織さん。関東近県に住む高校二年生。住んでいる地域や高校名はもちろん伏せられている。TVチームも頑張ったのだろう。顔を写さない、犠牲となった女子高生の同級生や近所の人、それに彼女の父親のコメントまで放送された。

「そんな・・・。援助交際なんてするような娘じゃありませんでした。どうしてこんなことになったのか、わかりません・・・」

 嗚咽を漏らしながら顔を伏せ目頭を押さえて声を震わせる父親の姿がモザイク越しでも視聴者の涙を誘うに十分なリアリティーを持っていた。

「今どんなお気持ちですか。ハギタ容疑者に何か仰りたいことは・・・」

「娘を、シオリを返してくれと・・・。こんな・・・、惨すぎますよ・・・」

 このようにして「野中詩織」は実在した人間として世間に認知されていく。

 もちろん容疑者のハギタの履歴も流された。国防省の現役の審議官。キャリア官僚としての華麗な職歴が謳われると同時に、隠ぺいしたはずの過去のあのJKパブの女子中学生との一件まで明るみにされ、幼女趣味の変態性向の持ち主であることが裏書され全国ネットワークで放送された。彼はもちろんのこと、それをもみ消しさらに大きなスキャンダルを出してしまった国防省の威厳も、地に落ちた。

 取材した映像だけでなく、ネットに流出した盗撮映像も放送された。放送コードに抵触しないよう、多くは加工され静止画で流されたが、スミレも役員会の前に動画サイトに流されたその動画を見た。和室の畳の上に伏せにされ尻を犯されている、何処かの、上半身だけセーラー服の女の子。画質は荒いが表情はわかる。背景と理屈を知っているスミレにさえ、どうやって撮ったんだろうと思わせるような、かつてベッドを共にした男の部屋にあったアダルトビデオを凌駕するリアルな映像。

 犯されている女の子はまるきりレナとは別人だった。たった一日で視聴数は500万を超えていた。

 一般大衆は国家機密の漏洩や国の安全保障の問題よりも、こうした下劣なエピソードの方を好み、求めるものだ。

 サキさんの言葉の通りだ。この映像のおかげで、スキャンダルは核兵器並みの破壊力を持つことになった。ITチームとマスコミチームは良い仕事をした。

 遺体を用水路に浮かべていた「野中詩織」と全く関わりのない所で、全く報道はされなかったが貿易会社を経営する「落合和弘」という三十代の男が高層マンションの屋上から飛び降りて死んだこともスミレは知っていた。しかしその二人を演じていたレナとサキさんがちゃんと生きていることも知っている。今頃は二人して全裸になり、あのスイートに籠りきりになっていることだろう。

「また伝説を作らなきゃいかんな。やれやれ。また金がかかるな・・・」

 なんてボヤキながら、レナにフェラチオでもさせていることだろう。

 どこから調達したのかはスミレにもわからないが、警察の検死が終われば、「野中詩織」と「落合和弘」の遺体も、人知れず本来の遺族のもとに多額の謝礼と口止め料と共に送り返されることだろう。それでこの一連のミッションは全て終了する。


 

 取締役会の冒頭で全役員がその映像を見た。

 動揺して隣同士で私語する者もいたが、あらかじめスミレから知らされ、すでにこの事態の全社の事業に対する影響の試算まで終えていたマキノや親衛隊たちは皆黙ってその映像を見ていた。

 傘下の子会社の中に航空宇宙産業に携わる企業があり、その株価の下落が懸念されたが、マキノたちはあえて証券監視委員会の耳目を引きインサイダー取引を疑われるような愚は犯さなかった。下落した場合に備えて自社株買いを支えられるよう、ホールディングスから暫定的に5億ドル程度の内部留保を取り崩して融通する動議が提案され、外資銀行出身役員の賛同も得て承認された。

 

 初めから最後まで、今回の事件の影響がどの程度に及ぶかの検証に終わった感のある役員会の後、社長室に呼ばれた。

「おつかれさん。終わったんだね」

 マキノはスミレにソファーを勧めた。

「はい。全部、終わりました。これでもう、わたしは100パーセント、あなたのものです」

「・・・また、そういう言い方をする」

 まだミッションの疲れが取れなかったが社長の前で寛ぐわけにはいかない。しゃんと背筋を伸ばしてコーヒーのソーサーを取った。

「月が明けたら君の管轄下に入る子会社のトップたちに会いに行こうね。それと、チャイナのトップたちにもね。いよいよ動き出すよ、何もかも」

 社長に就任して数年が経ち、マキノはさらにエネルギッシュになったように見える。それに引きかえ、自分はどんどん萎れてゆくような気がする。

「社長は、お元気ですね」

 スミレは俯き、ミルクも砂糖も加えていないのにカップの中の黒い液体をスプーンでかき回し続けながら吐息をついた。

「そりゃそうさ。これでやっと本来あるべき姿に戻れるんだから。

 スミレちゃんもさ、気持ちはわからんでもないが、浮かない顔ばかりしないでよ。せっかくの美人が台無しだよ」

「はは・・・。ありがとうございます」

 マキノはいつも忘れたころにこういうお世辞を挟んでくる。じつに憎めないオッサンだ。

「親衛隊の連中も今回の事件で君への崇拝と忠誠心を新たにしたと思うね」

「そんな、崇拝だなんて・・・」

「いや、ホントさ。サガワ君が行動隊長みたいになって若い連中を熱心に口説いて回ってるからね。タチバナスミレはスゴイってさ。

 実際、君が役員会に来てからは外資の連中は人形同然になったし、あのヤナガワ一派も借りてきた猫状態になったしね。それだけでも君は今回融通する金額の千倍以上の価値がある。この先どんなに富を産み出してくれるかわからんくらいだからね」

「そんなに手放しで褒めてると、裏切られますよ。本当のわたしは、そんな賛辞を受けるような大した女じゃないんですから」

「君、相当疲れてるな」

 マキノは立ってジャケットを脱ぎ、クローゼットの中に置いてあるゴルフバッグから5番アイアンを取り出して素振りをした。役員のフロアは天井が高い。何も気にせず思いきりフルスイングができる。

「どうだい。気晴らしに親衛隊の連中とゴルフでも行かないか。カルイザワも最近は暑いらしいし、ホッカイドーもこのごろ湿気が酷いらしいからなあ、『蝦夷梅雨』っていうの、知ってるかい? そうだ、トーホクがいいかな。プレイの後に温泉にでも浸かって旨いもの食って、ゆっくりしに行こうよ」

「そうですねえ・・・。それもいいかもしれませんねえ・・・」

「なんだ・・・。よほど疲れてるんだなあ・・・。よし、わかった!」

 クラブを肩に背負い両肘をぶら下げてストレッチしながら、マキノは言った。

「一週間休暇をあげる。君も大仕事を終えたし、社内にも今は懸案もない。来月からの本格始動のためにキチンと充電してきなさい。そしてまたあの元気ハツラツなスミレちゃんを見せてくれよ」


 

 急に休めと言われても何をしていいのかわからない。本社ビルの地下の役員専用駐車場に駐めた赤い馬のステアリングにグローブした手を乗せたまま、スミレはボンヤリと宙を眺めていた。

 何の気なしに手帳を開いてみたくなりハンドバッグの中を覗くとスマートフォンが明滅している。メールが来ている。開いてみると、父からだった。

(休暇をもらったそうだな)

 という文句で文は始まっていた。

 マキノのオッサン。どうして父に余計なことを知らせてくれるのかなあ・・・。

(そろそろ式の日取りも決めねばならん。お前たちに任せておくと進まんのでこっちで決める。明日両家で打ち合わせをするからジュンイチロウ君に伝えておけ)

 あの父が一人でチマチマスマートフォンを操作している姿を想像すると笑えるが、今は笑っている場合ではない。まったくもって気が進まないことこの上ない。しかし、止むをえまい。

 ナメクジにLINEしようとした時、電話が来た。

 発信元を見て、一瞬でスミレの脳内でドーパミンが大量分泌された。

「サキさん!」

「よォ、元気か」

「訊かないでよ。元気なわけないでしょ」

 そんなことを言いつつも、思いもよらずに声が聞けただけでこんなにも嬉しいなんて・・・。女とはなんとゲンキンなものだろうか。

「・・・レナは、どう?」

「アイツはもう大丈夫だ。ピンピンしてる。

 ・・・というかな、ピンピンしすぎて、いささかややこしいことになっちまってな。実はそのことでお前に頼みがあって電話したんだ・・・」


 

 スミレは赤い馬を駆って西へ急いだ。

 あらためてサキさんのズルいというかひどいというか、憎たらしい仕打ちに怒りが爆発しそうになる。頭から湯気が立ち上りそうなのを懸命に堪えていた。

 ハイウェイに乗る前にミタライさんには電話をした。

「急にごめんなさい。急いで作って欲しい書類があるんですが。事後になりますが、関係する方々には必ず承諾をいただきますから」

 それでもこの街のクソ暑い夏に戻ってこられて少しホッとしている自分がいる。やはり自分にはこの街が合っている。

 ミタライさんの事務所に着いた時にはもう陽が落ちていた。

「急がせてしまって申し訳ありません」

 自分が頭を下げねばならないことに怒りが再燃しそうになる。

「なに。構いません。ただくれぐれもササキ様の御父上のご承諾は頂いてください。偽造になってしまいますからね」

 ミタライさんは変わらない穏やかな微笑でスミレを迎えてくれた。

「でも、タチバナ様もお元気そうで、わたくしも安心いたしました・・・」

「電話をもらうまではやる気を失って抜け殻状態だったんです。でも、サキさんからまたこんな下らない用を言いつけられたおかげでやる気が出てきました」

 スミレはミタライさんが声をあげて笑うのを初めて見た。

 8時半を回っていた。

 事務所から学校に電話を入れたところ、まだレナ達は校長室にいるらしい。電話に出た事務員に今から伺いますと伝え事務所を後にした。

 赤い馬に再びムチを入れ、レナの高校に向かった。

 校門に車を乗り入れると、真っ暗な校舎のその一角だけに灯りがともっている。生徒たちの部活動が終わり、しんと静まったキャンパスに赤い馬の爆音を響かせて校舎前に車を駐めた。グローブボックスから黒縁のいかにもな伊達メガネを取り出してかけた。

 事務員の女性に案内され校長室に入った。

 真正面に校長らしき初老の女性が、その左手のソファーの奥にレナが、担任の教師を一人挟んだ手前にユーヤという、監視カメラの中でレナの股間を舐めていた「舐め犬」の後輩君が項垂れて小さくなっていた。右側には教頭と生活指導の男性教諭だろうか。すると一番手前の背中を向けているオバハンが後輩君の母親だろうか。

 事務員に紹介され、一歩前に出て深々と頭を下げた。

「レナの父方の叔母にあたります、橘すみれと申します。この度はレナが大変なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした」

 一分ほど最敬礼しただろうか。校長からまあ、どうぞと促されても、教頭らしき人物から椅子を勧められても頭を下げ続けた。ちょうど正面にレナが不貞腐れた風情で足を組んでいる。ムカっと来た。でもガマンした。

 それから「ミッション」を開始した。

「わたくしこういう者でして・・・」

 まずその場に居るレナと舐め犬君を除く全員に名刺を差し出した。

 御手洗法律事務所 橘すみれ

 名刺にはそう印字してある。今まであまり使ったことはなかったが、この、秘書としての最後の仕事に役立ってよかったと思う。

「それでは、遅れてまいりまして申し訳ございませんが、今一度今回の経緯をご説明いただけませんでしょうか」

 まず校長から、本日の授業中に重大な問題が発生したという言葉があり、その詳細について生徒指導のイガグリ頭教師が説明を始めた。

 要はレナと舐め犬君が授業中に教室を抜け出して校内でことに及んでいたのがバレた、という、ただそれだけのことなのだったが、そのウンザリするような回りくどい、ねちっこい説明が30分も続いた。しかし絶対に不快は顔には出さない。わざとらしくメモなど取ったりしながら、拝聴した。

 こういう場合、まずその場の全員に極力喋らせることだ。

 学校側も舐め犬君の母親も怒っている。名刺を渡したときの感触でそれを十分に感じた。今回の目的はレナを平穏理に退学させること。これだけのことをやらかせば本人たちも学校には居辛いだろう。同時に今後の無用な金銭請求などを封じ、完全に縁を切らせることにある。これからサキさんの秘書になろうとするのに余計な人間関係を引きずらせるのはよくない。

 そのためにはここで一切のカタをつける必要がある。怒っているのなら思いきり喋らせてまず怒りを解くこと。ビビらせるのはそのあとだ。人は怒っている時にはなかなか怖がらない。喋るだけ喋れば少しは不満も解消するというものだ。

 ようやく生活指導の説明が終わった。

「ありがとうございました。それでは次にどなたか・・・。教頭先生? それとも校長先生、でしょうか」

 スミレがあまりにクールなので幾分毒気を抜かれたような二人は異口同音に、

「大体今の説明で事実関係はお伝え出来たと思います」と言った。

「そこで今後のことですが・・・」

「お待ちください」

 そこはピシャリと押さえた。

「恐れ入りますが、イシダ様、でよろしかったですか。何か仰りたいことはございませんか」

 怒ってはいるが発言を求められるとは思っていなかったらしく、初めは支離滅裂な言葉の羅列にしか過ぎなかったのが、口が回ってくると次第に意味のある文章を話すようになった。

「ウチのユーヤちゃんは将来を嘱望されていたんですよ! サッカーで。それを、こんないかがわしいことのせいで・・・。ウチは被害者ですよ! この子にかかわったせいで、部活も辞めちゃうし・・・」

「ユーヤちゃん」の幾分肥えた母親はどこかナメクジの母親に似ていた。おもしろいことにレナは母親に睨まれても唇を固くギュッと結び、脚を組んだまま睨みつけていた。

 傲岸不遜。いい度胸してるわ、この小娘・・・。

 こうでないとサキさんの秘書は務まらない。あの女子高生強姦殺人事件からレナは一皮むけたようだ。以前にはない、逞しさを感じた。

「ユーヤちゃんの将来はもうめちゃくちゃですっ! 大体親御さんはどうしたんですかっ。本当なら、両親そろって頭を下げに来るのが当たり前でしょう。学校も学校でしょう。なぜこうなる前に気が付かなかったんですかっ! 部活動もしないでブラブラしている生徒はもっとちゃんと指導していただかないとっ!」

「しかしですね、お母さん・・・」

 教頭が口を挟もうとすると、

「だってそうじゃありませんか。ウチのユーヤちゃんは品行方正で育ててきました。こんなことさえなければ将来はクラブチームに入って・・・」

「おい、ユーヤ!」

 それまで黙っていたレナが口を開いた。

 ほお・・・。

 こんなガマガエルのようなおばちゃんにケンカを売る気なのか。スミレは俄然興味をそそられ、レナの次の言葉を待った。

「あんたさ、どこが『品行方正』なんだよ・・・。あたしとヤル前に何人食ったのよ。ちゃんとママに教えてやんなよ。隠したってダメだからね。あんたの女の子モノにしたエロ日記、ちゃんと写メしてあるんだからね」

 レナの言葉に「ユーヤちゃん」の母親は途端にかみついた。

「なんですって! ・・・本当なの? ユーヤちゃん」

「うるせーんだよ、クソババア!」

 こちらも、それまで俯いて黙っていたユーヤが猛然と母親にたてついた。

「・・・なに、なんなの。・・・ユーヤちゃん、そんなこと今までママに、一度も・・・」

「だから! そのユーヤちゃんはもう、ウンザリなんだよっ! 」

「ユーヤちゃん」は、吼えた。

「オレはササキ先輩のおかげで自由になれたんだ。もう、あんたの言うなりにゃ、アキアキなんだよっ! もういいよ、退学で。これからは家を出て一人で暮らす。もう、あんたの世話にゃなりたくねーんだよ!」

 時刻は9時半を回っていた。

 レナはその間、ずっと腕組みしたまま聞き役に徹していたが、ここらで締めるころ合いだと思った。

「皆様のお話は拝聴させていただきました。

 さて、レナの今後のことですが、まず、彼女の両親が既に離婚し、当初母親が持っていた親権は先月父親に移行しておりますことを指摘させていただきます。これが離婚協議書の写しです」

 そう言ってカバンからミタライさんに用意してもらった書類を出し、テーブルに置いた。

「さらに現在チューゴクに単身赴任中の父親から、何分遠方にあるため成人するまでの親権及び監護権の委任代行をわたくしの勤務する事務所を通じて依頼されております。これが委任状の原本と写しです。すなわち、なにか法的な手続きが生じる場合に置きましては、彼女と彼女の父親に代わり、わたくしと当弁護士事務所がこれを代行いたします」

 そこで左の指先をピッと伸ばし、黒縁眼鏡を正した。

「さしあたって、彼女の今後ですが、本日をもって貴校に対し退学の意志を表明いたします。必要な書類は今後本人ではなく当法律事務所にご送付ください。本人は明日以降貴校と一切の関りを持たないことを、後日書面にて誓約いたします。誓約に伴う罰則事項等の取り決めが必要な場合は、後日、当法律事務所へ提起いただきたく、お願いいたします。

 まだ学校側のご要望は伺っておりませんが、いかがでしょうか。これで全て満足するものと考えますが」

 しん。校長室は静まり返った。そこはもうスミレの独壇場だった。

「さて、石田様。石田様に対しましても、同様でございます。これ以降、彼女に対する苦情、不服、要求等がございましたら、当法律事務所にて対応を代理させていただきます。もちろん、訴訟に至る場合も同様です。このミタライという者が本件の担当弁護士になります。この者不在の場合に置きましてもわたくし、もしくは当法律事務所のスタッフが対応させていただきますので・・・」


 

 助手席にレナを座らせて赤い馬を南に向けて駆った。

「ホントにもうっ! 手間のかかる娘ね、あなたわっ!」

 スミレがニ三度パッシングしただけで、大体の車が道を譲った。

「今日は大事な日だったんだからね! 先方の一家と会食するはずだったの! それでもあなたを捨て置けないから、わざわざ来てやってあんなクサい芝居してやったんだからね。感謝してよね! まったく!」

 赤信号には当然のように突っ込み、追い越し禁止車線は当然のように追い越しまくる。

 でも、ハラは立ったがレナの成長ぶりも垣間見ることが出来た。

「でもさあ、これでよかったんじゃない。サキさんの秘書をやる以上、どのみち学校との両立は無理だった。それに、あんな世界を知ったあなたが、あの品行方正な高校で青春ごっこ続けられるとも思えないしねえ。ハクが付いたぐらいに思えばいいよ。どうしても大学行きたかったら大検とればいいしね。かく言うわたしも、三回高校退学して大検とって進学したしね」

「ええっ? でもあの時・・・」

 古都に向かう前夜、寝物語に話した「退屈なお嬢様の日々」とは全然違う、スミレの本当の歴史を話した。

「悪いけど、あの時点ではまだ、あなたを本当に同志として迎えれるかどうかわからなかった。

 でも、レナ。あなたは立派にやり遂げた。少し抜けたところがあるけど、それはこれからわたしがみっちり仕込んであげる。あなたを同志として受け入れたから今、本当のことを話してるのよ。大体、なんにも苦労してない、純粋培養のお姫様がこんな世界に飛び込もうとするわけがないじゃないの」

 さっきまでの威勢はどこへやら。スミレの乱暴な運転に怯えているレナが可愛い。

「でも、いささか慎重さに欠ける振る舞いは反省しなきゃね。罰として、わたしのストレス解消に付き合いなさい」


 

 広大な駐車場を突っ切り、赤い馬をグランドスタンドの下のピットにそのまま乗り入れた。ハイウェイに乗る前に特別料金を支払い、ソノダからも電話を入れさせた。遅い時間ながら、サーキットのスタッフは嫌な顔をすることもなく「残業」をしてくれた。

「ごめんなさい。一時間だけ、走らせて」

 スミレはもう、このサーキットでは有名人になっていた。彼らも減ってしまった国内レースを何とか復活させようと必死なのだ。そのために、金蔓になるかもしれないスミレを歓待しようとしているのが伝わってきた。

 レナは助手席でおとなしく震えあがっている。微笑ましい光景ではある。彼女に6点ベルトを締めてやり、ヘルメットを被せた。スミレもスーツのままではあるが、久しぶりのヘルメットを着ける。

「いい? 行くわよ。オシッコちびらないでよ。このシート、高いんだから」

 ヴォン、ヴヴォオオンッ!

 アクセルを吹かす。

 赤い馬は誰もいない真夜中のグランドスタンドにV8エンジンのかん高いいななきを轟かせた。昼間サキさんからの電話で大量に分泌されたドーパミンが再びあふれ出す。

 サキさんの秘書ではなくなるけれど、この赤い馬がいてくれる限り、スミレはいつでも自分に戻ることが出来る。サキさんに連れられてここへ初めて来たときの記憶が、つい昨日のことのように鮮やかによみがえる。

 クラッチを繋いだ。赤い馬はタイヤからキュルキュルと白煙を吐きつつコースに飛び出し、第一コーナーの観客席に向かって全力で疾走していった。

「ぎゃあああああああああっ!・・・」

 目が覚めるようなスピードでコーナーをクリアすると、甲高いレナの悲鳴を曳きながら再び急加速で次のコーナーへ突っ込んでいった。
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