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おけいこのはじまり

27 イワイという男

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 ナカジマ対策で、スミレはいい案を思いついた。

 部活に入った。高校生になってから初めてだった。

 帰宅部でいるから、彼に纏わりつかれる。スポーツは嫌いではなかったが、今さら二年生で入部してもつまらない。それで、一番ヒマそうな家政部にした。ほとんど女子だけだし、苦手な料理も練習できる。内容もヘヴィじゃない。イワイが使えるなら、もう男は調達する必要が無い。ナカジマにしろ八ちゃんにしろヤンにしろ。少し手を広げ過ぎたから、この辺りで整理しようと思っていた。スミレはサキさんのこと以外については基本、あくまでドライだった。

 休み時間はひたすら教科書に顔を埋め、放課後家政部の部室に直行し、小学校の家庭科レベルの目玉焼きやホウレン草のおひたしと格闘し、その辺のレストランのシェフ並みの部員の手際に感嘆し、試食に舌鼓を打ち、ポーチにアップリケを縫い付けるのに苦労して部室を出、校門まで猛ダッシュしてミタライさんの車に飛び乗り、マンションのオートロックの中に滑り込む毎日を続けていると、ナカジマも諦めたのかあまり詮索してこなくなった。

 それでも、

「一度ちゃんと話をしようぜ。LINEのブロック解除してくれよ。もうあんなたくさん送りつけたりしないから・・・」

 日々のどこかに必ずある一瞬のスキをついて、寂しそうな顔をしたナカジマからそんな言葉を言われてしまうとぐらっと来ることもある。そういう時は心を鬼にして「ごめんね。急いでるから」と立ち去るのが続いていた。

 サキさんは相変わらず忙しい。ずっと待っているピアスの件も棚上げ状態が続いていた。月にしてに一度か2度ほどはスイートに呼んでくれるが、いつも超のつく短時間でイカされまくってしまい、ロクに話も出来ない。ドアが開いて彼に抱き着き、ドアを開けて部屋を後にするまでが一時間もないのだ。それでもたっぷりイカされるのだから文句をいう筋ではないけれど、一晩ぐらいはゆっくり彼の腕枕で眠り、目覚めで彼の寝顔を見たい。

「ちゃんと寝てるの? 体、壊しちゃうよ」

 何とかサキさんを惹きつけたくて、引き留めたくて、彼との時間をできるだけ引き延ばしたくて、時には彼の端正な横顔にそんなことも言ってみた。だけど返って来るのは、

「へえ。お前がそんな可愛いこと言うとは思わなかった」

 そんなのばっかり。

 時間がないと、せっかくもらったあのプレイルームにも連れて行ってくれてない。これで他のスレイヴとはプレイをしてたらめっちゃ腹立つ!

 でも、あの事務所にも行かなくなったから、彼がどのスレイヴといつどんなプレイをしているのかもわからないしレイコさんも教えてくれない。サキさんはそこにいる。でもそれ以外はあの実家での灰色の日々とあまり変わらないのではと思うことも多くなっていた。むしろ、サキさんという存在のせいで、前より辛く感じることが増えた。

 不安になることが多くなったのだ。彼を、サキさんを失うことが、怖くなった。

 愛を知ると女は愚かになる。

 誰かが言っていたが、それは本当だと思う。

 ではサキさんと出会う前の自分は賢かったのか? そう言われると自信がない。

 ナカジマをやり過ごすための部活動として家政部を選んだのも実はそれがあったからだ。あのささくれ荘の日々をもう一度思い出し、彼に手料理を食べさせたくなった。スミレの今までの人生でこんな乙女で可憐な気持ちになったことはなかった。自分で自分の変化に驚いていた。

 これが、恋ってやつか・・・。

 授業中も疼いて仕方がない。はあ。もう勘弁してほしい・・・。

 ちくしょう!

 彼が、サキさんが恋しいよ・・・。

 気が付けば授業中に頬杖をついて窓の外の晩秋の曇り空を見上げていることが増えた。


 

 もう間もなく期末がある。だがその日もスミレは早退した。学校では時間が決められているから自由に科目を選べて自在に離席できる図書館に行って勉強した方が効率がいい。

 その日もミタライさんを呼び、午前中で学校を終えた。

 帰宅し着替えて赤い馬で図書館に行った。

 平日の午後に制服で図書館はやっぱり目立ち過ぎだ。

 秋らしくスウェードのミニに水色のシャツ、ざっくりとしたコットンのセーターはミニよりも薄いブラウンにまとめ、同じ系統のスウェードのブーツを履いた。

 席を確保すると日本文学の古典のコーナーに行き『源氏物語』を探した。

 スミレの学校の教師たちは試験の答案に選択式よりも記述式を多く取り入れる傾向があった。採点も手間だろうに。

 社会科学はわかるが、時に物理にまでそれを盛り込まれるのには閉口した。どちらかというと丸暗記派なスミレはその行き方に当初は戸惑った。ただその意図が知識よりも思考力を問うことにあるのがわかると、その要を握り逆に攻撃の材料を集めて反転攻勢に出た。つまり、ある問題を問われると、その問題を含むさらに大きな問題を提起しその出題された問題が何故生まれたかのところから考察する姿勢を答案に表現したのだ。

 つまり教科書の抜粋された部分だけでなく、原典を徹底的に読み込み大枠の中の一章としてとらえようとしたわけだ。

『源氏物語』は現代文対語訳付きのを読み込んでいるうちにハマった。そして例えば、「六畳の御息所の生き魑魅を生んだ平安宮廷の女性の作法」などのように。意味深い答案を書き、古文の教師にホメられた。

 源氏の大臣(おとど)の年上の愛人。宮廷の貴婦人。その六条夫人の生き怨霊が大臣の正妻を、夕顔を、紫の上を呪い殺したのは、彼女の高すぎるプライドもあるだろうが、当時の宮廷の、女性を押さえつけようとする数々の作法の所為ではないか。その悪癖は今に、現代に息づいているのではないか・・・。などと展開したのだった。


 光源氏の父帝帝である桐壷帝の先の東宮(皇太子)の妃。東宮の早世後は「六条の御息所」として宮廷にその美貌とやんごとなき身位と気品の高さを持って多くの女官や女御たちの羨望の眼差しを一身に受けて来た貴婦人中の貴婦人。

 それだけに、年下の、今をときめく桐壷帝の庶子「光源氏」の愛人となってしまったことは、彼女にとってその高すぎるプライドを満たしつつも気の張る毎日だっただろう。

 源氏の君が月を愛でようと誘っても、

「盛りを過ぎた女は明るい月の光に肌を晒すものではありません」

 と、ぴしゃりと窘め、めくるめく官能の夜を過ごした朝も、御息所の胸の中で惰眠を貪りたい、まだ若い源氏の君に、

「さあ、御仕度なさい。陽が高くなってから恋人を帰したとあっては、この六条の恥になります!」

 そう言って源氏の大臣を正妻葵上(あおいのうえ)のもとに帰そうとする。

 だが、その心の奥底では彼女の言動とは正反対の情念が渦巻いていた。

 出来ることなら、この愛しい源氏の君を帰したくない。日がな一日、いや永遠にずっとわが身のもとに掻き抱いていたい・・・!

 そんな女の強すぎる情念が、高すぎるプライドと宮廷での立場と相まって自縄自縛。ついには「生き魑魅(いきすだま)」となるほどの怨霊と化し、葵上を取り殺し、源氏の大臣を苦しめるに至るのである。

 ヒュー・・・!

 エグいわ・・・! エグ過ぎるっ! ゾクゾクしちゃううっ!



 テストが終わってもそのマイブームは続いていて、書架で読みかけのそれを見つけ自席に戻ろうとしたら、

「なんや。レイコちゃんやないか」

 先日のプレイの時よりも幾分地味ではあったがきちんとスーツを着た布袋腹が幾冊かの本を抱えて貸し出しカウンターに立っていた。


 



「奴隷ちゃんにこーんなごっつい車ポンて買うたるやなんてなあ・・・。完全に完敗やね。あ、そこ曲がったとこやねん」

 助手席のイワイの案内で、そのコーヒーショップに行った。車で来ていないというので、彼のマンションの近くのその店に乗せて行った。マンションはそこからは歩いてすぐだという。

 店のすぐ近くに車幅の余裕のある時間貸しのパーキングがある。彼がその店をチョイスしたのはそれも理由の一つだった。

「見通しのええとこやからね。高い車よう駐めてあんねん。イタズラされるん、イヤやろ?」

 そのちょっと古臭い、どこか懐かしい感じの感じのする店で彼は常連らしく、ヨッと店の奥に手を挙げてずかずかいつもの定席らしいブースへとスミレを誘った。

「どーぞ。レイコちゃん、何飲む?」

 席を勧められメニューを取ってくれた。

 アクの強い顔とカンロクのある体形に似合わず、イワイは意外に小まめに気を配る紳士だった。あのプレジデンシャル・スイートで、彼がプレイ後のカーペットを掃除していたのを思い出しスミレはくすっと笑みを漏らした。

「なんやねん」

「・・・ううん」

「気ぃになるやないか。教えてェな」

 笑いながら注文を取りに来た女性にブレンドと言い、スミレに向かって優しく首を傾げて促した。

「あ、じゃあウィンナコーヒーを」

 初めてイワイと面と向かって話す。なんだかちょっと恥ずかしい気持ちになる。もう彼とはプレイもし、彼のゴッツイものを迎え入れてもいるのに。

「なんや、レイコちゃん。きょう雰囲気違うな」

 もう前ほどは暑苦しいのが気にならない。むしろ、この暑苦しさにほんわかする。見かけのわりにこまめなところや気遣いのできるところを見たせいもあるかもしれない。

「どう違うの?」

「普通に服着とる方が、えっちやわ。・・・なんや、たまらんようなってしもた・・・」

「なあにー、それー」

 生娘ではないのに、顔を赤くしてしまう。本来はこれが年相応なのだが。

「イワイさんこそ。あんなとこで会うなんて」

「なんや。見た目通りやろがい。これでも読書家やで」

 思わず笑ってしまう。それを見て彼も笑う。

「借りとった本、見たやろ。癒し半分。仕事半分や。こっちきたとき、よう利用さしてもろてんねん」

「ご自宅はやっぱりあっちなんですね」

「最近はこっちが多いねんけどね」

「イワイさんて、何してる人なんですか」

「あれ、言わんかったけ? 会社やっとんねん」

「何の?」

「言うたら『細工師の手配師』かな」

「なんですかそれ」

 スミレが身を乗り出したところに、ブレンドとウィンナが運ばれてきた。

「イワイさん。今日は奥さんは?」

 喫茶店の女性が気さくに声をかける。

「ああ、みっちゃん、それ言うたらあかんやん。カノジョに独身や言うてたのに。何のために嫁はん先帰した思てんねん。台無しやわ」

「お姉ちゃん、このオジサン、気を付けた方がいいよォ。スケベだから」

「なんで余計なこと言うねんな。もうこの店来ぃへんぞ!」

 二人の掛け合いを見てクスクス笑いながら、彼がもうだいぶこの店に馴染んでいるような雰囲気を感じた。

 彼女が下がってしまうと彼は顔を寄せて声を潜めた。

「嫁はんサナエいうねんどな、ホントはアイツ、今日は貸し出してんね」

「貸し出し?」

「朝、あっちの家に一人で帰って行ったんや。今頃ちょめやっとるやろ」

 そう言ってソーサーを持ち、優雅にスプーンを使う姿には嫌みがない。彼はごく自然にそれをした。

「知ってる人なんですか?」

「サナエな、前にウワキしやがってな。そのときの相手や。まだアイツら続いとんねん」

「ええっ? それで、いいんですか?」

「ええねや」

 とイワイは言った。

「サナエな、あんなんでも、可愛いとこあんねん。そら、いっちゃん最初は怒ったよ。旦那が汗水垂らして働いとんのになにさらしとんねん、ドアホ! 言うて。そやけどな、アイツ、ウワキするたびに可愛いなんねん。これがむっちゃ、タマランねん!」

 そう言ってコーヒーを含んだ。

「話、変えよな。ボクな。もともと細工師の職人やったんや。レイコちゃん、細工師て、知っとる?」

「・・・さあ」

「宝石職人いうたらわかる? 指輪とかネックレスとかコサージュとかティアラとか。宝飾品の細工する仕事・・・。あら、信じてへんやろ」

「ううん。・・・すごいですよ」

 とスミレは言った。

 うはは。イワイは豪快に笑った。

「ええねん。ボク、イメージ合わんのわかる。

 金とか銀を熔かして型に流して磨いて削って彫って、石も削ってはめて・・・。

 若いころずっとヨーロッパ行っとったんや。アントワープ、アムステルダム、ウィーン・・・。最初は宝石やっとって、そのうち金銀、銅錫、革も、木工も、一通りみて、勉強して、三十なる前に帰ってきて、オーサカに店出したんや。自分とこで作ったり、輸入したり。

 サナエとは大学んときからの付き合いやねん。向こう行く前に一度別れたんやけどな、アイツ待っとってくれたんや。そんで結婚して安アパートで苦労して、アイツも糟糠の妻いうのにさせて。段々仕事大きなって金属だけやなしに革や木工にも手広げて、いろんな職人に人脈作って、そんでここへ進出さしてもろたんや。今は週四でこっちやな。なんや、ボクのことばかりなってまうな」

「いいえ。おもしろいです。もっと聞きたい」

「ワシ」がいつのまにか「ボク」になっている。

「そら、もっと儲かるようにはできるよ。けどそれやとマテリアルなってまう。ボクがやりたいんはアーティクルやし、アートやねん。単に金の売り買いやのうて、宝物の商いをしたいねん。宝物を作りたいねん。自分のブランドいうもんを作りたいねん。十の価値を百とか二百とかに膨らますねん。その昔千の利休も茶の湯でやったやろ。そのへんの茶碗いっこで城一つ買えるねん。そのほうが結果的に、儲かんねん」
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