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最終話 スレイヴ・レナの復活

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「一方、そのダム湖から直線距離で三十キロほど東の山中で、白い乗用車が乗り捨てられているのが発見されました。遺体発見の二日前です。温泉とは尾根を一本挟んだ、別の川筋になります。発見したのは尾根を縦走するハイカーです。ナンバーが取り外されていたのでおかしいと思ったと、事情聴取で証言しています。その地域の所轄署は別でしたが、ほどなくその車が盗難車であることがわかりました。この記事を書いた記者はそこまでの情報を独自に取材していました。第一版しか紙面に載らなかった記事に執着していたのか、彼は、旅館の従業員が証言を翻したこと。あなたが自殺未遂をしたこと。白い車が盗難車であり、尾根を越えた別の場所で見つかったことに、刺激されたのかも知れません。そして、それは正鵠を射ていました」

「セイコクオイテ?」

「あなたは、もう少し、本を読まれた方がいいかもしれません」

 まるでレナの親でもあるかのように、眉根を寄せて、スズキさんは、いや、ミタライさんは、言った。

「彼の執念は見上げるようなものでした。地方紙の一記者にしておくには惜しい、ジャーナリスト魂に溢れた記者でした」

「でした・・・?」

「その記者は間もなく新聞社を辞めてどこかに消えたのです」

「・・・」

「しかし、もっと不可思議だったのは、被害者の勤めていた大使館の、その中東の某国の対応でした。

 その国の外交筋は型通りの抗議のステートメントを出しました。国家としては当然です。不可侵であるはずの外交官の身分、身柄がこうも簡単に害されたならば、通常は国際問題になってもおかしくありません。

 ですが、そのステートメントの後、その国はこの件に関して一切何も発信せず、沈黙を守り続けました。ほどなくして捜査の主管が警視庁に移管し、まもなく検死解剖を終えた遺体が引き渡されると、ステートメントの内容はおろか、それが出された事実まで、外務省のホームページから削除されます」

「・・・たーたん。ちっこ・・・」

「すいません」

「トイレはこのドアを出て・・・」

「左の奥ですよね。何度も使いましたから・・・」

 あの時と、同じだ。

「野中詩織」が殺され、どこかの女の子の遺体が見つかり、両親が抗議し、遺体が引き取られ、こうしてレナは生きている。

 サキさんと彼のスタッフは「サキさん」を殺すことに成功したのだ。そして、今も、どこかで生きている。間違いない。

 娘の新しい紙パンツを履かせながらレナはそう、確信した。

 再び席に着いたレナに、ミタライさんはひとつ、頷いた。

「続けてもよろしいですか」

「はい。お願いします」

「それでは、二点目にまいります」

 レナと娘の前にそれぞれ一通づつ、銀行の預金通帳が置かれた。レナの通帳の名義は斎藤麗奈。冊子の表紙は通常のものだが、娘のそれにはクマのキャラクターが印刷されていた。ちゃんと娘の名前が印字されている。

「お手に取って名義と中の記載をご確認ください。それはあなたの口座です。二年前の十月から、毎月一定の額が振り込まれております」

 通帳を開いた。言葉の通り、毎月二十万づつ、二年前から入金が続いていた。

 しかし、それよりもレナの驚きは娘の名義の通帳に、その生まれた日から毎月同額が振り込まれていたことにあった。

 やっぱり。

 彼は、サキさんは、生きている。

 どこかで、自分と娘を見守ってくれているのだ。そして、娘の名前を、知ってくれている。

 ほっこりした気持ちに、目が熱くなった。

 心なしか、ミタライさんの目にも優し気な色が浮かんでいるように見えた。

 それから彼はファイルから一枚のパンフレットを取り出し、テーブルに置いた。

「振り込んでいる、その名義人は実在する財団です。このパンフレットにホームページのURLもあります。

 この入金はあなたの存命中、かかさず行われます。仮にあなたが八十歳まで生きたとすれば、生涯に受け取る金額は約一億四千万あまりになります。そしてそれはあなたのお子さん全てに適用されます」

「全て?」

「このお嬢さん。そしてお腹のお子さん。さらに、これからあなたが設けるお子さんが出生するごとに口座が作られ、振り込みが行われます。それが何人になろうとも、同じです。父親が誰であろうと、あなたが出産されたお子さんには必ず同様の措置が適用されます」

「・・・あの、この財団に問い合わせれば、サキさん、依頼人さんと連絡が取れますか?」

「ご連絡なさるのはご自由です。ただし、直接お問い合わせになっても、意味がないかもしれません」

「どうしてですか」

「この入金は依頼人の意志で行われております。その代行をこの財団が行っているのです。守秘義務規定というものがあり、それに抵触する場合は、何も教えてくれないでしょう」

 それから彼はポケットから鍵を取り出し、ファイルから一枚のカードと名刺を抜いてテーブルに置いた。名刺はある銀行のもので、カードは貸金庫室のカードキーだった。

 また、貸金庫か。

 レナはそこにクリトリスの吸引器を入れたことを懐かしく思い出した。

「その貸金庫に何があるのか、小職は存じません。ですが、その中にあるものについてご質問があれば、一般的な範囲でお答え致します。暗証番号はあなたがご存じのはずです。よろしいですね? あなたにお渡しするものは、以上です」

 そう言って、彼はファイルを閉じた。

 いつの間にか娘は眠っていた。握ったマグカップを取り、タオルで包んでバッグに入れた。

「・・・いろいろ、ありがとうございました」

「お待ちください」

 席を立とうとしたレナを、ミタライさんは呼び止めた。

「まだ、要件の三つ目が残っています」

「え?」

「お掛けください」

 レナは座り直し、バッグからバスタオルを取り出して、冷房で冷えすぎないように娘にかけた。

 彼はファイルを置くと、柔和な表情で静かに語り始めた。

「三つ目には、小職の、わたくしにかかわることが関係しています」

 と、彼は言った。

「わたくしは、弁護士資格を得てから四十年余り。今お話しした財団とのやり取りを含め、依頼人の権利の全てを守り、権利の行使と要望を代行してまいりました。しかし、ご覧の通りの老齢で、あと十年お仕えできるかどうか・・・」

「・・・」

「そこで、ですが、サイトー様」

「・・・ハイ」

「直截に申しますが、わたくしの後を継いでいただくわけにはいきませんか?」

「後を、・・・継ぐ?」

「弁護士資格を取り、わたくしの代りに、依頼人の代理人を引き継いでいただきたいのです。これはわたくしの意志であるとともに、依頼人の、希望でもあります」

「あたしが? 弁護士、ですか・・・」

「いかがですか?」

「無理です」

 御手洗さんはふうと大きく息をつくと、ソファーの背に深く凭れた。

「たしかに、弁護士になるには司法試験という、最も難しい試験に合格しなければなりません。現在の制度ではまず、司法試験予備試験に合格し、五年以内に司法試験に合格すれば取得できます。わたくしは三度目で合格しました。今ならもっと効率的に勉強をすすめることが出来ると思います。なんでもそうですが、ある、カンどころのようなものがあるのです。もし、お望みなら、わたくしがつきっきりであなたにそのカンどころを伝授いたします。

 お分かりになりませんか。わたくしが今申しましたように、もし、あなたがわたくしに代わってわたくしの職務を引き継げば、あなたが一番ほしいもの、つまり、」

 彼の表情はぐっと和らぎ、温かい微笑みを浮かべた。

「わたくしの依頼人についての、全ての情報を得ることが出来るのです。彼の全ての権利を守り、代行するということは、つまり、そういうことなのです」


 

 夕方のラッシュに巻き込まれる前に家路につくにはまだ少し時間があった。

 レナはすこし脚を延ばして、思い出の場所に行ってみることにした。

 まだ蒸し暑いが、潮風を含んだ風が、少し開けたウィンドーから流れてきた。それと同時に、がれきを崩す、ガラガラという音と、重機がうなる音も。

 そこはすでに真っ新の更地になろうとしていた。

 二年前、レナがサキさんに本当の女にしてもらった、思い出深いプレイルームのあった建物には、巨大な建設機械が取りつき、ビルの残骸をむしり取っていた。傍にはホースを構えた作業員が、埃が舞うのを防ぐために大量の水を浴びせている姿があった。

 そばにある大きな看板には、来年オープンする予定の大型ショッピングモールと物流ターミナルの複合施設の告知が掲げられている。


 

 全ては移ろい、流れて行く。


 

 教えられた銀行の貸金庫には、あるファンドの証券と目論見書、それに専用口座の通帳があった。名義は財団になっているが、キャッシュカードと印鑑まである。つまりレナが自由に出し入れできる口座だということだ。ただし、これは、たぶん、脱税だ。短期間だったが、サキさんの秘書をしてスミレさんに仕込まれたおかげで、そういう知識が備わっていた。

 ミタライさんが何故あのような物言いをしたのか、これでレナにもわかった。

 弁護士として、サキさんの生存も、貸金庫の中身も、知っていてはいけない情報を口にするわけにはいかなかったのだ。

「わたくしもこのトシですから、夜通しの運転などが堪えるようになってしまいました」

 事務所での別れ際、ミタライさんはそう言って笑い、レナにさりげなく一通の手紙を手渡した。


 

 ファンドの口は百万口あった。ご丁寧に今日の経済新聞の一ページもそえてあり、その投資信託の部分に赤丸がしてあった。今日のレートは五千五百二十六円。暗算で計算したレナは血の気が引いた。毎年二回配当がある。仮に五十円だとすれば、一回の配当で、秘書時代の年収に相当した。

 足が震え、しばらく貸金庫室から出られなかった。


 

 運転席でハンドルを握ったまま、ビルが瓦礫にされてゆくのを見ながら、レナはある妄想をした。


 

「やっと会えたな、レナ。あんなにポコポコ産みやがって。そんなにあの柔道部のがいいのか、んん? 第二夫人にしてやったのに。次から次に、孕みやがって」

「ああっ! 申し訳、ありませ、はあっ!・・・ううっ!」

「ここも、もうガバガバだろう。おや? 意外に締めるな。まだ小娘のくせに。生意気に僕をイカそうとしてるのか、お前は。なんつう、スケベな娘だ。そういうエロ娘にはお仕置きだっ!」

「あああーっ! もっと、叩いて。もっと、いっぱい突っ込んで! あたしを、めちゃくちゃにしてぇーっ!」

「あいつはこんなことしてくれるか。縛って、吊るして、ケツ叩いて、ムチで虐めてくれるのか? んん?」

「優しいから、とっても、優しいから、子供にも、だから・・・」

「好きなのか、柔道部が」

「好きです。・・・愛してます」

「そうか。じゃあ、やめるか?」

「いや! やめないで。もっとして! もっと犯して下さいっ! ああっ!」

「柔道部の妻と、僕の第二夫人と。どっちも欲しいのか」

「欲しい。どっちも欲しいです。ユーヤも、スミレさんも、みんな、全部欲しいですーっ!」

「欲張りな奴だな。ほんとうに、おまえという奴は、・・・めちゃめちゃ可愛いやつだ。思い切り、イケ!」

「ああーっ! ありがとう、ございます。レナは、イク、イキまーす!」


 

「おおーう。あで。たーたん。あで。うおー!」

 チャイルドシートで眠っていた娘の声で現実に帰った。娘はいつの間にか目を覚まし、窓に張り付くようにしてダイナミックに動き回る建設機械に夢中になっていた。そういうところはきっと、自分に似たのに違いないとレナは思う。

 ポーチから手紙を取り出す。封を切る。一読して、微笑む。娘にも、見せてやる。

 手紙にはたった一言、「生きろ」とあった。


 

 レナの目の前に広がる大海原。

 そのどの航路をとっても構わなかった。

 愛する夫、トオルの妻として、大勢の子供にかこまれる道もある。新しくできた会社の経営者としてビジネスで活躍する道もある。遣い切れないほどのお金を気が済むまで存分にハデに使いまくる道もある。そして、弁護士となり、いつか最愛のご主人様に再会し、第二夫人として、一のスレイヴとして、生涯使える道もある。

 レナはその全ての道を歩みたい。欲張りだと言われようが、何と言われようが、全ての生を生きたい。その全てを手にしたい。

 一度きりの一生なら、その全てを、限界まで試したい。


 

「こで? おおう。 こで?」

「あんたがそれを読めるようになるまでに、お母さん、弁護士になろうかな。ほとんど無理かもしれないけど、やってみるよ。応援してくれる? 」

 娘は手紙を舐め、よだれ塗れにして、くちゃくちゃに丸めた。

「あーあ。クマのお父さんの大事なお手紙なのに。メッ! あ、お父さんに電話しなくちゃ」

 スマートフォンを取り出し、LINEする。

 忙しいのか、なかなか出なかった。

「お父さんとお話終わったら帰ろうね。今日はよく頑張ったね。えらかったよ。あともう少し、いい子にしててね、・・・サキ」

 レナは初めての出産という大事業を終え、娘を抱いてその名前を口にした時の感動を今も忘れない。レナはその時初めて、敬称抜きでその名を呼んだ。

「あ、あたし。今どこ? ・・・そう。こっち終わったから、今から帰るね。・・・うん、元気だよ。とってもおりこうだった。・・・あたしも大丈夫。・・・心配ないって。ゆっくり安全運転するから。

 あ、そうだ、トオル。帰ってからでもよかったんだけど、今言いたいんだけどね、あのね、お願いがあるの。

 この子産んだらさ、また、ピアスしてもいい? ・・・どこにって、決まってるでしょ。オ・・・」

 チラと、娘と目が合った。

「決まってるでしょ、・・・あ・そ・こ」


 


 


 


 


 


 


 

                     了
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