SHOTA

MIKAN🍊

文字の大きさ
上 下
30 / 46

30.悲しみの正体

しおりを挟む
その記憶は何処から来たのか。
二人の波長はぴったり合って、深く関係する者達の記憶さえ掘り起こしてゆく…
線虫達がその水先案内になっている事は間違いなかった。


…実を申しますとあれは、翔太は施設で貰い受けた子でしてね。実子ではないのです。

それまで私達夫婦には一人息子がいたのですが、交通事故で亡くしてしまいましてね。まだ幼稚園でした。運命を呪いましたよ。加害者のドライバーを殺してやりたいと思いました。妻も私も悲しみに打ちひしがれました。
とくに妻の落ち込み方はひどかった。子が親より先に逝く事ほど辛い現実はありません。

私には仕事がありましたからまだ良かったのです。社員達の生活を支えなくてはならないという義務がありましたからね。


嘘だ。嘘っぱちだ。

あんたは楽しんでたんじゃないか。俺はネットで見たぜ。

他の女と。


それが気を紛らわせる事にもなったのでしょう。
ところが妻はどんどん衰弱していってしまいました。精神的にです。むろん体の方もみるみる痩せ細っていきました。
私の前では気丈に振舞っていましたが。そうですね。気の強い女だったのですが。そのうち就寝中に突然叫び出したり、家の外へ彷徨い出たり。しまいに台所で手首を切ってしまいまして。一命は取り留めましたが。

ボロボロになった熊の縫いぐるみを離そうとしないのですよ。不憫でなりませんでした。

不憫でなりませんでした。

不憫でなりませんでした…



翔太君。
違うと思うわ。

違わないよ。


お父さんもお母さんも辛かったのよ。


そうかい。俺には関係ないよ。

あんな縫いぐるみ、燃やしちゃえば良かったんだ…


その頃私の知人に児童養護施設を運営している者がいましてね。そこで養子を取るのはどうかという事になりまして。安易だとお思いですか。でもね、我が子を無くす苦しみがどんなだか私はそれまで考えた事もなかった。まるで地獄です。
結局悩みましたが何もしないよりましだろうと。
子どもを選んだのは私です。とても私に懐いてくれてね。それが翔太だったんです。まだ一歳にもならない頃で。
つぶらな瞳が光り輝いて見えました。

その子を意気揚々と家に連れ帰りました。これできっとうまくいくと。
最初妻はヒステリックに泣きわめいたりしましたよ。「そんな子はいらない!私の子を返せ!」と言ってね。
私の事を「あなたは鬼だ」となじりました。「あなたはあの子の事をもう忘れたのか」とね。
けれどそのうち泣いている子どもをあやすようになりました。嬉しかったなあ。あの時は…。
妻が笑っている顔を見るのは久し振りでした。翔太が妻と私を救ってくれたのです。
そうして月日はあっという間に経ちました。


わかる、あなたは必要とされていたのよ。

一時しのぎだろ。

そんな事、無いわ…


本当にあっという間でした。私達は幸せな時を過ごしました。仕事は忙しかったですが充実していましたね。
親と子の関係に血の繋がりなど無用なのだなと初めて知りましたね。

ところが運命てのは残酷なものですね。翔太がひょんな事から出生の秘密を知ってしまいましてね。隠すつもりはなかったのですが翔太が成人してからでも遅くはないだろうと。のんびり構えていたのが良くなかったんですかね。
何ですか、親子の血液型が合わないとかそういうのが流行った時があったでしょう。それで面白半分に調べたら不都合な事実が出て来たのでしょうね。
真っ直ぐに目を見つめてきて「父さん。本当の事を教えてくれ」と。あいつの目は特別な時があるでしょう。
それで話しました。妻と二人と。

翔太は最後まで取り乱したりせず黙って聞いていましたよ。そして兄さんの事を話してくれてありがとうと、それだけ一言。 
いろんな思いがあったろうと思います。
あいつはそれを理由にグレるという事もなく残りの高校生活をきちんと送りました。私達の不安は杞憂に終わりました。
ところが卒業が近づいたある日の事です。
私はてっきり大学に進むものだと思っていました。一人息子ですし出来れば跡を継いで欲しかった。出来の悪い方ではなかったんです。


成績は良かったわよね。

トップはいつも優子ちゃんだった。

フフン。


あいつは、翔太は言いました。またあの目で。
「父さん。大学には行かない。今までありがとうございました。俺は自分で、自分一人で生きてみたい。五年間だけ好きにやらせて欲しい。そしたら家業を継ぐよ。何でもする」と。
私は嬉しかった。こいつはこいつなりに色々考えがあっての事に違いない。自分で何かを決めてやると言い出したのはこの時が初めてでした。

随分甘やかして育てましたからね。知らぬ間に大人びた事を言うようになった。
私は了承しました。「好きにやってみなさい。ただし連絡はしてくれ」と。
妻は反対しました。毎日説得しましたよ。
でもこんな事になってしまって。どうだったのかな。その選択が正しかったのか今となっては私にもわかりません。

翔太は私達の仕送りにもいっさい手をつけず自力で生活をしていました。いろんな職を転々としながらね。
カップラーメンばかり食べてあんなにやつれて。それでも生き生きしていましたよ。
園子さん、あなたに会えて良かったとそればかり言っていましたよ。


本当にお喋りな親父だな。

愛していたのよ、ううん、今もあなたを愛してる…
いろんな人が翔太君、あなたを愛してる。


車はいつの間にか美しく整備されたロータリーを走っていた。ゆっくりと回遊する小さなクジラのように。
海に近い高台の大学病院。
真っ白で巨大な壁が今は園子を押し潰そうと立ちはだかっていた。

「着きました」
園子はドアを開け降り立った。
潮風が彼女の自慢のポニーテールを撫でていった。



亡くなったお兄さんの事、考えた事ある…

無いね。俺には関係ないから。


そっちの方が嘘っぱち。あなたはとても気にしてるわ。


そうだな。その子はトラックに跳ねられたんだよ。
だから俺はデカイ車に乗ってる奴が嫌いなんだ。

お母さんを悲しませたからでしょう。


違うね。俺の運命を狂わせたからさ。今度は俺がこいつらの運命を握ってるってわけだよ。お前もな、優子ちゃん。


キュービクル式受電設備が容量を超えてとうとう大爆発した。

しおりを挟む

処理中です...