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第一章 ドラゴン・スレイヤー
第11話 撃癒師、困惑する
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結納品の手配にこれからかかる旅費とその他の様々な経費。
それは銀環を見せることで、簡単に調達することができた。
宮廷魔導師はいざという時に備えて、身分証明書となる銀環を関係機関の出先で示せば、いくらかの額を自由に動かせるのだ。
もちろんその経費は貸付で、後から返済する義務があるけれど。
カールはここに来た時治療した領主の治療代をそれに当てる気でいた。
治療費は王都に戻ってから、貴族院より支払いがなされるからだ。
貴族の治療とはそれほど高額なものだった。
「馬がいいんだ?」
「はい、馬がいいです。牛や山羊もここでは立派な財産になります」
なるほど、貨幣よりも家畜の多さが、貧富の差を決める世界か。
王都とはまるで違う経済的な価値観に、カールは驚きを隠せない。
「他に、土地も良いですが……農具なども喜ばれます。あと」
「ふんふん」
「株券ですね」
は?
目が点になった。
なんだ、株券とは?
サティナが要点を諳(そらん)んじる。
「つまり、年寄株です。氏族の役職を持つ有力者であることを示すもの、それが年寄株です」
「なるほど、それで株券、か。それって簡単に買えるものなの?」
「……うーん。いきなりは難しいかもしれません。土地、土地で商いをしたりして、名前を知ってもらう必要があります」
彼女は腕組みをして、他に何があるかな、と指折り数え始める。
それを横目に見ながら、カールは新しく発行された自分の身分証を確認した。
上書きされたそこには、サティナの来歴がある。
来歴とは、その人間が生れてから死ぬまでの間、結婚したり子供を産んだりといった履歴のことだ。
そこには、サティナ・アルダセン。ラフトクラン王国ルィゼス州出身、三度の離婚歴あり、と記されていた。
どの離婚歴もすべて、夫との死別によるもの、と補足がある。
「僕は土地に住むわけではないから、その株券を手に入れるのは一苦労しそうだね」
「旦那様は貴族ですから、望めば手に入るかと」
「なるほど」
年齢は二十一歳。自分より七歳年上で、未亡人かー。
子供はおらず、直径の家族はイゼアのみ。親戚まで知るには戸籍謄本が必要になるだろう。
そして、六歳のときに養子として入籍の二文字も見つけた。
土地の有力者になれる株券。
さて、あのイゼアとその弟とやらがそれを手に入れてまともにやっていけるだろうか、とカールは首を傾げる。
そうこうしているうちに、河を下る船に乗る時間が近づいていた。
「じゃあ、これでいこう。家畜に必要な農具を揃えさせて、と」
「代行業者がおりますから。うまく手配しておきます、旦那」
と、切符を販売している売り場から、例の職員が顔を覗かせて言った。
こんな田舎に貴族が来ることなんて滅多にない。いまのうちに名前を覚えてもらい、言うことを聞いて動けば出世にも繋がる。
それが土地の人々の生きる知恵というやつらしい。
彼の昇進に手を貸せる現実はしばらく訪れない気がするが、そこは濁しておく。
あれこれと希望すれば向こうが気を効かせてやってくれるのだ。これほど、楽なものはない。
「しっかし、また……」
と、職員の男はサティナを見て眉を持ち上げる。どこか歓迎していない感じの仕草だ。
「何ですか」
「旦那様も物好きですね。あんな行き遅れを貰うなんて」
「行き遅れ?」
「ここいらじゃ、女の結婚は十四歳から十五歳の間と、相場が決まっている。あれじゃ、いい子も産めやしない」
そういうものか。牧羊と農耕を主体とする肉体労働は過酷だろう。家族は多い方がいい。そして若くして過労で死んでいく。
なんとなくこの土地の人間模様が手に取るように分かる一言だった。
「王都では二十歳でも十分、婚期ですよ」
「そういうもんですか」
なるほどねえ、と男は納得するように肯く。どうやらカールは宝物ではなく、不良品を押し付けられた可哀想な世間知らずの貴族、と彼らの目には映ったらしい。
若すぎる自分をそう評価することも否定はしない。
だが、サティナを不良品呼ばわりすることだけは、許さないと心に決めた。
「僕がふさわしいと思い選んだ女性ですが何か文句がありますか」
「いえ、いいえ。滅相もない。文句なんてありませんよ。旦那様の人生に良い風が吹くことを祈っております」
そう言って男は次の客にかかってしまった。
人生に良い風が吹く? どういう意味だ?
後ろで控えるサティナに目で意味を問う。
「今から乗る帆船は普通の風ではなく、精霊風を受けて疾る特別なものだと、聞いています。船乗りたちは精霊の起こす良き風を選んで船を操舵するのだと。そこから来た故事です」
「土地独特の表現だね。ん、でも待って、精霊風か」
「どうかしましたか?」
「いや、あれだけドラゴンが暴れた後で、大気の精霊もたくさん騒いでいるんじゃないかなって。船、きちんと動くかな」
「それは――どうでしょうか? 私は見たことしかないのでわからないです」
「僕も精霊使いじゃないからね」
まあ船がやってくるということはどうにかしているんだろう。
やがてやってきた一艘の船は、高さ二十メートルほどのマストが三本ある、立派な木造船だった。
全幅は十メートル、全長は百メートルに近い大きさがある。
外洋船と評してもおかしくないそれは、水の下に船体がない珍しいものだ。
水面と反発する魔法を利用して、浮いているらしい。
これなら急な増水で水面が荒れても関係ないなと納得できるものだった。
「船は四階層からなっています。一番下が倉庫。二番目は家畜や場所などを置いています。三番目が平民の、一番上の階層に船員と貴族様たちの特別室を用意しております」
二人が荷物を持ち案内してくれた水夫が説明する。
船には船員と乗客を含めて二百人近い人間がいるのだとか。
特別区の入り口には銃を構えた別の水夫が二名、警護に当たっている。
「警戒をしていてもたまに盗賊などが入ることがございます。貴重品などは船長室にお預けください」
「まあ見ての通りそんな大した荷物もないから」
「かしこまりました。どうか良い旅を」
そう述べると、彼は一礼して去っていった。
「……旦那様のお荷物はそれほどございませんから」
「君の荷物はちゃんと管理してもらってるよ」
「すいません。私のものばかりに多くなってしまって」
「しょうがないよ」
嫁に貰ったんだから。押し付けられたと言うべきか。
母親が自由になりたいために追い出した可能性だって十分ある。
部屋の中はベッドが二つ。クローゼットと浴室にトイレも別々で用意されている。
移動式のホテルのようだな、とカールは思った。
サティナは船旅そのものの経験が少ないらしい。
部屋の中をあちこちと探ってみてはしきりに感心し、肯いていた。
「これから三日間。どっちのベッドを使ってもいいよ」
「旦那様の良いようになさってください」
寝室について話を振った途端、サティナは目を逸らしてそう言った。
自分には決める権利がないそう言っているようにも思えた。
奴隷を購入したわけじゃないし、召使いとして雇ったわけでもない。
愛人でも構わないと言われたけどそうする覚えもない。
「じゃあ君は右側で。その方が壁に向いているし、窓もあるから船酔いをしづらいと思う」
「船酔い?」
「船の上で揺れていると、感覚がおかしくなり、吐いてしまうことがあるんだ。慣れる人もいれば慣れない人もいる。まあ、そうなったら治癒魔法をかけてあげるから、言ってくれたら大丈夫だよ」
「はい、わかりました」
その後、どんな話をするべきかちょっと迷う。
彼女も悩んでいるようで、その原因はあの「行き遅れ」と職員が発した、不躾な一言にあることは察しがついた。
「一緒の部屋で寝泊まりして……本当に良いのでしょうか」
「仕方ないよ。夫婦という形で乗船したんだから。召使いとかなら、格下の部屋もあっただろうけれど」
「私はそこでも別に良かったのです、旦那様と同じ部屋など、恐れ多いことです。母の無茶を聞いて頂いた上に、ここまでして頂けるなんて」
素直に感謝の気持ちを述べるサティナにカールはちょっと複雑な思いだ。
召使いということで乗船させたら、男女問わず同じ部屋で何十人もが、王都に着く三日間を過ごすことになる。
それを聞いて彼女の安全が守られるとはなんとなく思えなかった。
単なる好意。
ちょっとした事が倍以上の感謝となって戻ってくる。
そんないいことはしてないよ。
少年は感謝されることに慣れていない。不器用な人間だった。
それは銀環を見せることで、簡単に調達することができた。
宮廷魔導師はいざという時に備えて、身分証明書となる銀環を関係機関の出先で示せば、いくらかの額を自由に動かせるのだ。
もちろんその経費は貸付で、後から返済する義務があるけれど。
カールはここに来た時治療した領主の治療代をそれに当てる気でいた。
治療費は王都に戻ってから、貴族院より支払いがなされるからだ。
貴族の治療とはそれほど高額なものだった。
「馬がいいんだ?」
「はい、馬がいいです。牛や山羊もここでは立派な財産になります」
なるほど、貨幣よりも家畜の多さが、貧富の差を決める世界か。
王都とはまるで違う経済的な価値観に、カールは驚きを隠せない。
「他に、土地も良いですが……農具なども喜ばれます。あと」
「ふんふん」
「株券ですね」
は?
目が点になった。
なんだ、株券とは?
サティナが要点を諳(そらん)んじる。
「つまり、年寄株です。氏族の役職を持つ有力者であることを示すもの、それが年寄株です」
「なるほど、それで株券、か。それって簡単に買えるものなの?」
「……うーん。いきなりは難しいかもしれません。土地、土地で商いをしたりして、名前を知ってもらう必要があります」
彼女は腕組みをして、他に何があるかな、と指折り数え始める。
それを横目に見ながら、カールは新しく発行された自分の身分証を確認した。
上書きされたそこには、サティナの来歴がある。
来歴とは、その人間が生れてから死ぬまでの間、結婚したり子供を産んだりといった履歴のことだ。
そこには、サティナ・アルダセン。ラフトクラン王国ルィゼス州出身、三度の離婚歴あり、と記されていた。
どの離婚歴もすべて、夫との死別によるもの、と補足がある。
「僕は土地に住むわけではないから、その株券を手に入れるのは一苦労しそうだね」
「旦那様は貴族ですから、望めば手に入るかと」
「なるほど」
年齢は二十一歳。自分より七歳年上で、未亡人かー。
子供はおらず、直径の家族はイゼアのみ。親戚まで知るには戸籍謄本が必要になるだろう。
そして、六歳のときに養子として入籍の二文字も見つけた。
土地の有力者になれる株券。
さて、あのイゼアとその弟とやらがそれを手に入れてまともにやっていけるだろうか、とカールは首を傾げる。
そうこうしているうちに、河を下る船に乗る時間が近づいていた。
「じゃあ、これでいこう。家畜に必要な農具を揃えさせて、と」
「代行業者がおりますから。うまく手配しておきます、旦那」
と、切符を販売している売り場から、例の職員が顔を覗かせて言った。
こんな田舎に貴族が来ることなんて滅多にない。いまのうちに名前を覚えてもらい、言うことを聞いて動けば出世にも繋がる。
それが土地の人々の生きる知恵というやつらしい。
彼の昇進に手を貸せる現実はしばらく訪れない気がするが、そこは濁しておく。
あれこれと希望すれば向こうが気を効かせてやってくれるのだ。これほど、楽なものはない。
「しっかし、また……」
と、職員の男はサティナを見て眉を持ち上げる。どこか歓迎していない感じの仕草だ。
「何ですか」
「旦那様も物好きですね。あんな行き遅れを貰うなんて」
「行き遅れ?」
「ここいらじゃ、女の結婚は十四歳から十五歳の間と、相場が決まっている。あれじゃ、いい子も産めやしない」
そういうものか。牧羊と農耕を主体とする肉体労働は過酷だろう。家族は多い方がいい。そして若くして過労で死んでいく。
なんとなくこの土地の人間模様が手に取るように分かる一言だった。
「王都では二十歳でも十分、婚期ですよ」
「そういうもんですか」
なるほどねえ、と男は納得するように肯く。どうやらカールは宝物ではなく、不良品を押し付けられた可哀想な世間知らずの貴族、と彼らの目には映ったらしい。
若すぎる自分をそう評価することも否定はしない。
だが、サティナを不良品呼ばわりすることだけは、許さないと心に決めた。
「僕がふさわしいと思い選んだ女性ですが何か文句がありますか」
「いえ、いいえ。滅相もない。文句なんてありませんよ。旦那様の人生に良い風が吹くことを祈っております」
そう言って男は次の客にかかってしまった。
人生に良い風が吹く? どういう意味だ?
後ろで控えるサティナに目で意味を問う。
「今から乗る帆船は普通の風ではなく、精霊風を受けて疾る特別なものだと、聞いています。船乗りたちは精霊の起こす良き風を選んで船を操舵するのだと。そこから来た故事です」
「土地独特の表現だね。ん、でも待って、精霊風か」
「どうかしましたか?」
「いや、あれだけドラゴンが暴れた後で、大気の精霊もたくさん騒いでいるんじゃないかなって。船、きちんと動くかな」
「それは――どうでしょうか? 私は見たことしかないのでわからないです」
「僕も精霊使いじゃないからね」
まあ船がやってくるということはどうにかしているんだろう。
やがてやってきた一艘の船は、高さ二十メートルほどのマストが三本ある、立派な木造船だった。
全幅は十メートル、全長は百メートルに近い大きさがある。
外洋船と評してもおかしくないそれは、水の下に船体がない珍しいものだ。
水面と反発する魔法を利用して、浮いているらしい。
これなら急な増水で水面が荒れても関係ないなと納得できるものだった。
「船は四階層からなっています。一番下が倉庫。二番目は家畜や場所などを置いています。三番目が平民の、一番上の階層に船員と貴族様たちの特別室を用意しております」
二人が荷物を持ち案内してくれた水夫が説明する。
船には船員と乗客を含めて二百人近い人間がいるのだとか。
特別区の入り口には銃を構えた別の水夫が二名、警護に当たっている。
「警戒をしていてもたまに盗賊などが入ることがございます。貴重品などは船長室にお預けください」
「まあ見ての通りそんな大した荷物もないから」
「かしこまりました。どうか良い旅を」
そう述べると、彼は一礼して去っていった。
「……旦那様のお荷物はそれほどございませんから」
「君の荷物はちゃんと管理してもらってるよ」
「すいません。私のものばかりに多くなってしまって」
「しょうがないよ」
嫁に貰ったんだから。押し付けられたと言うべきか。
母親が自由になりたいために追い出した可能性だって十分ある。
部屋の中はベッドが二つ。クローゼットと浴室にトイレも別々で用意されている。
移動式のホテルのようだな、とカールは思った。
サティナは船旅そのものの経験が少ないらしい。
部屋の中をあちこちと探ってみてはしきりに感心し、肯いていた。
「これから三日間。どっちのベッドを使ってもいいよ」
「旦那様の良いようになさってください」
寝室について話を振った途端、サティナは目を逸らしてそう言った。
自分には決める権利がないそう言っているようにも思えた。
奴隷を購入したわけじゃないし、召使いとして雇ったわけでもない。
愛人でも構わないと言われたけどそうする覚えもない。
「じゃあ君は右側で。その方が壁に向いているし、窓もあるから船酔いをしづらいと思う」
「船酔い?」
「船の上で揺れていると、感覚がおかしくなり、吐いてしまうことがあるんだ。慣れる人もいれば慣れない人もいる。まあ、そうなったら治癒魔法をかけてあげるから、言ってくれたら大丈夫だよ」
「はい、わかりました」
その後、どんな話をするべきかちょっと迷う。
彼女も悩んでいるようで、その原因はあの「行き遅れ」と職員が発した、不躾な一言にあることは察しがついた。
「一緒の部屋で寝泊まりして……本当に良いのでしょうか」
「仕方ないよ。夫婦という形で乗船したんだから。召使いとかなら、格下の部屋もあっただろうけれど」
「私はそこでも別に良かったのです、旦那様と同じ部屋など、恐れ多いことです。母の無茶を聞いて頂いた上に、ここまでして頂けるなんて」
素直に感謝の気持ちを述べるサティナにカールはちょっと複雑な思いだ。
召使いということで乗船させたら、男女問わず同じ部屋で何十人もが、王都に着く三日間を過ごすことになる。
それを聞いて彼女の安全が守られるとはなんとなく思えなかった。
単なる好意。
ちょっとした事が倍以上の感謝となって戻ってくる。
そんないいことはしてないよ。
少年は感謝されることに慣れていない。不器用な人間だった。
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