上 下
16 / 51
新たな日常編

05_異変④

しおりを挟む
 自転車置き場を離れ、近くの洗面所で蛇口をひねり、顔にこびりついていた血液を洗い流す。知らぬ間に大柄の男たちとの戦闘で、顔面に血液がついてしまっていた。洗い流していると、口のなかに、こびりついた血液が水と混ざって、流れ込み、全身にえもいわれぬ快感が花開く。

 美味しい。

 なんだ、この味は......。

 血って、こんなに食欲を満たすものだったのか。

 今まで、血を美味しいなんて感じたことがない。味覚や食欲も時が経過するにつれて着実に狂い始めている。僕は、自分の身体が自分でなくなっていく感覚に寒気がした。

 顔を上げ、洗面所の鏡を見た。鏡には、必死に舌を使い、血を啜ろうとする哀れな自分の姿が映っていた。これ以上、血を摂取すれば、僕は、人間ですらなくなると思い、血を飲むことを慌てて止めた。

 急がなければ、学校の授業が始まってしまう。今は、考えないでおこう。いつも通り教室に行って、いつも通り授業を受けよう。そうすれば、いつもの日常に戻ることができるはずだ。きっと。

 教室に入ると、同級生たちが、楽しげに雑談をしていた。僕は、自分の机まで歩くと、椅子に座った。隣の席にいるアルバートは何を考えているのか、肘をつき、窓の外の景色を眺めていた。外の景色を眺めていて、僕が、席に座ったことに気づいていないようだった。

「おはよう、アルバート」

 僕は、外を眺めるアルバートに、話しかけると、彼はこちらを見て言った。

「鬼山か。おはよう。この辺で見つかった変死体の話、聞いたか?」

 アルバートは、僕が、話しかけるやいなや変死体の話をしてきた。もともと、変死体の話はするつもりはなかったが、彼から話をされたのでは、話題にしない訳にはいかない。

「ああ、聞いたよ。獣の毛が生えた死体が見つかったとか。やっぱり、半獣たちと関わりがあるのかな?」

「俺は、関わりがあると思っている。ただ、昨日、出会った奴らがやったと考えると、若干の違和感が残る。奴らが、タイムベルの地下に隠れ住んでいる奴らが、そんな目立つようなことをするとは考えにくい」

「そうだね。半獣とはいえ、簡単に、誰かを殺傷したりする人たちには見えなかった。人を殺さないという掟を作ってるくらいだし」

「狼野郎は、ともかく、他の奴らは、人との面倒事を起こしたくないはずだ。狼野郎が面倒事を起こそうとしても、それを必ず阻止するだろう。俺は、昨日の奴ら以外に、半獣がいると考えている」

「本当に。半獣が、他にもいるなんて考えたくないけれど」

 実際、昨日出会った半獣のような人たちが、他にいてもおかしくなかった。人目を避けて、暮らしているとはいえ、彼らの存在が世間に公になっていないことが不思議なくらいだ。

「あくまで、何の根拠もない推測だからな。ただ、一つ確実に言えることは、半獣とつく奴らとは関わらない方がいいということだけだ。俺も、奴らとは、もう関わりたくはない」

 僕は、朝から自分の体に起きている異変のことを話すべきか迷っていた。アルバートに、自分の異変について話せば、相談にのってくれるかもしれない。

「あの......アルバート。実は、朝から......」

 アルバートに、体の異変について話そうとした時だった。タイミング悪く、教室の扉が開いて、担任の先生が入ってきた。

 先生は、教壇まで行くと、朝礼を始めた。彼女の名前は、倉西七愛。美しく艶やかな長髪と朗らかな笑顔が印象的な日本人女性だ。

 イギリスの学校で日本人の先生が教鞭をとっているのは、珍しかった。どういった経緯で、イギリスの学校にいるのかは、定かではない。

 午前中の授業が終わった後の昼休み。僕は一人、図書館に行き、本を読んでいた。これは、毎日の習慣だ。どうも、教室の中は話し声が聞こえて、落ち着かないため、図書館の静かな空間で本を読むのが好きだった。アルバートは、一人でこっそり屋上で昼寝をしており、基本的に会って話すことはなかった。

 図書館で本を読み終えて、教室に戻っていたところ、たまたま、倉西先生が、書類を持って、向こう側から歩いているのが見えた。

 すれ違いざまに、倉西先生が僕に話しかけてきた。あまり、倉西先生から何かを話しかけることはない。すれ違って終わりだと思っていたので、話しかけられるのは不意討ちだった。何を先生から言われるのだろうか。若干、緊張していた。

「鬼山くん、昨日の晩、どこかに歩いてたでしょう。あまり、夜中に外を出歩いては駄目よ。殺人事件も、最近、起こっているようだし」

「確かに、出歩いていましたが、どうして、僕が、夜中に出歩いていたことを知ってるんですか?」

 昨日の晩、タイムベルに出歩いていたことは、学校で話していないから、アルバートと僕以外は知らないはずだ。

「買い物に、出掛けた時に、偶然、鬼山くんが、夜中に出歩いているのを見かけたの」

「そうだったんですね。まさか、見られていたとは思いませんでした」

「ところで、アルバートくんはどこにいるか知ってる?教室にはいなかったけれど」

「いや、知りません」

 アルバートが、屋上でいつも昼寝していることは知っていたが、本来、屋上は立ち入り禁止の場所だ。屋上にいるなんて言うと、彼が強く叱られているところしか浮かばない。

「そう、分かったわ。あまり、夜中に出歩かないようにね。あれ、鬼山くん、その目どうしたの。何だか......おかし......」

 僕は先生の目を見つめながら話を聞いていると、彼女の様子が、急におかしくなった。まぶたが垂れさがり、呆然としている。彼女が持っていた書類は、両手から解き放たれ、廊下に散乱した。

「どうしたんですか?先生」

 心配して声をかけると、彼女は、突然、僕に抱きついてきた。それから、自らの首筋の辺りをあらわにし、頸動脈の部分を見せつけるようにアピールする。あまりに、奇妙な行動だ。担任の先生が、生徒にいきなり、こんな行動をとるだろうか。とても不自然だ。

 僕は、彼女の青々とした綺麗な頸動脈を見た瞬間、ある強烈な衝動に駆られた。

 ーー彼女の血を啜りたい。

 狂気に満ちた欲望が体の内側から、沸き上がり、理性を貪って行く。

 彼女の首筋をこれ以上、見つめてしまえば、僕は、自分を押さえられなくなって、彼女を傷つけてしまうかもしれない。

「鬼山くん、啜って......お願い、私の血を啜って......」

 沸き上がる食欲を必死に抑え込んでいるところに、脳が溶けてしまいそうなくらい優しい彼女の声が、耳に響く。

 身体が彼女の血を啜ることを求めても、僕の心は、それを望んでなんかいない。彼女を傷つけてしまえば、人間ではなくなってしまう。

「倉西先生、止めてください!お願いです!」

 僕は、彼女の体を揺らし、なんとか、正気を戻させようと、叫んだ。すると、彼女に、僕の叫び声が届いたのか、垂れ下がったまぶたが上がり、いつもの目つきに戻った。

「私、何してたんだっけ。あれ、床に書類が散らばってる」

 倉西先生は、何が起こったのか理解できていいないようだった。彼女は、あわてて、廊下に散らばった書類を、手に取ると、すぐさま職員室へ去っていった。

 どうやら、彼女の目を見つめることで、僕が彼女に何かしてしまったようだ。理性を保ち、自分を抑え込まなかったら、もしかしたら、今頃、先生を殺してしまっていたかもしれない。

 自分の体が、自分のものでなくなってきている。超人的な身体能力に、血を啜りたいという欲望。まさに半獣の特徴ではないだろうか。何がきっかけか分からないが、僕は、着実に半獣に近づいている。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結済】昼と夜〜闇に生きる住人〜

野花マリオ
ホラー
この世の中の人間は昼と夜に分けられる。 昼は我々のことである。 では、夜とは闇に生きる住人達のことであり、彼らは闇社会に生きるモノではなく、異界に棲むモノとして生きる住人達のことだ。 彼らは善悪関係なく夜の時間帯を基本として活動するので、とある街には24時間眠らない街であり、それを可能としてるのは我々昼の住人と闇に溶けこむ夜の住人と分けられて活動するからだ。そりゃあ彼らにも同じムジナ生きる住人だから、生きるためヒト社会に溶け込むのだから……。

呪配

真霜ナオ
ホラー
ある晩。いつものように夕食のデリバリーを利用した比嘉慧斗は、初めての誤配を経験する。 デリバリー専用アプリは、続けてある通知を送り付けてきた。 『比嘉慧斗様、死をお届けに向かっています』 その日から不可解な出来事に見舞われ始める慧斗は、高野來という美しい青年と衝撃的な出会い方をする。 不思議な力を持った來と共に死の呪いを解く方法を探す慧斗だが、周囲では連続怪死事件も起こっていて……? 「第7回ホラー・ミステリー小説大賞」オカルト賞を受賞しました!

滅・百合カップルになれないと脱出できない部屋に閉じ込められたお話

黒巻雷鳴
ホラー
目覚めるとそこは、扉や窓のない完全な密室だった。顔も名前も知らない五人の女性たちは、当然ながら混乱状態に陥り── あの悪夢は、いまだ終わらずに幾度となく繰り返され続けていた。 『この部屋からの脱出方法はただひとつ。キミたちが恋人同士になること』 疑念と裏切り、崩壊と破滅。 この部屋に神の救いなど存在しない。 そして、きょうもまた、狂乱の宴が始まろうとしていたのだが…… 『さあ、隣人を愛すのだ』 生死を賭けた心理戦のなかで、真実の愛は育まれてカップルが誕生するのだろうか? ※この物語は、「百合カップルになれないと脱出できない部屋に閉じ込められたお話」の続編です。無断転載禁止。

魔人狩りのヴァルキリー

RYU
ホラー
白田サトコ18歳ー。幼少の頃から不運続きで、何をやってもよくない方向に転がってしまうー。唯一の特技が、霊や異形の怪人の気配を感じたり見えると言う能力ー。サトコは、昔からずっとこの能力に悩まされてきた。 そんなある日の事ー。交通事故をきっかけに、謎の異能力を持つハンターの少女と遭遇し、護ってもらう代わりに取引をする事になる。彼女と行動を共にし悪霊や魔物と戦う羽目になるのだった。

こっくりさんの言ったこと

津田ぴぴ子
ホラー
バイトの同僚に誘われて、こっくりさんをやった時の話。

たたた

星来香文子
ホラー
とある離島で起きた、奇妙な出来事…… 何も信じられない、短編ホラーです。(全10話) ※カクヨムにも掲載しています

処理中です...