一億五千年論

東雲一

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「禁断の果実」

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 ついこの間、余命半年を告げられた。

 僕は、病院のベッドに横になり、窓から、木を登るセミの幼虫の様子をずっと観察していた。

 もう少しで羽化する。羽化する。頑張れ!頑張れ!

 数日前からずっと観察していた僕は、いつしか、このセミと自分を重ねていた。セミの寿命は一週間ほどと聞く。半年と言われた僕よりもさらに、短い期間だ。それだけの猶予のなか、次の世代へと命を繋いで行くのだ。

 それに比べたら、僕なんて。

 結局、この日、セミの幼虫は、羽化することなく、木の側面で動かなくなり、みるみるうちに白い胴体が黒く変色し、ついに木から落ちた。セミの幼虫の亡骸に、蟻が集まり、瞬く間に、幼虫の全身を覆った。

 セミは、命を使いきったのだ。青空に飛び立つことがなく、この世を去らなければならなかった。さぞ、無念だったに違いない。

 ごめんよ。僕には、何もできなくて。

 世界の理不尽さを嘆くつもりはない。もう、僕は嘆き疲れてしまった。嘆いたところで、何も変わらないことに、気づいたのだ。

 きっと、僕があのセミの幼虫を見て、どうしようもできないように、神様もまた、僕を見て、何も手を出すことができないのだと思うようにした。

 すっかり暗くなり、蛍光灯をつけながら、大好きなファンタジー小説を読んでいたが、今日のセミの幼虫のことが頭をよぎり、小説のページを閉じた。

 世界は複雑に見えて、とてもシンプルだ。

 命には、期限があり、遅かれ早かれ、終わりが訪れるのだ。ただ、その期限が他人よりも早く来てしまった。それだけの話なのだろう。だから、後悔なんて......。

 "本当に、君は、それでいいのかい"

 突然、不気味な声が聞こえた気がする。誰もないはずの部屋で、ふと、何かの視線を感じ、振り向いた。

 "やあ、はじめまして。にんげん"

 僕の視線の先には、得体のしれないものがあった。影から木の枝が伸び、枝のさきに果実がなっていた。果実には、目玉がひとつあり、僕を見つめている。

 僕はそんな得体のしれないものに遭遇し、とっさに布団の中に隠れた。

 怖い。怖い。なんだよ、あれ。

 "おやおや。後少しの命だというのに、恐怖を感じるのですね。恐れることはない。出ておいで。何も危害を加えるつもりはないから"

 僕は、恐る恐る、布団から顔を出した。

 "私はあなたたち、人間に興味があるのですよ。とてもいい観察対象だ"

 やっぱり怖い。この目の玉。

「な、な、何のご用でしょうか......」

 僕は、びくびくしながら、目の玉に向かって言った。

 "あなた、ずっと生きたくないですか。チャンスをあげましょう。これをお食べ"

 目の玉は、木の枝を僕の方まで伸ばすと、真っ赤な果実をならした。

 これはきっと夢に違いない。夢ならいいか。

 僕には、未練があった。誰かと恋をして、一緒に過ごしたい。それが、人間にあらかじめプログラムされた感情だったとしても。

 僕は自ずと、木の枝になる果実に手をやり、かぶり付いていた。それから、急激な眠気に襲われ、その最中、目の玉の声が聞こえた。

 "人間とは不思議な生き物ですね。いつか失うことが、分かっていてもつい手をのばしてしまう"

 ※※※

 奇妙な夢を見た翌朝、信じられないことが起きた。いきなり、昨日まで立ち上がることもできなかったのに、立ち上がれるようになっていた。

 僕が、立ち上がったことで病院中は早朝から、大騒ぎになり、両親や病院の人たちも喜んでいた。

 まさに奇跡だ。まさか、こんなことがあるなんて。

 元気になった僕は、学校に通うようになり、平凡な学校生活だったけど、クラスの友達とそれなりの日々を送った。時間が経つのは、とても一瞬で、高校を卒業し、大学へと進学した。

 大学に通っている時、もうひとつの奇跡が起きた。教室を出た時、一人の女性が立っていて、手紙のようなものを渡すと、顔を真っ赤にしてどこかに行ってしまった。

「う、嘘だろ。嬉しすぎる」

 女性が渡した手紙は、いわゆるラブレターだった。その日を境に、僕は彼女と遊園地に行ったり、映画を見に行ったり、水族館に行ったり、とにかく二人で色々なことをした。

 いつしか、彼女と過ごす日々が長くなるにつれて、一緒にいたいと思うようになった。

 会社員になり、自分一人でも、生計が立てられるようになった頃、僕は、自分から、プロポーズをした。

「僕とよかったら、結婚してください!」

 彼女は、笑顔で「はい!」と答えた。

 それから、彼女は僕に語ってくれた。彼女は、体が弱く、僕が以前、入院していた同じ病院にいて、大学で出会う前から、僕のことを知っていたのだそうだ。余命がわずかながらも、必死に生きて、体を回復させた僕を見て、かなり元気づけられたそうだ。

 僕はあの時、命を失っていたら、味わうことができなかった幸せを今、全身で感じている。いつまでも、この幸せが続いてほしい。

 彼女と無事、結婚し、彼女のお腹に、子供が宿った時だ。僕は、この時、自分の体に起こっている異常に気がついた。

 高校生の時から、容姿が変わっていない。まるで、体の老化がとまっているようだ。

 僕と彼女で、病院に見てもらうと、医者も原因は分からないが、細胞分裂を起こす遺伝子が、時間が経過しても、その機能が衰えていないとのことだ。

 一体、どういうことなんだ。それはーー。

 そして、しばらくしてから、悲劇が起きた。

 休日、彼女と二人で買い物に出掛けていた時、いきなり変な連中に取り押さえられた。仮面をかぶり、顔を隠した連中は、あろうことか、僕から彼女を引き離した。

「やめろ!くそ、やめろっていってんだろ!」

 抵抗するも、何人かで、押さえつけられて、彼女との距離は、どんどん遠くなる。

 彼女もまた連中に押さえつけられていた。こちらに手を伸ばして、「あなた!」と叫んでいた。

「すまない。待っててくれ!例え、何年かかったとしても、僕は君に会いに行く」

 僕はそう叫ぶと、首筋に変な薬を注入させられ、気を失った。

 目が覚めると、僕は変な機械の中にいた。目の前には、白衣を着た老人がこちらを興味津々な目で見ていた。

「悪いが、君には実験台になってもらう。結果次第では、人間を不老不死にする薬が作れるかもしれない。この機を逃すわけには行かぬのだよ」

 研究者のエゴという奴か。僕を実験台にするために、僕を襲ったわけだ。一発、顔面に食らわせたいところだけど、体を動かせないように拘束されていた。

「あがいても無駄だ。君には、長い眠りについてもらう」

 すると、周りから冷気が出てきて、再び気を失った。

 またかよ......。


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 強烈な光がさすのを感じ、僕はやっと目を覚ました。目を覚ました先は、意外にも研究室ではなかった。辺り一面、砂漠が広がっていて、空は青く澄んでいる。

 体が冷たいと思ったら、表面にいっぱい氷がへばりついている。僕は、この奇妙な機械で冷凍保存されていたのだろう。眠らされてから、どれだけの時が流れたのか分からない。

 静江......。

 僕は、不意に彼女のことを思い出した。

 彼女を探さなければならない。僕は、彼女と約束したんだ。例え何年かけても、会いに行くと。彼女をこれ以上、心配をかける訳にはいかない。

 強烈な日が射すなか、砂漠の道をひたすら歩いた。何も飲まず食わずだが、不思議と生きていられた。

 きっと、このまま、探せば彼女に出会える。そう思いながら、なんとか歩き続けた。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 彼女を探して、どれだけの時間が経っただろう。

 何度か、気を失っては立ち上がり気を失っては立ちあがりを繰り返した。砂あらしに襲われたり、昼間の凄まじい日差しに耐えたり、夜の凍てつく寒さに身を震わせたりしながら、ただ彼女のことを思って歩き続けた。

 いつになったら、この旅は終わるんだ。

 歩いた末、僕は、一つの結論にたどり着いた。

 地球の隅から隅まで歩いた。ここには、彼女はもういない。それどころか、生き物すらいない。

 気づいていたさ、だいぶ前から。でも、探すことをやめることはできなかった。

 途端にやるせない気持ちがわき上がり、静寂に包まれた砂漠の中、一人、声を上げて泣きながら叫んでいた。

「誰かこの僕の息の音を止めてくれ!」

 すると、近くの海から、何かが陸に上がってくる音がした。

 生命だ。海から、鯨のような巨大な魚が飛び出て、イモリのような生き物が陸へと上がっている。

"やっと、一周回ったね、お疲れ様。君の役目は終わったよ。おかげでこの世界の一生を観察することができた。お休み"

 聞き覚えのある声だけど、もう忘れてしまった。

 一周回った。そうか、いつの間にか僕は世界の終点まで歩いていたんだ。

 その瞬間、僕の体は朽ちて、砂になった。そこから一本の大木が生えた。そう、僕は一本の大木になっていた。砂漠だった場所は、いつしか緑が生え、生き物たちが住むようになった。

 ある日、二匹の猿が、大木になった僕の近くに来たので、真っ赤な果実を落とした。

 二匹の猿は、真っ赤な果実を食べると、二足で立ちあがり、言葉を話すようになった。

 そして、彼らは自らを「にんげん」と呼んだ。

 ※※※

 僕は、長い夢を見ていた気がする。お花が咲き乱れる草原を歩き、川を渡った。やっと、長い束縛から解放されたのだ。

 川の向こうで、誰かが待っていた。誰だろう。

 僕は、待っている誰かを見て、立ち止まって、こう言った。

「ごめん。会いに行くって言っておいて、だいぶ遅れてしまった」

「うん。遅いよ」

 彼女は、前と変わらぬ笑顔で言った。別れてから、彼女はずっとここで待ち続けてくれていたんだ。あの時の僕の言葉を信じて。

 彼女と別れてから、一億五千年の時が過ぎていたーー。



 



 






 
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