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見晴らす山は、春の青さ
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大きな窓から光を取りこみ、工房の中はほど良く明るい。
シオンが隣を向くと、机の上の金細工に集中している彼がいる。工房の主で、シオンの師匠のロブだ。
タガネを打つ隆々とした腕の筋肉。すっと引き締まった横顔の輪郭。そして、細工に向き合う真剣な表情。
その表情がふっとほのかに緩む。彼の手元を見ると、
(わあ……)
金細工の中央に宝石がぴたりとはまった美しい細工が完成していた。シオンは今度は手元に見蕩れる。すると、
「できたのか、シオン」
とロブから声が掛かった。シオンははっとして、自分の机に置いていた金細工を差し出す。
「はい、お師匠様。こちらです」
ロブが出来を確認するのをどきどきと待つ。
(細工にならともかく、お師匠様に見蕩れていたの、気づかれていないといいけど……)
秘密の片思い。ばれてはいけない。
ロブの金属細工の優美さは天下一だ。
その腕には都の王様さえ敬意を払っていて、ぜひその技術を弟子に広めて欲しいと願っているそうだ。
だが、ロブは気の向くままにしか動かなかった。
「私は弟子なんて取る気はない」
――そう言っていたことをシオンが知ったのは、弟子になって随分経ってからだ。
シオンはこの工房から吊り橋を渡ったところにある村に生まれ、今日までずっと暮らしている。
ある日の山菜取りの途中、たまたま覗いたこの工房で、ロブの手から産みだされるキラキラしたものに心を奪われた。
以来、時間さえあれば見に通った。ロブの気が向けば、余った素材でちょっとしたものを作らせてくれることもある。ぶっきら棒な人柄にも慣れてきて、尊敬する気持ちばかり膨らんだ。
シオンが成人を迎えた日、村の広場での儀式を終えて、一番に工房に駆け込んだ。
「弟子にしてください!」
と頼むと、ロブは一瞬硬い顔をしたが、許してくれた。その時の喜びは、今でもシオンの胸を熱くする。だが……。
(あの硬い顔……)
ロブが弟子を取りたくなかったと知ってから、色々なことが思い起こされる。
シオンはあまり察しが良くないようだ。成人したのに今さら知ることが多い。膨らんだ尊敬の気持ちに、少なくない恋情が紛れていたことにも、その横顔に何度も見蕩れているうちに、ようやく気づいた。
今となっては毎日が幸せすぎて、弟子という位置を失うのが怖くて、訊けない。本当はいない方がいいのかなんて……。
(……いけない)
沈黙の時間に、暗い雑念が湧いてきていた。集中しないと。
ロブがシオンの細工をゆっくりと机に置いた。
「いい出来だ。次の依頼、木蔦の意匠の部分は頼んでもいいか」
「……!」
練習以外の仕事、初めてだ。
「はい! 頑張ります」
「嬉しそうだな」
珍しく、ロブははっきりと口角が上がる笑みを浮かべた。
「だ、だって丸一年練習だったんですよ。弟子になる前からならもっと」
気を引き締めないといけないのは分かっているけれど、頬が緩む。先程までの暗い気持ちが嘘みたいだ。子ども染みたシオンを、ロブは穏やかに見守ってくれている。
「休憩にしようか」
そう誘われて、弾む足取りで外に出る。村から離れた山中。たくさんの資材が積まれていてなお、広々としている。
坂を一つ上って、蔓を伸ばした葡萄の木の屋根。葉から透けて降る光が、皿を緑に彩った。皿の上でナイフを構え、パン、チーズ、ハムを切って、オリーブを転がす。無造作な昼食ができあがり、木製の椅子に並んで座った。
「いい天気ですね」
青空の下、山間の谷を、小鳥が風に任せて飛んでいる。
「ああ、薪がよく乾きそうだ」
シオンはこっそり笑った。風雅なものを作る人なのに、春の青山の美しさよりも、日々の生活のことをまず思い浮かべている。ロブは村の生活用品は手頃な値段で引き受けているため、村人の中にはロブを無愛想なフライパン修理工としか知らない人もいる。
無愛想といっても、本当はとても優しい人だ。
このテーブルは、何年も前にシオンが作った。長年がたついていたけれど、文句も言わずに座ってくれていた。
最近シオンは、修行で上がった腕でがたつきをどうにか直すと、椅子に座ったロブは、何も言わず小さく笑った。いままで師を稚拙な椅子に座らせていたことを反省したが、直したことに気づいてくれて嬉しかった。
(好きだな……)
なにげないお昼が、こんなにも心地良い。
「……もらったキャベツの酢漬け、美味しかった」
ロブがぽつりと呟いた。嬉しくて、頬が熱る。
「良かった。えっと、今、持ってきますか」
シオンは腰を浮かせるが、
「いや、もう無くなったんだ」
とロブが止めた。早い。本当に気に入ってくれたようだ。
「じゃあ、また作ってきますね」
「ああ……、今日畑から持っていけ」
「他の野菜もいただいていいですか。色々作ってきます」
「任せる。お前の作る料理は、いつも特別美味しい気がする」
無表情から、不意打ちの言葉。
「ひっ、あ……っ、僕、お茶を入れてきます!」
真っ赤な顔を隠して、シオンは台所へと走った。
(特別って……、美味しいって……っ)
ロブはあまり村の市には来ない。吊り橋のこちらはロブの家しかないが、畑もあるし狩りも得意なので、市を毎回利用しなくても不便はない。シオンがロブに食べてもらう料理のために、ちょっと贅沢なハーブを買っていることは知られていない。
(味に気づいてくれたのは嬉しいけど……)
全てに気づかれたら恥ずかしい。
「お待たせしました」
お茶を手に戻ってくると、ロブが待っていたというように、少しだけ微笑んでくれて、胸が温かくなる。
鳥の鳴き声しかしない静かな田舎。広大な自然を眺めながら、好きな人の体温を感じる距離に座る。
(……言えない)
幸せすぎる日々が、蔓のように恋心を縛る。
***
シオンはいつも楽しそうだと、ロブは思った。
「いい天気ですね」
「ああ、薪がよく乾きそうだ」
だからといって騒々しいわけではなく、穏やかで心地良い彼は、工房での日々に自然と入りこんでいた。
(良い弟子をもらった)
この椅子もそうだ。シオンが未熟な頃に作った椅子は、ずっとがたついていたが、いつの間にか直っていた。細やかな作業ができるようになったのだろう。
シオンはロブの仕事を見て聞いて実践して、しっかりと成長している。そして自分の作ったものに愛着を持って、手直ししている。
弟子を育てることにはあまり興味がなかったが、シオンの努力を見ていると、自分もできるかぎり教えたいと思うようになった。
(それに、シオン自身が考えて作ったものも見てみたい)
シオンの宝の山となる廃材置き場が、量も種類もつい多くなってしまう。
(初めて持った弟子がシオンで、私は恵まれている)
思わず頬が緩むと、シオンに気づかれたようだ。椅子への反応を心待ちにしていたのだろう。柔和な顔が喜びに溢れて、さらに柔らかくなっている。
……胸がうずく。表情の乏しい自分の気持ちに気づいて、こんなにも嬉しそうにしてくれる。――大切な弟子。
(……そう、弟子だ)
彼を可愛いと思うのは、師として特段不思議でない感情だ。
シオンは工房の助手としてだけでなく、ロブの私生活も助けてくれて、よく料理を作ってきてくれる。
シオンの方としては、いつも一緒に昼を取るから、自分が美味しいものを食べるためのついでかもしれない。けれどロブは、シオンの顔を見ながらシオンの手料理を食べると、幸せを感じた。
「……もらったキャベツの酢漬け、美味しかった」
口にして誉めると、より嬉しそうにする。
偏屈な自分には不相応の、幸せな日々。
(何か返せないか。……そうだ)
工房から村へと渡る唯一の吊り橋。シオンが村から通ってくる時も、あそこを通る。
(あれを直そう)
慎ましい村ではそう頻繁に直せないし、橋の先にはロブ一人しかいないので大分古くなっている。
シオンはロブが山菜採りや狩りに行こうとすると、よくついてくる。その時ちょっとした崖に緊張しているので、おそらく高いところが苦手なのだろう。揺れないものがいい。
(いや、これは工房に通わせるのに必要なものではないか。礼とは言えない)
村の大工に頼んでから気がついた。
(シオン自身が欲しいものはないだろうか)
彼をじっと見つめていると、気づかれてしまったようだ。こういう時、ロブは上手くごまかせずに、ただ固まってしまう。
見つめ合いながら、シオンが困っているのを感じて、だが目が逸らせない。そうしていると、シオンは眉を困らせながら、にこっと笑った。
「……――」
柔らかい微笑みに、可愛らしいという感情以外の、熱い想いが込み上げてくる。
ばっと顔を逸らした。
「休憩、そろそろ終わるか」
「……? はい」
皿をさっと手に持ち、足早に家屋に戻る。
(私は……、シオンに何を……)
後ろからついてくる足音一つとっても、愛しくて仕方がない。
(こんな、こんな気持ちは……)
――絶対にばれてはいけない。絶対に。
***
シオンは今日も工房に向かう。
(材料、届いたかな)
届いていたら作業開始だ。わくわくしながら吊り橋に着くと、なにやら人が集まっていた。ロブが、村の大工に加えて知らない男たちと話している。
「……橋を一か月も渡れないのは困る。前に修理した時は二、三日で終わっただろう」
橋を、渡れない――。
「先生がいっぱいお金くれたから、がっしりしたものを造るんだよ。ほら、そのために町からも応援を呼んだんだ」
剛健な男たちが、コロと縄を使って大きな石を運んでいる。
「それでは今の吊り橋は使えるように残して、別の場所に造れば……」
「地盤や作業のしやすさ、なにより景観の良さ。もうこの場所のために設計図を作っちまった。そんなに困るなら、しばらく村に住んだらどうだ」
「村の窯では仕事ができない。月の終わりに納品が待っているんだ」
里には料理や木炭作りのための窯しかない。ロブの仕事には不足だろう。
「そうはいっても先生、何か月も村に来ないことあるじゃないか。何がそんなに困るんだ」
「それは……」
ロブがシオンに気づいた。その視線を追って、大工も振り向く。
「そういえばお弟子さんを取ったんだったな。都にもその名が鳴り響く工房だ。そりゃあ手伝いは必要だよな」
大工は納得したようだ。
……ロブにとっては手伝いなど必要ではないのだけど、シオンにはとても重要なことだ。ようやくもらえた初仕事なのだから。
「あの、建設中はやはり、渡るのは不可能なのでしょうか」
藁にもすがる思いで訊いてみる。
「ロープは張っているから、大人なら日中は渡れるぞ」
(ロープ……。渡る……?)
想像もつかなくて震える。それでも、
「あ、ありがとうございます。それなら、大丈夫です。通います」
怖くても、行かないと。細工は作りたいし、ロブと一月も会えないなんて耐えられない。
「……シオン」
ロブの方を向くと、彼は額を抑えながら唸っていた。シオンの名を呼んだのに、次の言葉がなかなか掛からない。シオンが戸惑っていると、ロブはようやく言葉を発した。
「……しばらく、うちに泊まるか」
シオンは目を瞬かせる。
「いいのですか」
「……ああ」
そうしたら、シオンは不安なく初仕事ができる。けれどロブの雰囲気が、なんだかとても重い。
「そうか。決まったな。明日から吊り橋を撤去するから、今日のうちに用意しておけよ」
大工たちはさっさと資材の運搬作業に戻った。
シオンとロブはとぼとぼと工房へと向かう。
「次の依頼の材料は揃いましたか」
「昨日シオンが帰ってから届いた」
「それでは作業に入れますね。間に合ってよかったです」
シオンは淡々と受け答えする。本当は心が浮き立っているが、舞い上がってはいけないと、気持ちを抑えているのだ。
台所で食料の備蓄の確認をする。
「二人分問題なくあるが、同じものばかりで飽きるかもしれないな。……今日は市があるから買い物にいくか」
「ご一緒していいのですか」
「ああ。だがシオンも自分の家に帰って用意したいんじゃないか。別々でも構わない」
「いえ、お供します。必要なものは思い出せるので」
「そうか。なら行こう」
(二人で一緒に買い物……)
この工房で一緒に暮らすために。師とただの弟子という間柄なのは分かっているけれど、甘い期待が込みあげてしまう。
(だめだ。何を考えているんだ。お師匠様は、きっと一人でも大丈夫なのに、僕のために許してくれたんだ……)
明るい日差しを浴びて輝く青々とした山間。並んで村へと向かう。
「あ、スズラン」
「もうそんな時期か。裏手の山のも咲いただろうか」
工房の奥の細い道を進んだ先に、スズランの群生地があるのだ。
「見に行きたいですね」
「ああ、今年は私たちだけしか見られないかもな」
「……はい」
谷のこちら側には、明日からシオンとロブしかいない。
一月も好きな人の家で二人きり。どきどきしてしまうのは抑えられない。
けれどこの気持ちは――ばれてはいけない。絶対に。
〈終〉
シオンが隣を向くと、机の上の金細工に集中している彼がいる。工房の主で、シオンの師匠のロブだ。
タガネを打つ隆々とした腕の筋肉。すっと引き締まった横顔の輪郭。そして、細工に向き合う真剣な表情。
その表情がふっとほのかに緩む。彼の手元を見ると、
(わあ……)
金細工の中央に宝石がぴたりとはまった美しい細工が完成していた。シオンは今度は手元に見蕩れる。すると、
「できたのか、シオン」
とロブから声が掛かった。シオンははっとして、自分の机に置いていた金細工を差し出す。
「はい、お師匠様。こちらです」
ロブが出来を確認するのをどきどきと待つ。
(細工にならともかく、お師匠様に見蕩れていたの、気づかれていないといいけど……)
秘密の片思い。ばれてはいけない。
ロブの金属細工の優美さは天下一だ。
その腕には都の王様さえ敬意を払っていて、ぜひその技術を弟子に広めて欲しいと願っているそうだ。
だが、ロブは気の向くままにしか動かなかった。
「私は弟子なんて取る気はない」
――そう言っていたことをシオンが知ったのは、弟子になって随分経ってからだ。
シオンはこの工房から吊り橋を渡ったところにある村に生まれ、今日までずっと暮らしている。
ある日の山菜取りの途中、たまたま覗いたこの工房で、ロブの手から産みだされるキラキラしたものに心を奪われた。
以来、時間さえあれば見に通った。ロブの気が向けば、余った素材でちょっとしたものを作らせてくれることもある。ぶっきら棒な人柄にも慣れてきて、尊敬する気持ちばかり膨らんだ。
シオンが成人を迎えた日、村の広場での儀式を終えて、一番に工房に駆け込んだ。
「弟子にしてください!」
と頼むと、ロブは一瞬硬い顔をしたが、許してくれた。その時の喜びは、今でもシオンの胸を熱くする。だが……。
(あの硬い顔……)
ロブが弟子を取りたくなかったと知ってから、色々なことが思い起こされる。
シオンはあまり察しが良くないようだ。成人したのに今さら知ることが多い。膨らんだ尊敬の気持ちに、少なくない恋情が紛れていたことにも、その横顔に何度も見蕩れているうちに、ようやく気づいた。
今となっては毎日が幸せすぎて、弟子という位置を失うのが怖くて、訊けない。本当はいない方がいいのかなんて……。
(……いけない)
沈黙の時間に、暗い雑念が湧いてきていた。集中しないと。
ロブがシオンの細工をゆっくりと机に置いた。
「いい出来だ。次の依頼、木蔦の意匠の部分は頼んでもいいか」
「……!」
練習以外の仕事、初めてだ。
「はい! 頑張ります」
「嬉しそうだな」
珍しく、ロブははっきりと口角が上がる笑みを浮かべた。
「だ、だって丸一年練習だったんですよ。弟子になる前からならもっと」
気を引き締めないといけないのは分かっているけれど、頬が緩む。先程までの暗い気持ちが嘘みたいだ。子ども染みたシオンを、ロブは穏やかに見守ってくれている。
「休憩にしようか」
そう誘われて、弾む足取りで外に出る。村から離れた山中。たくさんの資材が積まれていてなお、広々としている。
坂を一つ上って、蔓を伸ばした葡萄の木の屋根。葉から透けて降る光が、皿を緑に彩った。皿の上でナイフを構え、パン、チーズ、ハムを切って、オリーブを転がす。無造作な昼食ができあがり、木製の椅子に並んで座った。
「いい天気ですね」
青空の下、山間の谷を、小鳥が風に任せて飛んでいる。
「ああ、薪がよく乾きそうだ」
シオンはこっそり笑った。風雅なものを作る人なのに、春の青山の美しさよりも、日々の生活のことをまず思い浮かべている。ロブは村の生活用品は手頃な値段で引き受けているため、村人の中にはロブを無愛想なフライパン修理工としか知らない人もいる。
無愛想といっても、本当はとても優しい人だ。
このテーブルは、何年も前にシオンが作った。長年がたついていたけれど、文句も言わずに座ってくれていた。
最近シオンは、修行で上がった腕でがたつきをどうにか直すと、椅子に座ったロブは、何も言わず小さく笑った。いままで師を稚拙な椅子に座らせていたことを反省したが、直したことに気づいてくれて嬉しかった。
(好きだな……)
なにげないお昼が、こんなにも心地良い。
「……もらったキャベツの酢漬け、美味しかった」
ロブがぽつりと呟いた。嬉しくて、頬が熱る。
「良かった。えっと、今、持ってきますか」
シオンは腰を浮かせるが、
「いや、もう無くなったんだ」
とロブが止めた。早い。本当に気に入ってくれたようだ。
「じゃあ、また作ってきますね」
「ああ……、今日畑から持っていけ」
「他の野菜もいただいていいですか。色々作ってきます」
「任せる。お前の作る料理は、いつも特別美味しい気がする」
無表情から、不意打ちの言葉。
「ひっ、あ……っ、僕、お茶を入れてきます!」
真っ赤な顔を隠して、シオンは台所へと走った。
(特別って……、美味しいって……っ)
ロブはあまり村の市には来ない。吊り橋のこちらはロブの家しかないが、畑もあるし狩りも得意なので、市を毎回利用しなくても不便はない。シオンがロブに食べてもらう料理のために、ちょっと贅沢なハーブを買っていることは知られていない。
(味に気づいてくれたのは嬉しいけど……)
全てに気づかれたら恥ずかしい。
「お待たせしました」
お茶を手に戻ってくると、ロブが待っていたというように、少しだけ微笑んでくれて、胸が温かくなる。
鳥の鳴き声しかしない静かな田舎。広大な自然を眺めながら、好きな人の体温を感じる距離に座る。
(……言えない)
幸せすぎる日々が、蔓のように恋心を縛る。
***
シオンはいつも楽しそうだと、ロブは思った。
「いい天気ですね」
「ああ、薪がよく乾きそうだ」
だからといって騒々しいわけではなく、穏やかで心地良い彼は、工房での日々に自然と入りこんでいた。
(良い弟子をもらった)
この椅子もそうだ。シオンが未熟な頃に作った椅子は、ずっとがたついていたが、いつの間にか直っていた。細やかな作業ができるようになったのだろう。
シオンはロブの仕事を見て聞いて実践して、しっかりと成長している。そして自分の作ったものに愛着を持って、手直ししている。
弟子を育てることにはあまり興味がなかったが、シオンの努力を見ていると、自分もできるかぎり教えたいと思うようになった。
(それに、シオン自身が考えて作ったものも見てみたい)
シオンの宝の山となる廃材置き場が、量も種類もつい多くなってしまう。
(初めて持った弟子がシオンで、私は恵まれている)
思わず頬が緩むと、シオンに気づかれたようだ。椅子への反応を心待ちにしていたのだろう。柔和な顔が喜びに溢れて、さらに柔らかくなっている。
……胸がうずく。表情の乏しい自分の気持ちに気づいて、こんなにも嬉しそうにしてくれる。――大切な弟子。
(……そう、弟子だ)
彼を可愛いと思うのは、師として特段不思議でない感情だ。
シオンは工房の助手としてだけでなく、ロブの私生活も助けてくれて、よく料理を作ってきてくれる。
シオンの方としては、いつも一緒に昼を取るから、自分が美味しいものを食べるためのついでかもしれない。けれどロブは、シオンの顔を見ながらシオンの手料理を食べると、幸せを感じた。
「……もらったキャベツの酢漬け、美味しかった」
口にして誉めると、より嬉しそうにする。
偏屈な自分には不相応の、幸せな日々。
(何か返せないか。……そうだ)
工房から村へと渡る唯一の吊り橋。シオンが村から通ってくる時も、あそこを通る。
(あれを直そう)
慎ましい村ではそう頻繁に直せないし、橋の先にはロブ一人しかいないので大分古くなっている。
シオンはロブが山菜採りや狩りに行こうとすると、よくついてくる。その時ちょっとした崖に緊張しているので、おそらく高いところが苦手なのだろう。揺れないものがいい。
(いや、これは工房に通わせるのに必要なものではないか。礼とは言えない)
村の大工に頼んでから気がついた。
(シオン自身が欲しいものはないだろうか)
彼をじっと見つめていると、気づかれてしまったようだ。こういう時、ロブは上手くごまかせずに、ただ固まってしまう。
見つめ合いながら、シオンが困っているのを感じて、だが目が逸らせない。そうしていると、シオンは眉を困らせながら、にこっと笑った。
「……――」
柔らかい微笑みに、可愛らしいという感情以外の、熱い想いが込み上げてくる。
ばっと顔を逸らした。
「休憩、そろそろ終わるか」
「……? はい」
皿をさっと手に持ち、足早に家屋に戻る。
(私は……、シオンに何を……)
後ろからついてくる足音一つとっても、愛しくて仕方がない。
(こんな、こんな気持ちは……)
――絶対にばれてはいけない。絶対に。
***
シオンは今日も工房に向かう。
(材料、届いたかな)
届いていたら作業開始だ。わくわくしながら吊り橋に着くと、なにやら人が集まっていた。ロブが、村の大工に加えて知らない男たちと話している。
「……橋を一か月も渡れないのは困る。前に修理した時は二、三日で終わっただろう」
橋を、渡れない――。
「先生がいっぱいお金くれたから、がっしりしたものを造るんだよ。ほら、そのために町からも応援を呼んだんだ」
剛健な男たちが、コロと縄を使って大きな石を運んでいる。
「それでは今の吊り橋は使えるように残して、別の場所に造れば……」
「地盤や作業のしやすさ、なにより景観の良さ。もうこの場所のために設計図を作っちまった。そんなに困るなら、しばらく村に住んだらどうだ」
「村の窯では仕事ができない。月の終わりに納品が待っているんだ」
里には料理や木炭作りのための窯しかない。ロブの仕事には不足だろう。
「そうはいっても先生、何か月も村に来ないことあるじゃないか。何がそんなに困るんだ」
「それは……」
ロブがシオンに気づいた。その視線を追って、大工も振り向く。
「そういえばお弟子さんを取ったんだったな。都にもその名が鳴り響く工房だ。そりゃあ手伝いは必要だよな」
大工は納得したようだ。
……ロブにとっては手伝いなど必要ではないのだけど、シオンにはとても重要なことだ。ようやくもらえた初仕事なのだから。
「あの、建設中はやはり、渡るのは不可能なのでしょうか」
藁にもすがる思いで訊いてみる。
「ロープは張っているから、大人なら日中は渡れるぞ」
(ロープ……。渡る……?)
想像もつかなくて震える。それでも、
「あ、ありがとうございます。それなら、大丈夫です。通います」
怖くても、行かないと。細工は作りたいし、ロブと一月も会えないなんて耐えられない。
「……シオン」
ロブの方を向くと、彼は額を抑えながら唸っていた。シオンの名を呼んだのに、次の言葉がなかなか掛からない。シオンが戸惑っていると、ロブはようやく言葉を発した。
「……しばらく、うちに泊まるか」
シオンは目を瞬かせる。
「いいのですか」
「……ああ」
そうしたら、シオンは不安なく初仕事ができる。けれどロブの雰囲気が、なんだかとても重い。
「そうか。決まったな。明日から吊り橋を撤去するから、今日のうちに用意しておけよ」
大工たちはさっさと資材の運搬作業に戻った。
シオンとロブはとぼとぼと工房へと向かう。
「次の依頼の材料は揃いましたか」
「昨日シオンが帰ってから届いた」
「それでは作業に入れますね。間に合ってよかったです」
シオンは淡々と受け答えする。本当は心が浮き立っているが、舞い上がってはいけないと、気持ちを抑えているのだ。
台所で食料の備蓄の確認をする。
「二人分問題なくあるが、同じものばかりで飽きるかもしれないな。……今日は市があるから買い物にいくか」
「ご一緒していいのですか」
「ああ。だがシオンも自分の家に帰って用意したいんじゃないか。別々でも構わない」
「いえ、お供します。必要なものは思い出せるので」
「そうか。なら行こう」
(二人で一緒に買い物……)
この工房で一緒に暮らすために。師とただの弟子という間柄なのは分かっているけれど、甘い期待が込みあげてしまう。
(だめだ。何を考えているんだ。お師匠様は、きっと一人でも大丈夫なのに、僕のために許してくれたんだ……)
明るい日差しを浴びて輝く青々とした山間。並んで村へと向かう。
「あ、スズラン」
「もうそんな時期か。裏手の山のも咲いただろうか」
工房の奥の細い道を進んだ先に、スズランの群生地があるのだ。
「見に行きたいですね」
「ああ、今年は私たちだけしか見られないかもな」
「……はい」
谷のこちら側には、明日からシオンとロブしかいない。
一月も好きな人の家で二人きり。どきどきしてしまうのは抑えられない。
けれどこの気持ちは――ばれてはいけない。絶対に。
〈終〉
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