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第1章 球戯場の誓い

ティグリスとユーフラテスの流れに

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 奈穂は、何度も目をぱちぱちと瞬きさせた。
眼下に広がる、広大な風景——それはシミュレータが作った仮想の世界であったが、彼女はその世界に介入する権限を与えられたのだ。そう、知恵のいう『アリストテレスシステム』によって。
このシステムができることは、すなわち史実の世界史に介入して、その歴史を望む方向に改編することである。その権限は、ほぼ神と等しいものから、単なる市井の一市民ができることなど状況設定によって変えることができることも、知恵から説明された。
第四世代AIによってその指示は、リアルタイムの音声による指示と、場合によっては液晶コンソールを通じて行われる。
今回のシナリオは『文明の興亡』。世界史上のオリエント=メソポタミア文明に介入して、奈穂の望む方向に歴史を動かす。チュートリアルということもあり、与えられた権限はほぼ無制限=神の権力を付加されていた。
 奈穂はコンソールの上に手を置きながら、難しい顔する。無制限の介入力。それはまた、彼女がどのような文明の発展を望んでいるかということに、直結する難しい問題であった。
(別に……どうでもいいんだけどな……)
 望まない入学、望まない同室の同級生。奈穂は知恵のほうを向く。にこっと笑う知恵だが、その表情には有無を言わせない、何か強い圧力が感じられた。
(やるしかないのかな……今後の、この子との関係のためにも)
 ルームメイトの変更が可能なのかどうかもわからない状態である以上、彼女の機嫌を損ねるのは、あまりいいこととは思えなかった。しかもこのシミュレータの結果が今後の学校の成績に大きく影響するとなれば、なおのことである。
奈穂は、覚悟を決める。大丈夫、歴史は嫌いだけど、知識は十分にあるはずだ、と自分を落ち着かせながら。
 目の前には、寒々しい風景が広がる。明らかに、現代とは気候を異としている感じであった。
「氷河期が終わらないと、農耕がはじまりませんね。理由は?」
 挑発的に、尋ねる知恵。明らかに、奈穂を試している雰囲気だ。
「ええと(習ったなそれは)大型の食料になるマンモスがまだいたから?」
 へえ、と知恵は感心する。
「普通だったら、暖かくなったからとか、農耕が始まったからとか考えそうですが。やりますね。そうです。温暖化により、マンモスなどの大型動物がえさを獲得しにくくなり、減少していく。結果、マンモスを狩って食料を得ていた人間も、他の手段で食料を獲得する方法を考える必要が出てきた、という説ですね」
(なんか……このひと、ちょっとうざいかも……)
 率直な感想を、奈穂は頭の中に浮かべながら、コンソールを操作する。農業がおこなわれるようになるためには、それに適した植物が必要であるはずだった。『シナリオ上の環境設定』から適当な植物の進化を促すコマンドを入力する。
このシステムは初めてであったが、学校教育で使われているコンピュータのインターフェースは共通化されていた。中学時代、誰が見ても優等生であった奈穂はその点は全くよどみがない。
 悠々と流れる大河の周辺に、ぽつぽつと集落が見られるようになる。そして密集した緑の点々とした地域も。それは、人間が作り出した最初の食料穀物。つまり小麦が育つ畑である。しかしその地域は分散しており、ある時を境に増加はストップしてしまう。当然文明と呼べるものは登場しない。
 くすっ、と知恵は意地の悪い声をもらす。これだけでは文明が成立しないことを知恵は知っていた。
 無言で奈穂はコンソールを操作する。大河の運動エネルギーをより上げ、また大河周辺の気候を乾燥化する。
一見逆効果に見える介入であるが、それは意を得ていた。水利の便の良いことから、大河周辺への人口の集中していく。その一方で、乾燥する気候は人間の自然環境の変革への欲求をより強めさせる。灌漑による農地の拡大——結果、それまで孤立していた人間集団は、巨大化し、それがさらに巨大化を促すといった好循環を導いていった。
そしてまた大河のエネルギーが高まっていることにより、不定期的に氾濫も起きる。その氾濫を抑えるために、より高度な人間集団を形成する必要性が高まっていく。治水を大規模に行う集団——国家形成への一歩であった。
「ここまでは……教科書通りなんだけど……」
 奈穂はそう、感想をもらした。そう、問題はないはずだった。しかし彼女に一抹の疑問が浮かび上がる。
それは、先ほど知恵が言った
『この文明をどのように育てるか』
という言葉がひっかかっていた。
 介入をこまめに行い史実の現象を加速させているように思われた。多分、史実よりも鉄器が登場するのは早くなるだろう。
 しかし
 それは、自分が望んだ結果なのだろうか。確かに、あまり興味のない歴史のシミュレーションであったが、奈穂にとっては何ともいえない違和感が生じる。
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