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第1章 球戯場の誓い

ニュートンのリンゴの木のように

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 奈穂はそっと重々しいドアを開く。シンプルな部屋のつくりが印象的だが、調光は決して、明るいとは言えない。全体的にモノトーンで統一されていて、あまり女子高生の寮の部屋とは思えなかった。
そして、がっしりとした、黒光りする机が二つ備え付けられている。また、それぞれに、大きな引き出しのあるクローゼットが壁に据えつけられていた。ベッドは二段ではなく、きちんと二つ、部屋の両面に寄せられる形で置かれていた。結構、広いのが意外ではあった。
 荷物を奈穂は床に置く。着替えと身の回り用品、勉強道具、そしてノート情報端末。その程度の荷物ではあったが。くるくると部屋の中を見回す。
誰もいない。当然かな、と思う奈穂。
先ほど登録されたばかりの部屋の生態認証は、ロックされた状態だった。入口のペーパー液晶の表示も、同室者の不在を告げていた。
それにしても——と、部屋をもう一度見まわして、奈穂は思う。同室者の荷物の少なさだ。机の上に置かれた本と筆記用具が、わずかに、この部屋の先達の存在をうかがわせた。決してまだ引っ越してきていない、というわけではなさそうである。相手はいったいどんな、生徒なのだろうか。
『Chie F.BERNARDI』
 奈穂は入口の表示の名前を思い出す。Chieは順当に考えると『ちえ』だが、もしかしたら中国の人の名前かもしれない。どんな人かな、真面目な人かな、優しい人だといいな。いろいろな想像を奈穂はめぐらす。
 その時、後ろのドアが乱暴に開けられる大きな音が部屋に響き渡った。
 両手に山のように本を抱えている少女。背が低いせいか、顔は見えない。ポニーテールにした後ろ姿が印象的だった。その髪の色はかなり薄い。どうやらこの部屋の先達らしい。
「あ……初めまして。勝手に入っててごめんね。これからこの部屋で一緒になる……」
 そこまで言いかけたところで、奈穂は言葉を区切る。
 少女の顔。メガネをかけ、その眼は興味なさそうに奈穂を一瞥した後、背けられる。髪と同じく、目の色も日本人離れした薄い青色だった。きれいか可愛いかと言われたら、たぶん七対三くらいで『可愛い』ほうが優勢であろう。しかしそんな評価とは裏腹に、少女の反応はあまり芳しいものではなかった。
「知恵……」
「えっ?」
「知恵=ベルナルディといいます。見ての通りハーフです。ああ、日本にずっと住んでいるので、言葉も生活もあなたに配慮されることはありません。よろしく」
 握手もしようとはしない、背をそむけたままの自己紹介。さすがの奈穂もむっとはするが、自己紹介はきちんと行うことにした。
「宍戸菜穂です。県外から来ました。ええと、同じ部屋なんだけど、よろしくね」
 反応はない。どうしたもんかな、と奈穂は眉を顰める。どうも、難しいタイプの子だったらしい。
知恵は机の上に本を積み上げる。その本のタイトルがすべて横文字であった。
「すごいですね。入学前からもう、勉強?」
「勉強という言葉は使わないで欲しいんだけど。これは研究だから」
「研究?」
「そう、研究。勉強は小学生のするもの。仮にも高等教育でしょ。ここは」
 んー、と奈穂は返答に迷う。結構コミュ力には自信のあった彼女も、次の一手をどうしたらよいかわからず、とりあえず、ベッドの上に腰掛ける。
ちょっとした違和感。ふと見ると掛け布団の下に、一冊の本があることに気づく。知恵のものらしい。手に取って表紙を見る。やはり横文字の本。タイトルは。
「『Der Deutsche Zollverein』……へえ、英語だけじゃなくてドイツ語の本も研究してるんだ。すごいね、ご両親ドイツ系なんですか?」
 何気なく奈穂は返す。その発音に、知恵はびくっと反応する。それまで全くこちらを見てくれなかった知恵が、奈穂のほうを向き直り、人差し指を立てる。
「もう一回」
「へ?」
 何のことかわからない、奈穂。しかし知恵の視線から、その質問は手に持っている本に向けられていることが察せられた。
「ああ、この本のタイトル、『Der Deutsche Zollverein』……だよね。ええとドイツのツオルのフェルアインは……なんだったかな税金?同盟?」
「ドイツ語できるの⁉」
「え?まあ、独学だけど」
 二重の意味で女子高生では言えないようなことを、奈穂は答える。
奈穂は英語をほとんど完璧にこなせていた。そして余った時間を将来の大学入試の第二外国語選択のためにドイツ語やフランス語の学習に当てていたのだ。当然、文法のみで何か外国文学に魅力を感じたというわけではない。漫画とか小説とか役に立たないもの(少なくとも奈穂はそう考えていた)を積極的に読むのは時間の無駄だと考えていたからだ。
「ちょっと来てくれる」
 部屋に就いたばかりの奈穂の手を取り、強い力で引っ張る。
「え?え?え?」
 正直何が起こったかわからない奈穂。着替えもせずに部屋の外、さらには寮の外に連れ出される。
 二人の出会い——それがすべての始まりだった。
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