妻のち愛人。

ひろか

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 着の身着のまま、その日の内に王都郊外にある、ロウノック家の別邸に連れてこられた。

 初めて転移門なんてものを体験した。門から別の場所にある門へ、一瞬で移動できるの魔術を駆使したそれは、たった一回の使用にも半年は余裕で生活できるような料金がかかるという、貴族のためだけのもの。こんなものまで使えるほどの貴族にエンリは本当になってしまったのか……。
 ロウノック家は、王家に仕える八大貴族の一つだといわれた。貴族といえば魔力量が高く、国の中心にいる存在であり、田舎ではほとんどお目にかかることのない魔術士の血をエンリが引いてるというけれど……。

 エンリが術士? ううん、魔法なんて使うところ見たことがない。
 学校も一般科で農学部だった。就職先も魔術とは無縁の出荷場の事務員。なのに……。

 この屋敷に来て一週間。私は与えられた部屋から一歩も出ることなく過ごしていた。
 世話をしてくれる人が勝手に窓を開けていくのに、空気の入れ替えのためかと思ったら、外でお喋りする使用人たちの声を聞かせるためなのだと一週間もしてから気がついた。

 聞かされるのはエンリのこと。

 エンリのお母さんはもともと、ロウノック家の使用人だったが、当主であったテオライン様に手をつけられ、子供ができたと分かると同時に、手切れ金とともに屋敷を追い出されたらしい。それはテオライン様、百五十二歳。エンリのお母さんが二十二歳の時。
 力ある魔術士は寿命が長く、老いる時間もゆっくりなのだと聞いていたが、百三十も年下の娘に手を出すなんて、私からしたら度の超えたロリコンでしかない上に、いい歳してしでかしたことに金で済ませるなんて、田舎じゃ一生後ろ指さされるような恥ずかしいことを、お貴族様は平気でするってことに嫌悪感しか持てなかった。

 そして、エンリはどこぞの貴族のご令嬢と結婚したそうだ。
 私と離婚した翌日に。
 王様からも盛大に祝福された結婚式は、それはそれは華やかだったそうだ。

 エンリの妻、セルリーナ様はエンリに負けず可愛らしい姫君だそうで、二人が並ぶ姿はそれはそれは美しく、何人もの絵描きが二人を描きにきたとか。
 夫婦仲はとても良く、エンリはセルリーナ様を溺愛し、毎朝遅くまで部屋から出てこないだとか。時間がある限りセルリーナ様を手放すこともしないほどだと、細かく教えてくれた。

 そんな私は使用人たちに指をさされて笑われている。

 一度は夫婦だった私に遠慮し、愛人という位置に置き囲ったがそれっきり放置。手紙の一つもなし。セルリーナ様に比べればイイトコなしの平凡女に情なんてすでに無いのだろうと。

 そんな話ばかり聞かされている。

 エンリはそんな人じゃない。
 簡単に心変わりする人じゃない。
 エンリと出会ってからの十年間を、一途なエンリを知っているからそんな話を信じられなかった。
 会いに来れないもの、連絡を取れないもの、事情があるに決まってると。
 もしかして、閉じ込められて動けないのかもしれないと。
 だからエンリは、きっとエンリは……と、都合のよいことばかり考えてた。
 エンリを信じていたから。

 『ロナぁー、ねーねーロナぁ』思い出すのはふにゃりと笑うゆるい顔。

 エンリに会いたいな。


 毎日三食、信じられないほど豪華で、大量の食事が出される。
 部屋から一歩も出ることのない私がこんな量を食べられるわけもなく、残してしまうのがもったいないので品数を減らしてほしいと言えば、ロウノック家の食事に不満があるのかと言われた。

 ここに来て三週間、残すことにもったいないという気持ちもなくし、何を食べても美味しいと感じることもなくなった。

 『ロナぁ、おいしいよぉ、ありがとー!』思い出すのはエンリの顔ばかり。

 エンリに会いたい……。



***

 いつもならまだ、セルリーナ様と部屋にこもられている時間にエンリ様は出てきた。
 今まで何をしていたかも隠す気もない着崩れた姿で、髪をかき上げ言った。

「月のものだって」

 一瞬何を言われたのか理解できず思考が止まったが「そうですか」と顔に出さないようハイヤードは応えた。

「うまくいかないものだな……」

 ロウノック家の後継をと望まれ、セルリーナ様と朝も昼も夜もなく過ごされているエンリ様。
 手首にはシアン様と同じ腕輪という枷が嵌められている。
 膨大な魔力を宿しながらも、その力を扱うことのできないエンリ様がロウノック家のために役立つのは、その魔力をシアン様へ譲り渡すこと。

「ロナのところに行く」

 別邸に囲った元妻である愛人の名に、承知しましたと腰を折った。

 エンリ様はロウノック家の当主とは名ばかり、当主代行とはいえ実権を握るのは、前当主の実弟であられるシアン様。
 エンリ様に必要なのは世継ぎを、その力を継ぐお子を残すことのみ。
 先触れを出しますと言えば「それなら」とドレスに髪型まで指定された。セルリーナ様と比べれば何も目の引くもののない平凡な元妻。あの陽に焼けた肌にドレスが似合うとは思えないが、着飾らせ少しでも見れるものにしたいのか……そんなことを考えながら、魔力を込め、鳥に変化した手紙を空に放った。

 そういえばと思い出す。愛人に着せるドレスを指定するエンリ様の表情。

「ここに来て初めて見たな……エンリ様の笑った顔」


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