83 / 100
第二章 仲間探求編
82、告白2
しおりを挟む
「よく考えてみればそうであるな。……若いのだな、コノハは」
「いや若いとかいうレベルじゃないから。幼児だから」
「二才、ですか……初めて会った時、片言でも会話が成立していたのが奇跡に思えてきました」
コノハの年齢を漸く知ったメイリーンは、しみじみといった感じで呟いた。誰に気づかれることも無く生まれてきたコノハを、庇護してくれる存在などいたはずもなく、アデルたちに出会うまで彼は一人で生きてきたと考えられる。それは同時に、彼に言葉や常識を教えてくれる存在が一切いなかったことを意味する。
にも拘らずコノハは出会った頃、たどたどしくはあるものの、言葉を話せていた。その事実がメイリーンには不思議でならなかったのだ。
「森を訪れた人々の話し声を聞いて覚えたのかもしれぬ。コノハはよく、我らのことも念入りに観察していたのでな。そもそも悪魔と普通の人間では、育ち方自体が違う可能性だってあるのだ」
メイリーンの疑問に、アデルは憶測でしか答えることが出来ない。悪魔や愛し子は世界中の誰しもが知る存在ではあるが、詳細なことは誰にも分からないという現実が、こんな場面で垣間見えてしまう。
「ととたち、さっきから俺の話してる?」
「「……」」
アデルが仮説を語っていると、ずっと傍聴していたコノハが唐突に口を開いた。コノハに何と答えてやればよいのか分からず、彼らは目を泳がせてしまう。
コノハが悪魔という存在であることは、キチンと告げるべきである。これは示し合わせる必要が無いほどに、彼らの共通認識であった。そんな彼らが告げるべきか思い悩んでいたのは、この世界の悪魔に対するどうしようもない差別意識についてである。
悪魔が背負わざるを得ない宿命を、まだ生まれて間もないコノハに知らせるのは、あまりにも酷なのではないかと彼らは危惧しているのだ。
「あぁ、コノハのことであるぞ」
皆が口を噤む中、穏やかな声を発したのはアデルだ。途端、彼らの視線が一気にアデルの元に集まる。
「悪魔って、なに?」
「悪魔というのは、この世界にとってとても重要な存在なのだ。悪魔がいなくなれば、この世界が終焉へと向かってしまう程に」
「そう、なの?」
「うむ。それ故にコノハは、普通の人間とは違う体質や力を持っているのだ。コノハはその力を使いこなしていたであろう?」
「あ……」
身体を真っ二つにされたというのに、コノハが悪魔の力で元の状態に再生したことは記憶に新しい。アデルに言われて、自分自身が成したことをコノハは漸く自覚した。
コノハが初めてその力で身体の傷を修復したのは、修行を始める以前のことである。にも拘らず、コノハは誰に教わった訳でもないのに、まるで慣れているかのようにその力を行使していた。悪魔としての本能が、そうさせているかのように。
流石に、それが普通とは一線を画していることはすぐに理解できたのか、コノハはハッと目を見開いた。
「そっか……」
「コノハ。実は……悪魔は世界にとって重要な存在であると同時に、多くの人々から忌み嫌われている存在なのだ」
「えっ……」
その真実を知らされたコノハは、驚きと鬼胎で言葉を失った。一方の彼らは、アデルがあまりにも包み隠さなかったことに当惑し、ほんの少し批難めいた眼差しを向けてしまう。
「それって……」
(ととたちも……?)
コノハが恐れていることはただ一つ。アデルたちもその他大勢と同じように、悪魔である自分のことを嫌っているのかということ。
彼らレディバグは、コノハにとっての全てである。そんな彼らにまで嫌われ、見放され、その目に自分を映してもらえなくなってしまえば、想像するのも憚れる程の絶望が待ち受けているだろう。
核心をつくことが出来ず、コノハの声が震えた。
「コノハは、我とお揃いなのだ」
「……え?」
アデルの口から想定外の言葉が飛び出し、全員が呆けてしまう。驚きのあまり、コノハは先刻までの不安を忘れていた。
「我は悪魔ではないが、悪魔の愛し子と呼ばれ、多くの人から忌避され、苦痛を与えられてきたのだ。今となってはあまり気にならなくなったが、幼い頃はそれなりに傷ついたものである。これからコノハも、他人からの心無い悪意で傷つくことがあるかもしれぬ……だが彼らにとって、悪魔も悪魔の愛し子も大きな違いは無い。忌み嫌う差別対象という点において、我とコノハはまったく同じなのだ。
傷を負ってもすぐに治るこの身体も、自らの力でジルを生み出せるという性質も。お揃いである」
アデルが心底嬉しそうに破顔し、コノハは一瞬にして目を奪われる。お揃いという、ただそれだけのことで、アデルが心から喜んでいることは、一目瞭然であったから。
客観的に見て、その言葉の真意に、傷の舐め合いがしたいという要素が無いとは言い切れない。だが、アデルを良く知るレディバグ一行には分かった。アデルが、コノハと慰め合いたいわけでは無いことを。何故なら、アデル自身が語ったからだ。〝今となっては気にも留めていない〟と。
アデルは悪魔の愛し子であるが、かつての悪魔たちとは違う。悪魔が否が応でも背負わされるその運命に耐え切れず、同類を求めて愛し子を生み出した――かつての悪魔たちとは違うのだ。
「それに。確かに我は愛し子として生まれたが、今は大事な仲間と共に、こうして幸せな生活を送っているのだ。その仲間にはもちろん、コノハも含まれている。……コノハにも、大事な家族が出来たであろう?」
「うん……」
「コノハの目には、我が不幸に見えるか?」
その問いを、コノハは首を横に振って否定した。今までコノハが見てきたアデルは、いつも穏やかに微笑んでいたから。
「であろうな。我は、世界一の幸せ者なのでな」
「っ……」
「案ずることは無いのだ、コノハ。我らが共にいる。傷ついた時、その傷に誰よりも早く気づいて癒すと誓おう。苦しい時、その苦しみを和らげることを誓おう。我らがコノハを、決して不幸にはしないと約束しよう。……我らは、コノハのことが大好きであるからな」
「っ、うんっ……」
涙を空に飛ばすと、コノハは眩いほどの満面の笑みを浮かべた。コノハという存在が生まれてきたことを、他の誰でもないアデルに祝福されているように思えたから。
コノハは悪魔について深いことを知らない。悪魔が人々からどう思われているのか。どれ程忌み嫌われているのか。何故それ程までに嫌悪されているのか。悪魔がどれ程化け物じみた力や身体を持っているのか。悪魔がどれだけ重い運命を背負わされているのか。その全てを、コノハは理解できていない。
それでも。アデルたちが傍にいれば。彼らという仲間が――家族が愛してくれるのであれば、どんな困難が降りかかっても大丈夫だと、コノハはそう思えた。
それもそのはず。コノハはかつての悪魔たちが、どれだけ焦がれても手にすることの出来なかった〝愛〟を、抱えきれない程手にしているのだから。
『――だがお前が死んで、新たな悪魔が生まれた暁には、決してその悪魔を不幸にはしないと、我が誓おう』
『…………はっ……?』
『……そんなこと、出来ると思ってるの?』
『出来る出来ないの話ではない。我が新たな悪魔を、愛するか愛さないかの話だ』
アデルがルルラルカへの復讐を果たすその直前。彼は彼女とある約束を交わした。それが、新たに生まれてくる悪魔を幸せにすることである。だからこそアデルは、コノハのことを必死に探そうとしていた。そして、悪魔ルルラルカを良く知っていたアデルは、初めて会った時からコノハが新たな悪魔であることに気づいていた。
ちなみに。森の中、素っ裸で呆然としていたコノハを見つけた時。アデルがボソッと「……男であるか」と独り言を呟いたのは、同じ悪魔であるルルラルカが女性だったからだ。アデルの知る悪魔はコノハ以外に彼女しかおらず、男の悪魔という存在に少し驚いたのである。
何はともあれ、アデルが誰よりも先にコノハを見つけたおかげで、彼は悪魔でありながら、ありふれた家族の愛情を知ることが出来た。コノハ自身が愛されていると自覚し、今この瞬間が幸せだと確信できている時点で、アデルはルルラルカとの約束を果たせたのだ。
********
「お話は終わったのでしょうか?」
「「……」」
コノハが嬉し涙を拭い、段々と落ち着いて来た頃。不意に立ち上がったギルドニスが口を開いた。思わず、全員が彼を注目するように見上げる。
アデルと違い、ギルドニスのことを全く知らない者も数人いるので、彼らの瞳には困惑が滲み出ている。
「差し出がましいかもしれませんが、念の為、華位道国の兵士たちを拘束した方が良いのでは無いでしょうか?」
「……あぁ。確かにそうであるな」
林の交渉が上手くいけば、これ以上の戦争は避けられると思われるが、彼女が皇帝にそれを持ちかけるのはフェイントの効果が切れる直後だ。つまり、兵士たちが意識を取り戻してから華位道国全体が降伏の意思を共有するまでには、どうしても間の時間が出来てしまうのだ。その間、再び兵士が戦闘の意思を見せては面倒なので、ギルドニスの提案は的を射ていた。
「では私が全員を拘束して参りますので、皆様はゆっくりなさってください」
「一人であの人数は流石に無理があるのでは……」
「大丈夫ですよ。縄のジルを操って一気に拘束するので」
亜人の国で意識を失っている兵士たちは、一から数えるのも憚れる程多いので、思わずナギカは立ち去ろうとする彼を制止した。
だが、ギルドニスは操志者としての力を使い、短時間で全員の拘束を済ませるつもりらしい。
アデルはそんなギルドニスを怪訝そうに見上げている。何故なら彼の目には、ギルドニスが一人で立ち去る言い訳をしているように見えたから。
「……お前、何か我に隠しておらぬか?」
「……何か、とは……また、抽象的ですね。アデル様」
不意に尋ねられたその一瞬、ギルドニスの片眉がピクリと動いた。すぐにいつもの貼りつけた様な笑みを浮かべるギルドニスだったが、その一瞬の反応だけでアデルには十分だった。
あれはギルドニスの肯定を意味していると、アデルには理解できたから。
何故ギルドニスが何かを隠していると思ったのか、アデルには理路整然と説明することが出来ない。彼に対する様々な疑問や、不可解な行動の数々がアデルの中で積み重なり、不意にそう思ってしまっただけだから。
「我も手伝うとしよう」
「アデル様のお手を煩わせるようなことでは……」
「我と一緒なのが不満なのか?」
「滅相もございませんっ!……ハッ……」
優先させるべき意志とは別の、彼自身の本能にも似た感情が漏れ出てしまい、ギルドニスは自身の失言にすぐに気づいた。
アデルの推測通り、彼が一人になろうとしているのは明らかだが、それでもアデルに対する畏敬の念を誤魔化すことは出来なかったらしい。
「言質は取ったのだ。拒否は許さぬぞ?」
「…………はぁ……畏まりました」
観念した様にため息をつくと、ギルドニスはアデルの同行を承諾した。こうしてアデルとギルドニスの二人は、避難所をあとにするのだった。
********
避難所の外はすっかり暗くなっており、今日一日の時間の経過をありありと実感させられる。亜人の国はどこよりも星が綺麗に見える国の一つなので、夜空を見上げれば容易く目を奪われてしまう。
そんな夜空の下、アデルたちは兵士たちを次々と拘束している。ギルドニスは縄のジルを操って、一度に多くの兵士を拘束し、アデルは自身のジルで作った拘束具を使用している。そしてその拘束具を、ギルドニスと同じ要領で操っているのだ。
兵士たちを拘束し始めてからしばらくは、二人の間に会話は無かった。だが、沈黙に耐え切れなくなったアデルが唐突に口を開き、一気に核心をつく。
「ギルドニス。お前……本当に悪魔を信仰しているのであるか?」
「……どういうことでしょうか?」
「以前のギルドニスであれば悪魔を目の当たりにしただけで、鼻血を出しながら歓喜に打ち震えたはずであろう?だと言うのにお前は、コノハを前にしても冷静だったではないか」
アデルはバランドール民主国で彼と再会して以来、事あるごとにギルドニスについて考えていた。最初の疑問は、何故彼が始受会を破門になったのかという問題である。
ギルドニス程悪魔に対する信仰心が強く、その上実力も兼ね揃えている信者はそう多く無いだろう。そんな彼が破門されたのだから、相当な理由が無ければ辻褄が合わない。にも拘らず、それを尋ねたアデルに対して彼は、
『……恥ずかしいので内緒です』
そう言ってはぐらかしたのだ。
アデルからしてみれば理解不能すぎる上、何故正直答えないのかという新たな謎まで出来てしまった。
次に抱いた疑問は、破門になっても尚、彼が悪魔を探そうとする理由だった。最初は、破門になってもやはり、あの狂気的とも呼べる悪魔に対する信仰心が薄れなかったのだろうとアデルは思っていた。
にも拘らず、コノハと対面した時のあの態度である。念願が叶ったはずなのに、ギルドニスは酷く冷静だった。以前の彼であれば、興奮のあまり気絶してもおかしくないというのに、だ。
そうして生まれてしまった一つの可能性が、彼の悪魔に対する信仰心が消えたのではないかという疑惑である。もしこの疑惑が真実なのであれば、彼が悪魔を探していた理由までも破綻してしまうので、アデルは確かめずにはいられなかったのだ。
「……あの、アデル様」
「?」
「私、一度も悪魔様を信仰しているなどと言った覚えは無いのですが」
「………………はっ?」
「いや若いとかいうレベルじゃないから。幼児だから」
「二才、ですか……初めて会った時、片言でも会話が成立していたのが奇跡に思えてきました」
コノハの年齢を漸く知ったメイリーンは、しみじみといった感じで呟いた。誰に気づかれることも無く生まれてきたコノハを、庇護してくれる存在などいたはずもなく、アデルたちに出会うまで彼は一人で生きてきたと考えられる。それは同時に、彼に言葉や常識を教えてくれる存在が一切いなかったことを意味する。
にも拘らずコノハは出会った頃、たどたどしくはあるものの、言葉を話せていた。その事実がメイリーンには不思議でならなかったのだ。
「森を訪れた人々の話し声を聞いて覚えたのかもしれぬ。コノハはよく、我らのことも念入りに観察していたのでな。そもそも悪魔と普通の人間では、育ち方自体が違う可能性だってあるのだ」
メイリーンの疑問に、アデルは憶測でしか答えることが出来ない。悪魔や愛し子は世界中の誰しもが知る存在ではあるが、詳細なことは誰にも分からないという現実が、こんな場面で垣間見えてしまう。
「ととたち、さっきから俺の話してる?」
「「……」」
アデルが仮説を語っていると、ずっと傍聴していたコノハが唐突に口を開いた。コノハに何と答えてやればよいのか分からず、彼らは目を泳がせてしまう。
コノハが悪魔という存在であることは、キチンと告げるべきである。これは示し合わせる必要が無いほどに、彼らの共通認識であった。そんな彼らが告げるべきか思い悩んでいたのは、この世界の悪魔に対するどうしようもない差別意識についてである。
悪魔が背負わざるを得ない宿命を、まだ生まれて間もないコノハに知らせるのは、あまりにも酷なのではないかと彼らは危惧しているのだ。
「あぁ、コノハのことであるぞ」
皆が口を噤む中、穏やかな声を発したのはアデルだ。途端、彼らの視線が一気にアデルの元に集まる。
「悪魔って、なに?」
「悪魔というのは、この世界にとってとても重要な存在なのだ。悪魔がいなくなれば、この世界が終焉へと向かってしまう程に」
「そう、なの?」
「うむ。それ故にコノハは、普通の人間とは違う体質や力を持っているのだ。コノハはその力を使いこなしていたであろう?」
「あ……」
身体を真っ二つにされたというのに、コノハが悪魔の力で元の状態に再生したことは記憶に新しい。アデルに言われて、自分自身が成したことをコノハは漸く自覚した。
コノハが初めてその力で身体の傷を修復したのは、修行を始める以前のことである。にも拘らず、コノハは誰に教わった訳でもないのに、まるで慣れているかのようにその力を行使していた。悪魔としての本能が、そうさせているかのように。
流石に、それが普通とは一線を画していることはすぐに理解できたのか、コノハはハッと目を見開いた。
「そっか……」
「コノハ。実は……悪魔は世界にとって重要な存在であると同時に、多くの人々から忌み嫌われている存在なのだ」
「えっ……」
その真実を知らされたコノハは、驚きと鬼胎で言葉を失った。一方の彼らは、アデルがあまりにも包み隠さなかったことに当惑し、ほんの少し批難めいた眼差しを向けてしまう。
「それって……」
(ととたちも……?)
コノハが恐れていることはただ一つ。アデルたちもその他大勢と同じように、悪魔である自分のことを嫌っているのかということ。
彼らレディバグは、コノハにとっての全てである。そんな彼らにまで嫌われ、見放され、その目に自分を映してもらえなくなってしまえば、想像するのも憚れる程の絶望が待ち受けているだろう。
核心をつくことが出来ず、コノハの声が震えた。
「コノハは、我とお揃いなのだ」
「……え?」
アデルの口から想定外の言葉が飛び出し、全員が呆けてしまう。驚きのあまり、コノハは先刻までの不安を忘れていた。
「我は悪魔ではないが、悪魔の愛し子と呼ばれ、多くの人から忌避され、苦痛を与えられてきたのだ。今となってはあまり気にならなくなったが、幼い頃はそれなりに傷ついたものである。これからコノハも、他人からの心無い悪意で傷つくことがあるかもしれぬ……だが彼らにとって、悪魔も悪魔の愛し子も大きな違いは無い。忌み嫌う差別対象という点において、我とコノハはまったく同じなのだ。
傷を負ってもすぐに治るこの身体も、自らの力でジルを生み出せるという性質も。お揃いである」
アデルが心底嬉しそうに破顔し、コノハは一瞬にして目を奪われる。お揃いという、ただそれだけのことで、アデルが心から喜んでいることは、一目瞭然であったから。
客観的に見て、その言葉の真意に、傷の舐め合いがしたいという要素が無いとは言い切れない。だが、アデルを良く知るレディバグ一行には分かった。アデルが、コノハと慰め合いたいわけでは無いことを。何故なら、アデル自身が語ったからだ。〝今となっては気にも留めていない〟と。
アデルは悪魔の愛し子であるが、かつての悪魔たちとは違う。悪魔が否が応でも背負わされるその運命に耐え切れず、同類を求めて愛し子を生み出した――かつての悪魔たちとは違うのだ。
「それに。確かに我は愛し子として生まれたが、今は大事な仲間と共に、こうして幸せな生活を送っているのだ。その仲間にはもちろん、コノハも含まれている。……コノハにも、大事な家族が出来たであろう?」
「うん……」
「コノハの目には、我が不幸に見えるか?」
その問いを、コノハは首を横に振って否定した。今までコノハが見てきたアデルは、いつも穏やかに微笑んでいたから。
「であろうな。我は、世界一の幸せ者なのでな」
「っ……」
「案ずることは無いのだ、コノハ。我らが共にいる。傷ついた時、その傷に誰よりも早く気づいて癒すと誓おう。苦しい時、その苦しみを和らげることを誓おう。我らがコノハを、決して不幸にはしないと約束しよう。……我らは、コノハのことが大好きであるからな」
「っ、うんっ……」
涙を空に飛ばすと、コノハは眩いほどの満面の笑みを浮かべた。コノハという存在が生まれてきたことを、他の誰でもないアデルに祝福されているように思えたから。
コノハは悪魔について深いことを知らない。悪魔が人々からどう思われているのか。どれ程忌み嫌われているのか。何故それ程までに嫌悪されているのか。悪魔がどれ程化け物じみた力や身体を持っているのか。悪魔がどれだけ重い運命を背負わされているのか。その全てを、コノハは理解できていない。
それでも。アデルたちが傍にいれば。彼らという仲間が――家族が愛してくれるのであれば、どんな困難が降りかかっても大丈夫だと、コノハはそう思えた。
それもそのはず。コノハはかつての悪魔たちが、どれだけ焦がれても手にすることの出来なかった〝愛〟を、抱えきれない程手にしているのだから。
『――だがお前が死んで、新たな悪魔が生まれた暁には、決してその悪魔を不幸にはしないと、我が誓おう』
『…………はっ……?』
『……そんなこと、出来ると思ってるの?』
『出来る出来ないの話ではない。我が新たな悪魔を、愛するか愛さないかの話だ』
アデルがルルラルカへの復讐を果たすその直前。彼は彼女とある約束を交わした。それが、新たに生まれてくる悪魔を幸せにすることである。だからこそアデルは、コノハのことを必死に探そうとしていた。そして、悪魔ルルラルカを良く知っていたアデルは、初めて会った時からコノハが新たな悪魔であることに気づいていた。
ちなみに。森の中、素っ裸で呆然としていたコノハを見つけた時。アデルがボソッと「……男であるか」と独り言を呟いたのは、同じ悪魔であるルルラルカが女性だったからだ。アデルの知る悪魔はコノハ以外に彼女しかおらず、男の悪魔という存在に少し驚いたのである。
何はともあれ、アデルが誰よりも先にコノハを見つけたおかげで、彼は悪魔でありながら、ありふれた家族の愛情を知ることが出来た。コノハ自身が愛されていると自覚し、今この瞬間が幸せだと確信できている時点で、アデルはルルラルカとの約束を果たせたのだ。
********
「お話は終わったのでしょうか?」
「「……」」
コノハが嬉し涙を拭い、段々と落ち着いて来た頃。不意に立ち上がったギルドニスが口を開いた。思わず、全員が彼を注目するように見上げる。
アデルと違い、ギルドニスのことを全く知らない者も数人いるので、彼らの瞳には困惑が滲み出ている。
「差し出がましいかもしれませんが、念の為、華位道国の兵士たちを拘束した方が良いのでは無いでしょうか?」
「……あぁ。確かにそうであるな」
林の交渉が上手くいけば、これ以上の戦争は避けられると思われるが、彼女が皇帝にそれを持ちかけるのはフェイントの効果が切れる直後だ。つまり、兵士たちが意識を取り戻してから華位道国全体が降伏の意思を共有するまでには、どうしても間の時間が出来てしまうのだ。その間、再び兵士が戦闘の意思を見せては面倒なので、ギルドニスの提案は的を射ていた。
「では私が全員を拘束して参りますので、皆様はゆっくりなさってください」
「一人であの人数は流石に無理があるのでは……」
「大丈夫ですよ。縄のジルを操って一気に拘束するので」
亜人の国で意識を失っている兵士たちは、一から数えるのも憚れる程多いので、思わずナギカは立ち去ろうとする彼を制止した。
だが、ギルドニスは操志者としての力を使い、短時間で全員の拘束を済ませるつもりらしい。
アデルはそんなギルドニスを怪訝そうに見上げている。何故なら彼の目には、ギルドニスが一人で立ち去る言い訳をしているように見えたから。
「……お前、何か我に隠しておらぬか?」
「……何か、とは……また、抽象的ですね。アデル様」
不意に尋ねられたその一瞬、ギルドニスの片眉がピクリと動いた。すぐにいつもの貼りつけた様な笑みを浮かべるギルドニスだったが、その一瞬の反応だけでアデルには十分だった。
あれはギルドニスの肯定を意味していると、アデルには理解できたから。
何故ギルドニスが何かを隠していると思ったのか、アデルには理路整然と説明することが出来ない。彼に対する様々な疑問や、不可解な行動の数々がアデルの中で積み重なり、不意にそう思ってしまっただけだから。
「我も手伝うとしよう」
「アデル様のお手を煩わせるようなことでは……」
「我と一緒なのが不満なのか?」
「滅相もございませんっ!……ハッ……」
優先させるべき意志とは別の、彼自身の本能にも似た感情が漏れ出てしまい、ギルドニスは自身の失言にすぐに気づいた。
アデルの推測通り、彼が一人になろうとしているのは明らかだが、それでもアデルに対する畏敬の念を誤魔化すことは出来なかったらしい。
「言質は取ったのだ。拒否は許さぬぞ?」
「…………はぁ……畏まりました」
観念した様にため息をつくと、ギルドニスはアデルの同行を承諾した。こうしてアデルとギルドニスの二人は、避難所をあとにするのだった。
********
避難所の外はすっかり暗くなっており、今日一日の時間の経過をありありと実感させられる。亜人の国はどこよりも星が綺麗に見える国の一つなので、夜空を見上げれば容易く目を奪われてしまう。
そんな夜空の下、アデルたちは兵士たちを次々と拘束している。ギルドニスは縄のジルを操って、一度に多くの兵士を拘束し、アデルは自身のジルで作った拘束具を使用している。そしてその拘束具を、ギルドニスと同じ要領で操っているのだ。
兵士たちを拘束し始めてからしばらくは、二人の間に会話は無かった。だが、沈黙に耐え切れなくなったアデルが唐突に口を開き、一気に核心をつく。
「ギルドニス。お前……本当に悪魔を信仰しているのであるか?」
「……どういうことでしょうか?」
「以前のギルドニスであれば悪魔を目の当たりにしただけで、鼻血を出しながら歓喜に打ち震えたはずであろう?だと言うのにお前は、コノハを前にしても冷静だったではないか」
アデルはバランドール民主国で彼と再会して以来、事あるごとにギルドニスについて考えていた。最初の疑問は、何故彼が始受会を破門になったのかという問題である。
ギルドニス程悪魔に対する信仰心が強く、その上実力も兼ね揃えている信者はそう多く無いだろう。そんな彼が破門されたのだから、相当な理由が無ければ辻褄が合わない。にも拘らず、それを尋ねたアデルに対して彼は、
『……恥ずかしいので内緒です』
そう言ってはぐらかしたのだ。
アデルからしてみれば理解不能すぎる上、何故正直答えないのかという新たな謎まで出来てしまった。
次に抱いた疑問は、破門になっても尚、彼が悪魔を探そうとする理由だった。最初は、破門になってもやはり、あの狂気的とも呼べる悪魔に対する信仰心が薄れなかったのだろうとアデルは思っていた。
にも拘らず、コノハと対面した時のあの態度である。念願が叶ったはずなのに、ギルドニスは酷く冷静だった。以前の彼であれば、興奮のあまり気絶してもおかしくないというのに、だ。
そうして生まれてしまった一つの可能性が、彼の悪魔に対する信仰心が消えたのではないかという疑惑である。もしこの疑惑が真実なのであれば、彼が悪魔を探していた理由までも破綻してしまうので、アデルは確かめずにはいられなかったのだ。
「……あの、アデル様」
「?」
「私、一度も悪魔様を信仰しているなどと言った覚えは無いのですが」
「………………はっ?」
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる