レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第二章 仲間探求編

80、戦場の再会4

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 優しく微笑みながら皓然ハオランの頭を撫でるアデルに視線を釘付けにしている林は、高鳴る胸を苦し気に抑えている。

 それは、林がこれまで経験したことの無い種類の苦しみであった。数々の強敵との戦いで死線を潜り抜けてきた林は強烈な痛みにも、死にたくなる程の苦しみも経験し、最早知らない感覚――感情など無いと高を括っていた。

 そんな林にも唯一知らない感情、知らない胸の痛みがあった。

 それが、恋愛感情である。


『林はとても強い……尊敬に値する女性なのだ』
「っ……」


 頭の中でアデルの言葉を思い起こす度、熱でもあるのではないかと思う程頬が熱くなり、それを抑える術を知らない。林はこの感情を知らない為、中々その正体に辿り着くことが出来ずにいた。

 そんな中、彼女を悩ませる感情の正体に唯一、本人よりも早く気づいてしまった者がいる。

 ――リオである。


(うわぁ……アデルんってばどこまで罪な男なの?リンリン完全に落ちちゃったじゃん。メイメイもまだ自覚してないっていうのに、とんだ無自覚タラシね……)


 林が熱の籠った眼差しをアデルに向けていることに気づいたリオは、思い切り顔を顰めてしまう。別にアデルがどれだけの女性から好かれようとリオにとってそれは大した問題ではない。ただ、それは相手が他人の場合に限定される。

 メイリーンはもちろん、林も最早他人と呼べるような関係ではない。そんな二人が同じ人物に対して同じ感情を抱いているという状況(本人たちに自覚無し)は、リオの頭を悩ませるには十分すぎる事態なのだ。


(こんな時、恋バナできる女子友達がいれば相談もできるんだけど……)


 リオはふと、レディバグの女子メンバーの顔を思い起こす。


(駄目ね。みんな自分のことでいっぱいいっぱいでそれどころじゃないだろうし、純粋すぎて俺がどうにかなっちゃいそう)


 メイリーンはリオが頭を悩ませている問題の当事者である。そしてナツメはルークとの関係――つまり自身の恋愛で精一杯で相談されても困ってしまうだろう。

 想像しただけで彼女たちの純粋さに中てられてしまったリオは、思わず顔を引き攣らせる。


(仕方ないわね……もうナギ助でいいや)


 追い込まれたリオは、自身の悩みを共有してくれる人物にナギカを選んだ。ナギカであれば現在特定の相手に恋をしている様子も見受けられなかったし、冷静な彼女であれば何かしらの答えを出してくれると思ったのだ。一つだけ難点を上げるのなら、彼女がそういった話題に疎い可能性があるということだけである。


『ねぇねぇナギ助……どうしよう』
『どうしたのですか?そんなに声を抑えて』


 思い立ったが吉日。リオは早速すぐ傍にいたナギカに小声で話しかけた。耳元で囁かれたナギカは、怪訝そうに首を傾げつつ小声で返してやる。


『どうもこうも無いわよっ。困ったことになっちゃったわよ』
『はい?』
『リンリンを見てよ!あの乙女な瞳を!』
『…………あぁ、そういうことですか』


 リオに促され、林に視線を向けたナギカはすぐに状況を把握してくれたのか、納得したような声を上げた。

 唯一の不安材料が杞憂であることが分かり、リオは決壊した様にその悩みをナギカに吐露し始める。


『そうなのよっ……俺どうすればいいのか分からなくなっちゃった』
『何もしなければ良いのでは?』
『でもでも!どっちの味方すればいいのかも分からないのよ』
『どっちとは?』
『メイメイとリンリン!どっちの応援のすればいいのか分かんない!』
『……リオ様は、アデル様の味方になれば良いのでは?』


 キョトンとした表情で告げられた途端、リオは虚を突かれた様に呆けてしまう。固定観念に囚われていたリオにはその発想が無かったからだ。


『リオ様は、アデル様が今後誰かに恋焦がれた時に応援さえしておけば、それだけでいいと思うのですが……あぁ、すいません。そういう話ではありませんでしたか?』
『……ううん……そうよね。俺はアデルんの親友なんだから、アデルんが決めた時に後押しすればいいのよね』
『その通りですリオ様。解決したのであればそんなくだら……コホン。平和的な話は終わりにしましょう』


 まるでさっさとこの話を終わらせたいような早口でナギカは言った。正直ナギカは、未だ戦争が終結していないこの状況で、他人の恋愛について頭を悩ませているリオを正気の沙汰だと思っていないのだ。


『今サラっと下らないって言おうとしなかった?』
『いやですリオ様。いくら小さな声だからといってそんな空耳をするなんて』
『えぇ~……』


 淡々とした口調で否定するナギカだったが、明らかに言いかけていたので苦しい言い訳ではあった。それでもその凛とした態度を目の当たりにしてしまうと、こちらが間違っているのではないかと思えてきてしまう。


「――さて、これからどうしたものか」


 スッと立ち上がったアデルは、思案顔でそう呟いた。


「林」
「あ、あんだよ」
「?……メイリーンの力は一日経てば解ける。もちろん再度力を行使することは可能だが、それを続ける訳にもいかぬ。つまりは遅かれ早かれ戦争は再び始まってしまうが、林はどうするつもりなのだ?」


 頬を染めながら慌てたように林から尋ねられた為、アデルは思わず首を傾げつつ本題に入った。


「……多分だけど、華位道国はその内降伏すると思うぞ」
「なに?」
「アタシはこいつ等を助けられた時点で、華位道国に従属する必要が無くなった。だからアタシは亜人側につく」
「「っ!」」


 はっきりと言い放った林に、全員が思わず息を呑んだ。林ほどの実力者が味方に付いてくれればこれ程優位なことは無いが、それでもアデルには彼女の〝華位道国が降伏する〟という発言の意味が理解できない。


「華位道国はアタシの力を嫌と言う程理解してる。だからアタシが敵になったと知った時点で、すぐに降伏すると思うぞ?その上悪魔の愛し子までいると分かりゃあアイツら、掌返すように逃げるだろうな。アタシがこいつ等を取り返せた時点で、華位道国は負けてるんだよ」


 林の知る限り、華位道国は負け戦をズルズルと長引かせるような愚かな国では無いのだ。要するに、勝ち戦にしか手を出さないということである。戦争の最中それが負け戦になれば、さっさと手を引いて被害を最小限に治める。それが華位道国の常套手段なのだ。

 林の説明で漸く理解したアデルは、納得したように目を見開く。


「なるほど。具体的にはどうするのだ?」
「取り敢えずこいつ等を安全な場所に預けてから、アタシ一人で皇帝のとこにでも行って、意識が戻るのを待っとく。皇帝に話した方が手っ取り早いからな。だからお前らには皓然たちのことを頼みたいんだが……」
「もちろん良いぞ。亜人の国にある避難所が、恐らく一番安全であろうな……そこに全員で転移すればよいか……」


 アデルがブツブツと今後について思案していると、その会話を聞いていた皓然が不安そうな目で林を見上げる。


「姉ちゃん、大丈夫?」
「あ?てめぇアタシが殺しても死なねぇ質だって一番よく分かって……」
「いやそうじゃなくて」


 まるで自分の実力を疑っているかのように心配され、林は思わず不満気な相好を露わにするが、皓然が危惧しているのはそのようなことでは無かった。
 キッパリと否定され、林は怪訝そうに首を傾げる。


「俺が心配してるのは、起きた瞬間姉ちゃんに睨まれる羽目になる皇帝様の方だよ。心臓麻痺で死んだりしない?」
「……お前はアタシのことも皇帝のことも何だと思ってるんだ」


 どちらに対してもかなり失礼なことを言ってのけた皓然目の当たりにし、アデルたちは苦笑を禁じ得ない。皓然に苦言を呈している林だが、彼の物言いはどこか彼女に似ていて、血の繋がりを強く感じてしまう。


「リオ、一つ頼まれてくれるか?」
「ん?なぁに?」
「転移術で皆を避難所まで連れて行って欲しいのだ」
「え……アデルんは?」


 リオに転移術の行使を任せるということは、アデルが共に亜人の国へと帰還しないことを意味する。その為、リオは不安気な声でアデルに尋ねた。


「皆が転移した後、此奴らを起こし、然るべき対処を終えればすぐに後を追うのだ」
「あー……眠れって命令したから、アデルんが解かないと一生寝たままなのね」
「あぁ」


 アデルが親指で指したのは、彼の命令によって眠りについた兵士二人である。アマノが自分自身を洗脳した際は明確な終わりがあったので自然に洗脳は解けたが、眠りに関しては際限が無いので、アデルが起きろと命令しない限り洗脳は解けないのだ。

 だがその場合、起きた兵士たちが子供たちに襲い掛かるのは想像に容易い。だからアデルは子供たちの安全が確保されてから彼らを起こすことにしたのだ。


「おっけー……よーし!じゃあ皆!存分にリオリオに抱きつくといいわよ!」
「「…………」」


 立ったまま大の字になってキラキラと瞳を輝かせたリオに、全員が何とも言えない表情を向けた。


「むぅ。嫌なの?」
「リオ様の下心が見え見えで引いているだけですよ。皆さん」
「うそ!?」


 不満気な声を上げたリオに、ナギカは心を抉るような解説をしてやった。自分はそんな分かりやすい表情をしていたのかと、リオは素直にショックを受けてしまう。


「まぁ皆さん。一抹の不安は残りますが、さっさと転移してしまいましょう」
「ナギ助は俺のこと嫌いなのかな……?」
「…………」
「無視!?」


 ナギカがとことん精神的に追い込んでくるあまり、リオは今にも泣きそうな顔で尋ねたが、当の彼女はその追及から逃れるように視線を泳がせるのみである。
 もちろんナギカはリオを嫌ってなどいないが、いざ尋ねられると素直に好きとは言えないものである。

 誤魔化すようにリオの腕に掴まると、ナギカは傍観している彼らに促すような視線を向けた。そんなナギカを呆けた様に目で追っていたリオは、ふと何かに気づいたように口を開く。


「……そう言えばナギ助、もう男の人に触っても平気なの?」


 思えばナギカは、亜人の国から華位道国へ転移する時も、何事も無い様にリオの身体に触れていた。ナギカが男性に対する恐怖を完全に払拭できたとは流石のリオも思っていないが、親しい人間であれば触れられるようになったのなら、それは大きな進歩なので彼は確かめずにはいられなかった。


「……リオ様は、平気です」
「あ、そう……」


 俯きがちに言われ、リオはそんな曖昧な返事しか出来なかった。ナギカが唯一素直な気持ちを吐露してくれたことには気づけたが、その真意まではリオにも見透かすことが出来なかったから。


「リオ。アマノを頼めるか?」
「はぁ……何で自分より歳食ってる奴をおぶらないといけないのかしら。今は小さいからいいけど」


 長いことアデルの背中で眠っていたアマノを受け取りその背におぶると、リオは鬱陶しそうにため息をついた。リオは現在一六歳であるが、アマノはアデルと同じ一八歳である。
 リオは年下の自分がアマノの世話を焼いてやっていると思っているので、それが不満なのだろう。


「……」
「な、なに?アデルん。そんな捨てられた子犬みたいな目ぇして」


 文句を言いつつも何だかんだでおぶってやったリオは、アデルから向けられる妙な視線に首を傾げる。人々が忌み嫌い、睨めば相手を恐怖のどん底に陥れることが出来るその赤い瞳をほんの少し潤ませ、何かを乞うように眉を下げているアデルは当に、子犬そのものの表情をしていた。その時リオの目には、アデルの頭に存在しないはずの垂れた犬耳が見えてしまう程に。


「リオは、我をおぶるのも嫌なのであるか?」
「はぁ?何言ってんの?アデルんは別よ。頼まれなくてもおぶるわよ」
「清々しい程の贔屓ですね……というか、さっさと転移術行使してください」
「ナギ助、段々俺の扱い雑になってない?」


 どこからツッコめばいいのか分からない二人の会話に、冷静に割って入ったナギカを誰もが勇者と見間違えてしまう。

 ナギカが声を上げてくれたおかげで漸く転移することになり、亜人の国に戻る面々がリオの身体に触れたことで準備は整った。


「じゃあアデルん。俺たち先に行ってるからね」
「あぁ。頼むのだ」


 リオが転移術を行使すると、彼らは一瞬にしてその場から姿を消した。

 寝こけている兵士をいない者と考えると、林とアデルの二人きりなので、彼女は少しソワソワとしながらアデルに視線を送っている。
 一方のアデルは兵士たちを気にしていて、早速先の洗脳を解こうとしているのが見てとれた。


『起きろ』
「「っ……ぐぁっ!?」」
「……」


 アデルの命令で兵士たちは目を覚ましたが、その刹那、頭頂部を林の力強い拳でぶん殴られてしまったので、起きて早々再度意識を失ってしまった。

 林の辞書に容赦という言葉は無いようで、仕事の早い彼女の暴挙にアデルは目をパチクリと瞬きさせてしまうのだった。


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