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第二章 仲間探求編
68、不穏
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「「…………」」
全てをグレイルが語り終えると、アデルたちは目を見開いたまま口を噤んでしまう。
長年の謎が解けたことによる納得感と、強い衝撃。そしてその少し後に、アデルの中で再び納得感が襲ってくる。
何故なら、アデルにとっては目に浮かぶような話だったから。エルであれば当然のようにその選択を取るだろうと、アデルには手に取るように分かったのだ。
「……エルは、愛し子の脅威という危機からこの国を救ってくれた恩人でもあり、同胞を殺した憎い存在でもある……みな、エルに対してそのような感情を抱いているのじゃ」
「……グレイル殿も、そうなのであるか?」
一筋縄ではいかない、二律背反の思いはとても美しいなどと呼べるものではない。思わずアデルは不安気に、グレイルの気持ちを尋ねた。
「いんや……あれのことは生まれた時から知っておるのでな。エルが簡単にサクマを殺したわけでは無いことぐらい、儂にも分かるのじゃ。それに……もしかするとあの時最も心を痛めていたのは、エルなのかもしれぬしな」
「……」
グレイルの思いを聞き、沈黙でしか返せなかったのはアデルたちだけではない。グレイルと共に訪ねてきた亜人たちも、悲痛な表情で口元を固く結んでいる。
「……そうじゃ。まだ、青年の名前を聞いておらんかったな」
「アデルというのだ。師匠のたった一人の弟子である」
名前を尋ねられ、アデルは静かに微笑んで答えた。そんなアデルにグレイルが言葉を返そうとしたその時。
異変は唐突に、激烈に、轟音を伴って、やって来た。
――どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「「っ!?」」
「なっ、なんじゃ!?」
突如外から耳が痛くなるような大砲音が聞こえ、アデルたちは顔を顰めつつ目を見開いた。
聴覚の優れている亜人たちにとって、その轟音は身体を刻まれる程辛く、自然と耳を塞ぐ手に力が入る。
しばらくすると、亜人たちの叫び声や慌てふためく声で外が騒がしくなり、アデルたちは急いで外の様子を確認しに行く。
「これは……」
外に出たアデルたちが見たものは、阿鼻叫喚と称されても仕方が無い様な惨事であった。大砲による攻撃によって何軒かの家は破壊され、それによる被害が凄まじい。
大規模な火災が発生し、その業火が治まる気配はない。怪我人も多数おり、大砲が直撃した場所の近くにいた者や、破壊された家の住人はかなりの重傷を負っているようだった。
「一体誰がこんなことを」と誰もが疑問符を浮かべる中、その正体は意外にもあっさりと姿を現した。
「卑しい亜人の皆さん、初めまして。我々は華位道国からやって来た者です。突然のことで大変恐縮ではあるのですが、単刀直入に言わせていただきます…………我ら華位道国は、亜人の国に対して宣戦布告しに参りました」
後ろに仲間らしき男たちを引き連れたその若い男は、気持ちの悪い笑みを浮かべながら唐突に宣言した。途端、亜人たちが恐怖と衝撃と絶望で顔を歪ませる。
アンレズナの共通言語を流暢に話しているその男は、リオと同じぐらいの背丈に軍服を身に纏っている。前髪を真ん中で左右対称に分け、その下には眼鏡をかけていた。
突然の宣戦布告に亜人たちは困惑を隠しきれず、彼らの動揺の声で喧騒が広がった。
「我ら華位道国の求めるものはこの国の領土。華位道国を更なる大国へと育て上げるため、この国を侵略することが我々の目的です。さっさと降伏してくれれば命だけは保証してあげましょう。僕としては降伏をお勧めしますが、無価値なプライドばかりがご立派なあなた方亜人種に、今すぐその決断を下させるのはあまりにも酷ですので、我々華位道国は一日の猶予を与えてやろうという結論に至りました。
明日のこの時間までに降伏するか開戦するかを決めてください。いやぁ、あなた方のような亜人如きに選択権を与えるなんて、華位道国も優しくなったものですよ……あぁ、大事なことを言い忘れていました。華位道国は現在、これまでの比ではない程の凄まじい戦力を保持しております。亜人如きの卑しい力では到底太刀打ちできませんので、開戦はほぼ亜人種の死を意味します。やはり降伏をお勧めしますよ?あーあ、無価値な亜人如きにアドバイスをしてあげるなんて、僕ってば何て優しいんだろうか……まぁそんなわけですので、よろしくお願いします。では」
自分勝手に捲し立てたその男は、用件を告げ終えるとさっさと軍を引き連れて帰って行った。情報量が多すぎるせいで当惑している彼らの中に、華位道国の軍を引き止める者はいなかった。
亜人たちはとうとう華位道国に目をつけられてしまったことに絶望し、どうすればいいのか分からず困惑していた。そしてアデルたちは、亜人を蔑むのが当たり前であるかのように話を進めた男に対する怒りで、拳を震わせている。
「グレイル様……」
「っ……華位道国の奴らめ……エルがどんな思いでサクマを手にかけたと思って……」
ナギカが不安気に声をかけると、グレイルは歯噛みしてその悔しさを露わにした。
サクマの力を手に入れた華位道国が亜人の国に宣戦布告することを恐れたエルは、苦汁を舐める思いでサクマの息の根を止めた。にも拘らず、数十年経った今、エルの恐れていた事態が起きてしまったことが、グレイルには我慢ならなかったのだ。
だがグレイルが憤っている間にも、亜人たちの不安はどんどん募っていく。年中争いごとが絶えない大国――華位道国と戦火を交えるとなると、その被害は想像するのも憚れる程計り知れない。その為、恐怖と不安で震える亜人たちの声がどんどん広がっていった。
「……降伏するのは駄目なのか?」
「降伏だけは絶対に避けねばならぬのじゃ!」
ふとアマノは素朴な疑問をぶつけるが、グレイルの鬼気迫る答えに思わずビクッと肩を震わせた。それ程までにグレイル含む亜人たちが焦っている理由を、アデルは理解していた。
「……アマノ。華位道国が求めているのはこの国の領土だけなのだ。つまり、この国に住まう亜人たちがどうなろうと、華位道国にとってはどうでも良いということ……降伏などしてしまえば、全ての亜人が奴隷のように扱われてしまうだろう」
「そんな……」
初めて会った時のナギカの酷い状態を思い起こし、アマノは悲痛な表情を露わにした。
降伏するということは、亜人への対応を全て華位道国に委ねるのと同義である。亜人を卑しい存在だと称した華位道国側が彼らを顧みるはずもないので、死よりも辛い生活が待っているのは明らかであった。
「……大丈夫である」
「?」
「師匠の意思は我らが継ぐのだ。決して、この国を華位道国の好きにはさせないと約束しよう」
アデルが静かに、力強く宣言すると、レディバグの仲間たちも彼に賛同するように頷いた。エルとナギカの故郷であるこの国を手助けすることに、異論のある者などいる訳も無かったのだ。
「アデル……」
「とりあえず今は怪我人の治療をしなければ……メイリーン、重傷者は頼んでもよいだろうか?」
「もちろんです、アデル様」
「じゃあ俺たちは火事の方を何とかしておくわね」
「あぁ。よろしく頼むのだ」
グレイルがアデルたちの思いに目を奪われている中、当の彼らは大砲による被害の対応をすることになった。アデルとメイリーンが治療、その他の者たちが協力して火災を鎮火するという役割分担である。
メイリーンは早速歌を歌い始め、アデルは軽症者の治療に取り掛かり始めた。リオを始めとする操志者が亜人の国には多いのでそんな彼らの協力もあり、火災の鎮火は順調に進んでいった。
そんな中、アデルは地面にへたり込んでいる女性の亜人を見つける。彼女は茶色い髪が美しい、熊の亜人であった。アデルはそんな彼女の元へ急いで駆け寄り、その容体を確かめようとした。
「気分が優れぬか?怪我であれば我が治療するが……」
「っ……!」
「?」
アデルが声をかけたことでゆっくりと振り返ったその人物は、彼の顔を見るや否や衝撃で目を見開き、小刻みに震えながら硬直してしまった。アデルが悪魔の愛し子であることに驚いているようではあったが、何かが決定的に異なるような違和感があった。
今にも泣きだしそうな表情の理由が他にもあるのではないかと、アデルにはそう思えて仕方が無かったのだ。
「サクマっ……」
「……?我はサクマでは…………っ!……まさかっ……」
彼女はポロっと涙を零し、縋る様にアデルの腕を掴んだ。何故かエルの殺した愛し子の名前を呼ばれ、思わず当惑気味に否定しようとしたアデルだったが、彼女の言動の真意に気づきその言葉を詰まらせた。
すると、彼女とアデルが相対していることに気づいたグレイルは刹那の内に動揺を露わにし、急いで彼らの元へ駆け寄る。
「モルカっ!」
「グレイル殿……この女性はまさか……」
「っ……あぁ……サクマの、母親じゃ」
恐る恐る尋ねられたグレイルは観念すると、正直に答えた。モルカと呼ばれた熊の亜人がサクマの母親であることを知り、アデルはどう接したものかと懊悩してしまう。
グレイルの咎める様な声も耳に入っていないのか、モルカは未だオロオロとした様子でアデルの腕を掴んでいる。
「ご婦人……」
「あっ、ごめんなさい……少し、驚いてしまって……」
「いや、構わぬのだ……」
アデルが話しかけると、漸くモルカは我に返って掴んでいた腕を放した。ふと、彼女の足下に視線を移したアデルは、その脚から血がタラリと流れていることに気づく。
「っ!やはり怪我をしているであるな。すぐに治療するのだ」
「あ、ありがとう……」
早速脚の治癒に取り掛かり始めたアデルを、モルカは当惑気味に見つめている。我が子と同じ悪魔の愛し子と相対している状況に、未だ思考が追いついていないのだ。
「あの、グレイル様……この子は?」
「あ、あぁ。ナギカの恩人なのじゃ……何でもエルの弟子だとか」
「……あの子の?」
エルの名前を聞いた途端、モルカから発せられる空気が一変した。その瞬間、グレイルは自身の失態に気づき、思わず口元を手で覆い隠す。だがそんなことでその失態を帳消しに出来るはずも無かった。
突如険悪な表情を露わにしたモルカを前に、アデルは首を傾げてしまう。
「あなた、エルの弟子なの?」
「そうだが……」
「……あの子、どういうつもりなの?」
「どういうつもりとは?」
「っ!私の子供を殺しておいて!同じ愛し子を弟子にとるなんてっ、どういう神経しているのよ!?」
「…………」
治療の終わった脚で立ち上がると、モルカはどうしようもない怒りをアデルにぶつけた。そしてその瞬間、アデルは思い知った。
他の亜人たちとは違いモルカにとってエルは、我が子を殺した憎き相手という認識の方が顕著なのだということを。
亜人の国の為だとか。サクマを苦しみから解放する為だとか。サクマの意思に反することをさせない為だとか。そんな正論を並べたところで、モルカには納得できるわけも無かったのだ。
愛する我が子を殺されたという事実を正当化することなど、看過できるわけも無かったのだ。
「……死にかけていた我を救ってくれたことをきっかけに、師匠とは師弟関係になったのだ。師匠はただ、頼る者のいなかった我の親代わりとして尽くしてくれただけで……」
「っ……あの子がどういうつもりだったかなんて、あなたには分からないでしょ!?私は本人に聞きたいのっ……弟子なら今すぐあの子をここに連れてきてよっ!」
「……すまない。それは出来ぬのだ。師匠はもう、死んでしまった故……」
「っ……!?」
沸き上がる怒りのまま喚き散らすモルカだったが、エルの死を知ったその一瞬だけ驚きで息を呑んだ。
我が子を失った母親と、親とも言える師を失ったアデル。大事な人を亡くしたという点で、二人は同じ境遇に置かれている。その為モルカには、アデルの悲痛な表情だけでその話が真実であることを嫌という程理解できた。
「……何なのよ……さっさと死んで、逃げて……楽な道を選んで……」
「モルカっ!言って良いことと悪いことの判別もつかぬのかっ!?」
「っ……だってそうじゃない!サクマを殺した罪から逃げて!」
「逃げておるなら愛し子を弟子にとるわけが無かろう!」
「それはっ……」
死者を罵るようなモルカの言動を遂に看過できなくなり、グレイルは声を荒げて苦言を呈した。エルが悪魔に殺された事実を聞いたグレイルには、その暴言を聞き流すことなど出来なかったのだ。悪魔に殺されたエルの死は、エル自身が望んだ結果でも、ましてや楽な道なわけも無かったから。
二人の口論は激化するばかりだが、アデルはそれを呆然と眺めることしか出来ない。
「エルは、この国とサクマのために何が最善かを考え、逸早く行動に移してくれたのじゃ。手遅れになる前に……決断する勇気の無かった儂らの代わりに、悪役を買って出てくれたのじゃ……モルカの気持ちは痛いほど分かるが、そのようなことを言うものではない」
一人落ち着きを取り戻したグレイルに諭され、モルカは血が滲むほど唇を噛みしめた。本当はモルカも分かっているのだ。エルがどれだけ頭を悩ませて、苦しんで、心を痛めて、あの行動に至ったのか。
それでもやはり、納得することなど出来なかった。まるで、サクマの死が正しかったと言われているようだったから。それが悔しくてたまらなかったのだ。
全てをグレイルが語り終えると、アデルたちは目を見開いたまま口を噤んでしまう。
長年の謎が解けたことによる納得感と、強い衝撃。そしてその少し後に、アデルの中で再び納得感が襲ってくる。
何故なら、アデルにとっては目に浮かぶような話だったから。エルであれば当然のようにその選択を取るだろうと、アデルには手に取るように分かったのだ。
「……エルは、愛し子の脅威という危機からこの国を救ってくれた恩人でもあり、同胞を殺した憎い存在でもある……みな、エルに対してそのような感情を抱いているのじゃ」
「……グレイル殿も、そうなのであるか?」
一筋縄ではいかない、二律背反の思いはとても美しいなどと呼べるものではない。思わずアデルは不安気に、グレイルの気持ちを尋ねた。
「いんや……あれのことは生まれた時から知っておるのでな。エルが簡単にサクマを殺したわけでは無いことぐらい、儂にも分かるのじゃ。それに……もしかするとあの時最も心を痛めていたのは、エルなのかもしれぬしな」
「……」
グレイルの思いを聞き、沈黙でしか返せなかったのはアデルたちだけではない。グレイルと共に訪ねてきた亜人たちも、悲痛な表情で口元を固く結んでいる。
「……そうじゃ。まだ、青年の名前を聞いておらんかったな」
「アデルというのだ。師匠のたった一人の弟子である」
名前を尋ねられ、アデルは静かに微笑んで答えた。そんなアデルにグレイルが言葉を返そうとしたその時。
異変は唐突に、激烈に、轟音を伴って、やって来た。
――どおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!
「「っ!?」」
「なっ、なんじゃ!?」
突如外から耳が痛くなるような大砲音が聞こえ、アデルたちは顔を顰めつつ目を見開いた。
聴覚の優れている亜人たちにとって、その轟音は身体を刻まれる程辛く、自然と耳を塞ぐ手に力が入る。
しばらくすると、亜人たちの叫び声や慌てふためく声で外が騒がしくなり、アデルたちは急いで外の様子を確認しに行く。
「これは……」
外に出たアデルたちが見たものは、阿鼻叫喚と称されても仕方が無い様な惨事であった。大砲による攻撃によって何軒かの家は破壊され、それによる被害が凄まじい。
大規模な火災が発生し、その業火が治まる気配はない。怪我人も多数おり、大砲が直撃した場所の近くにいた者や、破壊された家の住人はかなりの重傷を負っているようだった。
「一体誰がこんなことを」と誰もが疑問符を浮かべる中、その正体は意外にもあっさりと姿を現した。
「卑しい亜人の皆さん、初めまして。我々は華位道国からやって来た者です。突然のことで大変恐縮ではあるのですが、単刀直入に言わせていただきます…………我ら華位道国は、亜人の国に対して宣戦布告しに参りました」
後ろに仲間らしき男たちを引き連れたその若い男は、気持ちの悪い笑みを浮かべながら唐突に宣言した。途端、亜人たちが恐怖と衝撃と絶望で顔を歪ませる。
アンレズナの共通言語を流暢に話しているその男は、リオと同じぐらいの背丈に軍服を身に纏っている。前髪を真ん中で左右対称に分け、その下には眼鏡をかけていた。
突然の宣戦布告に亜人たちは困惑を隠しきれず、彼らの動揺の声で喧騒が広がった。
「我ら華位道国の求めるものはこの国の領土。華位道国を更なる大国へと育て上げるため、この国を侵略することが我々の目的です。さっさと降伏してくれれば命だけは保証してあげましょう。僕としては降伏をお勧めしますが、無価値なプライドばかりがご立派なあなた方亜人種に、今すぐその決断を下させるのはあまりにも酷ですので、我々華位道国は一日の猶予を与えてやろうという結論に至りました。
明日のこの時間までに降伏するか開戦するかを決めてください。いやぁ、あなた方のような亜人如きに選択権を与えるなんて、華位道国も優しくなったものですよ……あぁ、大事なことを言い忘れていました。華位道国は現在、これまでの比ではない程の凄まじい戦力を保持しております。亜人如きの卑しい力では到底太刀打ちできませんので、開戦はほぼ亜人種の死を意味します。やはり降伏をお勧めしますよ?あーあ、無価値な亜人如きにアドバイスをしてあげるなんて、僕ってば何て優しいんだろうか……まぁそんなわけですので、よろしくお願いします。では」
自分勝手に捲し立てたその男は、用件を告げ終えるとさっさと軍を引き連れて帰って行った。情報量が多すぎるせいで当惑している彼らの中に、華位道国の軍を引き止める者はいなかった。
亜人たちはとうとう華位道国に目をつけられてしまったことに絶望し、どうすればいいのか分からず困惑していた。そしてアデルたちは、亜人を蔑むのが当たり前であるかのように話を進めた男に対する怒りで、拳を震わせている。
「グレイル様……」
「っ……華位道国の奴らめ……エルがどんな思いでサクマを手にかけたと思って……」
ナギカが不安気に声をかけると、グレイルは歯噛みしてその悔しさを露わにした。
サクマの力を手に入れた華位道国が亜人の国に宣戦布告することを恐れたエルは、苦汁を舐める思いでサクマの息の根を止めた。にも拘らず、数十年経った今、エルの恐れていた事態が起きてしまったことが、グレイルには我慢ならなかったのだ。
だがグレイルが憤っている間にも、亜人たちの不安はどんどん募っていく。年中争いごとが絶えない大国――華位道国と戦火を交えるとなると、その被害は想像するのも憚れる程計り知れない。その為、恐怖と不安で震える亜人たちの声がどんどん広がっていった。
「……降伏するのは駄目なのか?」
「降伏だけは絶対に避けねばならぬのじゃ!」
ふとアマノは素朴な疑問をぶつけるが、グレイルの鬼気迫る答えに思わずビクッと肩を震わせた。それ程までにグレイル含む亜人たちが焦っている理由を、アデルは理解していた。
「……アマノ。華位道国が求めているのはこの国の領土だけなのだ。つまり、この国に住まう亜人たちがどうなろうと、華位道国にとってはどうでも良いということ……降伏などしてしまえば、全ての亜人が奴隷のように扱われてしまうだろう」
「そんな……」
初めて会った時のナギカの酷い状態を思い起こし、アマノは悲痛な表情を露わにした。
降伏するということは、亜人への対応を全て華位道国に委ねるのと同義である。亜人を卑しい存在だと称した華位道国側が彼らを顧みるはずもないので、死よりも辛い生活が待っているのは明らかであった。
「……大丈夫である」
「?」
「師匠の意思は我らが継ぐのだ。決して、この国を華位道国の好きにはさせないと約束しよう」
アデルが静かに、力強く宣言すると、レディバグの仲間たちも彼に賛同するように頷いた。エルとナギカの故郷であるこの国を手助けすることに、異論のある者などいる訳も無かったのだ。
「アデル……」
「とりあえず今は怪我人の治療をしなければ……メイリーン、重傷者は頼んでもよいだろうか?」
「もちろんです、アデル様」
「じゃあ俺たちは火事の方を何とかしておくわね」
「あぁ。よろしく頼むのだ」
グレイルがアデルたちの思いに目を奪われている中、当の彼らは大砲による被害の対応をすることになった。アデルとメイリーンが治療、その他の者たちが協力して火災を鎮火するという役割分担である。
メイリーンは早速歌を歌い始め、アデルは軽症者の治療に取り掛かり始めた。リオを始めとする操志者が亜人の国には多いのでそんな彼らの協力もあり、火災の鎮火は順調に進んでいった。
そんな中、アデルは地面にへたり込んでいる女性の亜人を見つける。彼女は茶色い髪が美しい、熊の亜人であった。アデルはそんな彼女の元へ急いで駆け寄り、その容体を確かめようとした。
「気分が優れぬか?怪我であれば我が治療するが……」
「っ……!」
「?」
アデルが声をかけたことでゆっくりと振り返ったその人物は、彼の顔を見るや否や衝撃で目を見開き、小刻みに震えながら硬直してしまった。アデルが悪魔の愛し子であることに驚いているようではあったが、何かが決定的に異なるような違和感があった。
今にも泣きだしそうな表情の理由が他にもあるのではないかと、アデルにはそう思えて仕方が無かったのだ。
「サクマっ……」
「……?我はサクマでは…………っ!……まさかっ……」
彼女はポロっと涙を零し、縋る様にアデルの腕を掴んだ。何故かエルの殺した愛し子の名前を呼ばれ、思わず当惑気味に否定しようとしたアデルだったが、彼女の言動の真意に気づきその言葉を詰まらせた。
すると、彼女とアデルが相対していることに気づいたグレイルは刹那の内に動揺を露わにし、急いで彼らの元へ駆け寄る。
「モルカっ!」
「グレイル殿……この女性はまさか……」
「っ……あぁ……サクマの、母親じゃ」
恐る恐る尋ねられたグレイルは観念すると、正直に答えた。モルカと呼ばれた熊の亜人がサクマの母親であることを知り、アデルはどう接したものかと懊悩してしまう。
グレイルの咎める様な声も耳に入っていないのか、モルカは未だオロオロとした様子でアデルの腕を掴んでいる。
「ご婦人……」
「あっ、ごめんなさい……少し、驚いてしまって……」
「いや、構わぬのだ……」
アデルが話しかけると、漸くモルカは我に返って掴んでいた腕を放した。ふと、彼女の足下に視線を移したアデルは、その脚から血がタラリと流れていることに気づく。
「っ!やはり怪我をしているであるな。すぐに治療するのだ」
「あ、ありがとう……」
早速脚の治癒に取り掛かり始めたアデルを、モルカは当惑気味に見つめている。我が子と同じ悪魔の愛し子と相対している状況に、未だ思考が追いついていないのだ。
「あの、グレイル様……この子は?」
「あ、あぁ。ナギカの恩人なのじゃ……何でもエルの弟子だとか」
「……あの子の?」
エルの名前を聞いた途端、モルカから発せられる空気が一変した。その瞬間、グレイルは自身の失態に気づき、思わず口元を手で覆い隠す。だがそんなことでその失態を帳消しに出来るはずも無かった。
突如険悪な表情を露わにしたモルカを前に、アデルは首を傾げてしまう。
「あなた、エルの弟子なの?」
「そうだが……」
「……あの子、どういうつもりなの?」
「どういうつもりとは?」
「っ!私の子供を殺しておいて!同じ愛し子を弟子にとるなんてっ、どういう神経しているのよ!?」
「…………」
治療の終わった脚で立ち上がると、モルカはどうしようもない怒りをアデルにぶつけた。そしてその瞬間、アデルは思い知った。
他の亜人たちとは違いモルカにとってエルは、我が子を殺した憎き相手という認識の方が顕著なのだということを。
亜人の国の為だとか。サクマを苦しみから解放する為だとか。サクマの意思に反することをさせない為だとか。そんな正論を並べたところで、モルカには納得できるわけも無かったのだ。
愛する我が子を殺されたという事実を正当化することなど、看過できるわけも無かったのだ。
「……死にかけていた我を救ってくれたことをきっかけに、師匠とは師弟関係になったのだ。師匠はただ、頼る者のいなかった我の親代わりとして尽くしてくれただけで……」
「っ……あの子がどういうつもりだったかなんて、あなたには分からないでしょ!?私は本人に聞きたいのっ……弟子なら今すぐあの子をここに連れてきてよっ!」
「……すまない。それは出来ぬのだ。師匠はもう、死んでしまった故……」
「っ……!?」
沸き上がる怒りのまま喚き散らすモルカだったが、エルの死を知ったその一瞬だけ驚きで息を呑んだ。
我が子を失った母親と、親とも言える師を失ったアデル。大事な人を亡くしたという点で、二人は同じ境遇に置かれている。その為モルカには、アデルの悲痛な表情だけでその話が真実であることを嫌という程理解できた。
「……何なのよ……さっさと死んで、逃げて……楽な道を選んで……」
「モルカっ!言って良いことと悪いことの判別もつかぬのかっ!?」
「っ……だってそうじゃない!サクマを殺した罪から逃げて!」
「逃げておるなら愛し子を弟子にとるわけが無かろう!」
「それはっ……」
死者を罵るようなモルカの言動を遂に看過できなくなり、グレイルは声を荒げて苦言を呈した。エルが悪魔に殺された事実を聞いたグレイルには、その暴言を聞き流すことなど出来なかったのだ。悪魔に殺されたエルの死は、エル自身が望んだ結果でも、ましてや楽な道なわけも無かったから。
二人の口論は激化するばかりだが、アデルはそれを呆然と眺めることしか出来ない。
「エルは、この国とサクマのために何が最善かを考え、逸早く行動に移してくれたのじゃ。手遅れになる前に……決断する勇気の無かった儂らの代わりに、悪役を買って出てくれたのじゃ……モルカの気持ちは痛いほど分かるが、そのようなことを言うものではない」
一人落ち着きを取り戻したグレイルに諭され、モルカは血が滲むほど唇を噛みしめた。本当はモルカも分かっているのだ。エルがどれだけ頭を悩ませて、苦しんで、心を痛めて、あの行動に至ったのか。
それでもやはり、納得することなど出来なかった。まるで、サクマの死が正しかったと言われているようだったから。それが悔しくてたまらなかったのだ。
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