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第二章 仲間探求編
56、狼煙が上がる時2
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トモル王国の民たちは突如空から降り注いできた歌に呆然としつつも、しっかりとその美しさに聴き惚れていた。
上空で歌うメイリーンの身体は何故か淡い光に包まれており、その神々しい姿に彼らは目を奪われる。ちなみにその光は、アデルの助力による演出だ。折角メイリーンが恥を忍んでまで翼を生やしているというのに、その姿が人々の目に映らなければ本末転倒なので、仕方の無い処置ではあったのだ。
「神様……?」
誰の呟きかは分からないが、美しい歌声を響かせる彼女の姿を目にした全ての民が一度は思った疑問でもあった。
そしてその淡い期待は、徐々に民たちの中で確信へと変わっていく。
美しい容姿。神々しい姿。聞いたことも無い様な透き通った歌声。空を飛ぶという偉業。その全てが彼女が神であると民たちに思わせる判断材料になっていたのだ。
普通の人間であればそんな発想には至らないだろうが、この国の民たちは常に神という救いを求めている。その為、それに近しい存在を目にするだけで、その人がそうなのでは無いかと期待してしまうのだ。
********
「何じゃこの歌は?どこから聞こえてきている?」
一方その頃。神殿では狙撃による混乱収まらぬ中、メイリーンの歌によって更に喧騒が広がっていた。
神殿の中からはメイリーンの姿が見えないので、神官たちはどこからともなく聴こえてくる歌声に当惑するばかりなのだ。
「と、とにかく誰か様子を見てくるのじゃ……」
「だーめだめ。メイメイのコンサート邪魔しちゃ駄目よ。おじいちゃん」
この場に似つかわしくない、そんな能天気な声が神殿に響いた。思わず神官たちが声のする方へ灯りを向けると、声の主が照らされて姿を現す。
声の主――リオは不敵な笑みを浮かべ、心底楽し気である。そんな彼の後ろにはルークとアデルも控えていた。
「な、何者じゃ貴様ら…………まさか狙撃も貴様らの仕業かっ?」
「おっ。耄碌じじいの癖に察しいいじゃない。偉い偉い」
「な、何じゃと!?」
神殿長である自身に対してここまで不遜な態度をとる人間に初めて会ったのか、彼はリオの物言いに青筋を立てた。
リオとしては神殿長など、下らない人身御供を正義と信じて疑わないただの阿呆だと思っていたので、その程度の知能はあったのかと本気で感心していたのだ。
「っ……あ、悪魔の愛し子……」
「「!?」」
リオに注目が集まるばかり気づくのが遅れたが、一人の神官の震える呟きによって、全員がアデルの存在に目を奪われた。
アデルを見つめる瞳には曇りない敵意、恐怖、嫌悪が含まれており、彼にとってとても慣れた視線でもあった。
「な、なんと汚らわしいっ!この神聖な場所にお前のような悪魔が足を踏み入れるなどっ……おぞましい!今すぐこの神殿から出て行くのじゃ!さもなくば死ね!」
「……ぶっ……」
「なっ、何がおかしいのじゃ!」
聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられたというのに、顔を顰めるどころか堪え切れなくなった笑い声を漏らすアデルに、神殿長は目くじらを立てて怒鳴り散らした。因みにリオは怒りのあまり日本刀を抜こうとしたが、その感情を何とか抑えて抜刀はせずにいる。だがリオの中で理性と怒りが大戦争を起こしているのか、柄を握る手が震えてカタカタと刀が悲鳴を上げていた。
「いや……アマノの口が悪くなるはずだと思っただけである」
「なに?」
アデルにとって可笑しかったのは先日のアマノと、神殿長の自身に対する態度が瓜二つだったからだ。周りの環境によってアマノの価値観が歪んでしまったのではないかというアデルの推測は、やはり間違いではなかったようだ。
一方、悪魔の愛し子の口からアマノの名前が出たことで、神殿長は怪訝そうな声を上げた。
「……まさかお前、悪魔の分際でアマノ様と言葉を交わしたというのか!?」
「なんてことだ……」
「神様に捧げる神子様に穢れが……」
「これでは無事に人身御供を果たすことが出来ないではないか……」
真っ青な相好を衝撃で歪ませた神殿長の喚きを皮切りに、神官たちが次々と嘆き始める。そんな彼らを目の当たりにしたアデルたちは、その異質さに思わず顔を引き攣らせてしまう。
アマノは本当にこんな環境下で暮らしてきたのかという衝撃と、悪魔の愛し子に触れれば穢れるという認識が、当たり前であると信じて疑わない神官たちがとても不気味に思えたのだ。
「あのさぁ……もうコイツらぶっ飛ばしていいかしら?」
「リオの好きにするといいのだ」
首をコキコキと鳴らしながら日本刀を抜くと、リオは怒気の含まれた声で尋ねた。元々アデルたちの目的は神官たちの足止めなので、リオが神官を殴ろうと半殺しにしようと問題は無いのだ。
「儂らを足止めして一体何が目的なのじゃ……まさかこの奇妙な歌も貴様らの仕業なのか?」
「……答える義理など無いと思うのだが……そうであるな。我らは、そしてアマノは。お前たちの下らない思想で犠牲になる神子をこれ以上増やしたく無い。ただそれだけなのだ」
アデルが口を開く度に眉を顰める神官たちの態度に、リオの怒りは爆発寸前であったが、アデルが大事な話をしているので斬りかかるのは何とか抑えている。
「馬鹿馬鹿しい……偉大なる神の生け贄としてその命を散らすのじゃぞ?名誉なことであって犠牲などと悲観することでは無いのじゃ……その上神子は全ての民から崇められ、何の不自由もなくその生涯を送る。そして最後は神の生け贄として尊い死を迎えるのじゃ……これ程幸せなことはないじゃろう……」
神殿長の歪んだ価値観に、アデルたちは思わず不快感を露わにする。
そして、神官たちには見えない曲がり角の壁を背に佇んでいたアマノは、ぎゅっとその拳を握り締めていた。神官たちの本音を初めて直接耳にし、心を抉られるような感覚に耐えられそうも無かったのだ。
神官たちにとってアマノの死は、最初から決定づけられていたことで、彼らはアマノが死ぬことこそが正しいと信じている。そんな事実を突きつけられ、平気なフリが出来るような人間にアマノは育ててもらっていない。
思わず歯噛みし、その瞳に涙を滲ませるアマノだが、揺るぎの無いアデルの声が彼の耳に鮮烈に届く。
「では何故、この国の民たちに人身御供のことを隠しているのだ?本気で神に生け贄を捧げることが正しいと思い、生け贄である神子は幸せだと信じているのであれば、堂々と民たちにその事実を告げればよいではないか。それをしないということは、少しでも後ろめたい思いがあるということであろう?」
「それは……」
「そもそも。神にその命を捧げることが名誉だと思っているのであれば、全てを知るお前たち神官がその神子になればよいではないか。それをせず、何も知らない子供を騙し、神子などと煽て、お前たちのエゴに塗れた思想の為に殺すのは、お前たち自身がその尊い死とやらを恐れているからだろうが。お前たちの恐怖心で、罪の無い子供たちを殺したその過ちを、お前たちにとって耳障りのいい言い訳で誤魔化すな!」
アマノを思う、その力強い心からの怒りに、アマノは思わず目を見開く。浮かんだ涙が粒になり、顔を上げたことで空に舞う。
思わずアデルへ視線を向けると、その精悍な眼差しにアマノは目を奪われた。
その赤い瞳は今まで、見るのもおぞましいと思ってきた悪魔の愛し子の証。それは、存在その者が悪だと教え込まれてきた、疎ましく、汚らわしく、神子である自分にとって害以外の何者でもない。その証の色。
そう教え込まれてきた。信じていた。思い込んでいた。
だから、耳を塞ぎたくなるような言葉で罵った。近寄りたくないと思った。それなのに――。
(どうして……)
アマノは思った。どうしてこの男はこんな自分の為に怒ってくれるのだろうと。どれだけ言葉という刃で傷つけても怒らなかったアデルが、アマノたちの晒されてきた理不尽に対して怒っていることが、彼には不思議でならなかった。
疑問に思うのと同時に、アマノは最初から分かっていたのかもしれない。
悪魔の愛し子が嫌悪すべき悪などではなく、ただ多くのものを背負った心優しい存在なのだということを。
「っ……」
「アデルん、かっこいいぃ……もう、増々惚れちゃうじゃない」
「そうか。それは嬉しいのだ」
ぐうの音も出ない神殿長が悔し気に歯噛みする中、リオはアデルの精悍な姿に見惚れて、どこかうっとりと隣の彼を眺めている。
興奮気味に頬を染めるリオに対して、あっさりとした塩で返すアデルの図は中々シュールなものだ。
「っ……随分と余裕な用じゃが、狙撃手の心配をした方が良いのではないか?」
「なに?」
苦し気に無理矢理口角を上げながら、負け犬の遠吠えのように言った神殿長に対し、ルークは思わず怪訝そうに疑問の声を上げた。
何の脈絡もなくナツメのことを引き合いに出されては、ルークに素知らぬふりなど出来る訳が無かったのだ。
「優秀な神官が狙撃手を排除するために向かったのじゃ……ただでは済まないじゃろうな」
半分嘘で、半分本当だった。確かに男が狙撃手であるナツメたちの元へ向かったのは事実だが、神殿長たちは彼がどこの誰か気づけていない……というよりも、知らないのだ。当然、その男の実力がどれ程なのかも知らないので、本当にナツメに危機が迫っているとは断言できない。
それでも神殿長は少しでもアデルたちを揺さぶらなければ気が済まなかった。悪魔の愛し子と蔑んでいるアデルに言い負かされ、尊厳を傷つけられたと憤っていることも理由の一つだが、仲間の身を案じてここから立ち去ってくれないかという淡い期待も込められていたのだ。
「……アデル様。アデル様の結界を疑うわけではありませんが……」
「心配ならば遠慮せずに行くといいのだ。ルークは気を遣い過ぎである」
ナツメたちに忍び寄る敵の存在にルークは心中穏やかで無いのか、苦い相好で言い淀んだ。
ナツメとコノハにはアデルが張った結界があるので危険はほぼ無いに等しいが、万が一神殿長の言う神官がその結界を壊せる程の実力者であれば、その危険は一気に跳ね上がる。
何故ならナツメは近接戦に不向きな上、コノハに至っては戦闘能力皆無である。そんな二人が結界という盾を奪われれば、最悪な結末へと一直線なのだ。
それをルークは危惧しているのだ。
「そうよルーくん。ていうか、転移術使える俺が様子見に行っても良いのよ?」
「いえ。ここからそう遠くはありませんので、私の足であれば何とか」
リオの申し出を断ると、ルークはすぐさま走り出して神殿から姿を消す。走り去る際、ルークは目にも止まらぬ速さでアマノの前を横切ったので、彼は一人でビクッと身体を震わせている。
「っ……」
ルークがナツメの元へ向かった途端、アデルたちの足止めを掻い潜るため、神官たちがジルによる攻撃を放った。
咄嗟にアデルはリオを覆う程の結界を張り、腰に帯刀している剣を抜く。
悪魔の愛し子であるアデルが自身たちに刃を向けている事実に、神官たちは苦虫を噛み潰したような表情になってしまった。
「やれ!偉大なる神に仕える儂らの邪魔者を決して許すな!」
「「はっ!」」
「やーっと今までのイライラ全部ぶちまけられるのねっ!ワクワクしちゃうわ!」
この場の雰囲気に似つかわしくないリオの楽しげな声が戦闘開始の合図であった。
リオは過去の経験からそもそも神官に対していい印象を持っていなかった上、この神殿を訪れてから主にアデルに対する暴言のせいでその怒りを募らせていたので、漸くそれを苛立ちの大元にぶつけることが出来る機会に、興奮を隠しきれていないようだ。
********
ナツメが照明の狙撃を成功させてから数分後。神殿の様子を窺っていたナツメと、その後ろでボーっと突っ立っていたコノハに激震が走る。
それは唐突に。衝撃的に。破壊的に。熱烈に。災害のようにその威力を発揮した。
「「っ!」」
どばああああああああああああああああああああああん!!
鼓膜が破れて、耳が機能しなくなる程の爆音のせいで、その衝撃が起きる前微かに聞こえて来た足音にナツメたちが気づく余裕など無かった。
ナツメたちに向けて投下された爆弾は一瞬にしてその効力を発揮し、その強固な家を粉々に粉砕する程の威力を誇っていた。
爆破によって森の外へと投げ出された二人の結界は呆気なく割れ、ナツメは大木に頭をぶつけてしまったせいで、何が起きたのか把握する前に気を失ってしまった。
結界が爆破のダメージをほとんど受けてくれたおかげで軽傷で済んでいるが、抵抗する術を持たないナツメがこれ以上何らかの攻撃を受けてしまえば、簡単に命を落としてしまうだろう。
一方のコノハは何とか意識を保っているが、突然の衝撃に目を回している。
「始受会を破門になり、あまつさえ僕に第一支部主教の座を押し付けてきたあの人の置き土産に頼るのは癪だけど、やっぱりなかなか便利なんだよなぁ、爆弾。流石はイリデニックス国と華位道国のハーフなだけはある」
上空で歌うメイリーンの身体は何故か淡い光に包まれており、その神々しい姿に彼らは目を奪われる。ちなみにその光は、アデルの助力による演出だ。折角メイリーンが恥を忍んでまで翼を生やしているというのに、その姿が人々の目に映らなければ本末転倒なので、仕方の無い処置ではあったのだ。
「神様……?」
誰の呟きかは分からないが、美しい歌声を響かせる彼女の姿を目にした全ての民が一度は思った疑問でもあった。
そしてその淡い期待は、徐々に民たちの中で確信へと変わっていく。
美しい容姿。神々しい姿。聞いたことも無い様な透き通った歌声。空を飛ぶという偉業。その全てが彼女が神であると民たちに思わせる判断材料になっていたのだ。
普通の人間であればそんな発想には至らないだろうが、この国の民たちは常に神という救いを求めている。その為、それに近しい存在を目にするだけで、その人がそうなのでは無いかと期待してしまうのだ。
********
「何じゃこの歌は?どこから聞こえてきている?」
一方その頃。神殿では狙撃による混乱収まらぬ中、メイリーンの歌によって更に喧騒が広がっていた。
神殿の中からはメイリーンの姿が見えないので、神官たちはどこからともなく聴こえてくる歌声に当惑するばかりなのだ。
「と、とにかく誰か様子を見てくるのじゃ……」
「だーめだめ。メイメイのコンサート邪魔しちゃ駄目よ。おじいちゃん」
この場に似つかわしくない、そんな能天気な声が神殿に響いた。思わず神官たちが声のする方へ灯りを向けると、声の主が照らされて姿を現す。
声の主――リオは不敵な笑みを浮かべ、心底楽し気である。そんな彼の後ろにはルークとアデルも控えていた。
「な、何者じゃ貴様ら…………まさか狙撃も貴様らの仕業かっ?」
「おっ。耄碌じじいの癖に察しいいじゃない。偉い偉い」
「な、何じゃと!?」
神殿長である自身に対してここまで不遜な態度をとる人間に初めて会ったのか、彼はリオの物言いに青筋を立てた。
リオとしては神殿長など、下らない人身御供を正義と信じて疑わないただの阿呆だと思っていたので、その程度の知能はあったのかと本気で感心していたのだ。
「っ……あ、悪魔の愛し子……」
「「!?」」
リオに注目が集まるばかり気づくのが遅れたが、一人の神官の震える呟きによって、全員がアデルの存在に目を奪われた。
アデルを見つめる瞳には曇りない敵意、恐怖、嫌悪が含まれており、彼にとってとても慣れた視線でもあった。
「な、なんと汚らわしいっ!この神聖な場所にお前のような悪魔が足を踏み入れるなどっ……おぞましい!今すぐこの神殿から出て行くのじゃ!さもなくば死ね!」
「……ぶっ……」
「なっ、何がおかしいのじゃ!」
聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられたというのに、顔を顰めるどころか堪え切れなくなった笑い声を漏らすアデルに、神殿長は目くじらを立てて怒鳴り散らした。因みにリオは怒りのあまり日本刀を抜こうとしたが、その感情を何とか抑えて抜刀はせずにいる。だがリオの中で理性と怒りが大戦争を起こしているのか、柄を握る手が震えてカタカタと刀が悲鳴を上げていた。
「いや……アマノの口が悪くなるはずだと思っただけである」
「なに?」
アデルにとって可笑しかったのは先日のアマノと、神殿長の自身に対する態度が瓜二つだったからだ。周りの環境によってアマノの価値観が歪んでしまったのではないかというアデルの推測は、やはり間違いではなかったようだ。
一方、悪魔の愛し子の口からアマノの名前が出たことで、神殿長は怪訝そうな声を上げた。
「……まさかお前、悪魔の分際でアマノ様と言葉を交わしたというのか!?」
「なんてことだ……」
「神様に捧げる神子様に穢れが……」
「これでは無事に人身御供を果たすことが出来ないではないか……」
真っ青な相好を衝撃で歪ませた神殿長の喚きを皮切りに、神官たちが次々と嘆き始める。そんな彼らを目の当たりにしたアデルたちは、その異質さに思わず顔を引き攣らせてしまう。
アマノは本当にこんな環境下で暮らしてきたのかという衝撃と、悪魔の愛し子に触れれば穢れるという認識が、当たり前であると信じて疑わない神官たちがとても不気味に思えたのだ。
「あのさぁ……もうコイツらぶっ飛ばしていいかしら?」
「リオの好きにするといいのだ」
首をコキコキと鳴らしながら日本刀を抜くと、リオは怒気の含まれた声で尋ねた。元々アデルたちの目的は神官たちの足止めなので、リオが神官を殴ろうと半殺しにしようと問題は無いのだ。
「儂らを足止めして一体何が目的なのじゃ……まさかこの奇妙な歌も貴様らの仕業なのか?」
「……答える義理など無いと思うのだが……そうであるな。我らは、そしてアマノは。お前たちの下らない思想で犠牲になる神子をこれ以上増やしたく無い。ただそれだけなのだ」
アデルが口を開く度に眉を顰める神官たちの態度に、リオの怒りは爆発寸前であったが、アデルが大事な話をしているので斬りかかるのは何とか抑えている。
「馬鹿馬鹿しい……偉大なる神の生け贄としてその命を散らすのじゃぞ?名誉なことであって犠牲などと悲観することでは無いのじゃ……その上神子は全ての民から崇められ、何の不自由もなくその生涯を送る。そして最後は神の生け贄として尊い死を迎えるのじゃ……これ程幸せなことはないじゃろう……」
神殿長の歪んだ価値観に、アデルたちは思わず不快感を露わにする。
そして、神官たちには見えない曲がり角の壁を背に佇んでいたアマノは、ぎゅっとその拳を握り締めていた。神官たちの本音を初めて直接耳にし、心を抉られるような感覚に耐えられそうも無かったのだ。
神官たちにとってアマノの死は、最初から決定づけられていたことで、彼らはアマノが死ぬことこそが正しいと信じている。そんな事実を突きつけられ、平気なフリが出来るような人間にアマノは育ててもらっていない。
思わず歯噛みし、その瞳に涙を滲ませるアマノだが、揺るぎの無いアデルの声が彼の耳に鮮烈に届く。
「では何故、この国の民たちに人身御供のことを隠しているのだ?本気で神に生け贄を捧げることが正しいと思い、生け贄である神子は幸せだと信じているのであれば、堂々と民たちにその事実を告げればよいではないか。それをしないということは、少しでも後ろめたい思いがあるということであろう?」
「それは……」
「そもそも。神にその命を捧げることが名誉だと思っているのであれば、全てを知るお前たち神官がその神子になればよいではないか。それをせず、何も知らない子供を騙し、神子などと煽て、お前たちのエゴに塗れた思想の為に殺すのは、お前たち自身がその尊い死とやらを恐れているからだろうが。お前たちの恐怖心で、罪の無い子供たちを殺したその過ちを、お前たちにとって耳障りのいい言い訳で誤魔化すな!」
アマノを思う、その力強い心からの怒りに、アマノは思わず目を見開く。浮かんだ涙が粒になり、顔を上げたことで空に舞う。
思わずアデルへ視線を向けると、その精悍な眼差しにアマノは目を奪われた。
その赤い瞳は今まで、見るのもおぞましいと思ってきた悪魔の愛し子の証。それは、存在その者が悪だと教え込まれてきた、疎ましく、汚らわしく、神子である自分にとって害以外の何者でもない。その証の色。
そう教え込まれてきた。信じていた。思い込んでいた。
だから、耳を塞ぎたくなるような言葉で罵った。近寄りたくないと思った。それなのに――。
(どうして……)
アマノは思った。どうしてこの男はこんな自分の為に怒ってくれるのだろうと。どれだけ言葉という刃で傷つけても怒らなかったアデルが、アマノたちの晒されてきた理不尽に対して怒っていることが、彼には不思議でならなかった。
疑問に思うのと同時に、アマノは最初から分かっていたのかもしれない。
悪魔の愛し子が嫌悪すべき悪などではなく、ただ多くのものを背負った心優しい存在なのだということを。
「っ……」
「アデルん、かっこいいぃ……もう、増々惚れちゃうじゃない」
「そうか。それは嬉しいのだ」
ぐうの音も出ない神殿長が悔し気に歯噛みする中、リオはアデルの精悍な姿に見惚れて、どこかうっとりと隣の彼を眺めている。
興奮気味に頬を染めるリオに対して、あっさりとした塩で返すアデルの図は中々シュールなものだ。
「っ……随分と余裕な用じゃが、狙撃手の心配をした方が良いのではないか?」
「なに?」
苦し気に無理矢理口角を上げながら、負け犬の遠吠えのように言った神殿長に対し、ルークは思わず怪訝そうに疑問の声を上げた。
何の脈絡もなくナツメのことを引き合いに出されては、ルークに素知らぬふりなど出来る訳が無かったのだ。
「優秀な神官が狙撃手を排除するために向かったのじゃ……ただでは済まないじゃろうな」
半分嘘で、半分本当だった。確かに男が狙撃手であるナツメたちの元へ向かったのは事実だが、神殿長たちは彼がどこの誰か気づけていない……というよりも、知らないのだ。当然、その男の実力がどれ程なのかも知らないので、本当にナツメに危機が迫っているとは断言できない。
それでも神殿長は少しでもアデルたちを揺さぶらなければ気が済まなかった。悪魔の愛し子と蔑んでいるアデルに言い負かされ、尊厳を傷つけられたと憤っていることも理由の一つだが、仲間の身を案じてここから立ち去ってくれないかという淡い期待も込められていたのだ。
「……アデル様。アデル様の結界を疑うわけではありませんが……」
「心配ならば遠慮せずに行くといいのだ。ルークは気を遣い過ぎである」
ナツメたちに忍び寄る敵の存在にルークは心中穏やかで無いのか、苦い相好で言い淀んだ。
ナツメとコノハにはアデルが張った結界があるので危険はほぼ無いに等しいが、万が一神殿長の言う神官がその結界を壊せる程の実力者であれば、その危険は一気に跳ね上がる。
何故ならナツメは近接戦に不向きな上、コノハに至っては戦闘能力皆無である。そんな二人が結界という盾を奪われれば、最悪な結末へと一直線なのだ。
それをルークは危惧しているのだ。
「そうよルーくん。ていうか、転移術使える俺が様子見に行っても良いのよ?」
「いえ。ここからそう遠くはありませんので、私の足であれば何とか」
リオの申し出を断ると、ルークはすぐさま走り出して神殿から姿を消す。走り去る際、ルークは目にも止まらぬ速さでアマノの前を横切ったので、彼は一人でビクッと身体を震わせている。
「っ……」
ルークがナツメの元へ向かった途端、アデルたちの足止めを掻い潜るため、神官たちがジルによる攻撃を放った。
咄嗟にアデルはリオを覆う程の結界を張り、腰に帯刀している剣を抜く。
悪魔の愛し子であるアデルが自身たちに刃を向けている事実に、神官たちは苦虫を噛み潰したような表情になってしまった。
「やれ!偉大なる神に仕える儂らの邪魔者を決して許すな!」
「「はっ!」」
「やーっと今までのイライラ全部ぶちまけられるのねっ!ワクワクしちゃうわ!」
この場の雰囲気に似つかわしくないリオの楽しげな声が戦闘開始の合図であった。
リオは過去の経験からそもそも神官に対していい印象を持っていなかった上、この神殿を訪れてから主にアデルに対する暴言のせいでその怒りを募らせていたので、漸くそれを苛立ちの大元にぶつけることが出来る機会に、興奮を隠しきれていないようだ。
********
ナツメが照明の狙撃を成功させてから数分後。神殿の様子を窺っていたナツメと、その後ろでボーっと突っ立っていたコノハに激震が走る。
それは唐突に。衝撃的に。破壊的に。熱烈に。災害のようにその威力を発揮した。
「「っ!」」
どばああああああああああああああああああああああん!!
鼓膜が破れて、耳が機能しなくなる程の爆音のせいで、その衝撃が起きる前微かに聞こえて来た足音にナツメたちが気づく余裕など無かった。
ナツメたちに向けて投下された爆弾は一瞬にしてその効力を発揮し、その強固な家を粉々に粉砕する程の威力を誇っていた。
爆破によって森の外へと投げ出された二人の結界は呆気なく割れ、ナツメは大木に頭をぶつけてしまったせいで、何が起きたのか把握する前に気を失ってしまった。
結界が爆破のダメージをほとんど受けてくれたおかげで軽傷で済んでいるが、抵抗する術を持たないナツメがこれ以上何らかの攻撃を受けてしまえば、簡単に命を落としてしまうだろう。
一方のコノハは何とか意識を保っているが、突然の衝撃に目を回している。
「始受会を破門になり、あまつさえ僕に第一支部主教の座を押し付けてきたあの人の置き土産に頼るのは癪だけど、やっぱりなかなか便利なんだよなぁ、爆弾。流石はイリデニックス国と華位道国のハーフなだけはある」
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☆誤字脱字、誤変換が多いのは、作者のせいです。頑張って音読してチェックして!頑張ってますが、ごめんなさい、許してください。
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