レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第一章 悪魔討伐編

18、悪魔教団〝始受会〟第一支部主教――ギルドニス・礼音=シュカ1

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 悪魔を探す旅に出たアデルは一日の半分を移動に、もう半分を自己鍛錬に費やしていた。ちなみに睡眠はとっていない。悪魔の愛し子であるアデルは睡眠をとらなくても身体に影響が出ることが無く、偶に襲ってくる眠気さえ我慢できればその内平気になってしまうのだ。

 食事は移動中に済ませてしまい、出来るだけ時間を無駄にしないようアデルは気をつけていた。

 こんな生活をしているとエルが知れば、烈火の如く怒り狂う姿をアデルは容易に想像出来た。アデルの愛し子としての性質を本人より理解していたエルだが、それでもアデルを普通の人間と同じようにエルは育てていた。

 食事と睡眠をキチンと取るのも修行の内だとエルは口を酸っぱくしながらアデルに伝えていたのだ。


『悪魔の力に胡坐をかいて、人間としての当たり前を疎かにするなんて以ての外だ!僕は君をそんな愚か者に育てた覚えはないね!』


 そんなエルの叱責が本当に聞こえてきそうだったが、アデルは心の中で背中にいる師匠に陳謝するだけにとどめた。

 荷物と約五十キロはあるであろうエルを背負いながら歩き続けるアデルだが、長い間身体を鍛えてきた彼にとっては痛くも痒くもないことである。

 家を出てから約三日。晴れ空ではあるものの秋風の強いその日、アデルは唐突にその足を止めた。


「……つけられているであるな……」


 数時間前から他人の気配を感じていたアデルだが、偶々近くにいるだけの一般人の可能性も考慮してアクションは起こしていなかった。だが一向にその気配が消えない上、こちらを監視しているような視線まで感じ始めたので、アデルはとうとう無視せずにはいられなくなったのだ。


「もうよい。さっさと出てくるのだ」


 辺りを見回しながら姿の見えない追跡者に向かってアデルは声をかけると、姿を現すよう促した。

 するとアデルの後方から淡い拍手の音が聞こえ、その音は次第に大きくなっていく。その音の正体を掴むため振り向いたアデルは、茶化すような拍手に顔を顰める。

 耳に良く届く拍手の音と、微かに聞こえる足音が対照的なその人物は意外にもあっさりとその姿を現した。


「いやはや、お見逸れ致しました。流石は偉大なる悪魔の愛し子、アデル・クルシュルージュ様ですね」
「……貴様が悪魔の言っていたストーカーであるか?」


 当たり障りのない笑みを浮かべながら近づいてきたのは二十代半ばに見える男で、薄い青色を基調としたカトリック服に身を包んでいた。

 アデルよりも少し低い背丈に、スラっとした体型。短く切り揃えた白髪には所々グレーが混じっていて、その部分だけはねていた。服装も髪も肌の色でさえも全体的に薄いというのに、目の奥に光る瞳だけが濃い緑色でその者の存在感を放っている。垂れた左目の下には黒子があり、チャームポイントになっていた。悪魔のような不気味さは無く、寧ろ尾行されていなければ優しい好青年に見える程の穏やかな表情を浮かべていた。


「ストーカー?悪魔ルルラルカ様がそのようなことを?」
「ルルラルカ?」
「偉大な現代の悪魔様の固有名詞にございます」


 アデルは男の物言いに思わず目を見開いた。思えばその衝撃は、その男を最初に見た時から抱いていた違和感に対する答えの様なものであった。いや、それよりももっと前。アデルを尾行していた時から感じていた違和感だ。

 アデルを監視している際も今も、この男にはアデルに対する殺気や敵対心が一切感じられなかったのだ。アデルの前に現れた際も好意的に話しかけ、差別の対象であるはずのアデルと悪魔に対して敬意を払っているようであった。

 明言されなくても理解できた。目の前にいる男は悪魔を嫌悪するどころか、寧ろ慕っている存在であると。

 今まで「悪魔の愛し子だろうが関係ない」と言ってアデルと好意的に接してくれた存在は数名いたが、「悪魔の愛し子だから」という理由で、こんなにも恋焦がれているような視線を向けてくる存在は一人たりともいなかった。

 アデルに分かるのは、目の前にいる存在がこの世の常識とはかけ離れたところにいる、異質な存在であるということだけだ。
 
 そんなアデルの困惑が伝わったのか、男は改めて口を開いた。


「申し遅れました。わたくしは偉大なる悪魔様、そして悪魔様の愛し子であられるあなた様に対する永遠の忠義と信仰を誓う者――悪魔教団〝始受会しじゅかい〟第一支部主教、ギルドニス・礼音れおん=シュカと申します」
「悪魔、教団……?」


 アデルは聞き覚えの無い単語を耳にしながら、意味だけは嫌と言う程理解できた。だからこそアデルはやはり信じられなかった。

 この世界に悪魔を信仰する存在がいるということが。

 だが別の角度から考えると、そうおかしな話でもない。悪魔はこの世界の根幹であり、忌み嫌われているのは五千年前の悪魔の大罪が原因なのだから。その存在を無関係と割り切って考えれば、世界が滅んでしまう程の力を持つ悪魔を、偉大であると称するのも頷けなくは無かった。

 それでも長年培われてきた固定観念が、目の前の存在に対するアデルの衝撃を拭えない要因だった。


「それにしても悪魔ルルラルカ様が我々信者のことをストーカーだと思っていたとは……なかなかショックですね」
「……その信者が一体何の用なのだ?」
「っ……!」
「?」


 アデルが男――ギルドニスに尋ねた途端、彼は何故か嬉々とした表情で震え始めた。白い肌だからこそ余計に、彼が今頬を染めていることがよく分かり、その表情だけは悪魔ルルラルカにそっくりであった。


「私、今気づいてしまいました……この瞬間、私は偉大なる愛し子様と言葉を交わしているっ……その美しい赤い瞳に私如きを映してもらっているっ……はあああああああ……赤い瞳に私が映って見えます……恐悦至極とは当にこのことを言うのですね……あぁ、親愛なる悪魔ルルラルカ様…………今この日、私の人生の中で最も、生きていて良かったと思える今日でした……」
「…………」

(何なのだ、コイツ……今までにないタイプであるな……)


 身体をくねくねとしならせながら、両手で自身の身体を抱きしめ、恍惚とした表情でアデルの瞳を見つめてくるギルドニスに、アデルは思わず引いた眼差しを向けてしまう。


「はぁ……申し訳ありません、アデル様。少々取り乱してしまいました……」
「……」


 姿勢と服装を正して向き直したギルドニスだが、相変わらずうっとりとした相好でアデルを見つめており、最早アデルは何かをツッコむ気にもなれなかった。


「本日の用件についてでしたね……実は、悪魔ルルラルカ様より貴重なお告げがありまして」
「お告げ?」
「はい……〝アデルきゅんが私を殺しに来ると思うから、よろしくね〟というお告げが」
「……それは、どういう意味なのだ?」


 言葉足らずが過ぎるお告げに、アデルは思わず素朴な疑問を覚えた。


「我々のような下賎な者に、偉大なる悪魔ルルラルカ様のお考え全てを把握することは出来ませんが……要するに、あなた様を死なせない程度に足止めしておけということでしょうね」
「…………あぁ、なんだ。そういうことであるか。そうであるなら最初からそれを我に伝えればよいものを、まどろこっしい奴であるな、お前」


 ギルドニスが不敵な笑みを浮かべながら尾行の目的を告げると、アデルは深く納得してしまい、背中の背嚢を降ろして臨戦態勢に入った。


「悪魔ルルラルカ様のめいとは言え、あなた様に矮小な私如きが剣を向けることを、どうかお許しください」
「そのようなことはどうでも良いのだ。我の目的をお前が邪魔する。それだけで、お前を敵と見なすには十分である」


 アデルに向かって頭を下げたギルドニスの言葉に嘘は無い。悪魔に対する信仰心が強いこの男にとって、愛し子であるアデルと敵対することは本意ではない。だが悪魔からのお告げであれば従うのが当然。それが悪魔教団の信者たちにとっての常識なのだ。

 完全にアデルから敵意を向けられているというのに、どこか嬉しそうなギルドニスにアデルは怪訝そうな眼差しを向ける。


「敵だなんてそんなっ……私如きをあなた様と対等な位置において頂けるのですか?っ……なんて慈悲深いお方だっ……しかしそれはあまりにも……」
「すまぬ。お前の言っている意味がさっぱり理解できぬので、さっさと始めたいのだが」


 ギルドニスの言葉を遮る形で塩対応を見せたアデルは、本当に彼の発言の意味を理解できず当惑していた。

 ギルドニスの認識では、自身とアデルはあまりにも立場が違うせいで、敵という扱いすら烏滸がましいものなのだが、今まで迫害ばかりされてきたアデルにそれを理解しろという方が酷なことだった。


「あぁっ!申し訳ありません。……では早速、僭越ながらこのギルドニス・礼音=シュカが、お相手を務めさせていただきます」


 かなり温度差のある二人であったが、漸く互いが戦闘態勢に入ったことで緊張感が走る。アデルもギルドニスも剣を向け、二人だけの世界に沈黙が創造される。

 示し合わせたわけでは無いが、二人は全く同じタイミングで駆け出した。お互い目にも止まらぬ速さで近づき、ギルドニスが上から攻め、その攻めをアデルが下から受け止める形である。ギルドニスの方が背は低いので、彼は高く跳躍しながらその剣を振り下ろしていた。

 随分と動きにくそうな格好で身軽に動く男だなとアデルは感心しつつ、降りかかる剣撃を自身の剣で受け止めている。力を込めてギルドニスを後方に飛ばしたアデルは、すかさず彼を追って攻めに入ろうとする。

 間合いに入る直前、アデルはギルドニスが銃口を向けていることに気づき、咄嗟にその弾丸を避けるために剣を振るった。数発連続で発砲されたその弾丸を全て無力化したアデルは、攻めるタイミングを失って地面に足をつける。


「拳銃?」
「おや、この武器をご存じでしたか。アデル様は博識でいらっしゃる」


 この国では滅多に見ることの無い武器の登場に、アデルは思わず首を傾げて尋ねた。アデルのすぐ後に着地したギルドニスは、感心した様に笑みを浮かべた。


「師匠が教えてくれたのだ。我が博識なのではない」


 アデルは昔からエルに散々無知だと罵られてきたので、自身が博識などとは微塵も思っていない。エルの言う様にアデルは自分のことを無知だと思っているし、彼が会得した知識は全てエルから与えられたものだからだ。


「師匠?……あぁ、あの亜人のことですか」
「……師匠を知っているのであるか?」


 エルのことを知っているような口ぶりをしたギルドニスに、アデルは思わず怪訝そうな声で尋ねてしまう。だが悪魔が言っていたエルの過去を考慮すれば、悪魔教団がエルを知っていてもおかしくは無かった。

 エルはアデルと同じ悪魔の愛し子を、かつて殺していたのだから。


「もちろんです。あの亜人は我々悪魔教団の最重要ターゲットでしたから」
「ターゲット、だと?」
「はい。悪魔の愛し子様を殺した大罪人ですので。亜人エルの暗殺は、悪魔教団信者全ての共通任務でありました。とは言っても、隙が無かったので成功した試しは無いのですが」
「……」


 悪魔教団が一体どの程度の信者で成り立っているのかアデルは知らないが、教団と名乗るからにはその規模は一人二人では無いのだろう。つまりエルは常に複数人からその命を狙われていたということだ。

 アデルはエルがそんな不安を常に抱えながら生きていたことも知らず、驚きと不甲斐なさで目を見開いた。

 エルと共に過ごしてきた中で、そのような不審な気配などアデルは感じていなかったので彼の衝撃は一入ひとしおであった。

 だが同時に、アデルにとっての長年の謎が一つ解けてもいた。


『……我は、師匠を守れるぐらいに強くなるのであるか?』
『……そうだね。いつか僕を……その力で守っておくれよ?』
『心得た』


 かつて、どこか悲しそうな笑顔で言ったエルは何かに怯えているようで、アデルはその顔を忘れることが出来ずにいた。あの壊れてしまいそうな表情も、悪魔教団に命を狙われていたことが原因であるのなら、辻褄が合ったのだ。

 エルは守って欲しかったのかもしれない。頼れる存在もいない、一人ぼっちだったエルは唯一の希望であるアデルに守って欲しかったのかもしれない。だが悪魔の愛し子の殺害を原因に命を狙われているエルが、同じ愛し子であるアデルに助けを求めるなど、見方によってはお笑い草だった。

 だからエルは、あんなにも辛そうな笑みを浮かべたのかもしれない。アデルが自分を守ると言ってくれたことが心の底から嬉しかった。だが彼と同じ愛し子を殺した自分が、素直に彼に甘えていいわけが無いという自責の念にも駆られていた。そんな二律背反の感情がエルの中でぐちゃぐちゃになっていたのかもしれない。


「っ…………ゆるせぬ」
「?」
「……師匠にあのような顔をさせたお前たちも、我もっ……!絶対に許せぬっ」


 その時のエルの思いを知る術は無い。だがアデルは、決して一筋縄では無かったであろうエルの不安に触れ、目の前の敵と自身を責めずにはいられなかった。


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