レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第一章 悪魔討伐編

12、故郷の危機4

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「みんな騙されるな!卑しい悪魔の愛し子が、髪の色を変えて人間の皮を被っているだけだ!俺はコイツのことを見たことがあるから、この醜悪な顔はよく覚えている!間違いなくコイツは悪魔の愛し子だ!こんな化け物を俺たち人間の地に踏み入れさせてはいけない!」


 アデルは紛れもなく、人と人との間に産まれた人間だ。人間の皮を被っているわけでは無い。何せ悪魔の愛し子というのは種族名ではないのだから。そしてアデルは、醜悪な顔つきでもない。黒髪と赤い瞳というだけで、ほとんどの人間がそうだと決めつけているだけである。

 だが領民たちにとって、アデル・クルシュルージュは悪魔の愛し子。そして彼を責める中年男性は紛れもなく人間。そういう認識なのだ。

 だからどう足掻いても、優勢なのは多数派の人間であった。


「そうよ!早くみんなでソイツを追い出しましょう!」
「悪魔の愛し子と同じ空気を吸っていると思うだけで不快だ」
「私たちを騙してどうするつもりだったのかしら?」


 沈黙を貫いていた領民たちが一人、また一人とアデルに罵詈雑言を浴びせ始めた。今更それで深く傷つくアデルでも無いが、全く傷つかない訳でも無かった。

 浮かない表情でその言葉を受け流そうとしたアデルだが、仕舞いには領民たちから物を投げつけられてしまったので、アデルはジルの結界を張ってそれを防いだ。


「おい!コイツ操志者だぞ!?みんな気をつけろ!俺たちを殺そうとしているんだ!」


 結界を張ったぐらいでそんな言いがかりをしてきたのは、事の発端である中年男性だった。悪魔の愛し子なのだから操志者なのは当たり前だろうと、エルは軽蔑するほどの呆れを抱きため息をつく。

 だが悪魔の愛し子の脅威的な能力を中途半端に知っている領民たちは、下らない妄言でも信じてしまい、途端に怯え始めた。


「早くあの化け物を追い出してよ!」

「ねぇ」


 誰かも分からぬ女性の捲し立てるような甲高い声の後に聞こえてきたのは、とても幼い少女の声だった。

 小さくか弱く聞こえた声だったからこそ、今この状況ではとても鮮明に映える。

 シューナはアデルを庇う様に彼の前に立つと、酷く冷静に、酷く純粋に、大人たちに問いかける。


「どうして。わたしをたすけてくれたいいひとを、いじめるの?」
「「……」」


 純粋な子供のとぼけたような疑問のようであり、彼女のそれは領民たちを責め立てる辛辣な言葉だった。ひねくれているエルの耳には「お前ら、よくも私の恩人を傷つけてくれたな」と聞こえてしまう程に。

 そしてそんな疑問に、すぐに答えを出せる者はいなかった。だが――。


「嬢ちゃん!早くソイツから離れるんだ!」
「どうして?」


 尚も言い募る中年男性の忠告に、シューナは平坦な口調で尋ねた。


「どうしても何も、そいつは悪魔の愛し子なんだぞ!?嬢ちゃんには難しくて分からないかもしれないが……」
「知ってるよ」


 中年男性の声に被せるように言ったシューナの言葉に、全員が様々な意味で息を呑んだ。そして誰よりも、彼女から告げられたその真実に目を見開いたのは、他ならぬアデルであった。あのエルでさえも、驚きでシューナから目を離せないでいる。

 知っている。その言葉は、アデルにとってどんな励ましの言葉よりも価値のあるものだった。

 アデルが悪魔の愛し子であることを知っていながら、シューナは彼を庇ったのだから。


「こどもだからって、ばかにしないで。こどもだって、あくまのいとしごぐらい、しってるもん」
「なら分かるだろう!?早く……」
「ねぇ。さっきのわたしのしつもんにこたえてないよ、おじさん。――どうして、わたしをたすけてくれたいいひとを、いじめるの?」
「「…………」」


 先刻よりも長い沈黙が空気を一変させた。何故なら、領民たちがアデルを忌み嫌う理由なんて、〝悪魔の愛し子だから〟というその一点に尽きてしまうからだ。それを理解して尚、問いかけるシューナに対して明確な答えを出せる人間など、一人たりともいなかったのだ。


「……シューナ。この人たちを責めてはいけない」
「……どうして?」


 膝を折り、シューナと目線を合わせたアデルは、優しい口調でそう諭した。だがシューナには理解できず、今にも崩れてしまいそうな表情でアデルに尋ねた。


「この人たちが悪いわけでは無いからだ」
「じゃあ、だれがわるいの?」
「……悪い奴など、本当は一人もいないのだ。ただ、何かのせいにするのであれば、長い年月をかけて積み重なってきた、悪魔という存在に対する差別意識その物のせいであるだろうな」


 いくら傷つけられようとも、決して領民たちを責めなかったアデルを目の当たりにしたシューナの父親は、意を決して瞳に力を籠めるとその口を開く。


「皆さん。この少年は、私の娘を救ってくれました。命の恩人です。どうか、彼に石を投げつけるようなことは、しないでいただけますか?」


 アデルは、信じられないような瞳で彼を見上げた。大人は長く生きてきた分、自身の中で培ってきた価値観が盤石としており、それを変えるのがなかなか難しい。にも拘らず、シューナの父親が悪魔の愛し子に対する差別意識に異を唱えたことが、アデルには信じられなかったのだ。

 だがよく考えればエルも六二歳の立派な大人だったので、アデルは妙な納得感と共に、ほんの少し落ち着きを取り戻した。

 そんな中、避難所は困惑の声が広がっていたが、それでもアデルを侮辱する様な言葉を吐く者はいなかった。領民たちは、本当にどうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。

 今まで散々忌み嫌い、傷つけてきた悪魔の愛し子にどう接すればよいのか。今更友好な関係を築けると楽観視出来る愚か者など、その場にはいなかったのだから。

 だが、一人表立ってアデルを責めていた中年男性は、シューナの主張優勢なこの空気に耐えられなかったのか、拳をわなわなと震わせる。


「っ……みんな目を覚ませ!コイツは悪魔の愛し子だぞ!?きっと今回の災害級野獣だって、コイツが呼び寄せたに違いない!……そ、そうだ!きっとそうだ!」
「は?」


 これには思わず、平常心を保っていたアデルも呆れのあまりそんな声を漏らしてしまった。「この中年は一体何を言っているのだ」という視線をアデル、エル、シューナ、彼女の父親全員にブスブスと向けられた中年男性だが、慌てるあまり気づいていないようだ。


「はぁ……」
「?……師匠?」


 深すぎる程のため息をついたエルに、アデルは思わず小さな疑問の声を漏らした。

 長いため息を吐き切ったエルは、おもむろに避難所の壁に手を向けると、目に見えない何かを発射させた。


「「っ!?」」


 途端、避難所の壁にひびが入り、その衝撃による轟音が避難所に響き渡る。特にその攻撃が顔すれすれに通り過ぎた中年男性は、尻餅をついて目をひん剥いてしまっている。


「あ、ごめーん。手が滑ったー」
「「……」」


 大根役者よりも酷い棒読みで謝ったエルに全員がドン引きしてしまい、気まずすぎる沈黙が流れた。パラパラと、壁の一部が崩れ落ちる音がどこか心地良く、アデルはスッキリとした気分を抱いてしまう。


「ばっっかだなぁ……はぁ、やだやだ。これだから無知で馬鹿な愚か者は嫌いなんだ」
「なっ、何だと!?」


 どうやら中年男性にも、エルの言う〝愚か者〟が自身であると自覚できる程度の良識はあったようで、彼は顔を真っ赤にして怒声を発した。一方のエルはうんざりとした相好を一切崩すことなく言葉を紡ぎ続ける。


「無知で愚かな君たちに教えてあげよう。いいかい?災害級野獣っていうのは普段森や山の奥深くに生息している。そんな野獣共がこうして人間の住む地まで下りてきてしまう原因は、食料である動物や植物が人間に狩られすぎて、食料難に陥るからだ」
「「……」」
「だから災害級野獣はこうして人里に下りてくることがある。人間も災害級野獣にとっては生きるための食い物だからね」


 説明というオブラートに包まれた説教に、領民たちは全員反論できず押し黙ってしまった。だがアデルただ一人だけは、オブラートの部分しか見えていないらしく、知識としてエルの説明に聞き入っていた。

 ほぼ全員が気まずそうに俯く中、アデル一人が好奇心に目を輝かせている光景は、エルにとって苦笑を禁じ得ないものだった。


「そもそも、アデルはまだひよっ子もひよっ子。なのに……」
「師匠師匠」
「何だい?話を遮らないでくれるかな」


 アデルは突然エルの服の袖をちょいちょいと引っ張ると、ほんの少し慌てた様に呼び止めた。アデルの為に領民たちの誤りを正そうとしているというのに、そのアデルに話を遮られたエルはほんの少し苛立ったように尋ねた。


「師匠。我、先刻あの少女に〝我は最強な師匠の手ほどきを受けているからそこそこ強い〟的なことを言ってしまったのだ。ひよっ子発言は辻褄が合わなくなるのだ」
「知らないよそんなの。今そんなこと議論している場合じゃないんだから」


 妙に深刻そうな顔をしながら、小声でそんな心配をしているアデルにエルは思わず呆れたような視線で返してしまう。


「とにかく!アデルはまだまだ半人前なんだ。そんな奴が災害級野獣の群れを呼び寄せる力なんて持っている訳が無いだろうが」
「ぐっ……」
「少し考えれば分かることだろう?そのつるっぱげの頭には、髪だけじゃなく脳ミソまで詰まってないのかい?」
「ぶっ……」


 エルの煽りに、アデルは耐えきれなくなったように吹き出して、肩を小刻みに震わせてしまっている。一方の中年男性は、あまりの怒りに声を出すことも出来ておらず、今にも堪忍袋の緒が切れてしまいそうな程だ。


「お、おまえっ……」
「あ!!」
「っ……師匠、突然何なのだ。驚くではないか」


 中年男性が怒鳴ろうとした途端、鼓膜が破れてしまいそうな大声を上げたエルに、全員が困惑めいた視線を向ける。


「あと三十秒ぐらいでここ崩れるよ」
「「え?」」


 何でも無い様にとんでもない爆弾発言が投下されたことで、その場にいた全員が呆けたような声を上げてしまう。

 だがエルの発言で、全員が気付いてしまった。避難所の壁から、ピキッ!ミシッ!という嫌な音が、現在進行形で聞こえている事実に。

 それが、建物が倒壊してしまう合図であるということも。


「にっ、逃げろー!!」


 それが誰の声だったのか判断する余裕も無いほど、領民たちはその声を皮切りに走り出し、一目散に避難所から脱出した。
 ちなみに脱出を促したのは冒険者のニックであったが、気づいた人間は少ない。

 アデルたちを含めた全員が避難所から出て数秒経つと、エルの言った通り建物が崩れ落ちてしまった。恐らく、先刻壁にひびを入れたエルの攻撃が徐々に広がっていき、時間差で本領を発揮してしまったのだろう。

 砂埃が舞う中、領民たちは茫然としつつ、既に形を成していない避難所を見つめることしか出来ない。


「な、なんてことしてくれたんだ!?」
「うん、そうだね」
「分かっているのなら何をそんなに平然と……!」


 エルが避難所を壊したことで、これ幸いとエルを責め立てようとした中年男性だったが、悪びれる様子もないエルに更に怒りを爆発させた。


「そう。これをやったのは僕だ。の、僕だ」
「「……」」
「悪魔の愛し子なんかじゃない。人間だって間違いを犯す、悪に染まることがある。それを、ゆめゆめ忘れないことだね」


 エルは酷く冷静に、純然たる事実のみを述べた。そんなエルの強い言葉が領民たちに深く刺さってしまい、あの中年男性でさえもそれ以上の反論は出来ず押し黙った。


「さてと。アデル、さっさと帰るよ」
「……承知した」


 何事も無かったかのようにそう促したエルに、アデルは何か言いたそうな表情を向けたが、素直に従うことにした。


「おにいさぁん!!」
「っ?」


 領民たちが気まずそうに立ち去る二人の背中を見つめる中、シューナが目一杯の大声でアデルを呼び止めたことで、彼は驚きながら声のする方向を振り向いた。


「たすけてくれて、ありがとう!!」
「っ……あぁ!」


 シューナの力強い感謝の言葉を受けたアデルは驚きと嬉しさで目を見開くと、破顔一笑して大きく手を振って見せた。

 決して悔いの残らないように、アデルに感謝の気持ちを伝えたシューナの行動は、アデルの記憶に深く深く刻まれるのだった。



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