レディバグの改変<L>

乱 江梨

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第一章 悪魔討伐編

10、故郷の危機2

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 冒険者ギルドに背筋が凍ってしまいそうな緊張感が走っていた。

 唐突に告げられたS級レベルの依頼は、例えA級以上の冒険者がこの場にいたとしても、尻込みしてしまうレベルの危険が備わっていたからだ。


「……師匠。今の、聞こえたであるか?」
「うん。ちゃんと聞こえたよ。まぁ僕たちにはあんまり関係ないけど」
「……どういう意味であるか?」


 とても同じ内容を聞いたとは思えないほど冷静沈着なエルに、アデルは思わず批難めいた疑問を向けてしまう。


「僕たちの家には頑丈な結界を張っている。そこらの災害級野獣に壊すことの出来る代物じゃないよ」
「そうではない!我が心配しているのは、ティンベルの……」
「それこそ大丈夫さ」


 アデルはエルとの住処のことなど心配はしていなかった。エルが頑丈な結界を張っているのは知っていたし、例え家が壊れてもそんなものはまた作ればいいだけの話である。

 そうではなく、アデルはクルシュルージュ家にいるティンベルの心配をしていた。だがそれを理解しても尚、更に言い募ったエルにアデルは首を傾げる。


「彼女は伯爵家の令嬢。護衛だっているはずだし、この依頼だって最優先はクルシュルージュ家の人間を護衛することであって、野獣その者を倒すことじゃない」
「そうなのであるか?」


 依頼の本質を勘違いしていたアデルは、呆けたように尋ねてしまう。今回の依頼の根幹は、伯爵家の人間を守りきること。特に唯一の後継者であるティンベルは伯爵に並ぶ護衛対象者となるだろう。例え野獣を倒すことが出来なくとも、伯爵たちを救うことさえ出来れば完全なる敗北ではないのだ。

 もちろん護衛の過程で野獣と相対する場面は出てくるので、この依頼の危険性が下がるわけでは無いが。


「領主と後継者さえ生きていれば、また領地を復興することが出来る。依頼してきたのは当然伯爵家だろうから、自分たちさえ生き残ればそれでいいと本気で思っているんだろうね」
「……では、領民はどうなるのだ?」
「……あのさぁ。君は何をそこまで気にしているんだい?」


 この依頼の優先順位。それを考えた時アデルが最も気掛かりだったのが、伯爵家の領地に住まう領民たちだった。そんなアデルの不安気な問いに答えることなく尋ね返したエルは、どこか冷めた表情で。アデルは思わず瞳孔を揺らした。


「そうさ。君が心配している通り領民は優先順位が低い。冒険者も領民を救いたいと思っているけれど、A級以上なんてそう多くない。だから優先順位をつけなくちゃいけない。そうなると冒険者が対処できなかった野獣が領民を襲うかもしれない。いや、襲う。そして領民は死ぬ」
「っ……」
「でもそれが何だって言うんだい。君は領民の中に思い入れのある人間でもいるのかい?」
「それは違うが……」


 エルは問う。何故そこまでアデルが領民の心配をするのか。冒険者でもないアデルが彼らを救う理由なんてないから。


「そうだろうね。寧ろ領民は君を嫌っていただろう?」
「あぁ……」


 当たり前のことだ。今更エルに尋ねられてもアデルが傷つくことさえ無かった。エルと出会う前、アデルは外に出る度に領民のことを気にしていた。領民と出くわさないように森を訪れ、領民が嫌な思いをしないように気をつけていた。

 領民たちも、当然悪魔の愛し子を嫌っていたから。


「まさか君。助けにいこうだなんて思ってないよね?」
「…………師匠に迷惑はかけぬ。我一人で……」
「そういうことを言っているんじゃない。君、何も分かってないね」


 冷淡な声で、突き放す様に言ったエルの気迫に圧倒されたアデルは思わず息を呑んだ。


「僕が面倒だから渋っていると思っているのかい?僕が君に迷惑をかけられるのが嫌だと思っているのかい?僕は結構君に尽くしてきたと思うんだけれど、とんだ裏切りに合った気分だよ」
「……師匠」
「僕はね、自分が優れているなんて思っていないよ。でもね、君よりは大人だ。だから分かる。君が領民を気にかけたところで、最後は君が傷つくだけだ。僕はね、わざわざアデルの傷ついた顔を見るために身体張るほどマゾじゃないんだよ」


 アデルはほんの少し泣きそうになって、顔をクシャっと歪めた。悲しかったわけでも、怖かったわけでもない。エルが、他の誰でもないアデルのために怒っているのだと理解できたからこそ、嬉し涙が込み上げてきて仕方が無かったのだ。

 エルはこういう言い方しか知らない。だから不器用なりに伝えようとした。いくらエルにとって関係の無いことでも、面倒なことでも、迷惑なことでも、アデルの為なら何だってしていいと思っていることを。アデルに傷ついて欲しくないから、こうして止めようとしていることを。


「……災害級野獣というのは、強いのであるか?」
「……レベルがあるんだ。災害級野獣には。今回はレベル三。A級冒険者二人でギリギリ倒せるレベル。災害級野獣っていうのは、本来ジルを操ることの出来ない動物の中で、元々その力を持っている野獣のこと。普通の野獣と同じで知性は無いが、元々その能力を本能として持っているから、かなり厄介だ。亜人でも実力に自信が無い奴は簡単にやられてしまう」


 ほんの少しの沈黙の後、災害級野獣の危険性についてアデルは尋ねた。小さく真剣な声で尋ねられたので、エルは答えない訳にもいかず説明してやる。

 災害級野獣という言葉自体に、その対象の強さを測る材料はない。災害級野獣は強くて当たり前。そんな災害級野獣の中で、対象がどの程度の強さなのかはレベルで判断されるのだ。


「……師匠。我は助けに行く」
「っ……」


 覚悟を決めたような、力強い表情でアデルは宣言した。そんなアデルの出した答えを、聞きたくなかったと言わんばかりに悲痛な面持ちで、エルは拒絶する。


「君が、ここまで馬鹿だとは思わなかった……僕の話を聞いていなかったのかい?」
「師匠。我は、自分の力がどの程度なのか、よく知らない。師匠は恐らく、我がそれを知って修行に悪影響が出るのを考慮してくれたのであろう?感謝する」


 エルの沈黙が、アデルの問いに対する肯定を意味していた。アデルに限ってそんなことは無いと思ってはいたが、もし彼が自身の実力を知って驕り、修行を疎かにすれば彼の目標を達することは出来ない。だからエルは敢えて伝えていなかった。


「だが我は、師匠としか戦ったことが無い。師匠以外の相手と戦うという感覚が、どのようなものなのか知らない。だから、試してみたいのだ。それに……我は……ティンベルが誇れるような兄になる為に、将来ティンベルが守るかもしれない領民を、救いたいのだ」
「……やっぱり、君は馬鹿だよ」
「大丈夫である、師匠」
「……?」


 思わず笑いが込み上げてしまう様にため息を零したエルにとって、どこか自信と嬉しさに満ち溢れているアデルは非常に不可解な存在だった。


「我が傷ついた時は、師匠が慰めてくれるであろう?」


 子供らしく笑って言ったアデルに、エルは思わず目を奪われた。エルが危惧していたのは、アデルが心に傷を負うことだった。災害級野獣からアデルを守ることは、エルにとって容易かった。それでも今回のことでアデルが精神的に傷つけば、エルはそれを癒す自信が無かったのだ。

 それなのに、目の前の何も知らない子供は。自分を師匠と慕う無垢な子供は、エルであればその傷を癒すのも容易いと思っているのだ。信じているのだ。


(……弟子の期待に応えられなくて、何が師匠だ)

「まったく。慰める方に身にもなって欲しいよ」


 億劫そうな声でありながら、アデルの意思を尊重したエルは笑みを取り戻していた。そんなエルの相好を目の当たりにしたアデルは、思わずパッと嬉々とした表情を露わにする。


「師匠、感謝する」
「どうせ僕たちもあの領地に住む者だ。火の粉を振り払う過程で、結果的に災害級野獣を倒すかもしれないってだけの話さ」
「……師匠は素直では無いのだな」
「逆に君は素直すぎると思うけどね」


 エルが素直ではないのは初めからだが、アデルはこの時漸くはっきりと言葉でその特徴を理解した。だがその評価はエルにとって心外でありつつ図星だったのか、苦笑しながらそんな反論しかできなかった。


「急ごう、時間が無い。馬を使うよ」


 こうして、アデルたちは馬を借り出して伯爵家の領地への道を急ぐのだった。

 ********

 アデルは乗馬の経験が無かったので、エルが手綱を握る馬に二人乗りすることになった。エルの腰に手を回し、振り落とされないようにくっついていたアデルは、馬が止まったことで辺りを見回した。


「これは……」


 エルより先に馬から降りたアデルは、目の前に広がる光景に表情を険しくしてしまう。

 辿り着いたアデルの故郷は、彼の全く見たことの無い野獣によって当に阿鼻叫喚と化していた。

 領民たちは叫び声や泣き声を上げながら必死に逃げ惑っており、怪我をしている者がほとんどだった。


「おとうさーん!!どこぉ?おとうさんっ……」


 ふと、地面にへたり込んで泣き続けている少女を見つけたアデルは、彼女が親とはぐれていることをすぐに察した。ティンベルと同い年程度に見えるその少女は、必死に父親のことを呼んでいるが、その本人が現れる気配は一向にない。

 すると野獣の一匹が、その少女に襲い掛かろうとし、アデルは咄嗟に飛び出した。


「ちょ、アデル!……はぁ、ま、いいか。そうそう死なないし」


 突然走り出したアデルをエルは呼び止めようとしたが、既に声が届かないような場所まで走り去っていた上、彼が怪我をしてもすぐ治ることは当たり前の認識となっているので、エルは諦めることにした。


「じゃあまぁ僕は、適当に殲滅しとくか…………ふっ……本当に出来る奴はその偉業を弟子に見せびらかさないってね」


 取り残されたエルは一人で不気味な笑みを浮かべながら、心底しょうもない独り言をぶつぶつと呟いている。もしアデルが聞いていれば必死に意味を理解しようとし、だが結局分からずポカンとしていることだろう。何せ本当に意味など無いのだから。

 そんなエルではあるが、腰に帯刀する剣を抜き、迫りくる大量の災害級野獣にその剣先を向ける姿は、当に勇敢な戦士のものであった。

 ********

 西日が眩しく、震える少女の影を最大限に伸ばしていた。だがそんな少女を覆い隠してしまう程大きな影が、少女に迫っていた。

 体長三メートルは悠に越しているその体格は、少女にとって恐怖以外の何物でもない。野獣がその太く重い拳を少女に降り下ろそうとした時、少女は迫る死に備えてぎゅっと目を閉じた。


「っ……」
「……?」


 少女は当惑した。怯えた痛みも衝撃も、一切訪れる様子が無く、感じるのは誰かに抱きしめられている様な温かな感覚だけだったからだ。

 恐怖に何とか打ち勝ち、震える瞼をそっと開いた少女は、視界に広がる情報に思わず目を見開いた。

 見たことの無い少年が、自分を庇って背中に大きな傷を負っていたのだ。


「怪我は無いであるか?」
「え……あ、うん……だいじょうぶ……で、でも、お、おにいさんが……」


 知らない少年に助けられた状況。その少年が大怪我を追っていることによる罪悪感。そして少年の後ろには未だいる恐怖の象徴。様々な情報が少女の頭の中で飛び交い、彼女はどうすれば良いのか分からぬままアデルの心配をした。


「安心するがいい。我は怪我をしてもすぐ治るのだ。だからこれぐらいどうってこと無いのだ」
「ほ、ほんとう?すごい……」
「あぁ。それに我が慕う師匠は最強なのだ。我はそんな師匠から戦いの手ほどきを受けている。あのような雑魚、我が倒してすぐにお主を父の元に連れて行ってやるのだ」


 出来るだけ少女に不安を抱かせないように、アデルは余裕の笑みを浮かべて言った。内心戦ったことの無い相手にアデルは緊張していたが、それを少女に悟らせまいと必死に取り繕う。不安と恐怖でいっぱいだった中現れた、自信に満ちているように見えるアデルは、少女にとって救世主以外の何者でもなかった。

 家族に会えるという希望が見え、少女は途端に涙を止めて嬉々とした相好を露わにする。


「だからお主はここから動かず、終わるまで目と耳をぎゅっと塞ぐのだ。お主が危なくなれば必ず我が助ける。だから心配せずに、我がこの野獣を倒すのを待って居るがいい」
「わかった!おにいさん、がんばって!」
「……承知した」


 もし少女がアデルの黒髪と赤い瞳を見ていれば、こんな温かい言葉は投げかけてくれないのだろうかと、アデルは少し余計なことを考えた。自分を信頼してくれたこの少女も、アデルが悪魔の愛し子だと知れば、怯え、嫌悪し、近づいてくれないのだろうかと、そんな不安が過ぎった。

 その時、アデルはようやく気付いた。エルが恐れていた、アデルが傷ついてしまう理由の正体に。だが、あの時気づいていたところで、アデルは同じ選択をしただろう。

 だからアデルは首を振り、例えそうなったとしても関係ないと自分に言い聞かせた。今は自分を信じてくれた小さな少女のために全力を尽くすのみ。

 そう意気込んだアデルは、エルと同じように帯刀した剣を抜き、目の前の敵を見据えるのだった。


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