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side楓馬
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幼い頃の最も鮮烈な記憶は、苦しむ母親の姿だ。
その当時はよく分からなかった母の苦しみも、今となってはよく分かる。
あれは四才の頃。なかなか買い物から帰宅してこなかった母が、夜遅くやっと帰って来たかと思うと、母はまるで別人のような雰囲気を纏っていた。
その日父は出張か何かで家におらず、母を出迎えたのは俺だけだった。母の目は焦点が合っていないようにゆらゆらと揺れていて、俺のことさえ見えていないようだった。
服はボロボロ、所々から血が出ていたし、小さな傷が身体中にあったのだろう。ツーっと脚を伝っていた血の意味を、当時の俺はただの怪我としか認識できずにいた。
「おかあさん?だいじょうぶ?」
「……」
母がその問いに答えることは無かった。そのまま風呂に入った母の叫びにも似た泣き声が、今でも聞こえるほど俺の耳には鮮烈に記憶されている。怪我をすれば痛くて血が出る。だから母は泣いているのだと、俺はその時そう思った。そんな呑気な考えしかできないほど、世界を何も知らなかったのだ。
その日、俺は母が風呂から上がってきたら、痛いの痛いの飛んでいけをたくさんしてあげようと思ったのを、よく覚えている。
********
翌日。母は何でも無い様に家事をこなしていた。だけど、いつも通りの母には見えなかった。笑顔なのに、目が笑えていなかったように見えたのだ。
だから俺は、どうにか笑ってほしくて、何度も何度も痛いの痛いの飛んでいけを母にしてあげた。その時の母は作り笑いではなく、呆然としたような無表情で手応えが無かったけれど、作った笑顔よりは嬉しかった。
そんな毎日が続くにつれて、母の具合が悪くなった。でも何故か父は喜んでいて、その理由を尋ねた俺に父はこう答えた。
弟か妹が出来るのだと。母の具合が悪いのはそれが原因だと。
その時の俺は自分に弟か妹が出来ることが嬉しくて、母の気持ちなど何も分かっていなかった。
母のお腹はどんどん膨らんでいき、今思えば母は赤ん坊の成長を恐れていたのかもしれない。その恐怖を、不安を、実感を、一人で抱えてきたのだろう。誰にも相談できずに。
雪のよく降る冬の日に、母はお腹の子供を産み落とした。俺が五才になった頃だ。
赤ん坊は男の子で、俺には人生初めての弟が出来た。
だけど――。
母さんはその翌日に自らその命を絶ってしまった。
********
その日からすべてが変わってしまった。母さんの遺書を読んだ父さんは、産まれた男の子が自分の息子では無いと知った途端激怒し、手にかけるような勢いだった。
父さんは警察に捜査を頼んだが、母さんをレイプした犯人は見つからなかった。事件が起きてから時間が経ちすぎてしまったことが原因だったらしい。
母さんが何を思って、何を悩んで、事実を隠し続けて弟を産んだのかは誰にも分からない。真実を話すのが怖かったのか、それとも死ぬまで事実を隠しながら弟を育てるつもりだったのか。弟のことを憎いと思っていたのか、それとも小さな命を無下にしたくは無いと思っていたのか。
分かるのは母さんが弟を生んだという事実と、その後自殺したことだけだ。
父さんは産まれてきた弟をまともに育てようとはしなかった。母さんが死んだことで父さんは一時的に家政婦を雇うことにしたので、弟の世話もその人に任せていたのだ。
家政婦さんは詳しい事情を知らなかったので、優しく弟の世話をしてくれた。だけど家政婦さんは一日中いるわけでは無い。父さんが仕事から帰ってくる頃には、家政婦さんも自分の家に帰ってしまう。
それからが俺にとっての勝負だった。
父さんは、弟に暴力を振るおうとしたのだ。父さんの心情は分かる。ただでさえ母さんが死んで傷心しているというのに、育てるのが大変な赤ん坊ができ、しかもそれが母を死に追いやった犯罪者の子供なのだから。自分とは何の血の繋がりもない、赤の他人。それに父さんにとって弟は、母さんをレイプした犯人と同じように、彼女を死に追いやった憎い存在に見えたのかもしれない。
でも俺にとって弟は弟だ。小さくて弱い、五歳下の大事な弟。それに、子供だった俺にも、産まれてきた弟が悪くないことだけは分かったから。
だから俺は必死に弟を守った。例え代わりに父さんに殴られても、蹴られても、育児放棄をされても。俺がこの子の親になるんだという気持ちで必死に守った。もちろんその当時の俺も子供だったので、完全に庇いきることは出来なかった。それ故に弟にまで怪我をさせてしまうこともあったけれど、弟が背負う傷の半分を俺は請け負った。
父さんの顔はいつも怖くて、怒鳴り声は心臓が飛び出るぐらい大きくて怖かった。殴られたり、蹴られたりしてとても痛くて、いつも震えて過ごしていた。何度泣いたか分からない。それでも弟にはそんな姿見せたくなくて、必死に泣くのを堪えた日もある。
でもきっと、辛いのは俺だけじゃなかったから。弟も同じことを思っていたと思うから。一人じゃないと思えたから、俺は踏ん張ることが出来た。
俺は弟が産まれてから。弟は産まれた時から。互いに同じ傷を背負いながら、二人三脚で生きていくことになった。
そんな弟の名前は、俺がつけた。父は自分でつけようとせず、出生届を出す時に俺に考えさせたのだ。でもこれで良かったのかもしれないと今では思っている。弟を愛してくれない人なんかにつけられるより、俺がつけてあげた方がまだマシだろうと思うから。
弟の名前は長谷川景。そしてそんな俺の名前は長谷川楓馬だ。
弟の景は俺のことを〝ふうにい〟と呼んで慕ってくれた。そんな可愛い弟の笑顔を守るためなら何だってできる。そう思いながら毎日を必死に生きてきた。
父からの暴力を、俺は学校の教師に相談したこともあった。だけど教師は力になってはくれなかった。近所の人たちが不信に思って警察を呼んだことがあったけれど、父は証拠を残したりはしなかった。むしろ警察という脅威が去った後にいつも以上の激しい暴力を振るったので、俺は助けを求めることに対して臆病になってしまった。
だから俺はより一層、自分がしっかりしなければとも思った。俺が景を助けなければ。俺が景をしっかり育てなければ。俺が景を守らなければ。
そうだ。俺がしっかりしていれば景は大丈夫。俺が高校を卒業してすぐに働けば、景を養うことが出来る。あの家から、あの父親から解放される。
俺はひたすらに頑張った。景のために。自分のために。そうだ。俺は景がいないと生きていけないから、景を助けているのかもしれない。景がいなくなってしまったら、俺には何も残らないから。こんな利己的な理由でも、景が幸せに生きられるのであればそれで良かった。
高校生になってからは、勉強や家事をしつつバイトに多くの時間を費やした。卒業してから景と暮らすにはどうやったってお金が必要になる。でもあの父親がそんな金を工面するはずもないので、俺はバイトをして貯金することにした。
もちろん父親には内緒で。父にバレれば最悪そのお金をギャンブルに使われる可能性があった。だから俺は自分用の通帳をいつも肌身離さず持っていたし、暗証番号も父にはバレないような数字に設定した。
そうやって俺はバイト、勉強、家事をこなしながら、父の暴力に耐え続けて何とか高校を卒業するまでに至った。
********
高校卒業の日。俺は早く景に会いたくて、自宅への帰路を急いだ。実は俺がこの家を景と一緒に出ようとしていることは内緒にしている。この計画が成功する保証も無かったし、期待させてやっぱり駄目だったでは景が可哀想だと思ったからだ。
でも今日という日がやって来た。父親にも計画はバレていない。父が家を留守にしている間に景を連れて、父に見つからないような場所まで行けば計画は成功だ。
ここまで長かった。景はこんな酷い環境でもいい子に育ってくれた。それに俺と違って整った顔立ちの景は学校でかなりモテるようだ。あの地獄から抜け出せれば、彼女でも作って幸せに暮らせるだろう。
中学校一年生にして百七十センチの景はかなりの高身長だ。これからもっと大きくなって今では同じ背丈もあっという間に越されてしまうだろう。その上アイドルのような甘いマスクがあればモテるのも頷ける。平凡顔な俺とは雲泥の差だ。
そんな景の顔を思い浮かべながら俺は自宅アパートの扉に手をかけた。
鍵がかかっていた。部屋に誰かいれば基本的に鍵は開いているんだけど……。俺は首を傾げながら鍵を取り出して扉を開ける。
とても静かで、人の気配なんて全くなかった。部屋に入っても景の姿は無かった。
「おかしいな……」
ぼそりと呟いた俺の声も静かな部屋では虚しく散っていく。俺は腕時計に目をやって、景の中学校の授業が終わっていることを再確認する。もう帰ってきてもいい時間だというのに、何をしているのだろうか。
景は特定の友人がいないのか、学校が終わるとすぐに帰宅するタイプだった。部活や生徒会にも所属していなかったので、この時間になっても家にいないのは珍しい。
俺は景に何かあったんじゃないかと心配になり、急いで携帯に連絡した。数回のコール音の後、景は電話に出てくれた。
「っ!景?今どこにいるんだ?」
『……ふうにい?』
「おい……大丈夫か?なんだか、元気ないように聞こえるけど……」
『……ふうにいは、優しいね……』
「?」
景の様子がおかしい。その声音で、それだけは分かった。
『優しい……そう、優しいんだ。ふうにいは……』
「おい、景?」
『優しい優しいふうにい?俺のために、今から来てほしいところがあるんだ』
景のことが心配だった俺は、言われるがまま指定された場所へ向かった。その場所で、どんな光景を目の当たりにするのかも知らずに。
********
全く知らない場所だった。タクシーに揺られる間過ぎて行った光景も、俺の知らないものばかりで、今まで全く関わってこなかった場所に向かっていることが分かる程に。
着いたのは、お世辞にも綺麗とは言えない古びたアパートだった。景に言われた通りの住所をタクシー運転手に伝えたが、それでもここに景がいるとは信じられないほどに。
エレベーターも当然ないので、俺は指定された部屋まで階段で上がる。一段一段上がる間も、俺の胸は不気味にざわつき、生きている心地がしない。
どうしてここまで不安になるのか、こんなにも居心地が悪いのか。自分でも分からないまま俺は、ボーっとした視界で歩き続けた。
とうとう部屋の前まで着いてしまった。何故だが、全身に鳥肌が立って、逃げた方がいいのではないかという考えが頭を過ぎった。でもすぐに景の姿が浮かんで、俺はぶんぶんと頭を振った。余計なことは考えるな。景のためにここまで来たんだから。
意を決した俺は、そっとその部屋の扉を開けた。
「……」
目を見開いて、そのまま動けなくなってしまった。
驚きのあまり、声を出すことも、身動きすることも、瞬きもままならない。頭も上手く回っていない。
本当によく分からなかった。目の前の光景が一体何なのか。どういう状況なのか。目の前にあるものが何なのかも分からないほどに。
俺の目に映ったものを簡潔に説明するのであれば、それは景だった。
景は笑っていた。でも楽しそうでは無かった。不安そうな、せいせいしたような、困ったような、そんな笑顔だった。キリッとした黒目がじっと俺のことを見つめていた。
景の笑顔が張り付いた顔には、赤い液体が所々ついていて、その液体は景の服や手にもべっとりと付いていた。視線を下ろすと、その液体は床にも流れていた。
床よりもほんの少し視線を上げると、知らない人がいた。
景は最初から座っていた。その知らない人を椅子にして。
液体は、その知らない人から流れていて、景の身体についているのも全部同じものだと分かった。
何となく、分かった。何となく分かったけど、分からない。そんな不思議な感覚だった。だけど時間が経てば経つほど、分からない部分が薄れていって、理解してしまう。
知らない人が、血を流して倒れている。多分、死んでいるのだろう。その知らない人――死体を物のように扱っている景が、恐らくその人を殺したんだろう。よく見れば、手には使った後の包丁が握られていた。
俺は腰が抜けてしまって、膝から崩れ落ちた。そして、理解が追い付いてくるにつれ、涙が流れてきた。
「あれ?意外と取り乱さないね。最悪吐くと思ってたんだけど」
「……景……この人は、誰だ?」
「さぁ?誰だと思う?」
淡々とした、怖い声だと思った。いつまでも笑顔を絶やさない景が、初めて怖いと思った。そして同時に、この状況をどこか楽しんでいるような景に、怒りが湧いた。
「分からないから聞いているんだ、景。そうやってはぐらかすのはやめなさい」
「……俺、ふうにいのそういうところ、大好きだよ」
「……」
普段なら、泣くほど嬉しいその言葉も、この状況では素直に受け取ることが出来ない。俺は小さな頃から景の父親代わりをしてきたので、時々こういう口調になってしまう。
「コイツはね……俺の父親」
「…………っ!……まさか……」
その一言は、この状況を全て理解することの出来る、魔法の言葉だった。それだけで、質問以上の答えが俺の頭に降って注がれたのだ。
「流石に分かった?俺が何で、コイツを殺したのか」
分かる。痛いほどに。
目の前で息絶えている人が景の父親と知った途端に、俺も同情や哀れみといった感情は消え失せたから。
景の父親ということはこの人こそが、母さんをレイプして傷つけた張本人であり、俺たちが父からの暴力に耐えながら必死に生きなければならなくなった元凶なのだ。
「ねぇ。何でコイツが警察に捕まらなかったか、知ってる?」
「それは……事件が起きてから、時間が経ってたから……」
「違うよ。コイツ、なんか偉い人の息子だったらしくて、揉み消されたんだよ。まぁ事件当時は大学生で、まだ親に庇ってもらえたみたいだけど、この歳にもなって無職だから、見放されてこんなボロアパートに住んでたみたい」
景から知らされた真実に、俺は思わず目を見開いた。母さんを傷つけて、父さんをおかしくした元凶が、そんな下らない理由で罰を受けずに今までのうのうと生きていたのかと思うと、怒りが沸いて止まらない。
この男も、この男の親も、事実を無かったことにした警察も。絶対に許せない。俺がそう思ったように、景もそう思ったのだろうか?いや、俺以上に憤っていたのかもしれない。
「コイツさえいなければ、ふうにいがアイツから俺を守って傷つくことは無かった。コイツさえいなければ、俺は産まれることなく、苦しみを知ることも無かった。だから、ずっと殺そうって思ってたんだ。小さい頃から」
「……」
俺は、景が小さな頃からそんな思いを抱えていたことに気づけなかった自分に嫌気が差した。父親代わりだなんて思っておきながら、本当の意味で景のことを理解できてなんていなかったんだ。
「思い立ったらすぐに殺せるように、犯人は知っておきたいと思って。当時捜査していた刑事を脅して、犯人が既に特定されていたことを知ったんだ。それでコイツがここに住んでいることも調べて……でもね。いつ殺すかは決めてなかったんだ」
「え?」
俺の知らないところで、景がそんなことをしているなんて想像もしていなかった。気づいてやれなかった自分が許せない。
そんな自己嫌悪を余所に、俺は景の発言に首を傾げた。いつ殺すのかを決めかねていたということは、今日景がコイツを殺そうとしたことには、何か決定的な理由があったからじゃないのか。俺はそう思った。
「でもさ……最近のふうにい見てたら、不安になって来たんだ……」
「不安って……なにっ……」
景の抱えていた不安が一体何なのか聞こうとした途端、景は俺の腕を掴んで部屋に連れ込んだ。俺はそのまま室内の壁に追いやられ、痛いぐらいに両腕を掴まれてしまう。
「ふうにいは優しいのに……優しかったはずなのに……俺から逃げようとしたでしょ?」
「……え?」
景が何を言っているのかが分からない。俺が景から逃げる?そんなわけがない。だけど俺を見つめる景の瞳はとても冷たくて、俺に対する不信感が窺えられた。
「最近。バイト頑張ってたよね。アイツに隠れながらお金貯めてたの、知ってたよ」
「あ、あぁ……それは」
「ふうにい。俺をあの家において、一人で幸せになろうとしてたの?」
「……は?」
景は、何を言ってるんだ?もしかして、俺が景を置いて一人暮らししようとしてるって、勘違いしたのか?
「ふうにいがいない世界なんて、俺にとって何の意味もない……だから、コイツを殺して、俺もさっさと死のうと思ったんだ」
「っ…………馬鹿野郎!!勝手に勘違いして、勝手に一人で死のうとしてんじゃねぇよ!!」
「……ふう、にい?」
許せない。イライラが腹の底から込み上げてくる。身体が熱い。勝手に一人で自己完結した景が許せない。景にそんな不安を抱かせてしまった、自分が許せない。
俺が大声を出したことに驚いたのか、景は俺の腕の拘束を緩めた。俺はその隙に景の腕を振り払い、力強く景を抱きしめた。
景のポカンとした声が、妙に耳に響いた。
「俺が必死に金貯めてたのは、お前と一緒に暮らすためなんだよ!」
「え……?」
「早くお前を……あの家から逃がしてやりたかった……」
「ふうにい……」
俺に抱きしめられた景は固まってしまったようで、ただ俺の名前を呟くだけだった。
「……俺……馬鹿だなぁ……ふうにいと、もう少しで幸せに暮らせたかもしれないのに……こんなことして。その幸せを、棒に振って……」
「……景。一つ、聞きたいことがある」
「なに?」
自嘲するように零した景に、俺はどうしても確認したいことがあった。それは今後の俺たちの人生を左右すると言っても過言ではないほど、重要なこと。
「コイツを殺したこと、後悔してるか?……これから、後悔することがあると思うか?」
「それは絶対に無い」
即答、か。まぁ、俺だってこの男のことは恨んでいる。景ほどの執念は無かったにしても、俺もコイツを殺してしまうなんて未来があったかもしれない。だから景の気持ちを理解できないわけでは無い。
「……分かった。じゃあ景、逃げよう」
「……え?」
抱きしめていた腕を緩めて、景の顔をじっと見て、俺はそう提案した。俺の提案が予想外だったのか、景は茫然自失としていた。景がこの罪を後悔しないって言うのなら、俺だってこれから犯す罪を後悔しない。
「だってお前、後悔してないんだろ?警察は犯罪者を牢屋に入れて反省させるためにいる。だけど景は捕まったって反省しない。後悔してないから。ならご親切に捕まってやる必要ないだろ?意味無いんだし。それに、お前がこんな風に手を真っ赤にしてるのは、元を正せば全部コイツのせいで、コイツの自業自得だ。それなのにお前一人が悪者になるなんて、俺には耐えられない。だから、一緒に逃げよう。一緒に暮らして、幸せになろう?心配するな……地獄に落ちる時は、一緒だから」
「っ……ふうにい……」
話しながら、詭弁だと思った。本当に景のことを思うのなら、警察に連れて行く方がいいのだろう。だけど俺は、景が俺の元に戻ってくれるまでの長い時間を、一人で生きていく自信が無かった。俺にとっての生きる意味が景だったから、景のいない世界で、景を待ち続ける自信が無かった。
だから景が、俺と一緒に暮らす理由を必死に作っただけなのかもしれない。
この日。俺は、死んだ後に向かうのは天国ではなく、地獄であることを確信した。
その当時はよく分からなかった母の苦しみも、今となってはよく分かる。
あれは四才の頃。なかなか買い物から帰宅してこなかった母が、夜遅くやっと帰って来たかと思うと、母はまるで別人のような雰囲気を纏っていた。
その日父は出張か何かで家におらず、母を出迎えたのは俺だけだった。母の目は焦点が合っていないようにゆらゆらと揺れていて、俺のことさえ見えていないようだった。
服はボロボロ、所々から血が出ていたし、小さな傷が身体中にあったのだろう。ツーっと脚を伝っていた血の意味を、当時の俺はただの怪我としか認識できずにいた。
「おかあさん?だいじょうぶ?」
「……」
母がその問いに答えることは無かった。そのまま風呂に入った母の叫びにも似た泣き声が、今でも聞こえるほど俺の耳には鮮烈に記憶されている。怪我をすれば痛くて血が出る。だから母は泣いているのだと、俺はその時そう思った。そんな呑気な考えしかできないほど、世界を何も知らなかったのだ。
その日、俺は母が風呂から上がってきたら、痛いの痛いの飛んでいけをたくさんしてあげようと思ったのを、よく覚えている。
********
翌日。母は何でも無い様に家事をこなしていた。だけど、いつも通りの母には見えなかった。笑顔なのに、目が笑えていなかったように見えたのだ。
だから俺は、どうにか笑ってほしくて、何度も何度も痛いの痛いの飛んでいけを母にしてあげた。その時の母は作り笑いではなく、呆然としたような無表情で手応えが無かったけれど、作った笑顔よりは嬉しかった。
そんな毎日が続くにつれて、母の具合が悪くなった。でも何故か父は喜んでいて、その理由を尋ねた俺に父はこう答えた。
弟か妹が出来るのだと。母の具合が悪いのはそれが原因だと。
その時の俺は自分に弟か妹が出来ることが嬉しくて、母の気持ちなど何も分かっていなかった。
母のお腹はどんどん膨らんでいき、今思えば母は赤ん坊の成長を恐れていたのかもしれない。その恐怖を、不安を、実感を、一人で抱えてきたのだろう。誰にも相談できずに。
雪のよく降る冬の日に、母はお腹の子供を産み落とした。俺が五才になった頃だ。
赤ん坊は男の子で、俺には人生初めての弟が出来た。
だけど――。
母さんはその翌日に自らその命を絶ってしまった。
********
その日からすべてが変わってしまった。母さんの遺書を読んだ父さんは、産まれた男の子が自分の息子では無いと知った途端激怒し、手にかけるような勢いだった。
父さんは警察に捜査を頼んだが、母さんをレイプした犯人は見つからなかった。事件が起きてから時間が経ちすぎてしまったことが原因だったらしい。
母さんが何を思って、何を悩んで、事実を隠し続けて弟を産んだのかは誰にも分からない。真実を話すのが怖かったのか、それとも死ぬまで事実を隠しながら弟を育てるつもりだったのか。弟のことを憎いと思っていたのか、それとも小さな命を無下にしたくは無いと思っていたのか。
分かるのは母さんが弟を生んだという事実と、その後自殺したことだけだ。
父さんは産まれてきた弟をまともに育てようとはしなかった。母さんが死んだことで父さんは一時的に家政婦を雇うことにしたので、弟の世話もその人に任せていたのだ。
家政婦さんは詳しい事情を知らなかったので、優しく弟の世話をしてくれた。だけど家政婦さんは一日中いるわけでは無い。父さんが仕事から帰ってくる頃には、家政婦さんも自分の家に帰ってしまう。
それからが俺にとっての勝負だった。
父さんは、弟に暴力を振るおうとしたのだ。父さんの心情は分かる。ただでさえ母さんが死んで傷心しているというのに、育てるのが大変な赤ん坊ができ、しかもそれが母を死に追いやった犯罪者の子供なのだから。自分とは何の血の繋がりもない、赤の他人。それに父さんにとって弟は、母さんをレイプした犯人と同じように、彼女を死に追いやった憎い存在に見えたのかもしれない。
でも俺にとって弟は弟だ。小さくて弱い、五歳下の大事な弟。それに、子供だった俺にも、産まれてきた弟が悪くないことだけは分かったから。
だから俺は必死に弟を守った。例え代わりに父さんに殴られても、蹴られても、育児放棄をされても。俺がこの子の親になるんだという気持ちで必死に守った。もちろんその当時の俺も子供だったので、完全に庇いきることは出来なかった。それ故に弟にまで怪我をさせてしまうこともあったけれど、弟が背負う傷の半分を俺は請け負った。
父さんの顔はいつも怖くて、怒鳴り声は心臓が飛び出るぐらい大きくて怖かった。殴られたり、蹴られたりしてとても痛くて、いつも震えて過ごしていた。何度泣いたか分からない。それでも弟にはそんな姿見せたくなくて、必死に泣くのを堪えた日もある。
でもきっと、辛いのは俺だけじゃなかったから。弟も同じことを思っていたと思うから。一人じゃないと思えたから、俺は踏ん張ることが出来た。
俺は弟が産まれてから。弟は産まれた時から。互いに同じ傷を背負いながら、二人三脚で生きていくことになった。
そんな弟の名前は、俺がつけた。父は自分でつけようとせず、出生届を出す時に俺に考えさせたのだ。でもこれで良かったのかもしれないと今では思っている。弟を愛してくれない人なんかにつけられるより、俺がつけてあげた方がまだマシだろうと思うから。
弟の名前は長谷川景。そしてそんな俺の名前は長谷川楓馬だ。
弟の景は俺のことを〝ふうにい〟と呼んで慕ってくれた。そんな可愛い弟の笑顔を守るためなら何だってできる。そう思いながら毎日を必死に生きてきた。
父からの暴力を、俺は学校の教師に相談したこともあった。だけど教師は力になってはくれなかった。近所の人たちが不信に思って警察を呼んだことがあったけれど、父は証拠を残したりはしなかった。むしろ警察という脅威が去った後にいつも以上の激しい暴力を振るったので、俺は助けを求めることに対して臆病になってしまった。
だから俺はより一層、自分がしっかりしなければとも思った。俺が景を助けなければ。俺が景をしっかり育てなければ。俺が景を守らなければ。
そうだ。俺がしっかりしていれば景は大丈夫。俺が高校を卒業してすぐに働けば、景を養うことが出来る。あの家から、あの父親から解放される。
俺はひたすらに頑張った。景のために。自分のために。そうだ。俺は景がいないと生きていけないから、景を助けているのかもしれない。景がいなくなってしまったら、俺には何も残らないから。こんな利己的な理由でも、景が幸せに生きられるのであればそれで良かった。
高校生になってからは、勉強や家事をしつつバイトに多くの時間を費やした。卒業してから景と暮らすにはどうやったってお金が必要になる。でもあの父親がそんな金を工面するはずもないので、俺はバイトをして貯金することにした。
もちろん父親には内緒で。父にバレれば最悪そのお金をギャンブルに使われる可能性があった。だから俺は自分用の通帳をいつも肌身離さず持っていたし、暗証番号も父にはバレないような数字に設定した。
そうやって俺はバイト、勉強、家事をこなしながら、父の暴力に耐え続けて何とか高校を卒業するまでに至った。
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高校卒業の日。俺は早く景に会いたくて、自宅への帰路を急いだ。実は俺がこの家を景と一緒に出ようとしていることは内緒にしている。この計画が成功する保証も無かったし、期待させてやっぱり駄目だったでは景が可哀想だと思ったからだ。
でも今日という日がやって来た。父親にも計画はバレていない。父が家を留守にしている間に景を連れて、父に見つからないような場所まで行けば計画は成功だ。
ここまで長かった。景はこんな酷い環境でもいい子に育ってくれた。それに俺と違って整った顔立ちの景は学校でかなりモテるようだ。あの地獄から抜け出せれば、彼女でも作って幸せに暮らせるだろう。
中学校一年生にして百七十センチの景はかなりの高身長だ。これからもっと大きくなって今では同じ背丈もあっという間に越されてしまうだろう。その上アイドルのような甘いマスクがあればモテるのも頷ける。平凡顔な俺とは雲泥の差だ。
そんな景の顔を思い浮かべながら俺は自宅アパートの扉に手をかけた。
鍵がかかっていた。部屋に誰かいれば基本的に鍵は開いているんだけど……。俺は首を傾げながら鍵を取り出して扉を開ける。
とても静かで、人の気配なんて全くなかった。部屋に入っても景の姿は無かった。
「おかしいな……」
ぼそりと呟いた俺の声も静かな部屋では虚しく散っていく。俺は腕時計に目をやって、景の中学校の授業が終わっていることを再確認する。もう帰ってきてもいい時間だというのに、何をしているのだろうか。
景は特定の友人がいないのか、学校が終わるとすぐに帰宅するタイプだった。部活や生徒会にも所属していなかったので、この時間になっても家にいないのは珍しい。
俺は景に何かあったんじゃないかと心配になり、急いで携帯に連絡した。数回のコール音の後、景は電話に出てくれた。
「っ!景?今どこにいるんだ?」
『……ふうにい?』
「おい……大丈夫か?なんだか、元気ないように聞こえるけど……」
『……ふうにいは、優しいね……』
「?」
景の様子がおかしい。その声音で、それだけは分かった。
『優しい……そう、優しいんだ。ふうにいは……』
「おい、景?」
『優しい優しいふうにい?俺のために、今から来てほしいところがあるんだ』
景のことが心配だった俺は、言われるがまま指定された場所へ向かった。その場所で、どんな光景を目の当たりにするのかも知らずに。
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全く知らない場所だった。タクシーに揺られる間過ぎて行った光景も、俺の知らないものばかりで、今まで全く関わってこなかった場所に向かっていることが分かる程に。
着いたのは、お世辞にも綺麗とは言えない古びたアパートだった。景に言われた通りの住所をタクシー運転手に伝えたが、それでもここに景がいるとは信じられないほどに。
エレベーターも当然ないので、俺は指定された部屋まで階段で上がる。一段一段上がる間も、俺の胸は不気味にざわつき、生きている心地がしない。
どうしてここまで不安になるのか、こんなにも居心地が悪いのか。自分でも分からないまま俺は、ボーっとした視界で歩き続けた。
とうとう部屋の前まで着いてしまった。何故だが、全身に鳥肌が立って、逃げた方がいいのではないかという考えが頭を過ぎった。でもすぐに景の姿が浮かんで、俺はぶんぶんと頭を振った。余計なことは考えるな。景のためにここまで来たんだから。
意を決した俺は、そっとその部屋の扉を開けた。
「……」
目を見開いて、そのまま動けなくなってしまった。
驚きのあまり、声を出すことも、身動きすることも、瞬きもままならない。頭も上手く回っていない。
本当によく分からなかった。目の前の光景が一体何なのか。どういう状況なのか。目の前にあるものが何なのかも分からないほどに。
俺の目に映ったものを簡潔に説明するのであれば、それは景だった。
景は笑っていた。でも楽しそうでは無かった。不安そうな、せいせいしたような、困ったような、そんな笑顔だった。キリッとした黒目がじっと俺のことを見つめていた。
景の笑顔が張り付いた顔には、赤い液体が所々ついていて、その液体は景の服や手にもべっとりと付いていた。視線を下ろすと、その液体は床にも流れていた。
床よりもほんの少し視線を上げると、知らない人がいた。
景は最初から座っていた。その知らない人を椅子にして。
液体は、その知らない人から流れていて、景の身体についているのも全部同じものだと分かった。
何となく、分かった。何となく分かったけど、分からない。そんな不思議な感覚だった。だけど時間が経てば経つほど、分からない部分が薄れていって、理解してしまう。
知らない人が、血を流して倒れている。多分、死んでいるのだろう。その知らない人――死体を物のように扱っている景が、恐らくその人を殺したんだろう。よく見れば、手には使った後の包丁が握られていた。
俺は腰が抜けてしまって、膝から崩れ落ちた。そして、理解が追い付いてくるにつれ、涙が流れてきた。
「あれ?意外と取り乱さないね。最悪吐くと思ってたんだけど」
「……景……この人は、誰だ?」
「さぁ?誰だと思う?」
淡々とした、怖い声だと思った。いつまでも笑顔を絶やさない景が、初めて怖いと思った。そして同時に、この状況をどこか楽しんでいるような景に、怒りが湧いた。
「分からないから聞いているんだ、景。そうやってはぐらかすのはやめなさい」
「……俺、ふうにいのそういうところ、大好きだよ」
「……」
普段なら、泣くほど嬉しいその言葉も、この状況では素直に受け取ることが出来ない。俺は小さな頃から景の父親代わりをしてきたので、時々こういう口調になってしまう。
「コイツはね……俺の父親」
「…………っ!……まさか……」
その一言は、この状況を全て理解することの出来る、魔法の言葉だった。それだけで、質問以上の答えが俺の頭に降って注がれたのだ。
「流石に分かった?俺が何で、コイツを殺したのか」
分かる。痛いほどに。
目の前で息絶えている人が景の父親と知った途端に、俺も同情や哀れみといった感情は消え失せたから。
景の父親ということはこの人こそが、母さんをレイプして傷つけた張本人であり、俺たちが父からの暴力に耐えながら必死に生きなければならなくなった元凶なのだ。
「ねぇ。何でコイツが警察に捕まらなかったか、知ってる?」
「それは……事件が起きてから、時間が経ってたから……」
「違うよ。コイツ、なんか偉い人の息子だったらしくて、揉み消されたんだよ。まぁ事件当時は大学生で、まだ親に庇ってもらえたみたいだけど、この歳にもなって無職だから、見放されてこんなボロアパートに住んでたみたい」
景から知らされた真実に、俺は思わず目を見開いた。母さんを傷つけて、父さんをおかしくした元凶が、そんな下らない理由で罰を受けずに今までのうのうと生きていたのかと思うと、怒りが沸いて止まらない。
この男も、この男の親も、事実を無かったことにした警察も。絶対に許せない。俺がそう思ったように、景もそう思ったのだろうか?いや、俺以上に憤っていたのかもしれない。
「コイツさえいなければ、ふうにいがアイツから俺を守って傷つくことは無かった。コイツさえいなければ、俺は産まれることなく、苦しみを知ることも無かった。だから、ずっと殺そうって思ってたんだ。小さい頃から」
「……」
俺は、景が小さな頃からそんな思いを抱えていたことに気づけなかった自分に嫌気が差した。父親代わりだなんて思っておきながら、本当の意味で景のことを理解できてなんていなかったんだ。
「思い立ったらすぐに殺せるように、犯人は知っておきたいと思って。当時捜査していた刑事を脅して、犯人が既に特定されていたことを知ったんだ。それでコイツがここに住んでいることも調べて……でもね。いつ殺すかは決めてなかったんだ」
「え?」
俺の知らないところで、景がそんなことをしているなんて想像もしていなかった。気づいてやれなかった自分が許せない。
そんな自己嫌悪を余所に、俺は景の発言に首を傾げた。いつ殺すのかを決めかねていたということは、今日景がコイツを殺そうとしたことには、何か決定的な理由があったからじゃないのか。俺はそう思った。
「でもさ……最近のふうにい見てたら、不安になって来たんだ……」
「不安って……なにっ……」
景の抱えていた不安が一体何なのか聞こうとした途端、景は俺の腕を掴んで部屋に連れ込んだ。俺はそのまま室内の壁に追いやられ、痛いぐらいに両腕を掴まれてしまう。
「ふうにいは優しいのに……優しかったはずなのに……俺から逃げようとしたでしょ?」
「……え?」
景が何を言っているのかが分からない。俺が景から逃げる?そんなわけがない。だけど俺を見つめる景の瞳はとても冷たくて、俺に対する不信感が窺えられた。
「最近。バイト頑張ってたよね。アイツに隠れながらお金貯めてたの、知ってたよ」
「あ、あぁ……それは」
「ふうにい。俺をあの家において、一人で幸せになろうとしてたの?」
「……は?」
景は、何を言ってるんだ?もしかして、俺が景を置いて一人暮らししようとしてるって、勘違いしたのか?
「ふうにいがいない世界なんて、俺にとって何の意味もない……だから、コイツを殺して、俺もさっさと死のうと思ったんだ」
「っ…………馬鹿野郎!!勝手に勘違いして、勝手に一人で死のうとしてんじゃねぇよ!!」
「……ふう、にい?」
許せない。イライラが腹の底から込み上げてくる。身体が熱い。勝手に一人で自己完結した景が許せない。景にそんな不安を抱かせてしまった、自分が許せない。
俺が大声を出したことに驚いたのか、景は俺の腕の拘束を緩めた。俺はその隙に景の腕を振り払い、力強く景を抱きしめた。
景のポカンとした声が、妙に耳に響いた。
「俺が必死に金貯めてたのは、お前と一緒に暮らすためなんだよ!」
「え……?」
「早くお前を……あの家から逃がしてやりたかった……」
「ふうにい……」
俺に抱きしめられた景は固まってしまったようで、ただ俺の名前を呟くだけだった。
「……俺……馬鹿だなぁ……ふうにいと、もう少しで幸せに暮らせたかもしれないのに……こんなことして。その幸せを、棒に振って……」
「……景。一つ、聞きたいことがある」
「なに?」
自嘲するように零した景に、俺はどうしても確認したいことがあった。それは今後の俺たちの人生を左右すると言っても過言ではないほど、重要なこと。
「コイツを殺したこと、後悔してるか?……これから、後悔することがあると思うか?」
「それは絶対に無い」
即答、か。まぁ、俺だってこの男のことは恨んでいる。景ほどの執念は無かったにしても、俺もコイツを殺してしまうなんて未来があったかもしれない。だから景の気持ちを理解できないわけでは無い。
「……分かった。じゃあ景、逃げよう」
「……え?」
抱きしめていた腕を緩めて、景の顔をじっと見て、俺はそう提案した。俺の提案が予想外だったのか、景は茫然自失としていた。景がこの罪を後悔しないって言うのなら、俺だってこれから犯す罪を後悔しない。
「だってお前、後悔してないんだろ?警察は犯罪者を牢屋に入れて反省させるためにいる。だけど景は捕まったって反省しない。後悔してないから。ならご親切に捕まってやる必要ないだろ?意味無いんだし。それに、お前がこんな風に手を真っ赤にしてるのは、元を正せば全部コイツのせいで、コイツの自業自得だ。それなのにお前一人が悪者になるなんて、俺には耐えられない。だから、一緒に逃げよう。一緒に暮らして、幸せになろう?心配するな……地獄に落ちる時は、一緒だから」
「っ……ふうにい……」
話しながら、詭弁だと思った。本当に景のことを思うのなら、警察に連れて行く方がいいのだろう。だけど俺は、景が俺の元に戻ってくれるまでの長い時間を、一人で生きていく自信が無かった。俺にとっての生きる意味が景だったから、景のいない世界で、景を待ち続ける自信が無かった。
だから景が、俺と一緒に暮らす理由を必死に作っただけなのかもしれない。
この日。俺は、死んだ後に向かうのは天国ではなく、地獄であることを確信した。
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