君に届ける音の名は

乱 江梨

文字の大きさ
上 下
1 / 13

僕の世界の真っ白な音

しおりを挟む
 僕は人の声が好きだ。人の声という音の種類にすぎないそれは、人によって高低、イントネーション、話し方、速さ、その時の感情などといった様々な要因から違って聞こえてくるから、聞いていて飽きない。

 それに、僕の世界の人の声というものには、嘘偽りがない。純粋無垢な真っ白なそれを聞いて嫌になる人なんているのだろうか?なんて僕は思う。
 そして人の声という存在は、僕の世界に存在する唯一の音でもある。そんな人の声を大事にするのはそんなにおかしいことではないだろう。


 でも僕はそんな人の声を、自分の耳で聞くことが出来ない。








「(へぇ、口の動きで何話してるか大体分かるのか……すごいな)」

 「そんなことないです」と言いたいところだけど、本気でそう思ってるみたいだからやめておこう。

 桜が散り始め、葉桜も見納めになってしまうような時期。いろんな書類のインクの匂いと、若干の煙草の臭いがする。恐らく喫煙者がいるんだろう。ここは喫煙を禁止されているから本当に僅かな臭いしかしないけれど、聴覚以外の感覚が優れている僕は敏感に反応してしまう。

 僕は今、今日から通う高校の職員室にいる。そして目の前には担任の先生。三十代後半ぐらいのどこにでもいる普通の男性教師だ。因みに僕が拒否反応を示す臭いを発していたのはこの人ではない。

 僕は前いた学校でいじめに遭ってしまい、それを知った両親が気を遣って僕をこの高校に転入させたのだ。別に僕は前の学校のままでも良かったんだけど、過保護な家の両親がそれを許すはずもなく、僕は今新しい学校に目を回しながらも、先生に挨拶を済ませようとしているのだ。

「授業中、分からないことがあったら遠慮なく手を挙げろよ」
(それにしても聴覚障害者かぁ……面倒だなぁ、いじめになんて遭われたら俺にまで迷惑がかかるからなぁ)

 先生……割といい人だな。動機は何であれ僕がいじめにあうことを望んでいない。前の学校の担任は面白がって生徒のいじめに加担するような人だったからなぁ……。この人は波風立たせたくない人みたいだからその心配はないかな。

〝はい。ありがとうございます〟

 僕は授業中のことを配慮してくれた先生に書面でお礼を述べた。喋れない訳じゃないけど、僕は下手糞なので普段はあまり声を出さない。大抵笑われるか、気の毒に思われるかのどっちかなので、わざわざ不利益しか生まない行為はしないんだ。

「じゃあそろそろ教室行くか。生徒に説明したら扉を開けるから自己紹介よろしくな」

 僕は先生の言葉に頷くことで返事をした。肯定と否定は首の動きだけで済んでしまうので、このシステムを生み出した人は天才なんじゃないかと僕は密かに思っている。

 それにしても自己紹介って毎回黒板に書くだけだから何とも思えないんだよなぁ……。もちろん苦手な喋りでなら話は別だけど。普通に話すことが出来る人たちは緊張したりするんだよなぁ……どんな感覚なんだろう?

 そんなことを考えながら歩を進めているといつの間にか教室に辿り着いていたようで、僕は扉の前で先生が呼びに来るのを待っていた。
 僕はその間、長年の蓄積された黒ずみがこびり付いた床をじっと見つめて、この学校の歴史を感じていた。
 すると突然扉が開き、僕はビクッと反応してしまう。先生の足音や教室内の反応を聞くことが出来ないから毎回こんな感じなんだ。

 僕は教室の中に入ると居心地の悪い好奇の視線に晒されながら、黒板に自己紹介文を綴った。書き終えると僕は指先についたチョークの粉を掃って振り返る。

〝初めまして。僕の名前は君原弓弦きみはらゆづるです。耳が聞こえませんが、今日からクラスメイトとして仲良くしてください。できるだけゆっくり話してもらえば、口の動きで何を言っているのか理解できるのでよろしくお願いします。僕は話すことが苦手なので筆談で会話をさせてもらいます。いろいろと迷惑をかけることがあると思いますがよろしくお願いします〟

 僕は皆が読み終わったのを確認するとゆっくりとお辞儀をした。筆談と言っても普段はスマホに文字打ち込むのがほとんどなんだけどね。いやぁ、聴覚障害者にとってフリック入力って便利機能の象徴だと僕は思う。
 
(耳が聞こえない人初めて見たな)
(顔は……可愛いかも)
(めんどくさ……)
(いろいろ手伝ってあげないと)

 皆おしゃべりだなぁ。まぁ実際に話してるわけじゃないんだろうけど。僕は思わず笑みを零す。

 もう分かっていると思うが、僕には人の心の声が聞こえる。とても信じられない話だと思うけど、実際に聞こえているものはしょうがない。

 この心の声は耳の聞こえない僕のために神様がくれた贈り物だと僕は思っている。まともな音を本来知らないまま生きるはずだった僕にとっては、例えそれが心の声であっても十分すぎる音だった。

 心の中で何を思っていてもその人の自由。僕は心の中で酷いことを考えていてもその人を悪い人だとは思わない。それを実行さえしていなければ。本来聞こえない声が聞こえてしまう僕が悪いんだからそんなのは当たり前だ。
 それに心で何を思っていようが、表ではそれを一切見せずに、死ぬまで善人としてふるまっているのなら、それは最早本当の善人なんじゃないかと僕は思う。心で何を思っていても相手を傷つけることは無いんだから。

 それに僕は生まれた時から心の声が聞こえるので、こういうものだと割り切って聞くことが出来る。もし僕がある日突然心の声を聞くことが出来たのなら、上辺との違いに絶望したかもしれないけど、そういうわけではないから今更どうも思わないんだ。

「じゃあ君原の席はあそこな」

 先生が指差したのは一番後ろの窓側の席だった。僕は耳が聞こえない代わりに目がすこぶる良いので後ろの席で全く問題はない。寧ろ窓から見える大きな桜の木がとても涼やかで、学校のいる時の僕の癒しになってくれるかもしれないと、僕は期待に胸を膨らませた。

(えぇ……先生マジKY)
(かわいそう……)
(転入早々アイツの隣とか地獄じゃん)

 ん?なんだろう?みんなが何故か僕のことを憐れんでいる。そんなにひどい席には見えないけど……。アイツの隣って言ってたけど、その人の影響なのか?

 僕の席の隣には無愛想な男子生徒がいて、その人が僕が哀れに思われている原因らしい。
 その人はかなりの高身長でモデルのような体型の人だった。髪は金髪、耳にはたくさんのピアスが開いていて鋭い目つきが僕はカッコいいと思った。

 でもこれで謎が解けた。多分この人は周りからヤンキーだと思われているんだろう。だからみんな明らかにいじめられそうな僕が、そんな人の隣でこれからの学校生活を過ごすことを危惧したのだろう。本当にこの人が不良かどうかは分からないけど、みんなの心の声の理由は分かった。

(ねみぃ……)

 そんなに悪い人には見えないけどな。そもそもこの人、僕が隣にいること気づいていないんじゃないか?さっきから眠そうにしかしてないし。

 あ、こっち向いた。

「…………」
「……だれ?」

 僕がガン見していたせいで僕と隣の人はがっつり目があってしまった。この様子だと僕の自己紹介文読んでないな。口の動きから僕のこと聞いてるっぽいし。それにしてもすごいイケメンさんだなこの人。

 僕は自分の説明が書かれた黒板を指さして説明する。黒板に書かれた自己紹介文を読んだ隣の人はすぐに興味を失くしたのか、机に突っ伏して居眠りを始めてしまった。

 すごくマイペースな人だなぁ……でもやっぱり悪い人には見えない。まぁ仕方ないのかもな。聴覚障害が無かったとしても、人にとって視覚情報や第一印象って結構重要だからな。この人がどんなにいい人でも見た目がこんな不良みたいじゃあ、正当な評価を得られないのも当然なのかも。残念だけど。

「じゃあ授業始めるぞー」

 どうやら一時間目は担任の先生の授業のようで、僕は必死に先生の口や黒板に記される情報を目で追った。
 あまりに授業に集中するあまり、僕に陰ながら視線を送ってくる存在に僕は全く気づいていなかった。

********

 こ、困った。この先生、黒板の方向きながら話すタイプの人だ。

 今は三時間目、数学の授業だ。今回の先生は黒板に公式やらを書きながら生徒に説明するタイプの人だったので、口の動きを読むことが出来ない。
 耳が聞こえない生徒が転入したことは知っているんだろうけど、そこまで気が回る人じゃないようだ。

 こういう授業の差で僕の得意教科と苦手教科は決まるといっても過言ではない。この前までは数学は得意教科だったんだけどなぁ……これは逆転するかもなぁ。

(何でアイツ今日は起きてるんだろう?)

 普段授業中などは雑音として聞き流す他人の心の声がその時だけは何故か気になった。男子生徒の声だったけど、それが誰のかなんて僕には分からない。
 でもアイツなる人物が隣の人であることは流石に理解できた。

 確かにあんなに眠そうにしていたのにいつの間にか起きてるな。心の声の口ぶりから察するに、この人普段は授業中も寝ているみたいだけど、どうしたんだろうか?

 なんて考えていたらどうやら授業終了のチャイムが鳴ったようで、先生は教室から出ていった。
 僕が視線を先生の背中から、寂しいぐらい余白部分の多いノートに移してため息をつくと、目の前に誰かの気配を感じた。

「「…………」」

 そこにいたのは隣の人で、手にはノートを持っていた。僕が思わず首を傾げると、隣の人はそのノートを僕の机に置いて「やる」とぶっきらぼうに口を動かした。

(やっぱり、あの数学教師の言っている内容、ほとんど分かってなかったな)

 僕は自分の席に戻った彼の心の声を聞いてすべて理解した。どうして眠いのを我慢してまで授業を受けていたのか。この目の前にあるノートは何なのか。

 ノートを開くと、そこには恐らく先刻先生が話していたであろう授業の内容が事細かに書かれていて、僕の推測は確信に変わった。

 隣の人は、耳が聞こえない僕のために眠い目を擦ってまで授業を聞いてくれたんだと。

「あ……」

 僕は思わず自分が話すのが苦手なのも忘れてお礼を言おうとした。でもすぐに我に返り、僕は急いで自分のノートにお礼の言葉を書き綴った。

〝ありがとうございます。あなたのお名前を教えてください。僕は君原弓弦です。〟

 隣の人の肩を指で突いてノートを見せると、彼はぶっきらぼうにそのノートを受け取って何かを書き込んでいた。

音尾左白おとおさしら

 音尾左白おとおさしら……くん。変わったお名前だな。でもやっぱりいい人だ。初対面の僕のためにわざわざ眠い目を擦ってノートをとってくれるなんて……。僕はとても嬉しくなって思わず緩んだ表情を左白くんに向けた。

(変な奴だな……なよく見えるくせに、俺のことが怖くないのか?)

 やっぱりみんなに怖がられているのか?こんなにいい人なのに……。口ぶりからして自分の見た目気にしてるみたいだなぁ。よし、せめて僕だけは左白くんの良さを分かってるってことを知らせてあげたい!

 僕は左白くんに満面の笑みを向けて敵意が無いことを示した。だけど左白くんは素っ気無くそっぽを向いてしまって、僕は彼がくれたノートに目を移した。

 …………いい人だけど、字はあんまり上手じゃないな。所々読めない。気持ちは嬉しいし、ありがたく活用させてもらいたいけど、少し残念だな。全部ちゃんと読みたいのに。

(アイツ、字上手かったな)
「ぶっ……ひ……」
(なんだ?)

 あ、危ない。聞こえなかったけどなんか変な声出しちゃった気がする。僕は予想通り左白くんが字のことをコンプレックスに思っているというのを知ったことで、思わず吹き出しそうになってしまった。だってタイムリー過ぎるんだもん。

 吹き出しそうなのを必死に我慢したら余計に悪化した気がする……。左白くんにも変に思われたし。これだから声出すの嫌なんだよなぁ。

 因みに左白くんが僕の字を綺麗だと思ったのは僕がよく文字を書くからだ。僕は小さい頃は筆談のためによく文字を書いていたから、自然と字が綺麗になったんだ。

(あー、アイツが喋ったのか。このクラスにあんな綺麗な声の奴いねぇから誰かと思った)

 え…………どういうことだろう?声が綺麗なんて初めて言われた。やっぱり左白くんは変わってる。僕の声なんて今まで変としか言われてこなかったし。まぁ僕が話すのが下手なのが悪いんだから当然なんだけど。
 それでも左白くんは本気でそう思っているらしい。心の声がそう言っているんだから。

 僕は何だか気恥ずかしくなってしまい、窓から見える葉桜の揺れる様子を必死で目で追って、ふわふわとした居心地の悪さを誤魔化した。

  ********

 いくら左白くんが変わっていたとしても、褒められて悪い気なんてするわけもなく。僕は上機嫌で帰路に就いた。

 転入してきた僕だけど、家ごと引っ越したわけではなく、帰る家は今までと全く同じだ。
 昨日雨が降っていたせいで出来た、桜の花びら入りの水たまりを避けながら、僕は自分の家の敷地に足を踏み入れた。

〝おかえりなさい。学校はどうだった?いじめられたりしなかった?〟

 扉が開く音で僕の帰宅を感じ取ったお母さんは手話でそう問いかけた。お母さんは忙しなく掃除をしている途中で、少し疲れているようにも思えた。

 お母さんは以前僕がいじめに遭ったことを気にしているみたいだった。あのいじめのせいで転校する羽目になったんだから当然だけど。お母さんがいじめに対して過剰に反応しているのは心の声を聞いても分かった。

(まったく、ただでさえこの子が聴覚障害者のせいで今まで散々苦労してきたのに、これ以上面倒かけないで欲しいわ)

 お母さんは僕が心の声が聞こえることを知らない。というか、僕のこの力を知っている人は一人もいない。言ったところで信じてもらえるわけないし、言って変な目で見られることが僕はすごく怖かった。
だからお母さんから聞こえてくる声は常に本音だ。僕に気なんて遣ってない、正直な心根。僕はそっちの方が嬉しいから何の問題もなかった。

〝ただいま。楽しかったよ……掃除、手伝おうか?〟

 僕が手話でお母さんに返事をすると、お母さんは疲れた顔に笑みを浮かべた。心の声からも休めることが嬉しいという感情を読み取れたので、僕は喜んでお母さんから掃除機を受け取った。
 お母さんはソファに腰かけてコーヒーを飲み始めていて、僕はそんなお母さんをチラ見しながら床の汚れをどんどん吸収していった。恐らく家中には掃除機の爆音が響いているのだろう。それでも僕にはその音が聞こえない。まぁ、あまり聞いていて心地よい音ではないようだし構わないんだけど。たまに電源が入ってないのに気づかないでただ掃除機をすべらせることがあるんだよなぁ。傍から見ればさぞかし滑稽なんだろう。

 余計なことを考えつつ、僕は埃っぽくなっている家中の掃除を再開した。

  ********

 今日はいつもよりいい睡眠が出来たせいか、僕は清々しい思いで早めに登校した。いつもの朝とは違って少し涼しい綺麗な空気は、それだけで今日一日の報酬にしていいぐらい素晴らしいものだ。
だんだんと空のてっぺんに向かって登ってきた太陽が地面を温め始めた頃、僕は予定より早めに学校に着いた。

僕は足に若干の疲れが出てくる三階までの階段を登りきると、教室に足を踏み入れた。僕が扉を開けると、反対方向の扉から男子生徒が一人出ていくのがちらっと見えた。
顔までは見えなかったけど、おそらくクラスメイトだろう。早くクラスメイトの顔と名前を覚えたいけど、まだ二日目だしそこまで焦ることもないだろう。

教室に入ると、教室の後ろにある棚に何人かの鞄が置いてあったので、僕より先に登校した人がいるようだった。
ただ今はどこかに行っているようで、教室の中には僕一人しかいなかった。広い教室の中に自分ただ一人というのは、なんだか落ち着かない雰囲気で、僕はそのそわそわした気持ちを短編小説を読むことで紛らわせた。

その小説は大事な恋人を失くしてしまった主人公が、新たに愛し合える相手を見つけるまでの物語で、僕は初めて読んだとき不覚にも泣いてしまったのだ。
だけどかなり気に入ったこの小説を僕は何度も読み返したので、今となっては泣いたりしないが、それでも胸に灯るこの暖かい感情は何度読んでも消えたりしない。


しばらく小説に夢中になっていると既にたくさんのクラスメイトが教室に集まっていて、そろそろ朝礼が始まるのかな?と僕が時計を見ようとすると、ある女子生徒の心の声が耳に響いた。

(ない!ない……どうしてないの?)

 声だけではどれがその女子生徒か分からなかったが、明らかに何かが見つからなくて焦っている人の声だったので、僕は注意深く周りを観察した。
 すると真ん中の列の前側の席に座っている女子生徒が、学生鞄を探りながら顔面蒼白になっていた。

 彼女の隣の席にいた友人らしい女子生徒も彼女の様子に気が付いたのか、何やら事情を聞いているようだった。

「ねぇ!この子の財布が無くなってるらしいんだけど、誰か知らない?」

 心の声の主が探していたのは財布だったらしい。それならあれだけ慌てていたのも頷ける。財布に入っていたお金も心配だろうけど、財布には何かしらのカードとかも入っているだろうし、むしろそっちの方が重要だったりするからな、財布は。

 彼女の友人らしい隣の席の女子生徒は大きく口を開いて皆に尋ねているので、相当大きな声で話しているのだろう。

 でも彼女の財布の在処に心当たりのある人はいなかったようで、彼女は益々その相好を真っ青にした。

(どうしよう……今日、弟の誕生日プレゼント買おうとして結構お金入れてたのに……それに財布にはお母さんの写真が……)

 お母さん……そうか、亡くなっているのか。それは見つけてあげないとあまりにも不憫だ。

 考えられる可能性は二つ。彼女がどこかで財布を落としたか、誰かが盗んだか。落とした場合なら地道に探すしかないけど、盗まれたなら心の声を頼りに見つけることが出来るかもしれない。

「わ、私……教室を出る前自分の財布がちゃんと鞄に入っているか確認したの!そのまま鞄にしまって教室を出たから、落としたわけでは絶対にないの!」

 彼女の主張に教室全体がざわつき始めたような空気を僕は感じた。皆が小さく口を動かしているし、心の声もいつもよりうるさくなったからだ。
 彼女の話が本当なら、誰かが彼女のカバンから財布を盗んだということになるので、皆のその反応も当然だった。

 僕は一刻も早く犯人を見つけて彼女の元に大事な財布を届けてあげようと、必死に皆の心の声を聞いた。その中に犯人の声がまぎれていないか探すために。

(バレないよな……俺がやったって)

 僕は目を見開くと声のした方を向いた。声は男のもので酷く焦っているような様子だった。この心の声の主が犯人に違いないと、僕は声のした方へ歩み寄ろうとした。すると――。

「あった!えり、あったわよ!」

 その時僕は、漸く財布を盗まれた彼女の名前を知った。えりさんの隣の席にいた女子生徒が彼女の名前を呼ぶと、クラスメイトが一斉に声のする方を振り向いた。
 だけどその方角は僕が向かおうとしていた犯人の方向とは真逆で、僕は思わず首を傾げる。

 皆の視線が集まっていたのは僕の席――の、隣の左白くんの席だった。左白くんの席の前に立っているえりさんの友達は手に財布を持っていて、左白くんの机の引き出しから取り出したようだった。

 どうして左白くんの机から財布が出てくるんだ?まさか、本当の犯人が左白くんに罪を着せようとしてわざと入れたのか!?

 左白くんの机からえりさんの財布が出てきたことで、皆が戸惑いと納得したような表情を見せる中、登校してきた左白くんが教室に入ってきた。
 皆の視線が左白くんに向いているが、左白くんは今の状況を何も知らないから思わず首を傾げた。

「ちょっと!音尾くん!えりの財布盗ったでしょ!」
「だれそれ?」

 えりさんの友達はキリっとした目つきで左白くんを睨むと、手に持った財布を突き出して問い詰めた。そんな彼女の気迫に押されることなく、左白くんは呑気にそんな今更過ぎる質問で返した。
 左白くん、あの子の名前知らなかったんだ。クラスメイトになってからそんなに経っていないんだろうけど。

(財布?何のことだ?)

 左白くんのマイペースさに気を取られていたけど、やっぱり財布は左白くんが盗んだじゃないんだ。わざわざ心の中でそんな嘘をつく必要ないもんね。でもえりさんの友達にそれを知る術なんて当然ないので、左白くんの態度が癪にさわったのか彼女は顔を真っ赤にした。

「この子の財布よ!あなたの机から出てきたんだから!…………ってちょっと!中身が抜けてるじゃない!?どこにやったのよ!?」
(マジで何言ってんだこいつ?)

 苛立った様子で女子生徒が左白くんに説明しつつ財布を開けると、そこにお金は入っていなかった。多分真犯人がお金だけ抜き取って、左白くんに罪だけ被ってもらおうとしたんだろう。全くせこい犯人だ。

(あれ……お母さんの写真がない。どうして?)

 お友達が怒り心頭な一方、えりさんはお母さんの写真が財布の中にないことで酷く慌てていた。どうしてお金だけじゃなくて写真も盗ったんだろう?

(よし……これで俺はもう疑われないよな)

 ,あ!ボケーっとしてる暇ないんだった!早く真犯人を見つけないと。
 僕は感じ取れる犯人の心の声のする方へどんどん歩を進めていった。徐々に大きくなってくる心の声を察知すると、僕はどこか見覚えのある男子生徒を見つけた。

 その生徒は僕が朝教室に入った時、同時に反対側の扉から教室を出た男子だった。そしてその男子生徒から同じ心の声が聞こえてきた瞬間、僕は確信した。

 この人がえりさんの財布を盗んで、お金を抜き取った犯人だ。でもどうやってみんなに知らせよう?……そうだ。この人が隠しているお金を見つけられれば……。

 僕は彼がどこにお金を隠し持っているのか探るために、犯人の様子を注意深く観察した。すると、彼が何故か汗ばんだ手で右ポケットをずっと握りしめていることに僕は気づい
た。
 もしかしてっ――。

「なっ!何するんだよ!」

 僕は思い切って彼の右ポケットに手を突っ込んだ。男子生徒は抵抗したけど、僕は貧弱な腕に残っている力を全て使い切る思いでポケットの中身を外に出した。

「「あっ!」」

 男子生徒が抵抗する際に大声を出したおかげで、クラス中が僕たちの方に注目している。彼のポケットから三〇〇〇〇円分のお札が出てきたことで、生徒の何人かが声を上げた。
 一方、男子生徒の方は見るからに顔を青ざめていて、心の中で必死に言い訳を考えている声が僕にはうるさく思えた。

「ち、ちがっ……これは俺のでっ」
「じゃあ何でそんな大金ポッケにツッコんでんのよ。落としたら大変じゃない」

 確かに紙幣の違いなんてそうそう見つけることができないから、自分のだといった彼の言い訳は悪くない。でも僕の近くにいた女子生徒の追及に男子生徒はますます顔色を悪くした。実際、三〇〇〇〇円もの大金は普通財布に入れておくので、その女子の意見は尤もなものだった。

「そんなの俺の勝手だろう!」
「あっ……」

 男子生徒がなおも言い訳を続けると、えりさんが紙幣の間から零れ落ちたものを見て口を開けた。

 ひらひらと落ちたそれが床に着地すると、皆がその正体を確認した。それは一枚の写真で、美人な中年女性が映っていた。その女性はどことなくえりさんに似ていて、僕はこれがえりさんの探していた写真だということにすぐ気づいた。

 たぶんお札とお札の間に挟まったまま、男子生徒は写真に気づかずに持って行ってしまったのだろう。

「それっ……私のっ」
「ちょっと!何でアンタがその写真持ってるのよ!アンタがお金盗ったのね!」

 えりさんの友達は問い詰める対象を左白くんから真犯人の方に即座に変えた。あまりにもな変わり身の早さに僕は少し当惑したけど、左白くんが疑われなくなったから僕はそれで大満足だった。

 一方、もう言い逃れができなくなった男子生徒は真っ青な顔で俯いてしまって、そんな彼に苛ついた様子を見せたえりさんの友達は彼の手からお金を取り返した。
 被害者であるえりさんはお金よりも床に落ちた写真の方が気になっていたので、しゃがみ込むと心底ほっとした表情でお母さんの写真を拾い上げた。

 何だか教室が変な空気に包まれていると、騒ぎを聞きつけた担任の先生がようやく現れた。先生は生徒から事情を聞くと心の中で心底面倒くさそうにしていたけど、仕事なのでそれをぐっと堪えて男子生徒を職員室に連れて行った。
 あの先生、面倒臭がっても何だかんだで優しいから僕結構好きだな。登場が遅い気もするけど……。

(あー、そういうことか)

 ようやく話の流れを理解したらしい左白くんは、心の中で納得したような声を上げた。一人取り残されている感じの左白くんを余所に、教室は一件落着モードになっていて、何だか僕はもやもやした気持ちを抱えてしまった。

「えり、お金とお母さんの写真返ってきて良かったね!……どうしたの?」
「えっ……いや、その……」

 財布は返り、犯人も明らかになったというのに、どこか浮かない表情を浮かべるえりさんを心配した彼女の友達はそう尋ねた。
 えりさんの友達にも分からない彼女の心情が僕には分かった。多分、僕が他人の心が読めなかったとしても今回ばかりは察するだろう。

 僕も今、えりさんと同じ理由でやり場のないもやもやを抱えているから。

〝どうして左白くんに謝らないんですか?〟

唐突に文字によって投げかけられた疑問に、えりさんの友達は戸惑った。それでも僕は、この気持ちを伝えずにはいられなかった。我慢できなかったのだ。
何も悪くない左白くんをあんなに責めたというのに、えりさんの友達はそれを全く気に病んでいない。罪悪感を抱いていない。

それはつまり、左白くんなら傷つけても問題ないと思っているということだ。左白くんを責めることを悪いことだと思っていないのだ。

僕にはそれがとても気持ちの悪いものに思えて仕方が無かった。まるで左右別々の靴を履いているような違和感。一度気になると、もう無視することなんてできなかったのだ。

「えっ……それは……」
〝左白くんはただあの人に罪を着せられただけです。左白くんを犯人にすればみんなが簡単に騙されてくれると思ったんでしょう。一番悪いのは彼ですけど、誤解して散々左白くんを責めたのに、何事も無かったように、どうしてそんな風に笑えるんですか?〟

 えりさんの友達はぐうの音も出ないのか、歯を食いしばるばかりで一言も発しない。僕は結構酷いことを言っているのだろうか?教室の空気が悪くなっている気がする。もしかしたら明日からいじめられるかもな。
 でも、それでもいい。そういうのは慣れているから。僕が今一番味方にならなきゃいけないのは左白くんだ。僕は今左白くん以外どうでもいい。

 僕は恐る恐る左白くんの方を向いた。何故かさっきから左白くんの心の声が聞こえてこなかったからだ。

「…………」

 左白くんは明らかに呆けた表情で僕のことをガン見していたらしく、僕と左白くんはバッチリ目が合ってしまった。多分だけど、驚きすぎて心の声まで出てこないようだ。

(何でこいつ、俺のこと庇うんだ?)

 長い長い衝撃から脱することができたらしい左白くんは心の中でそんな疑問を零した。どうしてかと聞かれると、僕にもよく分からなかった。

 ただ僕は左白くんが良い人だっていうことを知っていて。でも他の皆はそれに気づいていなくて。そのせいで左白くんは一人ぼっちで。
 それ自体が許せなかったわけではない。いや、納得している訳でもないけど。

 そうじゃなくて僕はただ……みんなが気付かないのなら、僕がずっと左白くんのことに気づいてあげたいと思ったんだ。


「あ、あの……勘違いして、ごめんなさい」
(何で私が……)

「……べつにいい」

 少し不満気な表情と心根と共にえりさんの友達はおずおずと左白くんに謝罪した。左白くんの方は本当に謝られるとは思ってもいなかったのか、少し目を見開きつつ、ぶっきらぼうに返した。
 一方のえりさんの友達は怒鳴られる覚悟でいたせいで、あまりにも呆気ない終幕に呆然としてしまった。これで少しは左白くんの優しさが伝わればいいんだけど、そう簡単にはいかないよなぁ。

〝さっきはきついことを言ってごめんなさい。でも僕は友達のためにあんなに怒れるあなたのこと、素直に尊敬しますよ〟

 僕はえりさんの友達に自分の気持ちを素直に伝えた。左白くんがあられもない疑いをかけられたことで、彼女のことを責めてしまうような伝え方をしてしまったから、少し罪悪感が残っていたんだ。
 これは僕自身の罪悪感を紛らわせるための、自分本位の行動でしかないけれど、嘘偽りのない真っ白な気持ちだった。

 彼女があれだけ怒ったのが、全てえりさんのためだということを僕は誰よりも知っている。彼女の心を覗けば一目瞭然だった。ただ彼女は正義感が強くて、曲がったことが嫌いなんだ。でも思い込みが激しいからそれで失敗することも多いのだろう。
 それでも彼女の根本は綺麗だというのは間違いなくて、僕はそれを彼女に伝えたかったんだ。

 僕の言葉を目で追ったえりさんの友達は言葉を詰まらせると、一瞬泣きそうな表情を見せた。彼女の心からは後悔と反省と、救いによる僅かな嬉々が感じ取れた。

 左白くんのことを誤解したことで、彼女なりの罪悪感を少しは抱えていたのだろう。それを赦されたような気持ちになり、感情を抑えることが困難になったのだろう。
 やっぱり悪いことをしてしまったかもしれない。

「みうちゃん、いつも私のためにありがとう」
「っ……」

 えりさんの口の動きを見たことで、僕はようやく彼女の名前を知った。えりさんとみうさん。いい友人関係だなぁ。
 とうとう瞼の中にしまいきれなくなった涙を零したみうさんと、彼女の背を撫でるえりさんを間近で眺めて僕はそう思った。ああいうのを親友って言うんだろうか?僕にはそんな友達出来たことが無いから、よく分からないけれど。

 それでもきっとそうなのだろうと、根拠のない確信が僕の中を占拠していた。

  ********

 な、何だろう。何だか物凄く視線を感じる。

 今は四時間目。日本史の授業中だ。僕のクラスの担任は日本史の先生なので、教卓に立って歴史人物の名前を口にしているのは担任だ。もし今の授業が五時間目だったら居眠りをする人も多かったんだろうけど、幸い昼食前に授業を聞けない程の睡魔に襲われている生徒はいないようで、皆真面目に先生の声に耳を傾けている。

 そんな中、多分先生の話など車が走り去る際の雑音のように、右から左に流している生徒が一人いる。

 左白くんだ。

 僕の隣に座っている左白くんは、一時間目から何故かずっと左にいる僕の方をガン見している。まるでそうすることが正解で、授業を聞いている僕たちの方が間違っているのだと勘違いしそうなほど、左白くんは何故か堂々としていた。
 頬杖をついて僕に視線を送り続けている左白くんは常に無心で、よく何も考えずに観察し続けることができるなと、僕は感心さえしてしまった。

 あまりにも居心地の悪い状況での授業の終幕を知らせる音が鳴ったらしく、先生が日直に号令をかけるように言った。
 日直の人の口の動きをよく見て、皆と同じタイミングで立ち上がる。慣れた行為だ。でも左白くんは聞こえているにも拘らずガン無視で、立ち上がった僕に合わせて視線を上に上げただけだった。
 僕が席につくとまた左白くんの視線が元の位置に戻る。まるでコントだな……。

「なぁ、飯一緒に食おうぜ」
「…………」

 左白くんが僕の制服の袖口を引っ張ってきたので、僕ははっきりと彼の口の動きを確認することができた。

 〝め・し・いっ・しょ・に・く・お・う・ぜ〟

 え、なんで?

 もし僕が話すのが苦手じゃなかったら、きっと何も考えずにそう呟いてしまっていただろう。
 それぐらい唐突だった。だがそう感じたのは僕だけじゃなかったようで、左白くんの声を拾ったクラスメイト達も目をひん剥いていた。きっと左白くんが誰かを誘うことが物珍しいんだろう。

 僕は少し、いやかなり困惑したけど、断る理由もなかったので左白くんの申し出を受け入れた。僕が頷いたのを確認した左白くんは、心の中で「よし」と呟くと、突然僕の腕を引いて教室を後にした。

 迷いなく歩を進める左白くんの背を見つめることしかできない僕は、左白くんが目指すゴールが一体何なのか分からず目を回した。昨日転入してきたばかりの僕はまだどこに何の教室があるかも把握できていないので尚更だった。
 随分と長く、長年の汚れの蓄積で黒ずんだ階段を上ったかと思うと、左白くんは目の前の扉のドアノブを回した。

 扉が開いたことで差し込んだ光に僕は目を細めた。目を眩ませた白いそれに慣れてくると、僕はそこがどこなのかようやく知ることができた。

 屋上だ。
 体に感じる風が涼やかで僕は思わず微笑んだ。屋上は一瞥するだけでは全てを見渡せないほど広くて、僕は心の底から圧倒されてしまった。
 というのも、僕は人生で学校の屋上を訪れたことが無かったんだ。特に行く理由もなかったし、好奇心旺盛な小学生の頃はそもそも立ち入りが禁止されていた。

 屋上には恐らく園芸部が育てている色鮮やかな花が小風に揺れていて、漂う香りが僕の鼻腔をくすぐった。
 僕が花に見とれていると、左白くんは既に胡坐をかいていて、僕もそれに習ってしゃがみこんだ。

「今朝はありがとな。俺のために怒った奴なんて初めてだよ」

 左白くんは律義に頭を下げて今朝のお礼をしてくれた。何だか頭の下げ方にやたらと謎の貫禄があったけど、僕は素直にその礼を受け取った。やっぱり左白くんはいい人だ。

 僕は左白くんの言葉をきっかけに、今朝自分が行ったことで少し分かったことがある。僕はみうさんに友達のために怒れる彼女を尊敬すると伝えたけど、僕自身も左白くんのために怒っていたんだ。
 今更気づかされた事実に、僕はほんの少しだけ嬉しくなって。でも少し気恥ずかしくて、しばらくの間俯いた顔を上げることができなかった。きっと今の僕の顔を見たら、左白くんに笑われてしまう。

(うわ、耳まで真っ赤)
「っ……!」

 左白くんの心の声で知りたくないことを知ってしまった僕は思わず顔を上げると、両手で耳を塞いだ。
 突然謎の行動をした僕に、左白くんは呆けた表情を向けていた。単純に驚いたのもあるだろうけど、聴覚が備わっていない僕が耳を塞ぐという異様な光景に戸惑ってしまったのだろう。

 僕は身体が火照るのを誤魔化すように、持ってきたお弁当の蓋を開けた。するとそれに続いて左白くんもコンビニで買ったようなメロンパンにかぶりつく。

 僕の弁当には卵焼きと、昨日の夕食のおかず、それにきんぴらごぼうとプチトマトが並んでいる。毎日作らなければいけない弁当なので、手の込んだものは入っていない。簡単にできて、十分美味しいおかずを毎日被らないように作るのはなかなか大変だけど、料理をするのは好きなので苦ではない。

 僕が最初に何を食べようかと箸を空中で佇ませていると、左白くんが弁当箱の中を覗いてきた。

「自分で作ったのか?」

 僕は左白くんの何気ない問いに素直に首肯した。すると左白くんは心の中で「すげぇな」と褒めてくれて、僕は折角引いた顔の熱が戻らないよう躍起になった。
 一方、左白くんはそんな僕ではなく、何故か弁当の方をガン見していて、僕は思わず首を傾げる。

 よく見てみると、左白くんは既にメロンパンを完食していてまだ満腹になっていないようだった。耳が聞こえない僕に知る術はないけれど、きっと左白くんは今お腹を鳴らしているのだろう。

〝食べる?〟
「いいのか?」

 僕がスマホに打ち込んだ問いに、左白くんは期待に満ち満ちた表情で尋ね返した。僕は思わずぷっと吹き出してしまい、緩んだ顔のまま首肯した。

(笑った顔……かわいいな)

 僕は思わず口角を上げたまま固まってしまった。僕の空耳じゃなければかわいいと言われた気がする。いや、心の声は耳で聞くものではないから空〝耳〟ではないんだけど。
 ってそうじゃなくて。
 男の僕にかわいいなんて、やっぱり左白くんは変わっているんだなぁ。僕はしみじみと再確認させられた。

 僕がお弁当箱を差し出すと、左白くんは卵焼きを選んでつまんだ。左白くんの「うまい」という心音を聞いて安心した僕は、漸く自分の昼食を始めることができた。

「なぁ、何でアイツが財布盗ったって分かったんだ?」

 ギクリ。お弁当の蓋を閉めた僕に左白くんは唐突に尋ねてきた。
 そうだ。皆が左白くんを疑っている状況で、僕は迷うことなく真犯人の元に歩んでいった。傍から見れば首を傾げざるを得ない。どこの名探偵だって話だ。

 でも心の声を辿ってなんて言えないし。言ったところで信じて貰えるわけもないし。な、何か当たり障りのない言い訳を考えないと。

〝学校に来た時、えりさんの鞄をあの人が漁ってるのを見たんだ〟
「ふーん。なるほどな」

 よ、よし。誤魔化せた。良心は痛むけど左白くんがあっさり信じてくれてよかった。左白くんは興味が無くなったように欠伸をすると、速攻で横たわって昼寝を始めてしまった。
 やっぱりマイペースだ。僕は左白くんをここに置いたままにしていいんだろうか?

 このまま屋上でのんびりするべきか、戻ってきちんと授業に戻るべきか懊悩していると、屋上に吹き抜ける風が左白くんの金髪を静かに揺らしていた。左白くんの髪がキラキラはためいているように見えた僕は、思わずその輝かしいものに触れてしまった。

(ふわふわしてる……動物みたい)

 って、何してんだろう、僕。

 髪を撫でたことで少し身をよじった左白くんのおかげで我に返った僕は、思わず直立で立ち上がると周りを頻りに見回した。誰もいないことを確認した僕は少しホッとし、そんなことで安堵した自分に若干の違和感を感じる。

 僕はその違和感を保留にすることにした。そしてそのまま腕時計に目をやって、そろそろ五時間目の授業が始まる時刻になるのを確認すると、僕は屋上を離れることにした。

 屋上の扉のドアノブに手をかけ、ふと最後に左白くんの方を振り返ると、左白くんは全く起きる気配の無いまま寝返りを打っていた。
 何だか僕は無性に笑顔が込み上げてきて、これが子供の寝顔を見る親の気持ちなのかなと、よく分からない共感を覚えたのだ。
しおりを挟む

処理中です...