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乱 江梨

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最終章 平凡的幸福論のメソッド

平凡的幸福論のメソッド6

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 呆けた相好のまま、友里は考えた。自分の知っている人間で、連続殺人を犯すような者は一体誰か。だがいくら考えても、友里の知り合いにそんな人物はいなかった。少なくとも、友里の思い着く限りでは。

 これ以上一人で考えても無意味だと気づいた友里は、透巳に答えを聞くべく口を開く。


「誰なのよ。その犯人」
「被害者は、定年退職済みの元刑事さん、会社員、専業主婦の三人。一見何の関係もない様なこの三人には、唯一の共通点がありました」
「共通点?」


 元々今回の三つの殺人事件が連続殺人だと推測されたのは、その全てにおいて友里が犯人であるという証拠が偽装されていたからだ。だがそんな友里の無実が証明された今、この事件を連続殺人だと決定づける証拠はない。

 だが透巳の言う様に、被害者の間に共通点があれば話が変わってくる。それは友里も重々承知の上なのだが、警察でも簡単に見つけられなかった被害者間の共通点とは一体何なのか。友里はそんな疑問を覚えた。


「はい。実はこの三人、昔起きたとある事件に関わっていたんです」
「とある、事件……」
「はい。被害者の一人である元刑事さんは、当時その事件の容疑者を逮捕したそうです。そして同じく被害者の一人である専業主婦の方は、その事件の目撃者であり、結果的に捕まったその容疑者が犯人であると証言していました」


 事件を目撃した専業主婦である山下幸の証言が大きなきっかけとなり、その事件の容疑者は当時現役刑事であった林道和也によって逮捕された。

 透巳が初めてこの事件を知った時に抱いた、被害者が中年ばかりであるという印象はあながち間違いでは無かった。十数年前に起きた事件に関わっていた人物なので、年を食っていてもおかしくなかったのだ。


「じゃあ、もう一人の会社員の人は……」
「そう、ここが一番重要なんです」
「……?」


 三人の被害者の内の、最後の一人。会社員の桃山一斎について友里が尋ねると、透巳は含みのある言い方で結論を焦らした。一方のささは、何故か少し俯いていて顔色が良くない。

 ささは数日前に透巳から真相を聞かされていたのだ。だからこれから友里が真実を知って耐えられるのかと心配になり、ささは気が気でない。


「被害者三人を繋ぐ事件に、この会社員――桃山一斎がどう関わっていたのか…………実はですね。その桃山一斎が犯人なんですよ。その事件の」
「……つまり、その亡くなった刑事さんが捕まえたのが、その人ってこと?」
「違います」
「……えっ?」


 透巳の言葉をそのまま解釈すると、その事件の容疑者が桃山一斎なのだと友里は思った。だがその予想を透巳にキッパリと否定されてしまい、友里は当惑してしまう。


「桃山一斎は逮捕されていないんです。変ですよね?犯人なのに逮捕されていないなんて……」
「……」
「さてここで問題です。逮捕された容疑者が桃山一斎ではないのなら、一体誰が代わりに逮捕されたのでしょうか?」
「……」


 透巳にはっきり否定された時から友里が抱いていた疑問を突きつけられ、友里は頭を上手く回すことが出来ない。やはり友里の想像力では、透巳の問いに答えることなど出来なかったのだ。


「その事件で逮捕された人物の名前は――木藤夏樹きとうなつきです」
「…………えっ?」


 透巳から発せられた事実に、友里は当に呆けた声を出した。目も口もポカンと開いてしまっていて、魂が抜けているように茫然自失としてしまっている。

 木藤夏樹。友里の知っている人物であった。そう、知っている人物だったのだ。そう理解した途端、友里は様々な真相に一気に辿り着いてしまい、あまりの驚きで口元を片手で覆ってしまう。

 十数年前起きた事件において、木藤夏樹が容疑者として逮捕された人物だった。だがその事件の真犯人は桃山一斎という会社員だった。

 木藤夏樹が犯人であると証言したのは、山下幸という専業主婦だった。そして木藤夏樹を逮捕したのは林道和也だった。


「あなたのお父さん、本当は人なんて殺してなかったんですよ」


 分かってしまったけれど、友里は見て見ぬ振りをしようとした。だが見ない振りをしようとした真実を、透巳に突き付けられてしまい逃げ場が無くなってしまう。

 木藤夏樹とは、友里が幼い頃殺人の容疑で逮捕された、彼女の父親だった。つまり木藤夏樹は、冤罪で逮捕されてしまったのだ。

 ********

「それはそうと、一番大事なのはここからですよ。薔弥先輩」
「ハハッ……透巳くんには敵わんなぁ……」


 透巳のその言葉だけで、彼が真相に辿り着いていることを察した薔弥は項垂れるように笑みを零した。


「薔弥先輩が木藤友里の指紋を現場に残すためには、そもそも殺人事件の存在を事前に知っておかなければなりません。薔弥先輩は殺人が起こる前から、知っていたんですよね?」
「せや」


 三つの殺人事件全ての現場に友里の指紋を残すには、警察に見つかる前に偽装工作を施さなければならない。つまりは殺人計画自体を薔弥は知っていたのだ。だから真犯人が被害者を殺したすぐ後に、薔弥は偽の証拠を残すことが出来た。


「ではどうして薔弥先輩がまだ起きてもいない殺人計画の存在を知ったのか。この答えは非常に簡単でシンプルです。……犯人に会ったんですよね?」
「せや……ほんで?」
「薔弥先輩が会う可能性があって、被害者三人を殺す動機がある人物。それらの条件を加味して考えた結果、木藤友里の父親ではないかと思いました」
「……天才の言うことは、よう分からんな」


 途中から、透巳の頭の回転の速さに度肝を抜かれてしまった薔弥はポロっと本音を零した。透巳の言葉の意味を理解できないわけでは無く、彼の提示した条件を加味して考えても、普通その結論には至らないので、透巳の思考回路が理解できなかったのだ。


「俺、被害者の一人である元刑事さんの性格を聞いていたんです。俺の知り合いの刑事さんが、〝取り調べの尋問もえげつないし、自分のミスとかは絶対に認めないタイプ〟って言っていて。その話を聞いた時俺、こういう人が冤罪作り出すんだろうなぁって思ったんです。それで、もしかしたら今回の犯人は無実の罪で被害者に逮捕されたことを恨みに思った人物の犯行なんじゃないかって。そうなると今回の犯人は、つい最近まで刑務所の中にいた人ってことになるのかなと」
「なるほどな」


 透巳の解説で漸く彼の思考回路を理解できた薔弥は、最早感心しか出てこないのか、心底納得したように笑みを零した。


「詳しいことは調べないと分かりませんが、多分木藤友里の父親は、最近刑期を全うして刑務所から出てきたんじゃないですか?薔弥先輩は木藤友里の父親に興味を持っていて、出てきた彼に会いに行った。その過程で冤罪の件や、殺人計画を知ったのでは?」
「大正解や。ホンマに透巳くんに隠し事は出来へんなぁ」


 木藤夏樹のことを詳しく知らない透巳には想像することしか出来なかったが、全てを言い当てられた薔弥の反応で、その想像が真実であることは明らかだった。

 冤罪を晴らすことも出来ず、結局無実の罪を償う刑期を全うしてしまった夏樹は、その間に被害者たちへの恨みを沸々と沸かせていたのだろう。


「それにしても、木藤友里の父親は自分の罪を娘が被っていることを知っているんですか?」
「知らんよ。あの女の親父には、〝アンタが犯人やって疑われんように細工しといたるさかい〟って言っただけやから、まさか自分が散々苦しんできた冤罪を娘に着せとるなんて、思いもしとらへんやろうなぁ」


 悪びれることもなく話した薔弥を目の当たりにし、透巳は会ったこともない木藤夏樹に同情心を湧かせた。冤罪によって生まれた自身の怨恨による殺人の罪を、実の娘に着せているなんて事実を知れば、夏樹は自己嫌悪に苛まれておかしくなってしまうだろう。


「……お前、どこまでクズ野郎に成り下がるんだよ」


 百弥は透巳と薔弥の会話の全てを理解できてはいなかったが、薔弥が過去最高レベルで最低なことを仕出かしたということだけは分かったようで、これ以上ないほど嫌悪に塗れた瞳で薔弥を睨み据えた。

 だがそれはいつものことなので、薔弥は屁でも無い様に笑っている。


「まぁ薔弥先輩がクズっていうのは取り敢えず置いといて」
「サラッと抉って来るなぁ」
「どうせ薔弥先輩のことだから、木藤友里の父親が今どこにいるのかも知っているんでしょう?」
「なんや。知りたいんか?」


 透巳にとっての一番大事なこととはこれだった。透巳は慧馬からの頼みを果たさなければならないので、今回の事件の真犯人を捕まえたいのだ。だがその為には夏樹の居場所を特定しなければならないので、薔弥の持つ情報が透巳には必要だった。


「木藤友里の父親が恨んでいる人間が、もういないとも限らないですしね」
「……はぁ、完敗や。ええで。教えたる」
「ありがとうございます」


 何でも無い様に一つの可能性を述べた透巳だったが、それすらも薔弥にとっては見破られてしまった真実だった。連続殺人事件はまだ終わっておらず、夏樹の恨んでいる人物がこれから殺されるかもしれないのだ。

 それを阻止するためにも、透巳は薔弥からの情報を元に犯人逮捕に尽力しなければならなかった。

 こうして夏樹の居場所を知った透巳は、早速慧馬に事件の真相を告げるために電話をかけたのだった。

 ********

「……うそ」
「嘘じゃありません」
「うそよ……」


 うわ言のように、真実を否定しようとする友里に、透巳は容赦なく現実を突きつけた。それでも友里は信じることが出来ず、涙を浮かべながら身体を震わせている。


「嘘よ……うそ……嘘よ………だって、嘘じゃなきゃ駄目なの………だって!……父さんが人を殺したから、私も母さんも周りから後ろ指指されて……。父さんが人を殺したから、アイツにそれを弱みだと思われて……。父さんが人を殺したから、学校でも苛められて……。父さんが人を殺したから、私……ささのこと誤解して……。父さんが人を殺したから、私、こんな……惨めな生活してるのよっ!」


 震える声で泣き叫んだ友里は、顔を歪ませて目を泳がせた。真実に耐えることが出来ず、その場で崩れ落ちた友里は地面に膝と手をついて俯いてしまう。

 友里は小さい頃こそ父親のことを恨んでいたが、成長してからはあまり父親に対する興味を持っていなかった。

 友里が最も恨んでいたのは父親ではなく薔弥だったから。だから父親のことは忘れるようにしていた。

 だがそれでも、友里の不幸の、最初の最初の原因は父親であると彼女は思っていた。

 父親が犯罪者にならなければ、友里や友里の母親が近所で後ろ指を指されることも無かった。父親が犯罪者でなければ、薔弥がそれを利用して友里の人生をめちゃくちゃにすることも無かった。

 薔弥への恨みで犯罪に手を染めたことも。ささとの関係に悩んで人殺しになってしまったことも。友里がこんな生活を強いられているのも。元を辿れば全て友里の父親のせいになるはずだった。

 だがそんな前提が間違っていたのであれば、友里は一体何のためにこんなことをしているのか、途端に分からなくなってしまったのだ。


「だからぁ、あなたのお父さんは殺してなかったんですって。よかったじゃないですか……あぁ、良くないか。結局殺しちゃってますもんね、三人。親子仲良く揃って人殺しになっちゃいましたね」
「っ……い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 友里の目の前でしゃがみ込み、執拗に責め立てる透巳を彼女は仇を見上げるように睨みつけたが、感情の見えない透巳の笑顔を目の当たりにし、言葉を失ってしまう。

 これまでの比ではない慟哭が透巳たちの耳を貫き、当の本人はそんな自分の声を聞きたくないと言わんばかりに両耳を塞いでいる。

 そんな友里から目を逸らすことなく、ささはじわっと涙を滲ませた。そして、平然とした相好で立ち上がった透巳に不満気な視線を向ける。


「……あまりにも、意地悪ではありませんか?」
「彼女が何も知らない愚か者は……恥の上塗りは嫌だと言ったんです。教えてあげたんですから、感謝して欲しいぐらいですよ」


 あまりにも小さな声で発せられたささの苦言に、透巳はあっけらかんとした態度で言ってのけた。そんな透巳の返事が余計に不服だったのか、ささは無言の抗議を透巳に向けた。


「大体。本当は俺一人で彼女を警察まで連れて行こうとしていたんです。それを俺が珍しく気を遣って、さささんに彼女と話す機会を作ってあげたというのに、そんな批難めいた視線を向けられても困るんですよね」
「…………ふふっ」
「……笑うところでしたか?」


 一瞬、ポカンとした表情を浮かべたささは、つい先刻まで怒っていたというのに突然表情を綻ばせた。笑われるとは思っていなかったのか、透巳は思わず首を傾げてしまう。


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