アクトコーナー

乱 江梨

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第五章 不変の√コーナー

不変の√コーナー10

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 それからかおりは無事帰宅することができ、純は心底安堵して何度も透巳にお礼を言った。帰ってきたかおりを目の当たりにした純は思わず彼女を力強く抱きしめ、かおりは堪え切れないように涙を流した。

 そんな微笑ましい二人を静かに見守っていた透巳だが、ふと大事なことを思い出して口を開いた。


「あ、そうだ」
「ぐすっ……なによ?」
「あ、あの……その……」
「アンタらしくも無いわね。言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ」


 珍しく言い淀む透巳に、かおりたちは思わず首を傾げた。その疑問のおかげでかおりの涙も引っ込み、彼女は強気な姿勢で再び尋ねた。


「……その、これから産まれてくる子に会えないのは流石にきついので、考え直してもらえないかなぁと……」
「……?…………って、アンタそんなこと気にしてたの!?」


 一瞬透巳が何のことを話しているのか分からなかったかおりも、記憶を辿って漸く思い出すことが出来た。そして同時に、あんな勢いに任せた発言を今の今までずっと気にしていた透巳に対する、呆れにも似た驚きがかおりを襲った。


『コイツが家族ですって?ふざけないでよ!こんなの家族でも何でも無いわ!私たちの邪魔をするただの部外者よ!兄弟が出来るって喜んでた?笑わせないでよ!こんな奴に私たちの大事な赤ちゃんを会わせるわけないじゃない!』


 以前透巳が妊娠祝いに会いに行った際、かおりが放ったこの発言を透巳はずっと気にしていたのだ。透巳は初めてできる兄弟の誕生を純たちにも負けないほど楽しみにしていたので、それがもし叶わないとなれば傷心してしまうのが目に見えていたのだ。


「……分かったわよ。ちゃんと、産まれてくる子には会わせてあげるから……分かったら学生はさっさと帰りなさい」
「っ!ありがとうございます。かおりさん」


 かおりからの了承を得た透巳は嬉々とした相好を見せて礼を言った。こうして、役目を終えた透巳は一人自宅への帰路に就くのだった。

 ********

 それから一週間ほどが経過した日。いつものように昼休み時間、多目的室にはF組生徒たちと透巳が集まっていた。

 外は嫌になってしまう程の快晴で、今年一番の暑さを誇っていた。なので当然多目的室は冷房がフル稼働されていた。明日歌たちにとっては快適なのだが、透巳にとっては少し寒いので、彼は半袖の制服の上から薄いカーディガンを羽織っている。

 明日歌たちが談笑していると、多目的室の扉が控えめにノックされる音が響いた。

 途端、全員が首を傾げる。何故なら普段この多目的室を訪れる人間の中に、扉をノックするような者がいないからだ。F組生徒や透巳以外でここを訪れるのは、養護教諭の鷹雪か、青ノ宮兄弟ぐらいのものだ。だが両者ともいちいちノックなどしたりしないので、彼らが訪れたのではないことはすぐに分かった。

 ノックの主は、中にいる透巳たちの返事を待っているようで、再度ノックをしてきた。


「俺が出ますね」


 そう言って立ち上がった透巳は、扉を内側から開けた。するとそこには一人の女子生徒がいて、透巳はその人物を視界に入れた途端、


「あ、透巳様!おひ……」


 扉を勢いよく閉めた。そしてご丁寧にも鍵をかけてしまった。

 一瞬だけ見えた女子生徒の嬉々とした表情が可哀想になる程のスピードで扉が閉められたので、明日歌たちは呆然としてしまう。

 そして何事も無かったかのように席に戻った透巳を、明日歌たちは目を点にして見つめている。


「え、透巳くん今の子……」
「全然知らない人でしたね」
「透巳様?透巳様!」
「めっちゃ透巳様透巳様って言ってるけど……って、透巳?」
「全然、これっぽっちも知らない人ですね」


 有無を言わさぬ笑顔で言った透巳だったが、扉の向こうから彼の名前を呼び続ける声のせいで明日歌たちは信じることが出来ない。

 何故か透巳が知らない相手だと言い張ることと、女子生徒が透巳に敬称をつけて呼ぶことに明日歌たちは首を傾げるほかない。


「透巳様ぁ?」
「ほんとに知らない人?」
「はい。知らない人なので、無視しときましょう」


 ――十分後――


「透巳様ぁぁぁぁぁぁ」
「はぁ……」


 泣き叫ぶような声が扉の向こうから聞こえてきたので、透巳はため息をつくとようやく扉を開けてやった。

 扉の先には膝をついて項垂れている女子生徒の姿があり、潤んだ瞳で透巳を見上げていた。


「透巳様ぁ……わた、私は……透巳様の記憶から抹消されてしまったのでしょうか……?」
「ぽっちー。冗談だよ冗談。俺がぽっちーを忘れるわけないじゃん」
「す、透巳様ぁ……」
「冗談にしては無視の時間長すぎたけどね」


 震える声で尋ねた千流芭を安心させるような笑みを浮かべた透巳は、何でもないようにそう言ってのけた。その言葉で安堵したように透巳の名前を呼んだ千流芭だったが、客観的に見てあれは冗談で済ませて良いものではないだろう。


「よ、よかったですぅ……」
「うん。冗談だから大丈夫だよ。あとちょっと五月蠅いから黙ろうか?」
「は、はいっ……(小声)」
「透巳くんいつにもましてSだね」


 笑顔のまま毒を吐く透巳に明日歌たちは苦笑いを浮かべ、同時に何故透巳が彼女に対してだけここまで意地が悪いのか疑問に思ってしまう。


「何て言うんでしょうか。何故かこの子初めて会った時から苛めたくなるんですよ」
「透巳様自ら私のようなものを苛めて下さるなど、恐悦至極に存じます!」
「……あ、もう、なんかいいわ。説明されても分からん。ディープな世界ね」


 透巳と千流芭。両者の意見が偏り過ぎているせいで、明日歌はその疑問を解くのを放棄した。要するにS極とN極が惹かれ合う的な理由だということは、何となく理解できたのでそれでよかったのだ。寧ろ明日歌たちはそれ以上理解したくないという気持ちの方が強かったが。


「……で。この子誰?」


 今更過ぎることを尋ねた明日歌の声を皮切りに、F組生徒たちは目の前の千流芭をまじまじと観察し始めた。

 小さな頃から変わらない黒髪は相変わらず長いが、以前とは違い高い位置でツインテールにしている。だがその毛先は変わらず刺々しい。透巳よりも五センチ程低い背は、女性にしてはかなり高身長である。そして大人っぽい雰囲気が小学生の時より増していて、女性の色っぽさが追加されていた。

 青ノ宮学園の制服と、ネクタイのベージュ色から、透巳の同級生であることしか明日歌たちには分からない。


「この子はぽっちーこと…………ぽっちーこと……」
「「……?」」

 
 明日歌の問いに答えようと、千流芭のことを見つめた透巳は何故か言葉を続けることが出来なくなってしまった。すると沈黙が流れ、全員が首を傾げた。


「…………ごめん本名何だっけ?」
「もう透巳くん、悪質な冗談もうやめたげて」
「あ、これはマジの方です」
「まじか」


 本気で千流芭の名前を忘れてしまっている透巳に、明日歌たちは驚きを隠せない。そして憐れむ様な目で千流芭に視線を送っている。だがそんな視線を一身に受けている千流芭は思いのほか傷ついていないように見えた。


「ごめんぽっちー。ぽっちーぽっち―言い過ぎて本名忘れちゃった」
「いえ。ぽっちーは透巳様がつけて下さった大事な名前ですので、透巳様にはその名で呼んでほしいと思っています。なので全く問題ありません。ちなみに私はもぎき千流芭と申します。透巳様のご友人方におかれましては、以後お見知りおきを」
「「ど、どうも……」」
「あぁ、そうだそうだ。そんな名前だった」

 
 千流芭のような丁寧な口調を向けられることに慣れていない明日歌たちは当惑しつつも返事をした。そして透巳の方はポンと手を叩いてスッキリしたような面持ちである。

 千流芭的には透巳がつけてくれた名前の方が大事なようで、例え透巳が本名を忘れても大したダメージが無かったらしい。とは言っても透巳は適当に彼女をぽっちーと名付けたので、ここまで大事にされると若干の罪悪感は否めなかった。

 
「えっと、二人はどういったご関係で?」
「犬と主人ですね」
「その通りです」
「その通りなの!?」」


 ただならぬ関係であることは今までのやり取りで察した明日歌だったが、あまりにも直接的な透巳の表現に声を荒げてしまう。


「え、まさかとは思うけどぽっちーって……」
「ポチよりぽっちーの方が可愛いかなって」
「ネーミングセンス無いわけでもないのに……もう少しどうにかなんなかったの?」
「えー。良いと思うんですけど……ねぇ?ぽっちー」
「はい!……じゃなくて、ワン!」


 千流芭のあだ名である〝ぽっちー〟は、犬の名前にありがちな〝ポチ〟をもじったものだ。

 相変わらず透巳に従順で、恥ずかしげもなくワンと鳴いた千流芭を褒めるように、透巳は「偉い偉い」と言うと彼女の頭を撫でた。


「透巳くん、浮気、駄目、絶対、だよ?」
「…………ぶっ」
「ここ笑うとこじゃない」
「だって冗談でしょう?冗談なら笑わないと」


 明日歌はほんの少し頬を膨らませながら透巳に言い含めた。だが透巳の方は一瞬ポカンとしただけで、すぐに失笑してしまう。

 透巳の言う通り、明日歌は本気でそれを浮気だと思ってはいなかったが、図星を突かれたことで不満気な相好を露わにした。

 透巳は良くも悪くも小麦一筋なので、そんな彼が浮気をするなんて誰一人として思っていないのだ。


「でも犬と主人なんて聞けば、絶対勘違いする人いるって」
「……小学生の頃からの知り合いで、俺にとって便利屋みたいな子なんです」
「へぇ……」


 暗にもっと詳しく説明しろと要求した明日歌の要望に応えた透巳。適当に納得したような声を出したが、先刻の表現と大して変わりはしないという事実に気づき明日歌は苦笑いを浮かべた。


「それで?今日はどうしたの?」
「はい。透巳様に頼まれた案件を全て遂行いたしましたので、報告書を持ってまいりました」
「お、仕事が早いねぇ。お疲れ様、ぽっちー」


 透巳の問いに答えた千流芭は、持っていた鞄から分厚い紙の束を取り出すと、近くの机の上に置いた。それは教科書ほどの分厚さで、一体何が記されているのか気になる程の存在感を放っていた。


「え、それなに?」
「あぁ。この前言ってた〝大丈夫にする〟ために必要なものですよ」
「えぇ……こわ」


 報告書を指差して尋ねた明日歌に、透巳は意味深な答えを返した。

 透巳の言う〝大丈夫にする〟というのが、あのネットニュースの件であることはF組全員が理解していた。だが彼がどのようにして解決するか全く予想できないので、若干の恐怖を感じてしまった。
 得体の知れないものというのは、いつでも誰にとっても脅威的なものなのだ。


「それにしても随分分厚いね。そんなに後ろ暗いことあったの?」

 
 机の上の報告書をパラパラと捲りながら、透巳は呆れたように言った。明日歌たちにその言葉の意味を完全に理解することは出来なかったが、誰かの何らかの情報が記されているのだろうと簡単に予測を立てる。


「いえ。ですが透巳様から広く深くという指定がありましたので、事細かく調べてきました。どれが透巳様にとって必要になるか私では判断しかねたので。ですが使えそうな情報を先に、比較的不必要だと思われるものは後ろにまとめておきました」
「ありがとう。ぽっちーは相変わらず優秀だね」
「も、もったいないお言葉です!」


 早くきっちりと仕事を済ませるのが千流芭の優れた点で、そこは透巳も昔からとても評価していた。

 容姿端麗で、成績も学年三位と優秀。客観的に見れば完璧な千流芭だが、透巳からしてみれば異常なほどの風宮季巳信仰が玉に瑕である。


「さてと。じゃあチャチャっと片付けるかな」


 報告書に目を通しながら、不敵な笑みを浮かべた透巳に明日歌たちは苦笑いを向けることしか出来ない。そして、そんな透巳の標的にされているであろう人物を思い浮かべ、明日歌たちは酷く同情するのだった。


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