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第五章 不変の√コーナー
不変の√コーナー2
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身長百六十センチほどの背丈に、長い手足。妊娠中だからか、透巳の知る彼女よりもほんの少しふくよかになっていた。珈琲色の髪は肩が見えなくなるほどの長さで、長すぎず、短すぎない。
透巳を睨みつける目には長い睫毛が生えており、彼女のメイクは完璧である。三五歳だが、メイクのおかげで若く見えている。
彼女は神坂かおり。透巳の父親――純の再婚相手である。
「何の用かって聞いてるのよ。閉めるわよ」
「父さんから、かおりさんが妊娠したと聞いたのでお祝いと、何か手伝えることがあればと思って」
「必要無いわ。さっさと帰ってくれる?」
まともに透巳に取り合う気のないかおりに、明日歌たちは思わず眉を顰めてしまう。かおりのことを案じてここまで足を運んだ透巳に対して、あまりにも失礼ではないかと感じたからだ。
一方の透巳は休日だというのに姿が見えない純のことを気にしていた。恐らくどこかに出かけているのだろうと簡単に推測を立てる。
「あの」
「……誰、この子たち」
明日歌がかおりに声をかけたことで、彼女はようやく透巳以外の客人の存在に気づく。透巳と同年代の見知らぬ男女が五人もいたのでかおりは驚いたが、平静を装って尋ねた。
「あぁ、勝手についてきちゃった知り合いなので気にしないでください」
「そう…………それで?あなた、私に何か言いたいことでもあるの?」
透巳の説明を聞いたかおりは、先刻話しかけてきた明日歌に視線を移す。
「透巳くん。兄弟が出来るって喜んでたんです。それに、あなたの体調を心配してこうして訪ねてきた家族に対して、その対応はないんじゃないですか?」
「……ふざけないでくれる?」
「ふざける?」
いつにも無く真剣な表情で意見を述べた明日歌に、かおりは眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにした。拳は震えるほど握りしめられていて、その怒りが本物であることを物語っていた。
「コイツが家族ですって?ふざけないでよ!こんなの家族でも何でも無いわ!私たちの邪魔をするただの部外者よ!兄弟が出来るって喜んでた?笑わせないでよ!こんな奴に私たちの大事な赤ちゃんを会わせるわけないじゃない!」
「「……」」
あまりにもな言い分に、明日歌たちは開いた口が塞がらなかった。心配するように透巳の方に視線をやるが、彼は至って冷静だった。寧ろほんの少し笑っていて、明日歌たちは透巳の感情がよく分からない。
どうして透巳がかおりにここまで嫌われているのかは分からないが、何か理由があるにしてもかおりの物言いは褒められるものではなかった。
「……部外者というのなら、それはあなたの方じゃないんですか?」
「おい明日歌……」
「透巳くんは最初からこの家に生まれて、神坂透巳として生きているんです。そんな透巳くんが部外者?そちらこそふざけないでください。誰か部外者がいるのなら、それは途中からやってきてここに居座っているあなたじゃないんですか?」
喚き散らしたかおりに対する反論を口にした明日歌を遥音は諫めようとするが、明日歌の耳には入っていないようだ。
明日歌自身、かおりに対してきつすぎる物言いになっていると感じていたが、反論せずにはいられなかった。明日歌は純が透巳のことを心底大切にしているという事実を、その目で確かめていたから。
「あなたっ……!」
「明日歌先輩」
明日歌の反論にカッとなり、顔を真っ赤にしたかおりはほんの少し涙を浮かべていた。怒っている様な、傷ついたような表情に明日歌は罪悪感を覚えてしまう。
カッとなったその衝動のまま、かおりが明日歌に向かって平手を振り下ろそうとすると、透巳が少し大きな声で明日歌を呼んだ。その声でほんの少し冷静さを取り戻したのか、かおりは気まずそうに手を下ろす。
「今日はもう帰りましょうか」
「あ……うん」
有無を言わさぬ態度でそういった透巳の表情は、にこやかだった。だが明日歌も馬鹿ではない。その笑顔が、喜びの感情から引き出されたものではないことだけは理解できた。むしろ――。
「かおりさん。すいません。今日は少し体調が悪いんじゃないですか?」
「……」
「今日は帰ります。父さんが帰ってきたら、存分に甘えるといいですよ」
透巳の問いにかおりは無言で返した。それが図星を突かれたことによる無言の肯定であることを透巳はよく理解している。
終始平静を乱さなかった透巳に、かおりは不機嫌そうな相好を向ける。そんなかおりを見ると明日歌もムッとしてしまうが、これ以上の舌戦は危険すぎる。
透巳たちはその場から退散すると、エレベーターでエントランスまで降りるのだった。
********
「ね、ねぇ。透巳くん?」
「……」
「ねぇって……怒ってるの?」
「はい」
エレベーターからずっと無言の透巳に、マンションを出たところで漸く話しかけた明日歌だったが、正直すぎる透巳のせいでかなりのダメージを受けてしまう。
自分から聞いておいてなんだが、本当に透巳が怒っていると知り明日歌はショックを受けたのだ。
「えっと……ごめん」
「……別に明日歌先輩が謝ることじゃありませんよ。あれはかおりさんにも非があるので、どっちもどっちですね」
「でも、怒ってるんでしょ?」
「それとこれとは別です」
おどおどとした様子で謝った明日歌に、思わず困ったような笑みを向けた透巳。その表情から透巳が本気で怒っているわけでは無いことは明白だった。
明日歌が透巳のためにあんな発言をしたことを理解しているからこその反応である。
「確かに言いすぎたかもしれないけど……透巳くん、なんであの人のこと庇うの?」
「何でって、家族だからですけど」
「あの人は家族じゃないって言ってたよ」
「そりゃああの人は俺のこと大大大嫌いですもん」
「……透巳くんは嫌いじゃないの?」
さも当然のようにかおりを家族と断言した透巳。明日歌には何故透巳がそこまで肩入れするのか分からなかった。血の繋がりも無ければ、自身に対して横暴な振る舞いしか見せないかおりに何故そこまで情をかけるのか。
「当たり前じゃないですか。だってあの人、父さんのこと大好きですもん」
「……!」
「自分の好きな人を好きだって言ってくれる人のこと、俺は嫌いになれません…………あ。もちろん例外はありますけど」
かおりは純のことを愛しているからこそ、彼と結婚した。そんな当たり前のことが、透巳にとっては何よりも大事なのだ。それに気づいた明日歌はようやく透巳の気持ちに納得がいき、目を見開く。
透巳は自分よりも、自分の大事なものを優先するタイプだ。だからこそ自分にきつく当たっていても、純のことを大事にしてくれるのなら透巳としては問題ないのだ。
ふと自分の発言に訂正を入れた透巳が思い出していたのは梓紗のことだ。小麦に過度な執着を抱いていた梓紗は確実に小麦のことを好いていたが、梓紗のことは天敵と呼べるほど嫌っているから。そもそも梓紗は生まれつきの人間性に問題があったので例外になるのも仕方が無いのだが。
「それに、今日はいつもより気が立ってましたね。悪阻がきつかったのかも」
「あ……そ、っか」
明日歌はかおりが妊娠初期であることを失念していた。体調が悪かったのなら、普段よりもイラついてしまうことだってあるだろう。明日歌は透巳が怒っていたもう一つの理由を察し、目を伏せてしまう。
「……どうしてかおりさんが俺にあんな態度をとるのか、分かりますか?」
「……ごめん、分からない」
口元に弧を描きながら問いかけてきた透巳はどこか楽しそうで、明日歌たちは思わず首を傾げる。
「あの人、俺の本当の母親に嫉妬しているんです」
「嫉妬?」
「はい。俺の母親は、まぁ……相当な美人でして。それに父さんが初めて永遠の愛を誓った相手です。加えて母さんは病死で、父さんはかおりさんに出会うまでずっと母さんのことを想っていました。一方かおりさんは初婚で、父さんのこと大大大好きなので、そりゃあ嫉妬するわけですよ。そんな母さんの子供である俺は当然可愛くないし、俺は母さんに激似だし。顔も見たくないって思うのも仕方ないのかなって……大分可愛い理由だと思いませんか?」
透巳は可愛い嫉妬だと言うが、明日歌たちにはあの態度をそんな一言で片づけてもいいのかという疑念が生じてしまう。
だが透巳が何でも無い様に破顔しているので、これでいいのかもしれないと思えてきてしまう。
透巳たちがマンションから出て数分歩いていると、前方から両手にエコバックを抱えた純の姿が確認できた。どうやらスーパーに買い物に出かけた帰りの様で、目を見開いた透巳は逸早く父親の元へ駆けつけた。
「父さん、久しぶり」
「わぁ、透巳くんだぁ。久しぶり。また大きくなったねぇ」
相変わらずの純に透巳は思わず笑みを零す。明日歌と兼は既に会ったことがあるので問題ないが、他の三人はあまりにも二人が似ていないので、親子関係を疑うような眼差しを向けている。
「さっきかおりさんに会ってきたけど、具合悪そうだったから早く帰ってあげて」
「あ、そうなんだ。ごめんね透巳くん。家出てて……かおりさん、何か言ってた?」
「うーん……これと言って重要なことは特に。機嫌は相変わらずかな」
「そっか……」
透巳の話を聞いた純はそっと俯くと気落ちしたような声で呟いた。その会話だけで、純が透巳とかおりの関係性を把握していることが読み取れた。そして同時に、純がこの二人の関係が改善されればと願っていることも伝わってきた。
「あ、お嬢さんたち久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「これからも透巳くんと仲良くしてあげてね」
暁姉弟の存在に気づいた純はそう言って柔らかい笑みを浮かべると、透巳たちに別れを告げてその場を立ち去った。
透巳は純の背中を優しい眼差しで見送ると、帰路に就くのだった。
********
それから数日後。いつも通り昼休みの時間に多目的室で集まった透巳たち。昼食をとりながら、スマートフォンでネットニュースを閲覧していた巧実が驚いたように声を上げる。
「へぇ……俺らと同い年なのか……」
「誰と誰が同い年だって?」
「ちょ明日歌先輩、勝手に覗かないでください」
ぼそりと呟いた巧実の声を聞き逃さなかった明日歌は彼の肩に手を置くと、後ろからひょいっとその手元を覗き込んだ。
「えー、なになに?……あの大女優風宮季巳の息子は現在高校二年生の一六歳。今後芸能活動に関わっていくという情報を入手し、って……これ本当なの?」
「誰だその風宮季巳というのは」
「え!?遥音知らないの?」
ネットニュースを呼んだ明日歌は疑わしそうな声を上げた。最近のネット情報は信用できない部分もあるので明日歌の疑念も仕方が無い。
一方、そもそもその女優を知らなかった遥音に全員が驚きの表情を向ける。ただでさえ話についていけていない状況だというのに、F組生徒たちから信じられないものを見るような眼差しを向けられたことで遥音は当惑してしまう。
「……すまない。テレビを見ないもので、芸能人が全く分からないんだ」
「ふふっ……よーし!そんな遥音のために私が解説してあげよう!」
「何故だが非常に腹立たしいがよろしく頼む」
まともに見るテレビ番組がニュースしかない遥音は芸能人に疎く、見兼ねた明日歌が説明役を名乗り出た。いつもは教える立場の遥音が、今回は教えを乞う側という状況が嬉しいのか、明日歌は自信満々な表情を窺わせた。
「風宮季巳っていうのは、デビュー当初から高い演技力と誰にも負けない存在感で大人気を博した、誰もが認める大女優のことだよ。でも風宮季巳は五年前に亡くなっちゃって、芸能界では伝説扱いされてるぐらい凄い人なんだよねぇ」
「そうなのか」
「……ってうぉ!何だよ神坂、びっくりさせんな!」
全員が明日歌の説明を聞く中、透巳ただ一人が巧実のスマホを横からじっと見つめていて、それに気づいた巧実が思わず身体を仰け反らせた。
仕舞いに透巳は巧実からスマホを奪い取り、スクロールして記事をじっと読んでいて、彼がその内容に興味を抱いているのは明白であった。
「……」
「ど、どしたの?透巳くん。顔がすごいことになってるよ?」
ネット記事を読んだ透巳は苦虫を噛み潰したような表情をしていて、全員が思わず首を傾げる。
「ガセも良いところですよ、この記事。俺が芸能界に入る訳ないのに」
「「………………へっ?」」
透巳を睨みつける目には長い睫毛が生えており、彼女のメイクは完璧である。三五歳だが、メイクのおかげで若く見えている。
彼女は神坂かおり。透巳の父親――純の再婚相手である。
「何の用かって聞いてるのよ。閉めるわよ」
「父さんから、かおりさんが妊娠したと聞いたのでお祝いと、何か手伝えることがあればと思って」
「必要無いわ。さっさと帰ってくれる?」
まともに透巳に取り合う気のないかおりに、明日歌たちは思わず眉を顰めてしまう。かおりのことを案じてここまで足を運んだ透巳に対して、あまりにも失礼ではないかと感じたからだ。
一方の透巳は休日だというのに姿が見えない純のことを気にしていた。恐らくどこかに出かけているのだろうと簡単に推測を立てる。
「あの」
「……誰、この子たち」
明日歌がかおりに声をかけたことで、彼女はようやく透巳以外の客人の存在に気づく。透巳と同年代の見知らぬ男女が五人もいたのでかおりは驚いたが、平静を装って尋ねた。
「あぁ、勝手についてきちゃった知り合いなので気にしないでください」
「そう…………それで?あなた、私に何か言いたいことでもあるの?」
透巳の説明を聞いたかおりは、先刻話しかけてきた明日歌に視線を移す。
「透巳くん。兄弟が出来るって喜んでたんです。それに、あなたの体調を心配してこうして訪ねてきた家族に対して、その対応はないんじゃないですか?」
「……ふざけないでくれる?」
「ふざける?」
いつにも無く真剣な表情で意見を述べた明日歌に、かおりは眉間に皺を寄せて苛立ちを露わにした。拳は震えるほど握りしめられていて、その怒りが本物であることを物語っていた。
「コイツが家族ですって?ふざけないでよ!こんなの家族でも何でも無いわ!私たちの邪魔をするただの部外者よ!兄弟が出来るって喜んでた?笑わせないでよ!こんな奴に私たちの大事な赤ちゃんを会わせるわけないじゃない!」
「「……」」
あまりにもな言い分に、明日歌たちは開いた口が塞がらなかった。心配するように透巳の方に視線をやるが、彼は至って冷静だった。寧ろほんの少し笑っていて、明日歌たちは透巳の感情がよく分からない。
どうして透巳がかおりにここまで嫌われているのかは分からないが、何か理由があるにしてもかおりの物言いは褒められるものではなかった。
「……部外者というのなら、それはあなたの方じゃないんですか?」
「おい明日歌……」
「透巳くんは最初からこの家に生まれて、神坂透巳として生きているんです。そんな透巳くんが部外者?そちらこそふざけないでください。誰か部外者がいるのなら、それは途中からやってきてここに居座っているあなたじゃないんですか?」
喚き散らしたかおりに対する反論を口にした明日歌を遥音は諫めようとするが、明日歌の耳には入っていないようだ。
明日歌自身、かおりに対してきつすぎる物言いになっていると感じていたが、反論せずにはいられなかった。明日歌は純が透巳のことを心底大切にしているという事実を、その目で確かめていたから。
「あなたっ……!」
「明日歌先輩」
明日歌の反論にカッとなり、顔を真っ赤にしたかおりはほんの少し涙を浮かべていた。怒っている様な、傷ついたような表情に明日歌は罪悪感を覚えてしまう。
カッとなったその衝動のまま、かおりが明日歌に向かって平手を振り下ろそうとすると、透巳が少し大きな声で明日歌を呼んだ。その声でほんの少し冷静さを取り戻したのか、かおりは気まずそうに手を下ろす。
「今日はもう帰りましょうか」
「あ……うん」
有無を言わさぬ態度でそういった透巳の表情は、にこやかだった。だが明日歌も馬鹿ではない。その笑顔が、喜びの感情から引き出されたものではないことだけは理解できた。むしろ――。
「かおりさん。すいません。今日は少し体調が悪いんじゃないですか?」
「……」
「今日は帰ります。父さんが帰ってきたら、存分に甘えるといいですよ」
透巳の問いにかおりは無言で返した。それが図星を突かれたことによる無言の肯定であることを透巳はよく理解している。
終始平静を乱さなかった透巳に、かおりは不機嫌そうな相好を向ける。そんなかおりを見ると明日歌もムッとしてしまうが、これ以上の舌戦は危険すぎる。
透巳たちはその場から退散すると、エレベーターでエントランスまで降りるのだった。
********
「ね、ねぇ。透巳くん?」
「……」
「ねぇって……怒ってるの?」
「はい」
エレベーターからずっと無言の透巳に、マンションを出たところで漸く話しかけた明日歌だったが、正直すぎる透巳のせいでかなりのダメージを受けてしまう。
自分から聞いておいてなんだが、本当に透巳が怒っていると知り明日歌はショックを受けたのだ。
「えっと……ごめん」
「……別に明日歌先輩が謝ることじゃありませんよ。あれはかおりさんにも非があるので、どっちもどっちですね」
「でも、怒ってるんでしょ?」
「それとこれとは別です」
おどおどとした様子で謝った明日歌に、思わず困ったような笑みを向けた透巳。その表情から透巳が本気で怒っているわけでは無いことは明白だった。
明日歌が透巳のためにあんな発言をしたことを理解しているからこその反応である。
「確かに言いすぎたかもしれないけど……透巳くん、なんであの人のこと庇うの?」
「何でって、家族だからですけど」
「あの人は家族じゃないって言ってたよ」
「そりゃああの人は俺のこと大大大嫌いですもん」
「……透巳くんは嫌いじゃないの?」
さも当然のようにかおりを家族と断言した透巳。明日歌には何故透巳がそこまで肩入れするのか分からなかった。血の繋がりも無ければ、自身に対して横暴な振る舞いしか見せないかおりに何故そこまで情をかけるのか。
「当たり前じゃないですか。だってあの人、父さんのこと大好きですもん」
「……!」
「自分の好きな人を好きだって言ってくれる人のこと、俺は嫌いになれません…………あ。もちろん例外はありますけど」
かおりは純のことを愛しているからこそ、彼と結婚した。そんな当たり前のことが、透巳にとっては何よりも大事なのだ。それに気づいた明日歌はようやく透巳の気持ちに納得がいき、目を見開く。
透巳は自分よりも、自分の大事なものを優先するタイプだ。だからこそ自分にきつく当たっていても、純のことを大事にしてくれるのなら透巳としては問題ないのだ。
ふと自分の発言に訂正を入れた透巳が思い出していたのは梓紗のことだ。小麦に過度な執着を抱いていた梓紗は確実に小麦のことを好いていたが、梓紗のことは天敵と呼べるほど嫌っているから。そもそも梓紗は生まれつきの人間性に問題があったので例外になるのも仕方が無いのだが。
「それに、今日はいつもより気が立ってましたね。悪阻がきつかったのかも」
「あ……そ、っか」
明日歌はかおりが妊娠初期であることを失念していた。体調が悪かったのなら、普段よりもイラついてしまうことだってあるだろう。明日歌は透巳が怒っていたもう一つの理由を察し、目を伏せてしまう。
「……どうしてかおりさんが俺にあんな態度をとるのか、分かりますか?」
「……ごめん、分からない」
口元に弧を描きながら問いかけてきた透巳はどこか楽しそうで、明日歌たちは思わず首を傾げる。
「あの人、俺の本当の母親に嫉妬しているんです」
「嫉妬?」
「はい。俺の母親は、まぁ……相当な美人でして。それに父さんが初めて永遠の愛を誓った相手です。加えて母さんは病死で、父さんはかおりさんに出会うまでずっと母さんのことを想っていました。一方かおりさんは初婚で、父さんのこと大大大好きなので、そりゃあ嫉妬するわけですよ。そんな母さんの子供である俺は当然可愛くないし、俺は母さんに激似だし。顔も見たくないって思うのも仕方ないのかなって……大分可愛い理由だと思いませんか?」
透巳は可愛い嫉妬だと言うが、明日歌たちにはあの態度をそんな一言で片づけてもいいのかという疑念が生じてしまう。
だが透巳が何でも無い様に破顔しているので、これでいいのかもしれないと思えてきてしまう。
透巳たちがマンションから出て数分歩いていると、前方から両手にエコバックを抱えた純の姿が確認できた。どうやらスーパーに買い物に出かけた帰りの様で、目を見開いた透巳は逸早く父親の元へ駆けつけた。
「父さん、久しぶり」
「わぁ、透巳くんだぁ。久しぶり。また大きくなったねぇ」
相変わらずの純に透巳は思わず笑みを零す。明日歌と兼は既に会ったことがあるので問題ないが、他の三人はあまりにも二人が似ていないので、親子関係を疑うような眼差しを向けている。
「さっきかおりさんに会ってきたけど、具合悪そうだったから早く帰ってあげて」
「あ、そうなんだ。ごめんね透巳くん。家出てて……かおりさん、何か言ってた?」
「うーん……これと言って重要なことは特に。機嫌は相変わらずかな」
「そっか……」
透巳の話を聞いた純はそっと俯くと気落ちしたような声で呟いた。その会話だけで、純が透巳とかおりの関係性を把握していることが読み取れた。そして同時に、純がこの二人の関係が改善されればと願っていることも伝わってきた。
「あ、お嬢さんたち久しぶりだね」
「お久しぶりです」
「これからも透巳くんと仲良くしてあげてね」
暁姉弟の存在に気づいた純はそう言って柔らかい笑みを浮かべると、透巳たちに別れを告げてその場を立ち去った。
透巳は純の背中を優しい眼差しで見送ると、帰路に就くのだった。
********
それから数日後。いつも通り昼休みの時間に多目的室で集まった透巳たち。昼食をとりながら、スマートフォンでネットニュースを閲覧していた巧実が驚いたように声を上げる。
「へぇ……俺らと同い年なのか……」
「誰と誰が同い年だって?」
「ちょ明日歌先輩、勝手に覗かないでください」
ぼそりと呟いた巧実の声を聞き逃さなかった明日歌は彼の肩に手を置くと、後ろからひょいっとその手元を覗き込んだ。
「えー、なになに?……あの大女優風宮季巳の息子は現在高校二年生の一六歳。今後芸能活動に関わっていくという情報を入手し、って……これ本当なの?」
「誰だその風宮季巳というのは」
「え!?遥音知らないの?」
ネットニュースを呼んだ明日歌は疑わしそうな声を上げた。最近のネット情報は信用できない部分もあるので明日歌の疑念も仕方が無い。
一方、そもそもその女優を知らなかった遥音に全員が驚きの表情を向ける。ただでさえ話についていけていない状況だというのに、F組生徒たちから信じられないものを見るような眼差しを向けられたことで遥音は当惑してしまう。
「……すまない。テレビを見ないもので、芸能人が全く分からないんだ」
「ふふっ……よーし!そんな遥音のために私が解説してあげよう!」
「何故だが非常に腹立たしいがよろしく頼む」
まともに見るテレビ番組がニュースしかない遥音は芸能人に疎く、見兼ねた明日歌が説明役を名乗り出た。いつもは教える立場の遥音が、今回は教えを乞う側という状況が嬉しいのか、明日歌は自信満々な表情を窺わせた。
「風宮季巳っていうのは、デビュー当初から高い演技力と誰にも負けない存在感で大人気を博した、誰もが認める大女優のことだよ。でも風宮季巳は五年前に亡くなっちゃって、芸能界では伝説扱いされてるぐらい凄い人なんだよねぇ」
「そうなのか」
「……ってうぉ!何だよ神坂、びっくりさせんな!」
全員が明日歌の説明を聞く中、透巳ただ一人が巧実のスマホを横からじっと見つめていて、それに気づいた巧実が思わず身体を仰け反らせた。
仕舞いに透巳は巧実からスマホを奪い取り、スクロールして記事をじっと読んでいて、彼がその内容に興味を抱いているのは明白であった。
「……」
「ど、どしたの?透巳くん。顔がすごいことになってるよ?」
ネット記事を読んだ透巳は苦虫を噛み潰したような表情をしていて、全員が思わず首を傾げる。
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「「………………へっ?」」
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