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第一章 学園改革のメソッド
学園改革のメソッド8
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「すごいです。こんなに猫ちゃんたちに懐かれる人初めてです」
透巳が七匹の野良猫に身体中を覆われていると、どこからともなく若い女性の声がした。透巳が猫のモフモフを堪能しつつ声のする方へ視線を移すと、そこには一人の巫女がほうきを片手に佇んでいた。
その巫女は身長約一六〇センチ。焦げ茶色の長い髪を頭部の右下部分で緩く結んでいて、真っ赤なリボンがとても映えている。前髪は左から右にかけて徐々に長く切り揃えていて、左側が酷く短い。パッチリとした瞳は垂れ目で、優しく微笑むと更に目尻が下がる様な優しい顔立ちだ。そして短い太眉は彼女のチャームポイントである。
彼女の名前は赤松ささ。この神社で巫女として働いている一六才の少女だ。
「俺、懐かれやすいので」
「普段は私に甘えてくれるんですけど……ちょっとジェラシーです」
野良猫たちはどうやらこの神社に住み着いているようで、ささはしゃがみ込むと野良猫たちを愛おしそうに見つめた。
野良猫たちは見慣れたささの存在に気づいてはいたが透巳のことが余程気に入ったのか、彼の傍を離れようとしない。
ささは野良猫全てが透巳に盗られたような気がして思わずプクっと頬を膨らませた。その様子からささもかなりの猫好きであるのは一目瞭然だった。
一方、透巳はささが自分の顔を見ても大した反応を見せなかったことに少々感心していた。透巳は自他ともに認めるほど整った顔立ちをしているので、良くも悪くも目立ってしまう。あの明日歌でさえも透巳の素顔を見た時は驚いたのだ。
それなのに顔色一つ変えずに透巳と言葉を交わす彼女は、透巳にとって異質な存在だった。
「その制服、青ノ宮学園の方ですね。私の友達も青ノ宮学園に通っているんですよ」
「へぇ」
透巳の制服に目をやったささは、ふと思い出したように呟いた。だが透巳は目の前の猫に関心の全てを捧げているせいで生返事しかしない。
まぁ猫がいなかったところで透巳が興味を抱けたかは謎だが。
「……変わった人ですね」
「よく言われます」
野良猫たちによって周りをガードされていた透巳だが、このままでは埒が明かないので透巳は一匹ずつ地面に下ろした。
そんな透巳をジィーっと見つめたささはポツリと言葉を零した。何故ささがそのような印象を透巳に抱いたのかは不明だったが、誰からも一度は言われたセリフなので透巳はサラリと返した。
「私がこうして神社の仕事をしていると、みんな言うんです。今日は平日なのに学校はどうしたの?って」
「はぁ、そうですか」
確かにささは平日の午前八時だというのに制服ではなく巫女装束に身を纏い、呑気に神社の掃除をしている。普通に考えれば首を傾げる光景だ。
「でもあなたは聞かないどころか疑問にも思っていない。私に……というか、ほとんどのものに興味が無いんですね」
「……つい最近同じようなことを言われました」
この瞬きする様な時間で明日歌と同じ結論に至ったささに、透巳はほんの少しだけ驚きの表情を見せた。同時に、似たような人間が近くにいたものだと感心もしていた。
「あぁでも、あなたはとてもいい人に見えます」
他人に興味が無いというのは、傍から聞けば肯定的な意見ではない。だがささは透巳のことを好意的に見ていたらしい。
「……そんなことありませんよ。俺、性格悪いですし、なかなかのクズなので」
「…………ふふっ……あははっ!」
「笑うところありました?」
必要以上に自分を卑下した透巳にささは何故か声を上げて笑い始めた。心底楽しそうに笑みを浮かべるささの頬は桜色に色づき、透巳はキョトンとした相好を見せる。
「ごめんなさいっ……私の友達にもあなたと全く同じことを言う人がいて。それでおかしくなってしまって……その人も、自分は悪人だってよく言うんですよ」
「へぇー」
どうやらささの知人にも透巳のように自身を卑下する人物がいたようだ。確かにこんなネガティブ発言をする人間が近くに二人もいれば笑いたくもなるだろう。
「それにしても時間はいいんですか?もうそろそろ学校が始まるんじゃあ……」
「あ。ほんとだ」
猫との戯れに夢中になっていた透巳は時間をすっかり忘れていて、ささの指摘で漸く腕時計に目をやった。今は八時過ぎなので急がなければ遅刻である。
「じゃあね、野良ちゃんたち」
「この子たちが恋しくなったらいつでも来てください」
透巳は目を細めながら野良猫の頭を撫でると別れの言葉を告げた。本当は学校など放って野良猫たちと過ごしたかった透巳だが、その気持ちをぐっと堪えて立ち上がる。
ささに一礼した透巳は学校への道を歩き始めた。ささも掃除を終えると神社の中に戻り、鳥居前には野良猫たちだけが残される。
だが、そんな神社の様子をジィーっと見つめる存在が一人。
「アイツ……」
その人物は透巳が去っていった方角を恨めし気に睨むと、ポツリと呟いた。
********
「…………」
何とか遅刻することなく、一時間目から七時間目までの授業を受け終えた透巳。今は午後四時で西日が眩しい時間帯だ。
透巳は一刻も早く帰るために下駄箱にいるのだが、靴以外の何かが入り込んでいることに気づき固まる。
「お、透巳くん。なになに?どしたの?」
「ラブレター?」
「違いますよ」
透巳が手にしているのは封筒とその中に入っていたと思われる一枚の紙。手紙が透巳の下駄箱の中に入っていたのだ。
ちょうど同じタイミングで帰ろうとしたF組生徒たちは透巳の存在に気づき、その手元を覗き込んだ。放課後の下駄箱に一通の手紙。その状況だけで恋文だと判断した兼だが、透巳は即行で否定した。
「「果たし状??」」
全員が透巳の視線を追うと、手紙には大きく下手くそな字でそう綴られていた。思わずF組生徒たちの声が重なる。あまりにも息ぴったりなその反応に、透巳は仲が良いなとしみじみ思い破顔する。
「えー、なになに?……果たし状、一年A組の神坂透巳。放課後体育館裏まで来い。来なかったらぶっ殺す。正義の味方より……ってこれなに?」
「…………」
「透巳くん、すごい顔してるよ。イケメンが台無しだよ」
手紙の内容を全て読み上げた明日歌は内容の脈絡の無さに首を傾げた。明日歌が透巳の方に視線を向けると、彼は心底嫌そうな歪んだ相好をしていて明日歌が少し引くほどだった。
明日歌に指摘されいつもの無表情に戻った透巳は何の躊躇いもなく果たし状を破り捨てる。紙が破れる心地よい音は、騒がしい下校時間には目立たない。
「わぁお。透巳くんってばフラグを躊躇なくへし折るねぇ」
「今日は早く帰らないといけないので」
無残にも地面にひらひらと落ちた紙切れ。それを目で追った明日歌は透巳の潔さに感嘆の声を漏らした。
「というわけで俺は帰ります」
「あ、うん。私たちも帰るから一緒に行こ」
果たし状のことはまるで視界に入っていない透巳に驚きつつ、明日歌たちは彼の後を追う様に下駄箱を去った。
だが校門まで歩を進めると、透巳と明日歌たちの前に一人の男子生徒が立ちはだかった。
その生徒は身長約一六〇センチ強。高校生男児にしては低い身長だ。真っ黒な瞳は異様なほど大きい。だが決して中性的な訳ではなく、どちらかというと成長の遅れている少年という感じだ。紺色のネクタイをしていることから彼が一年生だということが分かる。
彼の名前は青ノ宮百弥。小さいのにどこか威圧感のある百弥は透巳のことを睨み据えている。
「おい!果たし状送ったのに何で無視してんだよ!」
「……誰ですか?」
百弥の言葉から彼が果たし状を送りつけてきた犯人だということに気づいてしまった透巳は、少々苛ついた様子で尋ねた。
「青ノ宮弟じゃん。何してんの?」
「F組のリーダーは黙ってろ。俺は今コイツに用があるんだ」
透巳にとっては初対面の相手だが、明日歌たちはどうやら顔見知りのようだった。だが明日歌の問いかけに百弥は素っ気無く返す。
一方、透巳は〝青ノ宮〟という苗字のおかげで、目の前でガンを飛ばしてくる存在の正体に気づいた。
青ノ宮なんて珍しい苗字がそうそう何人もいる訳がない。なので百弥がこの学園の理事長の息子であることが透巳には分かった。
「コイツは青ノ宮百弥。今分かったとは思うけど、青ノ宮学園の理事長の次男坊。因みに兄貴の方もいるんだけど……」
「なんや?アンタの方から俺の話するなんて、珍しいこともあるもんやな。明日は雪か?」
次男坊ということは少なくとも長男がいるはず。透巳の疑問を逸早く察知した明日歌はその人物について語ろうとしたが、それは当の本人によって遮られてしまった。
ここが東京であることを疑ってしまうような関西弁の彼は茶化すように言った。
身長約一七〇センチの背丈は猫背気味で彼の飄々とした態度を強調している。焦げた茶色の髪は短く切り揃えている。特質した容姿ではないが、張り付いた笑顔がどこか不気味で異質な雰囲気を醸し出している。
ベージュ色のネクタイから、彼が明日歌や遥音と同じ高校二年生であることが分かった。
彼の名前は青ノ宮薔弥。百弥の唯一の兄である。
「げ。薔弥……何でアンタがここにいんのよ」
「なんや酷い言い草やなぁ……俺は自分の高校にいるのも許されへんのか?なぁどう思う?神坂透巳くん」
明日歌は心底嫌そうな声で薔弥に尋ねた。これでは先刻までの透巳と同じである。だが弟であるはずの百弥も薔弥に射殺さんばかりの眼光を向けていたので、薔弥自身に問題があるのは明らかだった。少なくとも、明日歌と百弥に嫌われる程度の問題が。
透巳は何故薔弥が自分の名前を知っているのか疑問に思ったが、とりあえず彼の問いに答えることにした。
「そうですね……雪が降るのは勘弁してほしいです。俺究極の寒がりなので」
「…………ぶっ、あははははははははははははは!!おっかしい……透巳くんおもろいなぁ」
真顔でそんなことを言った透巳に薔弥は大声で笑い転げた。薔弥の〝明日は雪か?〟という冗談を透巳が真に受けたことは明らかだったので、薔弥のツボにハマったようだ。
「透巳くん、紹介したくないけどコイツは二年A組の青ノ宮薔弥。百弥の兄貴ね。控えめに言ってクズだから関わらない方が良いよ。あとコイツの喋りはエセ関西弁だから。東京生まれ、東京育ちの正真正銘の関東人だから勘違いしないでね」
「エセ……」
「そ。関西人敵に回すようなもんだよね」
第一印象から強烈的だった関西弁がキャラ付けだったことに透巳は多少なりとも驚いた。そもそも弟である百弥が関西弁ではないので、いづれはその結論に至ってしまうのだ。
「おい!俺のこと忘れてんじゃねぇよ!」
「あ、すいません……えっと、何の用ですか?俺急いでるんですけど」
話題の矛先がすっかり薔弥に移行してしまったせいで忘れ去られた百弥は苛ついた様子で怒鳴った。だが苛ついているのは透巳も同じなので強気で返す。
「お前、今朝ささと話してただろう?」
「ささ?誰ですかそれ」
「とぼけてんじゃねぇ!」
透巳は今朝神社で出会った巫女の名前を知らなかったので素直に首を傾げた。だが元々透巳は神社で自分たちを監視する誰かの気配に気づいていた。その正体が百弥であることと今朝会話をした巫女のことも踏まえれば、百弥の言う〝ささ〟が誰かだなんてすぐに見当がつく。
なので百弥の怒りは間違ったものではなかった。透巳は分かった上でとぼけているのだから。
「今朝神社で話してただろうが!」
「あぁ……猫好き同志さんのことですか。それが何か?」
怒りそのままに怒鳴り散らす百弥とは対照的に、透巳は冷静に対応する。感情的な百弥以外の面々は透巳の放った〝猫好き同志〟という謎の単語に首を傾げていたが、それを尋ねられる雰囲気ではない。
「とぼけんな!アイツに近づく男は大抵下心ある奴なんだよ!」
「…………」
ささのことを詳しく知らなかった透巳とF組生徒たちはこの瞬間理解した。百弥がささに恋情という意味での好意を抱いているということに。本人が自覚しているかどうかは別として、百弥が恋をしているのは間違いないだろう。要するに百弥は嫉妬で透巳に突っかかっているというわけだ。
「俺彼女いるから心配しなくても……」
「そんな口から出まかせ言ったところで騙されねぇぞ!」
(めんどくさいな……)
透巳は百弥の勘違いを修正しようと試みたが、相手は全く聞く耳を持たない。透巳は思わずため息をつきたくなったが、心の声に留めておく。
すると百弥は怒鳴りついでに透巳に突然殴りかかった。百弥がすぐ手を出すような人間であることは透巳以外周知の事実のようで、明日歌たちは然程驚いてはいなかった。
だがその矛先が透巳に向いているのは事実なので、明日歌たちは彼の身を案じて慌てている。
だがそれは杞憂に終わる。
透巳は素早い百弥の拳を左腕で押さえて軽く避けると、勢いそのままに左足で回し蹴りを繰り出した。透巳はその攻撃を百弥の顔すれすれで寸止めする。
透巳の見事な動きに百弥は目を見開く。だが驚いたのは百弥だけではなく、F組生徒たちも口を半開きにして呆然としている。
「お前、なんかやってたのか?」
「小学校の頃に空手を。やめてからは我流ですよ」
そう。透巳は小学生の頃とある事情から空手を習っていたのだ。中学生になる頃にはそのとある事情が消失したので、透巳はあっさりとやめてしまったのだが。それでも小学生の頃何度も空手の大会で優勝した程度には実力者なのだ。
空中で留めていた左脚を静かに下ろした透巳は何の前触れもなくスマホを取り出し、その画面を百弥に見せつけた。
透巳が七匹の野良猫に身体中を覆われていると、どこからともなく若い女性の声がした。透巳が猫のモフモフを堪能しつつ声のする方へ視線を移すと、そこには一人の巫女がほうきを片手に佇んでいた。
その巫女は身長約一六〇センチ。焦げ茶色の長い髪を頭部の右下部分で緩く結んでいて、真っ赤なリボンがとても映えている。前髪は左から右にかけて徐々に長く切り揃えていて、左側が酷く短い。パッチリとした瞳は垂れ目で、優しく微笑むと更に目尻が下がる様な優しい顔立ちだ。そして短い太眉は彼女のチャームポイントである。
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野良猫たちは見慣れたささの存在に気づいてはいたが透巳のことが余程気に入ったのか、彼の傍を離れようとしない。
ささは野良猫全てが透巳に盗られたような気がして思わずプクっと頬を膨らませた。その様子からささもかなりの猫好きであるのは一目瞭然だった。
一方、透巳はささが自分の顔を見ても大した反応を見せなかったことに少々感心していた。透巳は自他ともに認めるほど整った顔立ちをしているので、良くも悪くも目立ってしまう。あの明日歌でさえも透巳の素顔を見た時は驚いたのだ。
それなのに顔色一つ変えずに透巳と言葉を交わす彼女は、透巳にとって異質な存在だった。
「その制服、青ノ宮学園の方ですね。私の友達も青ノ宮学園に通っているんですよ」
「へぇ」
透巳の制服に目をやったささは、ふと思い出したように呟いた。だが透巳は目の前の猫に関心の全てを捧げているせいで生返事しかしない。
まぁ猫がいなかったところで透巳が興味を抱けたかは謎だが。
「……変わった人ですね」
「よく言われます」
野良猫たちによって周りをガードされていた透巳だが、このままでは埒が明かないので透巳は一匹ずつ地面に下ろした。
そんな透巳をジィーっと見つめたささはポツリと言葉を零した。何故ささがそのような印象を透巳に抱いたのかは不明だったが、誰からも一度は言われたセリフなので透巳はサラリと返した。
「私がこうして神社の仕事をしていると、みんな言うんです。今日は平日なのに学校はどうしたの?って」
「はぁ、そうですか」
確かにささは平日の午前八時だというのに制服ではなく巫女装束に身を纏い、呑気に神社の掃除をしている。普通に考えれば首を傾げる光景だ。
「でもあなたは聞かないどころか疑問にも思っていない。私に……というか、ほとんどのものに興味が無いんですね」
「……つい最近同じようなことを言われました」
この瞬きする様な時間で明日歌と同じ結論に至ったささに、透巳はほんの少しだけ驚きの表情を見せた。同時に、似たような人間が近くにいたものだと感心もしていた。
「あぁでも、あなたはとてもいい人に見えます」
他人に興味が無いというのは、傍から聞けば肯定的な意見ではない。だがささは透巳のことを好意的に見ていたらしい。
「……そんなことありませんよ。俺、性格悪いですし、なかなかのクズなので」
「…………ふふっ……あははっ!」
「笑うところありました?」
必要以上に自分を卑下した透巳にささは何故か声を上げて笑い始めた。心底楽しそうに笑みを浮かべるささの頬は桜色に色づき、透巳はキョトンとした相好を見せる。
「ごめんなさいっ……私の友達にもあなたと全く同じことを言う人がいて。それでおかしくなってしまって……その人も、自分は悪人だってよく言うんですよ」
「へぇー」
どうやらささの知人にも透巳のように自身を卑下する人物がいたようだ。確かにこんなネガティブ発言をする人間が近くに二人もいれば笑いたくもなるだろう。
「それにしても時間はいいんですか?もうそろそろ学校が始まるんじゃあ……」
「あ。ほんとだ」
猫との戯れに夢中になっていた透巳は時間をすっかり忘れていて、ささの指摘で漸く腕時計に目をやった。今は八時過ぎなので急がなければ遅刻である。
「じゃあね、野良ちゃんたち」
「この子たちが恋しくなったらいつでも来てください」
透巳は目を細めながら野良猫の頭を撫でると別れの言葉を告げた。本当は学校など放って野良猫たちと過ごしたかった透巳だが、その気持ちをぐっと堪えて立ち上がる。
ささに一礼した透巳は学校への道を歩き始めた。ささも掃除を終えると神社の中に戻り、鳥居前には野良猫たちだけが残される。
だが、そんな神社の様子をジィーっと見つめる存在が一人。
「アイツ……」
その人物は透巳が去っていった方角を恨めし気に睨むと、ポツリと呟いた。
********
「…………」
何とか遅刻することなく、一時間目から七時間目までの授業を受け終えた透巳。今は午後四時で西日が眩しい時間帯だ。
透巳は一刻も早く帰るために下駄箱にいるのだが、靴以外の何かが入り込んでいることに気づき固まる。
「お、透巳くん。なになに?どしたの?」
「ラブレター?」
「違いますよ」
透巳が手にしているのは封筒とその中に入っていたと思われる一枚の紙。手紙が透巳の下駄箱の中に入っていたのだ。
ちょうど同じタイミングで帰ろうとしたF組生徒たちは透巳の存在に気づき、その手元を覗き込んだ。放課後の下駄箱に一通の手紙。その状況だけで恋文だと判断した兼だが、透巳は即行で否定した。
「「果たし状??」」
全員が透巳の視線を追うと、手紙には大きく下手くそな字でそう綴られていた。思わずF組生徒たちの声が重なる。あまりにも息ぴったりなその反応に、透巳は仲が良いなとしみじみ思い破顔する。
「えー、なになに?……果たし状、一年A組の神坂透巳。放課後体育館裏まで来い。来なかったらぶっ殺す。正義の味方より……ってこれなに?」
「…………」
「透巳くん、すごい顔してるよ。イケメンが台無しだよ」
手紙の内容を全て読み上げた明日歌は内容の脈絡の無さに首を傾げた。明日歌が透巳の方に視線を向けると、彼は心底嫌そうな歪んだ相好をしていて明日歌が少し引くほどだった。
明日歌に指摘されいつもの無表情に戻った透巳は何の躊躇いもなく果たし状を破り捨てる。紙が破れる心地よい音は、騒がしい下校時間には目立たない。
「わぁお。透巳くんってばフラグを躊躇なくへし折るねぇ」
「今日は早く帰らないといけないので」
無残にも地面にひらひらと落ちた紙切れ。それを目で追った明日歌は透巳の潔さに感嘆の声を漏らした。
「というわけで俺は帰ります」
「あ、うん。私たちも帰るから一緒に行こ」
果たし状のことはまるで視界に入っていない透巳に驚きつつ、明日歌たちは彼の後を追う様に下駄箱を去った。
だが校門まで歩を進めると、透巳と明日歌たちの前に一人の男子生徒が立ちはだかった。
その生徒は身長約一六〇センチ強。高校生男児にしては低い身長だ。真っ黒な瞳は異様なほど大きい。だが決して中性的な訳ではなく、どちらかというと成長の遅れている少年という感じだ。紺色のネクタイをしていることから彼が一年生だということが分かる。
彼の名前は青ノ宮百弥。小さいのにどこか威圧感のある百弥は透巳のことを睨み据えている。
「おい!果たし状送ったのに何で無視してんだよ!」
「……誰ですか?」
百弥の言葉から彼が果たし状を送りつけてきた犯人だということに気づいてしまった透巳は、少々苛ついた様子で尋ねた。
「青ノ宮弟じゃん。何してんの?」
「F組のリーダーは黙ってろ。俺は今コイツに用があるんだ」
透巳にとっては初対面の相手だが、明日歌たちはどうやら顔見知りのようだった。だが明日歌の問いかけに百弥は素っ気無く返す。
一方、透巳は〝青ノ宮〟という苗字のおかげで、目の前でガンを飛ばしてくる存在の正体に気づいた。
青ノ宮なんて珍しい苗字がそうそう何人もいる訳がない。なので百弥がこの学園の理事長の息子であることが透巳には分かった。
「コイツは青ノ宮百弥。今分かったとは思うけど、青ノ宮学園の理事長の次男坊。因みに兄貴の方もいるんだけど……」
「なんや?アンタの方から俺の話するなんて、珍しいこともあるもんやな。明日は雪か?」
次男坊ということは少なくとも長男がいるはず。透巳の疑問を逸早く察知した明日歌はその人物について語ろうとしたが、それは当の本人によって遮られてしまった。
ここが東京であることを疑ってしまうような関西弁の彼は茶化すように言った。
身長約一七〇センチの背丈は猫背気味で彼の飄々とした態度を強調している。焦げた茶色の髪は短く切り揃えている。特質した容姿ではないが、張り付いた笑顔がどこか不気味で異質な雰囲気を醸し出している。
ベージュ色のネクタイから、彼が明日歌や遥音と同じ高校二年生であることが分かった。
彼の名前は青ノ宮薔弥。百弥の唯一の兄である。
「げ。薔弥……何でアンタがここにいんのよ」
「なんや酷い言い草やなぁ……俺は自分の高校にいるのも許されへんのか?なぁどう思う?神坂透巳くん」
明日歌は心底嫌そうな声で薔弥に尋ねた。これでは先刻までの透巳と同じである。だが弟であるはずの百弥も薔弥に射殺さんばかりの眼光を向けていたので、薔弥自身に問題があるのは明らかだった。少なくとも、明日歌と百弥に嫌われる程度の問題が。
透巳は何故薔弥が自分の名前を知っているのか疑問に思ったが、とりあえず彼の問いに答えることにした。
「そうですね……雪が降るのは勘弁してほしいです。俺究極の寒がりなので」
「…………ぶっ、あははははははははははははは!!おっかしい……透巳くんおもろいなぁ」
真顔でそんなことを言った透巳に薔弥は大声で笑い転げた。薔弥の〝明日は雪か?〟という冗談を透巳が真に受けたことは明らかだったので、薔弥のツボにハマったようだ。
「透巳くん、紹介したくないけどコイツは二年A組の青ノ宮薔弥。百弥の兄貴ね。控えめに言ってクズだから関わらない方が良いよ。あとコイツの喋りはエセ関西弁だから。東京生まれ、東京育ちの正真正銘の関東人だから勘違いしないでね」
「エセ……」
「そ。関西人敵に回すようなもんだよね」
第一印象から強烈的だった関西弁がキャラ付けだったことに透巳は多少なりとも驚いた。そもそも弟である百弥が関西弁ではないので、いづれはその結論に至ってしまうのだ。
「おい!俺のこと忘れてんじゃねぇよ!」
「あ、すいません……えっと、何の用ですか?俺急いでるんですけど」
話題の矛先がすっかり薔弥に移行してしまったせいで忘れ去られた百弥は苛ついた様子で怒鳴った。だが苛ついているのは透巳も同じなので強気で返す。
「お前、今朝ささと話してただろう?」
「ささ?誰ですかそれ」
「とぼけてんじゃねぇ!」
透巳は今朝神社で出会った巫女の名前を知らなかったので素直に首を傾げた。だが元々透巳は神社で自分たちを監視する誰かの気配に気づいていた。その正体が百弥であることと今朝会話をした巫女のことも踏まえれば、百弥の言う〝ささ〟が誰かだなんてすぐに見当がつく。
なので百弥の怒りは間違ったものではなかった。透巳は分かった上でとぼけているのだから。
「今朝神社で話してただろうが!」
「あぁ……猫好き同志さんのことですか。それが何か?」
怒りそのままに怒鳴り散らす百弥とは対照的に、透巳は冷静に対応する。感情的な百弥以外の面々は透巳の放った〝猫好き同志〟という謎の単語に首を傾げていたが、それを尋ねられる雰囲気ではない。
「とぼけんな!アイツに近づく男は大抵下心ある奴なんだよ!」
「…………」
ささのことを詳しく知らなかった透巳とF組生徒たちはこの瞬間理解した。百弥がささに恋情という意味での好意を抱いているということに。本人が自覚しているかどうかは別として、百弥が恋をしているのは間違いないだろう。要するに百弥は嫉妬で透巳に突っかかっているというわけだ。
「俺彼女いるから心配しなくても……」
「そんな口から出まかせ言ったところで騙されねぇぞ!」
(めんどくさいな……)
透巳は百弥の勘違いを修正しようと試みたが、相手は全く聞く耳を持たない。透巳は思わずため息をつきたくなったが、心の声に留めておく。
すると百弥は怒鳴りついでに透巳に突然殴りかかった。百弥がすぐ手を出すような人間であることは透巳以外周知の事実のようで、明日歌たちは然程驚いてはいなかった。
だがその矛先が透巳に向いているのは事実なので、明日歌たちは彼の身を案じて慌てている。
だがそれは杞憂に終わる。
透巳は素早い百弥の拳を左腕で押さえて軽く避けると、勢いそのままに左足で回し蹴りを繰り出した。透巳はその攻撃を百弥の顔すれすれで寸止めする。
透巳の見事な動きに百弥は目を見開く。だが驚いたのは百弥だけではなく、F組生徒たちも口を半開きにして呆然としている。
「お前、なんかやってたのか?」
「小学校の頃に空手を。やめてからは我流ですよ」
そう。透巳は小学生の頃とある事情から空手を習っていたのだ。中学生になる頃にはそのとある事情が消失したので、透巳はあっさりとやめてしまったのだが。それでも小学生の頃何度も空手の大会で優勝した程度には実力者なのだ。
空中で留めていた左脚を静かに下ろした透巳は何の前触れもなくスマホを取り出し、その画面を百弥に見せつけた。
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