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114.彼が陽の光を浴びる時-戦闘編8-
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ビチャ!!ドチャ!!
「ひっ……!」
アデルの身体の一部が部屋に叩き付けられるという酸鼻な光景を前に、ネミウスは思わず悲鳴を上げた。
当のアデルはというと、一瞬だけ顔を顰めはしたものの、すぐに意識を集中させることで、欠損した左腕と右脚を再生させている。同時に破れてしまった衣服も、布地用のジルを操り結合させることで、破れる前にほぼ近しい状態まで修繕した。
「……其方、操志者であったか」
「あっ、流石にバレたかな?」
納得したように重く呟くアデルに対し、当のアイシャは間の抜けた声である。
アデルの左腕と右脚を吹き飛ばした攻撃の正体は、切断された弾丸のジルが操られたことによって成立していたのだ。
言葉で説明するのは簡単だが、復元した弾丸を狙撃銃と同等の威力で操ることなど、並みの操志者にできる芸当ではない。
「アイシャちゃんが狙撃手としても操志者としても一流だってこと、わかってもらえたかな?」
「……?」
アイシャはご機嫌な様子がありありと伝わってくるような満面の笑みで、コテっと首を傾げて見せた。だが、問いを投げかけられている立場のアデルは、何故か不思議そうに首を傾げている。
「どうしたのかな?レディバグの長さん」
「いや……。
狙撃手としての一流も、操志者としての一流も……我の仲間におるのでな。お主が何故自分を一流だと思っているのか、甚だ疑問であっただけである」
「「…………」」
さも当然といった口調のアデルは、自分が大分酷いことを言っている自覚がないようだ。これには思わず仮面の組織の二人も面食らってしまう。
妙な空気が流れていると、不意にアイシャの口から「ふふっ……」という笑い声が漏れ出す。
「きみ……無自覚に人を煽る天才みたいだねっ!!」
勢いよく言い放つと、アイシャは己の外套をバサッと翻した。その外套には、数え切れないほどの武器弾薬が仕込まれており、それを目にしただけで彼女が何を成そうとしているのかは一目瞭然であった。
アイシャは数え切れないほどの武器弾薬のジルを操ると、それらをアデルに向けて一斉に放つ。
アデルは目にも止まらぬ速さで向かってくる攻撃を、一つ残らず剣で薙ぎ払うが、とても反撃できる状態ではなかった。
そんな中、アイシャの後ろで様子を伺っているだけだったメギドが動きを見せる。彼は不意に、腰に帯刀している刀に手をかけると、両足に力を込めて高く跳躍した。
アデルはアイシャの攻撃を捌きつつ、そんなメギドの動きを視界の端で捉えていた。だが、アデルにできるのは彼の動向を把握することだけで、この状況で両者の相手をしている余裕などありはしない。
メギドはアイシャの攻撃に紛れ込むように、アデルの元へ一直線に向かう。空中で抜刀すると、勢いそのままに刃を振り下ろそうとしたメギド。
一方、アイシャの攻撃をかわしながらメギドの剣撃を受け止めることは不可能だと判断したアデルは、彼の攻撃をその身に受ける覚悟をする。
それでも、少しでもそのダメージを減らすために、メギドの剣筋をアデルが読もうとした、その時――。
バリンっっ!!!
「きゃあああああああ!!」
「「っ!?」」
部屋の窓ガラスが勢いよく割れる音と、突然の事態に狼狽えたネミウスの悲鳴に、アデルたちは一瞬気を取られてしまう。
そんな彼らの目に映ったのは、白く長い右脚で勇ましく窓ガラスを突き破り、突如乱入してきた一人の女性。
平均的な女性よりも頭一つ分飛びぬけた高身長。その高い背丈に見合うスラリと長い手足は雪のように白く、その肌の色だけで彼女が異国の人間であることは明らかであった。
窓を蹴破った勢いそのままに、侵入者はメギドの顔面目掛けて鋭い蹴りをお見舞いした。
「ぐっ……!」
「ちょっ……おじさまっ!?」
侵入者に蹴飛ばされたメギドは部屋の壁はおろか、屋敷中の壁全てをぶち破りながら外へと放り出されてしまった。
たった一発の蹴りで成人男性を蹴り飛ばし、あまつさえいくつもの障害物を物ともせずに、彼を吹き飛ばしてしまうなど、とても常人の力とは思えない。
衝撃のあまり、アイシャは攻撃の手を緩めて、目にも止まらぬ速さで消えてしまったメギドを視線で追った。
その一瞬の隙をついたアデルは、弾数の減った攻撃を結界で防ぎつつ、発する言葉にジルを込めて、その口を開く。
『動くな』
「うっ……」
ジルによる洗脳効果を帯びた命令を受けたアイシャは、途端に自分の身体を制御できなくなってしまう。足のつま先から頭のてっぺんまで、痺れきって自分のものでは無くなってしまったような感覚に襲われ、アイシャは一歩も動けなくなった。
だが、アイシャは自身の身体が動かないことよりも、目の前に佇む侵入者の存在が気になって仕方が無かった。
だがそれは、侵入者によって助けられたアデルも同じこと。その一方で、アイシャのような当惑は感じ取られなかった。
「林……なぜここに?」
「『なぜここに?』じゃねぇんだよ、クソアデル。てめぇアタシ以外に殺されそうになってんじゃねぇよ、殺すぞ」
侵入者――アデルの危機を蹴り一つで打開したのは、華位道国で情報収集を任されていた孫林だった。
メギドを蹴り飛ばした林は、呆けた面で首を傾げるアデルを忌々し気に見上げると、吐き捨てるように罵った。
「別に殺されそうにはなっていないのだ。我はそう簡単に死ねる身体ではない故……。
その上で、ダメージは最小限に抑えようと……」
「はぁ、でたでた……」
アデルの声を遮る形でため息をついた林は、力なく首を振り、辟易とした様子である。思わずアデルは困惑気味に首を傾げた。
「アデル、お前の悪い癖だぞ?自分がほぼ不老不死だからって、安易に攻撃を受け止めようとするの。
お前だって一思いに首を刎ねられれば死ぬんだ。それをちゃんと自覚しやがれ馬鹿が」
「む……」
林は罵詈雑言を吐いて相手を委縮させる悪癖があるが、彼女の言い分はほとんどが正論なので、アデルは返す言葉もないまま顰め面を晒した。
一方、林の登場以降完全に存在が空気と化してしまっているアイシャは、呆れたような表情で不満を漏らす。
「あのさぁ、アイシャちゃんのこと忘れてない?」
「誰だこの女」
「仮面の組織の一員である。今しがた、そこで腰を抜かしておるネミウスを殺そうとしていた故、一戦交えていたのだ」
そう言って、アデルは床に尻もちをついたまま、恐怖で微動だにしないネミウスを指さし、林に事の経緯を説明した。
「ねぇねぇ。君のおかげで一歩も動けない哀れなアイシャちゃんにも教えてよ?私の叔父様を見事に蹴り飛ばしてくれたそっちの女の子は一体誰なのかな?」
林がこの部屋に侵入してからというもの、アイシャの興味の大半を占めていたのは、メギドの安否などではなく彼を一瞬で戦いの場から離脱させた林であった。
少し挑発するような態度で、興味津々にアイシャは尋ねた。
「アタシか?アタシは、レディバグの序列三位……最強武人の孫林様だ」
「へぇ……序列三位、ね……」
アイシャが意味深に呟くと、アデルたちは林がここに来た経緯に関する情報交換を始めた。
情報収集のために華位道国に一時帰国していたはずの林がなぜここにいるのか?だとか。クルシュルージュ家との関わりを一切断ったはずのアデルが何故ここにいるのか?だとか。アデルたちはお互いの疑問をぶつけあっていた。
アイシャはその隙をついて、この場にはいないメギドに通信術で語り掛ける。
『叔父様?生きてる?』
『あぁ。なんとかな』
メギドはクルシュルージュ家から五百メートルほど離れた森の大木にぶつかったのを最後に、ようやくその勢いが減退してくれたようで、その大樹の根元で項垂れていた。
『叔父様を吹っ飛ばしたの、レディバグの中でもかなりの強者みたいだけど、どうするの?あれ、使う?』
『無論あれは使うが、儂らは逃げるぞ』
『えっ?なんで?』
あれ――その指示詞が示すものは、仮面の組織の危機的状況を打開できる程の力を持ち合わせているらしい。
にも拘らず、アデルたちを撃退しないばかりか、本来の目的であるネミウス暗殺すら諦め、逃亡という案を提示したメギドに、アイシャは少なからず疑念を抱く。
『お前は勘違いしているようだが、その強者は操志者ではない』
「はぁっ!?」
「「?」」
想定外の事実を知らされたアイシャは、思わず声を荒げて反応してしまった。
アデルたちからすれば、何の前触れもなくアイシャが突然叫んだ状況なので、二人は当惑したように首を傾げた。
「あ……あ、あっはは……ごめんねぇ、ちょっと持病の腰痛が響いちゃってさぁ」
「「……?」」
二人の怪訝な眼差しを一身に受けたアイシャは、苦し紛れすぎる言い訳をするほかない。年若いうえに、あんなにも俊敏に動けるアイシャが腰痛?という疑問符を浮かべた二人は、益々首を傾げてしまう。
アイシャは気まずそうに苦笑いを浮かべつつ、気を取り直して通信術を再開させた。
『どういうこと?操志者じゃないって』
『そのままの意味だ。あの女の蹴りにはジルの波動を感じられなかった』
『じゃあなに?叔父様をあんな勢いで蹴り飛ばした力が、操志者の力によるものじゃないってわけ?』
『あぁ。信じたくはないが、あれはあの女子の純粋な力によるものだろう』
『うーわ……なんつう馬鹿力』
人智を超越したという表現がぴったりと嵌る林の力を目の当たりにし、アイシャはどこか遠い目をした。
林はもちろんのことだが、孫家の人間は例外なく馬鹿力な為(皓然がいい例である)彼らの力を目の当たりにした者は、大抵今のアイシャのような反応を返す。
『あれを使ったところで、操志者でない人間に対しては意味を成さんからな。展開させたところで逃げるのが得策だろう』
『りょーかい』
今後の方針が定まったところで、アイシャは通信術を閉じた。何も言わずとも、林に蹴り飛ばされたメギドがその内こちらに戻って来ることなど明白であった。
「アイシャ……と言ったか」
「うん。なにかな?レディバグの長さん」
アデルに声をかけられると、アイシャはメギドと通信していたことを気取られぬよう、繕った笑みで返した。
「何故お主らは、悪魔の生きにくい世を作ろうとしている?お主らが守ろうとする悪魔の愛し子は、何故そんな世界を望んだのだ?
……何か、我らの知らぬ真実があるのであれば……」
「それ知って、どうするつもり?」
「?」
先刻の笑みとは打って変わり、どこか冷たさを帯びた問いかけに、アデルは首を傾げる。
落胆と諦観。声から読み取れたのは、相反するようにも思える二つの感情だった。
「私たちはこんな非人道的な行為に手を染めてまで、悪魔の生きにくい世を作ろうとしている。それは、私たちの……彼の目的を達する方法がそれしかないからだよ?私たちだって、好き好んで人を傷つけているわけじゃない。でも、それ以外にどうしようもないから、悪人に成り下がる覚悟を決めてこんな非道を行っている。
……知って、君たちに何が出来るの?こういっちゃ悪いけど、君たちには何もできない。悪魔の愛し子として生まれてきたくせして、全てを守ろうとする偽善者の君たちには、なにも出来ない。手を汚す覚悟もない君たちじゃ……」
「待て。勝手に分かったような口で話を進めるでない。何も我は、悪魔の生きにくい世を作ることを否定したいわけではないのだ」
「「……は?」」
思わず、アイシャと林の呆けた声が重なる。だが、両者の疑問の声には微々たる差があった。
アイシャの声から感じ取られるのは、予想だにしていなかったアデルの発言に対する純粋な困惑のみ。
だが林の声音には、その困惑に加えて、ほんの少しの怒りが込められていたのだ。
「おいアデル。そりゃあ一体どういう意味だ?てめぇ、コノハのことなんだと思ってやがる……あ?」
林は眉間に皺を寄せながらアデルの胸ぐらをつかむと、唸るような声で詰め寄った。
林が怒りを覚えた理由はたった一つ。アデルの発言を言い換えてしまうと「例えコノハの生きにくい世が完全なものとなっても構わない」ということになってしまうからだ。
コノハはレディバグの大事な仲間――言うなれば家族同然の存在である。もし万が一、アデルがコノハを軽視する意思があったとするならば、例え恋慕を向ける相手であろうと、到底許すことは出来ない。
凍り付く様な空気が広がる中、アデルが彼女の誤解を解こうとした時だった。
「――アデル様ぁ?」
窓側からした、アイシャにとって聞きなじみのない女性の声が、その凍てつく空気をぶち壊した。
声の主は、林がぶち破った窓から上品に入室すると、軽やかな足取りでアデルの近くまで歩み寄る。
百五十センチ程の、少し低めの背丈。新緑の長い髪は、頭の高い位置で左右対称にお団子にしており、そこから艶やかにツインテールが流れている。零れそうな大きな瞳は淡い黄色。
ショートパンツ型のサロペットを可愛らしく着こなしている彼女は、下からアデルの顔を覗き込んだ。
「失礼ながら、誤解が誤解を生んで面倒くさい状況になっているように見えるのですけど……大丈夫ですかぁ?」
「っ……てめぇ、外で待ってろってつっただろうが」
「そうやっていつも私とアデル様を引き裂こうとしてぇ」
苦虫をかみつぶしたような顔で林が咎めると、来訪者は面白がるような声で不満を吐露した。
一方、来訪者に次ぐ来訪者を前に、アイシャは辟易とした表情を晒す。
「なぁんか、また知らない顔が増えたねぇ」
「あら失礼♡
私、レディバグの序列十八位……こちらにおわす孫林様の側近を務めている、モエ・ピクリーよ」
来訪者――モエは艶やかにウィンクして見せると、底の見えない妖しげな笑みを浮かべて名乗るのだった。
「ひっ……!」
アデルの身体の一部が部屋に叩き付けられるという酸鼻な光景を前に、ネミウスは思わず悲鳴を上げた。
当のアデルはというと、一瞬だけ顔を顰めはしたものの、すぐに意識を集中させることで、欠損した左腕と右脚を再生させている。同時に破れてしまった衣服も、布地用のジルを操り結合させることで、破れる前にほぼ近しい状態まで修繕した。
「……其方、操志者であったか」
「あっ、流石にバレたかな?」
納得したように重く呟くアデルに対し、当のアイシャは間の抜けた声である。
アデルの左腕と右脚を吹き飛ばした攻撃の正体は、切断された弾丸のジルが操られたことによって成立していたのだ。
言葉で説明するのは簡単だが、復元した弾丸を狙撃銃と同等の威力で操ることなど、並みの操志者にできる芸当ではない。
「アイシャちゃんが狙撃手としても操志者としても一流だってこと、わかってもらえたかな?」
「……?」
アイシャはご機嫌な様子がありありと伝わってくるような満面の笑みで、コテっと首を傾げて見せた。だが、問いを投げかけられている立場のアデルは、何故か不思議そうに首を傾げている。
「どうしたのかな?レディバグの長さん」
「いや……。
狙撃手としての一流も、操志者としての一流も……我の仲間におるのでな。お主が何故自分を一流だと思っているのか、甚だ疑問であっただけである」
「「…………」」
さも当然といった口調のアデルは、自分が大分酷いことを言っている自覚がないようだ。これには思わず仮面の組織の二人も面食らってしまう。
妙な空気が流れていると、不意にアイシャの口から「ふふっ……」という笑い声が漏れ出す。
「きみ……無自覚に人を煽る天才みたいだねっ!!」
勢いよく言い放つと、アイシャは己の外套をバサッと翻した。その外套には、数え切れないほどの武器弾薬が仕込まれており、それを目にしただけで彼女が何を成そうとしているのかは一目瞭然であった。
アイシャは数え切れないほどの武器弾薬のジルを操ると、それらをアデルに向けて一斉に放つ。
アデルは目にも止まらぬ速さで向かってくる攻撃を、一つ残らず剣で薙ぎ払うが、とても反撃できる状態ではなかった。
そんな中、アイシャの後ろで様子を伺っているだけだったメギドが動きを見せる。彼は不意に、腰に帯刀している刀に手をかけると、両足に力を込めて高く跳躍した。
アデルはアイシャの攻撃を捌きつつ、そんなメギドの動きを視界の端で捉えていた。だが、アデルにできるのは彼の動向を把握することだけで、この状況で両者の相手をしている余裕などありはしない。
メギドはアイシャの攻撃に紛れ込むように、アデルの元へ一直線に向かう。空中で抜刀すると、勢いそのままに刃を振り下ろそうとしたメギド。
一方、アイシャの攻撃をかわしながらメギドの剣撃を受け止めることは不可能だと判断したアデルは、彼の攻撃をその身に受ける覚悟をする。
それでも、少しでもそのダメージを減らすために、メギドの剣筋をアデルが読もうとした、その時――。
バリンっっ!!!
「きゃあああああああ!!」
「「っ!?」」
部屋の窓ガラスが勢いよく割れる音と、突然の事態に狼狽えたネミウスの悲鳴に、アデルたちは一瞬気を取られてしまう。
そんな彼らの目に映ったのは、白く長い右脚で勇ましく窓ガラスを突き破り、突如乱入してきた一人の女性。
平均的な女性よりも頭一つ分飛びぬけた高身長。その高い背丈に見合うスラリと長い手足は雪のように白く、その肌の色だけで彼女が異国の人間であることは明らかであった。
窓を蹴破った勢いそのままに、侵入者はメギドの顔面目掛けて鋭い蹴りをお見舞いした。
「ぐっ……!」
「ちょっ……おじさまっ!?」
侵入者に蹴飛ばされたメギドは部屋の壁はおろか、屋敷中の壁全てをぶち破りながら外へと放り出されてしまった。
たった一発の蹴りで成人男性を蹴り飛ばし、あまつさえいくつもの障害物を物ともせずに、彼を吹き飛ばしてしまうなど、とても常人の力とは思えない。
衝撃のあまり、アイシャは攻撃の手を緩めて、目にも止まらぬ速さで消えてしまったメギドを視線で追った。
その一瞬の隙をついたアデルは、弾数の減った攻撃を結界で防ぎつつ、発する言葉にジルを込めて、その口を開く。
『動くな』
「うっ……」
ジルによる洗脳効果を帯びた命令を受けたアイシャは、途端に自分の身体を制御できなくなってしまう。足のつま先から頭のてっぺんまで、痺れきって自分のものでは無くなってしまったような感覚に襲われ、アイシャは一歩も動けなくなった。
だが、アイシャは自身の身体が動かないことよりも、目の前に佇む侵入者の存在が気になって仕方が無かった。
だがそれは、侵入者によって助けられたアデルも同じこと。その一方で、アイシャのような当惑は感じ取られなかった。
「林……なぜここに?」
「『なぜここに?』じゃねぇんだよ、クソアデル。てめぇアタシ以外に殺されそうになってんじゃねぇよ、殺すぞ」
侵入者――アデルの危機を蹴り一つで打開したのは、華位道国で情報収集を任されていた孫林だった。
メギドを蹴り飛ばした林は、呆けた面で首を傾げるアデルを忌々し気に見上げると、吐き捨てるように罵った。
「別に殺されそうにはなっていないのだ。我はそう簡単に死ねる身体ではない故……。
その上で、ダメージは最小限に抑えようと……」
「はぁ、でたでた……」
アデルの声を遮る形でため息をついた林は、力なく首を振り、辟易とした様子である。思わずアデルは困惑気味に首を傾げた。
「アデル、お前の悪い癖だぞ?自分がほぼ不老不死だからって、安易に攻撃を受け止めようとするの。
お前だって一思いに首を刎ねられれば死ぬんだ。それをちゃんと自覚しやがれ馬鹿が」
「む……」
林は罵詈雑言を吐いて相手を委縮させる悪癖があるが、彼女の言い分はほとんどが正論なので、アデルは返す言葉もないまま顰め面を晒した。
一方、林の登場以降完全に存在が空気と化してしまっているアイシャは、呆れたような表情で不満を漏らす。
「あのさぁ、アイシャちゃんのこと忘れてない?」
「誰だこの女」
「仮面の組織の一員である。今しがた、そこで腰を抜かしておるネミウスを殺そうとしていた故、一戦交えていたのだ」
そう言って、アデルは床に尻もちをついたまま、恐怖で微動だにしないネミウスを指さし、林に事の経緯を説明した。
「ねぇねぇ。君のおかげで一歩も動けない哀れなアイシャちゃんにも教えてよ?私の叔父様を見事に蹴り飛ばしてくれたそっちの女の子は一体誰なのかな?」
林がこの部屋に侵入してからというもの、アイシャの興味の大半を占めていたのは、メギドの安否などではなく彼を一瞬で戦いの場から離脱させた林であった。
少し挑発するような態度で、興味津々にアイシャは尋ねた。
「アタシか?アタシは、レディバグの序列三位……最強武人の孫林様だ」
「へぇ……序列三位、ね……」
アイシャが意味深に呟くと、アデルたちは林がここに来た経緯に関する情報交換を始めた。
情報収集のために華位道国に一時帰国していたはずの林がなぜここにいるのか?だとか。クルシュルージュ家との関わりを一切断ったはずのアデルが何故ここにいるのか?だとか。アデルたちはお互いの疑問をぶつけあっていた。
アイシャはその隙をついて、この場にはいないメギドに通信術で語り掛ける。
『叔父様?生きてる?』
『あぁ。なんとかな』
メギドはクルシュルージュ家から五百メートルほど離れた森の大木にぶつかったのを最後に、ようやくその勢いが減退してくれたようで、その大樹の根元で項垂れていた。
『叔父様を吹っ飛ばしたの、レディバグの中でもかなりの強者みたいだけど、どうするの?あれ、使う?』
『無論あれは使うが、儂らは逃げるぞ』
『えっ?なんで?』
あれ――その指示詞が示すものは、仮面の組織の危機的状況を打開できる程の力を持ち合わせているらしい。
にも拘らず、アデルたちを撃退しないばかりか、本来の目的であるネミウス暗殺すら諦め、逃亡という案を提示したメギドに、アイシャは少なからず疑念を抱く。
『お前は勘違いしているようだが、その強者は操志者ではない』
「はぁっ!?」
「「?」」
想定外の事実を知らされたアイシャは、思わず声を荒げて反応してしまった。
アデルたちからすれば、何の前触れもなくアイシャが突然叫んだ状況なので、二人は当惑したように首を傾げた。
「あ……あ、あっはは……ごめんねぇ、ちょっと持病の腰痛が響いちゃってさぁ」
「「……?」」
二人の怪訝な眼差しを一身に受けたアイシャは、苦し紛れすぎる言い訳をするほかない。年若いうえに、あんなにも俊敏に動けるアイシャが腰痛?という疑問符を浮かべた二人は、益々首を傾げてしまう。
アイシャは気まずそうに苦笑いを浮かべつつ、気を取り直して通信術を再開させた。
『どういうこと?操志者じゃないって』
『そのままの意味だ。あの女の蹴りにはジルの波動を感じられなかった』
『じゃあなに?叔父様をあんな勢いで蹴り飛ばした力が、操志者の力によるものじゃないってわけ?』
『あぁ。信じたくはないが、あれはあの女子の純粋な力によるものだろう』
『うーわ……なんつう馬鹿力』
人智を超越したという表現がぴったりと嵌る林の力を目の当たりにし、アイシャはどこか遠い目をした。
林はもちろんのことだが、孫家の人間は例外なく馬鹿力な為(皓然がいい例である)彼らの力を目の当たりにした者は、大抵今のアイシャのような反応を返す。
『あれを使ったところで、操志者でない人間に対しては意味を成さんからな。展開させたところで逃げるのが得策だろう』
『りょーかい』
今後の方針が定まったところで、アイシャは通信術を閉じた。何も言わずとも、林に蹴り飛ばされたメギドがその内こちらに戻って来ることなど明白であった。
「アイシャ……と言ったか」
「うん。なにかな?レディバグの長さん」
アデルに声をかけられると、アイシャはメギドと通信していたことを気取られぬよう、繕った笑みで返した。
「何故お主らは、悪魔の生きにくい世を作ろうとしている?お主らが守ろうとする悪魔の愛し子は、何故そんな世界を望んだのだ?
……何か、我らの知らぬ真実があるのであれば……」
「それ知って、どうするつもり?」
「?」
先刻の笑みとは打って変わり、どこか冷たさを帯びた問いかけに、アデルは首を傾げる。
落胆と諦観。声から読み取れたのは、相反するようにも思える二つの感情だった。
「私たちはこんな非人道的な行為に手を染めてまで、悪魔の生きにくい世を作ろうとしている。それは、私たちの……彼の目的を達する方法がそれしかないからだよ?私たちだって、好き好んで人を傷つけているわけじゃない。でも、それ以外にどうしようもないから、悪人に成り下がる覚悟を決めてこんな非道を行っている。
……知って、君たちに何が出来るの?こういっちゃ悪いけど、君たちには何もできない。悪魔の愛し子として生まれてきたくせして、全てを守ろうとする偽善者の君たちには、なにも出来ない。手を汚す覚悟もない君たちじゃ……」
「待て。勝手に分かったような口で話を進めるでない。何も我は、悪魔の生きにくい世を作ることを否定したいわけではないのだ」
「「……は?」」
思わず、アイシャと林の呆けた声が重なる。だが、両者の疑問の声には微々たる差があった。
アイシャの声から感じ取られるのは、予想だにしていなかったアデルの発言に対する純粋な困惑のみ。
だが林の声音には、その困惑に加えて、ほんの少しの怒りが込められていたのだ。
「おいアデル。そりゃあ一体どういう意味だ?てめぇ、コノハのことなんだと思ってやがる……あ?」
林は眉間に皺を寄せながらアデルの胸ぐらをつかむと、唸るような声で詰め寄った。
林が怒りを覚えた理由はたった一つ。アデルの発言を言い換えてしまうと「例えコノハの生きにくい世が完全なものとなっても構わない」ということになってしまうからだ。
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凍り付く様な空気が広がる中、アデルが彼女の誤解を解こうとした時だった。
「――アデル様ぁ?」
窓側からした、アイシャにとって聞きなじみのない女性の声が、その凍てつく空気をぶち壊した。
声の主は、林がぶち破った窓から上品に入室すると、軽やかな足取りでアデルの近くまで歩み寄る。
百五十センチ程の、少し低めの背丈。新緑の長い髪は、頭の高い位置で左右対称にお団子にしており、そこから艶やかにツインテールが流れている。零れそうな大きな瞳は淡い黄色。
ショートパンツ型のサロペットを可愛らしく着こなしている彼女は、下からアデルの顔を覗き込んだ。
「失礼ながら、誤解が誤解を生んで面倒くさい状況になっているように見えるのですけど……大丈夫ですかぁ?」
「っ……てめぇ、外で待ってろってつっただろうが」
「そうやっていつも私とアデル様を引き裂こうとしてぇ」
苦虫をかみつぶしたような顔で林が咎めると、来訪者は面白がるような声で不満を吐露した。
一方、来訪者に次ぐ来訪者を前に、アイシャは辟易とした表情を晒す。
「なぁんか、また知らない顔が増えたねぇ」
「あら失礼♡
私、レディバグの序列十八位……こちらにおわす孫林様の側近を務めている、モエ・ピクリーよ」
来訪者――モエは艶やかにウィンクして見せると、底の見えない妖しげな笑みを浮かべて名乗るのだった。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
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※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。
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