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第二章 過去との対峙編
111.彼が陽の光を浴びる時-戦闘編-5
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********
災害級野獣をその身に取り込んだツキマと、彼の攻撃によって肩を負傷したユウタロウ。両者を見比べたチサトは唇を噛みしめると、観念したように口を開いた。
「ユウちゃん……」
「っ?……チサト?」
「私、あの姿に一旦戻るわ」
「っ!?…………でもお前……」
ユウタロウは言いかけた。
あの日以来、ずっとそれを避けていたのだろう?と。
だがそんな彼の憂いの問いかけは、チサトの固い決意によって遮られる。
「いいの。ユウちゃんを失う以上に、怖いことはないもの」
「チサト……」
意を決したチサトはそっと目を閉じると、己の秘めたる力を解放した。
刹那、チサトの姿が一変した。
二メートルほどの全長。全体的に薄暗い身体。身体中からはどろどろとした体液のようなものが止めどなく溢れ、地面にシミを作っている。
腰からは四本の脚が伸び、異様なまでに指は長い。大きすぎる手の指も異様に長く、指自体が鋭い爪に見えてしまう程。
ギョロっとした眼球は左右対称についておらず、一つは人間でいう所のおでこの部分に、もう一つは耳の部分に配置されている。口に至っては身体の中間部分の端についており、それが口であると気づけない程。
更に彼女の身体からは、嗅いだことのないような異質な匂いが放たれており、思わず顔を顰めてしまう程である。
これが、人型精霊チサトの、真実の姿だった。
「はっ……やはり醜いな。人型精霊というものは……実物は初めて見たが、これ程とは……なんて悍ましいんだ」
チサトの本来の姿を初めて目の当たりにしたツキマは、汚らわしいものを見るような眼差しで彼女を見上げた。
人型精霊が人型である所以は、その醜さにある。
かつて彼女らの祖先である人型精霊は、その醜さ故に多くの者から忌避されていた。そんな人型精霊は、美しい姿の人間に焦がれた。
そしていつしか、力の減退と引き換えに人間の姿に擬態する術を身に着けた。
目を奪われるほどの美しさを持つ者がほとんどの人型精霊。それもそのはず。彼らは己の理想とする姿に擬態していたのだから。
『ユウ……チャン……』
チサトが早速己のジルをユウタロウに与えると、彼はそのジルで治癒術を行使した。すると、彼の肩の傷は刹那の内に塞がれ、ユウタロウは万全の状態にまで回復した。
「そうだ……そうでなくては張り合いがないのでな。せいぜいその醜い生き物の悪しき力を利用して、俺に挑むのだな」
「っ……。チサトは醜くねぇし、チサトのジルは悪しきものでもねぇ……こいつの全部、俺を守りたいっていう、俺に対する想いだけで出来てんだよ……それが醜いわけねぇだろうが」
『ユウ……チャン』
その眼差しは絶対零度の冷たさを孕んでいながら、業火が燃え盛るような力強さを放っていた。射殺さんばかりの睨みをツキマに向けたユウタロウは、精悍な声で憤慨した。
それを横から受けたチサトは、今にも崩れそうな声で彼を呼ぶ。
「全くもって理解できないな……その醜い生き物に一体何の価値があると?存在するだけで不快だというのに……勇者としての崇高な思想を持たずに育つと、感覚まで狂ってしまうのか?」
「あんたには理解できないだろうよ……自分の身勝手な考えと理想を周りの奴らに押し付けて、無理やり認めさせるためだけに、誰かを傷つけることも厭わないようなアンタにはな」
ユウタロウは剣を構えると、極限まで集中力を高めてツキマを捉えた。すると、低く唸りような声でチサトに呼びかける。
「チサト……一発で決める。お前の最大のジル、俺によこせ」
『ウ、ン……』
ユウタロウはチサトから大量のジルを受け取ると、それらを全て己の剣に込め、ツキマに狙いを定める。そして目にも止まらぬ速さで剣を振るうと、斬撃という名の衝撃波をツキマに向けて放った。
だが――。
その瞬間、ツキマが不敵な笑みを零した。それを、ユウタロウは決して見逃さなかった。
(なんだ……?)
ツキマの反応を怪訝に思いながらも、その時には既に斬撃を放った後で、その攻撃を遮るものは何一つなかった。
ツキマは徐に手を伸ばすと、その斬撃を一身に受けた。なんの回避も見せなかったツキマに当惑していたのも束の間、彼らはその目に映った光景を前に、全身が粟立つ感覚に震える。
まるで、斬撃ごとどこかに転移してしまったかのように。その衝撃波は瞬きする間に姿を眩まし、攻撃を受けたはずのツキマが、平然とした相好で佇んでいたから。
********
ツキマから指示を受けたソウセイは、彼経由で送られてくるユウタロウの攻撃をハヤテに向けることで、ライトを早々に片付けてしまおうと考えていた。
本来の力を発揮したチサトのジルによる攻撃。その通り道となる媒介――自分自身がどんな末路を辿るかも知らずに。
「っ……?ぐああああああああああああああああああっっ!!!」
ハヤテに向けてその衝撃波を放った瞬間、ソウセイの身体は内側から弾け、粉砕した。
ソウセイは理解できていなかったのだ。別の場所のいる人間を通して、攻撃を移動させるという技術における、中間地点の人間が被る負担を。
事実、自分自身の身体の内側から、あの威力の衝撃波が放出されるのだから、ただの人間が無事で済まされるはずが無かった。
自身がこれから死ぬという意識が芽生える暇もないほど一瞬で、あっさりと。バラバラに砕けたソウセイはその命を枯らした。
一方、衝撃波によって地面にうつ伏せの状態で倒れ込んでいたハヤテは、痺れる身体に鞭を打ってなんとか起き上がった。
その時のハヤテは、自らの父が既に息絶えていることに気づいていない訳では無かったが、最早父のことなど眼中には無かった。
ハヤテの瞳に映るのは、無惨にも身体を裂かれ、息も絶え絶えのライトただ一人だけだったから。
「ライト……?」
震える声で呼びかけても、ライトから返事が来ることはない。
刹那、ハヤテの頭に最悪の可能性がぽっ……と浮上する。
――また、自分のせいで大切な人が死んでしまうかもしれない。
「っ……だめだ……」
全身が粟立つほどの恐怖に襲われたハヤテは、虚ろな瞳でふらりと立ち上がった。
何とかしてライトを救いたい。ハヤテの頭の中はそれだけで、他のありとあらゆる思考は欠落しているようだった。
あの頃、一瞬で首を刎ねられた母を救う術を、幼いハヤテは持っていなかった。だが今は違う。まだ、微かにライトは息をしていて、ハヤテは治癒術を行使することができる。何とか彼を救うことは出来ないかと、ハヤテは一縷の望みを抱いた。
ふらつく脚でライトの元まで歩み寄るハヤテの耳には、遠くからライトの名前を呼ぶエイトの声が朧気に聞こえていた。放心状態といった様子のその声には、最早ハヤテたちに対する敵対心は感じられなかった。
ツキマの計画を知っていたのは既に死んでいるソウセイだけだったようで、エイトたちにとってこの事態は想定外の出来事だったのだ。
そして恐らく、エイトにライトを殺す意思はなかった。彼の目的は、ライトの思想を勇者至上主義に正し、彼をユウタロウの代わりの勇者とすること。ライト自身の思いや感情を考慮していなかったとはいえ、その根底にあったのは、息子を己の理想とする存在に育て上げたいという想いだった。
だからこそ、エイトは絶望した。勇者一族の意向によって、息子が死に至ってしまうかもしれないという事実を、受け入れることが出来なかった。
膝から崩れ落ちるエイトを尻目に、ハヤテはライトに治療を施すため、治癒術を行使し始めた。
「ライトっ……しっかりしろっ……」
涙を滲ませ、ぐっと唇を噛みしめながら必死に治癒術をかけるが、既に気絶しているライトの容態は悪化していくばかり。
「血が止まらないっ……この程度のジルじゃやはり……」
治癒術はジルを使って負傷者の傷を塞ぐことのできる高度な技だが、その傷が重傷であればあるほど、必要となるジルの量は増えていく。
ハヤテにはその膨大なジルを用意する手立てが無かった。
――このままでは、何もできないまま、ただ理不尽に耐えたあの頃と何も変わらない。
――また、自分のせいで大事な人が死んでしまう。
「っ……」
ポタっ……。
雫のようなハヤテの涙が、ライトの頬に飛沫をあげる。
「だめだっ……ライト……。やめてくれっ……お願いだからっ……。
ライト……っ、どうして、俺なんかを……俺なんかの為にっ……。
っ……俺をっ、一人に……しないでくれっ……」
一度溢れた涙は止まることを知らず、ハヤテの頬を伝っていく。いくらライトの無事を祈っても、どれだけ治癒術を施しても、ライトが目を覚ますことはない。
奇跡は、起きてくれない。
「っ……こうなったら、俺のジル全部使ってでも……」
大量のジルを利用する術を持たないハヤテは、自分自身の体内に含まれているジルを使うことを決断する。
人の体内に含まれているジルは、身体を構成し、かつ生命活動を維持する上で必要不可欠なもの。それを使用するということは、自らの死すら覚悟していることを意味していた。
それほどまで追い詰められていたハヤテが、自身の命を削ろうとしたその時――。
空から、唐突に歌が聴こえてきた。
「っ……?……うた?」
それは、聴いたこともないような美しい歌声で、こんな状況でも聴き惚れてしまうような威力を放っていた。
治癒術を行使する手を止めることのないまま、ハヤテは歌声の発生元を探るように、上空を見渡した。
すると、ツキマによって屋敷中に張られた結界の向こう側――ハヤテを見下ろす位置に、少女のような人影が確認できた。
歌が終わったのか、その美しい歌声が途切れたかと思うと、掻き消えそうなほど小さな声がハヤテの耳に届く。
「コラプス」
刹那、ツキマによって張られた屋敷中の結界が端から端まですべて砕け、今までの光景が夢であったように消え去った。
まるで、赤子の手を捻るかのような御業に、ハヤテは思わず呆けてしまう。そしてそれは、他の重鎮たちも同じこと。
彼らにとって、ツキマの結界は今回の計画における主軸のようなもの。それが砕かれた彼らは周章狼狽した。
結界を壊した張本人――歌の少女は、ゆっくりと上空から地上へと下降していくと、ハヤテの目の前にそっと降り立つ。
小柄な背丈に対して、煌びやかな銀髪は腰より下まで伸びるほど長い。硝子細工のような青い瞳は零れるほど大きく、白い肌も相まって当に美少女といった風体であった。
「……」
呆けた様子のハヤテは瞬きするのも忘れ、涙の滲む目で彼女を見上げた。その表情は無垢な子供のようで、触れたら簡単に壊れそうな硝子細工のようで。その眼差しを一身に受けた彼女は、心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に陥り、悲痛な面持ちになる。
「泣かないでください。……大丈夫…………神様は、ちゃんといますから」
「……?」
優しく微笑んだ彼女の言葉の意味が分からず、ハヤテは当惑気味に首を傾げた。そんなハヤテを尻目に、彼女は倒れるライトに向けて両手をかざす。
「ヒーリング」
彼女が優しく唱えた瞬間、左手の親指に嵌められている指輪が黒く光った。と同時に、ライトの身体に顕著な変化が訪れる。
ライトの身体全体が淡く暖かな光に包まれたかと思うと、衝撃波によって裂かれた左上半身が、見る見る内に再生されていったのだ。
これは治癒術ではない。ハヤテは即座に理解した。
治癒術とは、ジルを活用して傷を塞ぐ術であって、欠損した身体を再生することが出来るような術ではないのだ。悪魔や、それと同等のジル産出能力を持った者による治癒術であれば可能性はあるが、そもそもそういった人種は自己回復能力が優れている為、治癒術を極めている者が少ない。
その為、このような治癒能力を持つ人間など見たことも聞いたこともなく、ハヤテは茫然自失としてしまった。
「これは……」
「安心してください。この方は、もう大丈夫です」
「っ!……ライト……?」
メイリーンに優しく告げられると、ハヤテは恐る恐るライトを見下ろした。すると、意識を失っていたライトの瞼がピクリと動き、ハヤテは目を見開いた。
ゆっくりと、その瞼が開かれていく様から、ハヤテは目を離すことが出来ない。意識を取り戻したライトと、不安げな表情のハヤテの視線が交錯する。
「……ハ、ヤテ……?」
「っ!!ライトっ……!」
刹那、ハヤテの目から滂沱の涙があふれ、普段の整った顔立ちからは想像も出来ない程、くしゃくしゃの相好が露わになる。
いつでも冷静沈着に、己を律し、仲間の為に感情を表に出さず、一族の重鎮たちとの舌戦を掻い潜ってきたハヤテしか知らないライトにとって、その表情は衝撃的であった。
そんな衝撃冷めやらぬまま、ライトは身体に走る優しく温かい感覚に目を見開く。泣き崩れたハヤテは、居ても立っても居られないといった様子で、ライトを片腕で抱き寄せたのだ。
何が起きているのか理解できていないライトは、呆けた様子でその温かい感覚を享受することしかできない。だが、耳のすぐ近くで、すすり泣くハヤテの声を聞いていると、不思議と穏やかな気持ちになり、ライトは満足げに微笑んだ。
そして、まるで幼子のように泣きじゃくる仲間の頭を、ポンポンっと優しく叩くのだった。
災害級野獣をその身に取り込んだツキマと、彼の攻撃によって肩を負傷したユウタロウ。両者を見比べたチサトは唇を噛みしめると、観念したように口を開いた。
「ユウちゃん……」
「っ?……チサト?」
「私、あの姿に一旦戻るわ」
「っ!?…………でもお前……」
ユウタロウは言いかけた。
あの日以来、ずっとそれを避けていたのだろう?と。
だがそんな彼の憂いの問いかけは、チサトの固い決意によって遮られる。
「いいの。ユウちゃんを失う以上に、怖いことはないもの」
「チサト……」
意を決したチサトはそっと目を閉じると、己の秘めたる力を解放した。
刹那、チサトの姿が一変した。
二メートルほどの全長。全体的に薄暗い身体。身体中からはどろどろとした体液のようなものが止めどなく溢れ、地面にシミを作っている。
腰からは四本の脚が伸び、異様なまでに指は長い。大きすぎる手の指も異様に長く、指自体が鋭い爪に見えてしまう程。
ギョロっとした眼球は左右対称についておらず、一つは人間でいう所のおでこの部分に、もう一つは耳の部分に配置されている。口に至っては身体の中間部分の端についており、それが口であると気づけない程。
更に彼女の身体からは、嗅いだことのないような異質な匂いが放たれており、思わず顔を顰めてしまう程である。
これが、人型精霊チサトの、真実の姿だった。
「はっ……やはり醜いな。人型精霊というものは……実物は初めて見たが、これ程とは……なんて悍ましいんだ」
チサトの本来の姿を初めて目の当たりにしたツキマは、汚らわしいものを見るような眼差しで彼女を見上げた。
人型精霊が人型である所以は、その醜さにある。
かつて彼女らの祖先である人型精霊は、その醜さ故に多くの者から忌避されていた。そんな人型精霊は、美しい姿の人間に焦がれた。
そしていつしか、力の減退と引き換えに人間の姿に擬態する術を身に着けた。
目を奪われるほどの美しさを持つ者がほとんどの人型精霊。それもそのはず。彼らは己の理想とする姿に擬態していたのだから。
『ユウ……チャン……』
チサトが早速己のジルをユウタロウに与えると、彼はそのジルで治癒術を行使した。すると、彼の肩の傷は刹那の内に塞がれ、ユウタロウは万全の状態にまで回復した。
「そうだ……そうでなくては張り合いがないのでな。せいぜいその醜い生き物の悪しき力を利用して、俺に挑むのだな」
「っ……。チサトは醜くねぇし、チサトのジルは悪しきものでもねぇ……こいつの全部、俺を守りたいっていう、俺に対する想いだけで出来てんだよ……それが醜いわけねぇだろうが」
『ユウ……チャン』
その眼差しは絶対零度の冷たさを孕んでいながら、業火が燃え盛るような力強さを放っていた。射殺さんばかりの睨みをツキマに向けたユウタロウは、精悍な声で憤慨した。
それを横から受けたチサトは、今にも崩れそうな声で彼を呼ぶ。
「全くもって理解できないな……その醜い生き物に一体何の価値があると?存在するだけで不快だというのに……勇者としての崇高な思想を持たずに育つと、感覚まで狂ってしまうのか?」
「あんたには理解できないだろうよ……自分の身勝手な考えと理想を周りの奴らに押し付けて、無理やり認めさせるためだけに、誰かを傷つけることも厭わないようなアンタにはな」
ユウタロウは剣を構えると、極限まで集中力を高めてツキマを捉えた。すると、低く唸りような声でチサトに呼びかける。
「チサト……一発で決める。お前の最大のジル、俺によこせ」
『ウ、ン……』
ユウタロウはチサトから大量のジルを受け取ると、それらを全て己の剣に込め、ツキマに狙いを定める。そして目にも止まらぬ速さで剣を振るうと、斬撃という名の衝撃波をツキマに向けて放った。
だが――。
その瞬間、ツキマが不敵な笑みを零した。それを、ユウタロウは決して見逃さなかった。
(なんだ……?)
ツキマの反応を怪訝に思いながらも、その時には既に斬撃を放った後で、その攻撃を遮るものは何一つなかった。
ツキマは徐に手を伸ばすと、その斬撃を一身に受けた。なんの回避も見せなかったツキマに当惑していたのも束の間、彼らはその目に映った光景を前に、全身が粟立つ感覚に震える。
まるで、斬撃ごとどこかに転移してしまったかのように。その衝撃波は瞬きする間に姿を眩まし、攻撃を受けたはずのツキマが、平然とした相好で佇んでいたから。
********
ツキマから指示を受けたソウセイは、彼経由で送られてくるユウタロウの攻撃をハヤテに向けることで、ライトを早々に片付けてしまおうと考えていた。
本来の力を発揮したチサトのジルによる攻撃。その通り道となる媒介――自分自身がどんな末路を辿るかも知らずに。
「っ……?ぐああああああああああああああああああっっ!!!」
ハヤテに向けてその衝撃波を放った瞬間、ソウセイの身体は内側から弾け、粉砕した。
ソウセイは理解できていなかったのだ。別の場所のいる人間を通して、攻撃を移動させるという技術における、中間地点の人間が被る負担を。
事実、自分自身の身体の内側から、あの威力の衝撃波が放出されるのだから、ただの人間が無事で済まされるはずが無かった。
自身がこれから死ぬという意識が芽生える暇もないほど一瞬で、あっさりと。バラバラに砕けたソウセイはその命を枯らした。
一方、衝撃波によって地面にうつ伏せの状態で倒れ込んでいたハヤテは、痺れる身体に鞭を打ってなんとか起き上がった。
その時のハヤテは、自らの父が既に息絶えていることに気づいていない訳では無かったが、最早父のことなど眼中には無かった。
ハヤテの瞳に映るのは、無惨にも身体を裂かれ、息も絶え絶えのライトただ一人だけだったから。
「ライト……?」
震える声で呼びかけても、ライトから返事が来ることはない。
刹那、ハヤテの頭に最悪の可能性がぽっ……と浮上する。
――また、自分のせいで大切な人が死んでしまうかもしれない。
「っ……だめだ……」
全身が粟立つほどの恐怖に襲われたハヤテは、虚ろな瞳でふらりと立ち上がった。
何とかしてライトを救いたい。ハヤテの頭の中はそれだけで、他のありとあらゆる思考は欠落しているようだった。
あの頃、一瞬で首を刎ねられた母を救う術を、幼いハヤテは持っていなかった。だが今は違う。まだ、微かにライトは息をしていて、ハヤテは治癒術を行使することができる。何とか彼を救うことは出来ないかと、ハヤテは一縷の望みを抱いた。
ふらつく脚でライトの元まで歩み寄るハヤテの耳には、遠くからライトの名前を呼ぶエイトの声が朧気に聞こえていた。放心状態といった様子のその声には、最早ハヤテたちに対する敵対心は感じられなかった。
ツキマの計画を知っていたのは既に死んでいるソウセイだけだったようで、エイトたちにとってこの事態は想定外の出来事だったのだ。
そして恐らく、エイトにライトを殺す意思はなかった。彼の目的は、ライトの思想を勇者至上主義に正し、彼をユウタロウの代わりの勇者とすること。ライト自身の思いや感情を考慮していなかったとはいえ、その根底にあったのは、息子を己の理想とする存在に育て上げたいという想いだった。
だからこそ、エイトは絶望した。勇者一族の意向によって、息子が死に至ってしまうかもしれないという事実を、受け入れることが出来なかった。
膝から崩れ落ちるエイトを尻目に、ハヤテはライトに治療を施すため、治癒術を行使し始めた。
「ライトっ……しっかりしろっ……」
涙を滲ませ、ぐっと唇を噛みしめながら必死に治癒術をかけるが、既に気絶しているライトの容態は悪化していくばかり。
「血が止まらないっ……この程度のジルじゃやはり……」
治癒術はジルを使って負傷者の傷を塞ぐことのできる高度な技だが、その傷が重傷であればあるほど、必要となるジルの量は増えていく。
ハヤテにはその膨大なジルを用意する手立てが無かった。
――このままでは、何もできないまま、ただ理不尽に耐えたあの頃と何も変わらない。
――また、自分のせいで大事な人が死んでしまう。
「っ……」
ポタっ……。
雫のようなハヤテの涙が、ライトの頬に飛沫をあげる。
「だめだっ……ライト……。やめてくれっ……お願いだからっ……。
ライト……っ、どうして、俺なんかを……俺なんかの為にっ……。
っ……俺をっ、一人に……しないでくれっ……」
一度溢れた涙は止まることを知らず、ハヤテの頬を伝っていく。いくらライトの無事を祈っても、どれだけ治癒術を施しても、ライトが目を覚ますことはない。
奇跡は、起きてくれない。
「っ……こうなったら、俺のジル全部使ってでも……」
大量のジルを利用する術を持たないハヤテは、自分自身の体内に含まれているジルを使うことを決断する。
人の体内に含まれているジルは、身体を構成し、かつ生命活動を維持する上で必要不可欠なもの。それを使用するということは、自らの死すら覚悟していることを意味していた。
それほどまで追い詰められていたハヤテが、自身の命を削ろうとしたその時――。
空から、唐突に歌が聴こえてきた。
「っ……?……うた?」
それは、聴いたこともないような美しい歌声で、こんな状況でも聴き惚れてしまうような威力を放っていた。
治癒術を行使する手を止めることのないまま、ハヤテは歌声の発生元を探るように、上空を見渡した。
すると、ツキマによって屋敷中に張られた結界の向こう側――ハヤテを見下ろす位置に、少女のような人影が確認できた。
歌が終わったのか、その美しい歌声が途切れたかと思うと、掻き消えそうなほど小さな声がハヤテの耳に届く。
「コラプス」
刹那、ツキマによって張られた屋敷中の結界が端から端まですべて砕け、今までの光景が夢であったように消え去った。
まるで、赤子の手を捻るかのような御業に、ハヤテは思わず呆けてしまう。そしてそれは、他の重鎮たちも同じこと。
彼らにとって、ツキマの結界は今回の計画における主軸のようなもの。それが砕かれた彼らは周章狼狽した。
結界を壊した張本人――歌の少女は、ゆっくりと上空から地上へと下降していくと、ハヤテの目の前にそっと降り立つ。
小柄な背丈に対して、煌びやかな銀髪は腰より下まで伸びるほど長い。硝子細工のような青い瞳は零れるほど大きく、白い肌も相まって当に美少女といった風体であった。
「……」
呆けた様子のハヤテは瞬きするのも忘れ、涙の滲む目で彼女を見上げた。その表情は無垢な子供のようで、触れたら簡単に壊れそうな硝子細工のようで。その眼差しを一身に受けた彼女は、心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に陥り、悲痛な面持ちになる。
「泣かないでください。……大丈夫…………神様は、ちゃんといますから」
「……?」
優しく微笑んだ彼女の言葉の意味が分からず、ハヤテは当惑気味に首を傾げた。そんなハヤテを尻目に、彼女は倒れるライトに向けて両手をかざす。
「ヒーリング」
彼女が優しく唱えた瞬間、左手の親指に嵌められている指輪が黒く光った。と同時に、ライトの身体に顕著な変化が訪れる。
ライトの身体全体が淡く暖かな光に包まれたかと思うと、衝撃波によって裂かれた左上半身が、見る見る内に再生されていったのだ。
これは治癒術ではない。ハヤテは即座に理解した。
治癒術とは、ジルを活用して傷を塞ぐ術であって、欠損した身体を再生することが出来るような術ではないのだ。悪魔や、それと同等のジル産出能力を持った者による治癒術であれば可能性はあるが、そもそもそういった人種は自己回復能力が優れている為、治癒術を極めている者が少ない。
その為、このような治癒能力を持つ人間など見たことも聞いたこともなく、ハヤテは茫然自失としてしまった。
「これは……」
「安心してください。この方は、もう大丈夫です」
「っ!……ライト……?」
メイリーンに優しく告げられると、ハヤテは恐る恐るライトを見下ろした。すると、意識を失っていたライトの瞼がピクリと動き、ハヤテは目を見開いた。
ゆっくりと、その瞼が開かれていく様から、ハヤテは目を離すことが出来ない。意識を取り戻したライトと、不安げな表情のハヤテの視線が交錯する。
「……ハ、ヤテ……?」
「っ!!ライトっ……!」
刹那、ハヤテの目から滂沱の涙があふれ、普段の整った顔立ちからは想像も出来ない程、くしゃくしゃの相好が露わになる。
いつでも冷静沈着に、己を律し、仲間の為に感情を表に出さず、一族の重鎮たちとの舌戦を掻い潜ってきたハヤテしか知らないライトにとって、その表情は衝撃的であった。
そんな衝撃冷めやらぬまま、ライトは身体に走る優しく温かい感覚に目を見開く。泣き崩れたハヤテは、居ても立っても居られないといった様子で、ライトを片腕で抱き寄せたのだ。
何が起きているのか理解できていないライトは、呆けた様子でその温かい感覚を享受することしかできない。だが、耳のすぐ近くで、すすり泣くハヤテの声を聞いていると、不思議と穏やかな気持ちになり、ライトは満足げに微笑んだ。
そして、まるで幼子のように泣きじゃくる仲間の頭を、ポンポンっと優しく叩くのだった。
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◇◇◇
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(『嫌なら読むな』ではなく、『辛い気持ちになりそうな方は無理せず、もし読んで下さる場合はお気をつけて……!』の意味です)
◇◇◇
ようやく一区切りへの目処がついてきました
拙いお話ですがお付き合いいただければ幸いです
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カクヨム様にて先行掲載中です。
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