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第二章 過去との対峙編
110.彼が陽の光を浴びる時-戦闘編-4
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全長三メートル程の巨体。鱗と太い毛に覆われた身体。太く長い尾は刺々しく、牙や爪も鋭く獰猛。
迫り来ようとする災害級野獣を前に、一歩後退りながらも、視線は一切逸らそうとしないチサト。焦りながらも、頭はフル回転させて状況の打開策を探っていた。
(どうしよう……私一人じゃコイツを止めることなんてできっこない。でも放っておいたら、森の動植物に被害が……それに、最悪の場合は人里に下りる可能性も……)
そこでふと、チサトはハッと顔を上げる。なぜ自分は、人間なんかの心配をしているのかと。
自分は人間に傷つけられ、人間を憎み、人間を避けて生活してきたというのに。そもそも、人間に情を抱いたことこそが、自身が人間嫌いになるきっかけだったというのに。
(でも……)
逡巡する中、脳裏をよぎったのはユウタロウの存在。
ユウタロウは、他の人間とは違う。それは明々白々で、疑いようのない真実だった。
災害級野獣が人里に下りれば、ユウタロウにも被害が及ぶ可能性が少なからず出てくる。チサトと出会った当初、訓練の為に災害級野獣との戦闘を希望していたユウタロウのことだ。人里に災害級野獣が下りたともなれば、自ら危険に身を投じる可能性も高い。
思考が絡まり、打開策の一つも思い浮かばず、嫌な冷や汗ばかりが流れる中、災害級野獣の魔の手が迫ろうとしていた。
「っ……!」
災害級野獣の鋭い爪がチサトの頭上から振り下ろされようとしたその時――。
ガキンっ!!
「っ!?なんでっ……」
「なにボーっとしてんだよチサト。俺の許可なく死にかけてんじゃねぇ」
チサトと災害級野獣の間に割って入るように、ユウタロウが姿を現した。
ユウタロウは災害級野獣の爪を剣で防ぎつつ、呆けた面のチサトの方を振り向き、不満げな声を上げた。
突然のユウタロウの来訪に衝撃を受けると同時に、チサトは焦燥した。チサトはユウタロウに被害が及ぶことを一番に危惧していた為、この場にユウタロウがやって来ることは彼女の中で最悪の事態なのだ。
彼が自ら危機に身を投じてしまうのではないかというチサトの嫌な予感が、まんまと的中してしまった。
「あんたっ……あんた如きがこのレベルの災害級野獣に勝てるわけないわっ!早く逃げなさい!」
「は?やだ」
「はぁっ!?聞こえなかったのっ?このままだとあんた……」
チサトの声を遮るように、ユウタロウは災害級野獣の身体を押し退けると、力強く剣を振り上げて災害級野獣に身体を斬りつけた。
その刃は災害級野獣の身体に十分に届いたが、硬い皮膚には掠り傷程度のダメージしか与えられず、その掠り傷すら、災害級野獣特有の回復能力ですぐに無かったことになってしまう。
「やっぱ硬いなぁ……」
「もう分かったでしょっ!?早く逃げて……」
「つったって、お前だってこいつ倒せねぇんだろ?」
「それは……そう、かもしれないけど」
チサトはこの時、言いかけた言葉をぐっと飲みこんだ。
倒すことはできずとも、追い払うことぐらいならできるかもしれない、と。
だが、この事実を話してしまえば、必ずユウタロウにその方法を追求されてしまうだろう。チサトはそれを避けたかった。
「とにかくっ!コイツより強い災害級野獣のところにでもコイツを誘導するからっ、アンタは人里の住人の避難を……」
「俺もお前の手伝いする」
「だからっ……」
一切聞く耳を持とうとしないユウタロウに、堪忍袋の緒が切れそうになったチサトは声を荒げるが、その言葉が紡がれることはなかった。
ユウタロウの剣撃を食らった災害級野獣が、途轍もない程高周波の咆哮をユウタロウにぶつけたのだ。
音が高すぎるあまり、その全てを聴覚で捉えることはできないが、その振動波は凄まじいもので、それを正面から食らったユウタロウは数十メートル離れた大木まで吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ……!」
「ユウタロウっ!!」
木の幹に叩き付けられたユウタロウは苦悶の表情を浮かべ、目で追うのが精一杯だったチサトは、刹那の内に顔面蒼白になる。
災害級野獣はチサトよりもユウタロウの方が脅威的であることを理解しているのか、彼のみに的を絞るように突進していった。
ユウタロウは咄嗟にジルを集め、それを剣に込めると、災害級野獣の顔面目掛けて振るった。だが、災害級野獣はその剣を片手で抑え込むと、剣ごとユウタロウの身体を持ち上げてしまう。
その動きから地面に叩き付けられることを予期したユウタロウは、咄嗟に剣の柄から手を離して近くの木の枝に飛び移った。災害級野獣はユウタロウの剣をバラバラに砕くと、既のところで逃げたユウタロウに再び襲い掛かる。
武器を失ったユウタロウは森中の木々を渡りながら攻撃をよけ、その間にジルを集め、身体強化術を施すことで、反撃の機会を狙っていた。
だが、自身で集めたジルによる攻撃は、レベル四の災害級野獣にとって脅威ではなく、致命傷を負わせることはできずにいた。
そんな両者の攻防を、チサトはただ黙って見守ることしかできない。いや、チサトは何もせずただボーっと突っ立っていたわけではない。
彼女はずっと、ずっとずっと考えていた。
この危機的な状況下で、自分はどうすることが最善なのか。
ユウタロウと契約してしまえば、彼女は精霊としての力を彼に貸すことが出来る。彼女のジルとユウタロウの戦闘センスがあれば、この災害級野獣を倒すのは不可能ではない。
だが、人間と精霊の契約は、人間を嫌うチサトの生半可な精神で結んでいいものではない。
一度契約すれば、余程のことがない限り契約を解消することはない。そして契約者と精霊はまさに互いの命を預けあう存在。信頼関係がなければ契約を結んだところで長続きしないのだ。
(どうしよう……このままだとあの子、死んじゃう……。私のジルがあれば、勝てるかもしれない…………でも……)
チサトは、人間であるユウタロウにジルを貸し与えることを拒んでいるのではない。ジルを貸し与えるには、精霊はその相手と契約を結ばなければならない。
チサトには、人間と契約を結ぶ――一生を共にする覚悟が無かったのだ。
契約する以上、彼女の本来の姿を隠し通すことなど不可能……いや、できない。例え可能だったとしても、そんな上辺だけの契約は無意味だ。
つまり、ここでユウタロウに力を貸すことは、同時に彼女の秘密を彼に告げることを意味していた。
「はぁっ!!」
チサトが懊悩している最中、ユウタロウは身体強化を施した脚で災害級野獣に回し蹴りを入れるが、その脚を掴まれてしまい、そのまま地面に叩き付けられてしまう。
「ぐぁっ!!」
「っ……!」
ユウタロウが激痛に悶えていると、災害級野獣はチサトの方に視線を移した。そしてそのままチサトに的を絞ると、少しずつ足を速めて近づいていく。
その鋭い牙がチサトの首を噛み千切ろうとしたかと思うと、地面に倒れていたはずのユウタロウが、目にも止まらぬ速さで間に割って入り、咄嗟に自身の腕を差し出した。
「ぐっ……」
「っ!ユウっ……」
右腕を噛まれたユウタロウは、肉に牙が食い込む感覚に顔を顰める。
「私のことは放っておいて今すぐ逃げなさいっ!本当に死んでしまうわよっ!」
「っ……好きな女放って逃げられるわけねぇだろうがっ!!馬鹿かてめぇはっ!」
「なっ……」
苛立った様子で怒鳴ったユウタロウが災害級野獣に衝撃波を放つと、右腕から牙は離れていった。
ユウタロウは右腕に走る痛みなどお構いなしに、再び災害級野獣との戦闘を始める。
「はぁっ……はぁっ……」
どくどくと、痛いぐらいに脈打つような核の鼓動を感じながら、チサトはユウタロウの姿を目で追う。
もう、形振り構っている暇はない。
ユウタロウは、精霊であるチサトを好きだと言ってくれた。今だって、身体を張ってチサトを守ろうとしている。
精霊をジル供給の道具としてしか捉えていない人間が多い中、チサトを尊重し、命を賭して彼女を守ろうとするユウタロウの存在は貴重だ。出来ることなら、彼を救ってやりたい。これはチサトの心の底からの本音だ。
だが、もし彼にジルを貸し与えてしまえば、本当の姿を知られれば――。
彼はきっと、自分を嫌い、拒絶するだろう。
「……っ、はぁ……ばかばかしい」
それが何だというのだ。
そう自分に問いかけるように、チサトは自嘲じみた笑みを浮かべる。
嫌われたっていいじゃないか。拒絶されたっていいじゃないか。
この戦いが終わった後、無理矢理に契約を解除されたっていいじゃないか。
この尊い存在を、守ることが出来るのなら。
もしここで躊躇って、ユウタロウを失えば、きっとチサトは自分を許せない。一生後悔し、その罪を背負うことになるだろう。
チサトは決心した。
同時に、チサトを苦しめてきたあの記憶との決別をした。
「ユウタロウ」
「っ?」
「私の力を使いなさい」
********
チサトが人里で暮らしていた頃のことだった。
冒険者が取り逃がした災害級野獣が人里に下りてしまい、住人たちを襲い始めたのだ。当時のチサトの周囲には、人型精霊の契約者にふさわしい器などおらず、彼女はどのようにしてこの危機を脱するか思案した。
そして考え付いた策が、自身の本来の姿を晒すことだった。
人型精霊は真の姿になることで、通常よりも膨大なジルを生み出すことが出来る。いや、普段は本来の姿を偽っているからこそ、精霊としての力が減退してしまっているのだ。
だが人型精霊としての本来の姿になれば、悪魔に引けを取らない程のジルを生み出すことが出来る。その力は、災害級野獣が畏怖のあまり逃げ出してしまう程。
これを利用すれば、戦うことなく災害級野獣を森に追い返すことが出来るかもしれない。チサトはそう考えた。
結果、チサトの読み通り、災害級野獣は森へ逃げ、死人は一人も出なかった。
――ただ、想定外の事態が起きたのはその後だった。
『化け物っ!!』
『え……』
『なんて醜いんだっ……しかも何だこの臭いっ……悍ましいっ』
『今まで化けの皮をかぶって騙していたなんてっ……!』
『出ていけっ化け物!!ここはお前のような化け物がいていい場所じゃないっ!!』
化け物。
化け物。
化け物――。
絶句した。
人間とは、こんなに醜く、愚かで、矮小な生き物だったのかと。
確かにチサトの本来の姿は、自分自身が毛嫌いするほどのものだ。だが、今回は住人たちの命を守るため、その姿を晒したというのに。
その結果がこれかと、チサトは絶望した。恩を仇で返されるとはこういうことなのかと、チサトは嫌という程に思い知らされた。
それからチサトは人里を離れ、あの森に籠るようになった。そして、二度と本来の姿を晒すまいと、人間の姿で生き続けた。
そう、誓ったはずだった――。
********
チサトはユウタロウの前で本来の姿に戻り、その力を貸し与えた。
結果、災害級野獣はいとも簡単に倒れた。今までの戦いが、まるでお遊びであったかのような、圧勝だった。
それだけ本来の人型精霊の力は凄まじく、ユウタロウは呆けてしまった。
そしてチサトは戦いが終わると、人間の姿に戻り、蹲ってユウタロウと一切目を合わせようとしなかった。
身体中傷だらけで、ボロボロになったユウタロウは、そんなチサトに近づこうと一歩踏み出す。
「来ないで」
「チサト……」
「分かったでしょ?私は醜いの。……あんただって、私のこと……きっ、嫌いにっ……」
瞬間、チサトの身体に優しい抱擁の感覚が走る。その温かさに、チサトは彼の腕の中で目を見開く。
チサトが当惑する中、ユウタロウはゆっくりと、微睡むような暖かな言葉を紡いだ。
「チサト……っ……チサト……。
俺はな、たとえ自分が危険にさらされても、たとえ自分が苦しむことになっても、嫌われても、自分が絶対にしたくないことでも、誰かを守る為なら、自分の信念を貫くためなら、それをいとも簡単に実行しちまうお前がかっこよくて、そんなお前に惚れたんだぜ?」
「っ……!……うっ……うぅっ……」
ユウタロウの腕の中、チサトはたださめざめと泣くことしかできなかった。
滂沱の涙を流しながら、チサトは思った。ユウタロウに己のジルを貸し与えて――契約を交わしてよかったと。一生を共にするかもしれない相手に、ユウタロウを選んでよかったと。過去のトラウマに負けることなく、己の信念に従ってよかったと。
心の底から、そう思ったのだ。
********
ユウタロウに受け入れられたといっても、チサトが自身の本来の姿にコンプレックスを抱いているのは変わらず、あの日以降彼女が本来の姿を晒したことはない。
人型精霊としての本来の力を振るわなければならない程の危機に晒されなかったことも理由の一つだが、チサトがユウタロウを愛しく思えば思うほど、あの姿を見られることが怖くなってしまったのだ。
あの日、ユウタロウは彼女を受け入れてくれたというのに。
だが、ユウタロウの命がかかっている以上、怖いなどと言って尻込みしている場合ではなかった。
チサトは決意を固めていた。
――十四年ぶりに、人型精霊としての本来の力を解放するという決意を。
迫り来ようとする災害級野獣を前に、一歩後退りながらも、視線は一切逸らそうとしないチサト。焦りながらも、頭はフル回転させて状況の打開策を探っていた。
(どうしよう……私一人じゃコイツを止めることなんてできっこない。でも放っておいたら、森の動植物に被害が……それに、最悪の場合は人里に下りる可能性も……)
そこでふと、チサトはハッと顔を上げる。なぜ自分は、人間なんかの心配をしているのかと。
自分は人間に傷つけられ、人間を憎み、人間を避けて生活してきたというのに。そもそも、人間に情を抱いたことこそが、自身が人間嫌いになるきっかけだったというのに。
(でも……)
逡巡する中、脳裏をよぎったのはユウタロウの存在。
ユウタロウは、他の人間とは違う。それは明々白々で、疑いようのない真実だった。
災害級野獣が人里に下りれば、ユウタロウにも被害が及ぶ可能性が少なからず出てくる。チサトと出会った当初、訓練の為に災害級野獣との戦闘を希望していたユウタロウのことだ。人里に災害級野獣が下りたともなれば、自ら危険に身を投じる可能性も高い。
思考が絡まり、打開策の一つも思い浮かばず、嫌な冷や汗ばかりが流れる中、災害級野獣の魔の手が迫ろうとしていた。
「っ……!」
災害級野獣の鋭い爪がチサトの頭上から振り下ろされようとしたその時――。
ガキンっ!!
「っ!?なんでっ……」
「なにボーっとしてんだよチサト。俺の許可なく死にかけてんじゃねぇ」
チサトと災害級野獣の間に割って入るように、ユウタロウが姿を現した。
ユウタロウは災害級野獣の爪を剣で防ぎつつ、呆けた面のチサトの方を振り向き、不満げな声を上げた。
突然のユウタロウの来訪に衝撃を受けると同時に、チサトは焦燥した。チサトはユウタロウに被害が及ぶことを一番に危惧していた為、この場にユウタロウがやって来ることは彼女の中で最悪の事態なのだ。
彼が自ら危機に身を投じてしまうのではないかというチサトの嫌な予感が、まんまと的中してしまった。
「あんたっ……あんた如きがこのレベルの災害級野獣に勝てるわけないわっ!早く逃げなさい!」
「は?やだ」
「はぁっ!?聞こえなかったのっ?このままだとあんた……」
チサトの声を遮るように、ユウタロウは災害級野獣の身体を押し退けると、力強く剣を振り上げて災害級野獣に身体を斬りつけた。
その刃は災害級野獣の身体に十分に届いたが、硬い皮膚には掠り傷程度のダメージしか与えられず、その掠り傷すら、災害級野獣特有の回復能力ですぐに無かったことになってしまう。
「やっぱ硬いなぁ……」
「もう分かったでしょっ!?早く逃げて……」
「つったって、お前だってこいつ倒せねぇんだろ?」
「それは……そう、かもしれないけど」
チサトはこの時、言いかけた言葉をぐっと飲みこんだ。
倒すことはできずとも、追い払うことぐらいならできるかもしれない、と。
だが、この事実を話してしまえば、必ずユウタロウにその方法を追求されてしまうだろう。チサトはそれを避けたかった。
「とにかくっ!コイツより強い災害級野獣のところにでもコイツを誘導するからっ、アンタは人里の住人の避難を……」
「俺もお前の手伝いする」
「だからっ……」
一切聞く耳を持とうとしないユウタロウに、堪忍袋の緒が切れそうになったチサトは声を荒げるが、その言葉が紡がれることはなかった。
ユウタロウの剣撃を食らった災害級野獣が、途轍もない程高周波の咆哮をユウタロウにぶつけたのだ。
音が高すぎるあまり、その全てを聴覚で捉えることはできないが、その振動波は凄まじいもので、それを正面から食らったユウタロウは数十メートル離れた大木まで吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ……!」
「ユウタロウっ!!」
木の幹に叩き付けられたユウタロウは苦悶の表情を浮かべ、目で追うのが精一杯だったチサトは、刹那の内に顔面蒼白になる。
災害級野獣はチサトよりもユウタロウの方が脅威的であることを理解しているのか、彼のみに的を絞るように突進していった。
ユウタロウは咄嗟にジルを集め、それを剣に込めると、災害級野獣の顔面目掛けて振るった。だが、災害級野獣はその剣を片手で抑え込むと、剣ごとユウタロウの身体を持ち上げてしまう。
その動きから地面に叩き付けられることを予期したユウタロウは、咄嗟に剣の柄から手を離して近くの木の枝に飛び移った。災害級野獣はユウタロウの剣をバラバラに砕くと、既のところで逃げたユウタロウに再び襲い掛かる。
武器を失ったユウタロウは森中の木々を渡りながら攻撃をよけ、その間にジルを集め、身体強化術を施すことで、反撃の機会を狙っていた。
だが、自身で集めたジルによる攻撃は、レベル四の災害級野獣にとって脅威ではなく、致命傷を負わせることはできずにいた。
そんな両者の攻防を、チサトはただ黙って見守ることしかできない。いや、チサトは何もせずただボーっと突っ立っていたわけではない。
彼女はずっと、ずっとずっと考えていた。
この危機的な状況下で、自分はどうすることが最善なのか。
ユウタロウと契約してしまえば、彼女は精霊としての力を彼に貸すことが出来る。彼女のジルとユウタロウの戦闘センスがあれば、この災害級野獣を倒すのは不可能ではない。
だが、人間と精霊の契約は、人間を嫌うチサトの生半可な精神で結んでいいものではない。
一度契約すれば、余程のことがない限り契約を解消することはない。そして契約者と精霊はまさに互いの命を預けあう存在。信頼関係がなければ契約を結んだところで長続きしないのだ。
(どうしよう……このままだとあの子、死んじゃう……。私のジルがあれば、勝てるかもしれない…………でも……)
チサトは、人間であるユウタロウにジルを貸し与えることを拒んでいるのではない。ジルを貸し与えるには、精霊はその相手と契約を結ばなければならない。
チサトには、人間と契約を結ぶ――一生を共にする覚悟が無かったのだ。
契約する以上、彼女の本来の姿を隠し通すことなど不可能……いや、できない。例え可能だったとしても、そんな上辺だけの契約は無意味だ。
つまり、ここでユウタロウに力を貸すことは、同時に彼女の秘密を彼に告げることを意味していた。
「はぁっ!!」
チサトが懊悩している最中、ユウタロウは身体強化を施した脚で災害級野獣に回し蹴りを入れるが、その脚を掴まれてしまい、そのまま地面に叩き付けられてしまう。
「ぐぁっ!!」
「っ……!」
ユウタロウが激痛に悶えていると、災害級野獣はチサトの方に視線を移した。そしてそのままチサトに的を絞ると、少しずつ足を速めて近づいていく。
その鋭い牙がチサトの首を噛み千切ろうとしたかと思うと、地面に倒れていたはずのユウタロウが、目にも止まらぬ速さで間に割って入り、咄嗟に自身の腕を差し出した。
「ぐっ……」
「っ!ユウっ……」
右腕を噛まれたユウタロウは、肉に牙が食い込む感覚に顔を顰める。
「私のことは放っておいて今すぐ逃げなさいっ!本当に死んでしまうわよっ!」
「っ……好きな女放って逃げられるわけねぇだろうがっ!!馬鹿かてめぇはっ!」
「なっ……」
苛立った様子で怒鳴ったユウタロウが災害級野獣に衝撃波を放つと、右腕から牙は離れていった。
ユウタロウは右腕に走る痛みなどお構いなしに、再び災害級野獣との戦闘を始める。
「はぁっ……はぁっ……」
どくどくと、痛いぐらいに脈打つような核の鼓動を感じながら、チサトはユウタロウの姿を目で追う。
もう、形振り構っている暇はない。
ユウタロウは、精霊であるチサトを好きだと言ってくれた。今だって、身体を張ってチサトを守ろうとしている。
精霊をジル供給の道具としてしか捉えていない人間が多い中、チサトを尊重し、命を賭して彼女を守ろうとするユウタロウの存在は貴重だ。出来ることなら、彼を救ってやりたい。これはチサトの心の底からの本音だ。
だが、もし彼にジルを貸し与えてしまえば、本当の姿を知られれば――。
彼はきっと、自分を嫌い、拒絶するだろう。
「……っ、はぁ……ばかばかしい」
それが何だというのだ。
そう自分に問いかけるように、チサトは自嘲じみた笑みを浮かべる。
嫌われたっていいじゃないか。拒絶されたっていいじゃないか。
この戦いが終わった後、無理矢理に契約を解除されたっていいじゃないか。
この尊い存在を、守ることが出来るのなら。
もしここで躊躇って、ユウタロウを失えば、きっとチサトは自分を許せない。一生後悔し、その罪を背負うことになるだろう。
チサトは決心した。
同時に、チサトを苦しめてきたあの記憶との決別をした。
「ユウタロウ」
「っ?」
「私の力を使いなさい」
********
チサトが人里で暮らしていた頃のことだった。
冒険者が取り逃がした災害級野獣が人里に下りてしまい、住人たちを襲い始めたのだ。当時のチサトの周囲には、人型精霊の契約者にふさわしい器などおらず、彼女はどのようにしてこの危機を脱するか思案した。
そして考え付いた策が、自身の本来の姿を晒すことだった。
人型精霊は真の姿になることで、通常よりも膨大なジルを生み出すことが出来る。いや、普段は本来の姿を偽っているからこそ、精霊としての力が減退してしまっているのだ。
だが人型精霊としての本来の姿になれば、悪魔に引けを取らない程のジルを生み出すことが出来る。その力は、災害級野獣が畏怖のあまり逃げ出してしまう程。
これを利用すれば、戦うことなく災害級野獣を森に追い返すことが出来るかもしれない。チサトはそう考えた。
結果、チサトの読み通り、災害級野獣は森へ逃げ、死人は一人も出なかった。
――ただ、想定外の事態が起きたのはその後だった。
『化け物っ!!』
『え……』
『なんて醜いんだっ……しかも何だこの臭いっ……悍ましいっ』
『今まで化けの皮をかぶって騙していたなんてっ……!』
『出ていけっ化け物!!ここはお前のような化け物がいていい場所じゃないっ!!』
化け物。
化け物。
化け物――。
絶句した。
人間とは、こんなに醜く、愚かで、矮小な生き物だったのかと。
確かにチサトの本来の姿は、自分自身が毛嫌いするほどのものだ。だが、今回は住人たちの命を守るため、その姿を晒したというのに。
その結果がこれかと、チサトは絶望した。恩を仇で返されるとはこういうことなのかと、チサトは嫌という程に思い知らされた。
それからチサトは人里を離れ、あの森に籠るようになった。そして、二度と本来の姿を晒すまいと、人間の姿で生き続けた。
そう、誓ったはずだった――。
********
チサトはユウタロウの前で本来の姿に戻り、その力を貸し与えた。
結果、災害級野獣はいとも簡単に倒れた。今までの戦いが、まるでお遊びであったかのような、圧勝だった。
それだけ本来の人型精霊の力は凄まじく、ユウタロウは呆けてしまった。
そしてチサトは戦いが終わると、人間の姿に戻り、蹲ってユウタロウと一切目を合わせようとしなかった。
身体中傷だらけで、ボロボロになったユウタロウは、そんなチサトに近づこうと一歩踏み出す。
「来ないで」
「チサト……」
「分かったでしょ?私は醜いの。……あんただって、私のこと……きっ、嫌いにっ……」
瞬間、チサトの身体に優しい抱擁の感覚が走る。その温かさに、チサトは彼の腕の中で目を見開く。
チサトが当惑する中、ユウタロウはゆっくりと、微睡むような暖かな言葉を紡いだ。
「チサト……っ……チサト……。
俺はな、たとえ自分が危険にさらされても、たとえ自分が苦しむことになっても、嫌われても、自分が絶対にしたくないことでも、誰かを守る為なら、自分の信念を貫くためなら、それをいとも簡単に実行しちまうお前がかっこよくて、そんなお前に惚れたんだぜ?」
「っ……!……うっ……うぅっ……」
ユウタロウの腕の中、チサトはたださめざめと泣くことしかできなかった。
滂沱の涙を流しながら、チサトは思った。ユウタロウに己のジルを貸し与えて――契約を交わしてよかったと。一生を共にするかもしれない相手に、ユウタロウを選んでよかったと。過去のトラウマに負けることなく、己の信念に従ってよかったと。
心の底から、そう思ったのだ。
********
ユウタロウに受け入れられたといっても、チサトが自身の本来の姿にコンプレックスを抱いているのは変わらず、あの日以降彼女が本来の姿を晒したことはない。
人型精霊としての本来の力を振るわなければならない程の危機に晒されなかったことも理由の一つだが、チサトがユウタロウを愛しく思えば思うほど、あの姿を見られることが怖くなってしまったのだ。
あの日、ユウタロウは彼女を受け入れてくれたというのに。
だが、ユウタロウの命がかかっている以上、怖いなどと言って尻込みしている場合ではなかった。
チサトは決意を固めていた。
――十四年ぶりに、人型精霊としての本来の力を解放するという決意を。
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ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
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ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
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