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第二章 過去との対峙編
90.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか16
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七人の背中が見えなくなると、ライトは改めて目の前の敵を見据えた。三体の災害級野獣はニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべながらライトを見下ろしており、その威圧感は凄まじいものだ。
それでも、気概だけでは負けないようにと、ライトは災害級野獣を見上げながらも、キッと鋭い眼光で睨み据える。剣を構える手は微かに震えているが、それは恐怖心よりも疲労による震えだった。
ライトは災害級野獣の攻撃を剣で躱すのが精一杯で、中々攻めることが出来ない。だが、窮鼠猫を噛むということもある。ライトは根気強く、逆転の機会を狙った。
(もう絶対に、あの時みたいに逃げたりしねぇ……。今度は絶対に、俺がアイツらを守り切るんだっ)
ライトの意志は強固であった。何故なら彼は、かつて既に大事なものを取り零していたから。もう二度と、誰かが犠牲になるのを黙って見ていることなど、彼には出来なかったのだ。
********
ライトの人生において後悔があるとすれば、それは〝勇者を信じていたこと〟だ。勇者などと言う、一族の大人たちが崇める存在を信じたりしたせいで、ライトは大切な友人を失う羽目になったのだから。
――一年前に起きた、一族にとってはよくある出来事であった。
当時、訓練を始めたばかりの未熟なライトは、ある少年とペアを組んで、山での修行に臨んでいた。ユウタロウがセッコウらと親しくなるきっかけになった、あの訓練である。
山登りの最中、疲労のせいかペアの少年は足を踏み外してしまい、そのまま崖から転落してしまった。幸い、そこまで高さのある崖では無く、植物がクッション代わりを果たしてくれたおかげで、少年が重傷を負うことは無かった。ただ、足首を捻ってしまったせいか動けそうになく、少年は途方に暮れてしまった。
ライトは助けに行きたかったが、負傷した少年は崖の下。さして高さが無いと言っても、子供が自らの意思で飛び降りられる高さでも無かった。例え少年の元に駆け付けられたとしても、彼をおぶっている最中に猛獣に出くわしでもすれば、互いに無事では済まされない。
考えたライトは、大人に頼ることに決めた。その時ライトがいたのは、頂上よりも山の麓に近い地点で、頂上にいる監督役に助けを求めるよりも、一度屋敷に戻って応援を呼んだ方が早いと踏み、彼は山から離れた。
急いで屋敷に戻ったライトが最初に助けを求めたのは、実の父であり、現勇者であるエイトだった。だがライトは、この時父に縋ったことを、のちに後悔する羽目になる。
『――足を踏み外して崖から落ちた?……何故私がそんな弱者の為に骨を折らなければならない。そんな間抜けな童を助けたところで、何の利益があるというんだ。その童が成長し、悪魔討伐をしてくれるとでも?一族の繁栄に尽力できるとでも?そんな輩に構っている暇があれば、己の鍛錬に集中しろ。お前は勇者である私の息子なのだから、付き合いをよく考えなさい』
あまりの衝撃に、その時のライトは二の句が継げなかった。
一体、父は何を言っているのか?
勇者は、何を言っているのか。
これが、この国の者たちが崇拝する勇者の姿なのか?
勇者一族は家族だという、大人たちの話は何だったのか。
――こんなものが、勇者なのか?
違う、そんなはずはない。
ライトが信じていた勇者は、この世に害をなす者から人々を救う、肉体的にも精神的にも強靭な戦士のはずだった。
だが目の前の父は、勇者は、まだまだ発展途上の子供を簡単に見捨てた。何の躊躇いも無く、それが当然であるかのように。
もしも、絶望に染まりきった彼の瞳に映る存在が勇者だというのなら……。
――その瞬間。ライトは、勇者に憧憬を抱くのをやめた。
********
結局、大人は誰一人手を貸してくれず、一人で同級生を救うことにしたライトは、屋敷から命綱を持ち出すと、再び山へと向かった。
一刻も早く彼を助けたい一心で走り続けたライトは、少年が足を踏み外した崖まで辿り着くと、傍にあった大木と自分自身を命綱で繋いで、慎重に落下地点まで降下していった。
ライトは地面にそっと片足を下ろし、すぐさま少年の元へ駆け寄ろうとした。だが、そんなライトのもう片方の足は、力無く地に落ちた。つい先刻まで軽傷だった少年が、見るも無残な状態で倒れ込んでいたから。
絶望に染まりきったライトの瞳は空虚なようでいて、その色の中にはさまざまな感情が入り混じっていた。
困惑、怒り、悲しみ、動揺……。
少年は身体中に深い傷を負っており、衣服は彼の鮮血で真っ赤に染まりきっていた。顔の左側には大きな引っ掻き傷のようなものがあり、左瞼の中には、そこにあるべき眼球が存在していない。少年の左眼球はすぐ側の落ち葉の隙間に転がっており、それを認識した瞬間、ライトは膝から崩れ落ちた。
もう既に、少年は左側の世界を失ってしまったのだ。もうその左目で、陽の光を目にすることは叶わなくなってしまった。
引っ掻き傷の状態から見て、恐らくライトがこの場を離れている間に、何らかの野獣に襲われてしまったのだろう。普段であれば応戦できる相手だったかもしれないが、崖から転落して脚を挫き、弱った状態の少年になす術などなかった。
ライトは、全てを呪った。こんな運命を用意した神も、少年を助けてくれなかった一族の大人たちも。自分の身など顧みず、すぐさま少年を救助しなかった自分自身も。その全てが恨めしく、腹立たしく、同時に失望してしまった。
誇り高い勇者一族の戦士だと宣う大人たちにも。その地位に胡座を描いていた自分自身にも。ほとほと嫌気が差してしまい、ライトは期待することをやめた。
ライトが助けられなかった少年は命こそ助かったが、普通に生活することすら困難な体になってしまった。そしてそのまま、彼の母親と一緒に一族を追い出されてしまった。
こんな狂った一族に居続けるよりは、余程良かったのかもしれないと。ライトは自らに言い聞かせた。暗然とした、容赦のない現実に蓋をして、見ないようにした。
あの少年は一族から解放されたんだ。きっと今は、母親と二人で幸せに暮らしているに違いないと。そう言い聞かせておかなければ、ライト自身がどうにかなってしまいそうだったのだ。
********
荒い呼吸を刻みながら、ライトはその後悔を己に刻みつけた。そして、絶え間なく攻撃を繰り出してくる災害級野獣の猛攻を、ライトは紙一重で躱し続けている。
(あいつらを無傷で逃がせたのは幸運だったが、結構やばいな……逃げる隙なんて微塵もくれなさそうだし。助けなんて期待できるはずもねぇ……。
事故だったあの時でさえも、あいつらは手を貸してはくれなかった。しかも今回は、完全にじじぃ共の策略ときた。そもそもアイツら、俺が助けに行ったことも知らねぇしな……まぁ、アイツらが運良く結界を壊して、事情を大人に話せば……ってあぁっくそっ!それは駄目だっ。……そうなった場合、じじぃ共からしてみりゃあ、アイツらは課した修行から逃げたも同然。絶対に無事じゃ済まされない……アイツら先走ってじじぃ共に助けを求めたりしなきゃいいが……。)
プツッ……と。その時、ライトはとある人物のことを思い出した。この状況下で、自らを救ってくれるかもしれない、たった一人の存在を。
だがその人物に救済されるのは、ライトにとって死より堪え難い屈辱でもあった。
(父親なら……俺を助けにくるかもしれない。でもそれは、俺が実の息子だからとか、俺のことを大事に思っているからとか、そんな殊勝な理由じゃねぇ。ただ、俺がこの世で、勇者であるアイツの血を引く唯一の後継者だから。アイツにとって俺は、それ以上でも以下でもない。
アイツに助けられるぐらいなら、この災害級野獣共に食い殺された方がまだマシだ)
「ハハっ……」
ライトは、自嘲じみた笑みを浮かべ、そのまま呆然と立ち尽くしてしまう。
(俺……何でこんな思考になってんだ……?ったく。……何が家族だ……何が仲間だ……何が勇者一族だ。
……こんな一族、クソ喰らえなんだよ)
忌々しげに舌打ちした刹那、災害級野獣の一匹がライトに向かって毒性の唾を吐き、彼は一歩横にずれることでそれを躱した。だが、躱した瞬間、ライトは足を滑らせてしまい、ほんの僅かな隙が生まれてしまう。
ライトが体勢を崩した瞬間を見逃さなかったもう一匹の災害級野獣は、思いきり腕を振り上げて襲い掛かる。ライトは咄嗟に剣を構えて鋭い爪から逃れようとするが、僅かにタイミングが合わず、身体の左側に攻撃を食らってしまった。
「つっ……」
勢いそのまま吹っ飛ばされると、ライトはすぐ傍の大木に直撃した。身体全体に痺れるような痛みが走り、ライトは思わず顔を顰めるが、遠のきそうな意識を覚醒させると、更なる激痛に苦悶の声を漏らす。
既の所で防御したので重傷という程では無いが、左肩から左上腕には大きな引っ掻き傷ができ、肉が裂かれている。骨までは到達していないが、とても左腕を動かせる状態ではない。
「ちっ……こんな時に……」
すっかり使い物にならなくなってしまった左腕を睨み据えて舌打ちすると、ライトは徐に目の前の敵を見上げた。三体の災害級野獣は流血しているライトに少しずつ近づいたかと思うと、鼻を鳴らして下劣な笑みを浮かべた。
その表情を茫然自失と見つめていたライトは朧気に「そう言えば、コイツらは人間の血を好むんだったか……」と、諦観するように思考した。
ライトは片手で剣を振るう術を知らない。ライトは同年代の中では怪力な方ではあるが、比較的重い剣を振るう時も、通常の剣を振るう時も両手で構えていた。その方がライトに合っていたからだ。
左腕が使い物にならなくなった今、ライトは剣を振るうことが出来ない。無理矢理片手で振るったとしても、鍛錬不足ですぐに限界が来てしまうだろう。
万策尽きてしまったライトは、ゆっくりと瞼を閉じた。疲れてしまったのだ。身勝手な大人たちに振り回されるのも、戦うことも、生にしがみつくことも。
(アイツらだけでも救えたんだから、良しとするか……。後のことは知らん……なんかもう、どうでもよくなっちまった……こんなどうしようもない世界で生き続けたとして、一体何があるって……)
諦観しきったライトの元に、魔の手は少しずつ忍び寄る。
だが。
一体の災害級野獣がライトの血肉を食らおうと、その手を伸ばした、その時――。
「――ぶっっとべええええええええっっ!!」
「っ!?」
鼓膜が破れてしまいそうな程威勢の良い声に襲撃され、ライトは思わず閉じていた目を見開いた。まるで、生きることを諦めたライトを叱るようなその声に、ライトは心を鷲掴みにされる。全身の肌が粟立つような感覚があるのに、何故か嫌な感じはしなかった。
声に気を取られるあまり、ライトは気づくのが一歩遅れたが、不意に目の前を見上げると、そこには既に災害級野獣の姿は無く、三体とも何らかの攻撃によって遥か遠くへと吹っ飛ばされていた。
そして、自らの危機を救ってくれたであろう声の主の方を振り向くと、ライトは衝撃で目を見開く。
そこにいたのは、肩で息をしながら安堵の表情を浮かべるユウタロウだった。すぐ傍には、両膝に手をつきながら苦しげに呼吸するチサトの姿があり、ライトは先の攻撃の絡繰りを理解する。
精霊術師となったユウタロウが、精霊であるチサトの生み出したジルを利用して攻撃したのなら、あの威力も頷けるのだ。
頭の隅でそんなことを冷静に分析するが、その実ライトは未だに状況を理解しきれていなかった。
何故ユウタロウがここにいるのか。
どうやってここまで辿り着いたのか。
疑問は絶えないが、ライトの奥底で大きく居座っているのは、たった一つ。
――どうして、ユウタロウは自身を助けに来てくれたのか。
訳が分からないあまり、ビー玉のような瞳で彼を見上げていると、ユウタロウからビシッと鋭い叱責が飛んでくる。
「おいゴラてめぇっ!何勝手に諦めて死のうとしてやがんだ殺されたいのかふざけてんじゃねぇぞっ!!」
「……色々ごちゃ混ぜになってて矛盾が凄いけど」
物凄い剣幕で捲し立てたユウタロウを前に、ライトは呆けた面のまま冷静にツッコみを入れた。衝撃は未だ拭えていないが、自分より興奮しているユウタロウを目の当たりにしたことで平静を保てているのだ。
「うっせぇんだよてめぇ殺すぞ」
「俺に生きて欲しいのか死んでほしいのかどっちなんだよ」
不倶戴天の仇を見下ろすような鋭い眼光を向けてくるユウタロウは、とてもでは無いが、仲間を救いに来た勇者のような出で立ちでは無く、思わずライトはジト目を向けてしまうのだった。
それでも、気概だけでは負けないようにと、ライトは災害級野獣を見上げながらも、キッと鋭い眼光で睨み据える。剣を構える手は微かに震えているが、それは恐怖心よりも疲労による震えだった。
ライトは災害級野獣の攻撃を剣で躱すのが精一杯で、中々攻めることが出来ない。だが、窮鼠猫を噛むということもある。ライトは根気強く、逆転の機会を狙った。
(もう絶対に、あの時みたいに逃げたりしねぇ……。今度は絶対に、俺がアイツらを守り切るんだっ)
ライトの意志は強固であった。何故なら彼は、かつて既に大事なものを取り零していたから。もう二度と、誰かが犠牲になるのを黙って見ていることなど、彼には出来なかったのだ。
********
ライトの人生において後悔があるとすれば、それは〝勇者を信じていたこと〟だ。勇者などと言う、一族の大人たちが崇める存在を信じたりしたせいで、ライトは大切な友人を失う羽目になったのだから。
――一年前に起きた、一族にとってはよくある出来事であった。
当時、訓練を始めたばかりの未熟なライトは、ある少年とペアを組んで、山での修行に臨んでいた。ユウタロウがセッコウらと親しくなるきっかけになった、あの訓練である。
山登りの最中、疲労のせいかペアの少年は足を踏み外してしまい、そのまま崖から転落してしまった。幸い、そこまで高さのある崖では無く、植物がクッション代わりを果たしてくれたおかげで、少年が重傷を負うことは無かった。ただ、足首を捻ってしまったせいか動けそうになく、少年は途方に暮れてしまった。
ライトは助けに行きたかったが、負傷した少年は崖の下。さして高さが無いと言っても、子供が自らの意思で飛び降りられる高さでも無かった。例え少年の元に駆け付けられたとしても、彼をおぶっている最中に猛獣に出くわしでもすれば、互いに無事では済まされない。
考えたライトは、大人に頼ることに決めた。その時ライトがいたのは、頂上よりも山の麓に近い地点で、頂上にいる監督役に助けを求めるよりも、一度屋敷に戻って応援を呼んだ方が早いと踏み、彼は山から離れた。
急いで屋敷に戻ったライトが最初に助けを求めたのは、実の父であり、現勇者であるエイトだった。だがライトは、この時父に縋ったことを、のちに後悔する羽目になる。
『――足を踏み外して崖から落ちた?……何故私がそんな弱者の為に骨を折らなければならない。そんな間抜けな童を助けたところで、何の利益があるというんだ。その童が成長し、悪魔討伐をしてくれるとでも?一族の繁栄に尽力できるとでも?そんな輩に構っている暇があれば、己の鍛錬に集中しろ。お前は勇者である私の息子なのだから、付き合いをよく考えなさい』
あまりの衝撃に、その時のライトは二の句が継げなかった。
一体、父は何を言っているのか?
勇者は、何を言っているのか。
これが、この国の者たちが崇拝する勇者の姿なのか?
勇者一族は家族だという、大人たちの話は何だったのか。
――こんなものが、勇者なのか?
違う、そんなはずはない。
ライトが信じていた勇者は、この世に害をなす者から人々を救う、肉体的にも精神的にも強靭な戦士のはずだった。
だが目の前の父は、勇者は、まだまだ発展途上の子供を簡単に見捨てた。何の躊躇いも無く、それが当然であるかのように。
もしも、絶望に染まりきった彼の瞳に映る存在が勇者だというのなら……。
――その瞬間。ライトは、勇者に憧憬を抱くのをやめた。
********
結局、大人は誰一人手を貸してくれず、一人で同級生を救うことにしたライトは、屋敷から命綱を持ち出すと、再び山へと向かった。
一刻も早く彼を助けたい一心で走り続けたライトは、少年が足を踏み外した崖まで辿り着くと、傍にあった大木と自分自身を命綱で繋いで、慎重に落下地点まで降下していった。
ライトは地面にそっと片足を下ろし、すぐさま少年の元へ駆け寄ろうとした。だが、そんなライトのもう片方の足は、力無く地に落ちた。つい先刻まで軽傷だった少年が、見るも無残な状態で倒れ込んでいたから。
絶望に染まりきったライトの瞳は空虚なようでいて、その色の中にはさまざまな感情が入り混じっていた。
困惑、怒り、悲しみ、動揺……。
少年は身体中に深い傷を負っており、衣服は彼の鮮血で真っ赤に染まりきっていた。顔の左側には大きな引っ掻き傷のようなものがあり、左瞼の中には、そこにあるべき眼球が存在していない。少年の左眼球はすぐ側の落ち葉の隙間に転がっており、それを認識した瞬間、ライトは膝から崩れ落ちた。
もう既に、少年は左側の世界を失ってしまったのだ。もうその左目で、陽の光を目にすることは叶わなくなってしまった。
引っ掻き傷の状態から見て、恐らくライトがこの場を離れている間に、何らかの野獣に襲われてしまったのだろう。普段であれば応戦できる相手だったかもしれないが、崖から転落して脚を挫き、弱った状態の少年になす術などなかった。
ライトは、全てを呪った。こんな運命を用意した神も、少年を助けてくれなかった一族の大人たちも。自分の身など顧みず、すぐさま少年を救助しなかった自分自身も。その全てが恨めしく、腹立たしく、同時に失望してしまった。
誇り高い勇者一族の戦士だと宣う大人たちにも。その地位に胡座を描いていた自分自身にも。ほとほと嫌気が差してしまい、ライトは期待することをやめた。
ライトが助けられなかった少年は命こそ助かったが、普通に生活することすら困難な体になってしまった。そしてそのまま、彼の母親と一緒に一族を追い出されてしまった。
こんな狂った一族に居続けるよりは、余程良かったのかもしれないと。ライトは自らに言い聞かせた。暗然とした、容赦のない現実に蓋をして、見ないようにした。
あの少年は一族から解放されたんだ。きっと今は、母親と二人で幸せに暮らしているに違いないと。そう言い聞かせておかなければ、ライト自身がどうにかなってしまいそうだったのだ。
********
荒い呼吸を刻みながら、ライトはその後悔を己に刻みつけた。そして、絶え間なく攻撃を繰り出してくる災害級野獣の猛攻を、ライトは紙一重で躱し続けている。
(あいつらを無傷で逃がせたのは幸運だったが、結構やばいな……逃げる隙なんて微塵もくれなさそうだし。助けなんて期待できるはずもねぇ……。
事故だったあの時でさえも、あいつらは手を貸してはくれなかった。しかも今回は、完全にじじぃ共の策略ときた。そもそもアイツら、俺が助けに行ったことも知らねぇしな……まぁ、アイツらが運良く結界を壊して、事情を大人に話せば……ってあぁっくそっ!それは駄目だっ。……そうなった場合、じじぃ共からしてみりゃあ、アイツらは課した修行から逃げたも同然。絶対に無事じゃ済まされない……アイツら先走ってじじぃ共に助けを求めたりしなきゃいいが……。)
プツッ……と。その時、ライトはとある人物のことを思い出した。この状況下で、自らを救ってくれるかもしれない、たった一人の存在を。
だがその人物に救済されるのは、ライトにとって死より堪え難い屈辱でもあった。
(父親なら……俺を助けにくるかもしれない。でもそれは、俺が実の息子だからとか、俺のことを大事に思っているからとか、そんな殊勝な理由じゃねぇ。ただ、俺がこの世で、勇者であるアイツの血を引く唯一の後継者だから。アイツにとって俺は、それ以上でも以下でもない。
アイツに助けられるぐらいなら、この災害級野獣共に食い殺された方がまだマシだ)
「ハハっ……」
ライトは、自嘲じみた笑みを浮かべ、そのまま呆然と立ち尽くしてしまう。
(俺……何でこんな思考になってんだ……?ったく。……何が家族だ……何が仲間だ……何が勇者一族だ。
……こんな一族、クソ喰らえなんだよ)
忌々しげに舌打ちした刹那、災害級野獣の一匹がライトに向かって毒性の唾を吐き、彼は一歩横にずれることでそれを躱した。だが、躱した瞬間、ライトは足を滑らせてしまい、ほんの僅かな隙が生まれてしまう。
ライトが体勢を崩した瞬間を見逃さなかったもう一匹の災害級野獣は、思いきり腕を振り上げて襲い掛かる。ライトは咄嗟に剣を構えて鋭い爪から逃れようとするが、僅かにタイミングが合わず、身体の左側に攻撃を食らってしまった。
「つっ……」
勢いそのまま吹っ飛ばされると、ライトはすぐ傍の大木に直撃した。身体全体に痺れるような痛みが走り、ライトは思わず顔を顰めるが、遠のきそうな意識を覚醒させると、更なる激痛に苦悶の声を漏らす。
既の所で防御したので重傷という程では無いが、左肩から左上腕には大きな引っ掻き傷ができ、肉が裂かれている。骨までは到達していないが、とても左腕を動かせる状態ではない。
「ちっ……こんな時に……」
すっかり使い物にならなくなってしまった左腕を睨み据えて舌打ちすると、ライトは徐に目の前の敵を見上げた。三体の災害級野獣は流血しているライトに少しずつ近づいたかと思うと、鼻を鳴らして下劣な笑みを浮かべた。
その表情を茫然自失と見つめていたライトは朧気に「そう言えば、コイツらは人間の血を好むんだったか……」と、諦観するように思考した。
ライトは片手で剣を振るう術を知らない。ライトは同年代の中では怪力な方ではあるが、比較的重い剣を振るう時も、通常の剣を振るう時も両手で構えていた。その方がライトに合っていたからだ。
左腕が使い物にならなくなった今、ライトは剣を振るうことが出来ない。無理矢理片手で振るったとしても、鍛錬不足ですぐに限界が来てしまうだろう。
万策尽きてしまったライトは、ゆっくりと瞼を閉じた。疲れてしまったのだ。身勝手な大人たちに振り回されるのも、戦うことも、生にしがみつくことも。
(アイツらだけでも救えたんだから、良しとするか……。後のことは知らん……なんかもう、どうでもよくなっちまった……こんなどうしようもない世界で生き続けたとして、一体何があるって……)
諦観しきったライトの元に、魔の手は少しずつ忍び寄る。
だが。
一体の災害級野獣がライトの血肉を食らおうと、その手を伸ばした、その時――。
「――ぶっっとべええええええええっっ!!」
「っ!?」
鼓膜が破れてしまいそうな程威勢の良い声に襲撃され、ライトは思わず閉じていた目を見開いた。まるで、生きることを諦めたライトを叱るようなその声に、ライトは心を鷲掴みにされる。全身の肌が粟立つような感覚があるのに、何故か嫌な感じはしなかった。
声に気を取られるあまり、ライトは気づくのが一歩遅れたが、不意に目の前を見上げると、そこには既に災害級野獣の姿は無く、三体とも何らかの攻撃によって遥か遠くへと吹っ飛ばされていた。
そして、自らの危機を救ってくれたであろう声の主の方を振り向くと、ライトは衝撃で目を見開く。
そこにいたのは、肩で息をしながら安堵の表情を浮かべるユウタロウだった。すぐ傍には、両膝に手をつきながら苦しげに呼吸するチサトの姿があり、ライトは先の攻撃の絡繰りを理解する。
精霊術師となったユウタロウが、精霊であるチサトの生み出したジルを利用して攻撃したのなら、あの威力も頷けるのだ。
頭の隅でそんなことを冷静に分析するが、その実ライトは未だに状況を理解しきれていなかった。
何故ユウタロウがここにいるのか。
どうやってここまで辿り着いたのか。
疑問は絶えないが、ライトの奥底で大きく居座っているのは、たった一つ。
――どうして、ユウタロウは自身を助けに来てくれたのか。
訳が分からないあまり、ビー玉のような瞳で彼を見上げていると、ユウタロウからビシッと鋭い叱責が飛んでくる。
「おいゴラてめぇっ!何勝手に諦めて死のうとしてやがんだ殺されたいのかふざけてんじゃねぇぞっ!!」
「……色々ごちゃ混ぜになってて矛盾が凄いけど」
物凄い剣幕で捲し立てたユウタロウを前に、ライトは呆けた面のまま冷静にツッコみを入れた。衝撃は未だ拭えていないが、自分より興奮しているユウタロウを目の当たりにしたことで平静を保てているのだ。
「うっせぇんだよてめぇ殺すぞ」
「俺に生きて欲しいのか死んでほしいのかどっちなんだよ」
不倶戴天の仇を見下ろすような鋭い眼光を向けてくるユウタロウは、とてもでは無いが、仲間を救いに来た勇者のような出で立ちでは無く、思わずライトはジト目を向けてしまうのだった。
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