88 / 117
第二章 過去との対峙編
84.その〝過去〟は、如何にして彼らの運命を変えたのか10
しおりを挟む
「――ハヤテ。俺は絶対に、誰かに殺されたりしない」
「っ!」
頭上から降ってきた力強い言葉は、あまりにも明白に告げられた。思わずハヤテは身体を震わせるのも忘れて、徐に顔を上げる。
するとそこには、あまりにも真っ直ぐな眼差しでハヤテを見据えるユウタロウがいて、彼は思わずその姿に目を奪われた。
曇り無き眼にはハヤテしか映っておらず、その瞳の奥底に潜む光があまりにも純粋無垢で、ハヤテは再び涙を零してしまいそうになる。
「俺は強い。これからもっと強くなる。お前が心配する余地なんて無くなるぐらい、強くなる。ロクヤも、コイツらも、お前も、俺が絶対に守る。だから怖がるな」
「……でもっ……もし、俺たちを庇ったせいで、ユウタロウが死んだら……」
「なら。お前も一緒に強くなれ」
「っ!」
ユウタロウの言葉は、ハヤテを一つの答えへ導いてくれたような気がして、彼は目を見開いた。
ハヤテはずっと、母親の為だけに努力し続けてきた。
母親はいつも「勇者になれ」と、ハヤテに言い聞かせてきたから。
例え忌み色持ちでも、勇者になることが出来れば、母が謂れのない誹謗中傷を受けることも無くなるかもしれないと、微かな希望を持つことが出来たから。
ハヤテが勇者になるために全てを捧げることが出来たのは、母の存在があったからだ。
だがその母は、もういない。
ハヤテはもう、何の為に努力すればいいのかも。勇者一族という狂った組織の中で、何を糧に生きていけばいいのかも。分からなくなっていた。
「もう勇者になる為に強くなる必要はねぇ。ただ、大事な人を守る為に。その恐怖に打ち勝つために、俺と一緒に強くなろう。な?」
勇者になる為では無く、大切な存在を守る為に――。それが、ハヤテにとっての答えの様な気がした。
ハヤテの不安も、憂いも、躊躇いも、恐怖も。ユウタロウは、その笑顔ひとつでいとも簡単に掬い上げてしまった。
そんな優しい笑みを向けられてしまえば、猛烈に願ってしまう。乞いたくなってしまう。
じわっと涙を滲ませると、ハヤテは意を決したように、震える唇に鞭打って、その口を開いた。
「っ、ユウ、タロウ……」
「ん?」
「俺をっ……お前の家族にしてくれっ」
掌と瞼をぎゅっと閉じ、思いの丈を告げた刹那、ハヤテは強い衝撃を受ける。強くて、温かい、優しい衝撃だった。
ハヤテは呆けたようにゆっくりと瞬きすると、自分がユウタロウとロクヤに抱き締められていることに気づく。ユウタロウには片腕で肩を抱かれ、ロクヤには下腹部に抱きつかれていた。
「ユウタロウ…………ロクヤ……?」
「言われるまでもねぇよ。お前は俺のもんだ……俺らは家族だ」
「うぅっ……ひっく…………ハヤテくんっ……」
三人共感極まってしまい、ぎゅっと抱きしめ合ったまましばらく動けなくなった。
そんな三人を、双子は優しく見守るだけに止めた。この三人の仲に割って入ることなど、到底出来ないと思ったからだ。
三人には三人の形の絆があり、二人には双子特有の絆がある。どちらかが劣っている訳でも、違うからと言って蚊帳の外になるわけでも無い。
ただ今は、こうすることこそが最善なのだと。示し合わせずとも誰もがそう思ったからこそ、この空間は成立しているのだ。
「あ、そうだ。てめぇらも俺の仲間にしてやってもいいぜ」
しばらくして。ふと思い出したように双子の方を振り向くと、ユウタロウは上から目線でそんなことを言った。
「はぁ?やだよ」
「あ?何でだよ」
セッコウが顔を顰めて申し出を拒否すると、鏡に映しだしたような顰め面でユウタロウは尋ねた。
「誰がてめぇみたいな輩の下につくかよ。それにササノは俺のもんだ。てめぇなんぞにやるかよ」
「お前なぁ、そういうことじゃねぇだろうが。今めちゃくちゃいい雰囲気なんだから空気読めよ。ハヤテに悪いと思わねぇのか」
「思わねぇよ。ハヤテにはお前ら二人いりゃあ十分だろうが」
「その言い方はねぇだろ。ってか、別にお前の弟取ろうとか思ってねぇんだけど。いらねぇし」
「はぁっ?お前ササノを何だと……」
「ふふっ……あははっ!」
性懲りもなく二人が口論を始めると、ハヤテは堪え切れなくなったように哄笑した。心底楽しそうなハヤテの表情を目の当たりにした二人は、ばつが悪そうに顔を見合わせてしまう。
「ははっ……お前たちは、俺を笑わせる天才だなっ」
「「……」」
ハヤテが破顔したその姿には、今までの憂いや不安が一欠片も感じられず、ユウタロウたちは心底安堵することが出来た。
恐らく、ハヤテが母親を忘れることは出来ないだろう。あの日、ツキマの暴挙を止められなかったことを何度も後悔するだろうし、悪夢に魘される夜が綺麗に消え去ることもない。
それでも――。
朝目が覚めて、ユウタロウたちの存在を思って、ふっと破顔することが出来たのなら。
それだけでいいのではないか。ハヤテはもう大丈夫だと、誰もがそう思えた一日は、溶けるように過ぎていった。
********
それから一か月が過ぎた。
その間、ハヤテは修行を再開させ、勇者一族の日々は何の変化も無く過ぎていった。ただ一つ、ユウタロウたちが心の奥底に抱いた、ツキマに対する確執を除いて。
そしてこの日。勇者一族にとって、何より、ユウタロウたちにとって大きな変革をもたらす存在が屋敷にやって来た。
「コイツ、チサト。俺の女」
「「…………」」
若干の片言で突然そんなことを言われて、飲み込めと言う方が無理な話である。ハヤテもロクヤも双子も、これぞ当に茫然自失といった表情で固まっており、会話が一向に進む気配がない。
いつもの昼休み時間。紹介したい奴がいると言ってユウタロウが連れてきたのが、人型精霊のチサトであった。彼らにとっては当に青天の霹靂だったが、ハヤテは頭の隅で、ユウタロウが前々から〝落としたい女がいる〟とぼやいていたことを思い出し、それが彼女なのかもしれないと妙な納得感に襲われていた。
燦々と降り注ぐ陽射しを浴びる大木の下、ユウタロウの背に隠れるチサトは彼らをギロッと睨んでおり、友好的で無いことだけは理解できた。
美少女と呼んで相違ない程整った顔立ちに、ユウタロウらとの歳の差を感じさせない背丈。だが精霊は、己の体内に保持している核を破壊されない限り不老不死の存在である。故に、彼女の容姿から年齢を推測することはほぼ不可能であった。
「……お前、精霊術師になるつもりなのか?」
「あ?……あぁ、そうか。そういうことになるのか」
ハヤテの問いに対し、どこか間の抜けた返事をしたユウタロウ。それだけでハヤテは、彼の心情を大まかに察し、呆れるようにため息をついた。
「その様子だと……彼女に首ったけになるあまり、精霊契約の存在を完全に忘れていたな、お前」
「首ったけ?」
「夢中になるということだ」
「あぁ……まぁそんな感じだ」
図星を突かれたユウタロウは、どこか気恥ずかしそうに肯定した。
ユウタロウはただ単に、チサトという一人の女性に惚れ込み、口説き落としただけという感覚なので、今以上の戦闘力を手に入れる為に、精霊である彼女と契約するという選択肢が頭から抜け落ちていたのだ。
「これから基本的に一緒に行動するから、お前たちには紹介しとこうと思ったんだ」
「そうか……。
初めまして、俺はハヤテ。ユウタロウの……まぁ、家族のような者だ。よろしく頼む」
「……」
ハヤテが右手を差し出して自己紹介をするが、チサトはユウタロウの背に隠れたまま微動だにせず、その場に息がつまるような沈黙が流れた。それを断ち切ったのは、面目なさそうな表情を浮かべるユウタロウである。
「わりぃな。コイツ人間嫌いで」
「構わない。それに、お前が惚れるぐらいだ。いい子なのだろう?」
「……いい子かは分からんが、まぁいい女だ」
ハヤテの問いから答えまで、微妙な沈黙があったことについて触れる者はいなかった。即答しなかったということは、つまりそういうことなのだろう。だが、ユウタロウが非人道的な存在を好くとも思えないので、本気で危惧している者も同時にいなかった。
恐らくこの中で最も、チサトと懇意にする意思のあるロクヤは、トロンと優しく微笑むと、ハヤテと同じように手を差し伸べる。
「よろしくね、チサトちゃん」
「……ふんっ」
だが、チサトから返ってきたのは、先刻とは比べ物にならない程の拒絶であった。迷いなく背けられた顔からは、最早敵対心すら窺えられ、ロクヤは内心強いショックを受けてしまう。
一貫して彼らと打ち解けようとする意思を見せないチサトをジト目で捉えると、セッコウは見切りをつけるように背を向けた。
「くだんねぇ。行こうぜ、ササノ」
「うぇっ?えっ?な、なんで?」
「俺、性悪女と友達ごっこするつもりねぇし」
「おい」
「いいの。ユウちゃん」
自身の愛しい人を性悪女扱いされ、ユウタロウは珍しく本気で憤慨したのか、ドスの利いた声で呼びかけた。だが、チサトが後ろからユウタロウの裾を掴んだことで、彼の怒りの熱は徐々に引いていった。
掴んだ裾をそっと離すと、チサトは自嘲気味に俯く。
「人間なんてみんな、心のどこかで精霊のことを蔑んでいるものよ。ユウちゃんが特殊なだけで」
「……俺、亜人だけど」
「……えっ…………?」
唐突な告白に、チサトは思わず呆けた面を上げて当惑した。告げられたその種族は、この世界アンレズナにおいて、精霊とは比べ物にならない程迫害の対象と成りうる存在。
今しがたチサトが口にした認識を嫌と言う程、身をもって理解しているはずの存在を前に、彼女は茫然自失とした。
「人間とか精霊とか。いちいちレッテル貼って差別してんのはそっちじゃねぇか」
「っ……」
「行くぞ。ササノ」
「ちょ、セッコウ兄っ……」
何の躊躇いも無くその場を立ち去るセッコウの背中をササノ一人が追う中、チサトはその背中に反論の一つも投げかけることが出来なかった。
セッコウの主張は至極当然のもので、誰よりも正しく、彼女は図星を突かれてしまったから。似た立場に置かれているはずなのに、セッコウはチサトの手の届かない場所にいるようで。その高潔さに、強さに、チサトは手も足も出なかった。
「チサト。少なくともコイツらは、お前を蔑んだりしねぇ。そうピリピリすんな」
「……分かった。ごめんなさい、ユウちゃん」
「俺に謝ってどうすんだよ」
チサトが陳謝すべき相手は、人間という枠組みに囚われるあまり、彼女がその性質を決めつけてしまったハヤテたちである。だが、初っ端から敵愾心を向けてしまった以上、今更態度を翻すなど、彼女にとっては愚の骨頂であった。
その為、チサトは駄々っ子のように押し黙ってしまい、気まずい沈黙が流れるが、ロクヤがそれを断ち切るように口を開いた。
「……ねぇ。皆、お腹空かない?そろそろお昼食べない?」
「あー、そう言われるとめちゃくちゃ腹減って来たわ。食おう食おう」
そう言うと、ユウタロウは早速地面に座り込んだ。それに倣うように、ハヤテたちも地面にしゃがみ込み、ロクヤは彼らの為に作って来た弁当を広げ始めた。
双子二人と一緒に食べることを想定して作ったせいか、その昼食は仰々しい重箱に詰め込まれていた。
一段目にはおにぎりが。二段目にはサンドイッチが。三段目には色とりどりのおかずが詰め込まれており、とても五歳男児の手料理とは思えない程の出来である。
ユウタロウ、ハヤテがおにぎりに手を伸ばす中、チサトは指をくわえて傍観するばかりで、一向に食事に手を付ける様子が見られない。
「チサトも食えよ」
「いらない……人間の作ったご飯なんて。それにお腹空いてな」
ぐうううううううううううう。
言いかけたその言葉は、チサトの盛大な腹の虫の音によって遮られた。かぁっと顔を紅潮させ、必死にお腹を押さえるチサトだが、寧ろ腹の虫は活発になるばかり。
彼らは思わず、点にした目をチサトの臍辺りに向けた。
「「……」」
「意地張るなよ、可愛いな」
「おい。唐突に惚気るな」
「チサトちゃん。変な物は入ってないから安心して?それに、たくさん作っちゃったから減らすの手伝って欲しいんだ」
「……ふんっ、仕方ないわね。可哀想だから食べてあげるわよ」
ツンと顔を背け、片手でふわっと髪を靡かせると、チサトはストンと地面にしゃがみ込んだ。するとロクヤは、ぱぁっと表情を綻ばせ、心底嬉しそうに破顔一笑する。
「ありがとうっ、チサトちゃん」
「……ふんっ」
幼稚で理不尽な、意地と大差ない敵意を向けているというのに、ロクヤはそれに対して純粋な好意だけを返した。その好意には僅かな黒い染みも無く、隅から隅まで真っ白である。眩しい程の笑みを向けられたチサトは、自らの穢れを浮き彫りにされたと感じてしまい、極まりが悪そうに顔を背けるのだった。
「っ!」
頭上から降ってきた力強い言葉は、あまりにも明白に告げられた。思わずハヤテは身体を震わせるのも忘れて、徐に顔を上げる。
するとそこには、あまりにも真っ直ぐな眼差しでハヤテを見据えるユウタロウがいて、彼は思わずその姿に目を奪われた。
曇り無き眼にはハヤテしか映っておらず、その瞳の奥底に潜む光があまりにも純粋無垢で、ハヤテは再び涙を零してしまいそうになる。
「俺は強い。これからもっと強くなる。お前が心配する余地なんて無くなるぐらい、強くなる。ロクヤも、コイツらも、お前も、俺が絶対に守る。だから怖がるな」
「……でもっ……もし、俺たちを庇ったせいで、ユウタロウが死んだら……」
「なら。お前も一緒に強くなれ」
「っ!」
ユウタロウの言葉は、ハヤテを一つの答えへ導いてくれたような気がして、彼は目を見開いた。
ハヤテはずっと、母親の為だけに努力し続けてきた。
母親はいつも「勇者になれ」と、ハヤテに言い聞かせてきたから。
例え忌み色持ちでも、勇者になることが出来れば、母が謂れのない誹謗中傷を受けることも無くなるかもしれないと、微かな希望を持つことが出来たから。
ハヤテが勇者になるために全てを捧げることが出来たのは、母の存在があったからだ。
だがその母は、もういない。
ハヤテはもう、何の為に努力すればいいのかも。勇者一族という狂った組織の中で、何を糧に生きていけばいいのかも。分からなくなっていた。
「もう勇者になる為に強くなる必要はねぇ。ただ、大事な人を守る為に。その恐怖に打ち勝つために、俺と一緒に強くなろう。な?」
勇者になる為では無く、大切な存在を守る為に――。それが、ハヤテにとっての答えの様な気がした。
ハヤテの不安も、憂いも、躊躇いも、恐怖も。ユウタロウは、その笑顔ひとつでいとも簡単に掬い上げてしまった。
そんな優しい笑みを向けられてしまえば、猛烈に願ってしまう。乞いたくなってしまう。
じわっと涙を滲ませると、ハヤテは意を決したように、震える唇に鞭打って、その口を開いた。
「っ、ユウ、タロウ……」
「ん?」
「俺をっ……お前の家族にしてくれっ」
掌と瞼をぎゅっと閉じ、思いの丈を告げた刹那、ハヤテは強い衝撃を受ける。強くて、温かい、優しい衝撃だった。
ハヤテは呆けたようにゆっくりと瞬きすると、自分がユウタロウとロクヤに抱き締められていることに気づく。ユウタロウには片腕で肩を抱かれ、ロクヤには下腹部に抱きつかれていた。
「ユウタロウ…………ロクヤ……?」
「言われるまでもねぇよ。お前は俺のもんだ……俺らは家族だ」
「うぅっ……ひっく…………ハヤテくんっ……」
三人共感極まってしまい、ぎゅっと抱きしめ合ったまましばらく動けなくなった。
そんな三人を、双子は優しく見守るだけに止めた。この三人の仲に割って入ることなど、到底出来ないと思ったからだ。
三人には三人の形の絆があり、二人には双子特有の絆がある。どちらかが劣っている訳でも、違うからと言って蚊帳の外になるわけでも無い。
ただ今は、こうすることこそが最善なのだと。示し合わせずとも誰もがそう思ったからこそ、この空間は成立しているのだ。
「あ、そうだ。てめぇらも俺の仲間にしてやってもいいぜ」
しばらくして。ふと思い出したように双子の方を振り向くと、ユウタロウは上から目線でそんなことを言った。
「はぁ?やだよ」
「あ?何でだよ」
セッコウが顔を顰めて申し出を拒否すると、鏡に映しだしたような顰め面でユウタロウは尋ねた。
「誰がてめぇみたいな輩の下につくかよ。それにササノは俺のもんだ。てめぇなんぞにやるかよ」
「お前なぁ、そういうことじゃねぇだろうが。今めちゃくちゃいい雰囲気なんだから空気読めよ。ハヤテに悪いと思わねぇのか」
「思わねぇよ。ハヤテにはお前ら二人いりゃあ十分だろうが」
「その言い方はねぇだろ。ってか、別にお前の弟取ろうとか思ってねぇんだけど。いらねぇし」
「はぁっ?お前ササノを何だと……」
「ふふっ……あははっ!」
性懲りもなく二人が口論を始めると、ハヤテは堪え切れなくなったように哄笑した。心底楽しそうなハヤテの表情を目の当たりにした二人は、ばつが悪そうに顔を見合わせてしまう。
「ははっ……お前たちは、俺を笑わせる天才だなっ」
「「……」」
ハヤテが破顔したその姿には、今までの憂いや不安が一欠片も感じられず、ユウタロウたちは心底安堵することが出来た。
恐らく、ハヤテが母親を忘れることは出来ないだろう。あの日、ツキマの暴挙を止められなかったことを何度も後悔するだろうし、悪夢に魘される夜が綺麗に消え去ることもない。
それでも――。
朝目が覚めて、ユウタロウたちの存在を思って、ふっと破顔することが出来たのなら。
それだけでいいのではないか。ハヤテはもう大丈夫だと、誰もがそう思えた一日は、溶けるように過ぎていった。
********
それから一か月が過ぎた。
その間、ハヤテは修行を再開させ、勇者一族の日々は何の変化も無く過ぎていった。ただ一つ、ユウタロウたちが心の奥底に抱いた、ツキマに対する確執を除いて。
そしてこの日。勇者一族にとって、何より、ユウタロウたちにとって大きな変革をもたらす存在が屋敷にやって来た。
「コイツ、チサト。俺の女」
「「…………」」
若干の片言で突然そんなことを言われて、飲み込めと言う方が無理な話である。ハヤテもロクヤも双子も、これぞ当に茫然自失といった表情で固まっており、会話が一向に進む気配がない。
いつもの昼休み時間。紹介したい奴がいると言ってユウタロウが連れてきたのが、人型精霊のチサトであった。彼らにとっては当に青天の霹靂だったが、ハヤテは頭の隅で、ユウタロウが前々から〝落としたい女がいる〟とぼやいていたことを思い出し、それが彼女なのかもしれないと妙な納得感に襲われていた。
燦々と降り注ぐ陽射しを浴びる大木の下、ユウタロウの背に隠れるチサトは彼らをギロッと睨んでおり、友好的で無いことだけは理解できた。
美少女と呼んで相違ない程整った顔立ちに、ユウタロウらとの歳の差を感じさせない背丈。だが精霊は、己の体内に保持している核を破壊されない限り不老不死の存在である。故に、彼女の容姿から年齢を推測することはほぼ不可能であった。
「……お前、精霊術師になるつもりなのか?」
「あ?……あぁ、そうか。そういうことになるのか」
ハヤテの問いに対し、どこか間の抜けた返事をしたユウタロウ。それだけでハヤテは、彼の心情を大まかに察し、呆れるようにため息をついた。
「その様子だと……彼女に首ったけになるあまり、精霊契約の存在を完全に忘れていたな、お前」
「首ったけ?」
「夢中になるということだ」
「あぁ……まぁそんな感じだ」
図星を突かれたユウタロウは、どこか気恥ずかしそうに肯定した。
ユウタロウはただ単に、チサトという一人の女性に惚れ込み、口説き落としただけという感覚なので、今以上の戦闘力を手に入れる為に、精霊である彼女と契約するという選択肢が頭から抜け落ちていたのだ。
「これから基本的に一緒に行動するから、お前たちには紹介しとこうと思ったんだ」
「そうか……。
初めまして、俺はハヤテ。ユウタロウの……まぁ、家族のような者だ。よろしく頼む」
「……」
ハヤテが右手を差し出して自己紹介をするが、チサトはユウタロウの背に隠れたまま微動だにせず、その場に息がつまるような沈黙が流れた。それを断ち切ったのは、面目なさそうな表情を浮かべるユウタロウである。
「わりぃな。コイツ人間嫌いで」
「構わない。それに、お前が惚れるぐらいだ。いい子なのだろう?」
「……いい子かは分からんが、まぁいい女だ」
ハヤテの問いから答えまで、微妙な沈黙があったことについて触れる者はいなかった。即答しなかったということは、つまりそういうことなのだろう。だが、ユウタロウが非人道的な存在を好くとも思えないので、本気で危惧している者も同時にいなかった。
恐らくこの中で最も、チサトと懇意にする意思のあるロクヤは、トロンと優しく微笑むと、ハヤテと同じように手を差し伸べる。
「よろしくね、チサトちゃん」
「……ふんっ」
だが、チサトから返ってきたのは、先刻とは比べ物にならない程の拒絶であった。迷いなく背けられた顔からは、最早敵対心すら窺えられ、ロクヤは内心強いショックを受けてしまう。
一貫して彼らと打ち解けようとする意思を見せないチサトをジト目で捉えると、セッコウは見切りをつけるように背を向けた。
「くだんねぇ。行こうぜ、ササノ」
「うぇっ?えっ?な、なんで?」
「俺、性悪女と友達ごっこするつもりねぇし」
「おい」
「いいの。ユウちゃん」
自身の愛しい人を性悪女扱いされ、ユウタロウは珍しく本気で憤慨したのか、ドスの利いた声で呼びかけた。だが、チサトが後ろからユウタロウの裾を掴んだことで、彼の怒りの熱は徐々に引いていった。
掴んだ裾をそっと離すと、チサトは自嘲気味に俯く。
「人間なんてみんな、心のどこかで精霊のことを蔑んでいるものよ。ユウちゃんが特殊なだけで」
「……俺、亜人だけど」
「……えっ…………?」
唐突な告白に、チサトは思わず呆けた面を上げて当惑した。告げられたその種族は、この世界アンレズナにおいて、精霊とは比べ物にならない程迫害の対象と成りうる存在。
今しがたチサトが口にした認識を嫌と言う程、身をもって理解しているはずの存在を前に、彼女は茫然自失とした。
「人間とか精霊とか。いちいちレッテル貼って差別してんのはそっちじゃねぇか」
「っ……」
「行くぞ。ササノ」
「ちょ、セッコウ兄っ……」
何の躊躇いも無くその場を立ち去るセッコウの背中をササノ一人が追う中、チサトはその背中に反論の一つも投げかけることが出来なかった。
セッコウの主張は至極当然のもので、誰よりも正しく、彼女は図星を突かれてしまったから。似た立場に置かれているはずなのに、セッコウはチサトの手の届かない場所にいるようで。その高潔さに、強さに、チサトは手も足も出なかった。
「チサト。少なくともコイツらは、お前を蔑んだりしねぇ。そうピリピリすんな」
「……分かった。ごめんなさい、ユウちゃん」
「俺に謝ってどうすんだよ」
チサトが陳謝すべき相手は、人間という枠組みに囚われるあまり、彼女がその性質を決めつけてしまったハヤテたちである。だが、初っ端から敵愾心を向けてしまった以上、今更態度を翻すなど、彼女にとっては愚の骨頂であった。
その為、チサトは駄々っ子のように押し黙ってしまい、気まずい沈黙が流れるが、ロクヤがそれを断ち切るように口を開いた。
「……ねぇ。皆、お腹空かない?そろそろお昼食べない?」
「あー、そう言われるとめちゃくちゃ腹減って来たわ。食おう食おう」
そう言うと、ユウタロウは早速地面に座り込んだ。それに倣うように、ハヤテたちも地面にしゃがみ込み、ロクヤは彼らの為に作って来た弁当を広げ始めた。
双子二人と一緒に食べることを想定して作ったせいか、その昼食は仰々しい重箱に詰め込まれていた。
一段目にはおにぎりが。二段目にはサンドイッチが。三段目には色とりどりのおかずが詰め込まれており、とても五歳男児の手料理とは思えない程の出来である。
ユウタロウ、ハヤテがおにぎりに手を伸ばす中、チサトは指をくわえて傍観するばかりで、一向に食事に手を付ける様子が見られない。
「チサトも食えよ」
「いらない……人間の作ったご飯なんて。それにお腹空いてな」
ぐうううううううううううう。
言いかけたその言葉は、チサトの盛大な腹の虫の音によって遮られた。かぁっと顔を紅潮させ、必死にお腹を押さえるチサトだが、寧ろ腹の虫は活発になるばかり。
彼らは思わず、点にした目をチサトの臍辺りに向けた。
「「……」」
「意地張るなよ、可愛いな」
「おい。唐突に惚気るな」
「チサトちゃん。変な物は入ってないから安心して?それに、たくさん作っちゃったから減らすの手伝って欲しいんだ」
「……ふんっ、仕方ないわね。可哀想だから食べてあげるわよ」
ツンと顔を背け、片手でふわっと髪を靡かせると、チサトはストンと地面にしゃがみ込んだ。するとロクヤは、ぱぁっと表情を綻ばせ、心底嬉しそうに破顔一笑する。
「ありがとうっ、チサトちゃん」
「……ふんっ」
幼稚で理不尽な、意地と大差ない敵意を向けているというのに、ロクヤはそれに対して純粋な好意だけを返した。その好意には僅かな黒い染みも無く、隅から隅まで真っ白である。眩しい程の笑みを向けられたチサトは、自らの穢れを浮き彫りにされたと感じてしまい、極まりが悪そうに顔を背けるのだった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ざまぁ対象の悪役令嬢は穏やかな日常を所望します
たぬきち25番
ファンタジー
*『第16回ファンタジー小説大賞【大賞】・【読者賞】W受賞』
*書籍発売中です
彼氏にフラれた直後に異世界転生。気が付くと、ラノベの中の悪役令嬢クローディアになっていた。すでに周りからの評判は最悪なのに、王太子の婚約者。しかも政略結婚なので婚約解消不可?!
王太子は主人公と熱愛中。私は結婚前からお飾りの王太子妃決定。さらに、私は王太子妃として鬼の公爵子息がお目付け役に……。
しかも、私……ざまぁ対象!!
ざまぁ回避のために、なんやかんや大忙しです!!
※【感想欄について】感想ありがとうございます。皆様にお知らせとお願いです。
感想欄は多くの方が読まれますので、過激または攻撃的な発言、乱暴な言葉遣い、ポジティブ・ネガティブに関わらず他の方のお名前を出した感想、またこの作品は成人指定ではありませんので卑猥だと思われる発言など、読んだ方がお心を痛めたり、不快だと感じるような内容は承認を控えさせて頂きたいと思います。トラブルに発展してしまうと、感想欄を閉じることも検討しなければならなくなりますので、どうかご理解いただければと思います。
余りモノ異世界人の自由生活~勇者じゃないので勝手にやらせてもらいます~
藤森フクロウ
ファンタジー
相良真一(サガラシンイチ)は社畜ブラックの企業戦士だった。
悪夢のような連勤を乗り越え、漸く帰れるとバスに乗り込んだらまさかの異世界転移。
そこには土下座する幼女女神がいた。
『ごめんなさあああい!!!』
最初っからギャン泣きクライマックス。
社畜が呼び出した国からサクッと逃げ出し、自由を求めて旅立ちます。
真一からシンに名前を改め、別の国に移り住みスローライフ……と思ったら馬鹿王子の世話をする羽目になったり、狩りや採取に精を出したり、馬鹿王子に暴言を吐いたり、冒険者ランクを上げたり、女神の愚痴を聞いたり、馬鹿王子を躾けたり、社会貢献したり……
そんなまったり異世界生活がはじまる――かも?
ブックマーク30000件突破ありがとうございます!!
第13回ファンタジー小説大賞にて、特別賞を頂き書籍化しております。
♦お知らせ♦
余りモノ異世界人の自由生活、コミックス1~3巻が発売中!
漫画は村松麻由先生が担当してくださっています。
第四巻は11月18日に発送。店頭には2~3日後くらいには並ぶと思われます。
よかったらお手に取っていただければ幸いです。
書籍1~7巻発売中。イラストは万冬しま先生が担当してくださっています。
コミカライズの連載は毎月第二水曜に更新となります。
漫画は村松麻由先生が担当してくださいます。
※基本予約投稿が多いです。
たまに失敗してトチ狂ったことになっています。
原稿作業中は、不規則になったり更新が遅れる可能性があります。
現在原稿作業と、私生活のいろいろで感想にはお返事しておりません。
魔力無しだと追放されたので、今後一切かかわりたくありません。魔力回復薬が欲しい?知りませんけど
富士とまと
ファンタジー
一緒に異世界に召喚された従妹は魔力が高く、私は魔力がゼロだそうだ。
「私は聖女になるかも、姉さんバイバイ」とイケメンを侍らせた従妹に手を振られ、私は王都を追放された。
魔力はないけれど、霊感は日本にいたころから強かったんだよね。そのおかげで「英霊」だとか「精霊」だとかに盲愛されています。
――いや、あの、精霊の指輪とかいらないんですけど、は、外れない?!
――ってか、イケメン幽霊が号泣って、私が悪いの?
私を追放した王都の人たちが困っている?従妹が大変な目にあってる?魔力ゼロを低級民と馬鹿にしてきた人たちが助けを求めているようですが……。
今更、魔力ゼロの人間にしか作れない特級魔力回復薬が欲しいとか言われてもね、こちらはあなたたちから何も欲しいわけじゃないのですけど。
重複投稿ですが、改稿してます
捨てられた妻は悪魔と旅立ちます。
豆狸
恋愛
いっそ……いっそこんな風に私を想う言葉を口にしないでくれたなら、はっきりとペルブラン様のほうを選んでくれたなら捨て去ることが出来るのに、全身に絡みついた鎖のような私の恋心を。
家族に辺境追放された貴族少年、実は天職が《チート魔道具師》で内政無双をしていたら、有能な家臣領民が続々と移住してきて本家を超える国力に急成長
ハーーナ殿下
ファンタジー
貴族五男ライルは魔道具作りが好きな少年だったが、無理解な義理の家族に「攻撃魔法もろくに使えない無能者め!」と辺境に追放されてしまう。ライルは自分の力不足を嘆きつつ、魔物だらけの辺境の開拓に一人で着手する。
しかし家族の誰も知らなかった。実はライルが世界で一人だけの《チート魔道具師》の才能を持ち、規格外な魔道具で今まで領地を密かに繁栄させていたことを。彼の有能さを知る家臣領民は、ライルの領地に移住開始。人の良いライルは「やれやれ、仕方がないですね」と言いながらも内政無双で受け入れ、口コミで領民はどんどん増えて栄えていく。
これは魔道具作りが好きな少年が、亡国の王女やエルフ族長の娘、親を失った子どもたち、多くの困っている人を受け入れ助け、規格外の魔道具で大活躍。一方で追放した無能な本家は衰退していく物語である。
[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件
森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。
学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。
そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……
異世界二度目のおっさん、どう考えても高校生勇者より強い
八神 凪
ファンタジー
旧題:久しぶりに異世界召喚に巻き込まれたおっさんの俺は、どう考えても一緒に召喚された勇者候補よりも強い
【第二回ファンタジーカップ大賞 編集部賞受賞! 書籍化します!】
高柳 陸はどこにでもいるサラリーマン。
満員電車に揺られて上司にどやされ、取引先には愛想笑い。
彼女も居ないごく普通の男である。
そんな彼が定時で帰宅しているある日、どこかの飲み屋で一杯飲むかと考えていた。
繁華街へ繰り出す陸。
まだ時間が早いので学生が賑わっているなと懐かしさに目を細めている時、それは起きた。
陸の前を歩いていた男女の高校生の足元に紫色の魔法陣が出現した。
まずい、と思ったが少し足が入っていた陸は魔法陣に吸い込まれるように引きずられていく。
魔法陣の中心で困惑する男女の高校生と陸。そして眼鏡をかけた女子高生が中心へ近づいた瞬間、目の前が真っ白に包まれる。
次に目が覚めた時、男女の高校生と眼鏡の女子高生、そして陸の目の前には中世のお姫様のような恰好をした女性が両手を組んで声を上げる。
「異世界の勇者様、どうかこの国を助けてください」と。
困惑する高校生に自分はこの国の姫でここが剣と魔法の世界であること、魔王と呼ばれる存在が世界を闇に包もうとしていて隣国がそれに乗じて我が国に攻めてこようとしていると説明をする。
元の世界に戻る方法は魔王を倒すしかないといい、高校生二人は渋々了承。
なにがなんだか分からない眼鏡の女子高生と陸を見た姫はにこやかに口を開く。
『あなた達はなんですか? 自分が召喚したのは二人だけなのに』
そう言い放つと城から追い出そうとする姫。
そこで男女の高校生は残った女生徒は幼馴染だと言い、自分と一緒に行こうと提案。
残された陸は慣れた感じで城を出て行くことに決めた。
「さて、久しぶりの異世界だが……前と違う世界みたいだな」
陸はしがないただのサラリーマン。
しかしその実態は過去に異世界へ旅立ったことのある経歴を持つ男だった。
今度も魔王がいるのかとため息を吐きながら、陸は以前手に入れた力を駆使し異世界へと足を踏み出す――
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる