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第二章 過去との対峙編
72.仮面の組織の噂2
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優等生のティンベルが授業をサボってまで話したいことを聞く為、アデルたちは生徒会室に足を運んだ。今は授業中なので、当然生徒会室には人っ子一人おらず、シンと静まりかえった空間が広がっていた。
ティンベルは慣れた手つきで人数分のお茶を淹れると、二つのソファに挟まれたテーブルにそれを並べた。
ティンベルたちはそれを少しずつ口に含むが、ユウタロウには嗜好品を楽しむ感性が無いのか、お茶を一気に飲み干してしまった。
「んで?話って何だよ」
猫舌の人間が見れば顔面蒼白になる程の飲みっぷりを見せたユウタロウは、空になったカップを置いて切り出した。
「皆様も知っての通り、クルシュルージュ伯爵家の長男が悪魔の愛し子だという情報が世界中に広まってしまいました。私はこの事態を、クルシュルージュ伯爵家に恨みを持つ人間――通称Xの目論見だと考えています。これは恐らく間違いないのですが、少々面倒なことになりまして」
「というと?」
ティンベルの言う〝面倒なこと〟についての詳細を、ユウタロウは目を眇めて尋ねた。
「アデル兄様にはお伝えしましたが、当初私は、今回の件で仮面の組織に利益は無いと考えていました。ですが、仮面の組織とXが関わっている可能性はやはり否めません。……ですのでその、Xの計画を、仮面の組織が利用している可能性があるのです」
「……どういうことだ?」
「難しい話いやよぉ、私」
ユウタロウ、チサトの二人は、ティンベルが何を言っているのか理解できず、首を傾げてしまう。
「気づいていませんか?今の学園の雰囲気がおかしいことに」
「…………」
ティンベルはユウタロウと認識を共有しようと尋ねたが、彼は何とも言えない無表情で沈黙を返した。ユウタロウに期待した自分が馬鹿だったと、ティンベルは手の平を返す。
「気づいていないのならもういいです」
「ユウちゃん学園に興味ないものねぇ……」
ユウタロウは真面に授業に参加せず、木陰でぬくぬくと一日を過ごすこともあれば、自身に合った訓練を独自にすることも多い。学園の雰囲気などユウタロウの知ったことでは無いのだ。
ティンベルにとっては笑い事では無いのだが、チサトはケラケラと笑いながらしみじみと呟いた。
「結論から申しますと、妙な噂のせいで、悪魔や愛し子に対する偏見が強まっていまして」
「……もしかして、その妙な噂を立てたのが仮面の組織なのか?」
「えぇ。私はその線が濃厚だと思っています。彼らの目的は、悪魔や愛し子を社会的に抹殺することですから」
「妙な噂というのは何なのだ?」
仮面の組織がその目的を達する為に流した噂――その正体をアデルは尋ねた。
「クルシュルージュ家が、アデル兄様のお力を利用して領地を繫栄させたというデマが流れているんです」
「……?それは、そんなに悪いことなのであるか?」
その噂だけなら、やはりクルシュルージュ家当主――ルークスの非を批判されるだけなのでは?そんな疑問が浮かび、アデルは不可解そうに尋ねた。
「これだけなら大きな問題にはならないですが、このデマをきっかけに話がどんどんおかしな方向に向かっているんです。
我がクルシュルージュ伯爵家だけでなく、他の貴族たちも、悪魔の愛し子を使用人として雇い、その力を利用しているんじゃないか……という噂が立っておりまして」
「随分と無理矢理な話だな。んなもんすぐデマだって分からねぇのか?」
「人というのは、見聞きした物の真意を確かめようとする程探求心を持ち合わせていませんから。……まぁ当然、一つのデマがこのように湾曲してしまったのは、仮面の組織のせいだと思うのですが」
仮面の組織は悪魔に対する差別を増長させる為に、妙な噂を立て、その噂を元に人々の不安を煽るような方向に話を湾曲させたのだろう。
「そのせいで、この世界を悪魔の愛し子が裏で牛耳っているのではないかという壮大な話になってしまっているのですよ」
「はっ……この世界の人間馬鹿しかいねぇのかよ。そもそもこの世界は悪魔がいて成り立ってるっつーのに、そこから目ぇ逸らして何一丁前に不安がってるんだか」
「はい……もう、全くもってユウタロウ様の言う通りで、返す言葉もありません」
ユウタロウの意見が的を射すぎていて、ティンベルはガクッと項垂れてしまう。
この世界アンレズナは、悪魔が生み出すジルによって成り立っているというのに、全く同じ力を持つ愛し子の力による侵略を危惧するなど、お門違いもいいところなのだから。
「まぁとにかく、仮面の組織はXの犯行を利用したということだろうか?」
「えぇ」
「前々から気になっているのだが、Xは何故仮面の組織と取引をしようと思い至ったのだろうか?」
ティンベルに確認を取ると、アデルは以前から疑問に思っていたことをぶつけた。するとティンベルは、アデルが不可解に感じていることを代弁してやった。
「あ、それでしたら、私なりに答えを導いてみたのです。
Xの目的はクルシュルージュ家、ひいてはお父様を社会的に抹殺することでしょう。ですが、アデル兄様の件を公表することでその目的を達しようとしていたのなら、一人でも出来るはずです」
「仮面の組織はアンタのことを人質にして、レディバグの戦力を削ろうとしてただろ?クルシュルージュ家に恨みがあるなら、アンタのことも亡き者にしたかったんじゃないのか?」
アデルの疑問に対して一つの答えを提示したのは、ティンベルでは無くユウタロウだった。それに対し、ティンベルは首肯で返す。
「えぇ。恐らくそれも、Xが仮面の組織に情報を渡した理由の一つでしょう」
「……本命の理由があるのか?」
「そもそもアデル兄様の件が記事になり、ここまで広まったのは、Xの情報に信憑性があったからです。だからこそ、今蔓延している根も葉もない噂が妙に真実味を帯びてしまっているのでしょう。Xは何が何でもアデル兄様の件を世間に知ってもらい、信じて欲しかった。そして、信憑性のある情報というものには、証拠がつきものです。
ここからは私の想像ですが、Xはアデル兄様がクルシュルージュ家の長男であることを知っていた。ですが、アデル兄様がお父様とお母様の子であると証明できる何かを持ち合わせていなかった。だからXは仮面の組織との取引に乗り上げたのです。情報を譲渡する代わりに、その情報を証明する何かを見つけ出してもらう為に」
「なるほどな……」
ティンベルの推測に、ユウタロウは深い納得を込めて呟いた。
クルシュルージュ家を貶める為には、悪魔の愛し子の出生が真実であると証明しなければならない。その証拠が無ければ、世迷言と切り捨てられる可能性が高いからだ。だからこそXは仮面の組織の力を借り、その証拠を探し出してもらったのだろう。
「問題はXです。ネオン兄様を殺されたことを恨みに思う人物だとは思うのですが、未だに見当がつかないのですよ。ネオン兄様のことを好いていた人や、ネオン兄様が死んだことで不利益を被った人など、私の知る中には一人も……」
「……ティンベル」
「はい……?」
アデルは、どこか神妙な声でティンベルを呼んだ。優しく蕩けるようでも、怒気の込められている訳でも無いその声は、ティンベルを一時の不安にさらした。
「我が偉そうに言える謂れなど無いが……ティンベルは、自分自身の価値観で物事を考える癖があるように思える」
「っ……!」
アデルに指摘されて初めて、それを自覚したティンベルは、反論する気も起きない程打ちのめされた。目を瞠り、言葉を失っているティンベルの頭を、アデルは優しく撫で始める。
「ティンベルはよい子だ。心優しい、我の自慢の妹である。だが、世の中にはティンベルのように正しい考えを持つ者、同じ価値観で生きる者ばかりではない。人には、一人一人の人生があり、その者の立場があり、その者の生きてきた環境、価値観、事情というものがある。
……ティンベルは賢い子だ。きっと、そんな一人一人の立場になって、物事を考えることも出来るはずなのだ。今ティンベルにそれが出来ていないのは、恐らく……我のせいであろうな」
「っ!……どうして」
「そんなことはない」と否定したい気持ちと、アデルが何故そんな風に思うのか知りたい欲求がティンベルの中で鬩ぎあう。そして、何となく答えを察している自分自身に嫌気が差してしまい、ティンベルは掠れた声でそう呟く他無かった。
「ティンベルは優しい……故に、我を迫害してきたクルシュルージュ家に関わる人間の立場や事情など、理解したくないと思っているのではないか?」
「っ……それは……」
あぁ、この人には――この兄には全て見透かされているんだ。そう理解してしまったティンベルは、声を震わせてしまう。
「一度、我のことを頭から除外して考えてみてはどうだろうか?Xの可能性がある人物一人一人の立場になり、その上で、ネオンの死を悼んでいた人物を探るのだ」
「彼らの、立場で……」
アデルに提案されたからと言って、すぐにそれを受け入れられる程ティンベルは柔軟な人間では無い。故に、ティンベルは奥歯を噛みしめながら俯いた。
(アデル兄様をあれだけ苦しめておきながら、素知らぬ顔でのうのうと生きているあの人たちの気持ちを慮るなんて……そんなこと……)
これまでの経験による本能から、ティンベルは反射的に拒絶しようとするが、不意に、先刻のアデルの言葉を想起する。
『世の中にはティンベルのように正しい考えを持つ者、同じ価値観で生きる者ばかりではない』
(……確かに、アデル兄様の言う通りだわ。この世界の常識で考えれば、悪魔や愛し子は忌避して当然の存在……寧ろ、少数派なのは私たちの方。私のように愛し子を擁護すれば、異端とみなされて今度は自分が除け者にされるかもしれない。皆、それが怖くてアデル兄様のような人たちを標的にした……。そんな人たちの、気持ちになって……)
アデルを苦しめてきた人間に対する憎悪によって、自らの視野が狭くなっていたことをティンベルは自覚した。自らも知らぬうちに、彼女は感情的になっていたのだ。
アデルの助言に従えば、視野が広がって何か分かるかもしれない。そう思い至ったティンベルは、徐に顔を上げた。
「ティンベル?」
「少し、考えてみます……」
「うむ……いつも、ティンベルにばかり考えさせてすまぬな。我にも何か手助けができればよいのだが」
「てめぇは馬鹿なんだから余計な労力だろ」
「酷いのだ」
歯に衣着せぬ物言いにも限度があるだろうと、アデルはユウタロウに批難の眼差しを向けた。気を落としているアデルを励まそうと、ティンベルは綻ばせた表情で口を開く。
「人には適材適所というものがあります。アデル兄様はその素晴らしいお力でいつも私やお仲間を守っていらっしゃるじゃありませんか」
「要は生徒会長も兄貴を馬鹿だと思っていると」
「ちょ……!」
「はははっ、良いのだ良いのだ。我が馬鹿なのは我が一番よく分かっているのでな。師匠にあれだけ馬鹿呼ばわりされれば、流石に自覚もつくのだ」
デリカシーの欠片も無いユウタロウにティンベルは抗議しようと声を上げるが、アデルが哄笑したことでそれに急ブレーキがかかった。
そして同時に、エルは一体アデルとの二人暮らしの間にどれだけ馬鹿と罵ったのだろうと、ティンベルは考えてしまう。
「あぁ、そうであった。ユウタロウ殿」
「ん?」
「例の手紙の送り主を、我の仲間が今特定している最中なのだが、もし良ければ、当主が書いた文字を提供して欲しいのだ。当主が書いた文字であれば何でもいいそうだ。紙に書いたものでなくとも、歪な文字であっても良いのだ」
「おー……おいクレハぁ!!」
アデルからの要望を受けると、ユウタロウは天井に向かってクレハの名前を叫んだ。まるで、ヤクザが舎弟を呼び出すようなそのドス声に、ティンベルたちは何とも言えない相好になってしまう。
ユウタロウが呼んだ刹那、クレハはシュタっ……と、天井の隠し扉から降り立った。クレハがユウタロウの傍にいるのは最早恒例なので、彼の出現に驚く者はいない。
クレハはユウタロウの前に跪くと、スッと凛々しい面持ちを上げた。
「クレハ。さっきの話聞いてたな?」
「はっ」
「んじゃ、よろしく」
「了解した」
それだけ言うと、クレハは素早く天井裏へ撤収していった。あまりにもな急展開に、ティンベルたちはポカンと呆けた顔で天井を見上げることしかできない。
「ユウタロウ様……言葉数が少ないにも程がありませんか?」
「あれで分かるからいいだろうが」
「まぁ、そうですけど……」
的を射ているからこそ反論できないティンベルだったが、心の中で「クレハ様、お可哀想に……」と、既に撤収したクレハを憐れむのだった。
ティンベルは慣れた手つきで人数分のお茶を淹れると、二つのソファに挟まれたテーブルにそれを並べた。
ティンベルたちはそれを少しずつ口に含むが、ユウタロウには嗜好品を楽しむ感性が無いのか、お茶を一気に飲み干してしまった。
「んで?話って何だよ」
猫舌の人間が見れば顔面蒼白になる程の飲みっぷりを見せたユウタロウは、空になったカップを置いて切り出した。
「皆様も知っての通り、クルシュルージュ伯爵家の長男が悪魔の愛し子だという情報が世界中に広まってしまいました。私はこの事態を、クルシュルージュ伯爵家に恨みを持つ人間――通称Xの目論見だと考えています。これは恐らく間違いないのですが、少々面倒なことになりまして」
「というと?」
ティンベルの言う〝面倒なこと〟についての詳細を、ユウタロウは目を眇めて尋ねた。
「アデル兄様にはお伝えしましたが、当初私は、今回の件で仮面の組織に利益は無いと考えていました。ですが、仮面の組織とXが関わっている可能性はやはり否めません。……ですのでその、Xの計画を、仮面の組織が利用している可能性があるのです」
「……どういうことだ?」
「難しい話いやよぉ、私」
ユウタロウ、チサトの二人は、ティンベルが何を言っているのか理解できず、首を傾げてしまう。
「気づいていませんか?今の学園の雰囲気がおかしいことに」
「…………」
ティンベルはユウタロウと認識を共有しようと尋ねたが、彼は何とも言えない無表情で沈黙を返した。ユウタロウに期待した自分が馬鹿だったと、ティンベルは手の平を返す。
「気づいていないのならもういいです」
「ユウちゃん学園に興味ないものねぇ……」
ユウタロウは真面に授業に参加せず、木陰でぬくぬくと一日を過ごすこともあれば、自身に合った訓練を独自にすることも多い。学園の雰囲気などユウタロウの知ったことでは無いのだ。
ティンベルにとっては笑い事では無いのだが、チサトはケラケラと笑いながらしみじみと呟いた。
「結論から申しますと、妙な噂のせいで、悪魔や愛し子に対する偏見が強まっていまして」
「……もしかして、その妙な噂を立てたのが仮面の組織なのか?」
「えぇ。私はその線が濃厚だと思っています。彼らの目的は、悪魔や愛し子を社会的に抹殺することですから」
「妙な噂というのは何なのだ?」
仮面の組織がその目的を達する為に流した噂――その正体をアデルは尋ねた。
「クルシュルージュ家が、アデル兄様のお力を利用して領地を繫栄させたというデマが流れているんです」
「……?それは、そんなに悪いことなのであるか?」
その噂だけなら、やはりクルシュルージュ家当主――ルークスの非を批判されるだけなのでは?そんな疑問が浮かび、アデルは不可解そうに尋ねた。
「これだけなら大きな問題にはならないですが、このデマをきっかけに話がどんどんおかしな方向に向かっているんです。
我がクルシュルージュ伯爵家だけでなく、他の貴族たちも、悪魔の愛し子を使用人として雇い、その力を利用しているんじゃないか……という噂が立っておりまして」
「随分と無理矢理な話だな。んなもんすぐデマだって分からねぇのか?」
「人というのは、見聞きした物の真意を確かめようとする程探求心を持ち合わせていませんから。……まぁ当然、一つのデマがこのように湾曲してしまったのは、仮面の組織のせいだと思うのですが」
仮面の組織は悪魔に対する差別を増長させる為に、妙な噂を立て、その噂を元に人々の不安を煽るような方向に話を湾曲させたのだろう。
「そのせいで、この世界を悪魔の愛し子が裏で牛耳っているのではないかという壮大な話になってしまっているのですよ」
「はっ……この世界の人間馬鹿しかいねぇのかよ。そもそもこの世界は悪魔がいて成り立ってるっつーのに、そこから目ぇ逸らして何一丁前に不安がってるんだか」
「はい……もう、全くもってユウタロウ様の言う通りで、返す言葉もありません」
ユウタロウの意見が的を射すぎていて、ティンベルはガクッと項垂れてしまう。
この世界アンレズナは、悪魔が生み出すジルによって成り立っているというのに、全く同じ力を持つ愛し子の力による侵略を危惧するなど、お門違いもいいところなのだから。
「まぁとにかく、仮面の組織はXの犯行を利用したということだろうか?」
「えぇ」
「前々から気になっているのだが、Xは何故仮面の組織と取引をしようと思い至ったのだろうか?」
ティンベルに確認を取ると、アデルは以前から疑問に思っていたことをぶつけた。するとティンベルは、アデルが不可解に感じていることを代弁してやった。
「あ、それでしたら、私なりに答えを導いてみたのです。
Xの目的はクルシュルージュ家、ひいてはお父様を社会的に抹殺することでしょう。ですが、アデル兄様の件を公表することでその目的を達しようとしていたのなら、一人でも出来るはずです」
「仮面の組織はアンタのことを人質にして、レディバグの戦力を削ろうとしてただろ?クルシュルージュ家に恨みがあるなら、アンタのことも亡き者にしたかったんじゃないのか?」
アデルの疑問に対して一つの答えを提示したのは、ティンベルでは無くユウタロウだった。それに対し、ティンベルは首肯で返す。
「えぇ。恐らくそれも、Xが仮面の組織に情報を渡した理由の一つでしょう」
「……本命の理由があるのか?」
「そもそもアデル兄様の件が記事になり、ここまで広まったのは、Xの情報に信憑性があったからです。だからこそ、今蔓延している根も葉もない噂が妙に真実味を帯びてしまっているのでしょう。Xは何が何でもアデル兄様の件を世間に知ってもらい、信じて欲しかった。そして、信憑性のある情報というものには、証拠がつきものです。
ここからは私の想像ですが、Xはアデル兄様がクルシュルージュ家の長男であることを知っていた。ですが、アデル兄様がお父様とお母様の子であると証明できる何かを持ち合わせていなかった。だからXは仮面の組織との取引に乗り上げたのです。情報を譲渡する代わりに、その情報を証明する何かを見つけ出してもらう為に」
「なるほどな……」
ティンベルの推測に、ユウタロウは深い納得を込めて呟いた。
クルシュルージュ家を貶める為には、悪魔の愛し子の出生が真実であると証明しなければならない。その証拠が無ければ、世迷言と切り捨てられる可能性が高いからだ。だからこそXは仮面の組織の力を借り、その証拠を探し出してもらったのだろう。
「問題はXです。ネオン兄様を殺されたことを恨みに思う人物だとは思うのですが、未だに見当がつかないのですよ。ネオン兄様のことを好いていた人や、ネオン兄様が死んだことで不利益を被った人など、私の知る中には一人も……」
「……ティンベル」
「はい……?」
アデルは、どこか神妙な声でティンベルを呼んだ。優しく蕩けるようでも、怒気の込められている訳でも無いその声は、ティンベルを一時の不安にさらした。
「我が偉そうに言える謂れなど無いが……ティンベルは、自分自身の価値観で物事を考える癖があるように思える」
「っ……!」
アデルに指摘されて初めて、それを自覚したティンベルは、反論する気も起きない程打ちのめされた。目を瞠り、言葉を失っているティンベルの頭を、アデルは優しく撫で始める。
「ティンベルはよい子だ。心優しい、我の自慢の妹である。だが、世の中にはティンベルのように正しい考えを持つ者、同じ価値観で生きる者ばかりではない。人には、一人一人の人生があり、その者の立場があり、その者の生きてきた環境、価値観、事情というものがある。
……ティンベルは賢い子だ。きっと、そんな一人一人の立場になって、物事を考えることも出来るはずなのだ。今ティンベルにそれが出来ていないのは、恐らく……我のせいであろうな」
「っ!……どうして」
「そんなことはない」と否定したい気持ちと、アデルが何故そんな風に思うのか知りたい欲求がティンベルの中で鬩ぎあう。そして、何となく答えを察している自分自身に嫌気が差してしまい、ティンベルは掠れた声でそう呟く他無かった。
「ティンベルは優しい……故に、我を迫害してきたクルシュルージュ家に関わる人間の立場や事情など、理解したくないと思っているのではないか?」
「っ……それは……」
あぁ、この人には――この兄には全て見透かされているんだ。そう理解してしまったティンベルは、声を震わせてしまう。
「一度、我のことを頭から除外して考えてみてはどうだろうか?Xの可能性がある人物一人一人の立場になり、その上で、ネオンの死を悼んでいた人物を探るのだ」
「彼らの、立場で……」
アデルに提案されたからと言って、すぐにそれを受け入れられる程ティンベルは柔軟な人間では無い。故に、ティンベルは奥歯を噛みしめながら俯いた。
(アデル兄様をあれだけ苦しめておきながら、素知らぬ顔でのうのうと生きているあの人たちの気持ちを慮るなんて……そんなこと……)
これまでの経験による本能から、ティンベルは反射的に拒絶しようとするが、不意に、先刻のアデルの言葉を想起する。
『世の中にはティンベルのように正しい考えを持つ者、同じ価値観で生きる者ばかりではない』
(……確かに、アデル兄様の言う通りだわ。この世界の常識で考えれば、悪魔や愛し子は忌避して当然の存在……寧ろ、少数派なのは私たちの方。私のように愛し子を擁護すれば、異端とみなされて今度は自分が除け者にされるかもしれない。皆、それが怖くてアデル兄様のような人たちを標的にした……。そんな人たちの、気持ちになって……)
アデルを苦しめてきた人間に対する憎悪によって、自らの視野が狭くなっていたことをティンベルは自覚した。自らも知らぬうちに、彼女は感情的になっていたのだ。
アデルの助言に従えば、視野が広がって何か分かるかもしれない。そう思い至ったティンベルは、徐に顔を上げた。
「ティンベル?」
「少し、考えてみます……」
「うむ……いつも、ティンベルにばかり考えさせてすまぬな。我にも何か手助けができればよいのだが」
「てめぇは馬鹿なんだから余計な労力だろ」
「酷いのだ」
歯に衣着せぬ物言いにも限度があるだろうと、アデルはユウタロウに批難の眼差しを向けた。気を落としているアデルを励まそうと、ティンベルは綻ばせた表情で口を開く。
「人には適材適所というものがあります。アデル兄様はその素晴らしいお力でいつも私やお仲間を守っていらっしゃるじゃありませんか」
「要は生徒会長も兄貴を馬鹿だと思っていると」
「ちょ……!」
「はははっ、良いのだ良いのだ。我が馬鹿なのは我が一番よく分かっているのでな。師匠にあれだけ馬鹿呼ばわりされれば、流石に自覚もつくのだ」
デリカシーの欠片も無いユウタロウにティンベルは抗議しようと声を上げるが、アデルが哄笑したことでそれに急ブレーキがかかった。
そして同時に、エルは一体アデルとの二人暮らしの間にどれだけ馬鹿と罵ったのだろうと、ティンベルは考えてしまう。
「あぁ、そうであった。ユウタロウ殿」
「ん?」
「例の手紙の送り主を、我の仲間が今特定している最中なのだが、もし良ければ、当主が書いた文字を提供して欲しいのだ。当主が書いた文字であれば何でもいいそうだ。紙に書いたものでなくとも、歪な文字であっても良いのだ」
「おー……おいクレハぁ!!」
アデルからの要望を受けると、ユウタロウは天井に向かってクレハの名前を叫んだ。まるで、ヤクザが舎弟を呼び出すようなそのドス声に、ティンベルたちは何とも言えない相好になってしまう。
ユウタロウが呼んだ刹那、クレハはシュタっ……と、天井の隠し扉から降り立った。クレハがユウタロウの傍にいるのは最早恒例なので、彼の出現に驚く者はいない。
クレハはユウタロウの前に跪くと、スッと凛々しい面持ちを上げた。
「クレハ。さっきの話聞いてたな?」
「はっ」
「んじゃ、よろしく」
「了解した」
それだけ言うと、クレハは素早く天井裏へ撤収していった。あまりにもな急展開に、ティンベルたちはポカンと呆けた顔で天井を見上げることしかできない。
「ユウタロウ様……言葉数が少ないにも程がありませんか?」
「あれで分かるからいいだろうが」
「まぁ、そうですけど……」
的を射ているからこそ反論できないティンベルだったが、心の中で「クレハ様、お可哀想に……」と、既に撤収したクレハを憐れむのだった。
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