65 / 117
第二章 過去との対峙編
61.不穏の足音2
しおりを挟む
「はぁっ!」
振り下ろされた剣を、左腕に仕込んでいる防具で防ぐと、皓然はそのまま剣を薙ぎ払い、同時に素早い動きで回し蹴りをかます。だが、顔すれすれのところで相手に躱され、皓然は目を見開いた。
皓然の蹴りを躱した相手は剣を後方に投げ捨てると、勢いそのまま背中を反らし、バク転を数度繰り返して、投げ捨てた剣の元まで向かった。着地し、素早く剣を拾い上げた頃には、既に皓然が迫っており、彼の蹴りを、男は拾った剣で受け止めようとする。
(身体能力が恐ろしく高い……勇者一族の名前は伊達では無いということか)
敵の柔軟な動きに目を瞠る皓然だが、キンっ!と耳障りな音が鳴ると、再び目の前の戦闘に集中する。彼は脚にも腕と同じような防具を身につけているので、蹴りでも剣に対抗できるのだ。
防御と攻撃を交互に行う傍ら、皓然はチラチラとヒメたちの様子を窺ってみる。二人も中々の接戦を繰り広げているようだった。
ヒメは絶えずジルを生み、それを火、水、風を基本の属性としたあらゆる物に変換し、攻撃を繰り出しているが、相手も操志者なのか、その攻撃を別の何かに変換されたりと、中々上手く攻撃が命中していないようだ。皓然が身体能力を競う戦いなら、ヒメの場合は操志者としての技量を争う戦いだろう。
一方のディアンは、剣と操志者としての技術を組み合わせた戦いをしており、相手も同じような手法である。つまり、皓然とヒメの戦闘を足して二で割ったような戦いであった。
――先に動きが見えたのは、ヒメの戦いである。
ヒメは徐に右手を相手に向けると、生み出したジルを炎に変換して放った。対する男は、炎の半分を水に変換することで炎を無力化するが、その時にはもう、ヒメの目的は達せられ、対する彼はその目的に気づけていなかった。
炎を消したことで煙が立ち、彼の視界を遮る――それこそがヒメの狙いであった。ヒメは、懐に忍ばせていた三つの暗器を指と指の間に挟むと、煙の中を通り抜けるように投げた。刹那、相手の視界には煙をかき分けて襲ってくる暗器が映り、気づけばもう、時既に遅しであった。
「ぐぁっ!!」
三つの暗器はそれぞれ、男の肩、右胸、左上腕に命中し、彼は苦悶の声を上げながら後ろ向きに倒れ込む。その一瞬の隙を決して見逃さなかったヒメは、すかさず小型剣を抜いた。ジルによって威力を何倍にも引き上げた、殺傷能力の高い小型剣を。
倒れる寸前の男の身体をクルリと回転させた瞬間、彼は仰向けに倒れた。間髪入れずに男の右腕を無理矢理持ち上げると、ヒメはまず彼の右肩の関節を外した。それによって、後ろ向きにしても自由に動くようになった腕めがけて、ヒメは小型剣を振るう。
刹那――男の右腕は無惨に斬り落とされ、血飛沫がヒメの顔に飛び散った。そして、男がその事実に気づくよりも早く、痛みを感じるよりも早く――。ヒメは男の両足の腱を、完全に断ち斬った。
「があああああああああああああああああああああああっっ!!」
経験したことも無い激痛を前に、男は絶叫し、野次馬は耳を押さえながらビクッと肩を震わせた。耐え切れず、叫ぶのをやめられない男だったが、声はいつしかかれてしまい、音にもならない叫喚ばかりが空に溶けた。
段々と、男の状態を理解し始めた野次馬からも悲鳴が漏れ、男の無残な姿を目の当たりにしたほとんどが、顔面蒼白になっている。
当に阿鼻叫喚――この状況を作り出した張本人であるヒメは、男の身体に刺さった暗器を回収すると、武器にべっとりと付着した血液を大雑把に振り払った。
「うわぁ……ヒメちゃん、中々残酷ですね、いたそー…………ご愁傷さまです……」
「貴様っ!よくもっ……」
哀れな男に向けて合掌する皓然に対し、彼の対戦相手である男は、まるで不倶戴天の仇を見るような眼差しをヒメに向けていた。
「これ以上ちょっかいを掛けられても困るの。二度と戦えないよう、腕と足を潰すのは基本中の基本なの。殺さないだけ感謝して欲しいの」
「ある意味それが一番残酷なんだけどなぁ……うぉっと」
ケロッと、顔に飛び散った血を拭うヒメに苦笑いを浮かべた皓然だが、自らの対戦相手が剣を振るってきたせいで、それどころでは無くなってしまう。腹を掻っ切られる寸前で、背を反らして躱した皓然は、そのまま後ろの地面に両手をつき、バク転の体勢に入る。相手も皓然がバク転するものだと思っていたのだが、皓然は次の瞬間、予想だにしていなかった動きを見せる。
皓然は両脚が完全に上がりきる前、身体をよじらせて相手の剣を足で挟み、絡めとったのだ。
「っ!」
空振りした剣を、想定外の動きで奪い取られたので、男は呆けたように目を見開いてしまう。一方、相手の剣を奪った皓然は、その剣と共に着地すると、あっさりと後ろ蹴りで剣を後方に放った。
「よし。それじゃあ、俺もそろそろ本気を出しますね」
「……?」
困惑の抜けきらない男は、ニッコリと微笑んだ皓然の言葉が不可解で、首を傾げてしまった。まるで、今の今まで本気では無かったと言っているように聞こえたから。
皓然は戦いの最中、空気中のジルを集めていた。少しずつ、少しずつ。そのジルを、身体の許容量いっぱいまで込めて身体能力を上げる術こそ、身体強化術である。
元々、計り知れないほどの馬鹿力を持っている皓然が、身体強化術を使うことは滅多にない。使うとその力が何倍にも引き上げられ、生半可な相手だと簡単に殺してしまうからだ。
だが、今回の相手に限っては、身体強化を行う価値があると、皓然は判断したのだろう。
皓然は身体強化を行うと、その身体で駆け出した。刹那、踏み込んだ地面に大きなへこみが出来、周囲には広範囲の亀裂が走っていた。一部陥没してしまうのでは無いかと不安になる程の地面に気を取られた時にはもう、皓然は男の眼前まで距離を詰めていた。
咄嗟に攻撃を防御しようと、男は両腕を顔の前で組むが、皓然はお構いなしに、目にも止まらぬ速さの拳を振り落とす。
「ぐほぉっ……!」
メキッ……と、聞いたことも無い妙な音が耳にこびりつく。そのまま地面に叩きつけられた男は、苦悶の声を漏らしていたが、自分の身に何が起こっているのかイマイチ理解できていなかった。
何とか退避して立て直そうとする男だが、思い至った時には既に、第二撃が彼を襲っていた。
皓然は、先の攻撃でボロボロになった男の腕を無造作に掴むと、その身体を空中へ投げた。間髪入れずに力強く跳躍すると、再び地面にへこみが出来る。そんなことはお構いなしに、空を飛ぶ男の元まで跳躍すると、高い蹴りで男の身体を更に上へ向かわせる。
そして空中に簡易的な小さな結界を張ると、それを踏み台にして、皓然は更に上へと跳躍した。当然、踏み台にされたその結界は、粉々に砕け散っていった。
皓然は、男の更に上まで跳躍すると、右脚を高く上げ、踵落としの体勢に入る。その脚がうっすらと視界に入り、何とか両腕で防御しようとする男だったが、それが実行されることは無かった。
その時、男は漸く気付いたのだ。身体強化をした皓然の第一撃目で、自らの両腕の骨がボロボロに砕け、最早使い物にならなくなってしまったことを。
結界を張ろうとする男だが、時既に遅し。そもそもこの刹那の間に張られた結界など、皓然の蹴りで簡単に突き破られてしまうので無意味だ。
皓然は男の腹に狙いを定めると、ブンっ!と、空気が切り裂かれる音と共に足を振り下ろす。
「あはっ!!!!!!」
狂喜に哄笑する皓然は、普段見えない八重歯を覗かせ、心底楽しそうだ。だがその満面の笑みを向けられている側には、悪魔の狂気じみた笑顔にしか見えないだろう。
蹴りの威力が上乗せされたことで、男と皓然は地上へ急降下した。
――ダーン!!!瞬きする間に地面へと叩きつけられた男は、落下したダメージと皓然の蹴りに板挟みされたせいで「ぐほぉっ……」と激しく吐血してしまう。
片脚を男の腹にめり込ませていた為、皓然はもう片方の脚を一時的に高く掲げていたのだが、それを地面に下ろすと、血に塗れた足を腹から抜く。男の腹には風穴があき、傷口を覗くと血に濡れた地面が透けて見えていた。当然、男は気を失っており、白目を剥いて無残な姿を晒している。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………あはっ……あーあ……スッキリした」
「……皓然は、身体強化すると林様にそっくりなの……怖いの……」
晴れ晴れとした表情で呼吸を整える皓然を、ヒメは傍から引き攣った表情で眺めていた。皓然は身体強化術を施すと、姉である林と同等レベルの力をその身に宿すのだが、その際にアドレナリンが過剰分泌されてしまい、一時的に興奮状態に陥るのだ。
加えて皓然は、アデルを侮辱した彼らに内心苛立っていたので、その反動は凄まじいものであった。
ヒメ、皓然の戦いが一段落つく中、髭面の男と対戦していたディアンは中々の苦戦を強いられていた。序列で言えば皓然よりもディアンの方が少し強いのだが、皓然はこの序列が定められた時より大分成長しており、本来の実力は彼の方が上である。つまり、この三人の中では最弱のディアンは運悪く、あの勇者一族の三人の中で一番の戦士と当たってしまったらしい。
重傷では無いものの、ディアンは所々怪我をしており、ヒメと皓然が応援に向かおうとした、その時だった。
――彼がやって来たのは。
『――止まれ』
「「っ!」」
決して大きくは無いというのに、耳の奥で良く響く、特徴的な声。その声は聞き覚えがあるようで、彼らが頭に思い浮かべた人物とは違う存在。
ジルの込められた声で紡がれる、逃れようのない命令を受けた髭面の男は、身体を一切動かせない事実に気づき、衝撃で目を見開いた。
そして、この何とも言えない心地の悪い感覚へと自らを追い込んだであろう、その来訪者に視線を向ける。
百七十センチ程の背に、クリームのような金髪はひよこの様。珈琲のような深い色の瞳はどこか勝ち気だが、大きくクリっとしている。白く薄いシャツに、サスペンダー付きの黒のパンツを着ているのだが、何故か上下とも丈や袖が余っている。年齢は二十代前半で、潔癖そうな美青年である。
髭面の男は突如現れた男を睨みつけると、震えの止まらない口を開いた。
「っ……な、なんだ……これは……どうして身体が動かないっ……っ、貴様何者だ!」
髭面の男が喚いた途端、現れた青年は不機嫌そうに顔を顰める。眉間に皺を寄せ、髭面の男を見つめる眼差しは、まるでゴミかハイエナを目の当たりにしているよう。
ため息交じりに、青年はその毒々しい口を開いた。
「このアマノを知らないなんて、一体どこの無知蒙昧野郎だ、まったく……汚い唾をこちらに飛ばすな。アマノの身体が穢れるだろうが、この痴れ者が」
「な…………き、貴様ぁ!!勇者一族の血を愚弄するかっ!穢れているのは悪魔の愛し子なんぞに与する貴様らの方だろうがっ!あんなものが存在するからこの世は腐っていくばかりなのだっ!生まれたこと自体が罪だと気づかずっ、のうのうと息をしているだけで世を汚染していると、何故あれらは気づかないのだっ?お前らもお前らだっ……あんな穢れた存在に仕えるなどっ、正気の沙汰とは……」
彼らが普段、悪魔に対して吐くような暴言を一身に受けた髭面の男は、反撃するように声を荒げるが、彼の言葉は青年――アマノによって遮られることとなる。アマノは不意に、人差し指を髭面の男に向けたのだ。
髭面の男は、眼前に迫る指先にたじろぐあまり、気づけていなかった。悪魔の愛し子――アデルに対する暴言を耳にした一瞬、アマノがピクっと目元を引き攣らせていた事実に。
「二度と……」
「?」
男にしては高い声を持つアマノだが、ボソッと呟いたその声は低く唸るようで、妙な威圧感があった。思わず怪訝そうに首を傾げる髭面の男だが、刹那の内にそれどころでは無くなってしまう。
『二度と呼吸をするな』
「がっ……」
相手を睨み据えながら、アマノが冷徹に言い放った途端、男は突如自らを襲ってきた苦しみに目をかっぴらいた。首元を押さえたいのに、先の「止まれ」という命令があるせいで、腕を首に持っていくことすら男には出来ない。
口からも、鼻からも。吸い込みたくて仕方の無い空気が一切入って来ず、あまりの困惑に髭面の男は目を泳がせた。命令されたばかりはまだいいが、これ以上呼吸が出来ないとその苦しみは徐々に増し、果てには命を落としてしまう。何とかこの状況を脱する方法は無いものかと、男は泳がせていた視線をアマノに移す。
刹那、髭面の男は衝撃のあまり目を見開いた。
目の前に、アマノがいないのだ。
一体どこに消えたのだ?疑問を浮かべる男だが、首を上手く動かせないせいで、アマノを探すことができない。仕方が無いので目線だけを動かすと、見下ろした先に男は衝撃的な光景を見つける。
男の眼下にいたのは、小さな子供。――いや、違う。男はすぐに分かった。
エルと同じぐらいの年齢に見えるその子供は、衝撃に固まる男を見上げると、先と全く同じ声、同じ口調で言い放った。
「……アイツを、そんな穢れた言葉で罵るな。……冥土の土産に、アマノが誰か教えてやる。
――レディバグ、序列第四位……アマノ・ナグサメ様だ」
振り下ろされた剣を、左腕に仕込んでいる防具で防ぐと、皓然はそのまま剣を薙ぎ払い、同時に素早い動きで回し蹴りをかます。だが、顔すれすれのところで相手に躱され、皓然は目を見開いた。
皓然の蹴りを躱した相手は剣を後方に投げ捨てると、勢いそのまま背中を反らし、バク転を数度繰り返して、投げ捨てた剣の元まで向かった。着地し、素早く剣を拾い上げた頃には、既に皓然が迫っており、彼の蹴りを、男は拾った剣で受け止めようとする。
(身体能力が恐ろしく高い……勇者一族の名前は伊達では無いということか)
敵の柔軟な動きに目を瞠る皓然だが、キンっ!と耳障りな音が鳴ると、再び目の前の戦闘に集中する。彼は脚にも腕と同じような防具を身につけているので、蹴りでも剣に対抗できるのだ。
防御と攻撃を交互に行う傍ら、皓然はチラチラとヒメたちの様子を窺ってみる。二人も中々の接戦を繰り広げているようだった。
ヒメは絶えずジルを生み、それを火、水、風を基本の属性としたあらゆる物に変換し、攻撃を繰り出しているが、相手も操志者なのか、その攻撃を別の何かに変換されたりと、中々上手く攻撃が命中していないようだ。皓然が身体能力を競う戦いなら、ヒメの場合は操志者としての技量を争う戦いだろう。
一方のディアンは、剣と操志者としての技術を組み合わせた戦いをしており、相手も同じような手法である。つまり、皓然とヒメの戦闘を足して二で割ったような戦いであった。
――先に動きが見えたのは、ヒメの戦いである。
ヒメは徐に右手を相手に向けると、生み出したジルを炎に変換して放った。対する男は、炎の半分を水に変換することで炎を無力化するが、その時にはもう、ヒメの目的は達せられ、対する彼はその目的に気づけていなかった。
炎を消したことで煙が立ち、彼の視界を遮る――それこそがヒメの狙いであった。ヒメは、懐に忍ばせていた三つの暗器を指と指の間に挟むと、煙の中を通り抜けるように投げた。刹那、相手の視界には煙をかき分けて襲ってくる暗器が映り、気づけばもう、時既に遅しであった。
「ぐぁっ!!」
三つの暗器はそれぞれ、男の肩、右胸、左上腕に命中し、彼は苦悶の声を上げながら後ろ向きに倒れ込む。その一瞬の隙を決して見逃さなかったヒメは、すかさず小型剣を抜いた。ジルによって威力を何倍にも引き上げた、殺傷能力の高い小型剣を。
倒れる寸前の男の身体をクルリと回転させた瞬間、彼は仰向けに倒れた。間髪入れずに男の右腕を無理矢理持ち上げると、ヒメはまず彼の右肩の関節を外した。それによって、後ろ向きにしても自由に動くようになった腕めがけて、ヒメは小型剣を振るう。
刹那――男の右腕は無惨に斬り落とされ、血飛沫がヒメの顔に飛び散った。そして、男がその事実に気づくよりも早く、痛みを感じるよりも早く――。ヒメは男の両足の腱を、完全に断ち斬った。
「があああああああああああああああああああああああっっ!!」
経験したことも無い激痛を前に、男は絶叫し、野次馬は耳を押さえながらビクッと肩を震わせた。耐え切れず、叫ぶのをやめられない男だったが、声はいつしかかれてしまい、音にもならない叫喚ばかりが空に溶けた。
段々と、男の状態を理解し始めた野次馬からも悲鳴が漏れ、男の無残な姿を目の当たりにしたほとんどが、顔面蒼白になっている。
当に阿鼻叫喚――この状況を作り出した張本人であるヒメは、男の身体に刺さった暗器を回収すると、武器にべっとりと付着した血液を大雑把に振り払った。
「うわぁ……ヒメちゃん、中々残酷ですね、いたそー…………ご愁傷さまです……」
「貴様っ!よくもっ……」
哀れな男に向けて合掌する皓然に対し、彼の対戦相手である男は、まるで不倶戴天の仇を見るような眼差しをヒメに向けていた。
「これ以上ちょっかいを掛けられても困るの。二度と戦えないよう、腕と足を潰すのは基本中の基本なの。殺さないだけ感謝して欲しいの」
「ある意味それが一番残酷なんだけどなぁ……うぉっと」
ケロッと、顔に飛び散った血を拭うヒメに苦笑いを浮かべた皓然だが、自らの対戦相手が剣を振るってきたせいで、それどころでは無くなってしまう。腹を掻っ切られる寸前で、背を反らして躱した皓然は、そのまま後ろの地面に両手をつき、バク転の体勢に入る。相手も皓然がバク転するものだと思っていたのだが、皓然は次の瞬間、予想だにしていなかった動きを見せる。
皓然は両脚が完全に上がりきる前、身体をよじらせて相手の剣を足で挟み、絡めとったのだ。
「っ!」
空振りした剣を、想定外の動きで奪い取られたので、男は呆けたように目を見開いてしまう。一方、相手の剣を奪った皓然は、その剣と共に着地すると、あっさりと後ろ蹴りで剣を後方に放った。
「よし。それじゃあ、俺もそろそろ本気を出しますね」
「……?」
困惑の抜けきらない男は、ニッコリと微笑んだ皓然の言葉が不可解で、首を傾げてしまった。まるで、今の今まで本気では無かったと言っているように聞こえたから。
皓然は戦いの最中、空気中のジルを集めていた。少しずつ、少しずつ。そのジルを、身体の許容量いっぱいまで込めて身体能力を上げる術こそ、身体強化術である。
元々、計り知れないほどの馬鹿力を持っている皓然が、身体強化術を使うことは滅多にない。使うとその力が何倍にも引き上げられ、生半可な相手だと簡単に殺してしまうからだ。
だが、今回の相手に限っては、身体強化を行う価値があると、皓然は判断したのだろう。
皓然は身体強化を行うと、その身体で駆け出した。刹那、踏み込んだ地面に大きなへこみが出来、周囲には広範囲の亀裂が走っていた。一部陥没してしまうのでは無いかと不安になる程の地面に気を取られた時にはもう、皓然は男の眼前まで距離を詰めていた。
咄嗟に攻撃を防御しようと、男は両腕を顔の前で組むが、皓然はお構いなしに、目にも止まらぬ速さの拳を振り落とす。
「ぐほぉっ……!」
メキッ……と、聞いたことも無い妙な音が耳にこびりつく。そのまま地面に叩きつけられた男は、苦悶の声を漏らしていたが、自分の身に何が起こっているのかイマイチ理解できていなかった。
何とか退避して立て直そうとする男だが、思い至った時には既に、第二撃が彼を襲っていた。
皓然は、先の攻撃でボロボロになった男の腕を無造作に掴むと、その身体を空中へ投げた。間髪入れずに力強く跳躍すると、再び地面にへこみが出来る。そんなことはお構いなしに、空を飛ぶ男の元まで跳躍すると、高い蹴りで男の身体を更に上へ向かわせる。
そして空中に簡易的な小さな結界を張ると、それを踏み台にして、皓然は更に上へと跳躍した。当然、踏み台にされたその結界は、粉々に砕け散っていった。
皓然は、男の更に上まで跳躍すると、右脚を高く上げ、踵落としの体勢に入る。その脚がうっすらと視界に入り、何とか両腕で防御しようとする男だったが、それが実行されることは無かった。
その時、男は漸く気付いたのだ。身体強化をした皓然の第一撃目で、自らの両腕の骨がボロボロに砕け、最早使い物にならなくなってしまったことを。
結界を張ろうとする男だが、時既に遅し。そもそもこの刹那の間に張られた結界など、皓然の蹴りで簡単に突き破られてしまうので無意味だ。
皓然は男の腹に狙いを定めると、ブンっ!と、空気が切り裂かれる音と共に足を振り下ろす。
「あはっ!!!!!!」
狂喜に哄笑する皓然は、普段見えない八重歯を覗かせ、心底楽しそうだ。だがその満面の笑みを向けられている側には、悪魔の狂気じみた笑顔にしか見えないだろう。
蹴りの威力が上乗せされたことで、男と皓然は地上へ急降下した。
――ダーン!!!瞬きする間に地面へと叩きつけられた男は、落下したダメージと皓然の蹴りに板挟みされたせいで「ぐほぉっ……」と激しく吐血してしまう。
片脚を男の腹にめり込ませていた為、皓然はもう片方の脚を一時的に高く掲げていたのだが、それを地面に下ろすと、血に塗れた足を腹から抜く。男の腹には風穴があき、傷口を覗くと血に濡れた地面が透けて見えていた。当然、男は気を失っており、白目を剥いて無残な姿を晒している。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………あはっ……あーあ……スッキリした」
「……皓然は、身体強化すると林様にそっくりなの……怖いの……」
晴れ晴れとした表情で呼吸を整える皓然を、ヒメは傍から引き攣った表情で眺めていた。皓然は身体強化術を施すと、姉である林と同等レベルの力をその身に宿すのだが、その際にアドレナリンが過剰分泌されてしまい、一時的に興奮状態に陥るのだ。
加えて皓然は、アデルを侮辱した彼らに内心苛立っていたので、その反動は凄まじいものであった。
ヒメ、皓然の戦いが一段落つく中、髭面の男と対戦していたディアンは中々の苦戦を強いられていた。序列で言えば皓然よりもディアンの方が少し強いのだが、皓然はこの序列が定められた時より大分成長しており、本来の実力は彼の方が上である。つまり、この三人の中では最弱のディアンは運悪く、あの勇者一族の三人の中で一番の戦士と当たってしまったらしい。
重傷では無いものの、ディアンは所々怪我をしており、ヒメと皓然が応援に向かおうとした、その時だった。
――彼がやって来たのは。
『――止まれ』
「「っ!」」
決して大きくは無いというのに、耳の奥で良く響く、特徴的な声。その声は聞き覚えがあるようで、彼らが頭に思い浮かべた人物とは違う存在。
ジルの込められた声で紡がれる、逃れようのない命令を受けた髭面の男は、身体を一切動かせない事実に気づき、衝撃で目を見開いた。
そして、この何とも言えない心地の悪い感覚へと自らを追い込んだであろう、その来訪者に視線を向ける。
百七十センチ程の背に、クリームのような金髪はひよこの様。珈琲のような深い色の瞳はどこか勝ち気だが、大きくクリっとしている。白く薄いシャツに、サスペンダー付きの黒のパンツを着ているのだが、何故か上下とも丈や袖が余っている。年齢は二十代前半で、潔癖そうな美青年である。
髭面の男は突如現れた男を睨みつけると、震えの止まらない口を開いた。
「っ……な、なんだ……これは……どうして身体が動かないっ……っ、貴様何者だ!」
髭面の男が喚いた途端、現れた青年は不機嫌そうに顔を顰める。眉間に皺を寄せ、髭面の男を見つめる眼差しは、まるでゴミかハイエナを目の当たりにしているよう。
ため息交じりに、青年はその毒々しい口を開いた。
「このアマノを知らないなんて、一体どこの無知蒙昧野郎だ、まったく……汚い唾をこちらに飛ばすな。アマノの身体が穢れるだろうが、この痴れ者が」
「な…………き、貴様ぁ!!勇者一族の血を愚弄するかっ!穢れているのは悪魔の愛し子なんぞに与する貴様らの方だろうがっ!あんなものが存在するからこの世は腐っていくばかりなのだっ!生まれたこと自体が罪だと気づかずっ、のうのうと息をしているだけで世を汚染していると、何故あれらは気づかないのだっ?お前らもお前らだっ……あんな穢れた存在に仕えるなどっ、正気の沙汰とは……」
彼らが普段、悪魔に対して吐くような暴言を一身に受けた髭面の男は、反撃するように声を荒げるが、彼の言葉は青年――アマノによって遮られることとなる。アマノは不意に、人差し指を髭面の男に向けたのだ。
髭面の男は、眼前に迫る指先にたじろぐあまり、気づけていなかった。悪魔の愛し子――アデルに対する暴言を耳にした一瞬、アマノがピクっと目元を引き攣らせていた事実に。
「二度と……」
「?」
男にしては高い声を持つアマノだが、ボソッと呟いたその声は低く唸るようで、妙な威圧感があった。思わず怪訝そうに首を傾げる髭面の男だが、刹那の内にそれどころでは無くなってしまう。
『二度と呼吸をするな』
「がっ……」
相手を睨み据えながら、アマノが冷徹に言い放った途端、男は突如自らを襲ってきた苦しみに目をかっぴらいた。首元を押さえたいのに、先の「止まれ」という命令があるせいで、腕を首に持っていくことすら男には出来ない。
口からも、鼻からも。吸い込みたくて仕方の無い空気が一切入って来ず、あまりの困惑に髭面の男は目を泳がせた。命令されたばかりはまだいいが、これ以上呼吸が出来ないとその苦しみは徐々に増し、果てには命を落としてしまう。何とかこの状況を脱する方法は無いものかと、男は泳がせていた視線をアマノに移す。
刹那、髭面の男は衝撃のあまり目を見開いた。
目の前に、アマノがいないのだ。
一体どこに消えたのだ?疑問を浮かべる男だが、首を上手く動かせないせいで、アマノを探すことができない。仕方が無いので目線だけを動かすと、見下ろした先に男は衝撃的な光景を見つける。
男の眼下にいたのは、小さな子供。――いや、違う。男はすぐに分かった。
エルと同じぐらいの年齢に見えるその子供は、衝撃に固まる男を見上げると、先と全く同じ声、同じ口調で言い放った。
「……アイツを、そんな穢れた言葉で罵るな。……冥土の土産に、アマノが誰か教えてやる。
――レディバグ、序列第四位……アマノ・ナグサメ様だ」
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
小さな大魔法使いの自分探しの旅 親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします
藤なごみ
ファンタジー
※2024年10月下旬に、第2巻刊行予定です
2024年6月中旬に第一巻が発売されます
2024年6月16日出荷、19日販売となります
発売に伴い、題名を「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、元気いっぱいに無自覚チートで街の人を笑顔にします~」→「小さな大魔法使いの自分探しの旅~親に見捨てられたけど、無自覚チートで街の人を笑顔にします~」
中世ヨーロッパに似ているようで少し違う世界。
数少ないですが魔法使いがが存在し、様々な魔導具も生産され、人々の生活を支えています。
また、未開発の土地も多く、数多くの冒険者が活動しています
この世界のとある地域では、シェルフィード王国とタターランド帝国という二つの国が争いを続けています
戦争を行る理由は様ながら長年戦争をしては停戦を繰り返していて、今は辛うじて平和な時が訪れています
そんな世界の田舎で、男の子は産まれました
男の子の両親は浪費家で、親の資産を一気に食いつぶしてしまい、あろうことかお金を得るために両親は行商人に幼い男の子を売ってしまいました
男の子は行商人に連れていかれながら街道を進んでいくが、ここで行商人一行が盗賊に襲われます
そして盗賊により行商人一行が殺害される中、男の子にも命の危険が迫ります
絶体絶命の中、男の子の中に眠っていた力が目覚めて……
この物語は、男の子が各地を旅しながら自分というものを探すものです
各地で出会う人との繋がりを通じて、男の子は少しずつ成長していきます
そして、自分の中にある魔法の力と向かいながら、色々な事を覚えていきます
カクヨム様と小説家になろう様にも投稿しております
異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!
夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ)
安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると
めちゃめちゃ強かった!
気軽に読めるので、暇つぶしに是非!
涙あり、笑いあり
シリアスなおとぼけ冒険譚!
異世界ラブ冒険ファンタジー!
「最初から期待してないからいいんです」家族から見放された少女、後に家族から助けを求められるも戦勝国の王弟殿下へ嫁入りしているので拒否る。
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に仕立て上げられた少女が幸せなるお話。
主人公は聖女に嵌められた。結果、家族からも見捨てられた。独りぼっちになった彼女は、敵国の王弟に拾われて妻となった。
小説家になろう様でも投稿しています。
月が導く異世界道中extra
あずみ 圭
ファンタジー
月読尊とある女神の手によって癖のある異世界に送られた高校生、深澄真。
真は商売をしながら少しずつ世界を見聞していく。
彼の他に召喚された二人の勇者、竜や亜人、そしてヒューマンと魔族の戦争、次々に真は事件に関わっていく。
これはそんな真と、彼を慕う(基本人外の)者達の異世界道中物語。
こちらは月が導く異世界道中番外編になります。
のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
【完結】幼い頃から婚約を誓っていた伯爵に婚約破棄されましたが、数年後に驚くべき事実が発覚したので会いに行こうと思います
菊池 快晴
恋愛
令嬢メアリーは、幼い頃から将来を誓い合ったゼイン伯爵に婚約破棄される。
その隣には見知らぬ女性が立っていた。
二人は傍から見ても仲睦まじいカップルだった。
両家の挨拶を終えて、幸せな結婚前パーティで、その出来事は起こった。
メアリーは彼との出会いを思い返しながら打ちひしがれる。
数年後、心の傷がようやく癒えた頃、メアリーの前に、謎の女性が現れる。
彼女の口から発せられた言葉は、ゼインのとんでもない事実だった――。
※ハッピーエンド&純愛
他サイトでも掲載しております。
かつて私のお母様に婚約破棄を突き付けた国王陛下が倅と婚約して後ろ盾になれと脅してきました
お好み焼き
恋愛
私のお母様は学生時代に婚約破棄されました。当時王太子だった現国王陛下にです。その国王陛下が「リザベリーナ嬢。余の倅と婚約して後ろ盾になれ。これは王命である」と私に圧をかけてきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる