レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第二章 過去との対峙編

61.不穏の足音2

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「はぁっ!」


 振り下ろされた剣を、左腕に仕込んでいる防具で防ぐと、皓然ハオランはそのまま剣を薙ぎ払い、同時に素早い動きで回し蹴りをかます。だが、顔すれすれのところで相手に躱され、皓然は目を見開いた。
 皓然の蹴りを躱した相手は剣を後方に投げ捨てると、勢いそのまま背中を反らし、バク転を数度繰り返して、投げ捨てた剣の元まで向かった。着地し、素早く剣を拾い上げた頃には、既に皓然が迫っており、彼の蹴りを、男は拾った剣で受け止めようとする。


(身体能力が恐ろしく高い……勇者一族の名前は伊達では無いということか)


 敵の柔軟な動きに目を瞠る皓然だが、キンっ!と耳障りな音が鳴ると、再び目の前の戦闘に集中する。彼は脚にも腕と同じような防具を身につけているので、蹴りでも剣に対抗できるのだ。

 防御と攻撃を交互に行う傍ら、皓然はチラチラとヒメたちの様子を窺ってみる。二人も中々の接戦を繰り広げているようだった。

 ヒメは絶えずジルを生み、それを火、水、風を基本の属性としたあらゆる物に変換し、攻撃を繰り出しているが、相手も操志者なのか、その攻撃を別の何かに変換されたりと、中々上手く攻撃が命中していないようだ。皓然が身体能力を競う戦いなら、ヒメの場合は操志者としての技量を争う戦いだろう。
 一方のディアンは、剣と操志者としての技術を組み合わせた戦いをしており、相手も同じような手法である。つまり、皓然とヒメの戦闘を足して二で割ったような戦いであった。

 ――先に動きが見えたのは、ヒメの戦いである。

 ヒメは徐に右手を相手に向けると、生み出したジルを炎に変換して放った。対する男は、炎の半分を水に変換することで炎を無力化するが、その時にはもう、ヒメの目的は達せられ、対する彼はその目的に気づけていなかった。

 炎を消したことで煙が立ち、彼の視界を遮る――それこそがヒメの狙いであった。ヒメは、懐に忍ばせていた三つの暗器を指と指の間に挟むと、煙の中を通り抜けるように投げた。刹那、相手の視界には煙をかき分けて襲ってくる暗器が映り、気づけばもう、時既に遅しであった。


「ぐぁっ!!」


 三つの暗器はそれぞれ、男の肩、右胸、左上腕に命中し、彼は苦悶の声を上げながら後ろ向きに倒れ込む。その一瞬の隙を決して見逃さなかったヒメは、すかさず小型剣を抜いた。ジルによって威力を何倍にも引き上げた、殺傷能力の高い小型剣を。

 倒れる寸前の男の身体をクルリと回転させた瞬間、彼は仰向けに倒れた。間髪入れずに男の右腕を無理矢理持ち上げると、ヒメはまず彼の右肩の関節を外した。それによって、後ろ向きにしても自由に動くようになった腕めがけて、ヒメは小型剣を振るう。

 刹那――男の右腕は無惨に斬り落とされ、血飛沫がヒメの顔に飛び散った。そして、男がその事実に気づくよりも早く、痛みを感じるよりも早く――。ヒメは男の両足の腱を、完全に断ち斬った。


「があああああああああああああああああああああああっっ!!」


 経験したことも無い激痛を前に、男は絶叫し、野次馬は耳を押さえながらビクッと肩を震わせた。耐え切れず、叫ぶのをやめられない男だったが、声はいつしかかれてしまい、音にもならない叫喚ばかりが空に溶けた。
 段々と、男の状態を理解し始めた野次馬からも悲鳴が漏れ、男の無残な姿を目の当たりにしたほとんどが、顔面蒼白になっている。

 当に阿鼻叫喚――この状況を作り出した張本人であるヒメは、男の身体に刺さった暗器を回収すると、武器にべっとりと付着した血液を大雑把に振り払った。


「うわぁ……ヒメちゃん、中々残酷ですね、いたそー…………ご愁傷さまです……」
「貴様っ!よくもっ……」


 哀れな男に向けて合掌する皓然に対し、彼の対戦相手である男は、まるで不倶戴天の仇を見るような眼差しをヒメに向けていた。


「これ以上ちょっかいを掛けられても困るの。二度と戦えないよう、腕と足を潰すのは基本中の基本なの。殺さないだけ感謝して欲しいの」
「ある意味それが一番残酷なんだけどなぁ……うぉっと」


 ケロッと、顔に飛び散った血を拭うヒメに苦笑いを浮かべた皓然だが、自らの対戦相手が剣を振るってきたせいで、それどころでは無くなってしまう。腹を掻っ切られる寸前で、背を反らして躱した皓然は、そのまま後ろの地面に両手をつき、バク転の体勢に入る。相手も皓然がバク転するものだと思っていたのだが、皓然は次の瞬間、予想だにしていなかった動きを見せる。

 皓然は両脚が完全に上がりきる前、身体をよじらせて相手の剣を足で挟み、絡めとったのだ。


「っ!」


 空振りした剣を、想定外の動きで奪い取られたので、男は呆けたように目を見開いてしまう。一方、相手の剣を奪った皓然は、その剣と共に着地すると、あっさりと後ろ蹴りで剣を後方に放った。


「よし。それじゃあ、俺もそろそろ本気を出しますね」
「……?」


 困惑の抜けきらない男は、ニッコリと微笑んだ皓然の言葉が不可解で、首を傾げてしまった。まるで、今の今まで本気では無かったと言っているように聞こえたから。

 皓然は戦いの最中、空気中のジルを集めていた。少しずつ、少しずつ。そのジルを、身体の許容量いっぱいまで込めて身体能力を上げる術こそ、身体強化術である。
 元々、計り知れないほどの馬鹿力を持っている皓然が、身体強化術を使うことは滅多にない。使うとその力が何倍にも引き上げられ、生半可な相手だと簡単に殺してしまうからだ。

 だが、今回の相手に限っては、身体強化を行う価値があると、皓然は判断したのだろう。

 皓然は身体強化を行うと、その身体で駆け出した。刹那、踏み込んだ地面に大きなへこみが出来、周囲には広範囲の亀裂が走っていた。一部陥没してしまうのでは無いかと不安になる程の地面に気を取られた時にはもう、皓然は男の眼前まで距離を詰めていた。
 咄嗟に攻撃を防御しようと、男は両腕を顔の前で組むが、皓然はお構いなしに、目にも止まらぬ速さの拳を振り落とす。


「ぐほぉっ……!」


 メキッ……と、聞いたことも無い妙な音が耳にこびりつく。そのまま地面に叩きつけられた男は、苦悶の声を漏らしていたが、自分の身に何が起こっているのかイマイチ理解できていなかった。
 何とか退避して立て直そうとする男だが、思い至った時には既に、第二撃が彼を襲っていた。

 皓然は、先の攻撃でボロボロになった男の腕を無造作に掴むと、その身体を空中へ投げた。間髪入れずに力強く跳躍すると、再び地面にへこみが出来る。そんなことはお構いなしに、空を飛ぶ男の元まで跳躍すると、高い蹴りで男の身体を更に上へ向かわせる。

 そして空中に簡易的な小さな結界を張ると、それを踏み台にして、皓然は更に上へと跳躍した。当然、踏み台にされたその結界は、粉々に砕け散っていった。

 皓然は、男の更に上まで跳躍すると、右脚を高く上げ、踵落としの体勢に入る。その脚がうっすらと視界に入り、何とか両腕で防御しようとする男だったが、それが実行されることは無かった。
 その時、男は漸く気付いたのだ。身体強化をした皓然の第一撃目で、自らの両腕の骨がボロボロに砕け、最早使い物にならなくなってしまったことを。

 結界を張ろうとする男だが、時既に遅し。そもそもこの刹那の間に張られた結界など、皓然の蹴りで簡単に突き破られてしまうので無意味だ。

 皓然は男の腹に狙いを定めると、ブンっ!と、空気が切り裂かれる音と共に足を振り下ろす。


「あはっ!!!!!!」


 狂喜に哄笑する皓然は、普段見えない八重歯を覗かせ、心底楽しそうだ。だがその満面の笑みを向けられている側には、悪魔の狂気じみた笑顔にしか見えないだろう。

 蹴りの威力が上乗せされたことで、男と皓然は地上へ急降下した。

 ――ダーン!!!瞬きする間に地面へと叩きつけられた男は、落下したダメージと皓然の蹴りに板挟みされたせいで「ぐほぉっ……」と激しく吐血してしまう。

 片脚を男の腹にめり込ませていた為、皓然はもう片方の脚を一時的に高く掲げていたのだが、それを地面に下ろすと、血に塗れた足を腹から抜く。男の腹には風穴があき、傷口を覗くと血に濡れた地面が透けて見えていた。当然、男は気を失っており、白目を剥いて無残な姿を晒している。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………あはっ……あーあ……スッキリした」
「……皓然は、身体強化すると林様にそっくりなの……怖いの……」


 晴れ晴れとした表情で呼吸を整える皓然を、ヒメは傍から引き攣った表情で眺めていた。皓然は身体強化術を施すと、姉である林と同等レベルの力をその身に宿すのだが、その際にアドレナリンが過剰分泌されてしまい、一時的に興奮状態に陥るのだ。
 加えて皓然は、アデルを侮辱した彼らに内心苛立っていたので、その反動は凄まじいものであった。

 ヒメ、皓然の戦いが一段落つく中、髭面の男と対戦していたディアンは中々の苦戦を強いられていた。序列で言えば皓然よりもディアンの方が少し強いのだが、皓然はこの序列が定められた時より大分成長しており、本来の実力は彼の方が上である。つまり、この三人の中では最弱のディアンは運悪く、あの勇者一族の三人の中で一番の戦士と当たってしまったらしい。

 重傷では無いものの、ディアンは所々怪我をしており、ヒメと皓然が応援に向かおうとした、その時だった。

 ――彼がやって来たのは。


『――止まれ』
「「っ!」」


 決して大きくは無いというのに、耳の奥で良く響く、特徴的な声。その声は聞き覚えがあるようで、彼らが頭に思い浮かべた人物とは違う存在。

 ジルの込められた声で紡がれる、逃れようのない命令を受けた髭面の男は、身体を一切動かせない事実に気づき、衝撃で目を見開いた。
 そして、この何とも言えない心地の悪い感覚へと自らを追い込んだであろう、その来訪者に視線を向ける。

 百七十センチ程の背に、クリームのような金髪はひよこの様。珈琲のような深い色の瞳はどこか勝ち気だが、大きくクリっとしている。白く薄いシャツに、サスペンダー付きの黒のパンツを着ているのだが、何故か上下とも丈や袖が余っている。年齢は二十代前半で、潔癖そうな美青年である。

 髭面の男は突如現れた男を睨みつけると、震えの止まらない口を開いた。


「っ……な、なんだ……これは……どうして身体が動かないっ……っ、貴様何者だ!」


 髭面の男が喚いた途端、現れた青年は不機嫌そうに顔を顰める。眉間に皺を寄せ、髭面の男を見つめる眼差しは、まるでゴミかハイエナを目の当たりにしているよう。

 ため息交じりに、青年はその毒々しい口を開いた。


「このアマノを知らないなんて、一体どこの無知蒙昧野郎だ、まったく……汚い唾をこちらに飛ばすな。アマノの身体が穢れるだろうが、この痴れ者が」

「な…………き、貴様ぁ!!勇者一族の血を愚弄するかっ!穢れているのは悪魔の愛し子なんぞに与する貴様らの方だろうがっ!あんなものが存在するからこの世は腐っていくばかりなのだっ!生まれたこと自体が罪だと気づかずっ、のうのうと息をしているだけで世を汚染していると、何故あれらは気づかないのだっ?お前らもお前らだっ……あんな穢れた存在に仕えるなどっ、正気の沙汰とは……」


 彼らが普段、悪魔に対して吐くような暴言を一身に受けた髭面の男は、反撃するように声を荒げるが、彼の言葉は青年――アマノによって遮られることとなる。アマノは不意に、人差し指を髭面の男に向けたのだ。

 髭面の男は、眼前に迫る指先にたじろぐあまり、気づけていなかった。悪魔の愛し子――アデルに対する暴言を耳にした一瞬、アマノがピクっと目元を引き攣らせていた事実に。


「二度と……」
「?」


 男にしては高い声を持つアマノだが、ボソッと呟いたその声は低く唸るようで、妙な威圧感があった。思わず怪訝そうに首を傾げる髭面の男だが、刹那の内にそれどころでは無くなってしまう。


『二度と呼吸をするな』
「がっ……」


 相手を睨み据えながら、アマノが冷徹に言い放った途端、男は突如自らを襲ってきた苦しみに目をかっぴらいた。首元を押さえたいのに、先の「止まれ」という命令があるせいで、腕を首に持っていくことすら男には出来ない。

 口からも、鼻からも。吸い込みたくて仕方の無い空気が一切入って来ず、あまりの困惑に髭面の男は目を泳がせた。命令されたばかりはまだいいが、これ以上呼吸が出来ないとその苦しみは徐々に増し、果てには命を落としてしまう。何とかこの状況を脱する方法は無いものかと、男は泳がせていた視線をアマノに移す。

 刹那、髭面の男は衝撃のあまり目を見開いた。

 目の前に、アマノがいないのだ。
 一体どこに消えたのだ?疑問を浮かべる男だが、首を上手く動かせないせいで、アマノを探すことができない。仕方が無いので目線だけを動かすと、見下ろした先に男は衝撃的な光景を見つける。

 男の眼下にいたのは、小さな子供。――いや、違う。男はすぐに分かった。

 エルと同じぐらいの年齢に見えるその子供は、衝撃に固まる男を見上げると、先と調で言い放った。


「……アイツを、そんな穢れた言葉で罵るな。……冥土の土産に、アマノが誰か教えてやる。
 ――レディバグ、序列第四位……アマノ・ナグサメ様だ」

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