レディバグの改変<W>

乱 江梨

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第一章 学園編

28.一歩2

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 この廃墟に向かうまでの経緯を、ロクヤは二人に語った。何よりもチサトの命を最優先にしたロクヤは意を決し、あの家から数年ぶりに飛び出したのだ。

 話を聞いたスザクたちは、思わず言葉を失った。
 だが、何故ロクヤがこんな無謀な行動に出たのか?という疑問は消え去ったので、漸く合点がいったような表情である。


「そんなことが……」
「ごめん……チサトちゃんに何かあったらと思うと、居ても立っても居られなくて……」


 スザクの呟きに対し、ロクヤは俯きがちに答えた。そんな二人の様子をジッと見つめると、クレハが徐にその口を開く。


「……重鎮方の仕組んだ罠であろうな。ロクヤ殿の生死を確かめる為の」
「「っ……」」


 残酷でありながら、どうしようもない事実を告げられ、二人は唇を噛み締める。ロクヤも本当は、薄々勘付いてはいたのだ。ただ、万が一のもしもを否定できなかったから、彼は行動に移る他無かった。

 ユウタロウたちはとある理由から、勇者一族の重鎮らに大きな嘘をついている。それは、ロクヤが既に死亡しているという嘘だ。

 だからロクヤは日頃、勇者一族の重鎮らに見つからぬよう、外出を控えていた。
 だが、重鎮たちは非常に慎重で疑り深く、未だロクヤの死を完全には信じていないのだ。

 クレハの鋭い推測に、ロクヤの心は鬼胎で支配され、視界が定まらない。今この瞬間にも、ロクヤの生存が重鎮たちに露見する可能性が、すぐ傍まで迫っているから。


「ロクヤ殿、ここに来る道中、誰かに見張られているような気配を感じなかったか?」
「えっと……ごめん……分からない」


 そんなことを聞かれても、ロクヤに分かるはずが無かった。ロクヤはユウタロウたちのように、他人の気配に敏感な訳ではない。その上、今回はチサトの安否が心配なあまり、正直それどころでは無かった。

 クレハは静かに、そして深く深呼吸をする。


「……スザク」
「はい」


 キリっとスザクを見据えると、クレハは非常に落ち着いた様子で彼を呼んだ。対するスザクも、一切目を逸らさずに返事をした。クレハからの呼びかけを、彼が重く受け止めている証拠である。


「勇者一族いち足の速いお前を見込んで、最重要任務を託す。
 ……今すぐ、ロクヤ殿をあの家に帰せ。勇者一族の重鎮方に、ロクヤ殿の存在を悟らせること無くだ。道中、誰一人の目にも止まらぬよう心掛けろ。お前の速さであれば可能なはずだ」
「分かりました……必ず、遂行してみせます」


 現段階でロクヤの存在を悟られているのなら、時すでに遅しではあるが、どちらにしてもロクヤがこれ以上ここに留まるメリットは欠片も無い。

 ロクヤの安全を確保する為にも、一刻も早く、彼をあの家に送り届ける必要があるのだ。


「……ロクヤさん。ちょっと失礼しますね」
「わっ……スザクくん?」


 スザクは不意にしゃがみ込むと、ロクヤに抵抗する暇を与えぬまま、軽々とその身体をおぶった。突然の浮遊感に、ロクヤは思わず目を回す。

 するとクレハは、そんなロクヤをスザク越しに真っすぐ見つめた。微笑む様な優しさと、どこか力強さを感じる眼差しに、ロクヤは目を奪われる。


「ロクヤ殿。チサトは……主君が必ず救い出す。故に、ロクヤ殿が気負う必要は無い。ロクヤ殿は、自分の心配を一番に考えるのだ。
 スザクと共に無事帰宅した後は、安心して主君らの帰りを待つといい」
「っ……」


 刹那、ロクヤの両目から大粒の涙が溢れ出る。

 ロクヤはずっとずっと、不安で仕方がなかった。『チサトの身に何かあったらどうしよう』と。
 自分のせいでチサトが害されでもすれば、ロクヤは自らを許すことが出来ない。

 不安で、心配で、気掛かりで。頭と心がどうにかなってしまいそうだった。そんな不安定な状態で、ロクヤはここまで足を運んだ。
 だからロクヤは、ユウタロウがこの廃墟にいる事実を知った時、さめざめと泣いてしまったのだ。

 ユウタロウが救出に来たのであれば、チサトはもう大丈夫だという確信を持てたから。


「ごめんっ……二人とも……ありがとうっ……」


 ずっと張りつめていた心が決壊し、緊張感から解き放たれたロクヤ。思わず言葉を詰まらせながら、ロクヤは二人に感謝の意を述べた。


「いつもロクヤさんにはお世話になってますから。これぐらいお安い御用ですよ」
「チサトちゃんのこと、よろしくね……」
「うむ。任された」


 こうしてスザクはロクヤを家へ送り届ける為、彼を背負いつつ、廃墟を後にした。そして一人残されたクレハは、引き続き廃墟内の探索に精を出すのだった。

 ********

 世界中のどこよりも、ロクヤにとって安全なあの家へ戻る道すがら。ロクヤは、スザクの背中に凭れたまま。運ばれるがまま。されるがままで、彼に身を預けるのみ。

 一方のスザクは自らの最大速度を出しつつ、ロクヤを振り落とさぬよう、その帰路に就いていた。

 不意に、自身にしがみつくロクヤの腕の力が強まり、スザクは首を傾げる。


「……ロクヤさん?」
「っ……ごめんっ……ごめんねっ、スザクくん……」


 スザクの肩に顔を埋めると、ロクヤは籠った声で謝り続けた。少し後、スザクの服に滂沱の涙が滲む。振り向かずとも、ロクヤが泣いているのは明らかであった。

 その悲痛さに、スザクは苦しいほどに胸を締め付けられる。その足を止めることは無かったが、言葉を失って返すことが出来ない。


「俺、みんなに迷惑しかかけてない。……あの時からずっと、余計なことばっかりして。何で俺、こうなんだろう……。ユウタロウくんたちが必死に、俺を守ってくれたのに……苦労も努力も、俺のせいで全部水の泡……。っ、なんで俺、こんなに弱いんだろう……」


 こんなどうしようもないことを、スザクに吐露したいわけでは無いというのに――。
 スザクを困らせるだけだと、分かっているのに――。

 スザクの背中で自らを責め続けたロクヤは、その嘆きを止めることが出来ない。

 気づいたら、自分を罵る言葉が口を衝いて出ていた。止めたくても止められない。自らの情けなさに打ちのめされるあまり、ロクヤは気づかなかった。

 その嘆きを耳元で聞かされているスザクが、悔し気に唇を震わせていることに。


「――ロクヤさん。……ロクヤさんは、何も分かってません」
「えっ……?」
「何で僕たちが…ユウタロウさんが……!あなたをここまで守ろうとするのか。それを全然分かってないっ……」


 唸る様に発せられたその声には、怒りのような感情が滲んでいた。だが、憤慨しているわけでも無い。溢れんばかりの、儘ならない感情をどこにぶつければよいのか分からず、困惑している様な声だった。

 当惑し、ロクヤは思わず顔を上げる。


「ロクヤさんは自分を卑下しますけど、僕たちは……そんなあなただから、守りたいって思うんですっ。そんなロクヤさんが大好きだから、傍にいたいんです」
「っ」

 瞬間、ロクヤはハッと息を呑む。

「底無しに優しくて、料理が上手で、面倒見が良くて、他人の心配ばっかりで、自分のことになると途端に無防備になっちゃう……そんなロクヤさんが好きなんです。弱いって、ロクヤさんは罵るけど……俺たちは、今までのロクヤさんしか知りません。あなたの言う、弱いロクヤさんしか知らないんですよっ。……だから、弱くたっていいんです。だって僕たち、そんなロクヤさんにしか触れてなくて、そんなロクヤさんが好きなんですからっ」
「っ……ふっ、うぅっ…………スザク、くん……」


 ロクヤは、嗚咽交じりにスザクの名を呼んだ。
 スザクの真っ直ぐすぎる、純粋なその思いを前にして、ロクヤに成す術などあるわけが無かった。
 涙が溢れて苦しいというのに、締め付けられるようだった胸は温かく、信じられない程軽くなっていた。

 飾らない、嘘偽りない言葉が、ロクヤの心を融かしていくようだった。


「……これを仕組んだ犯人は、そんなロクヤさんの優しさを十分に理解していたんでしょう。だから、そこにつけ込んだんです。ロクヤさんはどうしたって、チサトさんを助けずにはいられないから。
 ……僕、許せないです。ロクヤさんの優しさを利用するなんて……」


 血が滲みそうな程、スザクは唇を噛みしめた。ロクヤをここまで苦しめた元凶に対する怒りが湧いて仕方が無かった。

 ロクヤは再び、スザクの肩に顔を埋める。だが、涙とその苦悩を隠すような先刻とは違う。スザクに甘えるように、ロクヤはホッと身体を預けた。それを感じると、スザクは顔の強張りを解いて口を開く。


「ロクヤさん。よく聞いてください。……チサトさんが連れ去られたのは、ロクヤさんの責任ではありません。……ロクヤさんのせいだなんて思っているのは、ロクヤさんだけなんですよ?」

 ********

 チサトは眠りにつく時、決まっていつもユウタロウの腕に抱かれている。朝だろうが、昼だろうが、夜だろうが。ユウタロウの傍にいないと、安心して眠れないのだ。
 故にチサトが目を覚ますと、普段は決まってユウタロウの姿が一番に視界に飛び込んでくる。

 だがこの日ばかりは、この時ばかりは。どこを見渡しても、ユウタロウの姿は何処にも無かった。


 最悪な気分で目を覚ましたチサトは、目の前の光景を一通り確認する。

 何やら薄汚れた部屋に、奇妙な仮面を被った人間が六名ほど。どれも同じような者なので、チサトは早々に彼らの判別を諦めた。

 
「……ふわぁああああああああ」
「「……」」


 大体の状況を察すると、チサトは猫のように伸びやかな欠伸を一つ。盛大にやってのけた。あまりの緊張感の無さに、仮面の彼らは当惑してしまう。

 この状況を理解していないのか?という、彼らの訝しげな視線がチサトに集まった。だが流石の彼女も、この危機的状況を理解していないわけでは無い。理解した上で、それでも彼女には確信があった。

 ユウタロウが必ず救い出してくれるという確信が。


「はっ、随分と余裕みたいだな。流石は勇者一族の女ってとこか?」
「は?」


 六人の内の一人――仮面の男は、チサトを嘲笑う様に言った。自身らの勝利を確信しているからこそ、余裕ぶっているチサトが哀れに見えたのだろう。
 だが彼の嘲りに対し、素っ頓狂な声を上げたチサトは頻りに瞬きをした。

 キョトンと呆けるチサトだったが、次第に堪え切れなくなったように身体を震わせる。


「ぷっ……あはははははっ!あぁ、そう……そういうことになってるのねっ。ぷっ、おかしいっ……ちょっともう、笑わせないでよ」
「……何がおかしい?」


 拘束された状態で哄笑するチサトの態度が癪に障り、男は仮面越しに鋭い睨みを向けた。


「べっつにー?ただあなたたち、ユウちゃんのことなーんにも知らないのね」
「何だと?」
「その様子だと、ユウちゃんが精霊術師ってことも知らないみたいだし」
「精霊術師?……はっ。つくならもっとマシな嘘をつけ。あの男が精霊を連れているなど、見たことも聞いたことも……」


 ぎぃっ――。

 チサトの言葉を一蹴するような男の声を遮る、重厚な音が響き渡った。

 思わず全員が、音の鳴る扉に視線を向ける。開かれた扉の向こうに佇むのは、チサトの気配を追ってここまでやって来たユウタロウ。

 チサトは思わずぱぁっと表情を綻ばせ、仮面の彼らはゴクリと息を呑む。

 一方のユウタロウは視線の先にチサトの存在を確認すると、


「チサト。帰んぞ」

 と、ぶっきら棒に言い放った。


「はぁい♡……って、ちょ……」


 頬を朱に染めつつチサトは返事をするが、すぐ傍にいた男に拳銃を突きつけられ、鬱陶しそうに眉を顰めた。チサトの身体を無理矢理引き寄せ、その蟀谷に銃口を食い込ませる男を、ユウタロウは冷たい眼差しで捉える。


「勇者ユウタロウ!そこから一歩でも動けばこの女を殺す!武器を捨てて大人しく投降しろ!少しでも攻撃の意思を感じれば躊躇無く、この女の脳天をぶち抜くぞ!」
「ユウちゃーん……この男臭いから早く助けてぇ」


 引き金を引けば、一歩間違えてしまえば、自身の頭を撃ち抜かれるというのに、チサトもユウタロウもどこか冷めた目をしており、仮面の彼らは段々と不信感を覚え始めた。彼らの余裕が一体どこから生まれているのか分からず、首を傾げる。

 すると――。


「チサト……来い」


 ため息交じりに、ユウタロウは静かに言い放った。

 刹那、チサトの身体は吸い寄せられるようにユウタロウの元へ辿り着く。チサトの自由を奪っていた男に、抵抗する暇さえ与えることなく。理解の範疇を超えるあまり、仮面の彼らは茫然自失とした。

 重力のような不思議な引力が、二人の間に生じている様であった。

 一瞬にして、腕の中にやって来たチサトの拘束をユウタロウは解き始め、そんな彼にチサトは擦り寄った。


「っ、おいっ……!お前っ、一体何をした!?」
「……?コイツら、さっきから何がしたいんだ?チサトの頭に銃口突きつけたり、狼狽えた振りしたり……頭ぶち抜いたところで、チサトが死ぬ訳ねぇっていうのに」
「「えっ?」」


 珍妙な者を見る様な瞳を向けつつ、ユウタロウは怪訝そうに首を傾げた。想定外すぎる彼の発言に思わず、仮面の六人は呆けた声を上げた。

 茫然自失。放心状態。今現在の彼らを表現するのに、これ以上の言葉は無いだろう。唖然とした彼らは開いた口が塞がらず、言葉を失ってしまった。

 一方のユウタロウも状況を把握できておらず、怪訝そうに彼らを見つめるばかり。


「ユウちゃん。何かコイツら、ユウちゃんが精霊術師ってことも知らないみたいよ?」
「は?…………あぁ、道理で……」


 そんなユウタロウを見兼ねてチサトが説明してやると、彼は合点がいったように意味深な声を漏らした。

「お、おいっ……どういうことだと聞いているだろうっ。そこの女は一体っ……」

 狼狽えながら疑問を呈する男に、ユウタロウはガラス玉の様な瞳で一瞥をくれる。


「……ま。どうせてめぇらのことはぶちのめす訳だし……丁度いい。現代の勇者様の本気、少し見せてやんよ」
「「っ」」


 ユウタロウが不敵に破顔すると、彼らは一気に警戒心を露わにするのだった。

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