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第一章 学園編
18.ナオヤ・コモリ
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「……そういや副生徒会長は、理事長と何を話し込んでいたんだ?」
緊張感の走る空気を断ち切る様に、ユウタロウはクレハたちに尋ねた。
「申し訳ない、主君。……何らかの術を施されていたせいか、会話の内容までは聞こえなかったのだ」
「そうか……」
ナオヤが理事長室へ足を踏み入れた直後、クレハたちは中の様子を窺おうと聞き耳を立てていたのだが、当にそういった輩への対策を立てられていたようだ。
「どうするよ、生徒会長。通り魔事件の規模から考えるに、相手は相当デカい組織だ。実行犯を捕らえたぐらいじゃ、他の仲間に逃げられるのがオチ。学園に蔓延る偏った思想だって、そう簡単に払拭できるようなものじゃねぇだろ」
「……取り敢えず、理事長と面会してみましょうか」
「……急だなおい」
何でも無い様にサラリと言ってのけたティンベル。その決断力の早さに、思わずユウタロウはツッコみを入れた。
「そうでしょうか?理事長が事件に関わっている可能性は大いにあるのですから、面会することで事件解決の糸口が見つかるかもしれませんよ?これまでと同じことをしたところで、大した成果は期待できません。ここは一つ、違う方向からのアプローチが必要なのでは無いでしょうか?」
「まぁ、そうだけどよ……本当に面会すんなら、俺も連れていけよ?アンタ一人だと危なっかしくてしょうがねぇ」
「……それは、どうも…………ご心配、ありがとうございます」
不意打ちで自身の心配をしてくれたユウタロウを前に、ティンベルは思わず呆けてしまう。普段粗暴な印象が目立つ彼の不器用な優しさを垣間見、少々困惑してしまったのだ。
「惚れちゃ駄目よ」
「「……」」
瞬間、チサトの鋭い声が突き刺さった。〝不機嫌〟と、顔にでかでかと書かれており、ムスッと口をへの字に曲げている。
それに対し、ユウタロウは呆れたような渋い表情を。ティンベルは当惑の表情を浮かべる。
「あの……ですから私、この程度で惚れる様な純粋さは持ち合わせておりませんので、ご心配なく」
「そうだぞチサト。コイツ兄貴にしか興味のねぇ、ドがつく程のブラコンだからな。兄貴以外の男に興味ねぇだろ」
「物凄く聞き捨てならないのですが。あなた私のこと、ブラコンの変態か何かだと思ってませんか?」
「えっ、違うのか?」
プッツン、と。ティンベルの堪忍袋の緒が切れる音が、ユウタロウ以外の全員に聞こえたようであった。
当のユウタロウは、本気で尋ねたので無自覚である。
この後、ティンベルがどのように怒りを露わにしたかは、ご想像にお任せしたい。
********
ナオヤ・コモリという青年にとって二つ下の妹は、何者にも代えがたい存在。彼の全てと言っても、過言では無かった。
幼い頃から操志者としての才を持っていたナオヤは、両親からの過度な期待を受け、そのプレッシャーに苦しむ幼少期を過ごした。
というのも、ナオヤの家はあまり裕福ではなく、両親は彼が将来操志者として大成し、金銭を稼いでくれることを望んでいたのだ。
その足掛かりとして、国立操志者育成学園への入学を熱望されたナオヤは、日々その技術を高めるための努力を惜しまなかった。
だが、両親からの期待が足枷になってしまったのか、物事はそう簡単に上手くは進まなかった。
そんな彼を、両親は酷く責め立てることも多かった。あまりの苦しみに、ナオヤは一時期自死を考えたことすらある。
そんな時、彼の心を救ってくれたのが、妹のユヅキだった。
「お兄ちゃん。辛い時はちゃんと私に話してね?」
「お兄ちゃんが嫌なら、無理してあの学園に入学しなくていいんだよ?」
「お兄ちゃんが辛くてどうにかなりそうになったら、私がお父さんたちの期待に応えるから!」
「でも、お兄ちゃんが操志者としての才能を生かしたいって思っているのなら、私応援するよ!無理せずゆっくり、お兄ちゃんのペースで進めばいいんだもん。お父さんたちのことなんて気にせずにね。
お兄ちゃんが挫けて、前に進めなくなったら、私がその少しだけ先に行って、手を伸ばすから。ちゃんと私の手、握ってね?」
両親からの重い期待。上手くいかない、辛い日々。そんな中、それを全て理解した上で、妹のユヅキは何度も励ましの言葉を投げかけてくれていた。
ナオヤがその言葉に救われた場面は数え切れない程。ユヅキになら、弱音も不安も全て打ち明けることが出来たし、彼女もナオヤにはよく本音を吐露していた。
彼にとってユヅキは、本当になくてはならない存在。世界中の誰よりも、愛する家族だった。
ユヅキのおかげで精神的に安定した頃だ。ナオヤの両親が事故で亡くなったのは。
ナオヤは特に悲しいとは思わなかった。ナオヤはユヅキさえ傍にいればそれでよかったから。一方のユヅキはそれなりにショックを受けてはいたが、ナオヤが励ますうちに普段通りの明るさを取り戻してくれた。
幸い、彼らの住むアオノクニは、恵まれない子供に対する支援制度がしっかりとしていたので、彼らが金銭面で苦労することは無かった。
互いが互いを助け合う、二人三脚の生活はナオヤにとって幸福そのもので。
願わくばこの幸せが永遠に続けばいいと、ナオヤは心の底からそう思っていた。
その幸せが、理不尽に奪われるとも知らずに。
********
ユヅキの支えもあり、見事国立操志者育成学園への入学を掴み取ったナオヤ。それから二年は、平穏な生活を送っていた。
だがナオヤが学園の二年生になってから、しばらく経った頃。季節は冬。彼が副生徒会長になって、まだ間もない頃だった。
――それが起きたのは。
その日は指先がかじかむ程寒く、ナオヤが帰路に就こうとする頃には、しんしんと雪が降り始めていたことを、やけによく覚えている。
生徒会の仕事で、いつもより帰りが遅くなってしまったその日。家で一人待つユヅキの為、一刻も早く帰ろうと、ナオヤはいつもより速足だった。
だが、急ぐ彼の足も、その時ばかりは、ピタリと止まってしまった。
「…………ユヅキ?」
帰路に、ユヅキが倒れていた。まるで、ナオヤの行く手を阻むように。
ナオヤには理解が出来なかった。まるで脳が、その現実を受け入れたく無いあまり、無理矢理そうさせているようだった。
理解できない、彼の呆けた声が、冬空の下、虚しく響いた。
彼の足下には、ユヅキの首元から流れる鮮血がどんどん迫っており、グラグラと視界は定まらない。そしてそれは、自身がふらついているからだと、しばらくしてナオヤは気づいた。
とうとう膝から崩れ落ちてしまい、地面に手をついた。しんしんと降り続ける雪のせいで地面は冷え切っているというのに、浸食を止めない鮮血は、まだほんの少し生温かい。
段々と、ナオヤは理解してしまう。
ユヅキの首元に、鋭利な刃物で付けられた様な傷があることも。彼女がもう、息をしていないことも。
「っ……はっ、く……ぁあ…………はぁっ……」
叫び声を出す余裕すら、ナオヤには無かった。それ程までの絶望だった。
もう、あの天真爛漫な笑顔を見ることは出来ない。
もう、あの優しい声で〝お兄ちゃん〟と呼んでくれることも、励ましの言葉を投げかけられることも無い――。
これは後から気づいたことだが、ユヅキが殺された現場には、二つの傘が残っていた。
一つは、開いた状態で転がっていた、ユヅキ自身がさしていたであろう傘。そしてもう一つは、倒れながらも大事そうに、ユヅキが抱えていた物。
恐らく彼女は雪が降り始めたのを見て、ナオヤが傘を忘れていることに気づいたのだろう。そして、帰りの遅いナオヤのために、学園まで傘を届けようとした。だから街が暗く染まっていたにも拘らず、一人で外出し、そこを犯人に狙われた。
この事実に気づいた時、ナオヤは自分自身を責めた。
もし自分が早く帰っていれば、ユヅキが殺されることは無かったんじゃないのか。
傘を持って外出していれば、ユヅキが殺されることは無かったんじゃないのか。
考え出せばキリが無く、自分自身を痛めつける夜もあった。
そんな時だ。ナオヤが理事長に声をかけられたのは――。
********
「妹さんが殺されたのは君のせいじゃない」
自らを傷つけるナオヤに理事長は当初、そう言って近づいて来た。妹を亡くしたばかりの、心の拠り所を無くした彼にとってその言葉は、当に救い。
故にナオヤは、理事長が手を差し伸べてくれたと、そんな錯覚を起こしたのだ。
「妹さんが殺されたのは、主犯である悪魔の愛し子のせいだ。悪魔の愛し子が憎いだろう?だがね、彼ら悪魔の愛し子も、元は被害者なのだよ。彼らは悪魔に目をつけられさえしなければ、ただの人間として生まれてくるはずだったのだから。
諸悪の根源は悪魔だ。だが奴らはこの世界を維持するためにどうしても必要な存在……殺してもすぐに蘇ってしまう。
ならば悪魔を裁くために、私たちは何をすればいいのか。……簡単なことだ。この世界から、奴らの居場所を失くしてしまえばいい。
協力してくれるかな?悪を裁くために。もう二度と、妹さんのような被害者を生み出さないように」
ナオヤは不思議と、何の疑問も違和感も覚えなかった。理事長の言う通りだと、まるで刷り込みのように思い込んでしまったのだ。
ユヅキのいない世界で生きる苦しみから、逃げたかったから。
自分自身を責めるより、悪魔と愛し子のせいにした方が、心が楽だったから。
妹の仇をとれれば、それで良かったから。彼にとってその相手は、さして重要では無かったのかもしれない。ただの、自己満足だったのかもしれない。
だからナオヤは疑問に思わなかった。
学園の理事長が、そこまで悪魔を敵対視する理由を。
だからナオヤは気づけなかった。
理事長が縷々として語っている最中、一度もユヅキの名前を口にしなかったという事実に。
********
クレハたちの尾行に気づかぬまま、ナオヤはその日、理事長室でこれまでの報告を行っていた。
悪魔や愛し子に対する怨嗟の念が、学園内でどれ程広がっているか。逆に、それに対して反感を覚え、敵対してくる生徒はどれ程いるか。そういった報告である。
「やはり、ティンベル・クルシュルージュと勇者が目の上のたん瘤か……」
報告を聞き終えると、理事長は指を組みながら呟いた。
「はい。加えて先日の乱闘騒ぎを鎮めた、ルル・アリザカという生徒も、その二名と接触しているようで……要注意人物かと」
「ルル・アリザカ……」
理事長は興味深そうに彼の名前を口ずさむと、ルルに関するありとあらゆる情報が記された資料に目を通し始めた。
そしてしばらくすると、徐に顔を上げ、口を開く。
「……うん。これなら、あの二人よりは大分楽に処理できるだろうね」
「……処理?」
物騒な単語を耳にしたナオヤは、思わず尋ねてしまった。その声は僅かに震えており、真っ青な顔は引き攣っている。尋ねてはみたものの、薄々勘付いていたからだ。
処理という、その言葉の意味を。
「あぁ。なに、君が気にする必要は無いよ。手を汚すのは専門の業者だからね」
「……殺すの、ですか……?」
「私はそう言ったつもりなのだが、伝わらなかったかな?」
「っ……」
何でも無い様に言ってのけたその姿に。一切の罪悪感も覚えていない様なその口調に。ナオヤは思わず息を呑んだ。
本能的にナオヤは、このままではいけないと思った。もしこれを享受してしまえば、二度と戻れなくなってしまうと。そんな危機感を覚えたのだ。
「流石に殺すのはやり過ぎでは?彼らが通り魔事件に関わっているわけでは無いのですし……」
「彼らは凶悪な悪魔と愛し子の味方をしているのだよ?許されざる行為だ。君の大事な妹を殺した悪を庇おうとしている……そんな奴らを、君は許せるとのかい?」
「それはっ……」
反論できず口を噤んだ瞬間、理事長はナオヤの顔を両手で掴み、グッと自身の元へ引き寄せた。
突然の出来事に目を回していると、ナオヤは自身に向けられるあまりにも冷たい視線に全身を粟立たせる。
瞳に光は灯っていないというのに、口角だけは不気味な程つり上がっていて、歪んでいるようにも見える。まるで、掌の上でのたうち回るナオヤを嘲笑うような相好だった。
「これは妹さんへの裏切り行為じゃないかなぁ?残念だよ。妹さんの無念を晴らせるのは、君しかいないと言うのに」
「っ……私が、間違っていましたっ……先の愚かな発言を、どうかお許しくださいっ」
即座に頭を下げ、ナオヤは陳謝した。決定的な何かで無理矢理従わされている訳ではないのに、それ以外の選択肢が無かった。気づけば退路を塞がれている様な不気味さに、ナオヤは冷や汗を止められない。
後悔は無い。何故ならその時のナオヤには、そうする他無かったから。
愛する妹のユヅキの為だと思えば、ナオヤは何だってできる気がしていたから。
緊張感の走る空気を断ち切る様に、ユウタロウはクレハたちに尋ねた。
「申し訳ない、主君。……何らかの術を施されていたせいか、会話の内容までは聞こえなかったのだ」
「そうか……」
ナオヤが理事長室へ足を踏み入れた直後、クレハたちは中の様子を窺おうと聞き耳を立てていたのだが、当にそういった輩への対策を立てられていたようだ。
「どうするよ、生徒会長。通り魔事件の規模から考えるに、相手は相当デカい組織だ。実行犯を捕らえたぐらいじゃ、他の仲間に逃げられるのがオチ。学園に蔓延る偏った思想だって、そう簡単に払拭できるようなものじゃねぇだろ」
「……取り敢えず、理事長と面会してみましょうか」
「……急だなおい」
何でも無い様にサラリと言ってのけたティンベル。その決断力の早さに、思わずユウタロウはツッコみを入れた。
「そうでしょうか?理事長が事件に関わっている可能性は大いにあるのですから、面会することで事件解決の糸口が見つかるかもしれませんよ?これまでと同じことをしたところで、大した成果は期待できません。ここは一つ、違う方向からのアプローチが必要なのでは無いでしょうか?」
「まぁ、そうだけどよ……本当に面会すんなら、俺も連れていけよ?アンタ一人だと危なっかしくてしょうがねぇ」
「……それは、どうも…………ご心配、ありがとうございます」
不意打ちで自身の心配をしてくれたユウタロウを前に、ティンベルは思わず呆けてしまう。普段粗暴な印象が目立つ彼の不器用な優しさを垣間見、少々困惑してしまったのだ。
「惚れちゃ駄目よ」
「「……」」
瞬間、チサトの鋭い声が突き刺さった。〝不機嫌〟と、顔にでかでかと書かれており、ムスッと口をへの字に曲げている。
それに対し、ユウタロウは呆れたような渋い表情を。ティンベルは当惑の表情を浮かべる。
「あの……ですから私、この程度で惚れる様な純粋さは持ち合わせておりませんので、ご心配なく」
「そうだぞチサト。コイツ兄貴にしか興味のねぇ、ドがつく程のブラコンだからな。兄貴以外の男に興味ねぇだろ」
「物凄く聞き捨てならないのですが。あなた私のこと、ブラコンの変態か何かだと思ってませんか?」
「えっ、違うのか?」
プッツン、と。ティンベルの堪忍袋の緒が切れる音が、ユウタロウ以外の全員に聞こえたようであった。
当のユウタロウは、本気で尋ねたので無自覚である。
この後、ティンベルがどのように怒りを露わにしたかは、ご想像にお任せしたい。
********
ナオヤ・コモリという青年にとって二つ下の妹は、何者にも代えがたい存在。彼の全てと言っても、過言では無かった。
幼い頃から操志者としての才を持っていたナオヤは、両親からの過度な期待を受け、そのプレッシャーに苦しむ幼少期を過ごした。
というのも、ナオヤの家はあまり裕福ではなく、両親は彼が将来操志者として大成し、金銭を稼いでくれることを望んでいたのだ。
その足掛かりとして、国立操志者育成学園への入学を熱望されたナオヤは、日々その技術を高めるための努力を惜しまなかった。
だが、両親からの期待が足枷になってしまったのか、物事はそう簡単に上手くは進まなかった。
そんな彼を、両親は酷く責め立てることも多かった。あまりの苦しみに、ナオヤは一時期自死を考えたことすらある。
そんな時、彼の心を救ってくれたのが、妹のユヅキだった。
「お兄ちゃん。辛い時はちゃんと私に話してね?」
「お兄ちゃんが嫌なら、無理してあの学園に入学しなくていいんだよ?」
「お兄ちゃんが辛くてどうにかなりそうになったら、私がお父さんたちの期待に応えるから!」
「でも、お兄ちゃんが操志者としての才能を生かしたいって思っているのなら、私応援するよ!無理せずゆっくり、お兄ちゃんのペースで進めばいいんだもん。お父さんたちのことなんて気にせずにね。
お兄ちゃんが挫けて、前に進めなくなったら、私がその少しだけ先に行って、手を伸ばすから。ちゃんと私の手、握ってね?」
両親からの重い期待。上手くいかない、辛い日々。そんな中、それを全て理解した上で、妹のユヅキは何度も励ましの言葉を投げかけてくれていた。
ナオヤがその言葉に救われた場面は数え切れない程。ユヅキになら、弱音も不安も全て打ち明けることが出来たし、彼女もナオヤにはよく本音を吐露していた。
彼にとってユヅキは、本当になくてはならない存在。世界中の誰よりも、愛する家族だった。
ユヅキのおかげで精神的に安定した頃だ。ナオヤの両親が事故で亡くなったのは。
ナオヤは特に悲しいとは思わなかった。ナオヤはユヅキさえ傍にいればそれでよかったから。一方のユヅキはそれなりにショックを受けてはいたが、ナオヤが励ますうちに普段通りの明るさを取り戻してくれた。
幸い、彼らの住むアオノクニは、恵まれない子供に対する支援制度がしっかりとしていたので、彼らが金銭面で苦労することは無かった。
互いが互いを助け合う、二人三脚の生活はナオヤにとって幸福そのもので。
願わくばこの幸せが永遠に続けばいいと、ナオヤは心の底からそう思っていた。
その幸せが、理不尽に奪われるとも知らずに。
********
ユヅキの支えもあり、見事国立操志者育成学園への入学を掴み取ったナオヤ。それから二年は、平穏な生活を送っていた。
だがナオヤが学園の二年生になってから、しばらく経った頃。季節は冬。彼が副生徒会長になって、まだ間もない頃だった。
――それが起きたのは。
その日は指先がかじかむ程寒く、ナオヤが帰路に就こうとする頃には、しんしんと雪が降り始めていたことを、やけによく覚えている。
生徒会の仕事で、いつもより帰りが遅くなってしまったその日。家で一人待つユヅキの為、一刻も早く帰ろうと、ナオヤはいつもより速足だった。
だが、急ぐ彼の足も、その時ばかりは、ピタリと止まってしまった。
「…………ユヅキ?」
帰路に、ユヅキが倒れていた。まるで、ナオヤの行く手を阻むように。
ナオヤには理解が出来なかった。まるで脳が、その現実を受け入れたく無いあまり、無理矢理そうさせているようだった。
理解できない、彼の呆けた声が、冬空の下、虚しく響いた。
彼の足下には、ユヅキの首元から流れる鮮血がどんどん迫っており、グラグラと視界は定まらない。そしてそれは、自身がふらついているからだと、しばらくしてナオヤは気づいた。
とうとう膝から崩れ落ちてしまい、地面に手をついた。しんしんと降り続ける雪のせいで地面は冷え切っているというのに、浸食を止めない鮮血は、まだほんの少し生温かい。
段々と、ナオヤは理解してしまう。
ユヅキの首元に、鋭利な刃物で付けられた様な傷があることも。彼女がもう、息をしていないことも。
「っ……はっ、く……ぁあ…………はぁっ……」
叫び声を出す余裕すら、ナオヤには無かった。それ程までの絶望だった。
もう、あの天真爛漫な笑顔を見ることは出来ない。
もう、あの優しい声で〝お兄ちゃん〟と呼んでくれることも、励ましの言葉を投げかけられることも無い――。
これは後から気づいたことだが、ユヅキが殺された現場には、二つの傘が残っていた。
一つは、開いた状態で転がっていた、ユヅキ自身がさしていたであろう傘。そしてもう一つは、倒れながらも大事そうに、ユヅキが抱えていた物。
恐らく彼女は雪が降り始めたのを見て、ナオヤが傘を忘れていることに気づいたのだろう。そして、帰りの遅いナオヤのために、学園まで傘を届けようとした。だから街が暗く染まっていたにも拘らず、一人で外出し、そこを犯人に狙われた。
この事実に気づいた時、ナオヤは自分自身を責めた。
もし自分が早く帰っていれば、ユヅキが殺されることは無かったんじゃないのか。
傘を持って外出していれば、ユヅキが殺されることは無かったんじゃないのか。
考え出せばキリが無く、自分自身を痛めつける夜もあった。
そんな時だ。ナオヤが理事長に声をかけられたのは――。
********
「妹さんが殺されたのは君のせいじゃない」
自らを傷つけるナオヤに理事長は当初、そう言って近づいて来た。妹を亡くしたばかりの、心の拠り所を無くした彼にとってその言葉は、当に救い。
故にナオヤは、理事長が手を差し伸べてくれたと、そんな錯覚を起こしたのだ。
「妹さんが殺されたのは、主犯である悪魔の愛し子のせいだ。悪魔の愛し子が憎いだろう?だがね、彼ら悪魔の愛し子も、元は被害者なのだよ。彼らは悪魔に目をつけられさえしなければ、ただの人間として生まれてくるはずだったのだから。
諸悪の根源は悪魔だ。だが奴らはこの世界を維持するためにどうしても必要な存在……殺してもすぐに蘇ってしまう。
ならば悪魔を裁くために、私たちは何をすればいいのか。……簡単なことだ。この世界から、奴らの居場所を失くしてしまえばいい。
協力してくれるかな?悪を裁くために。もう二度と、妹さんのような被害者を生み出さないように」
ナオヤは不思議と、何の疑問も違和感も覚えなかった。理事長の言う通りだと、まるで刷り込みのように思い込んでしまったのだ。
ユヅキのいない世界で生きる苦しみから、逃げたかったから。
自分自身を責めるより、悪魔と愛し子のせいにした方が、心が楽だったから。
妹の仇をとれれば、それで良かったから。彼にとってその相手は、さして重要では無かったのかもしれない。ただの、自己満足だったのかもしれない。
だからナオヤは疑問に思わなかった。
学園の理事長が、そこまで悪魔を敵対視する理由を。
だからナオヤは気づけなかった。
理事長が縷々として語っている最中、一度もユヅキの名前を口にしなかったという事実に。
********
クレハたちの尾行に気づかぬまま、ナオヤはその日、理事長室でこれまでの報告を行っていた。
悪魔や愛し子に対する怨嗟の念が、学園内でどれ程広がっているか。逆に、それに対して反感を覚え、敵対してくる生徒はどれ程いるか。そういった報告である。
「やはり、ティンベル・クルシュルージュと勇者が目の上のたん瘤か……」
報告を聞き終えると、理事長は指を組みながら呟いた。
「はい。加えて先日の乱闘騒ぎを鎮めた、ルル・アリザカという生徒も、その二名と接触しているようで……要注意人物かと」
「ルル・アリザカ……」
理事長は興味深そうに彼の名前を口ずさむと、ルルに関するありとあらゆる情報が記された資料に目を通し始めた。
そしてしばらくすると、徐に顔を上げ、口を開く。
「……うん。これなら、あの二人よりは大分楽に処理できるだろうね」
「……処理?」
物騒な単語を耳にしたナオヤは、思わず尋ねてしまった。その声は僅かに震えており、真っ青な顔は引き攣っている。尋ねてはみたものの、薄々勘付いていたからだ。
処理という、その言葉の意味を。
「あぁ。なに、君が気にする必要は無いよ。手を汚すのは専門の業者だからね」
「……殺すの、ですか……?」
「私はそう言ったつもりなのだが、伝わらなかったかな?」
「っ……」
何でも無い様に言ってのけたその姿に。一切の罪悪感も覚えていない様なその口調に。ナオヤは思わず息を呑んだ。
本能的にナオヤは、このままではいけないと思った。もしこれを享受してしまえば、二度と戻れなくなってしまうと。そんな危機感を覚えたのだ。
「流石に殺すのはやり過ぎでは?彼らが通り魔事件に関わっているわけでは無いのですし……」
「彼らは凶悪な悪魔と愛し子の味方をしているのだよ?許されざる行為だ。君の大事な妹を殺した悪を庇おうとしている……そんな奴らを、君は許せるとのかい?」
「それはっ……」
反論できず口を噤んだ瞬間、理事長はナオヤの顔を両手で掴み、グッと自身の元へ引き寄せた。
突然の出来事に目を回していると、ナオヤは自身に向けられるあまりにも冷たい視線に全身を粟立たせる。
瞳に光は灯っていないというのに、口角だけは不気味な程つり上がっていて、歪んでいるようにも見える。まるで、掌の上でのたうち回るナオヤを嘲笑うような相好だった。
「これは妹さんへの裏切り行為じゃないかなぁ?残念だよ。妹さんの無念を晴らせるのは、君しかいないと言うのに」
「っ……私が、間違っていましたっ……先の愚かな発言を、どうかお許しくださいっ」
即座に頭を下げ、ナオヤは陳謝した。決定的な何かで無理矢理従わされている訳ではないのに、それ以外の選択肢が無かった。気づけば退路を塞がれている様な不気味さに、ナオヤは冷や汗を止められない。
後悔は無い。何故ならその時のナオヤには、そうする他無かったから。
愛する妹のユヅキの為だと思えば、ナオヤは何だってできる気がしていたから。
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