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−春−
4−7 残り香さえも愛しくて(2)
しおりを挟む「サヨ……」
「ん……」
角度を変えてもう一度口づけをする。
彼はサヨの頭を撫で、髪を梳きながら、表情をくしゃくしゃにして。
「少し、髪が伸びた」
「うん」
「びっくりした。とても、綺麗になっていて」
「そう、かな?」
「ああ。昼間の君も、とても華やかで素敵だったが――夜は、こんなにも艶めかしい」
「……っ」
「ふふ、そうやってすぐに赤くなるところは、相変わらずか」
「う……。だ、だって……」
愛おしそうに頬を緩め、彼はもっととサヨに唇を寄せる。
あいらしい。
いとおしい。
言葉を出し惜しみすることなく、彼は何度も囁きながら、サヨの心をぐずぐずに蕩けさせる。
恥ずかしくてもじもじしていると、彼はふっと笑ってサヨの顎に手をあてる。
彼こそ、ぞくりとするほどの色気は前からだっただろうか。それとも、久しぶりすぎたからなのか。……なんだか一年前よりも、ずっと、もっと素敵になっている気がする。
「ディルが、とても……その……素敵で……」
「光栄だ」
「心臓がいくつあっても、たりないっ……」
どきどき煩さすぎて、自分の声まで聞こえなくなりそう。
積もる話はたくさんあるはずなのに、ただ彼の存在に酔ってしまう。
「ふふ、名前、練習してくれたんだな?」
「ぅ、それは。だって。約束したじゃないか」
「ああ。うれしいよ。――どうかもっと呼んでくれ」
「ぅ……」
頬が尋常じゃないくらいに熱くて、くらくらする。
呼吸するのも苦しくてぎゅっと彼の衣を握る手に力を入れると、彼はもっと顔を近づけて、視線をあわせてきて。
「ディル……」
「うん」
「ディルヴェルト。……その……迎えに来てくれて、ありがとう」
彼の胸板に顔をすり寄せると、彼がビクリと震えるのがわかる。
「ああ――、…………うん。これは、うん、やっぱりマズいな」
なんて、ほとほと情けないと言わんばかりの調子で。
「これでは、いつかの夜の二の舞になってしまう……」
「ふふ……うん。そう、だな」
サヨに触れている彼の腰のあたりに、硬く、あついものの存在を感じてつい笑ってしまう。
密着しているうちに、サヨの寝巻も少しだけ着崩れてしまっているようだった。
ディルは、艶めかしく見えてしまっているサヨの白い脚に視線を流し、ごくりとわかりやすく唾を飲み込んで。
「いかんいかん。さすがにここで君に手を出したら、どう足掻いても叩き出される」
「あはは」
「笑いごとじゃないぞ。――君も、そうやって無邪気に誘惑するのはやめてくれ」
「そんなつもりは」
「ないのか?」
ない。
……なんて、正直、言い切れない。
彼とたっぷりと口づけを交わし、抱擁しているだけで、いつかの夜のことを思いだして体が火照ってしまうのだ。
だって一年――いや、もっと。ずっと彼と会えないまま、寂しい夜を過ごしてきたのだから。
でも、ついつい恥ずかしくなってしまって、口をつぐむ。
「……」
恥ずかしい。
はしたない子だと思われただろうか。
けれども彼は上機嫌そうに頬を緩め、サヨの耳もとで囁いた。
「ガルトニーレに来たら、君をまるごと、可愛がらせてもらうから」
「ぅ……う、ん。あの。その――」
もじもじしながらも、なんとか視線も彼の方へと向ける。
綺麗な空色の瞳は、暗がりでは静かな湖の色へと見え方が変わる。静けさの中にぞっとするほどの熱を感じて、また体が火照ってしまい途方に暮れる。
「私も、はやく。あなたの、ほんとうの妻に、なりたい……な」
「ああ」
「――来てくれてうれしい。ありがと、ディル」
「ん」
「なんだか、不思議な感じだ。ディルが、うちにいるなんて」
ふたりしてふふふと笑いあう。
恥ずかしくって慌てたり、思い通りにいかなくて焦ったり。
ディルはいつも、サヨの心を揺さぶって、知らなかった感情をたくさん呼び起こして。
でもそれが、ぜんぜん嫌じゃない。
「あと少しだ。――サヨ」
「うん」
「それまでもうすこし、いい子で待ってな?」
最後に、と、彼は口づけを落とし、立ち上がる。
「……名残惜しいが、もうそろそろ行かないと」
ふっと、温かな体温が遠ざかってしまうのが寂しくて、サヨは無意識に手を伸ばしていた。
彼は身を細め、その手を優しく握りしめてくれる。そのまま指先に、そしてもう一度唇に、触れるだけの口づけをくれた。
「――サヨ、おやすみ。いい夢を」
「うん。……ディルも」
「ああ、もちろん」
そういいながらディルは、ひらりと木々の向こうへ消えてしまう。
あっという間に気配を絶ってしまい、そこには静けさだけが残った。
「……」
――素敵だ。
一年ぶりだから余計なのだろうか。
あらためて、実感してしまって途方に暮れる。
――私の、旦那さま……。
なんだか頬も体もぽかぽかしている。
少しだけ彼のにおいが夜着に移ったみたいで、ぎゅっと己を抱きしめて、サヨは部屋の中へと戻っていく。
ぱたんと障子を閉めた。
薄暗い部屋のなか、でも、彼の残り香に包まれて――。
――はやく、ディルと……。
眠れない、そう思っていたけれども。
サヨは優しい夢のなかへと落ちていった。
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