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−晩秋−

2−4 深淵に踏み入れてはならないのに(4)

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 若い頃から人一倍器用で、要領もよかったディルは、若いながらも部隊を導いて〈雪の土竜〉の殲滅にあたっていた時期もあるのだという。
 〈雪の土竜〉は神出鬼没。
 とはいえ、彼らもガルトニーレに対しても、あるいはトキノオに対しても正攻法でいっても勝ち目がないと知っているからこそ、山の民として、地の利を最大に利用した。

 主な戦闘法は奇襲攻撃。
 小さな村を襲い金品食糧を巻き上げる。
 軍も、山間をくまなく探すとなると、大人数で動くわけにもいかない。散り散りになるしかない軍を容赦なく叩き、武器や鎧を奪う。そうして相手の軍の者に変装しながら、さらに内部から壊していく。
 ――彼らは手段を選ばなかったのだ。

 彼らは夜襲も得意だった。
 火をくべて休むと、どこからともなく彼らは現れる。
 だから夜は完全に火を消し、息をひそめる――ディルにはそのときの習慣がまだ、残っているのだと、彼は笑った。


「別に明かりがあるからって眠れないワケではないのだがな」

 そう言って肩をすくめる彼になんと声をかけていいのかわからなかった。
 サヨだって武人。
 ディルほどの英雄になればきっと、数え切れないほどの死線をくぐってきているはずだろう。
 死線に身を置き、数々の人の死と向き合ってきているならきっと、明かりが怖いわけではないのだと思う。

 いちいちそんなことに心を削られていては前には進めない。
 彼は人殺しだ。そして、少なからずサヨも。
 心を麻痺させて、人でない何かバケモノにならなければ、こうして――人間社会に溶け込んで生きてはいけない。

「私も――あと十年、はやく生まれていたらな……」

 そして、自然とこぼしてしまう。
 トキノオとガルトニーレ。共闘することもあったのだという。
 そうしたら、彼のこの感覚を、もっと、本当の意味で理解できたのだろうか。

 ……いや、よくわからない。
 けれども、何となく理解した。
 この部屋くらがりは、きっと、彼の虚無。

 理由は、あくまできっかけでしかない。
 こうしていることに強い思いがあるわけでもなんでもない。
 心を麻痺させるための習慣が、ただ、理由なく続けられているだけ。なにかに心を疲弊させているわけでもない。


「…………そうか」

 サヨは背もたれにもたれ込み、ふうと息を吐く。

「まあ、そうだな。そんなもの、なのだろうな」

 何というわけではない。ランプの明かりが反射した天井を見つめながら、ただ、受け止めた。
 それ以上追求するわけでもない。
 楽しい話ではない。もう、彼の中でもとっくに終わったことだ。ならばそれでいい。別に彼を思い悩ませたいわけでもない。

「ああ、そんなものだ」

 彼の声色に、どこかほっとしたような色が混じる。
 そのまましばらくふたりで沈黙した。



 不思議な時間だった。
 ランプの明かりの中ふたり、並んで座って天井を見る。
 部屋の中はひんやりとしていて、ふと、サヨの手に重ねられた彼の掌の冷たさが気になった。

 ――ああ、この部屋は暖房もつかっていないのか。

 暖炉自体はあるようなのに、長く使われた形跡もなかった。
 昼間は執務室に籠もりっきりで、この部屋は寝る以外に使用しない。明かりを厭う彼にとって不要なものなのだろう。
 サヨだって寒さには慣れている。
 でもなんだろう。彼の帰るべき場所が、ひどく寂しい場所のような気もした。

 彼の手が、サヨの手を包み込む。
 なんだかとっても愛おしいものをみるような目で見つめられると、居たたまれない気持ちが膨らんでくる。

「ふふ、寝巻きに、手袋か」
「以前あなたが指摘したんだろう? し、仕方がないじゃないか。いつも、あなたは突然触れるんだから」
「そうだな。君にはつい――触れたくなる」
「……っ」

 否定をしなければ。離れなければ。そう思うのに。
 サヨは、自由な方の手を彼の手の甲に重ねている。

 ごつごつとした、大きな手だ。
 ……本当は、手袋を脱いだほうがいいのだけれども。冷え切った彼の手を温めたい。その無意識かつ不器用なサヨの行動に、ディルは驚いたように目を見張った。

「あなたは忙しいのだろう? 体は、壊さないでくれ」
「このくらいなんとも。それよりも、君の方だろう?」

 よっと、と、突然体を抱き上げられ、サヨは目を白黒させる。

 でも、以前のように、身の危険はもう感じない。
 日に日に彼は、サヨの手に触れたり、髪に触れたり――時には抱き上げるようなこともあるけれども、約束は守ってくれている。
 たまにゾッとするほどの熱を帯びた視線を感じる瞬間はあれど、彼は彼で、そんな自分を押さえ込んでもいるようで。
 ……少し、それも、さみしい。


 ――って!? 何を考えているんだ、私はっ。

 ぼんっと顔が上気してしまう。
 ただでさえ今、顔が近いのだ。唇をぎゅっと引き結び彼の顔を見つめると、ディルもその視線に気づいたのか、ふっと男らしく笑う。

「サヨ、すまないが手がふさがっている。ランプをとってくれるか」
「あ、ああっ……」

 声が裏返った。
 心臓がありえないくらいにバクバクと跳ねて、サヨはあわてて手を伸ばす。彼が少し腰を落としてくれたので、なんなくランプを手にすることができたけれども。

 次に彼はサヨの部屋の方へと歩いて行く。扉を開けてくれと頼まれたので、彼の言うままにサヨはドアノブを回した。

「――うん、やはり、君の部屋の方が温かいな」
「そりゃあ……」

 まだ手紙にはなにも手をつけられていない。
 だから暖炉の火も残してもらったままだったのだ。
 少し燻ってきてはいるけれど、まだ部屋の中はほんのりと温かい。

「君の身体が冷える前に眠るといい。オレももう――」

 寝る。
 そう言おうとしたところで、彼の足が止まった。


「…………そうか。このことだったか」

 彼の視線の先にあるのは、テーブルの上に置かれたままの真っ白な紙。
 インク壷のフタはしまっているけれど、サヨが何をしようとしていただなんて一目瞭然だろう。
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