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−初秋−

1−20 あなたが理由をくれるから(3)

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 あまりに長い一日だった。
 砦のあの部屋に閉じ込められ、何もすることもなくただただ故郷を想う時間も長く感じたものだが、それとはまたちがった時間の感覚。

 逃げようとして捕らえられ、改めて勝負を持ちかけられた。
 ディルは、敵ながら懐の大きな男だと思う。
 漠然とした不安だけを抱えるサヨに、目標を与えてくれた。
 彼にとっては都合の悪い勝負だろうに。無理矢理取り込むことも難しくなかったろうに。
 その上で、自分は小ずるいところもあるのだぞとわざと肩をすくめてみせる。柔軟で、読めない男だと思う。

 馬車の中での彼との会話を思い出す。
 この城に来るまでにはずいぶんと時間があって、トキノオのこと、父アキフネとの思い出話などいろいろ聞いた。

 中でも印象深かったのは――、と、思い出そうとしたところで、エレナが部屋に戻ってきたらしい。
 後ろには2名の侍女を引き連れて、ひとりは水の入った金属の桶を、もうひとりは小さな箱を手にしている。
 ディルのマントを返却し、足を丁寧に洗ってもらいながら、サヨはエレナに訊ねてみた。


「なあ、エレナ。あなたは反対ではないのか? その――あなたの主が、私のような敵国の捕虜などを妻に迎えたいと言うだなんて」
「ふふふ、不安でいらっしゃるのですね」

 ……別に、不安というわけではない。
 そもそも、あり得ないと考えているだけなのだが。

 怪訝な顔つきから、サヨの考えていることもわかったのだろう。エレナはやわらかく、笑ってみせる。

「そうですね――わたくしは、政治のことはとんとわかりませんが……」

 そうして、ぽつぽつと語りはじめた。

「あの旦那さまが、姫さまのことをとても優しい目で見ていらっしゃいましたから。それがわたくしたち使用人一同、嬉しくてたまらないのですよ」
「でも、敵国の者同士だ。面倒なことになるのは目に見えている。そうだろう?」
「――旦那さまは、何かおっしゃっていませんでしたか?」
「それは」

 サヨは目を伏せる。
 そうだ。
 今日、馬車の中で聞かされた話がある。
 ただのホラなのか、それとも本気なのか。


『理由が欲しいというなら、いくらでも作るさ』

 そう彼は言った。

『君と結婚した方が、オレにとっても都合がいい。こう言えば、君は納得できるか?』

 戦で対峙し、なぜか、彼に気に入られた。
 ただ、それで恋だの愛だの言われても、サヨには到底信じられない。
 だから彼は理由をくれた。
 求婚した、その意味をくれた。

「――軻皇国の、皇を、困らせたいと」
「まあ」
「トキノオとガルトニーレが繋がることで、皇を警戒させたいと言っていた」

 トキノオ領が軻皇国の中央政府にとって厄介者扱いされていることは当然ディルも知っていた。
 ただ、戦場の虎としてアキフネの存在は軻皇国にとって必要不可欠。そのうえ、隣接するシルギアのガルトニーレ辺境領を抑え込める唯一の人物でもある。

 その力は取り込んでおきたいくせに、力をつけすぎてしまったことを危ぶまれてもいる。トキノオは、軻皇国内で、重要でありながらも非常に難しい立ち位置なのだ。

 それでも父アキフネは、皇のために尽くしてきた。
 筋が通らぬ戦でも、重い腰を上げて戦場に立ってきたし、ここ近年はサヨだって同行することも多かった。

 けれども今回、東で広げられていた戦に対しては、アキフネも厳しい目で見ていたと思う。
 いや、つもりつもった不信感が爆発しかねたというのが正しいか。
 多くの犠牲を払うのを承知で、一方的な侵略をはじめたことにひどく憤っていたのだ。

 それに気づいたからこそ、軻皇国の中央政府はトキノオを縛りつけようと駒を動かしたのだろう。
 それが、ガルトニーレ辺境領への侵攻、自滅を誘うためのあの命令だった……ということなのだろう。
 トキノオに被害が出ればなんでもよかった。なんなら、ケチがつくだけでもよかったのだ。


 サヨはため息をつく。
 トキノオ領は自然も豊かで、民の活気もある素晴らしい領地だとサヨは考えている。
 それが皇は気にくわない、ということなのだろう。
 そして、それらの状況をも理解したうえで、ディルは説得してくれたのだ。

 サヨがディルに嫁ぐことが、トキノオにとっても有益なのだと。

『まあ、これが悪知恵の働く小ずるい大人の口説き方だ。――これで、君も少しは気が楽になったか?』

 なんて肩をすくめて笑っていたっけ。

 ……ほんとうに、彼はずるい。
 彼の言葉でサヨは、ずいぶん気が楽になったのは本当だった。
 この地にいる意味など、何もない、役立たずになってしまった自分に、彼は役割をくれた。
 あとづけで、さももっともだと言わんばかりの理由をでっち上げられただけなのに、少し救われたような気持ちになったのは真実だ。


 そんな彼の言葉を思い出し、サヨは目を細める。
 そしてそのサヨの様子を、エレナたちは眩しそうに見ていた。

「わたくしの目から見ても、旦那さまはずいぶんと姫さまのことを気に入っていらっしゃると思います。
 けれども、あの方はあくまでここ――シルギアの北西の玄関口、ガルトニーレ辺境領を守護するお方です。己の感情だけで動いているわけではありませんわ」
「そう……なのだろうな」
「ええ。姫さまのお父さまと同じでしょう。領地を――そして国を守る義務がある。
 トキノオ領とはずっと隣同士、国と国の間柄は難しいものでしたけれど、その均衡を守るために共に与してきた同志でもあると考えていらっしゃいます。
 トキノオの姫君を迎え入れられることは、この難しい情勢だからこそ、意味があることだと思っていらっしゃるのでは?」
「エレナも、私がこの地に嫁ぐことに、意味があると思うか?」
「ええ」
「――――そうか」

 ふと、窓の外に視線を向ける。

 馬車で通り過ぎるときも見えた、正門に入ったところに植えられた二本の若い桜の木。
 この城の北側には訓練場もあり、そこには周囲をぐるりと取り囲むように、もっとたくさんの桜が植えられているらしい。


 ……春まで。
 ディルは、サヨに考える時間をくれたのだ。

 丁寧な手つきで足を洗われ、薬を塗られる。
 捕虜の身には過ぎた扱いだけれども、サヨとて領主の娘。使用人のいる生活には慣れている。
 悪いようにするつもりはないのだろう。
 であるならば、彼女に身を委ねようと思う。
 そしてサヨは考えなければ。今後の身の振り方を。
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