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−初秋−

1−16 あの桜の花が散るころまでに(4)

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 ディルはマントごとサヨの両脚を抱きしめたまま、膝に顔を埋めている。

「…………そういうことか。なるほど」
「……」

 心臓がめちゃくちゃに暴れている。
 そしておそらく、それはサヨだけではないらしい。

 馬車の中は薄暗いからわかりにくいけれど、ディルの耳が真っ赤になっているようだった。

「オレが無知だったばかりに、言い出せず……君に痛い思いをさせたわけか」

 しかもディルはさらに何かを勘違いしているらしい。うな垂れるように、サヨの膝に顔を埋めたまま動かない。

 ――まいったな……。

 わざと足にあわない靴を与えられていたと思っていただなんて絶対に言えない。
 言ってしまったらきっと、彼はもっと落ちこむ気がする。サヨの勝手な思い違いのせいなのに、それは不本意だ。

 大きな図体を小さく丸めて、彼はじっと動かずにいた。
 外には水と包帯――ああ、きっと彼が先ほど持ってくるように命じていたものだろう――を持った兵を待たせている。


 いつまでたっても動かないディルに痺れをきらしたのか、ケーリッツがそっと声をかけた。
 ああ、と細い声を漏らしたのち、ディルは扉を開けるように指示をする。そして、用意させた桶と包帯を、ディルはしっかりと受け取った。
 
「――オレのことは……そうだな。将来の伴侶と思ってくれたら嬉しいが、難しいだろうから。医者とでも思ってくれ」
「……ぅ……」
「見るぞ?」
「あ……あ……」

 桶を引きずりながら、被せたマントをゆっくりとめくり上げる。ふたたび素足があらわになり、サヨはぎゅっと手を握りしめた。

 ディルに、見られている。
 年頃の娘のものとも思えないひどい足を。
 けれども彼は馬鹿にすることもなく、ただ真剣な眼差しで見つめていて。

「しみるぞ?」

 言うなり、ぴちゃりと冷たい水につけられる。そのまま彼は、患部に直接触れないように、ぱしゃぱしゃと足全体を丁寧にすすいでいった。


「……君が真面目で、我慢強い人間なのはよくわかった」

 足を濯ぎながら、ディルはぽつぽつとしゃべりはじめる。

「オレのこともまだまだ敵だと思っているのだろう? 簡単に甘える気にならないのも、理解しているつもりだ」

 外で待機している兵から手ぬぐいを受け取り、さらに何か缶のようなものまで受け取っている。
 いつの間に用意されていたのか、その缶にはたっぷりと軟膏が詰まっているようだった。

「君のその緊張を、もっとはやく解くことができていたならばこうはならなかったのだろう。綺麗な足なのに――ほんとうに、すまない」
「綺麗な……?」
「ああ。とても綺麗な足だ」

 ポンポンと、濡れた足を拭き取ったのち、彼は軟膏を塗り込んでいく。
 サヨに己の想いを言い聞かせながら。

「君は、我慢をするのがなかなかに上手だ。だからオレは、君が傷ついていることに気がつけない。――これで、二度目だ。ほんとうに、不甲斐ない」
「そんな! これは……!」

 私が言わなかったからだ! そう伝えようとして、でも、できなかった。
 なんだか自分の方が縋りつきたい気持ちになってしまい、途方に暮れる。


 それからはしばらく無言だった。
 サヨはただ、丁寧に包帯が巻かれていくのを見つめていて。

 黙り込んだすえ、とうとうディルが言葉を絞り出した。

「――――シルギアが、折れた」
「え」
「君の望んだ結末だ。勝負はついた。東の戦は、軻皇国が制したと連絡が入った」

 突然事実を伝えられ、サヨは頭が真っ白になる。
 それでも彼は、包帯を巻く手を止めないまま、言葉を続けた。

「ここの国門も当然固く閉ざされる。しばらくは両国間の調整が続くだろう。だが――」
「……」
「前にも伝えたはずだ。オレは、君を帰したくはないんだ」


 感情が処理しきれない。
 少し現実味が薄いのかもしれない。東では、父であるアキフネも戦っていたはずなのに。

 不覚にも自分はシルギアに捕らわれれの身だ。
 ――ただ、戦が続くなら、敵の将軍の近くにいることで何か祖国の役に立てる日がくるかもしれないと……。そう言い聞かせることで、なんとか自分を慰めてきたのに。

(戦が終わってしまった……?)

 ならば自分は?
 しかも、自国が勝ったいま。
 シルギアにいる意味など、もはやないに等しい。


「あ……あ、あ、……?」

 シルギアの者たちはみな紳士で、とてもよくしてくれる。
 そのこともサヨにとってありがたく、同時に、とてもつらいことだった。

 自国に迷惑をかけ、おそらくトキノオの皆には心配されているだろう。そんな中で、のうのうと生きている。
 これでいいはずがないのに。

 でも、戦が終わったことは、喜ぶべきことで。
 一方で、国の役に立てる未来も潰えてしまって。
 名誉を挽回する機会すら、そうそうになくなってしまった。

「帰れるの、だろうか……」

 両目を見開いたまま、サヨは呟く。

「帰してもらえるのだろうか、私は」

 軻皇国が勝ったと言うならば、さほど遅くならないうちに捕虜の返還があるかもしれない。
 ただ、ここは主戦場から離れているし、女がひとり捕らわれているだけ。交渉してもらえるかどうかもわからない。
 それでも。

 ――帰りたい。

 サヨの気持ちはハッキリしていた。
 ここで生活していたら、自分が腑抜けになってしまう気がした。

 自分の失態を、誰かに責めてほしかった。
 国に帰って、どこぞの後妻にでもなって、蔑まれて生きていくべきだとサヨは考えた。
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