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−初秋−

1−9 全身全霊の愛にとまどう(2)

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 その言葉もまた意外なもので、サヨは何度も瞬いた。

 昨日は、たしかに舌を噛み切って死のうと思った瞬間があった。
 けれども、時間の経過と状況のせいか、いくばくか冷えたサヨの頭では同じことをしようとは思わない。

 少なくとも、土下座までしてみせた大の男をこれ以上責めるつもりはなかった。
 もちろん、昨日の行為は簡単に許すことなどできないけれど。それでも、自分が捕虜の身となったことも理解している。
 サヨとて武人。であるならば、相手と向き合う必要があると思えた。


 こくりと頷いたところで、ケーリッツがサヨの拘束具を外していく。
 柔らかい布をかませてはあったが、昨夜は無理矢理外そうと暴れていたからか、手首も足首も赤と青がまだらになった悲惨な色になっている。

 おそるおそる、まだら色の肌を撫でてしばし。皆の視線が自分に集中していることに気がついた。

「!」

 しまった!
 こんなに大勢の前で素足を晒している!
 嫁入り前の身で、なんとはしたないことだろうか!! 

 真っ青になり、サヨは毛布を引き寄せ、慌てて足を隠した。そのまま、両手で膝を抱え込んでうずくまる。


 慌てるサヨにケーリッツも戸惑った様子を見せたが、それ以上抵抗するそぶりを見せなかったところで、最後に猿轡が解かれた。
 冷たい空気が喉を通してすうーっと入り込む。舌や口にうまく力が入らなくて、緩んだ口元を見られるのが恥ずかしい。
 片手で口を覆い隠したところでようやく皆の方に目を向けると、ハラハラとした様子でこちらを見ている件の男と目があった。
 昨日の――戦場での姿からは想像できないようなオロオロした表情に毒気を抜かれる。どうやら、よっぽど心配されているらしい。

 う、ああ、と、おっかなびっくり声を出してみたら、普通に出た。だからサヨはこほんと咳払いしてから続ける。

「……心配しなくても、無駄に死ぬようなことはしない。その……変なことをされないかぎりは」
「そうか、良かった!」

 サヨの言葉に、男はぱああと、わかりやすく笑う。
 死なない宣言をしただけでこうも喜ばれてしまうと、サヨはどんな顔を返せば良いのかわからなかった。


 ――しっかりしろ、サヨ! 相手は、敵将なんだぞ!

 これから自分がどうなるのか見当もつかないが、あれから戦はどうなったのか。
 領地のこと、自分の他に捕らえられた捕虜がいないか、そしてこれからの自分への待遇……確認することも、交渉することも山ほどある。
 いつまでも昨日みたいにめそめそして、呆けている場合ではないのだ。

「その……で……じぃ…………将軍」

 ……ただ、相手の名を発音することは諦めた。
 けれども、自分のことを呼んでいると理解した男は、わかりやすく笑みを浮かべた。本当に、一体何なのだろうか、この状況は!

「どうした、サヨ」
「状況が見えないので、可能ならば説明がほしい。それから……その。私は、寝起きで……着物が乱れているから、直したい。少しひとりにはしてもらえないだろうか」

 無理だろうな、と思う。
 自分は捕虜で、ここは相手の砦。しかも牢屋でもなく、おそらく男の私室なのだろう。そこに敵国の者を一人残すなんてこと、あり得るはずもないのに。

「…………わかった。だが」
「逃げるつもりも、死ぬつもりもない」
「そうか。ケーリッツ!」

 男は鷹揚に頷いて、認めてくれる。
 悪いことではないのだろうけれど、ありえない待遇に戸惑っていると、ケーリッツが隣の部屋から何かを運んできたらしく、サヨの前に差し出した。

「はい、これ、着替え。……サイズはこれでいいと思うんだけど、この砦には男ものしかなくてね。ごめんね。しばらくはこれで我慢してくれるかな?」
「え?」
「君の服、かなり汚れてるでしょ? 普通に洗濯して大丈夫? ちゃんと綺麗にして返すから、心配しなくていいよ」
「えっ? えっ???」

 わけがわからないままぽんっと衣類を一式渡されて、サヨは瞬いた。しかも男が手を上げると、一堂サッと部屋から立ち去っていく。
 男の言葉に嘘はなく、サヨは本当に部屋に一人取り残されたのだった。





 ひとりになった部屋で、サヨは苦労しつつもどうにかシルギアの服を着る。
 それからそっと隣へ続く部屋の扉を開けた。

 白のシャツに焦げ茶のパンツ、そしてベージュのコートというシルギアではありふれた服装ではあったが、すらりと身長の高いサヨが着ると、本当にシルギアの青年のように見えなくもない。

 ただ、履物ブーツの大きさがあっていないらしい。
 どうにも踵が擦れるような感覚がある。
 しかし、ひょこひょこ覚束ない足取りを見せるのは隙を見せるようで耐えられないため、痛みを我慢してどうにか歩く。
 と、そこで合点がいった。

 ――そうか。これは逃亡を防止するためのものか。

 相手を油断させつつ、動きを封じようなどと姑息なマネをしているのだろう。
 なるほど、わざと足にあわないものが用意されたわけだ。
 であるならば、余計に弱みなどみせはしない。なんでもない顔をして過ごしてやるとサヨは誓う。

 ……正直、あっちもこっちも慣れないし苦しいし痛い。けれども、サヨは誇り高きトキノオ家の長女。敵を前に下手に出ることなどあってはならない。
 こんなことくらい、耐えてみせよう。そう心に決めた。
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