イグニッション

佐藤遼空

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第五章 疑惑  押収品

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 朝、王日署に着いた和真は、署内にいた泉雪乃に声をかけた。
「おう、昨日は張り込みだったんだろ? ご苦労さん」
「ちょっと、他人事だと思って」
 雪乃がふくれて見せる。張り込みは拘束時間が長く、しかもそれがいつ終わるとも知れない。神経を使う張り込みは、地味だがキツい任務と言えた。
「ところで、西村の押収品はどうした?」
「別室にあるわよ。署員には触らせるなって公安の人に言われたんだけど」
「偉そうな方、イケメンの方?」
「どっちも偉そうだったけど、イケメンの方」
「佑一か」
「なあに。知り合い? ちょっと気障ったらしくて高飛車で、顔は確かによかったけど、いい感じしなかったわ」
 和真は苦笑した。

「いや、そんな悪い奴じゃないんだけどな。ところで、ちょっと見ていいか」
「駄目」
「なんだよ、俺たちだって捜査してるんだぜ」
「――おれたちも入れてもらえないんだよ」
 そこへ現れたのは、北山と芝浦である。
「署員は入れるな、だとさ」
「そうなんですか。今日も仁さんと雪乃で張り込みなんでしょ?」
「終業後にな。公安の気まぐれに付き合うのも大変だよ」
 そんな話をしていると、今日子が現れた。
「おはようございます。どうしたんですか?」
「雪乃が押収品を見せてくんないんだよ。佑一が署員には見せるなって言ったんだと」
 今日子は少し考えて、口を開いた。

「確か国枝さんは、警部補ですよね。わたし警部ですけど? 一応」
 雪乃と和真は顔を見合わせた後、声の主を見た。今日子はにっこり笑っている。和真も言い添えた。
「ちらっと見るだけだよ。触りゃしないって」
「なんかそれ、いやらしい言い方ね」
「また、セクハラ事案ですか?」
「またって何だよ! 誤解を招くだろ!」
 呆れ顔になるが、仕方ない、という体で雪乃がしぶしぶドアを開ける。和真が中に入ると、取調室の机の上に、引き抜かれた引き出しが五つ置いてあった。

「これだけ? 携帯とかあるんじゃないのか?」
「あ、それは公安の人が持っていったわよ。偉そうな方」
「そうか。さて、じゃあ此処から何か手がかりになるものを探すか。中条も、そっちを頼む」
「あ、はい」
 机の中のものはほとんどが事務用品だったが、ノートやファイル類も相当数あった。雪乃も手伝って、三人はそれに黙々と目を通していたが、やがて今日子が声をあげた。
「あ、確か西村さんの浮気相手って、留学生ですよね」
「そうだ、李蓮花って言ってたな」
「此処に名簿があります。その年度のゼミ生の名簿みたいですね」
 三人は集まって名簿を見た。和真が口を開く。

「元奥さんの三ツ谷百合さんは、西村が『工作員だった』と言ってたと話してましたね」
「公安でも、そう考えてるだろう。研究所員である西村から情報を得るためのハニートラップだったろうと」
「実態は、ちょっと悲しい恋話でしたけどね」
「え、なになに、聞かせて?」
「長くなるから止めろ」
 乗り気の雪乃に、和真は釘を刺す。そこで今日子が口を開いた。
「本当に工作員だったのかなあ……」
「なんで、そう思う?」
「だって、工作員なら組織の人って事ですよね。国に帰る前に、機密を盗むんじゃないんですか? けど、西村さんから機密が漏れた、なんて話し聴いてませんけど」
「うん……公安は知ってる可能性もあるけど…それだと西村も捕まっててもおかしくないし、研究所に在籍してられる事もありえない。三年前に機密漏れはなかった」
「それって、本当の恋人だったってこと?」
 雪乃がそう言った後で、今日子が口を開く。

「本当の恋人なら、西村さんが狙われた秘密、知らないですかねぇ」
 今日子が何気なく言った一言を聞いて、和真は今日子の顔を見た。
「いや、仮に知っていたとしても、もう帰国してるはずだ。……しかし、なんとか連絡だけでもとれれば、なんらかの情報を引き出せるかもしれない……」
「じゃあゼミ生たちの話を聞いてみましょうよ。連絡先くらい知ってるかも」
「そうだな、あたってみるか」
 和真がそう言った時、背後から佑一の声がした。
「押収品を見てるのか」
 非難するような佑一の言葉に対し、和真は笑ってみせた。
「いや、もういいんじゃないかと思って。まさかずっと閲覧禁止ってわけでもないだろ?」
「くだらない縄張り意識で、証拠品を隠されたりするからな。その防止だ」
 佑一の物言いに、和真は言い返した。

「この署には、そんな奴いねえよ」
「それは――お前の眼から見える『仲間』としての姿だ」
 佑一は鋭い眼差しを、和真に向けた。その様子を、背後から安積も見ている。
「人はお前みたいな真っすぐで正直な奴の前では、善人として振る舞おうとする。けど、お前の見えていないところでは、別の振る舞い方をしてる時だってあるんだ」
「……そうなのか?」
 和真は納得できない様子で、眉をひそめた。
「お前にとっては仲間でも、他人に対しては敵対意識剥き出しかもしれないんだ。お前には見えない死角というものがあるのさ」
「なんだ? それって高校の時からそんな事あったのか?」
「まあな」
「おい。それって、刑事としては致命的ってことじゃねえの?」
「そう思うなら、刑事はやめておくことだな」
 眼鏡の奥から冷たい眼を向けると、佑一は会議室へと入っていった。ちぇ、と小さく呟くと、和真もそれに続いた。

「付近住民からは、西村に関してこれといった目立った情報は得られませんでした。同じ階の住民も、806から端にかけては、ほとんど顔も知らなかったようです」
 平の報告に対し、仁がぼそりと呟いた。
「都会の孤独だねえ…」
 芝浦が立ち上がって報告する。
「付近の防犯カメラ設置店をあたってみましたが、マンションの803を映しているようなカメラはありませんでした。あの付近は高層マンションも少なく、同じくらいの高さの建物がないエリアです。同じ目線での目撃者を見つけるのも難しいかと」
「つまり、収穫は無しか」
 安積が苛立った顔でそう洩らした。その後に仁が、ぼそりと呟く。

「収穫がない、って事の収穫だよ」
「北山仁司警部、何か言いたい事があるのか?」
 安積は仁を睨んだ。仁は愛想笑いを浮かべながら立ち上がる。
「いいえ、厚木所長には昨夜は動きはありませんでした。1:00まで張って、今、此処に来ております」
 文句があるか、という体で仁が座る。それに続いて曾根崎がリーゼントを揺らしながら立ち上がった。
「堺にも動きはありません。終業後、まっすぐ帰宅してます。それと研究所員の犯行時の聴収をしましたが、全員にアリバイがあります。確実なウラはこれから調べます」
「判った。……佐水班は何をしていた?」
「俺は捜査から外れるんじゃなかったですかね?」
 和真が皮肉っぽくそう言って見せると、安積は和真を睨みつけた。

「多胡課長のたっての頼みで、捜査を許可したはずだ。このまま外してもいいんだぞ」
 和真は肩をすくめて立ち上がると、報告を始める。
「現在は埼玉在住の元妻、三ツ谷百合に話を聞いてきました。離婚の原因が浮気が元の痴話喧嘩…というようなものではなく、百合の不妊が元になり夫婦関係が悪くなった結果のようです。三ツ谷百合には怨恨の線はないと思われます」
 フン、と安積が息をつく。どうでもいい、と言わんばかりの安積の態度を見た後に、和真は言葉を続けた。
「実は我々が聴取をした直後、何者かが三ツ谷百合を拉致しようとしました」
「なにっ!」
 さすがの安積も、驚きの声をあげる。

「どういう状況だ?」
「二人組の男が百合をさらおうとしました。言葉を発することはなかったのですが、戦い方が中国人っぽい感じだったと判断します」
「……どういう事だ」
 安積が腕を組む。その横で、佑一が驚きを抑えつつ、和真を見ていた。
「それで、三ツ谷百合はどうした?」
「無事に保護しました。今は向うの所轄が警備してます」
「そうか…君に怪我は?」
「いえ、特に。中条警部の機転で助けられまして」
 安積の思いがけぬ気遣いの言葉に、少し驚きを感じながら和真は答えた。
「そうだったか……二人とも、ご苦労だった」
 安積のねぎらいの言葉に微笑みながら、和真は着席した。
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