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第七章・世界は優しい嘘に包まれて
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買い出しの紙袋が耳元でかさかさと音をたてるなか、霧子の脳裏にあったのはひとりの女性の存在だった。
沢城蒔子……<アウターガイア>で遭遇した女剣士。
最後に彼女を見たのはもう何年前だろう。恨みと失望を目に宿し、じっとこちらを見つめていた姿だけはいまでも覚えている。
〝今度会うときは、殺し合うとき〟
そう言い捨てられ、自分もそれに臨んだ。
それでも再会したあの日、徹底して相手に殺意を向けられなかった。いっぽうで蒔子の殺意は伝わってきた。圧倒する剣戟、張り詰めた空気を通して。
輝彦に危害をくわえ、勇三に斬りかかりまでした彼女を、霧子は中途半端な気持ちのまま相手にしてしまった。
戦いのなかで蒔子もそれを承知したのだろう。だからこそ身を引いたのだ。
あのまま戦っていたら、死んでいたのは自分のほうだった。
守るべき者が近くにいて全力を出せなかったとか、直前のレギオンとの戦闘で能力を行使して疲労していたとかは負けたときの言い訳にもならない。そして自分は、その覚悟の無さゆえに負けたのだ。
恐るべきは蒔子のほうだった。彼女は長いあいだ顔を合わせていなかったにも関わらず、霧子の姿を認めるやいなや、戦いへと引きずり出す算段を決めたのだ。それは執念か、あるいは情念と言ってもいいのかもしれない。
結果として霧子は、蒔子の挑発にのせられるかたちで銃を抜いた。
あるいは蒔子はこの年月のあいだ、常々考えていたのかもしれない。
宿敵をどう出し抜き、どう目論見にはめるのか。霧子が過ごしていたのと同じ月日のなかで、ひとつひとつ積み重ねていくように。
失ったものばかりを振り返るような日々を送ってきた自分とは大違いだ。
(これじゃあ差がつくのも当たり前だな)
自嘲しながらも、ビルとビルの隙間としか言えないような細い道を入っていく。
表通りの雑踏は消え去り、静寂と、吊りさげられた看板だけが霧子を出迎える。
「ただいま」憂鬱さのに安堵の気持ちが混じったままドアをくぐった霧子は、店の中に生じていた違和感に眉根を寄せた。「トリガー?」
呼びかけながら店の奥に進んでいったが、定位置であるはずのスツールに相手の姿はなかった。
それどころか、スツールそのものが主人の不在を嘆くかのように床の上に横たわっていた。
周囲に視線を巡らせながら買い物袋をすぐそばのテーブルの上に置くと、霧子は無意識のうちに足音を忍ばせて歩を進めた。
カウンターの中に無言でたたずむハロルドくんになにが起きたのかを訊こうかとも考えたが、すぐに思い直す。このロボットは人間の命令に従うことはできても、人間のように振舞うことはできない。
具体的な命令でも出さないかぎり、認識エラーを起こしてビープ音を鳴らすのがおちだ。
「トリガー?」
ふたたび呼んではみたものの、覗きこんだカウンターの向こうにトリガーがいないことは予想できていた。そちらからは、まったく気配がしなかったからだ。
はたしてそこにも、馴れ親しんだ白い姿はなかった。
じっくりと夕刻が近づきつつある昼下がり。ビルの谷間から差し込んだ日光を受けて、薄暗い床の上にあったなにかがきらめいた。
しゃがみこんだ霧子が取り上げたのは、トリガーの首輪だった。
沢城蒔子……<アウターガイア>で遭遇した女剣士。
最後に彼女を見たのはもう何年前だろう。恨みと失望を目に宿し、じっとこちらを見つめていた姿だけはいまでも覚えている。
〝今度会うときは、殺し合うとき〟
そう言い捨てられ、自分もそれに臨んだ。
それでも再会したあの日、徹底して相手に殺意を向けられなかった。いっぽうで蒔子の殺意は伝わってきた。圧倒する剣戟、張り詰めた空気を通して。
輝彦に危害をくわえ、勇三に斬りかかりまでした彼女を、霧子は中途半端な気持ちのまま相手にしてしまった。
戦いのなかで蒔子もそれを承知したのだろう。だからこそ身を引いたのだ。
あのまま戦っていたら、死んでいたのは自分のほうだった。
守るべき者が近くにいて全力を出せなかったとか、直前のレギオンとの戦闘で能力を行使して疲労していたとかは負けたときの言い訳にもならない。そして自分は、その覚悟の無さゆえに負けたのだ。
恐るべきは蒔子のほうだった。彼女は長いあいだ顔を合わせていなかったにも関わらず、霧子の姿を認めるやいなや、戦いへと引きずり出す算段を決めたのだ。それは執念か、あるいは情念と言ってもいいのかもしれない。
結果として霧子は、蒔子の挑発にのせられるかたちで銃を抜いた。
あるいは蒔子はこの年月のあいだ、常々考えていたのかもしれない。
宿敵をどう出し抜き、どう目論見にはめるのか。霧子が過ごしていたのと同じ月日のなかで、ひとつひとつ積み重ねていくように。
失ったものばかりを振り返るような日々を送ってきた自分とは大違いだ。
(これじゃあ差がつくのも当たり前だな)
自嘲しながらも、ビルとビルの隙間としか言えないような細い道を入っていく。
表通りの雑踏は消え去り、静寂と、吊りさげられた看板だけが霧子を出迎える。
「ただいま」憂鬱さのに安堵の気持ちが混じったままドアをくぐった霧子は、店の中に生じていた違和感に眉根を寄せた。「トリガー?」
呼びかけながら店の奥に進んでいったが、定位置であるはずのスツールに相手の姿はなかった。
それどころか、スツールそのものが主人の不在を嘆くかのように床の上に横たわっていた。
周囲に視線を巡らせながら買い物袋をすぐそばのテーブルの上に置くと、霧子は無意識のうちに足音を忍ばせて歩を進めた。
カウンターの中に無言でたたずむハロルドくんになにが起きたのかを訊こうかとも考えたが、すぐに思い直す。このロボットは人間の命令に従うことはできても、人間のように振舞うことはできない。
具体的な命令でも出さないかぎり、認識エラーを起こしてビープ音を鳴らすのがおちだ。
「トリガー?」
ふたたび呼んではみたものの、覗きこんだカウンターの向こうにトリガーがいないことは予想できていた。そちらからは、まったく気配がしなかったからだ。
はたしてそこにも、馴れ親しんだ白い姿はなかった。
じっくりと夕刻が近づきつつある昼下がり。ビルの谷間から差し込んだ日光を受けて、薄暗い床の上にあったなにかがきらめいた。
しゃがみこんだ霧子が取り上げたのは、トリガーの首輪だった。
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